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【1193】感涙で測る猛暑フィーリング評点の訴求効果 [ビジネス]

 おお、とうとう8月最終日か。日が短くなってきているのがよく判る。
 朝夕の涼しさは本格的になってきた。軽装で快適に過ごせて嬉しいが寂しいなあ。

 その反面、今夏の暑さをひときわ強調する日本語をやたらと見かけるのは何故だ?
 これまでも決してその雰囲気を感じさせる夏が無かったワケではないと思うけれど、今年は結構はっきりした『暑さ軽やかな夏』のイメージが顕著で、これに対して今更そこらへんの官民ジャリ広報が『地球温暖化』の世論を追い焚きしたくてしょうがない…ってことなのだろうか。

 返すがえすになるが、私は『確実に地球温暖化の傾向にはある』と確信している。ほかっておけば地中に埋まって眠っていただけのものを片っ端から掘り出して火をつけているのだから、どう考えても地球大気は熱の蓄積を重ねる方向にしか行きようがない。
 世の中で『燃料』とされているブツは、恐らくのところ過去の長きにわたって植物が光合成により、太陽のエネルギーを原動力として炭素主体で組み上げてくれた、反応性の高い化合物であるとされる。植物たちが、あの活き活きとした緑が、生命活動として無機物質を材料にしてエネルギーを織り込みながら有機物質の化学式を組んでくれて、『燃料』『エネルギー源』を作り出してくれている。
 動物が食ったら美味くて活力源になるとか、枯れて土になったらその場の動植物の栄養源になるとか。さらにそんなのが地中に堆積し地質学的なプロセスを経て、原油など地下エネルギー資源になったのだと考えられているのは御存知の通りだ。
 それを見境なく根こそぎ掘り返して着火し、重力に引かれて留まる大気中に、熱力学第二法則に従ってさんざん排熱を撒き散らしながら力学的動力を得ているのだから、道理として大気は熱を含む一方になるだろうさ。

 裏返せば『人工光合成』の技術を開発しない限り、人類の計画的操作として産業革命以降の文明動力が発生させる大気への熱影響を巻き戻す手段は無い。
 生ごみやら焼却後の灰やら集めて、川が流れ込み日射をさんさんと浴びるだけの水道高熱費ゼロの処理プラントに放り込んでいけば、反対側から緑色のカロリーメイトみたいなのが出来上がってきて、そのまま食えば栄養になるし、火を付ければよく燃えてくれる。そんな感じである。
 そういう技術が青写真レベルだけでもできていない限り、人類はエネルギー資源の枯渇に向かって歩を止められない。

 だからそもそも地球大気は人為的に起こされる全ての燃焼現象のために温暖化しているはずで、とりあえず現状までの地球上の環境が快適で、そこからの変動代を良くないこととして警戒視するのであれば、人為的に起こされる燃焼現象を純減させる努力が必要なのは間違いない。
 この考え方には、気温も海面温度も何も測定しなくても、道理に則った信頼度の高い仮説として結構な数の人々が賛同してくれるのではないだろうか。
 言っとるだろうが、四六時中の無意味なスマホをまずやめんかいと。

 問題は、これだけ人為的な燃焼現象に頼る今日の文明エネルギーがまずあって、減らすに越したことは無いんだろうけど、現実解として『どんな方策でどのくらい減らせるか』という議論になっていないところにある。
 とにかく『地球温暖化の事実を測定値で語る』という、それこそ現実解なんぞどこにもあり得ない課題に読み換え、飽きず懲りずにそのストーリーで公共発信しようとするものだから、逆効果になって近年は『地球温暖化』という標語に対して世論が懐疑的あるいは無関心になってきているのではないか。

 『今年の夏の暑さは過去最高』だなんて、毎年言ってるじゃん。
 すかさず『いやそれは本当か?』などといちいち過去に日本社会に放たれた『今夏の記録更新』を再調査して、その是非を検証する…とかそういう問題では既になくなっていて、過半数の日本人が『もう毎年の常套句だよな』と直感して、それを意識にストレージしちゃったらオシマイなのだよ。
 こんなことになっちまうような勢いで、毎年毎年『地球温暖化だから、今夏は異常に暑い』と大衆に響く発信を繰り返してきたという、それだけのことでしかない。

 直近の数回で述べている通り、私にとって今夏の気候は明らかに暑さを凌ぎやすいイメージである。
 いつもいつも精密な測定装置を駆使して自分の快適性因子についてデータ取得し続けている私でもないのだけれど、自室に置いてある温度計も、愛車の外気温表示も、総じて例年より低めの値が目立っている気がしてならない。
 『今年は猛暑日が過去最多』という日本語が最初に用意されれば、その日その日の最高気温で裏付けられるのが普通だとは思うのだが、日中ピーク値が確かにその通りであったとして、それが『夏の暑さ』として人々の季節感や健康への影響を絶対的に支配するものでもない。そこを、ちょっと考えろと言いたい。

 ところで一般大衆市場向けの製品開発においては『人間が実際それに接してどう思うか、感じるか』の官能評価が欠かせない。
 例えば、最近街中でよく見かけるハンディ扇風機が進化したとして、あれが将来ただの送風だけでなく冷却機能まで備えることができたとしよう。試作品を手に取って、暑い温度環境で使ってみて『涼しいかどうか』がその仕様のGO/NO GO判断を決める。
 超優秀な開発エンジニアの一人が、ファンの直下流に取り付けた温度計の指示値10℃を必死で指差して『ほら、ほら、10℃だから涼しいんですよ』といくら涙目で主張してみても、そこらの誰かがちょっと使ってみて涼しくなければ『ダメじゃん、これ』の一言のもと当然不採用だ。
 とにかく『涼しくない』んなら仕方ない。製品化しても売れないのは明らかである。

 まあ本当に10℃は10℃なんだけど風速がか細すぎて1センチの距離しか届いてないとか、10℃なのは風軸の中心ボールペン一本ぶんしかないとか、調べれば詳細の原因はすぐ解るんだろうな。
 目的は『10℃』ではなくて『万人にとっての十分な涼感』の方なのであり、それを測定データなる数値で裏付けて、製品仕様の成立要件と対応させたりライバル商品との優劣比較をしたりするために、温度計の『測定データ10℃を手段として使う』のである。目的に応じた適切な測定方法でもって、そこで語るべき事実に対して、誰の目にも自然な納得がいき、建設的な合意・協力に物事が向かうように。

 こと気象現象に関しては、何しろ莫大すぎるために『誰がどう見ても』のレベルで広く平均的に現状を反映するデータの測定方法が無い。これは日本と言わず世界中の人類の相当数が直感的にそう認識するだろう。
 今どきどっかの国際サイエンス機関が、小市民の知り得ない超技術スーパー測定器で『真実』をとらえているとも思わないだろうし、IQ百万の名札ぶら下げたウルトラ秀才学者の判断だったらそれが『真実』だとも思わないだろう。
 みんな『測定方法が無い』『真実は知りようが無い』と判ってるんだから、どっかの測定値・公表値をそのまんま論拠にしたところで納得にも合意にも到達しない。結局は自分が接した現実の記憶が基準にならざるを得ないのなら、それを認めて公共発信の論調を組まないと、誰にも興味を持ってもらえなくなるのは当たり前である。

 まあまだまだ日中の暑さは続くし、ならば毎日その始まりと終わりに冷蔵コーヒーとビールが美味すぎて号泣できる季節が続くということだ。
 この切実な訴えに勝つハナシでないと世論は振り向かない。光る涙にグッドラック!
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【1192】昭和カントリーの猛暑完走ライセンス [ビジネス]

 8月も最終週末かあ。暑さがぼちぼち残暑として名残惜しくなってくる季節だ。
 暗くなってくると明らかに涼しさが感じられて、どこかで『…ドンッ!…ッッドンッ!』と花火の上がる音が聞こえたりするんだよな。おかずの香りだけで白飯を食う、ではないけれど、花火の音だけ聞きながら夕暮れのビールを飲む時間は優雅で好きだ。

 前回、この夏は蒸し暑さで丸一日を圧迫され続けることがなく、全体的にカラッとした軽めの印象だと述べたけれど、これに呼応するかのように空の青さが例年になく深く濃く見える。
 太陽を肉眼で直視するのは良くないので、まあちらっと見る限りにはなるのだが、空が青く深いぶん太陽のぎらつきが強烈というか凶暴で、外出時には某タクシー配車アプリの宣伝よろしく日陰伝いに歩き続ける毎日だ。壁のない広い駐車場とか、建屋のツラを道路から大きく退くとか、日陰が途切れる区間が恨めしいことと言ったら。

