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【1246】エンタメ音絵巻の口八丁敷居おとし [ビジネス]

 おお、当たり前だがうるう年2月29日の次は3月3日の雛祭りの巡りになったか。
 過去にも述べているが『きょ~おは楽しいひなまつり~♪』と歌うそのメロディー、歌詞で直球『楽しい』と断言しておきながら、哀愁漂うマイナーコードつまり短調の響きだったりする【612】【1215】

 まあ『悲哀』というよりは、粛々感というか『ドタバタせず沈着に過ごす心理状態』を音感で再現したもの…という理解で当たってるんだろうな。とにかく昭和以前の日本人の特徴的なメンタリティと思われ、昭和40年代の高度経済成長期にあっても、歌謡曲や演歌などの大衆向け娯楽音楽に、大なり小なりこの湿り気のある木造系の音作りが広く根強く定着していた。
 子供向けのアニソンもこの日本精神文化の作法に則り、いま思えば本格的というにも実にしっかり分厚いパート構成を従えて、子門真人(若い人たち、しもん・まさと と読みます)やささきいさおが熱唱していたものである。

 たかが私ごときの知る範疇なのだけれど、TVアニメ『未来警察ウラシマン』のオープニング曲『ミッドナイト・サブマリン』が、そんな古来伝統的な日本の音感文化から完全に脱却した節目の一曲だと思うのだ。
 ハイティーン年齢ぐらいからどんどん悪魔と逸脱の騒音系洋楽文化に身も心も落としていった私は、実はリアルタイムどころか今に到るまでこの作品を一度も観たことがなく、随分と最近になって人聞きでこの曲を知った。アニソン、ここまで来てたのか。
 1983年というから昭和58年の初回放映だそうで、イントロから北米西海岸の突き抜けるような青空を連想させるLAポップ曲調、都会的にカラッとドライで垢抜けており、微塵の湿り陰りも感じさせない。みなしごハッチよ、さようなら。

 この時代に透明度の高い爽快感ポップで既に突出していた山下達郎の『ライド・オン・タイム』が1980(昭和55)年、湘南ビーチサウンドの代表曲TUBEの『シーズン・イン・ザ・サン』が1986(昭和61)年のリリースだというから、このあたりで日本社会の音楽文化の主流が大きく和風から洋風に移行したのだろう。
 洋楽作法に移行するにしても、私みたいに悪魔に魂を売らなかった善良なティーンエイジャーたちが、のちにTVアニメ領域のサブカル文化から『子供向け、幼稚』のレッテルを引きはがして『クール』に換えていったのかも知れない。ただの同調・埋没でもない人畜無害たちの底力は案外と侮れないのである【955】

 さて私のハナシなんぞどうでもいいとして、NHK朝ドラ『ブギウギ』で『買い物ブギ』のフルコーラスが放映された。大阪の下町で育った私だが、それと判ってフルコーラスを聴くのは恐らく初めてである。
 有名な曲なので、大人がちょっと引き合いに出すなど子供の頃から日常的な馴染みがあるにはあって、その影響が子供社会にも浸透していたのであろう【1022】
 それにしても、つよぽん先生式『スリー、ツー、スリー・ツー・ワン・ゼロ!』のカウントは聞き憶えが無いなあ。GHQキャンプ組の重鎮がたでも、あったとして『…ハイ、いち・にの・さん!』までである。まあいいや。

 教科書に載るような、勉強としての格調高き音楽ジャンルと対極に位置する大衆歌謡。いま思えば、それでも間違いなく伝わる正しい日本語で、明確なメッセージを託した歌詞が添えられていたものだ。
 まだまだ『生計を立てるに役にも立たない音楽なんか、わたしゃ解りません』の大衆が相手のエンタメ市場なのだから、必然的にその市場に響く商品を提供するとなると、コトバの意味のままに理解しやすい歌詞の情報力が求められたのだろう。
 そっち方面の才能もなく日夜労働に明け暮れる庶民としての日本人たちに『遊んでカネになる浮草商売』とやっかまれ、娯楽と言いつつ羨望と軽蔑の両方が交錯する厳しいビジネス領域だったことと思われる。

