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【1166】ニッポン積年ヤケ酒のカウンセラー救命隊 [ビジネス]

 このところ物騒な事件が続いている。子供の頃たまに通り魔式の無差別大量殺人のニュースなどが報じられることがあるたび『アメリカは怖いねえ』などと言っていた時代が懐かしい。
 まさに北米なんかは、チャンスの国であると共に自己責任の国だから、チャンスを求めて北米社会の一角に住み着いたはいいが、それ相応に実力と実績が伴わないと、社会の仕組みとして誰かが手を差し伸べてくれる保証はない。実際、世間で騒がれるほどではないにしても一応にでも成功できるヤツは過半数を割っていると思われ、成功できなかった残りは、結構な確率で飢えた貧困層として社会に定着する末路となる。

 実は先住民もいた広大な北米大陸を、一方的に『未踏の新天地』扱いで欧州対岸の東側から西方向へ文明の利器で侵略して今のアメリカ合衆国の広さになっている歴史があるため、護身も自己責任ってことで銃の所持も許されている、いや許さないと呼ばれて誰も守りに行けないケースが多すぎて、北米国民の護身が成立しない【1043】
 こんな社会構造において、国家社会の治安維持のための緊急現実解として『国民全員に10万円を配る』という、経済原理を無視した強行案も出てくるという訳だ【850】

 もちろん国の財務負担はどかんと増えて、その後のやりくりはタイヘンになる。何の有価物品とも交換せず国民にカネをばら撒いた以上は、そのぶん国民にとってただの搾取として、いずれ国民からカネを取り返さなければ通貨経済ループの平衡バランスを復元できない。
 こんな荒業は国家財務の基礎体質として、イチに高収益性、ニに資産の貯蓄、このふたつが揃っていなくては単なる自殺行為に終わる。
 むむ、さすがはチャンスと自己責任の経済大国・北米…と思っていたら、まさかのまさかで万年ジリ貧のサル山帝国ニッポンがこれをマネてしまった。
 国内産業が腰砕けになり『収益性』どころか雇用確保のため公金補助で赤字延命する『ゾンビ企業』だらけ、『国家資産』といえばカネ計上だけで泣く子も黙るマイナス1千兆円。赤字尽くしの一方で幸運なことに銃が普及していない、そんな日本社会で実に軽々しくも迂闊に、ばら撒きのところだけ、だらしなくも猿マネをしてしまった。

 後世の義務教育の教科書に載せるべき日本国政の歴史的な大失敗であり、これで理性のタガの外れた日本財政は、自暴自棄の狂った散財体質を際限なく加速させていく。
 あぼん世襲のガキのダメノマスク押し売り商売なんか、現実を見知っていなければ、乳幼児向けの絵本の中の出来事としか思えない。

 さて冒頭のニッポン物騒化のハナシだけれど、まずは殺人だろうが強盗だろうが、やっちまうヤツはやっちまう、これは昔も今も同じだと思う。
 一般大衆向けの報道にしても、国家運営層向けの対策指南にしても、識者と称する無知無能の漫談屋が、さも専門知識を駆使した理屈を立てて解説したかのようなテイで何か発信したところで、全ては悲しいくらい完璧に的外れである。そんなものが多少でも当たっていたら、一般通念で生きる誰か他人に、殺人や強盗をロジカルに説得して思い立たせることができるということになるからだ。
 泣いたり愚痴ったりしながらも一応社会で生きていようと思うようなフツーの小市民から手の届かない領域の動機は、特殊すぎるので少数派として置いとくとしてだ。やはり殺人や強盗などキホン準備も実行もその後も、たった一度の人生を台無しにするほど面倒くさいことになるのが判っていて一線を越えてしまうのだから、そのGO衝動に実効性の対策検討の余地があると思っている。
 早い話が『鬱憤を晴らして面倒なことになるくらいなら現状維持がマシ』の原理だ。

 暴発した『鬱憤』を晒し者にすべく『卑怯』『卑劣』と陳腐な台詞でけなすより、
 あるいは『面倒』が凶行を思い留まる心理ブレーキとなるよう重罪化を図るより、
 『維持したいと思う現状』の社会品質を実現する方が遥かに低コストで建設的だ。

 ここ最近、家人が在宅中のところを確かめた上で強盗に押し入ったり、防犯装置の設置と反応を承知の上で高級品や自動支払機を狙い撃ちする事例が散見される。
 法治社会における『犯罪』にもいろんなパターンがある訳だが、いま日本では明らかに貧困国の犯罪パターンが新たに増えてきているように思う。その反面、古典的な空き巣狙いなどが減ったりはしていないと思われ、かつて『女性が夜道を一人歩きできる国』『自動販売機が無人エリアに並ぶ国』として、安心安全を世界に誇っていた日本治安事情は今や見る影もない。

 『銀行と酒屋の窓にごっつい鉄格子が嵌まっている区画は、貧困層の多い居住区だから危機検知の感度を上げること』というのは、北米を車で走っていて現地赴任の同僚から聞いた注意事項である。
 酒好きの私としては納得するやら戸惑うやらなのだけれど、まあ確かにそういう場所柄の街角では高級ブランド店なんぞ最初から建っていない。日本社会の光景も、いずれそんな経済事情を反映した陰影分布の絵柄になるのだろうか。
 まず狙われるのは『カネ』、もしカネがあれば当面はどうにかなるのに、そのカネが無くてこみ上げる不安や不満を刹那に忘れるため『酒』の順番ですかね。なるほど麻薬を別にした合法ゾーンだとそうなるか。
 これだけ日本社会の庶民生活の貧困化シフトが明らかで、それでもまだ国会では庶民層の国民負担率を上げようとする=庶民層からカネを召し上げる話ばかりしているから、まだしばらく安心安全の日本社会の深層崩壊は進むと思われる。

 大きく見ると、ウチワのカネ欲しさに『閣議決定』とやらで宮古島ヘリ墜落事故をやらかし、こんなものを毅然と処置して、判明・特定済みの『閣議決定』の犯行グループ摘発にも動けない日本社会だからこそ、『閣議決定』で野放図にやらかす経済損失がいつまで経っても止められず、その結果として遂に貧困国相当の粗悪な治安クォリティにまで落ちてきたという因果関係になるのだろう。
 ある意味…というか、かなり直接的に、在宅中の押し入り強盗に遭って殺された一般庶民たちも、宮古島で亡くなった10名の自衛隊員たちも、社会組織の未熟で幼稚な運用失敗の犠牲者としては同じである。
 そして最新情報網を駆使して『現地集合・現地解散グループ』でアシがつきにくくする当代流の組織犯罪も、『閣議決定』の犯人リストをだんまりの政府に、上から下まで箝口令にひれ伏すフヌケ自衛隊のサル山組織犯罪も、法治社会のだらしない運用放棄の実態を突いた作戦思考としては同質のものである。

 『正しくなければ死ぬ』と言った。正しくない日本国は、なけなしの元気な若年層の活力を国力回復に使うこともできず、哀れ日本人は共食い状態に陥り、日本列島の箱庭の中で自滅に向かうばかりになっている。
 何だかんだで選挙がそんなに遠くない雰囲気なので、次の選挙でまた一段改善を進めていくのが、まずは起死回生の実効解だ。無理せず一度に叶う歩幅で構わないので、着実に踏み固めながら進めたい。
 日本国組織の本能に『正しい』理系安全衛生の管理意識を叩き込みましょうぜ。

 失敗したら、真っ先に『間違い』の原因と過程を公開して仲間に意識づけ【1161】、迅速に対策を打って現状を『正しく』改変するのが筋だ。これを日本語で『改正』と表現し、つまり日本国は『組織改正』の時期を迎えている。
 右傾インチキ詐欺与党が口走る『ケンポー改正』は誤用の妄言なので、念のため。

 いったい何の業務目的で、何の現場作業をやらせて熟練人材を10人も死なせた?
 おかしな『閣議決定』をやらなければ、10人は今も無事に勤務していた。
 10人死なせた『閣議決定』をやらかしたヤツらはどいつらだ、と訊いている。

 このところ不祥事を連発している政府だが、『謝罪声明を出せばそれで処置が済む』と勘違いを決め込むナメた態度があからさまで、この甘さタルさを許してはならない。
 謝罪で済まねえよ、失敗したら公開で対策して再発防止するんじゃ、どあほ。