 けど、昔も夏は日陰伝いに歩いてたもんだよなあ。親世代も普通にやってたし。
 遠くまで見通せる道路には、昔も今もぎらぎらと逃げ水が輝く。

 私は大学生協の夏休み合宿プランで二輪・四輪の運転免許を一気に取得したのだが【951】、その場所は福島県北部の内陸地であった。その時の主たる印象として、だ。
 いっやあ~、とにかく暑かった。間違いなく今でいう猛暑日の連続であった。
 タオルも服も挟まずに直接アイロンを肌に押し付けるかのような、輪郭の明確な遠慮のない暑さ・熱さが二週間ほどの教習期間中の一貫した気候イメージである。空冷エンジンの教習車ホンダCBXもホーク2も『車速風を当てて冷却する』という目的意識をはっきり持って走ることを覚えるにはおあつらえ向きの教材だった。

 いっぽう四輪の教習車はマツダのルーチェとカペラ、塗色はすべからく白一色だったのを憶えている。まだどっちも昔懐かしマニュアル変速の後輪駆動で、私は教習所でAT車に乗ったことが無い。
 …というか、教習所にAT車は一台も無かったと思う。素朴な時代であったことよ。

 私に限らず当時の男子大学生は結構な割合で、事前に大学構内なんかで自動車・単車の動かし方ぐらいは身に付けており、大概はそれほど苦労せず短期間で路上教習にまで進めていたように思う。運転技能の基礎が割と出来上がっていたので、東北弁のコトバの壁もきちんと乗り越えないまま、先に路上教習の及第点到達の方が実現し、無事に卒業していった。
 何かを習って体得したというより、ほとんど運転免許というブツを取得するための手続き処理のような教習課程の想い出だが、私はひとつ珍しい大事件?に遭遇している。

 確か卒業検定の日だったと思う。この日も雨の可能性すらない猛暑日であった。
 卒検なので、ちゃんと乗車前にボンネットを開けてオイル量やウォッシャー液量、ホース類の傷みなども、わざとらにデモるテイで指差し確認する。タイヤも丁寧に見て触って、更に車輌周辺に余計な障害物や危険物など無いかもしっかり確かめる。
 運転席に私が座り、助手席に教官が座り、後席に次の番廻りの女子大生ちゃんが座った。ミラーやシートを調整していざ出発進行、教習所を出て順調に市街地をクリアして、広い幹線道路から青々とした田んぼが一面に広がる中を一直線に延びる農道に入った。ここまでは良かったのだが。

 …あれ?何だか徐々にチカラが抜けていくようで、車速が落ち始めたのである。どうしたのかなと思いつつアクセルペダルを踏み足してみた。
 だが私の操作に全く応じず、じわじわ車速を落とし続けるマイ・マシン。困ったなあと思いつつも、検定中に指定も指示もない場所で停車するワケには行かない。

 遂に『おいどしたー、アクセル!もっとスピード出せ!』と、フツー教官が検定中の教習生に向かって放つとは到底思えないような台詞が飛んできて、私が正面を睨みながら『踏んでます!床まで踏んでますっ!』と応答するという、ギャグ漫画かコントのような会話になってしまった。
 『ナニ?ちょ、ちょっと停まれ!』と教官の指示が出たので、言われた通りに左に寄せて停車する。

 車を降りてボンネットを開けてみると、どうやらラジエーターホースが劣化して冷却水が漏れてのオーバーヒートだ。携帯電話の無い時代に、東北の広大な田んぼのド真ん中で自走能力が危うい車輌故障。さてどうする…?
 さっき走った市街地のように他に車が走っている場所なら良かったのだが、残念ながらもう視界に他車の姿は無い。どこを探しても僅かな日陰も見当たらず、くっきりと突き抜けるような青空に見上げる太陽は、澄んだ空気を貫いてこの世の全てを容赦なく焼き続ける。
 『お前ら、ここで待ってろ!』と腹を括った教官どのが、エアコンを切り全ての窓を全開にし、教習車を駆って青々と波打つ平面の彼方に消えていった。

 確か1時間以上を我々男女ふたり、日陰の無い世界で過ごしたと思う。
 自販機もなければ水道の蛇口一本もなく、土地勘なんかあるワケないし、マジでどっちにどれだけ歩けば水、せめて日陰があるとも判らない。その場から少々歩いて見つけてもらえなくなるとも思わなかったが、歩こうと思う距離の範囲は直接目視できていて、そこに日陰も水も無いんだからどうしようもない。いや、砂漠じゃないんだから。

 年齢も近かったしずっと黙ってもいなかったと思うのだが、彼女と何の話をしたのかも、彼女がどこの出身なのかも、どこの学生なのかも、好みのタイプだったのかどうかさえも、微塵の記憶も残っていない。それでも二人して脱水や熱中症の危険は気にしなかったはずだから、当時ってやはり一般常識的に『ヒトが暑さで倒れる』という事象がまだまだ身近ではなかったのだろう。
 とにかくこの間、他車が一台も通らなかったのだから教官どのの判断は正しかった。

 さて恐らく教官どのはできるだけ高いギアでエンジンを低回転に維持し、止まるな止まるなと念じつつ公衆電話を探して見つけて辿り着いて、そこから電話で別の車と人員の助けを頼むことに成功した。その場で救援部隊を待ち、一行に拾ってもらってその足で我々の待つ故障停止地点のところに戻ったものと推察する。
 私と女子大生ちゃんは新たに用意されてきた検定車に乗り込み、その時その場から卒検の残りを再開し走り切ったのである。コトの運びがシンプルで手っ取り早い時代であったことよ。
 ええ、私もちろんこの一発を命中させて、卒検は無事クリアしましたとも。

 本当は、教官同伴で乗車前整備を実施して、よりにもよって教習所から発進した検定車が路上故障なんかしてしまっては何かとマズそうな気もするが、こんなハプニングも起こる時にゃ起こる。誰ひとり死にもしなければ怪我もしなかったのであればそれが幸運、真夏の笑い話伝説で済んでしまう…ってことでお開きにしましょうか。
 思えば、この教習所に御世話になった初日のうちに『ここの夏はとんっでもなく暑くってよお~』と聞かされたものだ。そして滞在期間中の記憶はまさにその通りの勢いとなった。

 たまたま今年の夏の特徴を回想していて、この卒検ネタを思い出しました。
 まだまだ続く残暑の季節の行楽は、是非ともの無事故安全でグッドラック!
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【1191】終夏のカムカム珈琲研究室 [ビジネス]

 8月もあと一週間となった。毎年のことながら、好きな季節なんだが少し寂しい。
 豪雨災害に遭った地域の方々には申し訳ないが率直な印象として今夏は雨が少なく、何よりも蒸し返すような多湿の日がほとんど記憶に無い。何というか、夕方であろうが深夜であろうが早朝であろうが、もう自分が身を置くその気候の底の底が既に『暑い』というにも許容範囲を大きく超えた状態となり、あ~あ今の季節この時空間のどこにも逃げ場は無いな…とほとほと観念する時期が訪れなかったように思う。

 例年だと立秋つまり盆休み前の8月も中旬にかかろうとする頃、特に夕方の風に涼感が明らかに割り込んできて、夕暮れ夕涼みのビールが美味すぎて泣けてくるのだが、今年は夏を通して夕方の風が優しい。風と空を求めて缶ビール片手に屋外に出たは良いが、凶暴な熱風に押し戻されて退散したことが一度も無かった。
 日中の高温ピーク時間帯がそれなりに派手な数値と体感で連日続いている感じはあったにしても、全体的にはカラッとして熱気と湿度の圧力は随分と軽い印象である。今までのところは、だけどさ。

 さて、起き抜けから『もうナニもかも終わってる出口の無い暑さ』をかき分けずに動き出せるとなると、朝コーヒーを作り置きするのに非常に助かる。短時間で湯を沸かせる電熱ポッドがあるにしても、やはり夏場は高温を扱う作業を少しでも避けたい。
 いわゆる『アイスコーヒー』は、どちらかというと濃いめ苦めに淹れて、その名の通り氷を投入するのがポピュラーな手法だと思うけれど、私は夏の季節にごく普通のホットコーヒーを淹れて常温で冷ましたのちペットボトルに移し替え、冷蔵庫に寝かせる『冷蔵コーヒー』の方を愛用している。
 冷たさで味覚が鈍るのか、そもそもそう感じるものなのか、何となく口当たりが丸っこくて腹にももたれず、マイルドな味わいながら氷が融け出して味が薄まることもないし、自制を効かせないと無限に飲み続けてしまうほど大好きだ。まだステロイド離脱が終わってないので、水分がぶ飲みは控えざるを得ないのがもどかしい。

 大学の研究室時代、部屋の冷蔵庫には近所の豆屋さんの出前から買う煎り豆が絶やさず置かれており、冷蔵庫の上にはドリッパーとサイフォンの二通りの設備が用意されていた。毎月定額だったか、飲むヤツが飲むたびに100円出資していたのかは忘れた。とにかく酒は大学生なら当たり前だとして、我が研究室はみんな揃ってコーヒーも大好きで、始終飲んでいたように思う。
 全く同じコーヒー豆を挽いて、ドリッパーとサイフォンの両方で淹れて飲み比べるという企画もやってみたが、これは殆ど差が判別できなかった。サイフォンの方が若干まろやかな感じはするのだが、並べて飲んで違いを探して、どうにかこの結論に納得するというのが正直なところで、つまり『ちゃんと淹れれば、どっちでも確実に及第点は取れる』というのが私の持論となっている。

