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【975】学ばぬオオカミ少年の学習課題は津波てんでんこ [ビジネス]

 今も東京で『ハダカの王様』を上演中だが【962】、これが過ぎたら『また』『まだ』この延長線上でやる気なのが、自爆テロ非国民犯罪者政権の腹づもりだろう。
 とにかく税金資本のデタラメ浪費を積み上げるだけ積み上げて、早く『もっと重く、もっと複雑で、もっと手のかかる税制』に反映させることが急務になっているから、手段を選ばず『日本国民のためにやむなく多額の税金を先行支出した』という事実を稼ぎたくてしょうがないのだ。

 公費の支出費目が持つ縛りの基準には詳しくないのだが、御覧の通り『注射』ではもう大したことない限界がどんどん見えて来ている。グダグダ減衰は時間の問題だ。
 『注射打たないと死ぬ死ぬ』って勢いだったはずなのに、日本国民の大半が実行動でそれを拒否し、結局そのまんま五輪開催期間が到来してしまった。五輪に絡んでは、たかがこの数日で軽く3桁人数の感染者が出ていると聞いたが、それだけ大人数が感染したなら、単純な確率問題として重症例あるいは致死例もゼロでは済まない。
 特に重症者や死亡者が海外からの来訪者だったりすると、黙殺し切れるものでもないだろう。それこそ五輪憲章に関わる国際問題に発展するのは確実と予想される。

 みんな大好き『イノチを守る』『人命第一』『選手ファースト』を掲げた安心安全の大会運営だというのなら、他はともかく医療業界の代表者が国際的な場で全メディア横断の緊急声明を出し、問答無用で即刻停止の実力行使が必要な事態である。
 だがこの一大事に、黒縁ミイラも立て看板ノーベル賞も噛ませ犬前提で外野からのぶつぶつグチ止まりだったり雲隠れだったり、つまりこれが現状の日本第一線の専門家とやらの正体ってことさ。よく見ておこうぜ。

 先に結論。
 東京ではバンバン新規感染者を発生させながら、いけしゃあしゃあと『ハダカの王様』を続けても、どうってことないのである。公認だ。
 これが動かぬ現実であり、これを国民各自が意思決定の根拠にすればよろしい。

 主に政治家など税金資本でこの御時世にしてボーナス名目の一時金まで手に入れるような人種が、このコロナ騒ぎをどう都合よく利用するかの目的がまずあって、どんな情報を流せば目論見通り『コロナ死ぬ死ぬ』に社会組織が調子を合わせる集団行動に収まるのか、そっちが本題になっている。このコロナ禍とやらは、かつての天然痘やペストなど医学的史実としての病原体流行ではなく、それをきっかけにした人間の邪心由来の経済被害事例として、後に社会学の研究対象になることと思われる。
 特にこの日本列島では、騒ぐも騒がれて傷むも『言ってるだけのごっこ遊びは承知の上、でもみんなやってるから逆らえない逆らわない』という日本人気質の主体性の無さが全てだ。別にコロナなんかでなくとも似たようなネタがあれば同じことになってたろうし、ネタさえあれば集団でまた同じ過ちを繰り返す。
 こんなものに、みんなのためにみんなで拠出した大事な税金を注ぎ込むのは、政治でも何でもない。

 1億2千万人日本社会に限らず組織というのは性善説も性悪説も通用せず、生命体の本能として組織の自我の赴くままに振舞う。日本人の組織は日本人組織の自我のままに。

 まずただの生物イチ個体としての人間がいて、いわゆる『個人差』と呼ばれる変動要素でバラつきながらも、十分な共通性の領域で共感し共鳴し合いながら、一緒にやりくりして暮らす生活形態に価値を感じてまとまっている。これが組織をひとつに繋ぎとめている仲間意識の姿だ。
 基本それだけのハナシであり、共感して共鳴して一緒にやりくりしようと思う気持ちが消滅した途端、至近距離にいる人間同士でも社会組織としての機能は失われ、アカの他人として個別行動となる。
 つまり、みんなが共感も共鳴もしないものを人と人の間に持ち込もうとした時点で、まず一切の理屈や難しゴトを抜きにして、政治という組織運営の概念に該当しないのである。

 同じ人間として、されて・見ていて心地良いコトと心地悪いコト、許して見過ごせるコトと見過ごせないコト、その他もろもろが文明社会の人間関係の中で基準化され、『みんなが納得して収まって暮らす空間の申し合わせ事項』として、社会規律なる形で共同運用される。本能の訴えを整理して簡単な判断ロジックに変換し、使いやすくして個人差なく毎日みんなで従うのだ。
 よって規律というのは、積極的に各自が合わせ込みに行くことで成立するものなのだが、裏返せばわざわざ組んだもの故これは突ついて崩せば崩れるのであり、しかも崩れるにあたってはエントロピー増大の方向としてあれよあれよと進行し、元に戻そうにも戻らない。紅茶の中で角砂糖が崩れていき、もう煮込もうが冷やそうが、甘くない紅茶と乾いた角砂糖ひとつにはならないという、アレである【930】

 ここまで理解して、今みんなが共感も共鳴もできない行動様式を、ムリヤリ社会規範のカタチだけ装って執拗に強要するとどうなるのか考えてみる。判りやすくするために、二択形式で対比させよう。

 1.仲間意識の勝ち。社会規範になり得ない行動様式の強制力は無視される。
 2.強制力の勝ち。仲間でなくなった者同士が日本列島の器に閉じ込められる。

 可能性としては両方あるのだけれど、例えば2.にしちゃったから、明日から日本国憲法で保障されている基本的人権なんか知ったこっちゃない、自分の身は自分で守るがこっちだって相手かまわず好き放題やらしてもらう、税金なんか払わないが公共サービスの世話にも一切ならないのでよろしく…みたいなことは現実として無理だ。
 つまり最後の最後はノーチョイスで1.となることが決まっており、だから国民生活の当事者たちと仲間でいる必要がある立場なら、『コロナ死ぬ死ぬ』情報工作には一丸となって明確に反目し無視しないと自滅する。現状を支えている社会構造が成立しなくなり、規律なきぐじゃぐじゃ敵同士の群衆に陥るしかない。
 まず長らく『コロナ死ぬ死ぬ』に反目できずにいた訳からきちんと説明して、共感と共鳴を取り戻すべきだと述べたのがこれである【945】【946】【962】

 ナンタラ宣言もウンタラ措置も既に日本国民は誰も真に受けなくなっているのが明らかなのだから、地域社会の責任者は、いっそあらゆる現場負荷をまず下げるため『蜂の巣にされてでも、何も起きてないとして何もしない』のがガチの現実解だと思う。
 医療機関の稼働率限界の逼迫が問題だというなら、悪いが現場から対応病床の総数を端からひとつずつ公開映像で数えていって、重症者病床のカウントに入って血を吐いて苦しむ患者の寝姿ごと順番に映すなりして、フェイク余地なしの見世物として、まさに『視聴者たる国民と目前の現実を共有』していかないとダメだろう。
 『コロナ死ぬ死ぬ』が真実だというテイで行くのなら、それがどんな真実か見てやろうという好奇心こそナウみんなで『共有』しており、それを見た判断もみんなで共鳴できるからである。どんな映像をどう流すかにもよるが、それで真剣に響いた時には多少なりとも動きが出るんじゃないすかね。

 そもそも人ひとりの心を持たない社会組織の自我には、非人情も残酷もない。イヤなコト窮屈なコトを強いられ不満を溜め込んだ組織生命体は、その原因を知って納得し気が収まるまで、人数ぶん掛けの数量効果でもって根に持ち続ける。本当に恐ろしく、だからナメると命取りなのだし、絶対に逆らえない。
 自分が共同保管の食糧を盗んだ犯人でないことを証明するため、その場で我が子の腹を裂いてみんなに見せたという、村落コミュニティ組織への誠実さの承認願なんかも起こったりするワケだ【719】

 さすがに1億2千万人からいると初動に時間がかかったなあとは思うのだが、もう日本社会の自我の腹は決まったと見受ける。『ハダカの王様』も『コロナ死ぬ死ぬ』もすっぱり見限って、まず食って寝て、明日から順次その時間と活力を日本経済の再起動に振り向けていく。これが日本国組織の自我が腰を上げる自然な方向性だろう。