 被害を被った国民の皆さま、その対応も次の選挙も好結果に響くよう、御幸運を!
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【1165】熱血急造組織の凋落時代劇 [ビジネス]

 長いことNHK朝ドラの話をしていないのだが、今クールの『らんまん』も引き続きちゃんと観ている。なかなか面白いと思う。
 熱中するというほどではないが、他の森羅万象・よろず関心事と等しく、私は植物にもそれなりに興味は持っている。草木の緑がある景色は大好きだし、手間のかからないやつをちょっと手元に置いてみようとトライしたこともあるのだが、何故か植物との相性が絶望的に良くなくて、とにかく私の手に落ちた植物たちは確実に枯れる【481】

 今どきオリジナルの世の光景の、面影だけでも見覚えている日本人が絶滅しているからなんだろうが、昨今の時代劇は時代相応の雰囲気がすっかり消え去っていて、登場人物たちが次の瞬間ふところからスマホを取り出して話し始めても、違和感なく気付かずに観続けてしまいそうな絵になっている【1044】
 まあ我々昭和世代の記憶にある時代劇映像を忠実に継承したところで、貧乏くさいし暗いし不衛生っぽいし、そもそもからエンタメ作品にならないかな。和式の着物を脱ぎ捨ててそのままファッションショーに飛び入りできそうな、今風の洗練された顔立ちと体形の役者さんたちが大勢いるから、少々身なりを粗末に崩させて廃屋みたいなセットで立ち回らせたところで、かつての枯れた時代劇の寒々しい空気にはならないか。

 細かいところは機会を作ってまた改めて掘り下げるとして、この『らんまん』は現代オオヤケ社会の仕組みが日本に未整備だった時代に、社会層別にどんな生活慣習で人々が暮らしていたのかを伝えようとする姿勢が感じられる。
 そんな中、恐らくLGBT権利議論の追い焚きで火勢が強まった、昨今の男女の権利意識が反映されたものとも見えるのだが、酒蔵が『オンナは汚い』が故に女人禁制とされていた業界文化を語るシーンが出てきた。
 酒蔵の娘として育ち、早期に酒造りのセンスにも経営マインドにも光るものを垣間見せていたアヤ姉さまなのに、どうしても酒蔵に入れてもらえない。ついつい少し踏み込んだら見つかってこっぴどく叱られ、杜氏たちが厄払いの儀式で酒蔵を除染する始末である。
 劇中ではこれ以上のストーリー展開が無かったため、いわゆる『男尊女卑』の慣習がまかり通っていた時代って、いかに酷くて女性の才能を活用する遥か手前で無碍にして取り合わなかったもんなんだかねえ…と、そういう印象が残る場面だったと思う。
 コレ意外と広く普及していた概念のようで、例えば一般家庭の日常生活においても『オンナは汚いから、入浴はオトコから先に済ませる』とする慣習など珍しいものではなく、私自身が高度経済成長期でも時々耳にした記憶がある。

 日本酒が米の発酵過程に使う微生物つまり『麹(こうじ)』は、虫キングならぬ微生物キングのバトルフィールドでは戦闘力レベルが随分と下の方で、他の雑菌が紛れ込むと負けて喰われて滅んでしまうケースが多いのだそうだ。もちろん酒造りの仕込み作業が水泡に帰すことになるワケで、現代でも酒造に関わる職人さんたちは納豆を食べないどころか、近寄りもしない。酒造りに関わる身として、自分のウチソト両面くまなく雑菌を遠ざける管理意識が徹底されていると感じる。
 便利で高機能な生理用品もなかった時代、女性はどうしても自分の身に衛生的なコンプレックスを背負いがちな精神土壌が自然発生しており、どこまで本当にオンナの身の周り事情が酒造りの支障となって損害を出したのかはともかく、現場の堅い経験則として『オンナは汚いから酒蔵には入るな』と規則化された可能性は十分にあるはずで、そのあたりまで視聴者に考えさせる内容をいずれ期待したい。

 タイトル通り、卑しくいやらしい世間ずれと別世界で育った無縁なワカが、天真爛漫に知的好奇心の赴くまま、いろんな社会層を飛び越えて、自分の興味を現実に昇華していくところがメインテーマのひとつになっていると見受ける。
 人間は放っておくと自己保存のDNA稼働として、
 『誰にくっついとけば=言う通りにすれば、安心して過ごせそうか』
 『安心して=ラクチンに過ごすには寄らば大樹の陰なんだが、その大樹は誰か』
みたいな、なんとも他力本願っぽい思考展開の下心的動機が避けられない。ただこれをそのまま原始的に奔走させると、サル山組織原理に基づいてサル山組織構造ができあがるだけなんだよな。

 『誰の言う通りにすればラクチンか』のDNA、前回述べた通りこれは文系人種の『正しさ』であり、こんなもの人間の場当たり気分でどうにでも変わってしまう。
 『誰』も『ラクチンに感じるジブン』も所詮は人間個人であり、体調や心境であらゆる価値基準も思考フローも激しく変動する。
 これが原因で起こる失敗に対策するため、複数の人間で一定の判断基準をなりゆき共有したのが『慣習』であり、さらに精神環境の急変にさえも惑わされないよう文章化して、物理的に維持管理したのが『法律』とする考え方が成立するのではないだろうか。
 『慣習』も『法律』も、気紛れなヒトDNA行動コマンドがおかしな事故を起こさないよう『ヒトDNA特性を社会運用に適合させるにあたり最適解はこれだ』と時間をかけて理知性を尽くし皆で判断して、『組織として共有し』『組織として記憶する』という目的を持った『情報ツール』であることを再確認しておこう。
 ただ『情報ツール』なんだから、せっかく持っていても意図的に使わずに、理知的でない状態をそのまま放置する選択肢もあり得てしまう。人工知能ならこんなベタでポンコツな実行エラーは無いんだけどね。

 朝ドラ『らんまん』は、まだまだ国家知財としての自然科学も手付かずで、法律そのものもその運用も未発達だった日本社会において、良くも悪くも剪定されずに伸び放題で来たワカが、気の利く敏腕の相棒タケオくんのサポートを得ながら、社会組織枠の構造強度に支えられたり笠に着たりで生きている俗物ヒト社会と巻き起こす相互作用が、テーマとして意図的に見えやすく描かれていると思う。
 この時代、近代国家としての日本国組織の構造が一夜漬けの突貫習得で作り上げられている最中みたいなもので、やたら強権的だったりアラが目立ったりもする公的組織の方も、てんやわんやの試行錯誤で成長過程…いや形成過程の真っただ中だったのだ。

 国際社会において、弱小国として欧米列強に好き放題に利用されることのないように、国家として知識をつけ機能を備え強国の格式を整えるため、優秀者の特命チームを結成して、日本は寝る暇も惜しんで近代国家の構築に明け暮れた。
 ここがあまりに急だったために、前時代式の文系的な『正しさ』の精神文化が、社会組織の基礎にこびりついて残ったのは間違いない。だが当初は手探り状態の大騒ぎだったにせよ『他国の食い物にはされるまい、強く賢い国になってわたり合いたい』と明確な国政の課題めがけて一直線に走って、走れて、曲がりなりにも先進国の仲間入りまで叶ったのである【429】
 そんな生い立ちの日本国運営機能はいつの間にか当時の課題意識をすっかり失い、今日においては、経済を始め現存の文明社会システムを軒並み崩壊に追いやり、将来の日本国の国家像が描けないくらいにまで底知らずに日本国を弱体化させて、それでもまだ反省も改心もしない。

 国民を一度に10人も死なせた国政の、どこに危険予測の見落としがあったのか?
 『正しくないと死ぬ』と言った。正しくなかったから死んだ。
 どこが正しくなくて、では、どこをどう正しくするのか。もう死ななくなるのか。
 1億2千万人で共有する国政なら、1億2千万人で再発防止の協力体制を組むのだ。

 続報を待つにあたり責任筋に無理な切迫感を煽って、早く開放されたい一心の不正やミスを呼び起こしてしまってはどうしようもない。宮古島から回収されたヘリコプター事故機は、フライトレコーダーが機能喪失せずに残っているようだから、とにかく当該業務を熟知し、能力と責任を背負って組織を駆動している実力者の第一声を待とうか。
 台風2号も来ちゃいそうだし、二次災害阻止の厳しい決断が必要かも知れない。
 くくれる腹は迷わずしっかりくくって、残作業も安全第一で無事故の御幸運を!
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【1164】人工でない知能の文理仕様差チェック [ビジネス]