 サイフォンはお洒落で面白いんだけど場所を取るのと、専門店のように始終次々と淹れ続けるくらいの稼働率がないと、あの挽き粉を引掛けて止める排水口ネットみたいなやつ、あれの衛生管理が難しいかも知れない。まあ熱湯使うし、使用ペースの都合で生乾きを繰り返したところで腹を壊す心配は無いと思うのだが、せっかくサイフォンで淹れるんなら直感的にも香り完璧であって欲しいではないですか。
 サイフォンの強みは、フラスコ内のお湯が沸いて、自動的にフラスコ内圧でお湯がドリッパー部に噴き上がったのを確認してアルコールランプを退くと、あとは美味いコーヒーがリターンで流れ落ちてきてくれるのを待つだけで済むところにある。そのドラマチックな見た目よりも、手順さえ覚えてしまえばキホン失敗しない作動信頼性の方に実用的なメリットがあると思う。
 ただそれにしても一般家庭だと、手入れの面倒くささやアルコールランプの維持管理など特別な工程が意外なボディブロー負荷になり、心ならずもお蔵入りしてしまう結末が少なくないのではなかろうか。

 …ということで、遥か昔に大学生でもなくなった私は今や完全なドリッパー派である。
 あの下の広がったビーカーみたいなコーヒーサーバーの上に被せる『じょうご』みたいなやつ、とにかく壊れにくくて、できるだけ受け口の容量がたっぷりしているのが良い。私が自宅で愛用しているのは透明プラスチック一体成型のタイプで、1リットル容量のサーバーと併せて使っている。
 濾紙の品質はおろか肝心カナメのコーヒーの挽き粉の銘柄さえ気にしたことはなく、いずれもそこらのスーパーの棚でありもん調達する以上の努力を払った覚えは無い。

 挽き粉は一度開封したら空け口はしっかりと密閉して冷蔵庫に保管するとして、そこから直径3センチ、深さ2センチの円筒形の計量さじできっちり2杯ぶんを投入、ここまでは本当にどうでも良くて、コーヒーの味はここからの淹れ方ひとつで決まる。
 第一に、十分に沸かしたお湯を間髪入れずダイレクトに使うこと。第二に、ドリッパーにどんどんお湯を注ぎ足しながら、高い水位を保ってドリップ中できるだけ、ぐるんぐるんと熱対流を起こさせ続けること。これだけ守れば、まず失敗はしない。
 1リットル作ったらそのまま常温で放置、あとはお茶などの1リットルペットボトルに移し替えれば、冷蔵庫で冷やすにあたり妙な場所の取り方もしない。時間のある時に何本か大量生産して、冷蔵庫にストックしておくとなかなか便利だ。
 設計手法が完璧に確立されているペットボトルの蓋構造、何度しげしげ眺めても、この簡素で安価で軽量な構造をもって、老若男女どこの誰でも普通に手締めすれば百発百中、逆さにして振っても滲みひとつ出て来ないというのは、まったくもって驚異の信頼性なのである。

 因みに、まだ淹れたてで熱いうちにコーヒーをペットボトルに移すのも構わないが、炭酸など冷たい温度でしか飲まない飲料のやつだと熱変形してボコベコになるので要注意。実はペットボトルにも材質の種類に違いがあって、熱いくらい高温領域まであり得るお茶のペットボトルはびくともしない。
 ともかく当然ながら熱いままペットボトルを冷蔵庫に入れるのはやめましょう。傷むものでもないし、まず無駄な電気代をかけずに常温放置で冷めるところまで冷ますのがSDGsというものである。

 以上、この『冷蔵コーヒー』は夏の季節の楽しみとしてオススメなのだが、まだ日が長いのでつい間違えて午後の4時5時に飲んでしまわないよう、くれぐれも御注意されたい。夕方以降のカフェインは夜の睡眠の質を落としてしまうからだ。

 その昔、何かの記念品でフルオートのコーヒーメーカーをもらった。ぱかっと天蓋を開けて、かたや水かたやコーヒーの煎り豆を入れてスイッチONすると、お湯を沸かすと共にミルが豆を粉砕し、これがドリッパー部に落ちてお湯が注がれるという、さすがゴリッパな肩書通りの全自動だ。
 だがそのお点前たるや最悪というにも今もって次点が思いつけないほどの酷さであり、豆を換えたりいろいろ試したのだが不思議なくらい改善代が得られず、すべからく他ではとても再現できないトゲトゲしい苦みと、いつまでも口に残る不快なえぐみがいっぱいの、それはそれで孤高の性能が貴重なコーヒーメーカーであった。…っちゅうか、捨てた記憶は無いから、探せばどっかにまだあると思う。
 内蔵ミルが能力不足の可能性も残るが、恐らくはあちこち樹脂製なので煮沸ヒーターの加熱が甘く、半端なヌルいお湯をちょろちょろセコく注ぐのが失敗の主要因だと見ている。いつか探し当てたら検証してみたい。

 コーヒーを淹れるのがイマイチ得意でなくて悩んでいる方、十分にお湯を沸かして、ちょっとまとまった量を対流ぐるぐるで作ってみてはいかがでしょうか。当たれば儲けもの、初期投資もランニングコストも低く、ずっと楽しめてオススメである。
 残暑を中から冷まして、アタマすっきりのIQ実効コーヒータイムにグッドラック!
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【1190】終夏間近のほろ酔い頭脳インターセクション [ビジネス]

 8月も後半になり、最近の小学校なんかは8月のうちに二学期が始まるパターンが珍しくなくなっている反面、大学は7月いっぱいを試験までやり切って前期を終えておいて、9月の半ばあるいはそれ以上まで夏休みにしているところも多いと聞く。まあいずれにしても夏休みの終点を意識する時期ですかね。
 私の大学一般教養課程時代は7月上旬に前期講義が終了、2ヶ月休んだら9月半ばに始業してすぐ前期試験という、嬉しいんだかツラいんだかよく判らないスケジュールだったため、だいたい8月後半になると夏休み中ちょっと疎遠になっていた学友ネットワークが動き出し、課題レポートの対応措置に取り掛かるのが常であった。

 夏の高校野球が決勝戦を終えると『そろそろ感』が訪れる。
 おっとそうそう、さっそくの横道になるのだけれど、私は小さい頃インドア派の工作少年だったこともありプロ野球にはとんと興味が無かった。それでも甲子園の高校野球の方は、全試合とはいかないまでも他に観たいテレビ番組が見当たらなかった場合など、ちょくちょく観ていたものである。

 高度経済成長期から昭和末期の時代、プロ野球は日本社会における家庭の大黒柱=サラリーマンの代表的娯楽のトップアイテムであった。プロ野球中継さえ流しておけば文句なしに最高の視聴率が取れたし、逆に定刻通り試合中継を中断して次の番組を始めようものなら、日本全国に巣食う大多数勢力のプロ野球ファンから、放送局へ雨あられの抗議の電話が殺到したことと思われる。
 プロ野球の試合が長引くと、次に続くはずの番組はどんどん先送りにされ、更には放送開始の遅れ代がタダゴトでなくなると中止される場合もよくあったのだ。さんざん待たされた挙句に中止、というのは興味の無い向きにとって実に腹立たしく、このくだらない慣習が元で『興味が無い』では済まなくなって『プロ野球アンチ』にまで重篤化した自覚を持つのは、この私だけではあるまい。
 何しろ試合中継の終了時間はまさにオンゴーイングで進行する試合の展開次第だから、だいたい正時から15分刻みで何度も何度も、見たくもない試合中継をチェックして告知テロップを探さなければならないのだ。当時のことだから、放送されるはずだった番組をいつ放送するのかの情報収集は、その瞬間のテロップを逃さず直接目視確認する以外に方法が無かったのである。

 こんな時、もう押しも押されもしない日本社会の国民的エンタメの王座を決め込んでふんぞり返り、チェンジではロクでもないザコ野手がだらりんだらりん歩いてベンチに戻ってくるし、交代の投手がマウンドまでおまるみたいな幼稚なカートに鎮座して出て来るし、いい大人があほ丸出しの自意識過剰を集団狂気で祭り上げて喜ぶその異常な構図に我慢できなくなり、もうイライラも頂点に達し切って怒髪天を衝くもいいところの怒声で、画面に向かって一体何度『さっさと走れ、このドクズ!』と叫んだことやら。ホントに、あんなものを笑って観ていられるヤツが大勢いたとは今も信じられない。
 この一点だけで、速やかに走ってチェンジして、交代から何からちゃっちゃと進む高校野球を、格別の好印象で眺めるには十分な理由だったのだ。