 普通に日本人である幸せを自覚している皆さまは、日本列島の自我にタテついて呑まれたりしませんよう。物理的な破壊力の心配が無いこんな機会にこそ『災害から逃げずにみすみす自ら被災してしまう人間の心理メカニズム』を観察しておくと良い【642】
 いつか『逃げる判断』を迫られたとき必ず役に立つはず、では御幸運を!
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【974】『美しい国』の聖なる国際平和祭典 [ビジネス]

 もともと他の時に話題にしようと思っていたのだが計画変更、何しろ状況がぴたりとハマるので今やっておくことにする。ついこないだに続いて『銀河鉄道999』の一話を巡る考察、今回は『ざんげの国』だ。
 メーテルによれば『イヤになるくらい清らかな星』とのこと。

 あの星から清らかな鐘の音が聞こえてくるよ。どういう訳だい?
 重力波にして宇宙空間にまで送り届けて来るのよ。そういう人たちなの。
 宇宙を旅する人たちにまで鐘の音を聞かせないと気の済まないところ…

 お花だらけで清らかな街を徒歩でホテルに向かう道すがら、メーテルの解説にはこの御時世、少々ぎくりとさせられる。

 排気ガスを出す自動車なんてものも無いから歩いて行かなきゃいけないの。

 この星では車掌さんが銀河鉄道株式会社に休暇を許されて珍しく下車するのだが、下車してすぐ車掌さんは行きずりの強盗に遭ってしまうのだ。持ち物を全て奪われ仕方なく999号に戻ろうとする車掌さんだが、メーテルの計らいにより一緒のホテルで休暇を過ごせることになる。

 殺されなかっただけ良かったよ、警察へ届けなきゃ。何が清く正しい星だ!
 警察なんてここには無いわ。みんな清らかだから…

 『花の都』の時とは正反対【970】、社会規律もそれを維持するための治安システムも『ここでは全て清く正しいので不要です』と言い切ってしまえば、強盗という犯罪事件も存在しないことになる。どんな不道徳も迷惑行為も犯罪も、そもそも法やルールの網に掛けず、よって違法の判定が下されなければ全ては清く正しいというワケだ。だが鉄郎、メーテル、車掌さんの3人は『強盗』という現実を見てしまった。
 車掌さんには刺客が差し向けられる一方、鉄郎とメーテルは拉致されて記憶消去装置にかけられてしまう。二人が事前に対策を講じていてその記憶消去処理も通じないと見るや、999号に戻る手前で銃撃して抹殺しようとするのだから徹底している。
 まあ全員が無事999号に戻って、こんな会話をしながら発車時刻を待つのだ。

 とにかくここは清潔で清らかで正しくて美しい人の星だと印象付けようとしてる。
 もし聖人ばかりの世界があるとしたら、そこはさぞ住みにくいところでしょうね。

 そこへホームに駆け付けた『ざんげの国』の役人たちが窓越しに説得してくるのだ。

 お話したいことがあります。是非降りてください。
 第一級の御食事に第一級のホテルで、夢のような時をお過ごしください。
 …もし聞いていただけなければ、非常手段に訴えてでも降りていただきます。

 だが、もちろん列車に戻った乗客に手は出せない。汽笛一声、動き出す999号。

 さようなら、清く正しく美しい人たち。生涯その「地獄」で暮らしなさい。
 お願いです!どうか強盗に遭ったなんてしゃべらないでください!
 我が星のイメージを傷つけるようなことはおっしゃらないで…

 知らねえよバ~カ!とばかりに、窓越しに『あかんべえ』の顔で応える鉄郎少年。
 順番が前後するが、この『ざんげの国』の回のプロローグがなんとも印象深い。

 かつて大宇宙を股にかけ暴れまわった大盗賊が、
 「清く正しく美しい」心の持ち主だからといって、
  清く正しく美しく生きられないところがこの宇宙だ
 と言って吊るし首になった。
 自分が清く正しく美しいと思っている人々は、拍手して盗賊の死を祝ったという…

 今般一連の東京事情は、イチからジュウまで興味も無いし細かいハナシをよく知らないのだけれど、それにしても『この日の行きがかりを知る由もなかった大昔の誰かの軽はずみな不徳を、よってたかって暴き出して大ゴトに蒸し返して遡上断罪し、この世にあるはずもない永劫無欠な清廉潔白の自己イメージを、組織的に取り繕い仲間ウチウチで愛で合おうとする』その殺気だった執着心には唖然とするばかりだ。
 その非・現実的なまでに清く正しく美しいココロの、姿の、ナニが良いのだろう?
 人々が、物事が、森羅万象交錯するこの世界で、どんな価値があるというのだろう?

 もう向こう何十年、五輪と言わず目立った国際大会を日本国が新たに誘致することはほぼ不可能であろう。国内外にわたりみんなで協力して、みんなで運営して、みんなにとって楽しいコトとして良心的に開催すべき国際大会を、これほどまでに醜く薄汚く惨めに失敗させた国は今までになかった。
 人々が、物事が、思い思いに暮らす・過ごすこの世界で、率先して人々や物事を本当に良くしよう楽しくしようとしなかったのだから、良くもならなかったし楽しくもなっていない。世界中が、幼稚で未熟で強欲で恥知らずな日本国の『おもてなし』とやらには、すっかり懲りてもう二度と関わりたくない。そういうことだ。

 もちろん主犯格の自爆テロ非国民犯罪者政権は悪い。だがそんな政権の存在を許し、そんな政権の体たらくを何年も眺めつつこんなになるまで直さなかったのは、我等が日本国だ。我々1億2千万人日本国民だ。言い訳は立たない。
 この取り返しのつかないグローバル信用失墜の引責を要求する日本国組織の自我の怒りが、タイムマシンで国民ひとりひとりの過去をシラミ潰しに漁り、洩れなく全員にありとあらゆる罪状を取りつけて袋叩きにしていく社会システムという、二十世紀のSF漫画の想像力も及ばなかった『地獄』を生み出したのだろう。

 ざんげの国の公開処刑は、その組織内ローカルの内圧発散処理でしかない。標的を決めては地雷案件をほじくり返し、いくつ罪人どもの死骸を並べて見せても、もう信用に値しない『失敗の本質』を既に見抜いてしまった『外の人々』の前には、何の挽回効果にもならないのである。観念するしかない。
 いつか無駄に気付いて見せしめの刑死者じゅず繋ぎが打ち止めになるのかどうかは知らない。今は、ひたすら責任の巻き添え希釈となすりあいを淡々と眺める以外に、この失敗を消化する時間を過ごす方策は思いつかない。

 だから前回、今のうちに先のことをゆっくり考えて、もう金輪際こんなことにならないよう日本国民全員で気をしっかり持とうと述べた。『忙しい』『そんな時間は無い』『誰かやっといて』は、本当に充実した組織の時間を謳歌する人間の言葉ではない。
 いま学習して、二度と繰り返さないように、では今週もグッドラック!
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【973】時空跨ぐ天秤の測量技能検定 [ビジネス]

 ああ~あ、コロナ死ぬ死ぬ、コロナ死ぬ死ぬ。人命が次々と失われるほどの死病が猛威を振るってるってのに、呑気に新規感染者数と本日の死亡者数の定例発表か?
 ま、今は動きようのない時期だとは思うが、その後のハナシを先取りしておこう。

 鳴りを潜めている『GO TOナンタラ』系の税金ばら撒き国家破滅工作である。
 異常な勢いで『また』再開されるのは間違いなく、ヒマで静かな今のうちに時間をかけて1億2千万人日本社会で考えておきたい。
 これを強行するため、今わざと内圧を高めるだけ高めているのかも知れないのだ。

 この夏が過ぎた途端、何もかも掻きまわしてわからなくして、アレもコレもどうでも良いコトにしてしまうため、自爆テロ非国民犯罪者政権は『注射打ったヤツだけ、税金資本の遊興費をタンマリめぐんでやるよ』という交換取引企画をやってくるはずだ。
 国民にとっては自己負担費用ゼロ、踏み絵を踏んづけて政権隷従を誓いさえすれば『ワクチン接種済みパスポート』なるおトクに遊び放題の煩雑コロナ対策免罪符が発行される。恐らくはこんな形になるだろう。

