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【1244】情報屋ルッキズムの必勝人事評価 [ビジネス]

 NHK土曜夜ドラマ『お別れホスピタル』が最終回を終了、これも面白かったなあ。
 確か番宣で、いわゆる終末医療系の施設で現場取材に注力した作品とのことだったので、例によって録画を駆使してまで全4回をパーフェクト視聴した。

 昭和の時代、人生の打ち切り宣告や残り時間の身の周りの現場について話題にするのはタブーとされており、本人に告知せず懸命に気遣い続ける周囲の人々の葛藤や、何かの拍子に自身の寿命を知った本人が残り時間に目標設定し努力する…あたりがメインテーマになるのが定番だったと思う。結局のところタブーを作法通りに避けて、終末医療はメインテーマを語るにあたっての背景にしておくという位置付けである。
 もちろんそれはそれで充実したストーリー展開になっていたはずだが、反面いざ我が身にその境遇が降りかかった時、ほとんど実用知識として使えない。これが昨今は随分と、限定された人生の残り時間のリアルな日常を、堂々とテーマに取り上げるエンタメ業界文化にシフトしてきたように見受ける。
 日本社会の『健康』や『医療』や『生死』にまつわる意識が、ついつい個人的な不快や心労に繋がるケースが懸念されるゆえ公共の場で避けるべきとしていた情報領域を、もっと現実相応に共有して役立てようとする方向に変わってきたのだろう。情報化社会組織が高齢化するにあたっては自然な傾向である。

 当事者の現実としては綺麗さっぱり完結し得ない『寿命の途切れ方』という題材を、その通り完結させずにどう放映枠に収めるかが難しいところと思われるが、現時点の当事者でもない私にとっては見やすくてしっかり楽しめた。
 病床の『情報体としての人間』が持ち合わせる人間関係ネットワークの中で、限られた時間内にどこまで情報量の濃密なコミュニケーションが尽くせるか、この関係者一同のチャレンジ模様と結果成否が解りやすく描かれており、良いドラマだったと思う。

 ところで、ここでは以前から『情報体としての人間』の情報特性は、一人にひとつの人格像として決まらないという考え方を提唱している。物理的にそこにいる人間ひとりをハードウェアとして、まるでコイツを作動させるための専用人格ディスクが相手違いで何枚もあるかの如く、びっくりするほど人間はその場その場で違った情報特性をもってコミュニケーション稼働するものなのだ【231】
 脳みそひとつの中に複数の人格システムファイルがあって、どれをブートするのか適宜に一択して稼働しているのか、それとも人格システムファイルはやっぱり固有なけなしのひとつしかなくて、コミュニケーション対象に応じて各々発現する特徴的な傾向がそう見えるだけなのか、今のところ判定する手段は無いのだけれど。

 …で、ハードウェアの側って情報特性に寄与するのだろうかと考え、思い出した。
 見かけることが最近少なくなっているのだけれど『クレッチマー三類型』というのを御存知だろうか。人間の身体的な特徴に呼応して、精神的な傾向も概ね特定されるというものだ。

 痩せ型は真面目で控えめ、目立たないタイプ。内向的で同調性が高い。
 肥満型はのんびり屋で温厚なタイプ。良くも悪くも融通が利きこだわらない。
 筋骨型は精力的で集中力があり、几帳面だが頑固。執着心が強くくどい。

 私は高校時代の『倫理・社会』の授業で、恐らくは思想や哲学に関わる知識のひとつとして、この『クレッチマー三類型』が語られる教育現場を経験している。
 でもこんなの倫社で教えることか?まず医学とかサイエンス領域のジャンルっぽいし、これだけ大勢いる人間をたった3通りに分類して、人格像のバックグラウンドたる精神動向の基本特性をレッテル貼りするのは無理がありすぎないか?
 自分の周囲でそこらに思い当たる面々をざっと記憶に照らして検証して、おおなるほど…と納得できないのは私だけではないだろう。正直のところ率直な第一印象は『ホントかよ?』って疑惑である。
 だいたい3通りしかないんだから、よっぽど極端な的外れの事例が出て来ない限りは『言われてみれば、そんな気もしないでもない』の適合レベルには結論づけられてしまって当然じゃないのか。

 まだABO式血液型の4分類の方が、引き合いに出して引掛からずに会話が弾むと思うぞ。その筋で真剣な研究を進めている方には申し訳なくも失礼だが、どお~も学説と呼ぶには腑に落ちる根拠に困るんだよな、コレ。
 もちろんサンプル集団があって身体測定とメンタル問診票なんかも用意して、それなりに調査結果の統計処理もやったんだろうけど、ぼやんと一様の星空プロット群を前にして、本人が思い込みありきで天の川を見出し相関線を引いちゃったとか、そんな想像をしてしまうのだ。スマン!

 首から下の感覚神経・制御神経の特性に、体型別に何らかの特徴的な傾向があっても不思議は無い。やはり体格に応じた神経網の幾何学的な形状があって、それ相応の部位別の神経経路長というものもありそうに思う。それはその通り。
 いっぽう遥かに外形で決まる幾何学的な差が出にくいと思われるのが首から上の側で、これだけ一律なのに人柄つまり人格像は百人百様・千変万化するのだから、首の上下を組み合わせてしまうと、結局は首から下のたった数パターンに代表させて分類するほどの大まかなグループ特色は顕れないんじゃないですかね。

 今どきこういう内容を検証するのは『コンプライアンス上、不適切』なんだろうな。
 私自身これまでの人生経験を振り返って、精査したくなるほどの的中感が全然無いので、まあいいやで終わらしてしまうのだけれど。

 文句言わず指示通りなびく組織にしたいから、断食推奨で痩せ型集団にする。
 柔軟な発想の新展開が欲しいので、メタボ体型を掻き集めて脅迫的に追い込む。
 短期決戦の起死回生プロジェクトは、ムキムキを選出して洗脳の説法研修から。

 うっそだあ~、誰かハタと手を打つ適合事例を教えてよ。御健康に、グッドラック!
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