 まあいいや、そんなこんなで高校野球が全日程を終えて閉幕する時期になると、俄かに電話で連絡を取り合って終夏の飲み屋で提出課題の交渉会議が始まるのである。
 まず書面レポートなんかは先に仕上げた優秀な連中に見せてもらい、必要ならその場から席を中座して近くのコンビニでコピーさせてもらう。代償はその場の支払いに反映させればよい。
 また工学部ならではの製図やプログラミングなどについては、自分が得意な課題を友達のぶん引き受ける代わりに、自分が苦手な課題を引き受けてもらうのだ。実際、不器用で烏口製図なんか死んでもやりたくないヤツはいて、そこが大得意だった私なのだが…

 当時の私は夏のライブ活動が大好きなロック漬けの音楽バカ、工具を手に油まみれでポンコツ中古車をいじって喜んでいた原始人、その自覚で超アナログ人間を自称して悦に入っていた人生年表期なので【733】、まず基本的にフォートラン・プログラミングなんかは食わず嫌いの心象も加わってキョーレツに苦手だった。
 個人ユースの、まさにパーソナル・コンピューターなんかこの世に存在せず、コンピューター・プログラミングの専門性がもっともっと狭く小規模だった頃、よく私が捏ねていた『嫌いな理屈』がある。

 プログラミング言語って、やたら『日本円マーク』や『米ドルマーク』などが、本来の意味と無関係に使われており、それがプログラミング文法の規則体系の基礎となっているではないですか。もともと違う意味の表記に開発された文字を、他意のプログラミング専用文字に転用するセンスがどうにも気色悪い。あの暗号めいた謎の文字列を普通に受容する思考世界に組み合う気がどうしても起こらない、解るでしょ…と。
 手元の関数電卓レベルのポケットコンピューターで扱うベーシック・プログラムの方が、まだ”PRINT”=『画面表示させる』だとか、”BEEP”=『通知音を鳴らす』だとか、”END”=『一連の動作プログラム、ここまで』だとか、一般人の人間的言語感覚に馴染むと思うぞ【442】

 今の私なら、プログラミング専用の新・表記文字体系なんぞゼロ起案しなくとも、既存の軽い文字コードの流用で作業や判断のミスが起こらないのならそっちが得策だろうな…と考えも及んだのだろうし、だったらだったで興味も持てたのかも知れない。だが当時の私にそこまでの知能は無かった。
 そんなワケで、もう何をやらせる目的機能の課題だったのか一切忘れたが、フォートラン・プログラミングは完全に他人任せとなり、ナニがどうなったんだか知らんが課題は提出できて、単位も無事にもらった。めでたしめでたし。

 因みに、確かこの友人と何度か引き換えで請け負った製図の課題の中に『個人住宅』のテーマがあり、私は当時そろそろ個人用に出回り始めた2Dプリンターの店頭展示をよく見に行って、たまたまデモ描画されていた二階建て木造住宅の図面を手に入れていたので題材として提案、それを提出物相応にダウングレードする形で手を打ってもらって引き受けた記憶がある。
 いっぽう自分名義のぶんは得意分野でもあるし実力を奮って取り組む訳だが、今日のキャンプ場では珍しくなくなった曲線ピラミッド型テントのような形状の住宅を描いたことを憶えている。弾力性の骨を十文字に交差させ、よっつの端部をびよんと下向きに湾曲させて交差点を頂点天井にして支えるやつあるでしょ、あんな感じだ。
 詳細を語り出すと分量がえらいことになりそうなので今回は端折るが、ちょうどアントニオ・ガウディがサグラダ・ファミリアの建設で開発および実地適用したとされる『さかさ吊り』設計手法とコンセプトは同じであった。

 紐を一本用意して天井の2点に両端を結び付けると真ん中が垂れ下がるが、この紐を細かく区切って当該部位の建築部材の重量に相当するおもりをぶら下げていく。紐は多角形っぽい放物線みたいな形になるが、これは紐をまっすぐ引張る張力の釣り合いが自然に描いた形状だ。
 ならば上下を逆転した時、この多角形っぽい放物線の概形通りに強度構造部材を組めば、各部は自重を全て支柱形状の軸方向の圧縮荷重として受けることになるはずで、だからガウディは19世紀のうちにあの恐るべきスケールの石造りの教会を現実のモノとして起工するGO決心ができたのである。

 もちろん現代では重力の作用線に沿って素直に鉛直方向に支柱を立てていくのが効率的な一般解だが、その常識をひっくり返して度肝を抜いてやろうと新・設計思想を思いついたつもりの、得意気なサル知能の愚かな私であった。
 偶然その直後、私は某百貨店で開催された『ガウディ展』にて、当時にして100年以上前に軽く100倍級のサグラダ・ファミリアを着工していた先人を知ることになる。逆に芯から度肝を抜かれ、まさにぐうの音も出ない圧倒的完敗を認めざるを得なかった。
 …あ、もとより戦いになってないっすね、ごめんあそばせ♪

 私はその後、機械屋にしては結構な深さまで建築・土木にも踏み込むことになる。

 イケナイ反則は論外だが、ただのだらしないサボりで後悔するような自分の弱点にもならないと腹が括れるなら、こういう共同体制で楽しみながら課題を片付けるというのもアリだろう。
 何に限らずだが『面白くして実のある刈り取りを喰う』ところに手を抜かないよう。
 その宿題、面白くなくはない、嫌なものでもない。楽しんで頑張れ、グッドラック!
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【1189】時間軸上を行くお互いさまタイムトラベルの戦争ツアー [ビジネス]

 今年の終戦記念日、そしてお盆が過ぎた。
 鈍足の台風が、当初は関東直撃予想で近づいてきて、結局ずるずると西にずれて近畿地方を縦断していったため、全国的にどうしていいのか右往左往した挙句に公共交通機関の大混乱に巻かれて、疲労困憊した方もおられると思う。
 まあ怪我も無く帰宅できたのなら何よりだ。たくさん食ってよく寝てください。

 暑いので家の中の発熱体を減らしたいし電気代ももったいないしで、相変わらずNHK朝ドラ以外テレビとはすっかり疎遠になっているのだが、今どき『番組表』で各局の放送予定が一覧できるのは便利している。
 NHKが地上波とBSでいくつか戦争にまつわる番組をやっていたので録画予約だけセットして、涼しくなって落ち着いて視聴できる時間が取れるようになったら観ることにする。デジタル技術で便利になったものだ。

 何年か前まで、盆休み期間の民放各局は戦争テーマの特別企画を競い合い、お盆のちょっと前から番宣にも余念が無かったという記憶があるのだが、今は実にさっぱり全てが消滅した感じである。
 コロナ騒動で役者さんたちを集めてドラマを撮ったり、大勢の一般人を集めてクロストーク会合をやったりという企画が強制撤廃されてしまい、その間に底の見えない不況がますます進行して制作費もカラっ欠になったというのはあるんだろうが、それにしても『戦争にまつわる関心を集めて視聴率を稼ぐ』という業界の動機がことごとく萎え切った気がする。
 時代考証やストーリー設定がありゃりゃな作品も散見されたが、何とも今風のどかに戦場で友情を温める仮想再現ドラマだとか、現代社会から戦時中や終戦直後にタイムスリップするSF仕立てだとか、その完成度や視聴後の心象はともかく、この季節ここでネタにする題材には困らなかったのに。

 ほんの半年ほど前は、やれ半島から不穏な花火が上がったとか、陳腐な空襲警報をやたら割り込ませて空振りを繰り返していたものだがなあ【1099】【1109】【1153】
 かたや大陸を指差して、あっちにちょっかい出しました、こっちにもマウントのアピールやってます、物騒だからニッポンは南西諸島の軍事基地化をどんどん進めましょう!みたいな社会扇動のテイもあからさまに、国民からの反応ナシを百も承知の前提で喧伝し続けていたのが記憶に新しい。
 その最中にバチ当たって、晴天の宮古島沿岸に自衛隊のヘリコプターが落ちて幹部クラス含めて10人死亡、こんなとこでこんな大それた集団死亡事故を起こした業務計画も、事故現象の物理的な要因と顛末も隠したまま、誤魔化したつもりで当該機種を未対策で運用再開して今になってんだろ?