 もう随分と前から事例報告が相次いでいるハナシで、今も御丁寧に来日スポーツ選手がやらかしてくれちゃってるんで解りやすいんだが、ワクチンなるものが正しくモノホンの有効薬剤であったとしても、人間に接種して百発百中の狙い通りに抗体が形成され、その抗体が完全無欠の防御バリアーで本人をコロナ罹患から完璧に守り抜く保証になる訳ではない。
 『ワクチン接種しても、結局かかるヤツはかかる』という、どうしようもないドカチン事実がまずあって、但し精査して、本人にとって最もコロナ感染の可能性を抑えられると思われるワクチンを接種すれば、その効果に期待する価値はそれなりにある。だから前回述べた通り、仕事の都合などでどうしても必要な日本人は、然るべき手順を踏んだ上で、然るべき社会保障のもと的確にワクチン接種すれば良いのだ。

 まあいいや、今回は以上を頭に置いて、本題はここから先である。

 観光業界は、どこの旅行会社も宿泊施設も完全に採算割れしており、恐らくは既にいま現在、大半が何らかの形で税金資本の行政融資を受けてどうにか潰れずに残っている状態のはずで、つまり政府が『注射打ったヤツにだけ思い切りトクさせろ、逆らうと貸しはがすぞ』と脅せば従わざるを得ない。あ、脅さなくてもフツーに忖度の要求か。
 おまけにパスポート取得客を迎えるぶんには、そこにまた客1人迎えておいくらの歩合制の褒美もつけたりするだろうから、もう自前の事業採算は度外視にしてしまい、どこもが価格破壊のレジャープランで集客を競うことになる。そりゃあもう、絢爛豪華なトクをひけらかし、サクラ客にこれ見よがしに使いまくらせて『早く注射打ってみんなで遊ぼう、観光業を応援しよう!』を散々吹聴させるんだろうな。

 実はこうなると、大衆というのは案外とヨワいのだ。
 妙な注射は何となく怖いしイヤだけど、一応モロの毒薬ってワケでもないんだし、どうせ一律平等の税負担に乗っかるだけで打つぶんのその場はタダだ。副作用のリスクさえクリアすれば易々と『パスポート』とやらの免罪符が手に入り、そうなったら面倒なコロナ対策イチ抜けで、好き放題おトクに遊び回れる。もうみんな遊んでる。
 ああ~もう!将来の税負担になるかどうかなんて決定事項でもなければ具体的な導入計画ができているワケでもないし、どうせみんなの負担で後始末するとして、そうなったらそうなったでみんな何とかなる着地点に収まるんでしょ。我々ツラい業界を応援したいんだよねえ?助け合うってイイことなんだよねえ?
 注射さえ打てば誰でもラクしておトクに遊べるっていうんだから、勝手に将来の心配事に暗い想像力を拡げて一生懸命やせ我慢するなんて、ただのソンじゃん。いま使いまくったもん勝ちだろ、これ。

 実はこの理屈、誤魔化しでも何でもなく正しい。これがひとつめのポイント。
 だが本当の問題は、そこで現実として発生する国家負債と、それを清算するための社会負担が、この時点では個々人に想定できないくらい重いことなのである。明るい活力が『失われたウン十年』みたいなところから立ち直れないくらい重いのだが。
 この時点で個々人実感の負担額が具体化できない。これがふたつめのポイントだ。

 最初は少数かも知れないが、注射打って平気な連中が顕れ始めて、そいつらが自分らも負担することになる財源で、贅沢三昧に興じる特権を先に獲得し好き放題にやっている姿を見せつけられると、そこに同調する欲望を喰い止めるための動機が、ただの採算意識や健全財務の精神衛生だけでは足りなくなってくる。
 やられっぱなしの盗られっぱなしが悔しいからって結局みんなでやらかしてしまうと、その後に自ら壊してしまった日本社会で送る自分の日常生活や、孫子世代を始め自分にとって大切な人たちの人生まで含めて、総観レベルで挽回できない不幸感がのしかかり『頑張れない時空間』になってしまうのだが、その危機意識が揺らいでくるのだ。

 そして『大衆意識のタガ』は組織生命体の自我のもの、個人の気概は及ばない。

 未完成のまま無理から強行したあの軽減税率がらみの、電子決済システム優遇のおトク神通力が軒並み期限切れを迎えているのだという。この御時世、どうにかでも首がつながっているなら余計な固定費は瞬殺するんだろうが、お店をやっている方々はちゃんと投資回収できたんだろうか?
 私は未だにスマホ持ってなくてさっぱり知らないのが申し訳ないんだが、あそこで乗り遅れずおトクにあやかった新規ユーザーたちは、その稼ぎ代を家計の余裕として刈り取れたんだろうか?
 電子決済の狂乱はあのころ見たおトク感をもって、今なお思い出してナットクの家計を支えているだろうか?

 ニーズが切実であるほど判断力は鈍りやすい。まさに詐欺師の狙い目である。
 こんなはずじゃなかった。あの時はよく考えて、ざざっとでも計算して確かめて、心の底からそう思ったんだけど…みたいな定番の台詞の原因はこうして起こる。間違いなく自分自身が、事実根拠をもって意思決定したのである。

 逆に、少々の時間が経過しても『ああ、その通りだよ。決まってんじゃん』と確固たる判定の心象が持続している事象、およびそれを決定した時の判断プロセスとは、一体どんなものなのだろうか。
 とりあえずここまで973回、作るも読むも万人共通の日本語文章で組まれた文字列だけ御覧いただいている御贔屓さま方、皆さまが私という一人の人格を確信して御愛顧くださっているのなら【662】、この私はそこそこ安定した人当たりでやれている情報発信源ということになるんですかね。
 私自身は、無駄遣いや衝動買いはしないタチだし【105】、一度手元に置いたら断捨離なんぞあり得ないというタイプだから【239】、この私もやはりそっち方向の、似たような感覚の基準で対象を選んでいるのだと思う。
 何か普遍的な目の付け処や決定的な判断要件があるのかと訊かれて、コレだという答を思いつけないのだけれど。

 その私が断言する。この自爆テロ非国民犯罪者政権は『いつもやるし、またやる』
 もう後悔したくないなら、『自公以外』が1億2千万人日本社会の合言葉だ。

 どうせ不自由なケチがついちまううちは、あるイミ図太く決め込んで、戦力温存で作戦思考を巡らすのが正解である。『今しかない、やるしかない』の結末を片手間に現確しつつ、その先の賢い判断力にグッドラック!
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【972】破裂を遅らす緊急ベントの判断権限者たち [ビジネス]

 アルコール飲料の扱いに続いて、注射を打つ打たないについて整理しておく。
 端的に、日本社会は誰も注射の全員メクラ打ちなんぞ必要だとも思っていないし、だからいくつをどこに調達しようが未使用廃棄ぶんが嵩むばかりだ。
 何の辻褄を合わせることもなくいついつまでに何百万だ何千万だ、とんでもない調達数だけ便所タワシと古電球が場当たりで口走り、何故か異常な規模の注射打ち会場が間に合わせにドタバタ設置されては、閑古鳥の声を聞きながらフェードアウトしていく。これじゃ管理もメチャクチャだろうし、ナニ打たれるか判ったものではない。

 このヤバい注射、ただ打ってオシマイのモノなら煩わしい悶着を避けるためいっそ打ってしまって、それでみんな同じなら結構でしょ、勝手に税金資本の財務負担にツケられて将来生活が苦しくなるにしても、どうせみんな同じで負担するならそれも結構、そこから先は考えたくない…という展開も、ひと昔前の情報弱者ばかりだった日本社会なら、現実になっていたのかも知れない。
 だが今の時代、他ならぬ健康被害の懸念に関わる十分な情報が広く共有されたため、日本人個々人の自然な危機意識の方が勝ったのである。正しく検知された身の危険の可能性に対して、生物としての本能が日本人気質を上回ったワケだ。

 いま普通に、日本人一般の標準的な感覚とはどんなものか考えてみよう。

 必要も無いのに副作用が怖いだけの注射なんぞ打つ気が到底しない。
 さっさと一斉中止でケリがついて欲しい。強要の圧力からは逃げ切りたい。
 …こんなところだろう。
 だから実績件数も伸びないし、要は『ほおら、みんな打ってない』ってことだ。日本社会の過半数が本能的に嫌った妙な注射に対して、『みんな同じ、みんなに合わせる』日本人気質は総合的に『打たない』を選んだ。