 う~ん、今回はどこからハナシを始めようか。
 このところ日本国が潜在的な弱点として抱えていた『民主主義法治社会=ロジカルな社会運営を装いながら、実は何の根拠もない権力の好き放題やり散らかし。結局のところでみんなしてそれを認め合って同調してしまっている』という国民的オモテウラ体質に、本格的な変動が起きているように見える。いいコトだよ。

 そうだな、例えばいろんな人がごく普通に『正しい』という表現を使うけれど、改めて『正しい』とは具体的にどういう意味なのか考えてみていただきたいのだ。

 いやらしくも先にイチ抜けで逃げてやれ。
 理系人種の言う『正しい』は、世の中の出来事を一定の規則性で把握しようとする姿勢がまずあって、その目的を阻害するような現象や行為を指摘する局面で、本来こうあるべきだ!と述べるにあたり持ち出される日本語だと思う。
 水の沸点を確認したいのなら、お鍋に水を張って底から加熱するとして、とりあえず故障なく間違いないものとして使えている温度計の感温部をちゃんと十分な深さに浸けてやって、温度表示の指す数値を素直な視射角でありのまま読み取る。
 温度計の感温部が鍋の底にごっつんこしてたり、逆に水面に触れるか触れないかのちょび浸けだったりすると温度計にとっては『正しくない』作動になってしまう。水銀柱式の温度計だと、もちろん面直方向からの視射角を前提に目盛が表面に刻印されているから、それを理解してその通りに読まないと『正しくない』読み値になってしまう。

 『正しい』とは、ヒトが構築した理知性の世界観に沿って『現実』を把握しようとする時、森羅万象この世の道理に従って、妥当な見解が得られるかどうかだと定義することができると思う。
 地球がこの宇宙空間の原点・中心であるとする天動説は、モノとモノの間にどんな運動が起こるのかの観察と分析を重ねて次々と『正しくない』検証結果が判明した。
 いっぽう地球なんぞ宇宙空間のとあるイチ要素に過ぎないとする地動説が提唱され、これに照らすと天動説が『正しくない』理由が判明し、いっぽう地動説は『正しい』として何事につけ読みハズシや原因不明の失敗を呼び込まないことが判ってきた。今どき天動説を論拠に天文学や宇宙航空技術を語る人はいないだろう。
 『現実の展開』を何か物事の計画から実行でなぞっていくにしても、天動説の世界構造を前提とした因果思考では物事の辻褄が合わなくなる。天動説は『正しくない』、そしてこれに代わる地動説は『正しい』のだ。

 では文系人種が言う『正しい』とは何なのだろう?
 社会学的・語学的にどこまでマジメな理屈が構築できるのかはともかく、少なくとも現状日本社会の上から下まで事実上の実態となっているのは『誰かさんの言う通り』ではないだろうか。つまり基準が定まらなくて『誰かさんの都合』がどうにでも『正しい』という扱いの枠にハマり込む。
 その『誰かさん』になりたいヤツがいたりいなかったり、なりたいヤツがいたとして理系的に正しかったり正しくなかったり…と事情はいろいろなパターンがあるにしても、結局は『誰かさんの言う通り=正しい』としてそこまでなのが文系思考だと思う。

 ポイントは、『正しい』としてわざわざに目指す方針の拠り所として、
  理系=いったん情報化され全員が納得した基準=民主主義の組織運用原理
 が成立していることに対して、
  文系=個人の思惑に沿うか沿わないかの基準=独裁主義の組織運用原理
 に終わっていることだ。

 あらかじめ断っておくが、別に文系思考が未熟で望ましくないと一概に否定するつもりは無い。いかなるやり方にせよ、優れた個人の思惑が無駄な時間をかけずに組織運営の現実に反映され、みんながそれで不満なく暮らせるなら、文系思考の『誰かさんの言う通り』は大いに結構、幸福な社会組織のイチ形態として何ら非難されるものではないということになる。

 だからなのだが文系人種は文系思考で行くのなら、組織上層に立って『みんなが納得する幸福な社会』を個人として完結させられる『誰かさん』を、いつも社会組織のどこかに作り出し、育て上げ、間違いなく『正しい』規律を社会に布く立場に継続的に座らせなければならない。
 その特別な人を選出しないできないで放置していると、例えば交通死傷事故が起こった時に、事故現場の当事者たちの中で最も激しい感情と圧倒的な腕力を備えているヤツが『誰かさん』として作用し、そいつの瞬間的な激情で『正しい』現実が決着する。

 えー、それって『正しい』のー???などとおっしゃるなかれ。
 その結末で事故という事実が残処理も発生させず、一人も文句を言わずにその先の時間が動き始めるのなら、『正しい』っちゃ『正しい』のだ。関係者の何人かがやりきれない悲しみに暮れても、繰り返し思い出しては再沸する怒りと悔しさを持て余すほどの重度トラウマに陥っても。人の世の世界基準はそういうもんなのだからしょうがない。

 『正しい』という日本語は、キホン人間が自分ひとりの在りようを管理する、絶対的・自主的な法則性を指すというよりは、案外と相手や社会空間あっての、物事の表面的な姿の共有で決まる機械的なコトバなのではないだろうか。
 『メンタルにお行儀良くて清楚』というおセンチ心象の方がついつい日本人の判断力に効いてしまいがちなのだが、いざ行動決定に顕れてくるのはもっとあやふやななりゆきの不出来な現実だったりする。

 昨今の日本社会のダメっぷりの主要因のひとつとして、『正しい』という日本語の誤用が横行している事実があると思う。
 具体的には、日本社会で『美しい言動』を演出するために『正しい』という日本語が濫用されているものの、その実態は『個人の言う通り』でしかなく、その個人の席に収まるために既存の社会運用規則で根拠づけるという順番になってしまっているのだ。

 実はどんなに落ち着いた優秀な人格者でも、意識の外側から不意打ちを喰らうと、その優秀な情報処理能力と行動規範が通常通りに作動しなくなることが多い。
 前にも述べたが、意思決定フローチャートにおいて判定基準値が決まれば絶対にぐらつかない人工知能とは違い、人間は恐怖や困惑にいともあっさり屈服し、気紛れなエラー出力をしてしまう。
 前回述べたような、本能の底の底で失敗を嫌う、特に損害を発生させた失敗との縁故を意識の外に追い払うかのような、人間としての作動原理もここに強烈に作用する。

 この難題に、思いつく限りの使える手を使い切って、人智を尽くして真っ向から組み合い、この世で実現する限界まで理系思考式の『正しい』仕組みを作ろうとするのが、重保現場の安全衛生の管理業務だと思っている。

 『正しくないと死ぬ』からな。この一文に辿り着きたかった。

 ゲロ舐めクソ舐め烏合マスコミがサル山祭りの囃し立てに夢中だが、広島の原爆をもう少し『正しく』扱えないものか。その浅はかな茶番の光景には呆れかえる。
 戦勝国の戦死者は苦痛なく穏やかに息を引き取り、御遺族に喜んで見送られたとでも言うのか。その立場の国々の国民にとって、各国代表を広島に集めて御満悦の軍拡ニッポンはどんな印象に映るのだろう?

