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【1123】いただきもの文明に迷う自然保護区の未来 [ビジネス]

 おお、遂に年内最後の回を迎えた。次回は2023年の元旦となる予定です。
 『光陰矢の如し』で早いっちゃ早いんだけれど、何しろ今年は積年の切望を解決するパソコン更新ができただけでも、私にとっては燦然と輝く一年であった。自宅の抜本的レイアウト刷新にかかり、お約束の体調抑揚ですんなりスムーズとは行かないながら、いわゆる引越真っ最中の光景の中えっちらおっちらでも建て直しに転じられているのは、文字通り10年来の夢である。どうしてどうして、悪くない年だったよ。

 ああなったらいいのにな、こうだったらどんなに幸せだろう…
 普通にこの世に暮らしていたら誰もが考えるテーマである。あなたが次の瞬間に出遭う人にいきなりこの質問をしても、とりあえず全員が全員の百発百中でナニガシか中身のある回答を返してくるはずだ。
 では1億2千万人日本社会の過半数は、一体ナニを望んでいるのだろう?

 別に苦労や努力を嫌がって怠けて、場当たりに気の向くまま遊んで暮らすのが望みだとは言わないにしても、成長期に人並に勉強して運動して周囲と遜色ない教養と体力を身に付けておけば、成人年齢に達したところで自分が社会の一端を担う機能ポストがいくつか席を空けて待っている。
 その選択肢に対して『やりたいコト』『本当に好きなコト』『向いているコト』みたいなジブン基準で意思決定すれば、理想に対する満足度はともかく、みんなで運営している日本社会の一員になれて、誰かがジブンに価値を認めてくれて、その対価として人並のカネを当然のようにくれる。
 何だかんだで昭和世代は『望まずに済む』この安直な世界観をもって『世の中そんなもん』と受け止め、これよりも深いところについて一切考えずに暮らしてきた。何故いつも機能ポストに空席があったのか、何故その席を埋めただけで価値ありとされ人並のカネ換算にあやかれていたのか、意識したことがないのである。

 結論から先に明言しておくなら『経済社会で居場所がある』という事象は
 1.人に、社会に、いいコトになる。
 2.いいコト=他人に、社会に存在価値を認めてもらえる。
 3.その価値がカネ換算され、ナニがおいくらか決まってカネと釣合う。
 この三段階を経て成立するものであり、裏返せばこの有価事象の流通原理に則らない『本当は役に立たないでっちあげ架空価値の売買』や『価値交換と無関係にただの物体として動くカネ』は、全て経済社会に対して邪魔な外乱や損害性の雑音として作用する。市場が納得する交換相場を狂わせるのだ。

 ありていに言えば、人が、社会が、1億2千万人日本国が、本心から『なるほどコレはこうしといた方が良いな』と思う社会活動やその成果物こそが日本経済の実質駆動力であり、逆にイチ国民としてそこに疑問や反感が湧くような事物なら、そんなもの日本円経済体力の負担や障害にしかならない。無駄骨、徒労である。

 本来1億2千万人いる人間の『こうしたい』『こうしよう』と関係ない無駄なことをやるんなら、それが1億2千万人の『やる気なさ』となって、その人数規模で鬱が日本社会を埋める。
 以前にも述べたと思うが『景気』というのは活況つまり賑わいの度合であり、例えばそこにいる人々の気持ちが明るく元気に高揚していればそれが反映され、消費行動なんかの生活事象も盛んになる。その盛況が『好景気』で、指標値で決まるものではない。
 失われたウン十年とやらは、端的に日本人の誰も良いと思わないようなことばかりやっていたら、1億2千万人全員が面白くなくなって日本じゅうが陰鬱になりました、それだけのハナシなのだと思う。では何故これだけ人数がいて、全員が全員イヤになるようなことにしかならなかったのか。

 昔なら、良くも悪くも周囲のまとまった人数を従えるくらいの目立った人材が、そこに拡がる赤裸々な人間関係の現実のなりゆきとしてボス格に収まり、そいつが主導権を行使する形で集落スケールの社会組織が統治されていた。非・文明的とはいえ野生動物の延長としては正常に作動していたはずだ。
 集落の住民がみんな安心して、元気に、幸福に過ごせるよう、ボス格が住民の交通整理を進めていく限りその集落は平和に栄える。群れで生きる野生動物の代表的な集団形態がこの構図になるのも、誰もが自然なことと認識できるのではなかろうか。

 ずっと山野や海など自然に恵まれた日本列島で暮らしてきて、元々はそんな素質のボス格が参集して、急造ながらも近代国家運営スタッフ業域を埋めたんだから、当初その指示命令系がそこそこスムーズに機能したであろうことは想像に難くない。
 実力公認のちゃんと偉いヤツが指図するというのは理に適っていて、いかにも理想像にも見えるのだけれど、一方これはまさに階級社会の姿であり、支配層vs被支配層に各々立場を二分する社会構造でもあることに気付いておこう。実力に秀でて、社会全域を面積でとらえて最適化する目的意識を持てるボス適格人材あっての組織表なのだ。

 こんな体制が大東亜戦争の敗戦をもってガラガラポンで御破算となり、GHQ主導で制定された日本国憲法のもと1億2千万人みな平等の近代欧米式ってことで、年齢など一定の基本要件さえ満たせば誰もが国家運営スタッフに立候補することができるようになり、選挙で十分な得票数さえ集めれば、現実として国家運営スタッフ職に就くことができるようになった。
 ここで『平等』の概念と引き換えに、戦後の日本社会は『リーダー格の適性』を政治家の具備要件から外してしまったのである。

 もっとも欧米文化発の民主主義に基づく選挙プロセスに従って大衆がきちんと理性判断し、昔と同じく『社会運用に適性のある人材が選出されれば』何の問題も無い。
 だが民主主義確立に到る人類史を直接体験していないサル山日本国は想定外の失敗モードにそれて、社会ぐるみでロクに思考も選定もせず、結局『得票多数で勝てば支配権ゲット!』みたいな賭博型の陳腐な大衆ゲームにしてしまったのである。

 特に若い人たちにはよく見覚えておいて欲しい。
 日本国憲法以下どんなに綿密に考えて厳重な文書記録を残したとしても、その意味を建設的に読み取り、現実に直面する課題事象にその内容を活かすべく意思決定し、その価値現象を実現して幸福になる目的で実行動に動かなければ、全ては不快な鬱だ。
 どこそこにナニナニが書いてあるからどうしろこうしろ、あんなことがあったからコレコレを作文して対策しろ、何もかも無能のサルが、知恵も思考も思いやりも覚悟もなくやる限り、やればやるほど煩わしい面倒と無意味な履歴だけ積み上がってオワリだ。

 情報は、現実に活かしてこそ価値がある。人類文明史が重ねてきた知見が記録と通信を経て降臨し、具体的な文書情報にまとまって手に入ったまでは良かったが、進化の遅れた黄色いサルはヒトとしてそれを活用できなかった。
 最初は『霞が関文学』みたいなインチキ隠語の詐称スキル体系で日本語の表意機能をガタガタに不安定にさせ、当然そんなものを根拠に国政を動かしていたら、一義的ソリッドな現実との食い違いが誤魔化しようのないくらい顕著に問題化してくる。
 言語を意思疎通の情報体系として理解している人間なら、どこかでヤバいと察知して、文書情報と実行動の簡素・確実な整合に方針転換するはずであった。
 だが所詮はサル畜生、でたらめな奇声の代わりに、聞き覚えた日本語らしき吠え声をあげるところにまでしか知能が及んでいない。

 知性なく吠えるサルどもは間違いなく害悪だし追々駆除も必要なんだろうが、戦後ゼロベースから上向きにしか空間が開けていなかった時代の好き放題やりたい放題に浮かれて、日本社会が持っていた価値をサルのエサに使い捨てたのは、ほかならぬ我々1億2千万人日本人である。これはこれで誰がどこまで悪いというハナシはできるのだけれど、とにかくみんな揃って現状からの脱却は必要だ。

 2022年人智を失い、人類文明システムの正常作動を自己管理できず、国家組織の幸福な運営をしくじり続けた黄色いサルの卑しいサル山は、遂に深層崩壊の大きな亀裂がどこから見てもあからさまになった。思考停止で無責任にエサをやる慣習も急速に廃れて全員無視に転じてきており、必死にサル山支配権を主張する我欲宣言の辻褄も合わなくなってきている。このまま道理に従うコトの行方を眺めるとしようか。
 血で血を洗う社会変革の紆余曲折を経て欧米が辿り着いた民主主義の原理を、日本国はこの節目でどのくらい理解し習得できるのだろう?

 …ってことで、大変ではあるが必然にして必要な逆境の2022年だったと思われ、総じてあながち悪い年でもなかったかなと私は考えます。しんどくても諦めちゃ損ですぜ。
 相手もいないのに孤独に吐き捨てる愚痴を覗きにおいでくださった皆さま、今年一年どうもありがとうございました。どうぞ良いお年を、そして来年も御幸運を!
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【1122】ココロ新旧、歴史と伝説のヒストリア探訪 [ビジネス]

 さてイブ明けのクリスマス当日である。そろそろその一日が終わるけど。
 知ってる範囲のカタチだけでも、精一杯の想像だけの真似事でも、キリスト教という精神文化に敬意を表し感謝しよう。そもそも誰がナニして、なんでイエス・キリストが信仰の対象になっているのか。その世界観を共有すると、どんな理屈で人生に良いコトあって、ココロ充実して幸せになれるのか。
 私も詳しくないんだけど、そこに真剣な興味を持って学び、ただ自分ら勝手放題に遊んで騒ぐだけでないクリスマスを過ごせるようになり、キリスト教が説く慈愛の概念を習得して満足感の高い精神生活を送れるようになったなら、それこそが『宗教』という人類文明の本来意義というものだろう。

 同じ観点でナントカ学会やナントカ教会を対比させてみると良いのかもしれない。
 これまた詳しくなくて申し訳ないんだが、ナントカ学会って確か戦後の発祥だと聞いた記憶がある。『北日本出身の生活困窮者にとっての心の拠り所』とするべく、その目的を掲げて開発された寄合集団が原点だというハナシであった。
 わざわざ突込んでその真偽を確かめるほど私は暇ではない。悪しからず。