 既にこの『日本国の空気』が背景として完成されているのに、自爆テロ非国民犯罪者政権はまだ飽きも凝りもせず日本国民全員に注射するようしつこく仕向けるテイを崩さない。
 国民全員で打ったんだから国務ってことで税金資本にツケましょうや、オマエら下民のためだっつうんだよ文句ねえだろうが。…とまあ、そういうことである。
 いま便所タワシは『何本打ったらおいくらの売上実績、よって消費税率いくつまで上げる口実になる』の早見表でも持たされて、今の立場からどこまで積めるか、しょぼかったら殺すぞと公務員組織に急き立てられていると思われる。もうケツは蹴りまくられた青あざの上から、刺されて切り刻まれて血まみれだろう。

 だから必要数の確定もせず現場の了解もとらず勝手に配送した薬剤が日本中でダブついて、国際的に白い目で見られつつ大量に未使用廃棄される結末を辿っているのである。どこの国でも似たようなことを考え付く役人はいるはずで、そいつらにとっちゃせっかくの商売道具がボンクラ日本でガメられて、こんなムダに消されていくのは迷惑千万もいいとこだろう。
 その一方で、薬剤保管の冷蔵庫の電源プラグが引き抜けてしまう事故が散発しているのは、人としての心が今なおきちんと通う医療現場のさすがの良心が、日本国民の信頼を裏切らず万一の偶然を呼び起こしているんだろうな。
 手の付けようがない重篤な病変にも、目を覆うばかりの凄まじい外傷にも、動じることなく対処の手を正確に動かす精神力が無ければ医療現場の一員として務まらない。我等が日本国の医療現場は、日本社会のため毅然かつ献身的に頑張ってくれている。

 どうもありがとうございます。日本国民の一人として、ここに心よりの感謝を。

 仕事上、日本社会の外側に接点を持たねばならない人など、本当に必要な日本国民に、正確な適性判定を経てワクチン接種するぶんには適切な医療保障だと思うし、そこに結構な経済負担が発生するなら日本社会全体で持ち合うのも良いと思う。いま副作用の犠牲者までぽろぽろ出しながら、散々ミスや不正処置も知って見過ごしながら、肝心の本来処置が疎かになっていることこそ問題なのだ。

 『いいや、違う!』などと腹立ちまぎれに本気で反論したくなるようなら、その御立腹に更なるガソリン給油で申し訳ないのだが、それはアナタ御自身がもう『社会の迷惑』になるレベルのコミュ障であることを意味する。他人の気持ちを読めないにも程があり、周囲の空気を読めないにも程があり、みんながどうだかばかり異常なまでに気に掛ける日本人として、明らかに仕様落ちの感度不良としか言いようがない。
 逆にそこそこマトモに他人にクチをきいてもらえる程度に社会性が維持できている限り、上記一連の見解には、いちいち考えなくても直感で頷いていただけることと思う。

 ならばだ。その方向で物事を考えないと日本国組織の自我の怒りを買う。
 『あ、ヤバ!』と慌てて組織生命体の御機嫌を取りに走れない人間は、あっという間に大衆の大波に押し流されて溺れ死ぬ。

 『自公以外』が1億2千万人日本社会の合言葉、これは正しくその通り。
 せっかく敵が押せば倒れる、いやほかっておいても自滅に向かいつつあるという絶好の行きがかりに恵まれている野党どものはずなのに、『ワクチン接種が進まないのは政府与党の責任だ!』などと鬼の首を取ったように非を突く論法で発言しているのを見るに、その底抜けの知能の低さはもう処置ナシである。
 日本国民は妙な注射そのものを本能的に否定しているのであり、その犯罪動機となっている税金資本の事実工作を否定しているのであり、さらにそうやって『自分の仕事を自分で見つける』公務員組織の亡国的な非・生産性体質を否定しているのだ。
 つまり野党も、議会で自公の論破さえ叶って自分らがその場にとって代わるような番周りになったとして、今のこの現状と全く変わりなく、公務員組織の便利な議会操作ツールの代替品となって、税金資本で日本国民全員に注射を打とうとする次なる集団にしかならないことを思いっきり強気に主張しているのである。やれやれ。

 もうひとつ、国民生活の現場により近いはずの自治体首長もまた、『ワクチンがコロナ禍の改善策』という陳腐化し切った国政主導の正論(?)にしがみついたまま、いつまで経っても実効性のある経済活動の再起動アクションを取れないでいるのが悲しくももどかしい。これだけ日本社会の現場層がわかりやすく意思を固めているのに『もう国政に絡む無駄な遊びは自治体としてやめます。住民の皆さん、まず自力で生活復旧を頑張りにかかってください』の第一声が発せないとは。
 訊けば『法律だから』『ルールだから』みたいな理由が返ってくるんだろうが、早いハナシ住民以外のどっかの誰かに凄まれて何か言われるのが怖いのである。だから。

 『言ってみな、誰が怖い?』 これが日本社会組織の次の関心事だ。

 組織がもう『みんなでやっつけろモード』になっているのに、そうなれない中間管理職が堰き止め役に効いてしまう不思議なストップモーション、もしかしてこれもニッポンお家芸だったりするのだろうか?
 1億2千万人規模の組織生命体は、尚も日常生活を不当に取り上げられた不機嫌の内圧を高め続ける。容器には耐圧限界というものがあるので、いつまでもは持たない。
 いざその時を生き抜けるよう、よく食ってよく寝て体勢を整えて、グッドラック!
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【971】令和ニッポン大人養成講座 [ビジネス]

 『営業制限の強権にひれ伏さない下民の店は融資の命綱を切るぞ』とあからさまにもベタに過ぎる越権行為の脅迫、たかがカマキリ人形の知能で思い上がっただけの発狂スタンドプレーにしては、あまりに大掛かりじゃん。裏から先に周到に固めておいて、爆弾背負わせて発射の自爆カマキリ突撃隊劇場だろうな。
 そう思っていたら、やっぱりというか、先に複数の役所まで結託してアルコール販売業・飲食店市場への圧力をかけていたか。いつも半島や大陸の中央集権体制を見下す論調で批判している洗練された良識派文化人の皆さまは、ちょっとぐらい騒いでるのか?

 先に日本国民の意思決定に直結しやすいところから解説を入れていこう。
 『自公以外』が1億2千万人の合言葉
であることをまず待ったなし今この瞬間からの徹底事項として確認しておく。

 『自公以外』というからには、政党の看板が掲がっている場面での完全撲滅キャンペーンということになるのだが、一言でいえばこいつらは自爆テロ非国民犯罪者政権の邪心の総本山である『公務員組織の古株』にケツを突かれて踊りまわるだけの、使い捨て戦闘員の群れに過ぎない【685】【686】
 過去にもちょっと触れている通り、公務はどうしても月並以上の定型化志向が求められるため、公務員の人事評価体系も均一かつ一律を基本コンセプトにしたものとなりがちなのだが【647】【648】、これが執務能力とまるで連動しない人材配置の根本的な原因となり、その結果として厚顔無能の劣悪な邪心が公的機関の組織力をもって動いてしまうという慢性的な腐敗体質につながっている。
 最終的にはこっちの本丸の構造が、今般の諸悪の根源であるという認識は忘れないでおこう。もっとも立法・行政・司法に跨るこの犯罪者組織を解体する目的が大上段にあるから、手のつくところから手のつけられる形で…ってことで、今わかりやすく『自公以外』を日本国民の全員でお互い申し合わせる意味はあると。

 それにしても左巻きヒステリー族がいつの間にか死滅しているぶんには、アッチの世界のリベラル論法を見境なく混ぜ込んで一方的にがなり立て、問題の本質がぼやけてしまう不都合が無くて有難い。あれだけいた左巻きが滅んだあと日本社会のいろんなところから一斉共鳴で、自爆テロ非国民犯罪者政権の横暴を否定する真摯な声が上がってきているのが面白くも頼もしく感じる今日この頃である。

