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【1251】人生いろいろ、ステージいろいろ [ビジネス]

 いよいよ今季NHK朝ドラ『ブギウギ』も今月いっぱいとなった。面白かったと思う。

 社会の高度情報化が進む昨今、パフォーマーとオーディエンスが一堂に会して受発信する有価事象とは何なのか、改めて考えさせられる。一話15分の放送枠内にステージ・パフォーマンス一本の完結パッケージを頑張って連発した番組構成は、のちのち貴重な記録になるのではないか。

 今の時代の現役世代の役者さんたちをしっかり若年層まで起用して、素朴に『歌なら音声、舞踊なら容姿と動作』でショーの商品性を確保していた時代のパフォーマンスを再現し、それを朝ドラ放送枠で流すという企画は秀逸だったと思う。
 何もかもが清潔で洗練され過ぎているだとか、やたら今風に優しく理解ある常識がまかり通っているだとか、重箱の隅を突つき始めると気になる点も出てくるのだが、不便で手間のかかる旧式ステージ文化の様式が、最新ピッチピチの元気な現代若年層で実現して、さすがの飛んだり跳ねたり歌ったりが朝ドラでお披露目できたんだから、カビくさいアラ探しなどお呼びでない。

 主人公・鈴子役は、昭和世代に懐かしい熱中先生と普通の女の子に戻ったランちゃんを掛け合わせたお嬢さんだけあって、何というかアレクサンダー・テクニーク的にサラブレッドの血統を感じる。体格はかなりの小柄のはずで、発声も動作もクリスプなのでてっきり二十代だと思っていたら、もう三十路過ぎとのこと。小柄ゆえ末端までの精緻な俊敏を強みにしていたチャップリンの評価をちょっと思い出した【1041】
 いわゆるKAWAII世代のアニメ顔というより和風の齧歯類系の顔立ちなのが面白く、少なくとも私が今まで出遭ってきた米人オトコは軒並『日本の女の子なら和風の顔立ちがタイプだ』と言っていたし、昭和歌謡をテーマにしたドラマの主人公としては的確な人選だったと思う。

 しかし見てくれや佇まいはともかく、ラインダンスやタップダンスのシーンを朝ドラ向けにあれだけ作り込んだのはお見事。皆さん若さあっての、体力あっての好演で、この遠隔通信コンテンツの時代に現場に居合わせた現実としてあのアスリート稼働をやるのは、NHK朝ドラの撮影ニーズでもなければ実現する機会も無かったろう。
 ショービジネスとしてかっちり品質管理された組織パフォーマンスはカッコいいよ。

 二十世紀の頃、三十路そこそこの私が北米全土を対象に遊撃型の仕事をしていたハナシはちょくちょくしている。基本はロスからデトロイトからニューヨークから、拠点から拠点に数日ないし数週間単位で移動しつつ、途中でスクランブルがかかったら突発でキホンどこへでも駆けつけて、出遭いがしらの課題事象に次々どう処置するか判定し、さばいていくという業態であった。
 ジョブ単位の瞬間芸・一発芸で手抜きなし、一期一会の完全決着としてやっていかないと、後始末や追加フォローを発生させていていては仕事にならない。まあ当時の私も若かったから、東西最大3時間の時差を喰らいまくりながらやれてたんだよな。

 ニューヨーク近辺一帯で一緒にやっていた現地スタッフが、とにかく仕事のあと一杯行くのが大好きで、もう夕方4時になるやならずのうちから『今日もリラックスしに行こう、リラックスしに行こう♪』と仕事会話の端々にウキウキワクワク気分をチラつかせ始めたものだ。
 どう、どう、気持ちは解るが今日の仕事を走り切るとこまで走り切っとこうぜ。