 今世紀に入ってこそ東北新幹線からナニから首都東京に直接アクセスして、日本中どっちからどっちへでも縦横無尽が叶っているが、1990年代ではまだ北関東以北からの鉄道アクセスは上野で一回、明確に切れていたのを思い出す。
 上野で一回降りて、もうそこは東京のど真ん中のはずなのに、妙に未整備のせせこましい階段やら舗装の荒れたそこらへんの歩道やら、薄汚れた垢抜けない鉄橋のたもとみたいなところも段差を喰らいまくりながら歩いて、改めて山手線の構内から都心一円の交通フェーズにようやっと乗っかるとか、そんな感じだったのだ。荷物の多い出張の時なんか、サムソナイトのキャスターが普通に転がらないし、上野を通過する旅程があると忌々しい心象に苛まれたものである。
 なお昭和の演歌なんかで妙に上野駅がドラマチックな扱いになっている理由がこれであり、当時の中高年層の脳内では東海道とは全く別区画の、哀愁漂う日本の上半分がそこから先に拡がっていた。

 終戦直後の昭和20年すぐ、総国力の落ちた日本社会で更に困窮した北日本から、大勢の国民が生きていくため殆ど身ひとつ同然で上京してきた。どうにか転がり込んだ先で雨風を凌ぎ食いつなぎながら、焼け野原からの経済復興の片隅に住み着いたのである。社会構造としての規律が瓦解しチカラずくの実力主義も横行する中、労働基準も何もあったものではない厳しい条件のもと、上京組は貧しく心もとない日常生活を余儀なくされていたという。
 こんな所縁の人々がなけなしの生活力を共有し、身元を固定しながら少しでも豊かに暮らすため、身を寄せ合って協力するコミュニティを形成した。
 もとはこれがナントカ学会の原点なのだというハナシだったのだ。それが真実だとして、ここまでなら戦後日本の経済構造が作り出した地方出身者の生活保障の歴史の産物ってことで、決して日本社会にいきなり歪みをもたらすものでもない。

 この寄合組織、成り立ちからして精神的な結束力は固かったはずである反面、運営資本の方は貧弱で質素だったのは間違いない。
 『だから』、優遇税制などを利用するため『宗教法人』の組織枠を狙って後付けした意図があったのだとすると、ここからハナシは捻じれてくる。私が無知なだけならば申し訳ないのだが、それにしてもナントカ学会に関して、その宗教ブランドが語る定番の精神世界ストーリーがあまりに見えなさ過ぎるのだ。
 ナントカ学会の宗教性を量る私の知識はここまで。有名なんだし、誰かオオヤケ面前で軽くでも布教してみてくれよ。

 いわんやナントカ教会となるとその結成の謂れさえ聞いたことが無く、ナントカ学会にしてもナントカ教会にしても、行政上の宗教法人枠を適用する必然性が全く見えない。毎月100万円の税金を使途も明かさず使い捨てる無能役立たずの国会議員どもが、こんなものを『とにかくイチ宗教である』ことを前提にした挙句、政教分離の原則の再確認も再徹底も結論を出さずに時間切れにしてしまった。
 もっともこういうのは『ナントカ学会やナントカ教会の集金マシン・集票マシンとしての機能』にも『現職国会議員の次期以降の支持率』にも跳ね返るだろうことはみんな判ってるんだろうな。
 だからこそ将来の安定した実益作動は諦めて今だけでも、宗教法人枠を隠れ蓑にしたままで政治団体の組織合法性を維持すべく、これらに群がっていた連中にとっては背水の陣で走り切ったことが窺える。かつての素朴な弱者寄合は、いま政権寄生虫のカネと票の生命線を牛耳る巨大宿主になっているワケだ。

 こうして見ると日本社会の政治も経済も、そんなに確固とした完成度で組み上がっていた理想形が崩れてきてこの現状、という流れでもないのかも知れない。
 もともと日本列島には農林水産業を主体にした地元各々の自然環境なりの生活があり、草木や海に囲まれて、農村も漁村も人々は集落単位で共同生活していたので、そんなに経済市場やカネが必要になる場面も無かったのではないだろうか。このとってもSDGsなネイチャー生活形態がずっとそれで続くのなら、集落のサル山単位で『生物としての人間の生存方策』はひと通り完結できそうに思う。

 だがいち早く近代経済や産業革命に目覚めた欧米列強が世界地図上で植民地支配圏の塗り分け競争を始めてしまい、日本はその一色にされないうちに一気に開国して、国際勢力と同じ土俵に上がらなければならなくなった。欧米相当にカネも要るし、工業も土木建築も要る。首都圏およびその近隣の有力者を中心に国家体制を整え、近代文明アイテムを急造せねばならなくなったのだ。一夜漬けで受験戦争への飛込み参加である。

 古式ニッポンのサル山構造だとはいえ一応その有力ポストにいるということは、前人類的ながらも、いや前人類的であるからこそ、ガチに優秀で賢く強い個体が血統を紡いでその座についていた確率は高かったと思われ、日本国はその総力を結集して海外先進国に必死に学び、近代文明パワーとしての国際級の国力構築に励んだ。大慌てで習得した先進技術は、日本列島の豊かな自然に鍛えられた理解力と創造力にみるみる吸収され『日本に洩らすとあっという間に模倣され、お株を奪われて自国産業を脅かされるぞ』と警戒の示し合わせを呼ぶまでになる。
 この過程で『衝突し滅ぼし合ってきた国際標準』に対して『共助協力し共栄してきた君が代メンタリティ』が極東各国の仲間たちを集め、独自の『大東亜共栄圏』という一大自治エリアとして名乗りを上げたのである。

 ここにこそ日本国が『大東亜戦争』と銘打って連合国軍に敵対宣言した根拠があると思う。かつて日本国は『世界地図のサル山で、ボス役の国の言いなりに従わない、手下にならない独自チーム結成を主張した』のである。これを『リーダーシップ』という。

 『思考と複雑高度化を繰り返す先進文明 vs 豊かな自然環境との協調共生』
 本来これが大東亜戦争の総観スケール的な対峙の構図だったと思われるが、いかんせん先進文明の手にかかると自然環境派はひとたまりもなく破壊され滅ぼされてしまうため、千変万化の日本列島に恵まれ知恵と思考判断に長けた日本国は『負けて支配されないための先進文明への同化』の道を選んだ。
 日本国にとって先進文明は、支配されないために必要なものだったし、戦後に先進文明の国際ステージで成功する主な手段にもなった。だが先進文明は、生物学DNAレベルで決して『適性として手放しで日本人に向いているワケでもない』と理解しておかねばならないのではないか。

 大慌てで構築した近代社会システムが日本列島の隅々まで徹底されなかったから、終戦時点でなお未完成だった北日本の社会情勢が、先進文明の社会構造の成立要件=『政教分離』の英知ルールをすり抜けるような、『宗教法人仕立ての政治団体』を作り出す致命的な失敗の発端を作ってしまったのではないかと思うのである。失敗しつけ込まれた事実を認められない国政は、今もその核心を検証する議論を避け続ける。
 『自然の摂理の一面』といえばあながち悪い響きだけでもないのだが、所詮はヒトの知恵の無いサル畜生の動物本能の方が戦後ニッポンに蔓延してしまい、とにかくいつまで経っても文明根拠の正常作動に直せない。

 そうか、年末年始も近いし、東京に行ける若い人たちは靖國神社に遊就館、昭和館、皇居などなどちょこっとだけでも行っときな。真面目にそれ目当てで行き始めたらどうせ一回で済まないし、今回は時間が空いたらの行けるとこだけで十分だ。
 決して思い通りに国家組織を切り回してきた日本国じゃないけれど、どんな時も諦めたり投げ出したりせずに、1億2千万人日本人が幸せになることを願って頑張ってきた。我らが祖国の姿をよく見ておきたまえ。

 ありゃ、年内あと一回かよ。明るく年越す話題を考えつつ、今週もグッドラック!
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【1121】諸人こぞりて、若人来たりて泣き笑いの夜 [ビジネス]

 次回はイブの夜も明けたクリスマス当日か。気付くとちょっとびっくりする。
 ちょっと前まで師走になるやならずで、もう街じゅうクリスマス一色だったのに。
 つまり日本社会が貧乏で『もうクリスマスどころじゃなくなってる』ってことさ。

 改めて、冒頭で繰り返しておこう。
 可及的速やかに消費税率を一律5%にするのが日本経済改善の急務である。

 市場の不況というのは、文字通り経済市場の現場における通貨の動きが額も件数も少なくなって、活気が失われた状態のことだ。『経済市場におけるカネ廻り』を強化するためには、少々無理をしてでも徴税を減らして、なけなしの支払い能力を総力戦で一般市場のカネ廻り駆動力に振り向けるしかない。
 市場経済操作の原理原則、基本中の基本であり、故に今すっかりその話をとぼけて『増税せねばならない理由』『増税のもと暮らしはどうなる』みたいな言論をしているヤツは、経済学者でもエコノミストでもない。見聞きする必要もないし、偶然見聞きしてしまったなら、金輪際二度と見聞きしないことだ。

 早々に消費税率を一律5%にするべきだったし、そうしていれば買い物をする人たちの人出で今ごろ街にはあの賑わいが戻ってきていた。ガソリン税課税の停止をルール無視の不履行ですっとぼける違法行為もかれこれ一年以上を迎えているが、過去に根拠をもって決めたのなら実行しないと、当初の思考根拠に基づいて物事がこじれるのは当然である。現状ガソリン税制は『ユーザーたる国民に金銭面の損害を発生させている』という観点で犯罪性のある違法行為であり、社会的に損害が出るのも必然なのだ。

 さて日銀のクロちゃんがいきなり事実上の利上げを発表、どうせ来春までの任期だし『クロちゃんも経済原理に基づく正攻法をひとつぐらいはやった』という事実を作っておきたかったのだろうか。『日銀、ナニやってたんだー!』の批判に対して『ナニもやらなかったワケじゃない』と言い返す根拠がひとつできた、それだけのことである。

 『利上げ』というのは、日銀が市中銀行に貸し付けた運転資金の利子が上がることなので、つまり市中銀行は一般経済市場から多額の日本円を召し上げて、日銀に返済せねばならない債務を負う。つまり『市場に出回り過ぎたカネを減らす操作=インフレ抑制策』ということになる。よろしいかな?
 まあ確かに、すっかり価値創出パワーを失くした日本円経済圏で、権力めかして日本円を欲しがるヤツに欲しいだけばら撒くため、将来世代の借金だってことにして無制限に日本円を刷って市場流出させたんだから、何か合法的な処理プロセスをもって市場から剝ぎ取らないと元の釣り合いには戻らない。
 『近年の経済停滞は、国政に言われるままに日本円を市場にタレ流した無能で愚かな素人クロちゃんのせい』とする物証を隠滅するための、何だかムツカシくて一般人にはよく理解できない財政工作として、この利上げは有効策に思えたのかね。

