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【967】大きな御世話だった読み聞かせ教育の改善方針 [ビジネス]

 夢の話がなかなかの人気で閲覧数が伸びる。もうちょっと続けとこうかな。
 私が中学生の頃だったか、『睡眠学習法』なるものが提唱されたことがある。

 英語の短文を読み上げては、その和訳が続く。これが延々とカセットテープに録音されていて、これをかけて聞きながら入眠すれば、あ~ら不思議!勝手に英会話の基礎が身に付いている…というハナシだったと思うのだが、ンなわきゃねえだろが!
 100均でも売ってる、あの付箋よりちょい大きめの短冊をリングで綴じた『単語カード』は当時すでに最もポピュラーな暗記ツールで、主には中学生の英単語暗記用とされ、誰でも当たり前に使っていたものだ。片面に英単語を書いて、反対面に和訳を書いて、英和方向・和英方向で見えている面から反対面の記載内容を思い出す。最近だと小学生から英語を習うから、使い始めるのは早いのかな。
 『睡眠学習法』は、この暗記トレーニングを音声で自動化したつもりなのだろう。カセットレコーダーやカセットテープが家電として市販され、音声技術のプロ職でもない一般人が手軽に録音・再生できる画期的ツールとして爆発的に普及したのが、私が小学校高学年ぐらいのこの時代だったと思う。その数年後には、こんな使い方が考え出され商品化されていたのですね。

 実は英文を読み上げただけではスペルの習得が完全お留守になってるんだが、英単語の音読に続けてアルファベットで一文字ずつ読む訳にもいかんだろうし、まあ基礎的な日常会話が聞き覚えで体得できるところまでで割り切ったということなのだろう。…というか、思い出した!
 『英語で暮らす人々も、生まれ落ちて周囲の英会話を聞くところから始まります』みたいな学習原理の解説がついてたんだよ、これ。その理屈が的を射た解釈だったなら、もちろん今ごろデジタル録音で同じコンセプトの教材が定着しているはずだから、つまりは失敗であった。

 …ということで、録音と再生の自由を手に入れた日本社会が早々に考え付いた『睡眠学習法』なのだが、今になって振り返ってみれば、その本質的な過ちは『睡眠中の人間に対して、起きている時の学習の理屈をママ適用している』ところにあったのだろう。
 『今日は空が青いから地下鉄に乗って鍾乳洞へ行こう』【692】【693】【937】みたいなことになっちまってるヤツを捕まえて、英単語だスペルだ和訳だを順番に押し込んだとして、ただの安眠妨害にしかならないと考えたほうが当たっている。
 昼間見てきた記憶が得体の知れない分解の仕方をされてシャッフルぐちゃぐちゃ、これが睡眠中の頭の中の状態なのだから、生まれてすぐの赤ん坊が言語習得するのと同じシチュエーションだか何だか知らないが、聴覚から押し込む音声に『理屈の世界』が前提になっている時点でもう空振りである。

 ウラオモテ入れ換えて、仮に今のあなたが睡眠中のウラ画面のブート役だったとすると、パソコンで一生懸命作業中なのに、その隙を狙うかのような同時進行の捻じ込みで、ディスプレイ画面の背景やどこか一角が反対番に占拠されるようなものだ。うざいばかりで本来仕事もマトモに進まない。
 余計な小細工で今以上の効果を出そうとか一切考えるな、睡眠はこの身体を反対番で切り回す赤の他人の仕事、自分は気持ち良く眠ることだけを目的に、手放しでとにかくぐっすり眠れ。これが万人に共通の至上マニュアル、睡眠の最適解ということになる。

 例によって余談を突込んでおくと、実は『覚醒剤』というのは、その名の通り眠らずに起きて活動を続けられるという触れ込みのクスリであった。依存症が社会的問題として発覚するまで、滋養強壮・疲労回復が目的であり違法でも何でもなかったのだ。聞いてなるほどの豆知識である。
 私の親世代は、例えば多忙続きの工場夜勤や、あろうことか大学入試の試験勉強でまで『疲労感に苛まれた時、ひと頑張りするために一本打つ』という時代を知っている。疲労がポンと吹き飛ぶからなのか『ヒロポン』という商品名だったそうで、確かに一発キメると眠くなくなるというか、自分自身の制御の及ばないゾーンで身体が眠ろうとしなくなるのだというハナシは複数例聞いた。
 げげ。依存症まで行こうが行くまいが、聞くからにイノチを削りそうな稼働力ブースト剤であることよ。

 だいたい何故そんな薬剤が出回ったのかというと、日本人が総じて高負荷・過負荷状態で忙殺されていて、本来十分な寝食で解決すべきところを、薬剤による一時的な疲労感の抑制で間に合わせてしまおうとしたからだ。戦中の軍需工場しかり、終戦直後の焼け野原からの復興しかり。
 もっともこの時代に手を緩めていたなら、その後の発展と栄華は到底あり得なかった訳で、当時の日本社会が選んだ手段をもって、現代の視点からのうのうと正否を論じることに意味は無い。ともかく医学的な知見も不足していたし、ついつい経済を始め人類文明が要求するまま人間の気力・体力を酷使した結果、数十億年の生命の歴史が定めた人間という生物の健康作動点の維持管理が疎かになってしまったということなのだろう。
 今の時代、日本社会にどれほど切迫した負荷がかかっているのというのだ?
 自然に自分の身体のなすがまま眠って解決するのが安全確実な正解である。

 さて話題を元に戻すのだが、睡眠を短時間のやっつけ仕事にしてしまわない目的のひとつに、睡眠中の五感の記憶の余韻を残すこと、それをきちんと覚醒中の認識として固め直すことが挙げられる。自分の身体は、ウラ画面でこそ登場する痛みや痒みを間違いなく体験しているのであり、その逆もあるからこそ、痒みを抑えるため寝てしまうというワザが通用したりもするのだ【937】
 生物には『睡眠』というウラ画面の作動モードががっつりオモテ相当に存在する。まさにゲームソフトのウラ画面やパソコンのシステム管理あるいはBIOSのような概念で捉えて、『人生ウラ画面』の作動現象をひとつひとつ気長に見つけ出してはその内容や機能を丁寧に分析・解釈していくコンセプトは、いわゆる『睡眠の謎』の解明にとって結構メがある研究法ではないかと思う。
 小中学校の保健体育で『自分のウラ画面』の存在を教え、その訴えにいつもわざわざに耳を傾けるよう習慣付ければ、コストをかけずに日本社会の健康保険システムの負担を抑えられるかも知れない。

 また『痛い』『痒い』は体調異常の定番の自覚症状なのだが、それって数百ある体調異常検知のうちのたったふたつであり、これら以外の日本語にできない所謂『違和感』をもっと積極的に情報として具現化する方策を、これに併せて考えたい。
 受発信できる情報テンプレートを用意すれば、それに相応する感覚を探り確かめて意識に乗せ、自他共々に言い聞かせる姿勢が呼び起こせると思う。医者と言語学者の知見を突き合わせて、特に重大な異常検知を的確に問診の網にかけるような研究域のトライアル企画はできないものだろうか。

 十分な寝食の保証により手放しで得られる快適な健康状態は、無一文であろうが億万長者であろうが微塵の差が付くものではない。これを追求しない手はない。
 そして元気な人間は、物事を、社会組織を、自然な方向に仕向けて動かす力を持っており、何をするにも勝率が高いのだ。無駄な議論で騒ぐ愚か者どもにはシカトを決め込んで、まずは食って寝ましょう。話はそこからだ、ではグッドラック!
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