 さて読書の想い出ネタをもうひとつ。1993年初版なので平成5年の本だ。
 『大人養成講座』という、バブル時代の成年社会人向けナンセンス娯楽のサブカル書物である。辛辣かつ的確に真理を突いていて、なかなかに興味深い。
 『「仕事らしきもの」を上手に見つけるのが有能なサラリーマン(かも)』の一節では、サラリーマンの定番の心得『仕事は自分で見つけろ』の本当の意味なるものが解説されている。

 「仕事らしきもの」に給料を払ってくれる会社の有難さを知り、無意味な行動を全力で行い、他人の無意味な行動を優しく見守るのがオトナというものです。無駄な行為を「無駄」とはっきり指摘するのは最大のタブー、「仕事らしきもの」がなくなって困るのはアナタ自身。
 「忙しい」が口癖のヒトに対しては「タイヘンですね」とちゃんと見ていることを伝え安心させてあげること。「手伝いましょうか」など大きな御世話であり、「困った困った」の連発も、本当に困ったときは黙っているはずにつき対処は同じです…

 その挿絵には、部下が『曜日別の電話代の統計が出ました』と課長に書類を提出し、『よし、次は時間帯別と天気別でやってみよう』と返す課長の姿が描かれている。

 業務センスをことごとく生まれ持って来なかった非効率人種がいつもやらかして永遠に治らない『職場の日常あるある』が、全てこの調子でテーマ別に並べられており笑えるっちゃ笑えるのだが、ネットでちょっと調べてみると、もう内容が時代不相応に古くなってしまっているとのこと。確かに当時はパソコンも携帯電話も普及してなかったし、当たり前にサービス残業して飲みニケーションという時代だったからなあ。せめて40代でないと当時の知識どころか理解できる精神構造から持ち合わせてなくて、想像力を働かせてなお意味わからないってのも結構ありそうだ。
 しかしこんなことばかりやっていて、本当に当時の世の職場は業績の不振も訴えなかったし、財務破綻もしなかったのだから凄い。この稼働状態を起点として、新たな能力開発も事業振興もしなかった日本経済は、その後に時間遅れをもってその真の結末が露わになり今があるだけではないのか。

 今般の『コロナ死ぬ死ぬ』は、こういった『仕事らしきもの』がネタにされつつも『デキるヤツばっかりじゃない、そんなものに執心するヤツもいて仕方ない』と世の中に置いてもらえていた時代の呑気な感性で、いま高齢化した社会組織の運営層がまだやっていられると勘違いしているところに、問題の本質があるのではないかと思っている。時代遅れの老人が、許されるボーダーラインを見失っているのだ。
 バブル時代だったから工数やコストの足を引張る愚行も、おとぼけ扱いで笑って見逃す余裕があった。昭和文化の年功序列がまだ残っていて、ベテランと呼ばれる世代の万年なりゆき業態を真っ向否定するには精神的なハードルも高かった。
 そんなこんなで、収益性・採算性組織にありながら『知って見過ごす冗長文化』みたいな組織風土が、日本社会全体の地味ながら根深い負の特質として染み付いてしまったのではないだろうか。

 これではイケナイ。よし、いま日本社会は本当にタイヘンなことになっているから、建て直す仕事を始めよう。何しろ、解決せねばならないムズカシイ問題が山積みだー!

 課題1:飲みに行く人数が何人までなら良くて、何人以上からコロナ死ぬ死ぬ
 課題2:飲んでる時刻が何時までなら良くて、何時以降はコロナ死ぬ死ぬ
 課題3:都道府県境はどっちからどっちへ越えて飲みに行ったらコロナ死ぬ死ぬ
 課題4:感染・死亡の発表がいくつになったら第5波来襲とやらでコロナ死ぬ死ぬ
…(まだまだあるが以下省略)

 『国会』『全国知事会』『専門分科会』みたいな看板を掲げた会議体が、一生懸命『仕事』をしている日本社会の日常があり、実に1年半も笑って済ませてきたのでお店や会社が持たなくなった。当然である。
 そろそろ1億2千万人日本国民は真顔に戻らないと、いっぱいになるはずのないカマキリの記憶容量がいっぱいになったとかで【938】何度でも狂った緊急指令が乱発され生活が煩わされ、涙を誘う仲間思いの古電球がそれを謝って済ますという反吐の出るキズ舐め合いウチワ美談がリピート再生されるばかりだぞ。

 それともアルコール度数に総飲量を掛け算して、規制値の線引きでもする?
 『仕事らしきもの』に割く時間がもったいないと思うアナタは、そんなもの探して見つけるより美味いモン食ってよく眠りましょうぜ。ではこの週末もグッドラック!
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【970】死刑宣告スルーの赤信号突破号令 [ビジネス]

 時々持ち出している漫画『銀河鉄道999』から、また一話。
 『心やさしき花の都』というエピソードがある。『花の都』は美しい花に覆われた星で、花で溢れた駅に999号が停車するところからハナシが始まる。

 ホテルに到着して間もなく、鉄郎少年とメーテルは何者かに拉致される形で地下のシェルターへと連れ込まれるのだ。このとき地上の花には火が放たれており、一帯は火の海になっていた。
 元々岩だらけの星を美しく変えようとして、人間が花を持ち込んだのだという。だがこの花には毒があり、こんなものを持ち込んだが故に人々は長らく生活に不便していた。頭から全身をすっぽり覆う特殊素材の防護服が無ければ外出もままならない。
 直近100年で人口が8割減してしまったのもこの花が原因なのだが、先に社会が毒の花を保護する法律を作ってしまっていたので手が打てないでいる。花に手を掛けたりしたら死刑になるのだという。

 誰も花に手を出せず困るがまま苦しむがままの生活に甘んじていたのだが、ある住民一家が自らが手を下すと腹を決め、放火して回ったという訳だ。鉄郎とメーテルは花が燃え尽きるまでの一週間を一家と一緒に地下シェルターで過ごし、地上に戻される。
 そこには役人たちが待ち構えており、鉄郎の制止を振り切って、シェルターの入口から封入剤を注入して処刑してしまうのだ。
 『みんな喜んでいるじゃないか!表彰しても良いくらいだ!』
 『法律は法律。私は法を守る』
 世間では防護服を脱ぎ捨てた人々が空を仰ぎながら言葉を交わしている。
 『これで自由に息ができるぞ』『よかった、よかった…』

 ここ1年半のどこかの国の痴呆社会ともオーバーラップしてしまう内容なのだが、有難いことに現代日本国では、妙ちくりんな感染症騒ぎにどんな態度を取ろうがそうそう死刑になったりはしない。
 自称良識派の一般市民にせよ烏合マスコミにせよ、せいぜいナントカ警察気取りの『いらんことしい』にマスク未着用あるいは街角ひと缶タイムをこれ見よがしに指摘される程度だろう。現実は随分と優しくてほっとする。

 読んでいて気になる台詞は他にも多い。
 『そういや火が回っているのに誰も消火しようとしてなかったな』
 『消防車も走らなければ水も流さない。燃えるに任せていた』
 いざ先陣を切るヤツが出て来て、その戦局に勝ち目アリを大衆が見出したら、そこで初めて同調勢力の輪が拡がるということだ。同時に、そこまで事態が進んだとしても、なおなかなか積極的な加勢はされないという大衆組織の真理も語られていると思う。

 立場上は放火犯ということになるこの一家と最期の時を語り合った鉄郎少年とメーテルが、999号に戻って『花の都』を眺めながら交わす会話が印象深い。
 『新しい無毒の花の種でも撒いて、この星は本当の楽園になるだろうか?』
 『300年も毒の花を誰も始末できなかった星だものね。
  別の問題で百年や千年はあっという間に過ぎて結局は滅びる星かもね』

 そう、社会組織の自我が変わるのは本当に大変だし、変わるにしても時間がかかるものなのだ。だが諦めていては永遠に何も変わらない。あまり複雑で深いメッセージの含みを感じさせなかった印象の回なのだが、初見以来ずっと私の記憶に残っている。

 それにしても、この1億2千万人日本社会の現実は一体どうしたことだろう。
 毒なんかどこにも無いとまでの完全否定はしないけれど、『アンタ本気の本気で恐怖の致死性ウィルスにそのマスクで対抗してるワケ?』と訊けば、確実に100人中100人がNOを白状するはずだ。
 じゃあなんでそんなものしてるんだと問い詰めれば、『みんなしてるから』以上の答は絶対に返って来ない。