 ただこの金利は、中央と市中の銀行間で交わされるだけの何だかムツカシイ雲上の契約ゴトには終わらない。わかりやすくは一般庶民にとって人生で最高額の買い物である住宅の分割払い、つまり住宅ローンの金利となって日常生活に課金される。
 利上げされると、その利率でマイホーム購入した人はローン返済期間にわたって、日銀の日本円回収処置に率先して高額支払で応える立場となる。せっかくのその経済力があるからこそマイホーム購入を思い立つんだろうが、けれどそのお支払いが失政の後始末たる中央銀行のカネ回収に消えていくなんてまっぴら御免!ってのも無理ない心情で、これは市場に潜在する経済駆動力に水を差すことになるのが解るだろう。
 それでもまだ個人のマイホーム購入は嫌気が差して諦めれば済むけれど、市銀から融資を受け資金繰りして事業を回し、売上を得て返済しながらやり繰っている事業者は、そうは行かない。収入増と支出減の両面で、死んでも埋め合わせないと行き詰まる。

 年明けからの春闘を控えた今、国政が日本じゅうの企業に『賃上げしろ=市場に多額のカネを払え』と呼び掛けているのに、こんな矛盾するカネ剥奪の金利操作をやったら日本経済が混乱して無駄な工数が浪費されるばかり、ますます不況に拍車がかかるだけじゃん…とする当然の猛批判を恐れて、クロちゃんは『これは利上げではない』とか何とか意味不明の言い訳してんだよな。片手落ちというにも辻褄破綻のレベルが低すぎて、国家の政策のあっち側とこっち側として、こんな実現性の無い矛盾を、右も左も判らないような老人が読み上げて済んでいる光景が信じられない。
 利上げそのものも、この出来の悪い言い訳も、今さらクロちゃんの知能の産物だとは誰も思ってない訳だが、つくづくどうしようもない組織ぐるみの無能っぷりである。

 ここまで解れば、まず『無限増殖する日本円に対して、ようやくインフレ抑制策が採られた』とする査定意識を反映したぶん為替は円高方向には動くんだろうけど、だからって1ドル130円台は明らかに不自然だと見定めるのが常識的な感覚というものだろう。
 またしても裏で覆面ナンタラをやらかしているのは確実だし、その程度どうせみんな見抜いているから、本来価値としての日本社会の潜在経済力はシビアに買い叩かれて、平均株価が大幅に下がったりもしてるんだろうな。
 簡単なハナシで『消費税の一律5%引き下げ』『既定のガソリン税撤廃の順法施行』、この二項目だけでも国民景気マインド刷新効果は十分大きく、水面下のむっつりインチキ介入なんかやらなくても円高・株高への有効変化点は作れるはずなのだ。

 NHK朝ドラの悠人お兄ちゃん、映画”THE BIG SHORT”『マネー・ショート』のアウトサイダー側の役回りになったか、こいつは面白そうだ。若い子は少々粗削りでも尖ってても全然構わないし、同調気質の日本人でなくとも『みんなそうしてるから』の市場動向に引張られやすい原理が働く投資バトルフィールドで、リーマン・ショックを見抜けるくらいモノになってるって設定は、イ~イ線でヒネリが効いてると思う。
 ちょっと鼻につくヤなヤツだからって失脚する訳でもないし、失脚したからって人好きのする好人物にスイッチするものでもない。大事なのは、自分のスキルを正々堂々通用する価値に換え生存手段にして、世間や対人関係と組み合って生き抜いていく居場所を確立することである。
 サル山でボスの名札がついているヤツを探して、サル山マップの中で周囲との相対位置ばっかり椅子取り競争して無難に収まり、こぼれてくる齧り痕のあるエサやうんこ付きのおさがりボロ毛布をトクにして喜ぶようなサル生涯を過ごすようなことになっちまったら、それこそ人間オシマイだ。

 昨今テレビをつけた瞬間に偶然見てしまう画像だとか、売店や飲食店で見かける新聞の一面だとか、チラチラ目に飛び込んでくる公共情報が、意外なほど戦争や戦意の喧伝ばかりになっていて驚く。こんなもん誰が見るんだ?いや誰も見てないのが前提か。
 九段下の昭和館に行ってみな。戦時中の新聞・雑誌に大本営ポスターなどなど、どれもこれも戦争一色なのがよくわかる。今こそ1億団結、贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは。
 昭和ひとケタから10年代の頃、例えば『カムカムエブリバディ』の安子ちゃんが旦那と出会って死別するあたりの時代、そもそも雑誌というメディア自体が一般庶民にとっては手の届かない貴重品だったのだが、そんな当時から『婦人公論』だっけか『婦人百科』だっけかは存在していた。婦人雑誌の歴史は古いのである。

 その個人蔵の取り置きを何冊か見せてもらったことがあるのだが、対象読者層はもちろん高所得の家柄の専業主婦、しかも男の子が必ずいるという家族構成まで特定されていた。『この嫁は男の子を生まない』という理由で家系にとって存在価値なしとされ、三くだり半を叩きつけて離縁するような仕打ちがまかり通っていた時代だ。
 そしてその誌面の多くが大東亜戦争の男の子向け解説となっており、2ページ見開きで満州国や南洋まで拡がる大東亜共栄圏の図説がなされ、さらに敵対国との紛争境界線がそのあちこちを縁取っている。
 勇敢な大和男児を鼓舞するコラムの執筆者がまた戦史の超有名どころたる大御所揃いで、しかも厚紙の綴じ込み付録は軍艦のペーパークラフト…とまあ完全に少年雑誌化されていて、当時の世風を切々と窺い知れて非常に興味深かった。つまり全メディアが隅々まで戦争一色になっていたのである。

 再びナウ日常生活現場に視線を戻して、ああファッション雑誌も芸能雑誌も音楽雑誌もいつも通りの平和ニッポン、アジア一帯を恐怖と萎縮に陥れた侵略の軍事帝国は遠い時空の遥か向こう…ってことで安心して良いのだろうか。
 すっかり死滅した左巻き平和狂信人種の後を引き継いで、この私が現状を指差し『軍国ニッポン、戦争ニッポンへの大転換』なる緊急警告を叫ぶつもりなどない。
 だが、もしかして文明以前の野生的な原始欲をヒトの理性で自制できない黄色いサルが、民主主義議会制法治社会に自由競争経済市場などのシステム法則作動を実地運用できず、カネに困り、成果の実感に困り、思考停止で隷従する手下どもとしくじり組織御破算の自爆テロを目論んだ時の発現モードが、昔も今もこういうパターンになるのではないかと、少し気になっている。
 キホン自己防衛には、他者に施して他者を幸福にする成果物の概念=生産性が無い。労力をかけて強がり、相手を壊す機能にしかならないのだ。必要最低限以上にこんなものの盲目的な増強を叫ぶからには、よっぽど手が尽きて進むべき道を見出せずに、自分の平静を取り繕う見栄の余裕が干上がっているのではないかと見受けるのである。

 『歴史は繰り返す』の通説のもと、世界大恐慌の国際情勢から大東亜戦争に向かった昭和ニッポンの姿を脳内再生する必要は無い。だが生命の進化には時間がかかるものであり、人類文明の拮抗と衝突で生じた世界大戦の影響をいくらか受けたにせよ、豊かな日本列島に恵まれて能天気に育った黄色いサルは、人類文明の理知性の時空間に同化するまでには今なお到達できていないのではないだろうか。

 悠人お兄ちゃんなんかは人類フェーズへ斬り込む果敢な開拓者に見えるし、子供たち若者たち、しっかり心身鍛えて真面目に物事考えて、いつかサル山のバカ騒ぎでない高度なクリスマスを創り上げるがよろしい。
 人類の心中でイエス・キリストを唸らせ、腹抱えて笑わせてみな。聖夜も御幸運を!
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【1120】勘違いガラパゴス時空の地割れ幅 [ビジネス]

 さて昔話にいったん区切りをつけますか。いよいよ人類文明に背き続けた黄色いサルのサル山に大きく亀裂が走るのが見えてきた。
 この深層崩壊はもう後戻りせず確実に進行する。どうなるかは、もうちょっと経過を追って見ないとよく判らないなあ。

 大きな流れとしては、まず支配階級気取りの国政スタッフ層が闇雲に日本円をがめようとして、理屈から順番から何もかもすっとばして、とりあえず『増税』を国民に宣言したかったのだろう。それを指令のままに無能実行犯キッシーが棒読みして、増税宣言を一応の事実に残した。

 かつて、その発信内容に自律性を残していたいわゆる『マスコミ』『公共情報』の類は、放送コンテンツや紙媒体はもちろんのこと、インターネットで開くブラウザー画面を埋めるデジタル文書まで含めて、今はすべからくこの発狂国政の下請け広報ツールでしかなくなっている。
 あっちもこっちも1億2千万人の目に触れる情報は『何だか知らないけど、納得も行かないけど、とにかく増税だけはするんだってさー』みたいなことにしかならないように仕向けられてんだよな。私もネット接続した瞬間の最初のディスプレイ画面でチラ見するとこまでしか知らないんだけどさ。
 いちいちその先なんか開いて確認するかよ、時間の無駄に決まってんだろ。

 先に結論から行っとこう。耳タコの繰り返しでスマン!