 直接の戦禍の被害者でもない私に『正しい』口調で批評をする権利などないか。
 余計なコト言っちまう前にお開きだ、窮屈な思いの広島の皆さんにグッドラック!
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【1163】仇討ち交通安全の格闘技試験合格ライン [ビジネス]

 さて、まだ宮古島ヘリコプター事故の話題を続ける。
 何だよコイツしつこいなあ、すっかり面白くないどころかイヤミになってきてるのも判んねえのか、もう読んでやらねえぞ…とおっしゃる方々って、実数どのくらいおられるんでしょうね。

 その感覚は正常…というか、正しいかどうかはともかく多数派の平常である。
 多数派であるからには、その傾向が社会組織スケールの自我に反映されることになり、だから事故の再発防止は難しく、その必要性を理解してマジメ一徹で取り組むのにも結構な負担が避けられない。
 特に厄介なのが、事故発生後の人間の心理ファクターではないかと思っている。

 具体的には、事故の原因を作ったり、事故に到る経緯にコトを導いたりした人間が、その現実を認めたくないが故に、知っている事実を隠したり、事実と食い違うウソの証言をしてしまい、原因事象の発動から事故に到るまでの現象メカニズムが正確に把握できないのだ。

 どんな事故が起こったのかにもよるが、関係者の何人か=自分が暮らす社会組織の一定ボリュームが不幸な損害を被った事実があり、その再発を避けるために組織内で申し合わせをしたいんだよな。
 『自分が身を置いて世話になっている組織の改善』という立派な目的がはっきりしているのに、ヘタ打った個人は『かくかくしかじか自分のせいで事故が起きた』あるいは『起きたかも』という現実をひとり胸の内にしまい込んでしまう。黙ってとぼけて一件落着の解決なんかするはずないのは百も承知で、それでもなお組織が事故にまつわる関心を風化させ、自分のせいだと特定されないまま事態が減衰・発散する流れの方を選んでしまう。

 真剣に調べ上げたことはないが、社会全域で発生する事故の総件数のうち恐らく半分以上で、事故現象のピタゴラ因果の第一手を加えた個人に『悪意』『敵意』『邪心』なんて無いんじゃないかなあ。
 いわゆる『過失』であり、そのつもりもなかったのに事故になってしまった。圧倒的にそっちだろう。

 ということは、包み隠さず偽らず社会組織の裁きに身を預けて完全に事態を紐解けば、それで最善の決着がつくように、社会組織の仕組みは工夫されている。
 確かに当人に第一手を加えた事実と自覚はあるが、人並に平和な日常を送っていただけのイチ個人の、偶然の袖の触れだろう…という事実認識が検証され共有され、その事情が酌量され後始末に反映される。
 そこまで解っているのに『人間』という情報生命体の特性は、我が身のしでかした我が事が、結果として社会組織に損害をもたらした事実を、とにかく認知したがらない。いかなる関わり方であったにせよ、悪気ないことを解ってもらえるにせよ、自分のその一手さえなければ損害は出なかったという負い目…なのだろうか。

 さて恒例の横道に入るが、もう20年近く前になるかなあ、観光地としても有名な東南アジアのタイが急速な経済成長と工業発展の時期を迎えていて、一般国民の年収は毎年何割マシの右肩上がり、同時に自家用車の普及がえらい勢いで進んだのだそうな。私自身はタイには一度も行ったことが無い。
 こないだまで国家規模の自動車交通網の日常なんぞ考えたこともない道路は、つまり全く『交通整理』されていない。必然の結果としてあっちこっちで接触・衝突が頻発する訳だが、道路交通法なんか整備されていないため警察が間に立っても誰にどれだけ非があるかの会話が成立せず、決着不可能な路上のケンカがその場のなりゆきで起こっては消え…が日常茶飯事の有様だったらしい。

 お国柄として全土なのか地域性があるのか、タイは日常的に大家族が連れ立って徒歩で移動するのが珍しくないそうで、車道も歩道もはっきりしないどころか舗装からしてままならない、もちろん気の利いた夜間照明なんかあるはずもない、そんな道路環境だから当然のこととして、車が歩行者をはねる死傷事故が激増した。
 イスラムの教えが起源だと聞いたのだけれど、まあ歴史のあるメジャーブランド宗教は大なり小なり相互に影響し合っているし、詳しいところを私から知ったかぶりで解説する訳にも行かないのだが、とにかく『目には目を、歯には歯を』の因果応報コンセプトが精神文化の地盤になっているお国柄だとか故の、タイヘンな事情があったのだそうだ。
 上記のような背景を持つ文化社会が、高度経済成長期の日本が言う『交通戦争』の時代を迎えてどうなったかというと、車が路上の歩行者を轢いてしまって思わず停車し、運転者が車外に出て状況確認に向かったところを、何とその場で残りの家族に捕えられ袋叩きにされ、状況次第では殺害にまで到る例が多発したという。確かに屈強の若い男性が運転者だったとしても、真っ暗な夜道で大事な家族を失った親類縁者の集団に襲い掛かられたら、完全白紙のゼロ起動から現状把握を経て、身に降りかかる危険を単独さばき切って車に戻り、警察に届け出られるとは到底思えない。
 世界的にも歩行者優先の原則が目立つ日本の交通規則だが、この現実は『知って驚く世界の交通裁判の実態』といったところか。

 この過激な社会情勢を受けて対策に走る順番で法規整備が進んだためか、早い話が『人を轢いたと思っても、その場は必ずしも停まらなくて良い』として運転者が報復されないようにまず保護し、数週間に設定した猶予期間中に警察なり裁判所なりに出頭すれば『轢き逃げ』罪状の概念での責任は問わない…とすることになったのだとか。交通死傷事故の事後申告を運転者に認める制度ということになる。
 その後も変わらぬ基本コンセプトで法体系が踏襲されているのかは聞いていない。
 ともあれ『交通事故』のイメージにもいろいろあって、自動車なんか殆ど走っていなかった世界で、突如増殖し始めた自家用車に不意に掛け替えのない家族を奪われた場合、実に素朴に『そいつが乗った車に家族を殺された』という加害vs被害の構図が成立し、関係者だけのその場で断罪され死刑にも処される。一例として知っておこう。

 しまった失敗した。タイ交通紀行に分量を割き過ぎた。
 何が言いたかったかというと、法律も何も無く直感が実行動にいきなり反映されて表出する世界は意外に恐ろしいもので、もしかするとこういう『生物としての、素の人間』に等しく備わる特性が、一律に『事故原因としてのジブン』を嫌うのかも知れないなあと思っているのだ。
 この『理屈抜きの拒絶反応』をなだめてすかして、理知性ケアの徹底構築でようやく手に入る『ついついヒトが迷い込みがちな事故の再発防止』を少しずつだが確実に積み上げ、『現実』としての事故を1件ずつでも減らしていくのが職場安全衛生の仕事ではないだろうか。

 うわ~もっとトゲトゲしくエグい殺伐系のハナシをするつもりだったのだが、ここからその本題を始めると終われなくなるので、今回はここまで。
 いや、ひと月ちょっと前にいきなり一家のお父さんが帰ってこなくなった、もしくはそれに準ずる損失に晒された家庭が10世帯もあって、普通の民間事業の現場だったら、ひと月半も業務改善しないで黙っていて許されるハナシなんぞどこにも無いので、まだまだ日本社会のナニがどういけないのか掘り下げるつもりだ。再発させないために。

 まあいいや、タイの精神文化は、それはそれで人間が社会組織を成して暮らす時のコミュニケーション原理を提示しているのであり、これで当時の主権国家『タイ国』が切り回せていたのなら、外野が余計なクチを挟む筋合いなどないだろう。
 『法治国家』という単語を口走るにあたって、日本社会の生活現場で具体的にどんな組織行動を起こす概念なのか、今回の交通事故の実例レベルで語れるヤツはどのくらいいるのだろうか?

 そう、死にたくないから、死なせたくないから安全衛生管理が迅速に機能する。死んでしょうがないから、死なせて平気だから、的外れのわざとらトンチンカン言論で無駄な時間が過ぎていく。
 こういうのを命がいくつあっても足りない、いてはいけない場所という。
 ともあれ、とりあえずの明日も無事故で御幸運を!
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【1162】伝説と経済履歴のニッポン昔話 [ビジネス]

 宮古島ヘリコプター事故のフライトレコーダー分析が進んでいるようだ。
 爆発などの激力が加わったのでもなく焼損もしていないのであれば、迂闊にいい加減なことは言えないにしても、記録はまずまず無事に残っている可能性が高い。

 だからこそ、この一件は民主主義法治国家・日本国として確実に処置すべきだ。
 自衛隊うんこ組織のお飾り士官が『機内の会話に重大な欠陥は無い』だとか何とか、イミフの日本語を言い放って済むハナシなんぞ、どこにもないんだよ。
 しっかしこのバカ普段役職の席から部下にどんなクチのきき方して過ごしてんだ?