 なのに『マスクするのがマナーでしょ』『マナーを守らないヤツは悪いヤツだ』と、まるでマスクそのものをルール化して頷き合う者同士のウチワ関係で結託することが目的であるかの如く、大のオトナの社会人が真顔でこんな申し合わせにこだわってしまう。明らかに気が狂ったアタマのおかしい大衆意識の流行であり、被害甚大の実害もみんなイヤというほど身に染みている。
 それでも『花の都』はなかなか変われないもんさ、という結論で現実を落ち着けて良いのだろうか。それで済む日本人と済まない日本人がいて、今のところ過半数がそれで済んじゃってるってことなんだよな。

 去年の早々確か北関東の片田舎だと思ったが、とあるプレハブ事務所の貧相な会社がいきなり現業とは何ら関係ないはずのマスク販売取扱の事業申請をしたそうだ【856】
 ま、ここんちって世襲のガキとアカの他人ってワケでもなかったそうで、のちに遅すぎるだナンだと散々な非難を浴びながらも、受け取りを国民に強要する形でダメノマスクが送り付けられたのは御存知の通り。
 世襲のガキ以下自爆テロ非国民犯罪者政権は、欲しくもない粗悪マスク購入を日本国民に強制した。これは世間で『押し売り』と呼ばれる違法行為である。だが全て解って、付け込まれるままに付け込まれていたのは日本社会だ。
 日常生活を失い困窮しながらも、誰かが率先して何か自分にとって都合の良い反撃や援護射撃を頑張ってくれる、それをアテにして待ちながら破綻するにしても、みんな破綻するならそれでいいや。過半数が本気でそう思ってたんなら、もうしょうがない。

 これ、メーテルに言わせれば『あっという間に滅びる国』なんじゃなかろうか。
 実はこの件まだ終わってなくて、多分まだ大量に余ってんだよ、ダメノマスク。

 死刑にもならないのに、何が怖くて『コロナ死ぬ死ぬ』なんぞやってんでしょうね。
 まずはこの『花の都』の毒の花の正体を、1億2千万人日本社会の側からの行動決断で明らかにすべき時期だと思う。もう物事の流れがどっちに向くかは明らかだろう。
 特に首都圏の飲食店業界の方々、まだ周囲を見回さないと態度が決められないようなら、御自身がそもそもお仕事に向いてないかも知れませんぞ。
 では腹くくって、今週もグッドラック!
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【969】イノベ夢みる業務管理の慢性不眠症 [ビジネス]

 平成ひと桁、製品開発の技術職に就いて4~5年目あたりのことだったと思う。異動していく上司に『お前ら見てると3年後もおんなじコトやっててそうなのが怖いよ』と言われたことを憶えている。
 定番の試験評価パターンで装置動かして、いつもの測定機器から吐き出される数値をいつもの通り処理して、やれどこそこの数値がいくつ未達でどうするんだの日々を送り、あとは毎年恒例の実験標準書の点検・整備・最新化までできてるかをやっつけ仕事で年度末に片付けて、要は自分たちの仕事に目前の現業そのままのイメージしか持てていないところを問題視したコトバであった。

 うっ。そりゃ日常の業務進捗を阻害するような不足・不都合は起こっていないから、仕事は順調にまわっていると言えばその通りだ。だが、それで過ごして3年後か…
 来年ならまだ全く同じことをやっていたとしても大しておかしいとは思わないかも。しかし製品リニューアルを繰り返しライバルと鎬を削る量産市販品のメーカーにとって、3年といえば完全に『時代遅れ』『陳腐化』により後塵を浴びることになる足踏み期間である。
 つまり普通に仕事している限り、我々は3年後には何かぱっと見ていま現在と何かが明らかに違う仕事をしているはずだ。それが自分自身の過ごす現実になっている。そういうことだ。

 ほかっておいて設備も仲間たちも、そこでまわる仕事も、勝手に変わる訳じゃないから…というか実験標準書はこの私が整備しているので、むしろ勝手に変わられちゃ困る立場だったりする。
 ということは、私が3年後を変える作業に直接かかわることには確実になるとして、問題なく進行するこの現行業務の維持と、それをやっていては3年後に起こる競争力喪失の位置関係はどうとらえて、ナニから順にどう手を付けて行かねばならないのか…

 ただ一斉の現状刷新では業務ノウハウの連続性が破綻するだけ、優れた将来解が見つかっても過渡期を工夫して仕事をアナ空けず滑らかに繋げなければならない。今この局面で考える向こう3年先だけのハナシでもなくて、ずっとその先も、もっと先も、この課題は常在し続ける。
 現場の日常業務をまわす標準化の意識も実用そこそこレベル、また市場競争力を維持するための現状否定と進化変革の意識も実用そこそこレベルとして、両立で並以上に保たないと企業活動としては成り立たない訳だ。そうかあ…

 具体的な商品カタログ新製品開発の業域に対して『新技術』や『先行開発』と呼ばれる業域は、結構そのつもりをもって、わざわざに業務課題のネタとして噛みつく新しモノ対象物を決心し、多忙な新製品開発の負荷を敢えて押しのける形で工数を割り込ませ、その時その場ではなかなか明確にならない成果をどうさばいてモノになる部位を取り置くかまで、その一連の全てが本当に難しい。
 なるほどな、やらない訳にはいかないが、狙って命中率が上がるとも思えないしな。

 ときったま『実は世界的に凄い独自技術で有名な町工場なんです』みたいな中小企業で、定時後になると従業員が好き勝手にいろんなことを作業場で試している…みたいな業態が紹介されていたりするのを見るが、やはり思い立った有志の従業員が発想を自由に試せる時間を、日常稼働の生産管理とは別枠として確保しているからこその姿なのだろう。
 これはこれで定時後も仕事してるっちゃ仕事してるんだから、労務管理にかっちりカウントするのが四角四面のスジなのだろうが、でもこんな定時後の個人チャレンジ試行は『ノってる時、ノってない時』で激しく増減するし、そこでの成果物が業績に跳ね返す効果額も未知数だ。こんな稼働形態の、計画の立案も進捗の管理も、到底カタチを成すほどのものではないし、それを無理にやると『管理が目的の管理』に陥ってしまう。
 むしろ仕事をよく理解した好き者の従業員が、業務枠を解かれリラックスした精神状態で、そのアタマと身体でついつい=自然な流れとしてやり始めることを具現化して、『未来の苗』として刈り取る場にしておくべきだということは直感で解る。
 う~ん、中小企業ゆえの労務管理のユルさが従業員の献身を得て、なりゆきでうまくいってるだけってことになるのかなあ…

 待てよ、これってこの中小企業という組織生命体が、その日の稼働を終えて眠りに落ちて、夢を見ている間の時間だと考えられたりはしまいか?
 生きて食うための日常稼働を終えたその身体を休めながら、労働力がオモテ画面の制約から解かれて、ウラ画面で進化の新展開を探っているとは考えられないか?

 だとすると、いわゆるちゃんとした大企業で『新技術』や『先行開発』の業域に対して選任の体制を配置し、業務計画を立てさせ工程表を描かせ、『進んでいる』vs『遅れている』の評価軸をもって進捗管理するというのは、人間ひとりにフラクタル転写して例えると、起きたアタマでどんな夢を見るのか予定を組んで眠り、目覚めて予定通りの内容だったかどうかを検証するようなことになっている。そんな構図になってしまっている可能性を考えねばならないような気がする。
 そりゃ慢性的に心労に押しつぶされる鬱なモヤモヤ仕事のイメージが漂うし、成果も上がんねえだろうよ。そしてこの大企業組織のあるある実情を、再び逆方向で現代人ひとりに反映させるとですな…

 夢というのは『人間の願望が顕れ出て来ることが多い』と広く一般的に認識されている一方で、自然の摂理として真剣にそんな因果になっているとはつゆ知らず、起きて窮屈な思考作業で無理組みした理屈を、無意識のうちに夢に押し込もうとする傾向にハマり込んでいるのではなかろうか。
 その結果は睡眠不足、そしてどうにか眠れている間もカッチカチの理屈が邪魔ばかりして、無限のウラ画面で自由に自然に正しい夢を見ることができない。