 何よりも先に、消費税率を5%以下に下げることだ。
 直近3年ほどでやらかしが過ぎたので、もう現状起点での修正や修復の論議は消滅、一度は消費税という税制そのものを底ざらえで撤廃し、これにまつわる公務領域を完全削除し、そこから日本経済が残している体力を振り絞って『どこまで行けるか、行けるところまでやって到達点はどこか』をいち早く確認するのが喫緊の課題である。
 ただ『消費税』なる税目を可及的速やかに日本国財務から消去する試みの必要があるとはいえ、税制の構造変更としては結構な規模なので、段階的に進めないと余計な混乱で発散してしまいそうな気もする。では考えよう。

 最も理想的なのは、現状一般庶民生活の現場で、今の各自手持ちの経理システムそのままで『消費税率』に数字のゼロを単純入力して消費税撤廃相当を実現、壊れずに動くならそれで動き始めるパターンである。
 これで簡単に行くなら国内経済改善の効果としては最速の期待ができるが、1億2千万人全員がさすがに久々過ぎる『消費税ナシ』の財務習慣に脊椎反射的に戸惑い、一挙手一投足をいちいち立ち止まって考えてしまう現実が少し心配だ。ひとりひとり、一件一件としては些細な短時間だが、これが同時多発すると想定外の複合問題に化けるリスクを否定できない。現場が直面する直接作業が、いつでもどこでも、誰でも迷わず一発必中で決めて正解で処理できるようにしないと、社会全体の大組織スケールで物事の流れがそっちに向かない。

 だから、いきなりの理想像までは直接狙わず、本当なら最小限の3%、しかし計算もラクチンだしよく馴染んだ直近に戻す手軽さも加味して、やりやすいのは5%に軍配が上がるかなってことになる。
 以上『まず消費税率5%が現時点の起死回生の一点集中目標』、そういうことだ。

 消費の現場一件で10%計上されていた税収が半減するのは間違いないが、その減った半分は消費現場に関わるひとりひとりの家計を助けて、今なら余裕が出たぶんそれが次の消費に回る。現時点で日本社会は『贅沢や怠慢ではなく、質素な生活の必需がまかなえていない』状態にあるからだ。
 よってまず税収が半減したりなんかはしない。一時的かも知れないが、逆に消費税収が増える可能性さえあると思う。
 自治体役所の窓口は遥か以前から、地元の生活実態として何がどうなっているのか、誰の何の情報を信用して処理して良いのかまるで見えないまま、窓口職員の個人判断のもと日本円が『暮らしのままならない乞食住民へのお恵み』としてばら撒かれている。
 消費税なる庶民生活負担を社会全体の面積効果で下げて、こんな荒んだ現金授受を無くせば、少なくともこの悲惨な下流形態から抜け出す方向に日本経済は向く。今まで貧乏で買えなかったものが消費税が軽くなったぶん買われるようになり、これ以上お店や製造業が廃業で消え行くような国力損失を食い止めることにもなるだろう。

 日本円は無能政権の失政を正直に反映して底無しに価値を落とすが、日本国内で生産したり販売したりする人たちがいて、彼らがその日常を送っている限り、日本社会に生きる日本人の生活はそれに噛み合ってナニガシか回る。これこそが日本列島に現存する『国力としての日本経済の潜在価値』そのものであり、ここで何度も繰り返しているが、たかが日本円なんぞ、その実質価値を数値換算して流通させるだけの媒体に過ぎないのだ。この実質価値を見失わず、大切に維持・強化せねばならない。

 消費税率が下がる反面、消費行動の件数や金額の絶対値は確実に増えるのだが、最終的な消費税目の額の増減がどうなるかは、正直やってみて結果が出るまでわからない。というか、どんな能天気な予測を立てていようが、そこで見た結果を基準にするしかない。次どうするかは、そこから決める。
 だから、消費税制の縮小と同時あるいはそれ以前に、軽い財務負担の背景を作っておいて消費税減率の成果を精度よく出やすくさせておきたい。つまり徹底した国家財務の緊縮を急ぐ必要がある。
 ナウ国際情勢として、日本列島に武力行使の矛先が向くような危機ファクターもさっぱり見当たらないのに、狂ったように高額の軍事設備を大量買いする理由なんぞ、日本国にはこれっぽちも無いのだ。
 ま、恐らく公共情報は『国防強化、突然の増税アナウンス』をお題にぶち上げ、これを一番のオカズにして『戦争こわい、増税やむなし』vs『公約違反の増税、許すまじ』で揉めているテイで、各自の持ち場を暇潰し漫談で埋めてるんだろうな。知らんけど。

 まあいいや、ナニはともあれ軍事兵器の大量導入をやったとしようか。
 リアルに敵襲があろうがなかろうが、それを整備し操作する人員が必要なのは判るだろう。またどんなに電子技術や自動化が進んでも、最後の最後、国境線で敵兵と対面して戦火を交える前線部隊への十分な人員配置だけは人数省略できない。つまり。

 ただでさえ日本社会の若年層が減っているのだから、その現実解は『兵役』だ。

 私は機能組織を逆境でも目的通りに運用するための、強力な組織性行動スキルを習得できるはず…という利点において、成長期における兵役の履修を一概には否定しない。
 だが現状のこのボロい日本国政のもとで、素直で元気な白紙の日本の若者たちを、フヌケ腰抜けのドサンピン卑怯者がはびこるような亡国ダメオヤジ組織で兵役に就かせるなんぞ、断固反対である。
 全国民が赤貧に喘ぐ中、マシに動ける若者の就職先は国営軍。自分らだけ身なり整えてよく太った国家役人層がふんぞり返って御満悦、か。
 ちょっと前まで、これ見よがしに指差して蔑んで、時代遅れの下等国家めかして見下していた御近所さんの社会構造によく似てきたんじゃねえの?

 あらま、ここから新たにハナシ続けると終われなくなるな、今回のまとめだ。
 日本経済改善のため、諸悪の根源・消費税制を縮小し一旦は廃止する必要がある。
 直近には、消費税率を一律5%にして、税務を簡素化し国民生活負担を下げたい。

 この期に及んでまだ手当たり次第に国家支出を積み上げたがる現政権だが、昭和ダメオヤジの特性=『おのれのやらかしがそれと特定されて人目につくのを、何としても妨害したい』という自己保身欲に基づいて、もう日本円も日本国財務も全員巻き添えで実態不明の焼け野原にしようとする、証拠隠滅の自爆テロの策略が透けて見える。

 子供たち若者たち、以上全部『知らないハナシ』だったと思うがそんなところだ。
 ええと、次回まだクリスマスまで間はあるな、良かった。では今週もグッドラック!
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【1119】歪めた過去で戦争煽る劣化フィクション日本史 [ビジネス]

 またしてもの飛行機ネタ、しかもNHKってとこまで共通してるんだが…
 先月ミグ25について特集番組をやっていたので、もちろん視聴した。こっちで積み置きトピックにしたままグズグズしてたら先を越されちゃったよ【694】

 結論から行こう。その内容だが私のフェイク判定は完全クロ、落第である。
 『ソ連から襲撃される脅威に日本がさらされた』などと、当時のイメージとは遠くかけ離れた表現で、まるで今日の日本社会に戦争の切迫感をでっちあげて煽ろうとするかのような世論操作が感じられたからだ。こんなもの今さら『戦争こわい、侵略こわい』の引き合いに出すなんて想像もしなかったよ、あほらしい。

 時は1976年9月6日、函館空港にいきなり一機の戦闘機が強行着陸してきた。その機体こそ、当時にして東側の最高軍事機密とされていたソビエト連邦の『マッハ3の超高速戦闘機』ミグ25である。
 私はまだ11歳だったが、子供向けの飛行機図鑑にも『世界を代表するジェット戦闘機』として、側面図・推定性能ともどもミグ25がしっかりラインアップされていたのを覚えている。『最高機密のマッハ3』とはどういうことなのか?

 御存知の通り1960~70年代当時は『米ソ冷戦時代』と呼ばれる。ソビエト連邦vsアメリカ合衆国、この東西二大国かつ共産主義社会主義と民主主義資本主義の二大文明が、表向きには直接に武力衝突しない構図を維持しながら、実質的なトコロでどっちが強いか火花バチバチ対峙で世界の軍事覇権を争っていた。
 現実ガチンコにドンパチやっちゃうと、確かにどえらい水爆なんかが実在していたので、コトの行きがかり次第では世界史に切れ目ができるほどタイヘンなことになっていた可能性はある。米ソ双方に『自分らが本気の戦争モードになったら全世界的にヤバい』という自覚があったんでしょうな。

 …で、朝鮮半島だベトナムだと、他国の内紛の後ろ盾を分けるカタチで最新兵器を投入したり、相手方の本土撃滅を想定させる爆弾やミサイルなど、これ見よがしの圧倒的破壊力の実験をデモ競争したりしていた。米キャッスル作戦もソ連ツァーリ・ボンバも、まさにその象徴的な例だ【419】【420】
 そんななか超・高々度をマッハ3で飛ぶ米SR-71偵察機は別格の敵地侵攻手段であり【426】、東側はこのSR-71に飛ばれると『対抗手段ナシ』の立場に陥ったのである。軍事衛星も無い時代、モロに自国陣地の上空を通過しながら軍事施設を直接撮影されるというのは、かなり決定的な劣勢確定のシンボリック証左であった。

 このSR-71に対抗する切り札とされたのがミグ25戦闘機である。
 基本設計の時期としては今日も航空自衛隊に配備されているF-15イーグルと大差ないため、双発エンジンの双垂直尾翼に、胴体両脇の吸気口形状、胴体後端のジェット噴射ノズルなど、設計思想に共通点が感じられる姿である。ただ極限まで『最高速度イノチ』の設計思想が追求されたと見え、エンジンの吸・排気口はF-15より明らかにひとまわり大きい。
 要はソ連は『SR-71が飛来したら、ミグ25が追いついて迎撃する』というロジックを、国際軍事世論に成立させねばならなかったのだ。実際、恐らくは意図的に西側固定設置レーダーに捕捉されながら、対地速度マッハ3以上で飛んだデータが残されている。もちろん西側としては『マッハ3を出せる東側戦闘機』の存在に、それなりの警戒感であたることになる訳だ。

 実は数ある軍用機の中でも『戦闘機』のカテゴリーに分類される機種は、究極的な最高速度の性能ニーズがそこまで高くなかったりする。ここ一番で速いに越したことは無いんだが、何しろ速くなればなるほど高速対応の面倒ゴトが信じられない勢いで積み上がり【426】、ちょびっと速くするためだけに死ぬほど特殊な高額装備が満載、本来の戦闘力さえまともに持てないかも…というのが実情なのだ。
 F-15イーグルなんかはマッハ2.5で世界最速級だが、その高速のため最小限の火力を機体内蔵にして搭載している。領空侵犯してきた不審機を見つけてスクランブル発進して国境線まで駆けつけ、万一の場合は最低限の武力行使で不審機の作戦行動を抑止するまで。そんな目的によく適合する優秀な『制空戦闘機』である。
 強力な大小ミサイル群や長距離を飛ぶための増槽燃料タンクなんかを翼下に鈴なりにぶら下げてマッハ2.5だ3だはあり得ない。もちろんミグ25も全身ハリネズミ武装という姿はあんまり見せたことが無い。それにしてもSR-71が偵察に徹し、艱難辛苦を乗り越えて実用化している熱対策なんか一体どうしているのか、そこが西側技術者の興味の的だったのである。