 問題事象は『公務で飛行中のヘリコプターが墜落した』という事故なんだよな。
 その運行計画に、危険な行程があるとは微塵も判断されていなかった。
 だが現実に墜落事故が発生した。

 『出発してから墜落の瞬間まで、機内に異常を訴える音声は一切無かった』というのであれば、では事故機に何があったのかは疑念が深まるものの、その事実が確認されたのなら否定の余地は無い。そう言えよ。
 ただ例えばだが、今後いま以上の手掛かりが見つからなかった場合、当該海域は『好条件下で原因不明の航空機墜落事故が発生した特別危険ゾーン』として非常線を張り、原因が解明されるまで専門調査以外の立ち入りを締め出すのが、むしろ航空安全管理としての必然処置である。とにもかくにも何も判明していない現状においては、航空機どころか船舶の航行も全面禁止してやりすぎではないだろう。
 事故が起きた以上は遡って原因を明らかにして、発生メカニズムを見切って、その原因を原理的に根絶する形で対策しなければ必ず再発する。誰かが気付かずに同じ原因に迷い込んで、気付かずに同じ経緯を辿る。

 『その場所』で今後も何かをやりたいなら『わからない』では済まないのだ。
 まず事実情報を残らず明らかにし、現象発生に到る一連の経緯の仮説を立て、再現実験で仮説通りの事故が起こることを確かめ、更には対策案がその解釈の通りに効果を発揮するところまで確認して、ようやく再発防止策『案』の提示ができる。
 もちろん再発防止策が現実解として有効作用する業務管理体制まで完結させるのだ。
 この使命感もない無能フヌケに士官の名札付けて会見でしゃべらすな、どあほ。

 『誰それさんが言うから、ああしましたこうしました』の無責任な指示命令でやらかした失敗に観念できず、仲間10人死なせてまだ『誰それさんの顔色が気になって世間さまに真相が明かせません、これ以上隊員を失わないための改心に本気になれません』と抜かして許されるつもりなんだから、まったくどんだけしょうもないジャリ当番に士官やらしてんだよ、このワンパクちびっこ戦隊は?

 現時点で日本国民のだいたいの目測は決まってるんじゃないのか。
 日本国民の意思を裏切って、少数の不心得者の集団が内々に『閣議決定』した南西諸島の勝手な設備増強の計画があって、それを現場実行役がこそこそ水面下の小細工を進めていたところ、思いがけない事故が起きてしまった。
 ちょっとしたミスで接触するような障害物も無い開けた海岸線で、静穏な晴天条件にも関わらず、実に乗員10名全員が帰らぬ人となり、そのうち4名は残るモノさえ残さずに海に消えている。

 まず、特に若い人たちには、よく見覚えておいていただきたい。
 大のオカルト嫌いのこの私だが『悪いことをするとバチが当たる』という古来ポピュラーな言い習わしを固く信じている。まさに御覧の通りだ【1095】
 いや、片方のエンジンが故障しても飛べる双発ヘリコプターが、そして両方のエンジンが止まってもオートローテーションで軟着陸できるヘリコプターが、それでも軽事故や不調で『不時着』する可能性はゼロじゃないと思うんだよ。
 だが接触する相手も無い見通しの良い海上で、静穏な晴天条件にも関わらず『墜落』し、間近の岸まで絶望的な距離でもないのに、10人もいて10人全員が助からなかった。

 何故なのか解らないが、最初からよこしまな気を起こさなければ無事だった。
 それは確実なのだ。悪いことをするとバチが当たる。

 次に組織表の末端側にいる若い人たちに、よく見覚えておいていただきたい。
 無能フヌケのお飾り士官がイミフの日本語を言い放って『それでいいこと』にしてしまうママゴト慣習を組織文化にして『ま、この世こんなものだ』とコトを収めていたから、自衛隊はうんこ組織になり、だから常識では考えられないような、こんなお粗末な事故を起こしたのである。
 ママゴトを卒業したい、ちゃんとオトナの本気の仕事として、決着をつけて自衛隊員として安心して暮らしたいなら、あなた御自身からママゴトを卒業することだ。おかしいと思ったらまず『迎合しない』、そして指示命令内容に抗議するなり離脱するなり対処していけば良い。

 戦後復興から高度経済成長期と呼ばれた時代、画一的に同調性の高い島国の民族性として、日本社会の底力は『組織単位で発揮する組織力』に強みを発揮した。日本じゅうの生産力が『カタチだけでも組織構造を整えて組織力で成果を上げること』を前提に、日本労働市場の仕組みが発展したのである。
 この進化フェーズが、とりあえず組織構造を組みたいから組む、そこに設定された職位ありきで誰か人を充てたいから充てる…という『組織枠の受け皿ありきの買い手市場』のような土壌特性を蔓延させたのだと思う。
 つまり『会社なんだから、役所なんだから、課長席・部長席は常識として存在する。ではそこに誰々が収まるか』のスタンスで職務ポストが数多くクチを開けて待っており、能力要求値に適合してそこに収まるパターンは問題ないとして、そうでない不適格者の間に合わせ就任みたいな例も散見される事態に陥ったのだろう。

 本来『組織』は個人と個人を組織表の位置関係に配置して、そこに意思決定順や指示命令系といったコミュニケーション=情報流通の交通整理を布いて、その目的たる『組織力』を発揮させようとするものだ。具体的には、そこにいる複数の個人が各自の手元動作を直接作業として共同成果を上げるのだが、同じ人数のただの群衆に比べて、『組織』は質も量も高い成果を実現できるようになる。
 いわゆる組織設計で『組織表』と『情報交通整理』があってこそ、組織の価値が創出されるということなのだけれど、高度経済成長期に猫も杓子も組織、組織とカタチだけ一般普及が進んでしまい、ここに当該職位として満足に機能できない不適格者がたくさん紛れ込んでしまった。そういうことだろう。

 実は大勢で成す組織なのだから、現場の連中がしっかりしていればそこそこイケてる直接作業域が固められ、管理職層がまともに機能しなくても、世間が平和で好調の好景気だったりすると曲りなりにもやれてしまう。
 高度経済成長期だ好景気の時代だと言えば聞こえはいいが、日本人の心、日本社会の意識にある『組織』が品質未管理のまま野放しにされ、どうにも手直しのしづらい始末に悪い『お飾り管理職文化』のお荷物を背負い込んだ時期だったというのが、今になっての、この厳しい現実の種明かしではないのか。

 おっとそろそろ今回はこのへんで。日本社会の現場安全衛生管理は非常に優れたものであり、それは現場作業者の高い組織力で実現しており、それなのにこんな酷い事故を起こして、上層部がこんな稚拙な反応…とも言えないうろたえ方しかできない原因は、日本人の意識にある『組織の姿』が間違っているところにある。
 宮古島ヘリ墜落事故現場では、当面のところ現地として何がどう危険なのかも手掛かりが無いまま、まだ見つからない4人の犠牲者の行方を捜索せねばならない。非人情な冷血発言だが、乗員の安否を逆転させるほどの処理作業がもう残っていないなら、迷わず捜索断念の腹をくくらないと次の失敗が防げない。

 この現実があまりに辛すぎるから、再発防止をとぼける邪心を摘発し駆除・根絶しろと言っている。引き続き現場処理の方々、細心の注意で無事故・安全の御幸運を!
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【1161】命を守る文化系教科と体育会系教科の時間割 [ビジネス]

 前にも述べたが、民間製造業で重大死傷事故が起きた折には、とにかく全業務を一斉停止する仕組みがある。コトの大きさ次第では、会社の枠をも横断して業界全体が、当該作業どころか類似・近隣現場のあらゆる動きを無差別で停止する勢いだ。
 まさに『現場の、現場による、現場のための安全衛生チェック』であり、そこにいる当事者が、ガチで命に関わる我が事として、自分のその目と注意力で、おのれの身の安全を確保するために、発生事例を正確に理解したアタマで、手抜きなくその大ゴトが持ち場で現実になる可能性を探し、報告を上げる。
 その報告を組織管理の監視眼で総合的・横断的に受けて、そのままで再開GO判定を下せるところは再開GO、何か対策すべきと判定したところは、必ず対策を入れて安全確保を確認してからの再開GOである。

 まあ正論直球の理屈通りではあり、日本語の解説としてはこれだけにならざるを得ないのだが、こういう情報を読むなり聞くなりして、対応する人間の実際の動きには結局ばらつきが出るものなのだ。

 『解ってないヤツ』は、どうしても本腰が入らない。
 もおお、この忙しいのになんでまた…と愚痴のひとつふたつも零れ出るのは、実は自然なことであり、だらしないワケでも不真面目なワケでもないのだが。
 具体的な締切日程に押されてナウ絶対に片付けなくてはならない仕事を『現物』として抱えているのに、どっかの誰かがやった失敗の情報だけ横ヤリで持ち込んできて、そこからわざわざに想像力を拡げて、この自分にそれが起こるかどうかの回答を半ば強要されるというのは、やはり納得のいくものではない。目前の日常業務の方が優先度高いと思えてしまうのは、常識として直感できる方が大勢いると思う。

