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【1114】強権の 正体見たり 枯れ尾花 [ビジネス]

 大方の予想はついていたが、ペテン眼鏡は殺人容疑にお咎めなしの判決ってことか。
 現行の司法機関に対する信用度評価を変えようとは、私は思わない【1084】

 命を落とした御当人には少々厳しい非難にも響くのだが、とにかく若い人たちによく見覚えておいて欲しいのは、自分が組織の一員であることを言い訳にして、組織の邪心を容認しあまつさえその実行フェーズに手を汚したりすると、こういう悲しいなりゆきを招くという事実である。

 基本的人権を保障され『言いたいことを自由に言える』とされる現代民主主義社会なのだから、悪の組織の片棒を担ぎますと明言して担ぐ判断は、他ならぬ自分自身が下したことになる。
 正しいと思えないなら悪の組織に反対すれば良い…というか、そうしなければならない。もちろん隷従しなかった事実を理由に『組織に逆らう謀反者』とされ、その後の人事評価と待遇を貶められるとか、場合によっては組織を追放されるとか、とばっちりは喰らうのが普通だろう。ま、しょうがないじゃん。

 いや、別に当人が間違った行いだと自覚しつつ結局やってしまっていて、だらしないだとか自立できていないとか、そういうハナシをしたいのではない。もしかすると、最初はそれほど悪いことでもないと言いくるめられて実行役承諾の言質だけ先に取られて、コトが進展するにつれ精神が変調をきたすほどの気が狂った真相が明らかになりつつデタラメ書面記録の作成を強要されたのかも知れない。

 最近耳にする機会が減っている気がするのが面白くもあるのだが、ちょっと前まで躊躇する実行係の背中を押す場面などで『我々は組織なのだ』『組織が決めたことは絶対だ』みたいなセリフが定番だったものだ。ここに『組織の意思』は『個人の意思』よりも優先されるべきとする考え方が見て取れる。

 実際、複数の人間がひとつの目的のもとに組織力を発動しようとして組織構築し、組織力にモノを言わせてこういう巡り合わせになってるんだから、この発言はなるほど的を射たものである。昔懐かし旧・民主党のように、『リベラル』の志の運用を間違えて、党内のあっちからこっちから仲間との整合性をまるで気遣わないランダム言論が好き放題転がり出るような自由発散を許すと、そもそもからひとつの政治勢力組織として実体を成さなくなってしまい分裂・崩壊への道を辿るしかない。
 組織の存在意義たる組織力のため個人の意思は適宜に封殺されざるを得ないとして、だからって自分個人が生きる希望さえ失うような『道徳的世界への背徳』みたいなものに身を落として行き場をなくすとなると、これは本末転倒だろう。

 今般の判決は『職員の死因がペテン眼鏡の仕業とは決め切れず、国家組織の不正にその責を問うべき』とされたもののように見受ける。
 国家運営の命に逆らうことを許されないペテン眼鏡が、組織の原理として職位を振りかざして現場最前線に不正を強要したのか、それとも国家運営の命のもと、ペテン眼鏡がおのれ個人の裁量範囲で現場最前線に不正処理を強要したのか。
 どっちにしてもペテン眼鏡の自由意思による行動選択は介在してるんだから、間違いなくコイツに原因と責任はあるじゃん…と、私は一般庶民の感覚をもって判断する。だから今後も司法機関の現行人事は全否定していこうと思う。

 いつだったか『ペテン眼鏡は職場で怖くて有名』というウワサを聞いたことがある。
 あの下っ端ドサンピン丸出しの顔つきながら、えらい剣幕で怒鳴るんだとか。えー?
 あんなみすぼらしいチビおやじ、女の子が胸倉とっても軽々と両足浮くんじゃね?