 そんななかソ連軍のベレンコ中尉が北米への亡命を思い立って、ある日ミグ25に搭乗したまま自国ソ連の基地へと帰還せず、日ソの国境を越え函館空港に強行着陸した。
 『亡命』とは、早いハナシ自分の国を見限り他国の国民になることを決意して、自国を脱出し他国に転がり込むことを言う。少なくとも当時の国際規約において、どこか他国から亡命の意思表示をする人間が転がり込んだら、ともかく一旦はそれを認めて保護してやる規則になっていると聞いたものだ。

 地上設置の対空レーダーは低空飛行する飛行機の捕捉が苦手である。やはり山や建造物など余計な対象物との区別が難しいし、そもそもそれらが障害物としてレーダー波の遠達を阻むからだ。
 最高軍事機密のミグ25を勝手に乗り逃げして西側と同盟関係にある日本国を目指すのがバレたら、確かにソ連軍当局はベレンコ機の撃墜も辞さなかったと思われ、だからベレンコ中尉はできる限りの低空飛行で大陸から海を越え函館空港に飛来したのである。
 大気の濃密な低空でジェット機の燃費は極端に悪化するため、函館空港に着陸した時点で燃料の残量は結構なギリだったと言われる。ともあれ、こうして無傷のミグ25が日本の函館空港に着陸した。

 さて今回の本題はここからだ。
 ソビエト連邦は最高軍事機密たるミグ25を見ず調べずの手付けずで返還するよう、実にあの手この手の交渉を日本に仕掛けてきたという。当時、武力行使による強奪なんぞ許されない国際世風があったし、西側から見れば謎の多かった東側技術がその実質的な実力劣勢を自覚していたのだとすると、亡命で日本の手に落ちた最新兵器ひとつのために決して手荒なマネはできなかったと考えるのが妥当だろう。
 それにしても、よっぽど何とかしたかったようで、確か航空母艦から発艦を失敗して海に落ちた米軍F-14トムキャット戦闘機をソ連が回収しているので、交換しないかという話まで持ち掛けてきていたはずである。ここに『つけ入れば日米の同盟関係は流動的である』とする展開に賭けてくるソ連の戦略思考も見て取れて非常に興味深い。
 なるほどF-14は北米軍用機技術の粋を集めた機密のカタマリだが、とりあえず日米安保が公衆の面前で成立した関係にあるのに、そんなもん日本国がもらっておいてミグ25をみすみす手放せるはずもない。だが、そうまでしてソ連軍はミグ25の軍事機密を守りたかったのだ。当時の米ソ冷戦や日米安保の思惑が見え隠れした一件であった。

 結局ミグ25当該機体は函館空港で分解され、西側機関で詳細を分析調査された。
 『ガチでマッハ3は出せる。だが時限タイマー付きの必殺技で、しかもマッハ3出した機体は熱害で再使用できなくなる』というのが結論であった。
 SR-71対抗策として公認マッハ3を実現するためだけに開発されたような戦闘機、として過言ではないのだ。さらに鉄錆が確認されたり、チタン合金どころか汎用金属のニッケルもあちこち使われていたりして『なあんだ、脅かしやがって』と多少見下したような空気が漂っていたのも事実である。
 いっぽう超・特殊でもないそこそこの汎用技術の範囲内で、限定的にでもマッハ3を実現する骨太の実用性保証コンセプトには高い評価も集まっていた。

 これをNHKがドキュメンタリー仕立てで『ミグ25奪還をもくろむソ連が自衛隊と一触即発だった』とか『自衛隊員はゲリラ戦での命の危険を覚悟した』とか、まるでソ連急襲による日ソ開戦が水面下で人知れず直近まで迫っていたかのような、アタマのおかしい戦争脅威喧伝コンテンツに組んで流していたのだから呆れ果てたのである。
 北米から『ある有力な情報が入った』だの、ソ連軍が攻撃してくる『可能性がある』だの、完全架空のウソ作話にならないつもりの言い訳のところだけMC日本語が整えてあり、そこからハナシを拡げるカタチがあからさまだったのが実に悪質だと感じられた。

 …ってとこで今回も良い分量になっちまった、とりあえず当時を知る視聴者にとっては、この程度のコト百も承知の茶番フェイク再現ドラマでしかなかったと肝に銘じておけ!と括っておく。現場制作陣に、こんな世論操作を仕掛けるような強制力が効いてるってことだな。
 自衛隊にしても、どこの誰がどんだけ怖いと『指揮命令の絶対性』を口実に、ああいう国家危機管理のイメージ広報がしれっとできるもんなのか、尊敬と信頼を寄せるイチ国民としては困惑せざるを得ない。

 すっかりテレビなんか観なくなった今、受信料払って朝ドラは楽しく観れているNHKなのに、こんな質の情報を垂れ流してもらっては困るのである。これじゃ支払い拒否が続出するのも道理としか言いようがないぞ、しっかりしろ!
 子供たち若者たち、よく見ときな。バカな黄色いサルはこうして戦争を起こす。
 反戦を叫ぶなら、正確に学んで正しく叫ぼう。とりあえず明朝もグッドラック!
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【1118】見えない伝説の妖怪との知的会話術 [ビジネス]

 そうか、水島学生は操縦操作に夢中になって管制指示を聞き落としたんだな。そのあと柏木くんが『水島は複数のことが同時にできない』と解説を入れてくれてたんだ。
 聞き逃してたよ。土曜日の週刊ファスト版(?)を見ていて理解が追いついた。

 前週、大河内教官の着陸特訓の座学で『失速』について触れていたのでその話から。
 飛行機の翼の断面は、基本的にカマボコとひとだまを足して2で割ったようなあの形状をしている。で、ちょびっとだけ前縁側が持ち上がっていて、まあビミョーにサーフィンっぽく正面から来る空気に乗り上げる角度がついているワケです。これを『迎え角』と呼ぶ。
 …ということは、何か翼を押し進める推力が無いといずれ前進できなくなって飛行機が止まってしまう。どんなに高性能のグライダーでもほんの少しずつ重力に引かれて降下しており、緩い緩い坂道を滑り落ちながら、徹底した抵抗の低減と揚力発生の効率で長く長~く滑空し続けているのだ。

 飛行機の操縦を間違えて機首を上向け過ぎると『自分の推力では戦えない空気の上り坂』に乗り上げる形となり、飛行機は前に進めなくなる。造りの悪い紙飛行機が頭を上向けては進めなくなって、カクンとおじぎして落ちて、でもまたすぐに頭を上げてしまうパターンがあるが、あれがまさに『失速』だ。
 翼は上面・下面に沿って綺麗に空気が流れてくれるからこそ揚力を発生するのであり、迎え角が付き過ぎると腹面でブルドーザーのように空気を押しのける一方、背面は押しのけられたあとが真空になる訳には行かないので、周囲の全方向からデタラメに空気が殺到してきて乱流が巻き込む形となる。こうして飛行機は翼断面が斬り進む方向に行けなくなって前進が止まり、重力に引かれてカクンとおじぎするのだ。
 紙飛行機ならば機首を重くし、重力に引かれて前進方向に滑り落ちるパワーを強くしてやれば改善する。

 実際の航空機の場合、着陸時にはまず機首を上げ失速しないギリまで速度を落として接地したい。また荷重満載の大型旅客機などは機体重量を主に支える主脚から接地させないとヤバい。だが大型機が着陸態勢で失速したら回復できず大事故を起こす可能性もあるので、あの手この手のサポート技術が開発されている。
 離着陸で一連の『高揚力装置』が活躍するのを見た方は多いだろう。主翼の後ろ半分なんか、びっくりするぐらい後方に伸びて主翼面積がでっかくなり、さらに窓のブラインドのように多層スリット構造にもなって、翼背面に気流を追従させながら腹面で気圧を受け止める仕組みがよく見える。

 機種によっては主翼の前縁側も分離して前方にせり出しスリットを開ける可動構造を備えており、このタイプは迎え角の限界が高く、着陸態勢の早期から低速で迎え角を大きく取ることができる。
 何年か前に国内線パイロット数人と世間話する機会があって、この前縁フラップを備えた機種に比べると、無いタイプの機種は滑走路に頭を下げダイブして突っ込んでいく感覚が顕著でちょっと怖い…という話を聞いた。そんなに有意差があるのか、ならば軽さイノチの飛行機にわざわざ作動信頼性まで保証して前縁フラップを搭載するメリットは十分理解できるなあ。
 へええ~乗客1名として薄らぼんやり乗せてもらう立場からは、つゆとも知らずに羽根の機械仕掛けを眺めて喜ぶだけでしたわい。スイマセンでした。

 因みに、こんな手の込んだ仕掛けまで造り込むのは、改めて『翼の表面に沿わせて綺麗に空気を流すため』である。
 古くから飛行機乗りが恐れる『グレムリン』という妖怪について、子供の頃モノの本で読んだ。飛んでいる飛行機に突如襲い掛かり、翼やプロペラを壊して墜落させることもあるとされる。今ちょっと調べると飛行機に限らず機械に悪さをする妖怪だそうで、大英帝国発の伝説らしい。なるほど産業革命の機械文明発祥の地ということか。
 元々人間の発想力を助けたり職人の手引きをしたりしていたが、人間が彼等に敬意や感謝の心を忘れてないがしろにしたため、反発して悪いことをするようになったらしい。科学や力学、技術、気象学、工学、航空工学に詳しいのだという。あら仲良くなれそうだわん、いっぺん飲みに行きたいねえ。

 まあいいや、このグレムリンくんだが、複数の本で『科学の発達した今の時代でも、パイロットたちが固く信じて恐れている』とする解説を読んだ記憶があるのだ。当時は『ふう~ん、飛行機は墜落の現実的リスクがあるから、現代のパイロットの間にも迷信めいた漠然とした危機感があるのかな』ぐらいにしか思ってなかったんだけど。
 後にいろいろと知識が身に付くにつれ、これは恐らく過冷却水による着氷事故の危険性を警告する注意喚起の言い伝えなのではないかと考えるようになった。よってパイロットが遭難のジンクスとして信じる妖怪グレムリンには、出現しやすい特有の気象条件がセットになって伝承されていると思われる。