 だから事故が起こる。『危険は未然の意識の外側にある』とはこういうことなのだ。
 未然の意識のこっち側に身を置いたまま『本事例のリスク確率を自職場に適用する』という課題に取り組もうとしても、この心境では空振りにしかならない。
 これが安全衛生管理の難しいところで、業務審査は我が身まで含めて事故を間近の肌感覚で理解しない限り、少々努力したところでどうしても身が入らない。一回でもえらい目に遭うと態度が変わってくるんだけどね。

 さて、こんなところでいきなり横道によろける。
 いま『事故を間近の肌感覚で理解する』という表現を使ったが、これは『深刻な苦痛や損害とはどんなものか、我が身に転写できるくらい具体的な記憶情報として持っている』という意味としてよかろう。
 人間は『そんなことあるワケないよ』と現実を無視して決めつけ、あっと気付いた時には手遅れで『失敗』として事故に巻き込まれるのだが、実は『そんなこと』のイメージ=脳内世界の情報構築は一応そいつなりに出来上がっていて、つまりはそいつなりに『理解』してるんだよな。
 ところがいざという巡り合わせで『現実の認識』という究極逃げられない課題に対して、その脳内情報の品質が全く追い付いていなくて、だから『まさか?』と気付いて戸惑う頃には手遅れになっていると。

 まあ本当に怖い目を見たことが無くて、想像力の拡がりが届かないが故に危険の想定が甘くなるパターンでまずは始まって、職歴を重ねるうち自分自身が30分の29の軽事故に直面したり【1157】、『やっちまった』他人の事例を聞いて知ったりする機会に触れて、こりゃ安全衛生の職場意識は真面目に持っておかないとヤバいなと学んで身に付いてくるのが一般的なところだと思う。
 命を失ったり、重度障害が残ったりする事故の『意外すぎる現実』に遭遇しては、その『情報』が切実な恐怖と関連付けられて記憶として蓄積され、その情報ライブラリーが『安全衛生意識』の完成度を徐々に上げていくのだ。
 『事故を間近の肌感覚で理解する』の『理解』とは、情報の有無だけではなくて、苦痛や損失に直結した恐怖や、見よう見まねのなりゆき我流ででも行う反射的な回避行動の連動まで含めた、複合情報処理のことではないだろうか。
 『理解する』って、情報処理的に結構定義しづらい面倒な概念なのかも知れない。

 まあいいや、本題に戻って、安全衛生管理の本気度のハナシである。
 誰もが若いうちはこの情報ライブラリーがまだスッカスカで、つまり安全衛生意識がスキだらけだしとっさの回避反射もできておらず、つまり『事故の危険に対する理解が足りない』ということになるのだが、この未完成の段階で、そんな『切実な恐怖の記憶』と同格の緊急発動パワーで『逃げたい、避けたい』衝動を起こさせるため必要なのが、怒鳴ってぶん殴って蹴飛ばしての『本能領域のストレス調教』ではないだろうか。
 年月を重ねて現代日常生活で情報ライブラリーが十分に充実するのを待っていたら、社会空間で、少なくとも現場作業者として、生きていくには到底間に合わない。
 ここでポイントは、情報ライブラリーを構築するのに掛かる時間は負からず、致命傷を負う前に怒声と体罰で叩き込んで間に合わせるしかないという真理である。

 レベルの違いはあれども乳幼児から成人まで、『話して聞かせて解ること』と『ごちゃごちゃ言わずカラダに叩き込むこと』の両方を組み合わせた人材育成の基礎概念が、昭和の時代から少なくとも二十世紀のうちはきちんと確立していた。
 日本語で『事故の危険を解っている』と表現するメンタル事象は、少なくとも『情報ライブラリー』由来と『本能トレーニング』由来の二層構成になっている。それを昔みんな経験則で社会常識として心得ていたのに、やたら洗練を装った『優しい社会』が提唱する『暴力』『虐待』『ハラスメント』の攻撃的正義がもてはやされた結果、謎解きのような行きがかりを経て危なくもないモノで死んだり、死んで当たり前の自殺行為を自覚せずやって当たり前に死んでしまう事故が激増したように見受ける。
 もっともこんな今風の世の中でも、高い安全衛生意識を要求されて暮らしてきた人間はいて、自分の視野の外側を畏れ恐れる目の付け所や、誰の意識・心理状態をも信用せず何度も多面的に確かめようとする感覚が見え隠れするので『解ってるヤツ』同士はすぐお互いに感づくものだ。

 逆に『そんなことあるワケない』とか『あいつはひとコト多い』みたいな小言をついつい口走りたがるタイプは、自分の思い込みから踏み出せず踏み出さず、その未熟な自画像にも気付いていない人種である。
 手段を択ばず危険回避を身に付ける必要もないぬるま湯のような安全地帯に生きてきて、自分ひとりの脳内世界を一方的に主張して大ゴトにもならず収まってきた過去の顕れであり、良い悪いはともかく…というかあんまり良いハナシも無いんだけど、とりあえず事務・軽作業向き限定にしといた方が無難な人材ということになるだろう。
 これだけ偉そうな私まで含めて、いざ事故に接した時『自分の意識の外側の現実』に的確に組み合い、冷静に処置するのは本当に難しいものだ。座学にしても実習にしても、これを短時間でラクチンに倍速習得する方法は、今の私には思いつけていない。

 今どき流行の人工知能AIの場合、膨大な危険事例の情報ライブラリーを最初から高い完成度で用意しておくことが可能であり、回避動作との連動も初期設定で叶ってしまう。怒声や体罰など、言ってしまえばわざわざに危害性の入力を加えるストレス調教を施さなくても、ちゃんと安全衛生的に正しく動くのだ。
 『緊張感』や『責任感』の機能プログラムは必要ないと思われる。
 これってかなり決定的に人間を上回る一面なのではないかという気がしている。

 人間は習得・体得した記憶という『情報』を忘れて疎かにし、また事故を起こす。
 世の中の重保現場は、その確率と戦いながら生計を立てている。

 たったひとつの命まで差し出して揉み消される軍隊ごっこのママゴト上下関係ごとき、そもそもから習得するものでもなければ、つい疎かに忘れるものでもないだろう。
 若い自衛隊員の人たち、使い古されたセリフだが、よく考えて自分を大切にした方が良いと思うよ。宮古島はそろそろ梅雨入りとなる。
 当面まず二次災害は何としても避けねばならない。明日も無事故で、御幸運を!
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【1160】命懸け間違い探しの予習講義 [ビジネス]

 5月5日の子供の日、NHK『舞い上がれ!』総集編を観ていたら突然の地震速報。
 最大震度6強、大型連休だというのに家屋の倒壊もあり亡くなった方までおられる。
 こればっかりは、日本列島に住む以上は避けようがない。身体は無事でも避難所暮らしを強いられている方々も多いと思われ、どうか気を付けてまずは安全に余震をやり過ごしていただきたい。お大事に。

 例えとしてタイヘン不適切な気もするが、前回からのハナシの流れとして物事の見方を理解しやすい巡り合わせのタイミングなので、失礼して言及しておこう。
 地震など自然災害の場合、建築物などの倒壊・崩落の危険を知りながら管理者が放置して損害が出ることもあるにはあるけれど、キホン『想定外の不可抗力で、誰が悪い訳でもない』事情が一目瞭然に明らかである。
 『だから、この勢いで処置が動くのだ』という認識で、まずは当たっている。

 裏返すと、後ろ暗い隠し事が露見するので困るとか、人為的原因ははっきりしているのに責任逃れしたいだとか、『人間の悪意や邪心による真実の隠蔽・歪曲』が絡むから、たちまち処置対応が動かなくなるということだ。
 何度か述べた通り、関係者の意識世界の外側にあった可能性が事故を起こすのだから、ウソで取り繕うにしても頭の中に無い架空の未知のストーリーをでっち上げることにしかならず、故にすべからく初歩的な作話ミスで破綻するのは必然なのである。
 うまく誤魔化せる結末などこの世には無く、あからさまなデタラメを正しいと言い張って周囲が辟易するのを待つか、何と言われようが無言で一切を隠して相手の根負けを狙うかの二択にしかならない。

