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【1256】無人のステージを囲む群衆の満足度投稿コメント [ビジネス]

 先週の有明フォーミュラEに続いて今日は鈴鹿でF1、かつて自動車大国の栄華を誇った日本国に、改めてモータースポーツの人気と元気が戻り始めているのなら嬉しい。
 う~ん、日本の角田くんは10位かあ。まあ頑張ってくれ、応援してるので御健闘を!

 今どきショールームの新車は軽自動車でさえ200万円近い値札が付いているし、納期が年単位かかるケースも珍しくないというから、若い人たちには到底手が届かなくなってしまっているのが悲しい。
 車ってそんなもんかあ?1万5千円の中古車を買ってきて、そこらの部品屋で合いそうなラジエター5千円を調達して乗っていた時代が遠く懐かしい。『現車、見る?』と訊かれて、薄暗くなった時間帯だとはいえ中古車ディーラーがライセンスプレート無しで十数キロ走って見せにきてくれたのだから、のんびりした時代だったものよ。

 最近の車は全方位にセンサーだらけ、何もかもが電子制御だらけで、自動車としての基本機能以外の付加価値が満載されている。これらがいずれ経時劣化して故障するのは間違いないのだが、そのへん全部はぐって安いエンジンとトランスミッションに乗せ換えて、『素の自動車』を走らせる遊びができないものだろうか。
 できればそのまんま、ライセンスプレート付けて公道使用まで行けたら良いんだけど、無理なら廃墟になったホテルでも工場でも流用してその敷地内限定ででも、自分で自動車を組んで走らせられる場所を用意するだけで、頭脳も体力も、日本社会の『使える基礎技術力』は一定代向上すると思うんだけどねえ。
 身近にあれだけ自分で気軽にいじりまわして、判りやすく自分の能力の成果を刈り取れる題材を、私は他に知らない。

 最近では割と若い子でたまに車好きを見かけても、ショップ任せでぴっかぴか綺麗に整備した車に乗っているケースがキホン多くて、貧乏ユーザーが散々手を尽くしメカ工学機能を維持して一生懸命乗っているパターンに出遭わないのだよ。ありていに言えば、ドカタ領域の車好きがいなくなって寂しい。
 機械は、勉強して設計して組み立てて整備して、それで初めて至高の楽しみ・技術屋のメシのタネになるのだ。
 せっかくの若い頭脳と体力をユーザーの立場にばかり居残らせる日本社会は、このままではまだまだ何十年も『失われた時間』を浪費しつつ、観光立国とやらで史跡資産ハードウェアも国家生産力ソフトウェアも、ぼろぼろに擦り切らせていくことだろう。

 案の定というか、このところ見境ない自動車の電動化政策が目に見えて世界中でポシャり始めた。
 もともと欧州は、政治勢力が思想的に暴走して、現実性を欠いた理想郷政策をぶち上げる傾向がある。それは確かに大衆社会の常識にあぐらをかいた慢心を打ち切り、わざわざの努力に腰を上げて人類がまたひとつ文明の歩を進めるための創造的ハプニングではあるのだが、世の道理として成立解が無いものについては『無いものねだり』を早期に見切ってイチ抜けに転じた者がブレークスルーして先へ行く。
 ここまで承知の上で、世の技術屋がスタンスを決めているように見受けるのだ。

 来日した現地エンジニアたちと会話していると『無能の政治家が現実を見ない政策で社会を混乱させ、国力損失を発生させるのはどこの国も一緒だよ』なんてみんな笑うのだが、やはり海外は何だかんだで皆さんしたたかだ。自由経済市場の荒海で、潮目を読み損ねたら沈没するのは自分だからな。

 誤解の無いよう繰り返しておくが、私は自動車の電動化技術を全面否定はしない。
 電力供給網に合わせEV運用エリアを限定してライドシェアにするなり【1025】、集電機能を持たせた高速道路を基軸としたEV運輸路線を整備するなり【316】、工夫のしどころはまだあるし、最大の問題である『電気エネルギーは理屈抜きですべからく環境負荷が低い』というトンデモ大ウソに対しても、日射の無い時は自動車の運行ペースを落とすようなライフスタイルの取り組みを本気でやれば、それを定着させられる日本人はそれなりの数がいると思っている。夜は寝ようよ、曇りや雨の日は自然任せのインドアでいいじゃん。
 まあしかし、それでも今もって中古バッテリーの充放電性能の保証はできてないし残寿命は読めないし、廃バッテリーの処理技術にしても、コスト的にも環境的にもさっぱり目処が立っていない。それを片付けないと、電動化の大義がまず立たない。

 だからって地球上の『燃料』は、圧倒的に生成ペースより消費ペースの方が速いんだから、内燃機関に回帰して従来並みの勢いで好きに燃やしまくって将来安泰とも思えない。そこの代替案が見つからない限りは、徐々に内燃機関は運用ペースを落としていかざるを得なくなる。
 ここで改めて『人工的に燃料を生成する』という本末転倒の痴呆フェイク技術論はお呼びでないことを解っておこう。現時点で、燃え落ちてエネルギー放出したあとの『燃えカス』に残る炭素原子を、再びエネルギー充填しながら『燃料』の化学式に組み上げられるのは、植物の光合成だけなのだ【1193】

 昭和の時代、学生の小遣いで車が買えて、あれだけ自由に触って好きに乗れたのに。
 大学の工学部に行けば、学術情報から加工設備から何もかも全部揃っていたのに。
 どうして今、全部なくなっちゃったんだろう?油断してたよ、我々世代のせいだ。

 昨夜ひさしぶりに復活したNHK『プロジェクトX』を観た。スカイツリーの話だ。
 巨大鋼管を成型するのに古い大型プレス機を使ったそうなのだが、それはいいとして『オペレーター氏の熱意で、無理めの負担にも関わらずきちんと成型できた』みたいに映る語り口があり、そこには正直かなり深刻な不満を覚えた。

 プレス機の耐用荷重に収まっていれば、いくつであろうが普通に成型できる。やる。
 逆に耐用荷重を越えていたなら、プレス機が壊れるので最初からその板は打たない。絶対にやらない。おいくら提示されても受けない。
 ドキュメント仕立てで感動的なドラマにまとめたいのは解るが、人類文明の技術思考を精神論的な融通と混同するかのような演出の制作姿勢にはゆめゆめ賛同できない。
 うるさいコト言って申し訳ないが、今後二度と繰り返さぬよう重々心得られたい。

 『失われたウン十年』は、日本人が『造ること』を嫌がって忘れて、全員ユーザー側の立場を決め込みたがるようになってしまったウン十年なのかも知れないと思った。
 造れば良かったのに、刷り足されたバラマキ日本円を手にユーザーになり続けた。
 モノ造りイベントでは『ユーザーやめて造りたいと思う衝動』が作れてるのかなあ。

 無価値な通貨を手にして客席ばかり埋めたところで、ステージ・パフォーマンスは成立しないし、もちろん組織生命リビドーも発現しない。
 もののはずみで結構、若気の至りでステージに踏み出すその一歩にグッドラック!
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