 過冷却水とは『氷点下の水』のことだ。え?零度以下だと『氷』じゃないの…?
 別に特殊な実験室のような慎重さ精密さは必要なくて、コップでもペットボトルでも、水を汲んで静かに氷点下の環境に置いておくと過冷却水になる。この段階で、温度は零度以下の『液体の水』だ。
 これをちょびっと揺すったりコツンと衝撃を与えたりすると、みるみる固体に固まって『氷』となる。水分子H2Oは『一方が正極vs反対側が負極』の磁石のような特性を持っており、コップやペットボトルに汲んでそお~っと冷やすと乱雑に積み重なっているのだが、ちょっと衝撃を与えると正極と負極が連結器のように引き合って、次々と規則的な『氷』の結晶構造が組み上がるのである。
 測温点位置や静穏設置の事情にもよると思うが、私がかつて蓄冷剤の検討実験でそろ~っと水を冷やした時は、確か実測マイナス8~マイナス12度ぐらいまで過冷却水でいてくれた【929】
 因みにこのまま構わず冷却を進めると、さすがに衝撃ナシでも勝手に結晶構造が組み上がるのだが、その過程で凝固熱が発生するため、冷やし続けているのに右肩下がりだった水温グラフはその瞬間一旦零度まで急上昇する。そしてそこから再び、今度は氷として再び氷点下の温度域を右肩下がりに降下していく。こうなった先はもう冷え続けながら、安定した固体としての氷の物性で振舞うのみだ。

 空中でもそお~っと吹き上げられながら氷点下で育つとこの過冷却水滴の生成が起こり、飛行機がその空域に突っ込むと機体に衝突した瞬間にその衝撃で氷結するのだ。あっという間に翼は翼面形状でなくなって揚力を発生できなくなるし、プロペラは軸対称のバランスも狂ってまともに回らなくなるだろう。自機の翼やプロペラの目視確認が難しい機種など、いったい何が起こったのかも判らないまま敢えなく墜落するケースはあったと思われる。
 寒い地域の古いアパートの洗面台などで、水道の栓を開けると一筋の水が流れ落ちて、その落下点からみるみる積み上がって氷の山が成長していく現象なんかもこれだ。水道管の中で過冷却水になっていて、シンクに落ちた衝撃で氷の結晶構造ができあがっていく姿があれである。

 なおこの過冷却水が地表に降り注ぐと『凍雨』と呼ばれる過冷却水の雨となる。
 送電線で氷結すれば重量と空気抵抗の増大により断線事故の原因になるし、洋上の船舶の場合は水面高以上に重心が上がってしまい転覆事故の原因にもなるという。とにかく遭遇したら簡単には脱出できないし、雨の当たる箇所すべてにえらい勢いで着氷していくため始末が悪い。
 飛行機の主翼の前縁に電熱線を入れたり、ゴムブーツを被せて空気で膨らませて氷を砕いたりという試みもあったらしいが、氷を融かすほどの電熱線も発電機も、氷を砕くほど柔軟なゴムブーツも、現実的なデバイスとして飛行機に載るとはあんまり思えない。どんだけ実用対策になったのだろうか。

 フロリダやテキサス南部などメキシコ湾岸から飛行機に乗ると、有視界飛行でダルマさん以上というかコケシぐらいの縦横プロポーションの雲が林立する中を、右へ左へかわしながら飛ぶようなシチュエーションに時折遭遇したものだ。雲の柱越しに高度違いで同じように飛んでいる他機も見えて面白い。
 これが確かに地上で出遭うとガチで滝のように猛烈な熱帯性スコールになっていたりもして、私は喰らわなくて済んだのだが、時として物損や人身の被害を出すほどの雹(ひょう)にもなるのだから、なるほど雲の中はタイヘンなコトになっていてパイロットにとっては命に係わる重大リスクなのである。前回のフロリダ回顧に続けてこんなことを思い出したので、この機会に消化しておくことにしました。

 久々に熱を出しちゃった舞ちゃんはどうやら大ゴトにならず訓練に復帰できそうな感じだが、何のスキルがどれだけあっても健康を損なうと全てが台無しとなる。いわんやそれが学習過程となると、向き合った現実を率直正確に感知し体験し記憶し、スキル構築して我が身に定着させないと意味はないため、被害は甚大だ。
 特に空に上がっちゃうとキホン誰にも助けてもらえないし、自分で自分のことが見えなくもなるから、やっぱり相応の能力と覚悟と健康管理が必要なんだろうな。

 何はともあれ飛行原理を失うと、まさに打つ手なしで落ちるしかないのである。
 物事の原理は正確に理解し、その成立を死守する以外に生存できる道理はない。
 無能サル山を欺く余計な浅知恵や言い訳などシカト放置で、今週もグッドラック!
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【1117】長期在庫1億2千万個入りミカン箱の品質検査 [ビジネス]

 聞き取れない無線指示を『ラジャー(了解)』でスルーしてしまった水島くんが航空学校を脱落。大河内教官コメント『一点集中になりがち』の評価が妥当かどうかは劇中の描写だけでは定かでないが、『航空管制の情報を正確に扱えない』は間違いなく不適格判定の決定的要件だ。

 聞き取れなければ百回聞き直してでも正確に把握すべき…は実は『べき論』であり、待ってくれない現実が次々と取り返しのつかない事態の悪化を招く現場作業において、理由はともあれうまく機能しない通信を早期に切り上げ自責で完結しようとする思考フローは、人間として自然なものだ。
 だが事故を起こさないよう交通整理している航空管制の情報には正確に従わないと、今度は確実に事故を起こす。だからパイロットは普通の人間として自然であってはならず、故に『専門職』なのだと思う。

 …と偉そうな切り出しをしておいていきなり横道によろめくのだが、黄昏時のロサンゼルス空港では次々と着陸してくる飛行機の灯火群が空港への進入路に沿って列を成すのが見えて、とても美しいのだと言う。ちょうどその時間帯に来客を拾いに行く度、よく見かける景色だと聞いた。
 LA空港は北米滞在期間中に結構ゲー吐くほど訪れていた私だが、残念ながらこの景観は一度も見れずじまいで今日を迎えている。ああ悔しい。
 ともあれラッシュアワーの着陸進入路はそういう状態で、恐らく操縦士視点だと自分のひとつ前以上の先まで他機の着陸が目視できる間隔に詰まっているはずであり、この西海岸ハブ空港の管制指示の実態はその時間帯どんなことになっているのだろう…と思いを馳せつつ何度も管制塔の姿を眺めたものだ。一機でも失敗したら大変な混乱になる。

 一方LAやデンバーなど長距離航空路の一大拠点はともかく、フロリダ半島付根の東岸ジャクソンビルから先端近くのフォート・ローダーデールまで飛んだ時などは、もう旅客機というより田舎のバス停から出るマイクロバス、いやタクシーみたいなのどかさであった。ついでなのでこの思い出話もやっとこう。
 フロントで搭乗手続きを済ませ荷物を預け、表示に従って歩いて行くと…あれ?建屋の先端どん詰まりまで来てそれで終わらず、そこから表に出て地面に降り立ってしまった。もちろん滑走路の一端であり、視界にいる飛行機たちと同じ路面に立っている。
 …えーっとお。
 そこから大西洋南国の日差しを浴びつつ少し歩くと、確かに航空会社のカラーリングを大型機相当に施された小さなレシプロ双発機が待っているではないか。胴体の途中が下ヒンジで反転して開くと、室内面の側がタラップになっていて地面に着くというアレである。そこで初めて『あ、もしかしてコイツで行くんだ?』と気が付いた。うわ~映画みたい、黒のアタッシュケース持ってくるんだったよ。
 確か乗員3名を含む8人乗りとかその程度で、客席と仕切られてない操縦席の様子を後ろから存分に観察できたのが嬉しかった。広い北米で需要規模に合わせただけの一例だろうが、定期航空路線だからって大型旅客機ばかりでもないのである。そりゃそうか。

 さらに横道に踏み入るのだが、本当は最初からフロリダ半島の南端マイアミに降りて現地スタッフと落ち合うのが早くて安くてラクだったのだ。しかし私はこの時が初のフロリダ入りで相棒とお互い初対面になる巡り合わせであり、スマホどころかインターネットも普及していない時代ゆえ双方がモノクロFAX感熱紙の画質で顔写真を手に、自分の名前と所属をひけらかしつつ探し合うしかなく、さすがにマイアミの治安下でそれは受難トラブルのリスクになるでしょってことで、わざわざジャクソンビル経由にして先に人の少ない所で合流を済ませたのである。
 後にマイアミシティでは夜に出歩いたり、もちろんマイアミ空港からLAに飛んだりもしたが、中南米と近接するあのあたりは、やはり侮らず勝手を解ってから動くのが転ばぬ先の杖といったところか。とりあえず日本国内では、北海道から沖縄まで飛んでも同じ日本国内として、そこにある大衆の気質や常識まで含めて均質の社会構造が保証されている訳だが、それって『日本列島』という括りあっての成り立ちで自然発生した、かなり恵まれた生活環境事情だと認識しておいた方が良いと思う。

 さて水島学生に話題を戻して、彼は最悪でも『聞き取れませんでした。いま当方は管制指示を理解していません。申し訳ないが当方の独断で着陸を決行します』と一方的に言い切る決断をせねばならなかったはずである。
 相手のいる現実をさばく作業なのに、相手と確実に意思疎通しないまま、しかも相手に『自分は解ってませんよ』とも伝えないまま重保マターのプロセスを単独強行するような人間は、その業域に不要だ。

 というか極めて危険な災害因子としての害悪であり、なるほど本人が自己分析として何をどう自覚していようが『ダメなものはダメ』として判定を下してやらないと、事故が起きてからでは遅い。『いてはいけない人間』である。
 何から何まで指差呼称しながらシラミ潰しに確実を保証する必要はないし、それは現実的でもないけれど、『ハズしちゃいけない管理ポイントをハズさない確認センスで、やるとなったら絶対にハズさない高信頼性モードで実行できる』というところが重保キーマンの能力要件なのではないですかね。
 『コレコレこういう場合にはこう対処する』の定型フローが筋書き通りに成立しない場合、航空管制なる情報センターが交通整理しているのだから、他にどいてもらう調整をそいつに押し付けて怒られながらでも安全確保して帰投するのが最優先であろう。無事故でコトを収めなければ、後始末も改善も叶わない。

 私は航空管制の仕事を知らないが、『事故を起こしてしまったら済まないでは済まない=死んでも失敗できない』重責に直結した意識で実務に携わった人は、事故につながる『現実の展開の原理』に厳格に忠実であり、確実に現状把握して、正確な対応を実行する精神規範が感じられるものだ。
 逆に些細な想定外に出くわして、罵声や悪口などボロい日本語の乱れがこぼれ出たり、遂には大声を出したり物音を立てたり、いわゆる『威嚇』や『泣き落とし』のような場の勢いの領域にコミュニケーション手段が迷い込むような人種は、結局のところ現実をさばけない。
 この手の押しの強さ…というか、こんなもの何の実効パワー強度にもならないので強弱概念の日本語では語りたくないのだが、こんなしょうもない無能低能の面倒くささをもって『あの人は怖い』『あの人には勝てない』みたいな権力の認識が共有されるような組織空間ができてしまっていたなら、一旦そのポンコツ組織は解散のガラガラポンにしないとダメだろう。現実の原理でないものを組織力の基準にしてしまうのだから、マトモな生産性機能を持ち合わせるはずもない。

