SSブログ

【1255】咲き競う情報ファイルお花畑の名画ジグソーピース選定眼 [ビジネス]

 昨朝ちょうど出掛けようとしたところへ突然の緊急地震速報。続いて津波警報。
 慌てて予定を変更してテレビに張り付き、ザッピングを開始した。

 テレビ・ラジオの緊急地震速報は、広域災害通知の社会機能としてスピードも実効性も、かなり『現時点やれることが尽くせている』と見受ける。
 テレビは、申し訳ないが字幕だ音声だの工夫はともかくとして、背景で対象地域の危険検知から避難開始に到るまでのリアルタイム映像が確認できるのが圧倒的な強みだ。
 最初のどかに船着場近隣を走っていた車が次々と退避を始め、小型船は競うように全速力で港湾から脱出していく。これに続いて大型船も大急ぎで岸を離れて後を追う。

 スマホなどパーソナル通信回線に始終べったりと密着しているユーザーは、通信事業者主導による緊急広域通信の割り込みサービスに助けられたしても、せいぜい警告アラーム音と視認性を高めたテロップ表示あたりが関の山だろうから、どうしても状況の認識には制限がかかる。
 『現地のただならぬ現状をユーザー本人が直視できる』いわゆる『百聞は一見に如かず』の効力はゆめゆめ侮れない。私の知る限り、不意を突かれて現認者が右往左往の浮足立った直感で流す映像こそ、過去の検討を経てワザを利かされた映像よりも、別格の切迫感を喚起できるとする声が多数派である。

 テキトーにチャンネルを換えていただけなので違ってたら申し訳ないのだが、国内で人や船や車の動きを追って映していたのはNHK、いっぽう台湾現地の被災の瞬間の動画が早かったのは民放だったように見受けた。良い悪いの批評をするつもりはなく、視聴者の立場としては双方うまく棲み分けされていて、どこを回しても同質のものが出てくるより有難かった。
 『未加工のまま最短時間で届く現在進行中の現実』を確信できる情報は、間違いなく受信者に響く。ひとつ確実な定番解である。
 ただ未加工ゆえ画像にせよ音声にせよ、見方・受け取り方を知らない受信者には響かないので、そこを埋めるために赤や黄色の大胆テロップと繰り返しの呼び掛けを添えるというコンセプトで、現状各局の画面構成はひと通り精一杯に頑張れていると感じた。

 ただひとつ呆れ返ったのは『戦闘機が調査に飛んでいます』みたいなナレーションを流していたどあほが混ざり込んでいたことである。

 変動帯・日本列島においてはどこも等しく震災のリスクがあり【404】【436】、現時点で現実問題として地震予測は技術的に不可能であるため、発生都度対応のスピード勝負に特化せざるを得ない。
 国民生活がある領土内としては最大震度4で済んでいたし、その離島から遥か遠くの内地の立場ではなおさら切迫感が薄かったのは事実だが、緊急地震速報の発信ルートにこんな遊び半分の不真面目文言を混ぜ込んで良いか悪いかも判らないような非国民が紛れ込んでいる現実には失望した。
 重篤な損害が現実化する前に、日本国の危機管理として緊急の対応処置が必要だ。

 離着陸速度が高いため長大な整備滑走路を必要とする戦闘機が本当に飛んだかどうかは知らないが、大地震でてんやわんやの台湾に一方的に断りだけ入れて、現地上空に踏み込んで高見の見物をする訳には行かないはずなのだ。そんなことも判らないのか。
 そもそも日ごろ大陸側から領空・領海の境界線を割り込まれては牽制に忙しい一帯なんだし、秒を争う必要性があったにしても軍用機で出掛けたりしたら、それ自体が死ぬほどムダな悶着の火種になるばかりである。
 万一よもや余震が南西諸島を襲って基地の滑走路が損傷した日には、帰投先を失う。

 本当に戦闘機を発進させたのなら、その理由が知りたい。
 本当に戦闘機が発進しなかったのなら、わざわざにこんな虚偽の情報を緊急地震速報に混ぜ込んだ、あまりに不自然な公共発信の真意が知りたい。不適切にも程がある。

 せっかく強みもあるのに、みんなテレビを観なくなるワケだよ、くだらねえな。

 おっとっと、ここまで結構な分量になってしまったので、前回の内容の補足をして後を埋めよう。ちょっと失敗して解りづらい文章になってしまい気になっていたのだ。

 まず、ヒトが複数いるだけのデタラメな群衆にステージ・パフォーマンスが自然発生すると、それが原動力となって『組織』が形成されるのだと述べた。
 これと同じく、漫然と生きるだけのデタラメな体組織に部位別役割の因果と分担が自然発生すると、それが原動力となって『ヒトひとり』が形成される。
 …で、ここまでは、身体構造ハードウェアとしての『ヒトひとり』なのである。

 この『ヒトひとり』ハードウェアには情報体系としての『人格』は備わっていない。
 おぎゃあと生まれたら、まずは体験記憶の情報ファイルが片っ端から蓄積される。

 そしてこのデタラメな体験記憶の情報ファイル群に、ナニガシか因果づけがなされて、入出力の変換を定義する演算プロセスがでっち上げられ始めると、それが原動力となって『人格ひとつ』が形成される。
 こうして情報的に白紙だった身体構造ハードウェアに、情報構造ソフトウェアとしての『人格ひとつ』が収まる姿になっていく。この順番ではないかと思う。

 私は自分の就寝中の夢を考察していて、記憶の断片を無作為に結び付けては、強引に一本のストーリー成立を決めつけるかのような情報処理が起こっているのではないか…と仮説を立てた【693】【937】
 これって、まさに体験記憶の情報ファイル群から演算プロセスを新規構築しようとする創出工程の顕れではないかと思う。
 こんなプログラミング作業が就寝中に起こっているのだとすると、なるほど某・数学者さんの『人間とは便利にできていて、寝ている間に脳みそが自動的に考えてくれるから、壁にぶつかってもあんまり気負う必要はない』とする経験則も、人間の情報特性的に根拠のある正攻法だと言えそうだ【629】

 記号接地がどうたらこうたら理屈捏ねてクチばかり動かしているヒマがあったら、おのれの五感でひとつでも多く『この世の因果律』を体験し、情報ファイルのストックを質・量の両方で充実させることだ。
 そして目いっぱい『この世の因果律』を体験したら、よく眠ること。これだよ。

 今年は意外なほど桜の開花が遅かったが、いったん開花したら意外なほど早く満開まで突走っているように思う。
 天気も気温もなかなか狙いを定めるのが難しそうな今年の花見だが、うまくスケジュールを命中させて、咲き乱れる桜の花のもとでTVアニメ『悪の華』エンディング曲を楽しく合唱していただきたい。では盛り上がる宴にグッドラック!
nice!(13)  コメント(0) 

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。