 ほぼ間違いなく、事故海域に飛行場なり軍港なり建設する計画を『閣議決定』とやらで国民に諮らず黙てんでGO判断し、それに関わる幹部クラス一同がこっそり集められて、低空飛行で現地の沿岸を見ていたのだろう。
 搭乗者の人員構成からしてベテラン操縦士が選ばれていたはずだが、機体重量を支えて踏ん張る主ローターの揚力風に踏みつけられひっぱたかれた海面が予想外に大きく揺動し、ヘリは制御できる許容範囲を超えて姿勢を崩してしまい、主ローターの翼端あるいは胴体の尾部が海面に接触した。
 主ローターならまず海面に斬り込んだ瞬間に揚力を失ってオワリだし、胴体尾部でも接水速度次第では浮力で上向きにへし折られる。10人も乗っていて誰ひとり救命ボートが使えていないということは、相当に派手な着水モードだったと考えて間違いはない。

 遭難者の人命救助という切迫したシチュエーションでも特段の必要性が無い限りは、十分な高度から救助ロープを一本垂らして標的にアクセスするものなんだけどなあ。
 戦争でもないのに『戦争』というワードを悪用した散財公共工事の秘密工作で、こんな命の落とし方をした日本人が今どき10人もいるという事実に、改めて驚かされる。
 どこまで埋め立てて沖縄の辺野古に基地造るんだとか、単独事故率の高いつまり墜落が心配されるオスプレイを人家のある上空に飛ばすなとか、あんな論争で大賑わいだった頃が懐かしいよ。一応みんな、それぞれの立場でモメてる事情について解説めいた言論を繰り返し、思いっきりマジメな顔で主張をぶつけ合ってたんだぜ?何故に数年後にこんなボロいことになったのか。

 案の定というか、東欧の紛争も何がなんだかよく判らなくなっている。当然である。

 そもそも他国が気にするような国益対立の構図がはっきり見えていなかった。
 今の時代にどこかの競合する国家勢力同士が紛争状態に陥ったとして、国際社会情勢の大局でそこそこ実効的な影響力を行使するような『強国』が次々と双方各々について敵味方に分かれ、判りやすい対戦勝負の勢力マップがみんなに共有され何度かのドンパチを経て一方が降伏、他方が国際公認の戦勝国となって決着…なんてマンガみたいな展開、あるワケないだろうが。
 見ての通り国際社会は、かつて東欧が供給していた資源や既存の文明社会アイテムを多数失っただけである。どこかの国が早く止めてあげることは、本当にできなかったのだろうか。
 ここまで国内経済がどん底を這いつくばりながらまだ堕ちるなら、どうせ異国文化のどっちがどんな理由で相手を非難してるかなんて日本国の視点から解るワケないから、双方に発生しかかっていた損害の修復を気前よく支援するとして、とにかくまず武力行使をやめさせる努力をしておけば全員にとっても良いコトあったはずだし、何より日本国にとって希望の持てる外交の展開があったはずだと思う。

 日本人は、もう戦争は嫌だ、戦争など絶対にしないと決心したのではなかったか。

 もう少し遡って、毎年この季節になると史実を学びもせず『日本は近隣の国々を侵略した、国家主権も人権も蹂躙した、永遠に謝罪し続けるべきだ』みたいな自虐史観の狂乱反戦スタイルを蒸し返すガイキチ左巻きが大量に湧いて出たものだ。
 いま思い出しても日本国に暮らす日本人として、あんな言論で生き方を探るような恥知らずがよくできたなと心底軽蔑するのだが、いっぽう日本の伝統的精神文化をこれ見よがしに愛で上げて、左巻きに眉をひそめる多くの日本人の支持を引きつける手段にする、似たような程度の右傾ファッション組も負けず劣らず色めき立っていた。
 先にガイキチ左巻きが絶滅し、相手を失ったインチキ右傾も時間の問題だろう。

 どっちにしても程度は低く、左巻きvs見せかけ右傾の見世物バトルなんかも横行していて、日本社会全体が『戦争』という現象について正確に考えようとしなくなっていた。ああいうのが全て消え去ったのは、とっても良いことだと思う。
 あの不真面目な世風が過ぎ去った今、子供たち若者たちはだらしない大人がマトモに思考課題にできなくなっている『戦争』について、自分で興味を向けて自分で学んで自分で考えて、自分たちで将来の日本国をどうしたいかイメージを固めて欲しい。

 我々が暮らすこの日本国で、かつて戦争があった。
 日本人同士が『協力し合って、みんなで幸せに暮らしたい』と願う集団思考が『命懸けで力を合わせて、幸福の脅威と戦う』という行動を選んだ。
 その結果、日本列島のあちこちが焼け野原になり原爆もふたつ落ちて、大勢の日本人が命を落としたり、取り返しのつかない傷を負った。
 現代を生きる我々と時間軸上での座標位置は違うが、お互いの存在とつながりを認め、我等が日本国みんなの幸せを願って重い負担を持ってくれた、掛け替えのない有難い仲間たちだ。

 その日本史フェーズが無かったら、今日の日本国でのこの生活は存在しない。
 今どこまで自分が幸せなのか判らなくなっている人も、とりあえず真剣に感謝だけしておこう。きっと良いコトがある。
 あなたが時間軸上に見る仲間たちは幸せそうだろうか。その笑顔にグッドラック!
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【1188】日独ダブルイメージの青春官能小説 [ビジネス]

 さて、盆休みだ。なんとも嫌なタイミングで台風が来てるんだけど。

 次回は時節からして不謹慎な話題は避けたいし、真夏のこの一回は肩の力を抜いてアホな学生時代の思い出話にでもしておこうか。
 NHK朝ドラ『らんまん』でマンタローは、東大植物学研究室のハタノくんをして『語学の天才』と呼んでおり、なるほど彼はドイツ語の本をすらすらと読んでいた。うお。

 いや、ドイツに生まれて育って住んで暮らしてのドイツ人なら、子供でも普通にドイツ語をしゃべるんだろうけれど、それすら『ホントかよ?』と疑いたくなるほどドイツ語はムツカシイ。
 私の大学時代、工学部の一般教養単位の第一外国語は英語、第二外国語はドイツ語orフランス語の二択となっていた。むむむ、どっちもあんまり気が乗らないぞ…
 それでもやはり世界的工業技術帝国のイメージが効くのか、大半がドイツ語を選択しておりフランス語は2,3人しかいなかったと思う。時にこういう場合、仲間の多い講義の方がノートが手に入りやすいとか、レポートを見せてもらいやすいとか、うまく手を抜くのに便利だ。

 しかし気の向かない勉強なんか放り出したいだけの大学生に、ゼロからドイツ語を教えようというのだから過酷な試みである。だいたいドイツ語ってなんであんなに無駄に複雑なんだ?
 一応、スペリングに見えている文字を規則通りに発音しておけば、音読は可能だ。だがそこまでだ。
 『読めるけど意味が解らん』、まずこれが我々のドイツ語の定番イメージである。

 次に嫌なのが数字で、アタマから読んできて何故か最後にイチの桁と十の桁の順番が逆転する。『1234=せんにひゃく、よんとさんじゅう』である。
 しかも普通にアラビア数字で書かずにアルファベット書きに開いた場合、空白を入れず一気につなげて書くもんだから、ぱっと見た瞬間に何の単語だか見当がつかない。
 なんでまたこんな非効率な規律世界が組み上がったのだろうか。もしかして暗号が起源だったりするのではないか…と勘繰りたくなるほど、ドイツ語の数え方は凡人の感性を寄せ付けない。

 だがこんなもの序の口であり、完全にお手上げなのが文法である。
 英語なら少々の例外はあるものの、原形が”play”で過去形が”played”で過去分詞形も”played”、あと現在分詞が”playing”と、キホン原形の後ろに活用語尾が足し算される法則があるではないですか。
 これがドイツ語となると、もう意味も何もすっかり忘れたが、原形が”gangen”(ガンゲン)はいいとして、活用すると”gegangen”(ゲガンゲン)だとかアタマの方に余計な接頭辞”ge-”が付いてきたりする。もちろん後ろの"-en"も妙なことになる。
 こういうのがそこここにあるため、ドイツ語には『意味を知りたくても辞書が引けない』という強烈なハードルがあるのだ。発音だけできたところで、そこから一歩も前に進めないのが鉄壁のドイツ語である。

 これでまあ大概の論文は英語で済んでしまうとなると、大学生が習得の目的意識を持つはずもなく、ドイツ語は完全に単位履修の手段としてだけ処理されるのであった。
 恐らく教壇に立つ側もこの事情はよく理解していたはずで、試験そのものをすっぽかすとか、勉強しようとした姿勢の痕跡もない駄回答だとか、よっぽどのことが無い限りは単位をやることとして、それならそれで自分もユルくリキまず学生相手に好きなドイツ語漫談ができれば良し、ぐらいの意識だったのではないかと思われる。
 そこでというか、当時の我々のドイツ語読解の講義において教科書として指定されたのは、短編のサブカル系小説であった。

 いわゆる単行本サイズだったが、タイトルは完全に忘れた。
 孤独な少年がいつも一人時間を過ごす秘密の場所があり、それが以前にも話題にした『やな』である【1082】
 日本だと『観光やな』のような、川の途中に竹組みの物干し台みたいなのを作って魚を打ち上げさせるタイプが連想されるが、この小説の作中ではもっと地味で、水打ち際のアシ原のなか仕掛けた漁師がたまに覗きに来て獲物を引き上げる…というスタイルのものだと想像された。
 だいたい日本の『やな』も知らない年齢だったのに、あれからこれから完全お手上げのドイツ語で、ドイツの『やな』のハナシなんぞされて何を理解できるというのだ。テキトーでいい。