 まだエンタメ音楽理解力の受容間口が狭すぎたので、そこを落語や漫才に通じる日本語のコミュニケーション話術でサポートして、社会全体に売り込んでいた時代なんだろうなと私は解釈している。
 芸術…というと大袈裟すぎるのかな、心の内を楽器の音色に乗せて伝える『音楽』を、生業として真剣に追求しようとするプロたちにとって、当時のショービジネスが『好きなことをやってカネになる』という表現で片付けられるほど楽しくラクチンな生き方だったとはとても思えない。

 『買い物ブギ』もメロディーなしの落語・漫才にして十分通用しそうな歌詞なのだが、こういうステージは果たしてどのくらい発信側の納得と満足に支えられていたものか、一度確かめてみたい気がする。
 …と言うのも、もちろん完璧な演奏と歌唱あって成り立つパフォーマンスなのだが、発信して受信されて響いて伝わるその内容が、あながち関係者全員の志に素直に噛み合うものだった訳でもなさそうなのだ。
 御存知の方も多かろうが『8時だよ!全員集合』で有名なドリフターズは元々ハワイアン・ミュージックの実力派で、イミフのドタバタ愚行を繰り返す芸人集団ではない。
 せっかく持ち合わせた演奏技能ではなかなか売り物にならず苦労した反面、いいオトナが恥を忘れたようなおふざけがただならぬ稼ぎになったという現実に、当のメンバーたちはやり切れない葛藤を抱えていたという記事も読んだことがある。

 私も子供心にあんなものを面白いと思える心理がまるで理解できなかったし、真似しようなどとは爪の先ほども思わなかったが、そんな私でさえ『ああ、だいたいこんな感じの番組でした』と解説できてしまうのだから、現代では願っても叶わない社会浸透レベルである。娯楽コンテンツを買い上げる日本社会の、当時の情報特性が反映された結果の一大社会現象だったのだよ、きっと。

 恐らくはこんな流れを受けて、ロックとお笑いを意図的にミックスした『コミックバンド』という形態が、プロアマ問わず目立っていた。世間に普及し始めていた洋楽向けの電子楽器を手に入れて、悪ふざけでも何でもいいから騒いでウケを狙いたいバカな若造どもが、失敗なく観客を反応させるには一定の解決策になっていたのだと思う。
 欧米ロックのカッコ良さに浸かり込んでいた自意識過剰ど下手糞アマチュアの私にとっては、正直のところ大嫌いな様式だったのだが、稼ぎを上げてプロ志向を貫くため夢の自画像を封じて頑張っていた連中も多かったはずである。

 思い入れのあるファンには怒られてしまいそうだが、割と最近では『聖飢魔Ⅱ』(子供たち、せいきまつ と読むのだ)が近い事例だと聞いたことがある。
 技巧派の路線で十分通用する精鋭揃いなのだが、日本市場では商業的に成立が厳しいからと、わざわざにあのいでたちに身を包んで『悪魔が来たりてヘビメタる』というキャッチコピーでデビューしたらしい。
 おっと今どき、このフレーズは映画にもなった昭和の有名ホラー推理小説『悪魔が来たりて笛を吹く』のパロディーだと解説しといた方が間違いないんだろうな。
 正統派の欧米ヘビーメタル愛好家からは『ヘビメタの冒涜だ!』と非難する声も上がったという。まあ暴力的な大音量の中にも仰々しい様式美を重視するファン層ですからね。茶化すんじゃねえと。

 1989年プリンセス・プリンセスの『ダイヤモンド』がヒットする頃には、もうエレキ楽器を手にした女子高生のライブを親御さんが見に行くところまで社会変革は進んだのだが、経済急成長する戦後ニッポンの悲壮な重労働の抑圧感から、音楽に向ける情操がすっかり解き放たれたのがこの頃だったのかも知れない。
 これ以降やたら無機質に洗練された曲調で、温度のない電子楽器の音色が増えてくるのだけれど、かつての泥臭い生活レベルの感情の抑揚が毒抜きと共に失われてしまった感もあり、一抹の寂しさが拭い切れないのも事実である。

 『ブギウギ』も終盤だが思い巡らすところ多く楽しい。では週明けもグッドラック!
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