 逆説的だが、こんな半人前のナメた緩みを叩き直して命に係わる原理順守の緊張感を条件反射の領域に刷り込むため、重保の現場では怒鳴り声が飛び、必要とあらば体罰も駆使して行動規範を叩き込む。叩き込まれたらハイ!と返事をして命令に従う。
 今どきちょっと重労働に見えそうな業態があると『違法、ブラック』と囃し立て、因縁がつけられる隙があると見るや『ハラスメント、コンプライアンス』を叫んで無駄無益なディベートばかり繰り返す痴呆職場が増え過ぎており、そんな茶番に毒されていない新卒人材の側から『ウチの職場がホワイト過ぎて…』と呆れられ退職に到ってしまうケースさえあると聞く。
 なるほどな、独自の意識も生命力も感じられないフヌケのママゴト組織に身を預けて、腐ったミカンと同化してしまう危険に怯えたか。若い人のその判断は正しいよ。

 1億2千万人日本国組織は『民主主義議会制法治国家』『資本主義経済と自由競争市場』『通貨経済および変動相場制』これら数々の社会運営システムの原理を『国家生命に係わる大ゴト』として意識できているのだろうか。

 努力をしても、パイロットになれない学生はいる。
 努力もせず退化して、先進人類になれない黄色いサルもいる。
 舞ちゃんは『努力は報われんねん!』と言っていたが、そもそもその努力からしなければ、パイロットにも先進人類にもなりようがない。私情を捨てて正確に現状認識して、実効努力に汗を流して、報われるかどうかはそこからの問題なのである。
 子供たち若者たち、サルの群れなど置き去りにして進化の道へ、ではグッドラック!
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【1116】孤独な鬼教官の散財GO AROUND猛特訓 [ビジネス]

 いの一番に過去記事の訂正から。自宅パソコンを更新するにあたって、今夏に購入したiiyama Infinity IStDEi-M06M-127-UHCXM型が『PC本体+キーボード』の構成でありマウス別売であるかのように勘違いして書いているが『有線マウスも同梱』でした。
 家じゅうに転がる空箱を整理してたらコロンと出てきたのだ。確かにな、キーボードまで入れといてマウスなしは悪魔だわ。ともあれ不注意でスイマセンでした【1107】

 …で、前回から引き続き脱ステ関連情報の補足から始めよう。
 10年目を迎えて今年一年は結構あちこちで『本当に綺麗になったねえ』と言ってもらっていて、口元で指先四本揃えて『あ~ら、お上手ねえ♪』と謙遜しながら隠した口元で含み笑いなどしたいところだが、この年齢のオッサンともなると難行苦行の成果としての言われ甲斐しかないさ。年頃の乙女でもないが故に『いっや、そ~おでしょ~』などと思いっきり実感こめて堂々肯定している。

 もっとも折角ここまで来ておいて、ある日ふと胸を押さえてうずくまった途端にコト切れちまいました…ってのは勘弁して欲しいので、おめでたいのは顔だけのクチだけにして大人しく自己観察するまでが今時点の限度だ。節目をもって完治の決定的事実が燦然と宣言できるものでもなさそうだが、とにかくまず『治った!』を言い切るかどうか考える段階まで改善してからのハナシである。
 世間の医療現場での無駄な勘繰りや拒絶につながると本末転倒なので、くれぐれもそうならないよう自己管理をお願いするとして、とにかく常用している薬のある人は、その薬について一応でも調べて、解る範囲で構わないので御自身なりに知っておくべきだと思う。
 解るところ解らないところが判ったら、その質問を改めて検索すれば、また次の段階のきっかけもつかめてくるだろう。まさに盲信催眠術でマインドコントロールとやらにかけられた廃人どものように、自己判断放棄で言われるまんまふらふらと謎の注射を打たれに出ていくような時代でもなくなっている。気をしっかり持ちましょうぜ。

 …ってとこで、今度はちょっと楽しい技術系の話題へ。いや朝ドラ絡みのネタですが。

 舞ちゃんは順調にレシプロ小型単発機で飛行訓練の段階に進んでいるが、う~ん残念ながら、私は飛行機の操縦を知らない。十数年前に池袋の東急ハンズで、確か千円ちょっとで売っていた赤外線遠隔操作の冗談みたいな飛行機を面白半分に買って、当時住んでいた郊外地の住民施設が持っていた体育館で飛ばしたのが恐らく最初で最後である。
 発泡スチロール板のマンボウみたいな形をしており、手のひらに乗るぐらい。確か数分間キャパシターに蓄電させてマイクロモーターのプロペラで数十秒飛ぶとか、その程度だ。赤外操作だから家電のリモコンみたいなものであり、ボタンを押すと垂直尾翼の方向舵がどうにか左右にパタンペタン振れる。それだけ。
 屋外だとそよ風にも抗えず吹き流されてしまう程度の造りだったが一応は飛んだ。ちゃんとオペレーションが効いていたのかどうかは飛行がか弱すぎて不明だ。家のどっかにまだあるはずだが…

 どちらかというと、私がまともに操縦っぽいオペレーションを体験したのはヘリコプターの方だったりする。平成ひとケタの頃だったと思うが、自分一人で試すのが怖かった友人にそそのかされて巻き添えにされ、キーエンス社製の『レボリューターH-610』という電動ラジコンヘリを買ったことがあるのだ。実機でなくてスマン!
 もともと当時のラジコンヘリはまずバッテリーとモーターが重すぎるのでエンジン駆動のものしか存在せず、大人の散財道楽にしても特殊かつ大層すぎて我々のような雑魚はお呼びでない世界であった。ところがこのレボリューターくんは胴体長も主ローター径もせいぜい30センチ程度の超小型ながら、さすがというかオモチャで済まない電子制御を満載しており、送信機からバッテリーから全てが箱詰めされたオール・イン・ワンの製品で確か価格も5万円以上したんじゃなかったっけ。

 そりゃあもう値段だけのことはあって、スイッチを入れるとまず飛行姿勢を維持するため内臓されている機械式ジャイロが回転を始め、その回転数が安定したのを検知して自動的に主ローターが回り始める。
 このへんは機械がやってくれるので、送信機でパワーを上げてやれば離陸する…という順番は正しいのだが、たったそれだけのことが実はそう簡単ではない。驚異の自動制御機構を備えてなおの、あの凄まじいジャジャ馬っぷりは今も忘れられない。
 主ローターの揚力空気流は地面にぶつかって四散する訳だが、そんなに均一平坦に放射状に散るはずもなく、強烈な乱流を巻き起こす。
 ジャイロによる自動姿勢制御でも足りず間に合わず、要はじわっとパワーを上げていっておもむろに離陸、は不可能なのだ。とっとと50センチなり1メートルなり高度を上げないと、自分の起こした乱流に巻かれて姿勢が大きく崩れ、主ローターが地面に接触して最初からまともに飛び立てずにオシマイである。

 超小型の電動ヘリなので室内専用、他にぶつかったとき危なくないように、主ローター翅もテールローター翅もスーパーの魚介類パックのような発泡スチロール素材でできている。墜落して横転すると、飛翔パワーで回転し続けるローター軸のため機体は付近をのたうち回り、なるほど機体本体や周囲のモノは壊れないのだが、主ローター翅は粉々に割れて砕けて飛び散る。いやはや交換用ローターをいくつ買ったことやら、先進技術の粋の割には派手な大事故を頻発する製品であった。

 ならばと、もたもたせず一気に上昇したらしたで、本当の試練はそこからである。
 主に左右各々の手で前後左右に倒れるレバー2本を操るのだが、前後進と左右横滑り移動まではともかく、例えば『右旋回で進行したい』と考えた途端、いともあっさりパニックに陥る。そのつもりでレバーをまず前方そして右前方に倒すと、機体はまっすぐ前方を向いたまま将棋の角の駒のように斜め進行してしまい旋回してくれないのだ。
 な、なるほどな…確かにそうなるはずだわ…

 まず直進速度を十分維持しつつ機体を右に傾け、揚力を左下向きに蹴り出すとともに、更にテールローターで尻尾をうまく自分の調整で振ってやらないと、円弧の軌跡を描いて飛ばないのである。今まで『進んで、曲がる』の時にただのセット現象だったはずの進路や速度や姿勢がバラバラに要素分解され、それらひとつひとつがわざわざに意図して調和させるべき操作アイテムとなって複合オペレーションを要求してくる。
 こ、これは気が狂いそうだー!どうやって練習するかから考えないと歯が立たんぞ。
 この事実に気付く頃には、機首がぐるぐるデタラメな方向を向いていて万事休す、何をどっちに操作したらどう飛ぶのか判るはずもなくなっており操縦どころではない。何かに接触する前に一旦着陸させるしかない。

 ところが着陸は離陸より恐ろしくて、理想は乱流に耐えつつ20~30センチぐらいの高度から機体を無難に落としたいのだが、空中で既に機体姿勢もオペレーション操作も完全破綻の大混乱になっているから、結局もっと高い位置からまっすぐでもない流れながらの失力落下となり、そこらにローター翅の破片を撒き散らしてフライト終了である。岩倉学生でなくとも全員死亡確実の大惨事だ。
 当時住んでいた社員寮の無人階が訓練空域だったのでカーペット敷きの床が幸いしていたとはいえ、あれだけ繰り返し墜落して機体も周囲も壊れなかったのは立派。いやいや面白かったっす。

 大地に接地摩擦で踏ん張り、前後進の加減速に左右の操舵だけで運転できてしまう自動車の手軽さを思い知り、それであんなに楽しめるという事実に気付いて感動しまくったものである。自動車も両手各々で左右前輪を別操舵とし、下半身のひねりで後輪も操舵させ、両手指の引き金よっつで各車輪の出力を操る…とかやれば、多少はヘリ操縦の気分が味わえるかも。それでも高度で悩むことなく墜落する心配も無いだけ絶対ラクだ。
 空中に上がるとまずx-y-z三軸の座標をおのれで決めに行かないと誰も外から持っててくれないし、上がったら上がったで全方向の姿勢と運動に目を光らせ気を抜かずコントロールし続けないと、あっという間におのれの現状を見失って、操縦のつもりでやることなすこと全てが的外れの自滅行為に転じて墜落する。