 まあいいや、とにかく少年は日課として『やな』で孤独な時間を過ごしていた。すると珍しく一人の若い男が一艘の小舟を漕ぎ、アシをかきわけながら現れたのである。
 少年がふと見ると、小舟からは女の足が伸びており、ぴくりとも動かない。

 この手の小説なので当然と言うか、少年は騒ぎもとり乱しもせず、社会から浮いた者同士の孤独な秘密時間の偶然の接触として、余計なことを詮索しない淡々とした会話が交わされる。
 お察しの通り、若い男は何らかの事情で女性を殺害し、恐らくは遺体の処分のためにその場を訪れたのだろう。そしたら少年がいた。そういうことである。
 ラストはこれまた忘却の彼方なのだが、確かそのまま男は小舟を漕ぎ去り、少年はいつも通り帰宅したんじゃなかったっけ。なるほどこのトシで振り返って、ドイツ語読解の講師が何とか男子大学生に興味を持たせようとした工夫が察せられる。

 さて本題はここからである。
 せいぜい類人猿程度の知能しか持っていない大学の1、2年生でも、50人だか70人だか集めると、数人ぐらいは人間の素性として真面目にドイツ語に対峙しようとする人材がいるものだ。因みにこれだけいて女子は2人しかおらず『機械技術はオトコの学域』という常識がまかり通っていた時代が窺われる。
 さてある日、とある一人が講義の途中を我慢できず寝てしまい、ずっと起きて聞いていたマジメ人種に先生の講義した対訳文について教えてもらっていた時のこと。このマジメ男はちゃんと聞いていたはずなのに、対訳ストーリーがえらく歪曲されていて、ところどころ聞いていただけのスカ野郎ども含めて周囲の全員に大笑いされたのである。

 まず『オンナが舟に横たわっていた』という論点は正しかったのだが、死体という認識がすっぽり抜け落ちたとらえ方をしていたので、何とも裏含みのない間抜けなハナシにしか聞こえず全然小説っぽくない。
 しかも『小舟から突き出した足は、踵の無い靴を履いていた』という描写を『オンナが処女であることを意味する』として話すもんだから、聞いている方は雲をつかむように意味が解らない。そこへ。

 『違うだろ、それオンナが妊婦であることを意味してる、だろーが!』と、大してマジメではないが面白がってちゃんと解説を聞いてた他のヤツが横からツッコんできて、『ああー!なるほどー!』と全員が腑に落ちた。

 いやあ、そりゃもう『オマエ、一体ナニ考えて誰のハナシ聞いてたんだ!』と全員が腹を抱えて涙流して激笑したワケだが、たぶん『人目の無いアシ原に紛れて男女仲良くそういう時間を過ごしていました』とする微笑ましい解釈が、先に彼の頭の中にできあがってしまい、耳から入ってくる先生の言語情報が全てその前提に辻褄を合わす方向で論理構築されていったものと思われる。
 ええ、間違いなく元気で性格の明るい、とてもいいヤツでしたよ。

 『都会プールのうんこするとこしかない便所』【1070】と併せて、ヒトとは決して五感で得た現状認知データを元に、誰もが直感する素直な情報処理で状況理解しているのではないと私が考えるに到った、貴重な体験事実の記憶である。
 若い男というのは本当にバカであり、つくづくアタマの中がそういう方向にしか行かない造りになっている。『思考』なんて呼ぶ情報処理の姿は、ただの後付けの幻影じゃないのか。

 天候不順の盆休みなら、アタマの柔軟体操でインドア娯楽。お気楽にグッドラック!
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【1187】モノクロの懐かしトラウマ再生企画 [ビジネス]

 台風6号による大雨で、長崎の原爆の日の式典が屋内開催となったそうな。
 次の台風7号が関東に接近してきそうな予報も出ているが、コイツもかなりの迷走っぷりなので目が離せない。あれこれ気を揉んだものの盆休みへの影響が結局大したことなかった…で落ち着くと良いのだが。
 花火大会や野外フェスなんかを運営してる人たちは気が気じゃないだろう。

 確かに私が子供あるいは学生だった時代、夏休み期間中に台風で大型イベントが中止になるケースは、ひと声感覚としてもっと稀だったように思う。災難を喰らったとして夕立に降られてずぶ濡れだとか、あとはたまに落雷による事故が報じられていた程度かなあ。今や夏の台風はフツーだもんな。
 小学生時代の記憶で、ウチがまだ白黒テレビだった気がするので1970年代の前半ということになるのだが、NHKが毎週土曜日のお昼に『台風と近畿』という番組をやっていた。せいぜい10分か15分くらいの短い番組でいつも観ていたのだが、ネットにあまり情報が無くて寂しい。
 当時の小学校の土曜時間割は午前中の4限までで給食はナシ、確か12時ちょうどか12時20分あたりで授業が終わるや否やすぐに帰宅していた。仲のいい友達とだらだら寄り道や回り道もして、それで毎週間に合って観れていたから『台風と近畿』はたぶん12時40分とか45分のスタートだったのでは。

 視聴者に台風への備えを促す目的の番組だった訳だが、当時のテレビは、特にNHKは、こういう記録映像番組は、国民への業務連絡・事務通達として機能する飾り気ない情報コンテンツという常識的概念があったため、華やかさもなければフレンドリーでもない淡々冷徹とした造りが印象的だ。
 今でもソラで歌えるオープニングのテーマ音楽は、なるほど暗く激しく荒れ狂う雨風が迫ってくるかのような、何とも不快な緊迫感を呼び起こすもので、あれはあれで台風への注意喚起のひとつの手段として十分効くんじゃないかと回想する。
 正確なところは失念してしまったのだが『風の被害が大きかった例』『洪水が酷かった例』『紀伊水道を通ってきた例』『迷走した例』などなど毎回着目点を設定し、『いついつの台風何号がこれでした』『室戸台風、第二室戸台風がこれにあたります』みたいなナレーションとともに日本列島に、うにゅうううううっ…と通過経路の矢印が伸びて図示される。
 これに続けて暴風雨や被災状況の記録映像がついてくるのだが、何しろBGMも無いままに淡々と語られるナレーションと、実にアナログ式に手作業アニメで矢印が伸びていく様子が『見る者に恐怖感を呼び起こすヒューマンな真剣さ』の効果を出しており、子供心にこの怪談でもないビミョーな怖いもの見たさで楽しみに(?)視聴していたものである。そうだな、突然割って入る緊急地震速報や空襲警報の画面と音声とか、PL対応で製品回収を案内する深夜CMとか、アレ系の心象だったのだ。

 あのテーマ音楽をまた聴きたい、あの映像をまた観たいと思って検索するのだが、今のところヒットしたことがない。どんな大金持ちのお宅にもビデオデッキどころかテープレコーダーさえ無かった時代だからなあ…

 いま時々思うのは『台風と近畿』を再放送できないかということである。
 あれを観たら、意外と災害の注意喚起時に流される最新流儀の防災気象情報などに対する視聴者の感度が上がるのではないだろうか。
 怖いんだもん。でも何となく観たいんだもん。
 それで観たら観たで、少なくともそのぶんの知識は身に付くから、いざその時に国民が避難行動を起動する確率として落ちる方向には行かないはずだ。試してみる価値はあると思うのだが。

 もちろん『台風銀座』『台風シーズン』のような常識が普通に通用していた時代に、それを前提にした内容が組まれていたりもするのだろうが、視聴者の情報力もアップしている今どき、手間もコストも省いて余計な解説も付けずに、初回放送日をテロップで出しっぱにするだけで十分ではないかと思う。
 短時間の番組だしスキマ時間で十分、朝ドラみたく一日に何回か流すにしても大規模なスケジュール改変は必要ない。素朴なアナログ技術で組まれた必要最低限の質素なドキュメンタリー内容ゆえ、素直な興味を持って大勢の視聴者が集まってくるかも知れない。何度繰り返し流してもあんまり嫌がられなさそうにも思う。

 避難指示や避難勧告のメディア配信に対して、フェイクの疑いなど全く無いと判っているのに、住民が避難行動になかなか腰を上げない問題は昔からよく語られる。
 よく『自分だけは大丈夫だと思っている』『何だかんだで無事に済むと思っている』などのヒトの心理特性だとも言われていて、私もそれを否定するつもりはない。けれど『大丈夫だと思う』『無事だと思う』と書き落とす日本語よりは、もっと情報生命体の原理的に『怖い、危ない』の逃避衝動のスイッチが入らないからだと私は考えている。
 『それ一本に絞った簡素な真剣さ』の空気は、生物のROM制御領域として『怖さと同質の鬼気迫る緊張感』を起動するんじゃないかなあ。
 正常性バイアスなどと名付けて結論付けてみても、実際にそれを制御できなければどうしようもない。むしろ現象メカニズムを完全に解明できなくとも、何か制御に効きそうな操作を模索する視点での実用トライアルが必要なのだと思う。