 …と言いつつ北米ペースで朝7時台には出動してるし、まあ17時にはまだ遠い、サマータイムだと夕方の雰囲気が訪れる以前の時刻に、そいつが行きつけにしていたカウンターバーによく連れていかれたのである。ちょうど『ターミネーター2』の序盤で、全裸のシュワちゃんが衣類と単車と銃およびサングラスを調達するシーン、あのくらいの規模と雰囲気の建屋だったと思う。
 ただ本格的な料理用のグリルもビリヤード台も備わっておらず、がらんと広い空間の一辺からコの字型のカウンターが伸びていて、要は中央を接客側とした囲みカウンター式の店造りになっていた。壁際にスロットマシンとジュークボックスぐらいはあったかも知れない。
 コの字の真ん中には天井まで伸びる2本のポールが立っていて、アイランド型のポールダンスのステージになっている。『またかよ~』などと半分呆れて笑いつつ結構な頻度で訪れては、夜10時を過ぎるまで付き合ってたんだから私も若かった。

 店がそんな構造になっているからには、入れ替わり立ち替わり女の子が出てきてはポールダンスをやってたりもするのだけれど、ポールダンスをやっていない間は適宜にカウンター内から個別の接客にまわるという業態であった。私個人としては、日本国内ではあんまり見た記憶が無いスタイルだ。

 相棒が踊り子の一人を眺めつつ『おい信じられるか、彼女あれで子供二人育ててる母親なんだぜ』と囁いた時のことが思い出される。日本人の相場に比べたとしても小柄な方に見えたが、その理論的理想値のプロポーションと隙のない動きは、ギリシャかローマの芸術品を思わせる造形美であった。
 以前に紹介した映画”THE REWRITE”『リライフ』【917】では、マリサ・トメイ演じるシングルマザーが『ダンサーをやっていたが足首の怪我で諦めて帰郷、野球選手と結婚し娘二人をもうけた』と過去を吐露する場面が出てくるが、あーなるほどあんな感じね!とフラッシュバックしつつ合点したものである。

 NY近隣とはいえ場末の飲み屋でこのレベル、まあ都心で成功して表舞台でやれるようになったら私生活も睡眠時間も吹っ飛ぶだろうから、闇雲に向上心を燃やさずマイペースを維持する向きも少なくないんだろうなあ。

 いっぽう西海岸LAではユニバーサル・スタジオにほど近い遊歩道の一角で、南米からの移民と思われる家族のストリート・パフォーマンスに出遭ったことがある。
 親世代が民族楽器を演奏し、中高生くらいの年頃と思われるお嬢さんが純白のマキシ丈ワンピースで舞うのだが、これがまた視界に入った瞬間、目が釘付けになり口が開きっぱなしになるほどの驚愕の美しさであった。インカとかアステカとかの古代文明で、雨乞いの儀式で神のいけにえにされるタイプである。
 このお嬢さんも150センチあるかないかの小柄で、浅黒い肌に漆黒の瞳とさらっさらの黒髪、非現実的なまでに均整の取れた容姿といい流れるような手先足先の優美な動きといい、一分のほころびも見出せない。
 だがこちらは手前の地面に楽器ケースの小銭受けが置いてあって、つまりその稼ぎで家族が日々を暮らしているということなのだろう。いろいろと事情はあるのだろうが、ただの通りすがりの日本人としては呆気にとられるばかりであった。

 各国各地で、発信したいタレントがいて、受信したい大衆がいて、さまざまなステージ・パフォーマンスが成立している訳だが、そこには特定の人種間ならではの需要と供給があったりするし、価格換算される上演レートの違いも、関係者の状況次第でピンからキリまでいろいろである。
 人並以上に秀でていて、みんなに披露したい、そしてみんなが求めて観るパフォーマンスがあるから、これらエンタメ商用ステージが成立している。個々人が持ち合わせた優位性をわざとらにカンナで削り落とし、ツライチの平面を撫でて嬉しがる『コンプライアンス』なんぞに浸食されて劣化する前に、特に若い人たちには是非興味を持って研究していただきたい。

 できるヤツがいて、それに興味を持つ取り巻きがくっついて、それぞれの立場で最もハッピーな受発信を目指して展開するのがステージ・パフォーマンスだ。
 今あなたの手元のスマホ画面を高々とかざせば、みんな思わず振り返りますかね?
 『ブギウギ』観て何かひらめくと良いね。いよいよ最終週めがけてグッドラック!
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