 大企業組織の仕事の仕方をどうするかは、いま具体的な改善策を思いつけなくて申し訳ないのだが、上記に述べた解釈を頭の隅に置いておけば、皆さま御自身いつか良いコトを思いつくきっかけになると思う。
 いや、初期の頃によく扱った業務効率向上テーマ【120】の実効解につながりそうな予感が急にして、つい一気にここまで突走ってしまったのだ。
 メチャクチャ中途半端かつ強引にまとめにかかるなら、いま日本社会は自然な願望として、かつての日常生活に戻って普通に暮らしたいと思っているのだから、みんなしっかり眠って気持ちが正規仕様で安定すればするほど、どんどんそっち方向に日本社会は動いていくはずである。
 『政治が思考して決め事をして、国家組織がついて動く』などとする社会文明の理屈ごとき、1億2千万人組織の生命原理にはひとたまりもなく呑み込まれることだろう。

 たかが人間の意識が、思考が、主観が、自分ら個人や組織の自我を動かしている・動かせるとする思い上がりの勘違いはいい加減に改めた方が良い。
 トンネルを抜け出るのは早い者勝ちだ。気合い入れてくつろいで、では御幸運を!
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【968】悪夢から我に戻る遠い日の散歩道 [ビジネス]

 そろそろ話題を現実に戻して行きましょうか。冷静に夢と対比させて考えよう。

 夢では筋道立った理屈が何もかもデタラメになっているのだと述べた。『空が青いので地下鉄に乗って鍾乳洞に行こう』ととんでもない台詞で平然と会話して、全く気にならないのだから凄い。
 だが爽やかな青空の映像や、通勤列車式のロングシートに座って暗く流れる車窓を対面に眺め、ひんやりと湿った洞窟の中の空気を感じながら暗がりのなか濡れた石畳で歩を進めた記憶もちゃんと残っている。でも待てよ、青い空から地下に降りる過程やそこから改札を抜けた景色なんかは、あるはずなのに欠け落ちている。どうしても思い出せない。
 これ、今日一日起きて歩いた道のりのことなら、わざわざに注意を向け意識した自覚の無い場面のことでも実はかなり憶えていて、記憶の場面をそこそこ連続で繋ぎ合わせることが可能なのだ。

 ロスから南へ車で4~50分ぐらいだっけか、『サウスコーストプラザ』という巨大なショッピングモールがある。ジョンウェイン空港も間近にあり便利な場所ってことで、毎週のようにその近所に宿をとって滞在していたものだ。
 必然的に週末に散歩・食事・買い物でサウスコーストプラザを訪れることもしょっちゅうであり、その『慣れ』が油断を呼んで、ある日やってしまった。ついつい考え事をしながら車を降りて、何の気なしに食事もして、はたと気が付いたのである。…オレ、どこからどう歩いてきたんだっけ?
 中途半端に見慣れてしまっているが故、『さっき通ってきたあの一角』という記憶の特定ができないのだ。まずい。結構真剣に青ざめた。

 現地を見たことがある方なら、その瞬間くらっと来る絶望感が想像できると思う。
 どっどどど、どうしようー!?
 何しろ『オマエは独りこれで勝手に生きていけ』と会社名義の給油カードと共にホイっと渡された社用車である。車種と塗色は判るものの、ナンバープレートは覚えていないし、そもそも車種も塗色も視野に入って来なければどうしようもない。サウスコーストの案内係に訴えて親切に気にして貰えたとして、車の写真も無いし少々の人数で手分けしたところで返事がその日のうちにあるかどうかも怪しいくらいだ。絶体絶命。

 …って、自分でここまでやらかした事実なんだし、こりゃ自分の記憶を辿るのが一番速くて確実だな。腹を括って、まず心を落ち着けることにした。うわっついていては判断を誤って深みに迷い込む。
 今の視界の空間に顔を出したのは…と検証しながらゆっくり後戻りして『そうだ、この店を見ながら、この通りを抜けてきたんだ』と思い出して再度確認し、慎重にそこまで歩く。戻り過ぎた景色に踏み込むと、あながち知らない景色でもないがために、また余計な記憶で混乱する元になるから要注意だ。
 視界の映像を、さっき見てきた最新のものと同じかどうか確認しながら、自分が通ってきたはずの道順を一手一手、最短ルートで戻っていく。そうか、当時の私は、今の私が推測する『意識』の正体=ナウ五感を記憶ストックとリアルタイム整合しGO/NO GO判定する…という理解に基づいた対処がちゃんとできているじゃないか。やるじゃん、オレ【937】【938】

 せいぜい10分程度だったとは思うけれど、『あー!そうそう、今日はこのエントランスから入ったんだよ。よし思い出した!』と安堵し、運よく駐車場が空いていたこともあって、首尾よく愛しの社用車を見つけて胸を撫でおろしたあの瞬間の気分は忘れられない。
 そのぐらいサウスコーストは広いです。これから行く方は私のような間抜けな失敗をしないよう、くれぐれも御注意ください。実にたまたま駐車場も建屋内も、むしろ閑散という表現が相応しいくらいの日だったからこそ事なきを得られたのであった。
 日本でも郊外型ショッピングモールが増えてきて似たような迷子騒ぎをやらかす客はいると見え、広大な駐車場の島や通路毎に大きなアルファベット文字や動物・果物の派手なシンボルマークを描いた表示板が掲げられていることが多い。少なくとも景色を見ながら自分の足で歩いてきた以上、一度は状況認知して情報処理しているのだから、特に目立ちやすい映像を記憶に残すような表示を出しておくというのは的確な予防策だと言える。逆に歩きスマホでこの失敗をやらかすと、真剣にどうしようもないはずだ。

 つまり起きて活動している人間というのは、あとになって『意識せずに素通しでやっちまった』と感じることでも、その瞬間その瞬間は案外としっかり現実を認識しているものなのである。
 この一件以来、私は落とし物・失くし物に気付いた時、丁寧に記憶を辿って必要なら可及的速やかに現地にまで戻り、追跡探索をすることにしている。その成功率は圧倒的で、落とし物・失くし物が多くて悩んでいる方にアドバイスするなら『みんな諦めるのが早すぎる』ってことになるんだろうな。
 ともあれ覚醒中の記憶に限ってこんな巻き戻しが可能なのであり、夢の記憶の方はアイテム個々が断片的で、落ち着いて辻褄を合わせてストーリー顛末を完成させようとしても、まず絶対にできない。
 なのに、ストーリー成立感だけがあまりにも明確なため、起きていてハナシとして夢を扱うにあたっては、覚醒中の論理的なアタマでもって『現実と等価の理屈が通る、一話完結のストーリー構造』を前提にしてしまうのだろう。『不思議の国のアリス』の世界構築なんか、えらい凝りようである。

 ではちょいと質問。
 東京五輪というコトバが飛び交っているが、元々五輪はこれまで世界人類が定期開催してきたスポーツ大会であり、この度その新たな一回を執り行う予定であった。
 ところが新型コロナ・ウィルスの世界的な流行がまだ収まっておらず、何らかの予定変更が必要となった訳だよな。ここでは、中止するか【832】最低2年延期しかない【837】と述べた訳だ。
 3週間後に日本国は、現実としてナニをやろうとしているのだろうか?