 その瞬間マスメディアで流す映像や音声の情報コンテンツを少々派手にしたりしつこく頻出させたりしても、その一連の事実を理解する情報処理までは叶いつつ肝心の緊張感ROMが起動せず、ヒトは本能的に『怖い、逃げたい』とは思わない・感じない・反射衝動が起こらない。
 これでいわゆる『空振り』つまり現実の危険が来襲しなかったケースが繰り返されると、思考や理解でとらえられるが故に、派手系アピールの繰り返しには現実性が希薄だという経験的事実の方が、オオカミ少年式に学習されてしまう。逆効果なんだよ。
 ならば何とな~く薄ら寒くなるような関連情報を日常に流行させ、普段から『怖さ入力』の習慣として被災記録の知識を仕込んでみようという作戦だ。
 もし良好な状態で『台風と近畿』のフィルムが残っていたとすると手間もコストもそれほど掛からないだろうから、反応イマイチなら『失敗』判断で引込めて元に戻し、また次を考えれば良いとしてやってみる。いかがでしょうか。

 …と如何にも日本社会の防災をマジメに考察するかのような文章を書きおろしたのだが、私個人の最大の願望は『台風と近畿』をもう一度観たい、あのテーマ音楽を聴きたい、あのソフトなトラウマ快楽を味わいたい、そっちだと白状しておく。てへ。
 予測精度を向上させ、その情報伝達のスピードアップを追求し、視聴者への入力頻度をとにかく上げる。これはこれで正攻法だとは思うが、情報生命体としてのヒトの恐怖感・逃避動機のROM作動プログラムに命中させる視点のアイディアが、ブレークスルーになるんじゃないかなあ。

 今年はあちこち出掛けたい人がたくさんいると思われるが、残念にも悪天候に行き会わせたからといって強引な判断をして、せっかくの休暇に損害を出してしまっては本当に面白くない。
 来年も再来年も夏は来る。無理せず楽しむことを考えよう。のんびりグッドラック!
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【1186】焼け野原の再開発は時代刷新プラン実験場 [ビジネス]

 今日は原爆の日なのだが、さて財布の落とし物のトピックが片付いて…と。
 そう、私としたことが、よもやこんなミスをするなんて到底あり得ないのだ。

 あんまり偉そうに書くと次に失敗して幸運に恵まれなかった時が辛くなりそうなのだけれど、それにしても、いわゆる貴重品を失くすミスは比較的しないタイプだと思う。
 こっちにコレ!こっちにはコイツ!と定番の持ち方を自分ルールで決めているので、生活動作の節目節目でそれを再確認するクセがついており、そこで一瞬ドキッとしても『ん…っと?ああ、あるある』というのはしょっちゅうだし、ホントに失敗していたらそのチェック頻度で検出できるのが効いているようだ。
 今回も落としてから30分経たずに気付いたのは、運転中の車内センターコンソール近辺のアシスト座面に、いつも見えているはずの定番配置のテンプレ光景が追従しなかったためである。

 …と小難しく自己分析して、実はこういう領域の認知機能が極端にボロくなっているのだ。もう原因は判っていて、お察しの通りステロイド離脱症状である。
 8月に突入したので完全断薬から満10年7ヶ月、ここに到って情報処理機能のエラー作動の頻発が目立っている。皮膚はすっかり良くなった…訳では残念ながらなく、身体のコア芯で代謝された体組織は身体の厚みを貫通して体表面から廃棄されるため、その都度に全身のあちこち断続的に痒い痛い見苦しいの残症状を喰らっている。
 有難いのは、特に満9年半の昨年春あたりから、とりあえず顔が綺麗になっていることであり、これだけで随分と気持ちが軽い。頭の中で離脱過程が進んだぶん顔に症状が出る訳だが、断薬直後の離脱初期は顔立ちの基本構造からむくんで人相が変わった。
 見かけ商売でなくとも安心して普段の自分像で振舞えなくなり困ったのだが、だいたい9~10年で対面会話する人の視点で、自分の自信を持てる人相が戻ってきたかなあ。

 もっとも、今も微かな赤斑が顔じゅうを移動・出没しており、眉毛や眉間は深いところで痒いし、眠ると特に左は目やにが酷くて上下の瞼が接着されている朝もしょっちゅうだ。これまた随分改善はしたが特に左は高周波の耳鳴りが続いていて聴力も完全回復していない。
 離脱過程を加速させるための自分自身の随意操作として十分眠るようにはしているが、未明に突然目が覚めてしまう夜があるのは相変わらず、逆に時間を問わず日中に泥のような眠気に襲われることもちょくちょくある。一日の情報処理サイクル稼働として、就寝中にきちんと一回でデフラグ操作を完遂できず、覚醒中にも関わらず強制的にデフラグ再開しようとしているかのようだ。アタマの機械的制御が直っていない。
 判りやすく自覚するのはこの不安定なデフラグ起動なのだが、これ以外にかなりいろいろな情報処理の機能不全モードがあるはずで、どうにか問診での検出方策まで方法論化を編み出せないものかとも考えるのだが、自覚できるもの・できないものが自分では判別不能だし、そもそも現状の私の頭ではロクな思考も回らない。もどかしく困難だが、何か整理して紹介できそうならここで取り上げたい。

 こんなポンコツ故障の情報体に落ちぶれているグダグダの私なので、ああ~遂に財布を落っことしちゃったかトホホ…という自覚でいる。これが前回を書き始めた当初のテーマであった。
 さて今回は、結論を先に上げて話題を固定しておこう。

 円周上のあらゆる身体デバイス同士の通信が交錯する1Fリアル円フロア、
 その上層に記憶ファイルなどストレージ情報が交錯する2Fバーチャル円フロア、
 頂点から2Fバーチャル円フロアを透かして1Fの交信状況まで全て撮影しているハンディカムと、その画像を片っ端から記録に残す記憶ストレージ、これが私の提唱する『思考と記憶の円錐モデル』の構造だ【1171】~【1174】

 今の自分を観察するに、この頂点のハンディカムがやられており、レンズはあちこち曇って1F・2F各フロアの出来事を映せてないわ、映せたところでその映像を正確にストレージに転送できてないわで、情報検知は抜け洩れだらけの処理も記録もガッタガタ、こりゃもう何をするにつけミスのリスクがつきまとう。

 実は断薬直後からだいたい3年目ぐらいまでを振り返って、最初に全身が傷だらけの血だらけになっていた頃には、痛い痒い辛い苦しいと泣き叫びながらも、まだ円錐モデルは正常に機能していた気がする。
 ステロイド離脱の初期症状にやられ放題、雨あられの被弾情報でまさに戦場と化した1Fリアル円フロアをじっと静観しながら、それでもダメと判って楽器に手を出す瞬間があったし、複雑な演算をしない簡単な計算リストぐらいなら作れた。
 これが次のモードに大きく移行したのが満5年あたり。頭の中のケーブルを引きちぎられ、基板を引き抜かれて叩き割られ、全てを破壊されたかのような、情報機能体としてスクラップになった極めて苛酷な症状期である。この頃から、五感の検知入力を思考処理プロセスに乗せられずに何もかもをスタックさせ、途方に暮れるケースが激増した。
 顕在的症状としては、真冬でもひっきりなしに滝汗が噴き出して、まるでバーナーで顔や首を炙られるかのような凶悪な神経痛に襲われ、もちろん顔も体も傷や出血はまだまだ残っている。脳や脊椎に離脱症状の中心が移行したのだと思われる。

 以前に私が『球体式戦略思考術』として、人体を球体に模すと球の表面から順に離脱が進んでいくという考え方を提唱している。情報構造としての円錐モデルに対して、ハードウェア構造としての身体の離脱過程モデルである【381】
 ヒトに限らず生命体の基本構造として、外界検知や運動出力を司る感覚器や筋肉などのパーツが外層側、それらを適宜に統合的に協調制御する脳神経系回路網が内層側に配置されているから、つまりステロイド離脱の後半は情報系サイコなトラブルが目立ってきて理に適っているのだ。

 今般の財布遺失事件は、まあ日常に無い特殊な条件下だったとはいえ、通常私が張り巡らしている情報処理セーフティネット=『注意力』がぽかんとその時OFFになっていたのではないかと思っている。せいぜい十数分でこれが再起動する瞬間があって、運と人にに助けられ事態を修復できた訳だ。
 ステロイド離脱の後半戦に入ってからかれこれ6年近く、この『注意力』『集中力』などの目まぐるしい一時性故障に悩まされ続けながら、世間一般的に『注意力』『集中力』などと呼んでいる精神力アイテムの概念って、案外と的外れのイメージだぞ?と考えるようになった。