 …と仰々しく解説してみたが、実はこんなもの誰もが人生の経験則として心得ており、最初から大衆の見解は決まっていて、その後の展開も決まっているものだ。あとは時間の問題である。
 今般の一件にしても、宮古島のあの場所に自衛隊幹部10人の乗るヘリコプターが飛んだそもそもの理由は『誰もがぱっと見て普通に察する通り』であり、それが意図的に隠されて険悪な沈黙を引きずっているだけだ。
 まあ隠されてオシマイで良しとするか否かは各々の立場での判断次第となろう。

 さて、随分前にオスプレイの解説で少し言及した『オートローテーション』という専門用語について【306】、技術的なハナシをひとつ追加しておきますかね。
 宮古島の事故機体が熊本拠点に回収され大なり小なり飛行記録の分析が進むはずだが、航空工学に疎い一般大衆層をケムに巻くような、タチの悪いニセ専門解説が出回らないようクギを刺しておこうと思った。

 飛行中のヘリコプターがエンジンの故障に見舞われても、主ローターは揚力方向の回転を続けて、滑空状態のように軟着陸することが可能なのだ。エンジンでわざわざ回さなくても自然と=オート、回転=ローテーションしてくれるので、こう呼ばれている。

 ちょっと考えると、機体が自由落下する時の気流は、揚力発生と逆方向にローターを回転させることが判ると思う。機体が重力に引かれて下向きに落ちるんなら、下から上に吹き上げる風に沿って風車のようにローターが回されるのが自然なんだよな。
 ならばエンジンが止まったヘリコプターのローターは徐々に揚力方向の回転力を失ってやがて止まり、自由落下と共に今度は逆回転が始まって、結局そのままどすんと墜落するだけなのではないか?

 結論から行くと答は『NO』、違うのだ。不思議な感じがするんだけどねえ。

 ひとだまと板カマボコを足して二で割ったような、翼断面を想像していただきたい。
 左を前縁側、右を後縁側だとすると、画面左側から一様の風が流れてくる訳だ。
 この時、鉛直上向きに『揚力』が発生する。

 厳密には空気抵抗が翼を押し戻すため画面右向きに少し『抗力』も発生するが、今は『揚力』の上向き矢印に着目していただきたい。
 左から来た一様の風は翼の前縁に正面衝突して上下に分かれるが、翼の上面を舐める空気流はずっと一定速で後端まで進むのではない。
 翼断面をイルカだとすると、ちょうど背びれのあるあたり、つまり一番高くなっていて、左からの一様の風の方向と揃うあたりで全速力となり、その先はいわゆる『流し』で残りを走る状態を経て、後縁に達し翼断面が切れて、下面側の空気流と再会する。

 最も高い位置で上面に沿う流速が一番出る=その背面が吸い上げられる=揚力発生、という順番で現象のつながりをイメージすると理解しやすいと思う。
 『…つるっ…』『…しゅるっ…』と流れが急速にすり抜けるところで圧力が低くなり、周囲のモノがそこに吸い寄せられる感覚で結構だ。いま細かい理屈は置いとこう。

 では画面左側から吹いていた一様の風の方向をちょっとだけ変えてみることにする。
 翼断面廻りのスムーズな流れをぶち壊さないくらいすこ~しだけ、左下から右上に抜ける方向に流れをずらす。ほんのちょっと翼が腹面側から風を受けることになるのだが、よろしいでしょうか。
 ポイントは、この新たな風の入射角に対して、風と翼上面流の方向が揃う『最も高いイルカの背びれ位置』が、翼の前縁側に移動するところにある。そして前ずれしたその背びれ位置の翼上面が、面直の上向きに吸われることになる。

 『翼の揚力は・風の入射方向に対して・直角上向きに・発生する』という日本語文章になるのだが、お解りかな?
 水平飛行していた翼が、僅かに降下し始めて腹面で空気を受ける条件になった時、鉛直上向きだった揚力ベクトルは若干前方に倒れることになり、前進つまり推力方向の成分を発生する。これが、オートローテーションにおいて回転翼が揚力方向に回り続ける原理である。
 ホントは航空力学的にもっと厳密で面倒くさい理屈があるのだが、とりあえずはこの程度のフィーリング物理・エモ流体力学で解った気になっていただければ十分だ。

 エンジンが故障しても、十分な高度で回転翼に薄~い角度で斜め下から風が当たればオートローテーションは発生し、ある程度の揚力を維持しながら滑空状態で降下して軟着陸することができる。
 もし宮古島ヘリ事故の解説で『オートローテーション』というコトバが出てきたら、皆さま各自このイメージをもって辻褄を検証するのがよろしいかと思う。
 意図的に何だか小難しいコトバを言い放って、それで大衆が反論できず納得に甘んじたテイを一方的に決め込み、勝手にハナシを周知徹底扱いで進めるような横車を、10人も殺した凶悪テロ実行犯政権に許してはならない。
 本心から率直に事故の現実を語り、誠実に事実経緯の理解を得ようとする人間なら、知恵と国語力を尽くして専門外のあらゆる人々にも十分な正確さの実情把握を手びいて、社会組織に広く共感を求めるものだ。賢い大衆は正確な知識で社会運営層を厳しく評価し、信頼に値する良質のマネジメント気質風土を各自の管理意識で維持しよう。

 そうそう、最後に横道を挟むが『オートジャイロ』という形式の航空機があるのだ。
 単発の小型プロペラ機から主翼をむしり取って胴体と尾翼だけ残したような姿をしており、胴体から真上に軸が伸びて、主翼の代わりにヘリコプターの主ローターのような回転翼が付いている。
 機首のプロペラで滑走路を走って、主ローターに風を当ててオートローテーションを起こして離陸する仕組みなので、この回転翼は動力で駆動されない。大袈裟に横幅を取るデリケートな主翼が無くて済むのだが、垂直離陸や空中静止ができないこともあってか、あんまり実用化は進んでいないようだ。

 おっとっと、久し振りに工学ネタをやったら一回ぶん埋まっちゃったよ。
 まあいいや、かくも本当に機械技術は面白く役立つものだけれど、使い方を誤るとその効力は消え去り、ときに死傷事故の原因となって人間の身に降りかかる。
 そんなことのないように我々機械屋は専門知識を限界まで駆使して、手段を択ばず躊躇せず、いつも機械技術が心躍る幸福の源泉であり続けるよう管理するのである。

 宮古島ヘリ事故処理の技術屋たち、しっかり頼む。どうか無事故・安全で御幸運を!
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【1159】AI会話作法のIQ許可表示は緑十字 [ビジネス]

 宮古島ヘリコプター事故の機体主要部分の回収が大きく進んだようだ。
 左右両側の増槽燃料タンクのうち片方は早期に海上で発見されていたが、残り一方がどうやら掃海ネットにすくわれて上がってきた。伸びた尻尾に描かれていたと思われる日の丸も確認できる。

 海底に沈んだ機体の下に掃海ネットがすんなり通るはずはないから、横にネットを拡げておいて機体をその上に移動させて乗せ持ち上げるしかなく、どのみち原型をとどめないグシャグシャ状態にはなる。もっとも姿勢を崩して海面に接触し墜落したのだとすると、プラモデルじゃないんだし航空機のカッヒカヒの薄殻のような軽量構造はひとたまりもないから、落ちた時点でパキパキ数個口に割れていた可能性は高い。
 とにかく強引な回収作業で機体構造を損壊させた訳ではなく、既に大破していた機体を掃海ネット上に寄せて引き揚げたらああなった、と考えるのが妥当だと思う。ひとまずグッジョブ、終わってないけどお疲れさまでした。

 今さら驚きもしないが、専門知識も何も無い情報屋ならぬ発信屋が、あっちからこっちから世論操作を目的にジャンク情報をばら撒きまくっているのには感心するやら呆れるやらだ。インターネットでただブラウザーを開いたり、ちょっとTVリモコンの番組表ボタンを押しただけでこれだから、あっちこっちによっぽど浮草世論を演じて残飯にありつく乞食が余ってるってことなんだろうな。
 よせばいいのにNHKの夜9時のニュースを見てしまったのだが…何じゃありゃ?