 その後もっと安価で単純なラジコンヘリが次々と発売されていたようだが、今どき全てはドローンに淘汰されてしまったか。それだと何だか寂しい気がするなあ。
 飛行機の場合、速度をもって前進し続けている基準状態から『現状をどっちに向けるか』という運動モデルになると思われるのだが、空中静止から始まるヘリコプターよりはマシなもんなのだろうか?
 とある実機ヘリの操縦者が『テニスラケットの打面にボールを置いて、落とさずに維持する感覚』に例えるのを聞いたことがある。とにかく『航空機を操縦する技能』というのは別格スキルだと思う。憧れるよな。

 クルマは空を飛ばないし、空を飛ぶ機械は構造も物理特性もクルマとは違う。
 前に似たようなことを書いたかも知れないが『空飛ぶクルマ』という妙な造語は、どうにも技術的に収まりがつかず理知センスの無いネーミングだと引掛かってしょうがない。『解ってるヤツ』として、小型軽量のモーターやバッテリーなど汎用性高い重要技術エッセンスを抜け目なく刈り取るスタンスで関われるよう、クールな新呼称はないものだろうか。

 思い切って空中に飛び出すなら、それなりの獲物を狩らなければ『地に足が着いていた』安心感が懐かしくなるばかりのくたびれ儲けに終わる。いっときカラ騒ぎしても、それじゃつまんないだろう。
 若者たち、空を見上げて何が欲しい?どこへ行きたい?では今週もグッドラック!
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【1115】10年目の大シケ航海日誌 [ビジネス]

 今日から師走、ということは、私がステロイド断薬してから満10年ちょうどとなる。
 結論から行くと、まだ完治できていない。残念だが、これが現実である。

 手指末端の関節リウマチ症状はとにかく長くしつこく【1013】、今も10本ある両手指の爪の半数以上が、完全な健康状態の色と形状を取り戻せていない。何本も黒い筋が入っていたり、テーブルクロスに指を立てて突ついてシワ寄せしたように波打ったり、と病的に醜い景色である。
 爪がそんなことになるくらいだから、その手前の指もただでは済んでなくて、実に先月半ば過ぎまで関節の背側がシワに沿って割れるのが非常にきつかった。眠ろうとすると骨に響く関節痛がガンガン来るだけあって、関節の中身が見えちまうんじゃないかと思うくらい深く割れるため、ほんのちょっとでも指を曲げることができなくなる。手提げを持つにもその指だけは伸ばして握るしかないし、パソコンのキーを打つ僅かな指先の曲げ角度も、全てが億劫になるほど痛い。このまま収まって欲しい。
 カンベンして欲しかったのが、朝トイレでお尻を拭くための曲げ角でも許容限度を超えてしまうことだ。神は私を見捨てておらず、最後の砦というか両手同時に関節割れにはならなかったため、左右の手を使い分けて乗り切ることができたのである。指紋のある手のひら側は両手の全面が完全無欠まで到達してるんですけどね。

 もうひとつ尾を引いているのが頭の中の中心部であり、今もちょうど症状の波が来ていて、内耳の奥の方や鼻腔の天井部の奥の方がずっと痛い。自分の顔をよく見るとほんの少しながら赤斑の地図状になっているのが見え、眠ろうとする時チリチリむずむずと不穏な皮膚感覚が煩わしかったりもする。
 よく覚醒剤なんかのヤク中の離脱過程で『虫が皮膚の下を這いまわる感覚』という表現を見かけるけれど、それが脱ステの自分にも該当するのかどうかはよく判らない。ただ今のコレがそうだとすれば少し違っていて『痒み電子の粒子がつぶつぶジュワジュワと体内から湧き上がって排出されようとする感覚』と描写する方が正確だろう…って、きっと解らんでしょうな。ええっす、こんなもん一生共感できなくて結構である。
 うなじの中央部には微かでなだらかになったとはいえまだ結節が分単位で出没していて、これって恐らく脱ステ診断の触診に使えるのではないかと経過観察中だ【374】
 少しでもコイツが手に当たる間は完治しておらず、頚椎通信不良でヒトとして積極的に動くことが叶わなくなる。脳神経トラフィック幹線を直接触われる重要な診断ポイントであり、脱ステ症状との相関を解って触診できれば、自他ともども随分と正確に現状把握ができるようになるだろう。

 残症状だけこうして書くといかにも悲惨に映ってしまうが、実はさすが10年もかけると『いよいよラクになったな~』と改善の実感を楽しむことの方が断然多くなっている。何にも気付かずに健康なつもりでいた脱ステ直前の自分より良好な健康状態になれていると思う。
 もう夜な夜な私をバラしに来る鬼さんたちはすっかりいなくなったし【1010】、眠ろうとして爆発音の幻聴を聞くこともなくなった【1012】
 胸も背中も心臓位置一帯にまだ赤み痒みがあるが、普通にしていたら別に気にもならないし、もう傷もなければ我慢できない痒み痛みも感じることはない。
 今年の春まで横隔膜の上が真空になるような感覚の不調も残っていたものだが、これも夏以降すっかり解決している。いずれ心電図に反映されるか確認してみたい【710】

 上述したうなじの結節の圧倒的改善は本当に有難く、もともとは断薬して1年半あたりに首が腫れあがったのが不幸の始まりだったと記憶している。この脱ステ10年を振り返って、最も痒み・痛み・倦怠感などの症状がきつくて慢性の重傷・重症で悩まされた部位というと、首だろうな。
 とにかく何かに例えようにも例えられない不快が、首の中から外から周囲から、生きている時間の全てを埋めてくる。不快感に苛まれるでもなく、不快感と二人羽織でもなく、その最悪の不快感こそが今の自分自身そのものだという狂おしい現実があり、逃げることも忘れることもできない。
 まあ鉛のテナガザルが首からぶら下がったり、鉛のセーラー服の襟が肩一面に乗っかったり、鉛のフルフェイス・ヘルメットを被せられたり、鉛のハンガーが体内で鎖骨に括りつけられたりといろいろ重荷パターンはあるのだけれど、この果てしなく嫌な重量感にのしかかられるにあたり、ちょうど乗り物酔いの酔い始めのような、粘度のある不透明な雰囲気でまとわりついてくるような不快感の背景が常在するのだ。
 急に口数が少なくなって、遠い目線で溜息と生あくびを繰り返しつつ、だんだん口の中が酸っぱくなってくる、まさにあの感覚そのもの…でもないんだけど、逃げられない不快っぷりの空気感を例えるとするとコレかなあと思いついた。言ってしまえば酔い始めの方がよっぽどマシである。
 私のケースでは、そんな不快感地獄が概ね消失したのは昨年の満9年時点。人生年表の丸9年が産廃のような灰色になるのは正直結構な負担だが、これだけ壊れておいてほかって治るのだから贅沢は言うまい。

 順番が前後するが、断薬して最初の1年は阿鼻叫喚の全身ボロボロ壮絶バトルとなり寝食するので精一杯、そこから3年目あたりまでは、目を醒ましたらまず顔の手触りで『今日は人目のある所に外出できそうかどうか』を確かめるところから始めていたのだから酷いハナシである。起き上がってちゃんと立とうとすると脇や手足の関節の内側が切れて傷が開くので、歴史の教科書の原人最後尾の姿勢で歩かざるを得なかった。
 『ワタシは歩く変死体』の自虐ネタをかましつつ、道を歩けば巡回中のパトカーにじろじろ見られていた時期であり【364】、そのぐらいの遠目で判るとなると新興宗教の勧誘も群がってくるワケだ【382】
 医学的に現状を分析する知識があって、辛抱の断薬放置で改善する確信が持てていなければ、とてもほかって治るに任せる自己判断ができるものではない。ほかって治る人がほかって治す判断が正しく下せるようにするために、何かいい考えはないものか。

 途中かぞえきれないくらい『もしかして、やっと出口か』と勘違いしては奈落の底に叩き込まれる絶望を繰り返すのだが、4年半から満5年を目前にしたころ内部から頭脳回路をメチャクチャに破壊され、頭の中が割れた基板とちぎれた配線のガラクタ廃墟になった時は本当に厳しくて、この節目症状は私から他人へ脱ステのアドバイスをするにあたっては外せない難関チェックポイントとなっている【621】
 外気温ひとケタの真冬でも擦りむいた顔面を直火で炙られるかのような焦熱感とともに、滝のような汗が噴き出してはボタボタ滴下し、服の襟周りが絞れるほどびしょ濡れになる。その苦痛もさることながら、これはこれで見かけがヤバ過ぎて一般社会空間に出て行けず、特にお店や施設に入れないのでタイヘンに不便した【680】
 この発汗痛を伴うホットフラッシュは長い時間をかけて非常に緩やかに収まっていく症状であり、10年経過時点の今でも顔や首がふわっと熱を帯びて汗がじわり、ぐらいはちょくちょくある。この10年目で一般社会との擦り合わせにまずまず困らなくなった感じだろうか。

 電子メールがまともに読めなくなったり、出掛けて普通の道順を歩けなくなっていたのも【641】この時期に重かったように思う。自分の人格の記憶が一応維持されるからか、性格のまるで違う別人にまではならないにせよ、相当ヘンな人間にはなってるんじゃないかな。まあ脱ステの迷惑は掛け捨て、他なんか気にしてられるか。
 今オレぶっ壊れてんだからしょうがないよー、スマン!で終わらせる横暴キャラが板についてない品行方正な皆さまには、それこそ一番に精神衛生としてのメンタル潔癖を、意図的に捨て去る腹を据えていただきたい。ヤクに狂わされた見苦しい自画像に10年でも観念して収まって、それでも破滅せず通り抜ければ通り抜けたもん勝ちである。

 うむう、困りましたね…
 いまヤク抜き乱闘フェーズの真最中にいて、全身傷だらけになりながら渦巻く苦痛と不快感の時空間に翻弄され、目前のディスプレイをぼーっと眺めるぐらいしかできない人を、少しでもラクにして差し上げたいのだが、語り始めると無限に書き続けられるぐらいの情報量があって的確で効率的なまとめにならないや。
 手続きも課金も一切ナシで、ネットさえ繋げばいつでも見れる実用情報が切実に必要なのは間違いない。でも上手い現実解を思いつけない。どうしたものか。

 こんなややこしい目に遭わずに済んでいて今回が少々退屈だった方は、とにかくその当たり前を財産として大切にする目的意識で、健康管理にお気を抜かれませんよう。
 何より凄絶バトル中の方、くれぐれもお大事に。どうか御幸運を!
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