 『フィジカルな肉体 vs メンタルな精神』のふたつの対照的なヒト型3Dデータが、SF映画のCGみたくすう~っと二重に重なって一致してヒトになっていて、そのメンタルな精神データの方に『注意力』『集中力』が宿っている。ちょうどフィジカルな肉体を鍛えて『筋力』『持久力』をパワーアップさせるのと同じく、メンタルな精神も『注意力』『集中力』を鍛えてパワーアップすることができる…
 割とポピュラーなこの感覚は、実は1Fリアル円フロア上のイチ要素でしかない骨格・筋肉構造の特性を、神秘の空想ブラックボックス『精神』ひとつにドカチン転写し、深く考えず同一視する習慣を普及させただけのものではないだろうか。

 変なタイミングで財布を落としたので、広島原爆の日がこんな話になってしまった。
 この夏、広島を訪れる方は福屋デパートを御覧になっておいてはいかがだろうか。当時の写真も残っているが、原爆投下で焼け野原になった広島で福屋は焼け残った。
 何しろ街の構造物が軒並み崩れ落ちて瓦礫と化し、広島の家の址(あと)を確かめに行ったら遠く山のふもとまで見通せたと私の母は語っており、そんななか原型を留めて立つ福屋の建物が強く記憶に残っているという。

 まあ完膚なきまでに破壊し尽くされても、生命力が残っていれば元気を取り戻せるということで、この私もえっちらおっちら頑張るとしよう。そしてせっかく元気になっても、油断して健康管理を怠ると何十年も不調に喘ぐ展開に逆戻りだ。
 78年経った今、崩れ方は違うが我々はここから元気を取り戻さねばならない。

 まあ美味いもの食って、たくさん見て回ってください。充実の時間にグッドラック!
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【1185】愛用品のプチ家出と再会のセキュリティ作動環境 [ビジネス]

 先週、何十年かぶりに財布を落とした。例によって数時間後には戻ってきたのだが。

 落とし物・忘れ物をやらかすにしてもモノが財布となると重大だからテザーをつけてあって、間違えて手を放してしまってもぶら下がるようにしてある。車に乗る時は左手で引くパーキングブレーキレバーにその輪を通し、前後左右の走行Gはもちろんのこと、荷物や乗員の昇降に紛れて車内から転がり落ちることが無いようにしている。なのに。

 その日は頼まれて、珍しいことに他人の車を私ひとりで運転していた。そしてまずここで、今やすっかり普及が進んだ足踏み式パーキングブレーキの車種だったので、テザーの輪が掛けるに掛けられず財布がシート上に転がっただけになっていた。
 車を預かって乗り始めて数百メートルでシートポジションとミラー角度が直したくなり、朝方の空いた郊外道路だったのでちょいと左へ寄せて一旦停止、シートとミラーを修正したまでは良かったのだが、ここで何故か後席に置いた自分のカバンを運転席から振り返って簡単に手の届くところに置き直したくなったのである。
 車内で半身を捩ってもがくより早いかと、一度降車して左後ドアを開け、車外から上半身を突込んでカバンを置き直し、再び運転に戻ったのだが…

 10分20分後あたりで交通量の多い幹線道路を走行中、そういえば引掛けてないけど財布どこだっけ…と気になって、すぐ横道に出て路肩に停車して車内を捜索。そう、不安や心配事は速やかに解決し、常に安定した精神状態で運転する心掛けが無事故安全の秘訣なのである。
 ところが不安的中、やはりどうしても見つからない。
 車のドアを開けたのは、シートとミラーを調整しカバンを置き直した時の一回だけだから、乗り込んで走り出した時とそこ以外に可能性は無い。

 すぐ車の預かり元に連絡してその旨を話したら、了解それはタイヘン、すぐ探してみるよと動き出してくれたため、私自身はもう任せっきりにして計画のスムーズな消化に専念する。
 果たしてその後、やはり路上で落としたと見られ、ちゃんと警察に届けられていて受け取りは本人でないとダメなんだって…とメッセージが着信。御丁寧に拾得物預かりの電話番号も知らせてくれたので一報入れて、現物の確保が間違いないところまで特定することができた。
 あらあ~警察にまで連絡入れて調べてくれたんだ、さすが有難い限りだがゴメンナサイ~と、せいぜい小一時間でのソッコー解決となり、私もそのままタイムロスなく走り切って用事を済ませ、当の警察署に出頭して何もかも元通りに収まり一件落着である。
 恐らくは車道の端っこに落としていたはずだが、見つけて拾って届けてくださった方は車で通りがかったのだろうか。時刻と拾得状況を警察で記録に残してもらったのち、名前も告げずに去って行かれたのだそうだ。さすがは日本、こんな空間に暮らせる価値ってどれほど大きいことだろう。

 財布を落としたと判明したその瞬間も、あの心臓が縮み固まるような緊張感に苛まれつつその場から慌てて引き返すような気分には、微塵もならなかった。品が良いとされる現場の土地柄もさることながら、何よりここは日本だ、事なきで解決できたはずなのに独り焦って交通事故を起こしましたでは悲し過ぎるな…とそっちの計算思考が自然に湧いてきたのには我ながら面白かった。
 私がトシ喰って厚かましくなったのはあるだろうが、他国じゃまずこうは行かない。

 それにしても私としたことが、よもやこんなミスをするなんて到底あり得ない。
 本題はそっちなのだが、財布の落とし物ネタがひとつ寝かしっぱなしになっているのを思い出したので、今回は横道で先に消化しておくことにする。

 もう10年くらい前だろうか、確かゴールデンウィーク突入早々あたりのことだ。
 ちょいと自家用車で出掛けて交通量もすっかりガラガラ閑散の休暇モードになっている街ナカの幹線道路を走っていたら、大きな交差点の一角に目立つピンク色の財布を発見した。
 停車して拾ってみると間違いなくお財布、しかも内容物は結構詰まっていそうな、名のあるブランド高級品と見受ける。おやまあ何の御用でこんなお方がこんなところに?と大きな御世話の疑問を抱きつつ、最寄りの警察署に直行である。

 さすがゴールデンウィーク初頭というか、20代の首都圏のお嬢さんのIDカードとその他数々、現金は20万円以上も入ったどえらい内容であった。今も私の拾得物における圧倒的な最高額チャンピオンであることは間違いない。
 ゴールデンウィーク期間を目いっぱい楽しむつもりで準備したのが明らかで、この娘この瞬間から、どんな気持ちでどうやって過ごすんだ…?
 だが困ったことに何枚も入っていたカード類には御本人の携帯電話の番号が記載されたものが一枚もなく、警察署のその場から連絡をつける手段が無かったのである。止むを得ない、早く御本人さんが気付いて警察に一報入れて財布と再会し、せっかくのゴールデンウィークを心置きなく楽しんでくれることを祈るばかりであった。

 私の携帯が鳴り、くだんの警察署から連絡取りつぎの打診が来て、当の持ち主嬢から元気で丁寧な御礼の言葉をいただけたのは、ゴールデンウィークが過ぎた数日後。
 はっはっは、いや~ここニッポンでは大事なモノ落っことしても手付かずで戻ってくると相場が決まってるんですよ。これからは大事に持っててあげてくださいましな。
 せっかくのお休みの出だしが想定外でタイヘンだったでしょう…と余計な質問をしたら、落とした直後もそんなに不自由せずに切り抜けられていましたとのお返事で、とにかく良かった良かったと大笑いのハッピーな幸せ通話は終了、ちょうどその夜に近所の友人と飲みに行ったのでこの話題を提供したら、彼がぽつりと漏らした。

 『その娘もいつか財布を拾ったら、必ず届けるなあ』
 …あ、なるほど。確かにな。

 根強い日本消費現場の現金主義だが、多くの日本人が情操整備を確かめ合って暮らす限り、電気も食わなければソフト更新も不要な、こんな相互保障空間でのカネ所有とID証明が可能なのだ。これ、何もかもデジタルうんたらでスマホに仕込んでいて路上に落とし、見落とされて車に踏まれていたら取り返しのつかない大ゴトになっていた。

 いま日本経済は低迷の一途であり、当時に比べて高額・重要な遺失物が無事に持ち主に戻る確率は下がっていると思う。自身の暮らしが一般的日常の最低限を割り込んでいる人間が増えれば、悪意は無くともそういう傾向にはならざるを得ない。
 それでも、まだ日本社会はお互いさまのお陰さまで、事業費もかけずにこの夢のような社会機能を実現している現実を改めて実感した。日本に生まれて、日本に暮らして、日本人で本当に良かった。

 子供の頃の教え通り、名前と連絡先を付けておくのが今どき必ず良いことかどうかは状況次第の判断が必要だが、遺失物との再会はいつも本当に嬉しい瞬間である。
 この夏のお出掛けで落とし物などしないように御注意を。ガチでグッドラック!
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