 自衛隊の元ナンタラとかいう老人が出てきたはいいが、まずコイツとにかく頭が悪すぎて言論のテイを成していない。専門知識も全くのカラッポ、乗り物好きでもないシロートと同レベルの一般論をぐじゅぐじゅ言い直すだけだし、そもそもから日本語がしどろもどろでナニ言ってんだかよく判らない。
 在職中どんだけエラかったのか知らんが、世間一般的には何ら無意味な前職の肩書だけテロップで出せば、ハクで世論が頷くとでも勘違いしたのだろうか?本人が手を上げて引き受けたとも思えないヘタクソぶりだったが…

 訓練の一環として、日を決めて指示命令系の上下関係を逆転させ、現場末端の作業を上位職層が完璧にやり切る形で、末端へのシメシをつける職場風土維持の方策には感心したのだけれど【147】、案の定のやっぱりというか、そんな自衛隊も組織表のトップ付近は世間知らずのハナたれ背広幼稚園になってるってことか。
 自衛隊上層部がパソコンのキー反力以上の敵を相手にしたことのない青瓢箪の集団だとすると困ったもんだが、それならせめて室内犬の事務屋らしく、ニュースで聞くに値する内容の言論ぐらいはお利巧にできてもらわないと困る。一体ナニを基準に人事評価して組織構築すると、こんなお粗末な体たらくになるんだろうか?

 どうでもいい無能の空想論はいらない。事故機体現物とは別途に、ヘリの運行計画書の内容は明らかなんだから、そっちのハナシができないザコは出てくるな。
 時速三桁キロの高速で海面に衝突した想定で『海面に激突』という表現を使うのなら、これまたそんな特殊な挙動が計画されていた目的や必要性について現実的な可能性を語るのが、内通者ならではの専門解説というものだろう。
 今後の解説は頭の冴えた若い隊員に代われ、時間を無駄にしちまったじゃねえかよ。

 『死んだらオワリだ』と述べた【1154】
 その『オワリ』になってしまった自衛隊員が10人もいる。
 これを思い出して『何故また?』と後悔する11人目は、絶対に出してはならない。
 絶対に、である。
 私の前で『絶対というコトバは滅多に使うもんではなく…』とか抜かしたら殺すぞ。

 そこまでやって、未熟なこの私ごときの『絶対』は、30発中の1発をかますのだ。
 それが重保現場の現実である。

 卑怯卑劣で緊張感も責任感も無い現状自衛隊のうんこ組織は、最前線の現場直接稼働をこなすにあたり、組織表の『下』は消耗品としていっくらでも死なせて使い捨てるとして、いま居直っているワケだ。
 事故が発生する時には、想定外の不可抗力で『誰が悪い訳でもなかった』として引責者ゼロでは終わらないケースも多く、明らかに特定の個人あるいは複数人が意思決定を誤っている場合も少なくない。
 こんなケースにおいて、誤って事故発生の原因を作り出した張本人が、現実の経緯に観念して引責処置に応じるのを嫌がり、事故の分析から再発防止に到る一連の情報開示を妨害したり、自分に責任が及ばないようウソをでっち上げて真実と異なる処置で終わらせたりすると、同じ事故が発生する現実の必然の筋道が対策されずに残る。

 その組織は同じ失敗を何度でも繰り返す。それを『絶対に』避けろと言っている。

 まあ重保の安全衛生管理は、現場各自の生存本能の現実化でしかない。
 私は税金出資のイチ国民としての立場で指摘しているが、自衛隊組織の当事者の皆さま方はどうかお大事に。災害から身を守るキホンは『自助』ですぜ。

 ところでちょっと話の方向性を変えて、このヘリコプター事故機の回収作業について、このごろ流行りの人工知能に最善処置の方策指南を頼るのは、できたとしても賢明ではなかった。お解りだろうか?
 『処置すべき海底の現実』としての機体の実情に関して、情報が『無い』からだ。
 どんなに記憶容量が大きく計算速度の速い情報処理マシンをもってしても『関心事にまつわる有効な情報』が無ければ、処理のしようもないし処理後の導出結果のストックも蓄えようがない。いくら繰り返し頑張っても結果の質は上がらない。

 『2023年4月6日の宮古島ヘリコプター墜落事故の適切な処置を教えてください』
とテキスティングすることは可能だし、この質問文に言語情報としての破綻は無いから、回答は普通に返ってくると思われる。
 だが非常に優れた人工知能があったとして、まず『事故という出来事の適切な処置』の一般論が導出され、『事前調査を尽くした上で慎重に』だとか、『風化は心配だが安全な条件が揃うのを待って』だとか、表現としては手厚く多面的だが具体性の無い内容ばかりが、回答文の骨子となる。
 次に『ヘリコプター墜落事故』や『宮古島』あたりが詳細情報追加のきっかけになり、『海上なら乗員が漂流しているかも』だとか『燃料で海洋汚染が拡がらないように』みたいな派生内容がぶら下がってくるのだろう。4月6日なら、台風や梅雨の大雨に関して警鐘を鳴らしたりはしないんだろうな。

 『一般論の範疇で、離島のヘリコプター墜落事故にあたっての留意点を知りたい』のならまずまず使える回答が期待できるが、手探りの現場で作業判断の根拠にするような実情の検知は不可能ということである。要は『現実を見てないヤツの、凝った一般論』の域を越えられないのだ。
 逆に、今般の当該事故機の固有事情にまでがっつり踏み込んで、人工知能の超人的な高々度インテリジェンスによる作業指南を求めるのなら、まず最低でもその人工知能の思考背景として、どのくらいの質と量の知識ライブラリーが控えているのか、ざっくりざくざくの程度問題にしても把握できていなければならない。
 その知識ライブラリーにしても『大体この季節の諸条件データ公表値はこの程度』ぐらいの理科年表レベルの情報も、ゴリッパに『正確な事実情報』なのだ。水中探査機がリアルタイムで送ってきている海底の映像や深層潮流のデータなどと、具体的に何を根拠にどう優先度をつけるかが問題になってくる。

 これは非常に難しい課題であり、いま時点の人工知能に知識ファイル同士の荷重評価や優先度判定を加えるプロセスは恐らく皆無で、キーワード検索で引掛かる『事実情報』を一列横並びにまな板に上げて、その素材群から破綻なく好意的に作文して回答を出力しているものと思われる。
 もっとも、非常に難しい課題ではあるが、コンピューターの記憶容量と処理速度が更に性能向上してくれば、どう優先度付けするのか実績を重ね学習が進むだろうから、どんどん人間に追いつき追い越していくプロセスであることも間違いない。

 いずれにしても『世の中ありのままの現実』と『現実に着目して構築した情報』の間には決定的な断絶があるからこんな議論になるワケで、ここが人工知能活用のひとつの重要なポイントだろう。
 『現実』は、何に関心を持って着目するかを経て、現状認識の『情報』となる。
 『情報』は、まずは唯一の現実から誰かが構築した結果の一例である。
 そして『情報』は新たな『現実』に置き換わって、更なる『情報』が構築される。

 いったん『情報』という有意信号が出来上がったら、それはゼロイチ式データのデジタル概念による『一定の演算処理』つまり理知性やメンタル特性のような規則性応答の成立をも意味する。偶然任せのデタラメでなく『おっ、生きてるねえ~』と。
 『現実』を知覚して『情報』に。
 『情報』から更に二次・三次・高次処理して、『情報』からもっと『情報』に。
 これが我々の感じる情報生命体の『イノチのイメージ』なのではないかと思うのだ。
 現時点の人工知能は主に『情報から情報』の領域で進化中だが、それでももう『イノチ』になっていると私は考えている。

 『イノチ』はそれ単独で、生存本能を持つ。
 何をどれだけいい加減に投げ出しても、他力本願で生存が保証され過ぎたのが現代の人類文明社会だ。
 その結果、ヒトの生存本能が希薄で淡白になってしまい、たかが昭和ママゴトの役回りごときの『お約束ごと情報体系』が支配するサル山チカラ関係が無駄に顕在化して、10人死んでも本気になれないアマチュア気質がすっかり板についちゃってるのだろう。

 もう本能の鈍ったヒトなんかよりも人工知能の方が重保現場の安全衛生意識が高くて、10人も死なせないような回答を一発出力して確実に順守できるのかも知れない。
 宮古島で残り4人の捜索にあたる方々、引き続き無事故の御幸運を!
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