 起きて覚醒して過ごすこの世界は、質量保存則もあるし物体の運動は慣性をもって運動方程式に従うし、アインシュタインが何と言おうと時計とカレンダーに忠実に時間は進む。在るものを『無い』と頑なに言い張っても消えてなくならないし、無いものをいくら『在る、在る』と繰り返しても無いものは無い。
 まあ正気の人間が普通に人生を送れば、子供と言われる年齢のうちには正義のヒーローもサンタクロースも、現実の組み合わせでその姿を完成させ、自分に接しているのだと理解する。つまり『世の中の常識』『どうしようもない現実』というものがあるという認識であり、それは放っておいても1億2千万人で共有され日本社会の組織の自我の本心の知るところとなっているのである。

 日本国組織の本心は、もう五輪の開催など現実として起こらないことを知っている。

 人間の『心』『精神』を定義するのは難しいが、その拡がりは確かにウラ画面の脳内世界まで網羅している。だが、おのれの生命を維持し生物として存在し続けるためには、ノーチョイスとしてオモテ画面でもって現実と向き合い、人類文明の理知としての『人の手の及ばない因果律』に観念して、それ前提の行動決定をせねばならない。
 人間の行動学の観点において、物事を予測して採った行動が結果的にハズレだったケースをもって『失敗』と呼ぶのは適切でない。確信している予測に対して、覚醒中なのに現実の因果律に逆らい、つまり確実に現実と喰い違って無駄に終わるような非・生産性行動に陥ることこそ『失敗』なのだ。

 今日は東京都議選の投開票日だっけ。
 都民生活の、あれをああやって、これをこうやって、自分ちやみんなのお店や会社がまわるように東京都の社会組織を具体的に変えるのは、本来一人ひとりの都民自身だ。だが全員いっぺんに直接はやれないから議員を選出して、そいつに託す。
 選挙権の行使は大事ですぞ、では東京都の皆さんグッドラック!
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【967】大きな御世話だった読み聞かせ教育の改善方針 [ビジネス]

 夢の話がなかなかの人気で閲覧数が伸びる。もうちょっと続けとこうかな。
 私が中学生の頃だったか、『睡眠学習法』なるものが提唱されたことがある。

 英語の短文を読み上げては、その和訳が続く。これが延々とカセットテープに録音されていて、これをかけて聞きながら入眠すれば、あ~ら不思議!勝手に英会話の基礎が身に付いている…というハナシだったと思うのだが、ンなわきゃねえだろが!
 100均でも売ってる、あの付箋よりちょい大きめの短冊をリングで綴じた『単語カード』は当時すでに最もポピュラーな暗記ツールで、主には中学生の英単語暗記用とされ、誰でも当たり前に使っていたものだ。片面に英単語を書いて、反対面に和訳を書いて、英和方向・和英方向で見えている面から反対面の記載内容を思い出す。最近だと小学生から英語を習うから、使い始めるのは早いのかな。
 『睡眠学習法』は、この暗記トレーニングを音声で自動化したつもりなのだろう。カセットレコーダーやカセットテープが家電として市販され、音声技術のプロ職でもない一般人が手軽に録音・再生できる画期的ツールとして爆発的に普及したのが、私が小学校高学年ぐらいのこの時代だったと思う。その数年後には、こんな使い方が考え出され商品化されていたのですね。

 実は英文を読み上げただけではスペルの習得が完全お留守になってるんだが、英単語の音読に続けてアルファベットで一文字ずつ読む訳にもいかんだろうし、まあ基礎的な日常会話が聞き覚えで体得できるところまでで割り切ったということなのだろう。…というか、思い出した!
 『英語で暮らす人々も、生まれ落ちて周囲の英会話を聞くところから始まります』みたいな学習原理の解説がついてたんだよ、これ。その理屈が的を射た解釈だったなら、もちろん今ごろデジタル録音で同じコンセプトの教材が定着しているはずだから、つまりは失敗であった。

 …ということで、録音と再生の自由を手に入れた日本社会が早々に考え付いた『睡眠学習法』なのだが、今になって振り返ってみれば、その本質的な過ちは『睡眠中の人間に対して、起きている時の学習の理屈をママ適用している』ところにあったのだろう。
 『今日は空が青いから地下鉄に乗って鍾乳洞へ行こう』【692】【693】【937】みたいなことになっちまってるヤツを捕まえて、英単語だスペルだ和訳だを順番に押し込んだとして、ただの安眠妨害にしかならないと考えたほうが当たっている。
 昼間見てきた記憶が得体の知れない分解の仕方をされてシャッフルぐちゃぐちゃ、これが睡眠中の頭の中の状態なのだから、生まれてすぐの赤ん坊が言語習得するのと同じシチュエーションだか何だか知らないが、聴覚から押し込む音声に『理屈の世界』が前提になっている時点でもう空振りである。

 ウラオモテ入れ換えて、仮に今のあなたが睡眠中のウラ画面のブート役だったとすると、パソコンで一生懸命作業中なのに、その隙を狙うかのような同時進行の捻じ込みで、ディスプレイ画面の背景やどこか一角が反対番に占拠されるようなものだ。うざいばかりで本来仕事もマトモに進まない。
 余計な小細工で今以上の効果を出そうとか一切考えるな、睡眠はこの身体を反対番で切り回す赤の他人の仕事、自分は気持ち良く眠ることだけを目的に、手放しでとにかくぐっすり眠れ。これが万人に共通の至上マニュアル、睡眠の最適解ということになる。

 例によって余談を突込んでおくと、実は『覚醒剤』というのは、その名の通り眠らずに起きて活動を続けられるという触れ込みのクスリであった。依存症が社会的問題として発覚するまで、滋養強壮・疲労回復が目的であり違法でも何でもなかったのだ。聞いてなるほどの豆知識である。
 私の親世代は、例えば多忙続きの工場夜勤や、あろうことか大学入試の試験勉強でまで『疲労感に苛まれた時、ひと頑張りするために一本打つ』という時代を知っている。疲労がポンと吹き飛ぶからなのか『ヒロポン』という商品名だったそうで、確かに一発キメると眠くなくなるというか、自分自身の制御の及ばないゾーンで身体が眠ろうとしなくなるのだというハナシは複数例聞いた。
 げげ。依存症まで行こうが行くまいが、聞くからにイノチを削りそうな稼働力ブースト剤であることよ。

 だいたい何故そんな薬剤が出回ったのかというと、日本人が総じて高負荷・過負荷状態で忙殺されていて、本来十分な寝食で解決すべきところを、薬剤による一時的な疲労感の抑制で間に合わせてしまおうとしたからだ。戦中の軍需工場しかり、終戦直後の焼け野原からの復興しかり。
 もっともこの時代に手を緩めていたなら、その後の発展と栄華は到底あり得なかった訳で、当時の日本社会が選んだ手段をもって、現代の視点からのうのうと正否を論じることに意味は無い。ともかく医学的な知見も不足していたし、ついつい経済を始め人類文明が要求するまま人間の気力・体力を酷使した結果、数十億年の生命の歴史が定めた人間という生物の健康作動点の維持管理が疎かになってしまったということなのだろう。
 今の時代、日本社会にどれほど切迫した負荷がかかっているのというのだ?
 自然に自分の身体のなすがまま眠って解決するのが安全確実な正解である。

 さて話題を元に戻すのだが、睡眠を短時間のやっつけ仕事にしてしまわない目的のひとつに、睡眠中の五感の記憶の余韻を残すこと、それをきちんと覚醒中の認識として固め直すことが挙げられる。自分の身体は、ウラ画面でこそ登場する痛みや痒みを間違いなく体験しているのであり、その逆もあるからこそ、痒みを抑えるため寝てしまうというワザが通用したりもするのだ【937】
 生物には『睡眠』というウラ画面の作動モードががっつりオモテ相当に存在する。まさにゲームソフトのウラ画面やパソコンのシステム管理あるいはBIOSのような概念で捉えて、『人生ウラ画面』の作動現象をひとつひとつ気長に見つけ出してはその内容や機能を丁寧に分析・解釈していくコンセプトは、いわゆる『睡眠の謎』の解明にとって結構メがある研究法ではないかと思う。
 小中学校の保健体育で『自分のウラ画面』の存在を教え、その訴えにいつもわざわざに耳を傾けるよう習慣付ければ、コストをかけずに日本社会の健康保険システムの負担を抑えられるかも知れない。

 また『痛い』『痒い』は体調異常の定番の自覚症状なのだが、それって数百ある体調異常検知のうちのたったふたつであり、これら以外の日本語にできない所謂『違和感』をもっと積極的に情報として具現化する方策を、これに併せて考えたい。
 受発信できる情報テンプレートを用意すれば、それに相応する感覚を探り確かめて意識に乗せ、自他共々に言い聞かせる姿勢が呼び起こせると思う。医者と言語学者の知見を突き合わせて、特に重大な異常検知を的確に問診の網にかけるような研究域のトライアル企画はできないものだろうか。

 十分な寝食の保証により手放しで得られる快適な健康状態は、無一文であろうが億万長者であろうが微塵の差が付くものではない。これを追求しない手はない。
 そして元気な人間は、物事を、社会組織を、自然な方向に仕向けて動かす力を持っており、何をするにも勝率が高いのだ。無駄な議論で騒ぐ愚か者どもにはシカトを決め込んで、まずは食って寝ましょう。話はそこからだ、ではグッドラック!
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