 あんなもんが『怖い』理由をいい大人が考えようともしないから、人が死ぬのだ。
 うるさけりゃ頭からゴミ袋かぶせて、まあ首ぐらいは締まらないように口の高さで縛ってやりゃいいじゃん。目隠しに猿ぐつわ嚙まされた格好にして放っときゃ一旦は静かになるだろうから、そしたら解放して会話してやれば良い。ぶじゅぶじゅ面倒くさい雑音も吐くだろうが、別に怖くも何ともない。

 特に若い人たち、こういうのに絡まれたら、とりあえずそこまでやっちまってから、先の展開に応じて対処を決めていく順番で構わないと思う。
 『他人を否定してはいけない』という闇雲の事なかれコミュニケーションはそれこそが間違っていて否定されるべき誤りであり、まずガツンと否定してから気が向いたら詳細を聞き出して肯定で決着、でも良かろうがよ。
 どこの職位のどんなロートル個人が偉ぶろうが、組織にとっては、心身ともに新鮮に冴えていて元気一杯で直接作業の圧倒的パフォーマンスを持つあなたがたの方が、遥かに優秀で有益なのだ。保証する。

 さて案の定というか、日本全国コンクリ防空壕設置プランがチラ出しされ【1081】、そんな非現実的な利権商売いくらなんでも無いでしょうという流れにもなり、ここまでは筋書き通りの展開となっている【1099】
 そしていよいよの『全国自衛隊基地コンクリ防空壕プラン』のチラ出しが始まったようだ。自衛隊基地の敷地内なら政府の独断のもと、自衛隊組織の管理職は法律順守を口実に抵抗せず簡単にひざまずくだろうから、国民の手の届かないところでゼネコンが施工まで勝手にやってしまえるとの目論見と察する。
 コレひと昔前ならニッポン軍国主義化の危惧を叫んで、左巻きヒステリーの狂乱大合唱で大賑わいだったはずなんだが、あいつらどこ行ったの?自衛隊=戦争機能としての日本軍組織に恩を売る絶好のチャンスなんだがなあ。

 エセ公認とはいえ宗教団体の看板を掲げているタテマエは一応心得ていたナントカ学会の、魂を抜き取られて機械的に選挙票と寄付金を貢いでくる廃人信者たちを繋ぎとめておくための盲信スローガンとして、従来ゲタ与党としては『いいからひたすら、ナニが何でも世界平和』の不戦一筋の路線でやってきた。故にしばしば右傾インチキ詐欺与党の主張する軍事力整備政策に対して、連立与党体制ながら『一概には賛成できない』みたいなビミョーな反目ポイントにもなっていたワケだ。
 だが今般、俄かに重大急務アピールが目立つようになったニッポン軍国主義化政策に関しては、どうも平和を愛するナントカ学会ゲタ与党としての抵抗が、いかにも不透明で煮え切らない。

 かつては右傾インチキ詐欺与党を目のカタキにするかのような報道姿勢で有名だったマスコミ一派も、今や見る影もなく存在感を潜めてすっかり従順の沈黙だ。
 日本は凶暴で凶悪な軍国主義・帝国主義に走って近隣他国の武力制圧を謳い上げ、戦争を繰り返して周辺の国々を侵略し、主権を奪う国際的犯罪行為に明け暮れた。
 あああ日本は愚かだ、戦争は愚かだ。
 鉄砲一丁、兵隊一人も持つべきではない、持ったら戦争する。確定事項だ。

 いい大人が、さも深い根拠のありそうなテイで悲痛なまでに吹聴していた『憲法9条イノチの誓い』『戦争ハンタイ、人類はひとつ、世界平和バンザイ』は所詮この程度のものだったってことだよ。この先もう馬鹿らしくて誰も聞く耳を持たないだろう。それはそれで構わないんだけどさ。
 例えばこんな行きがかりでウン兆円の予算がついて、それに充てる財源の収入があるのかないのか知らないが、その採算も合わないままブツの売買や工事だけ動き始めたとすると、日本円の数兆円ってそういう数値なのだ。

 こんな薄っぺらな出来心の風向きで動く、こんな無価値な紙切れ目当てだと理解したなら、命まで落とすような残念な袋小路には迷い込まないように。大人が屈服する威圧感はゴミ袋一枚で片付けられると知っておこう。
 物事にぶつかったら否定と肯定はキホン五分五分、ダメ出しに遠慮は無用だ。
 自分が生き残るための判定を、相手に対して下す時もあるさ。では今週も御幸運を!
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【1113】ヒトの進化の環境整備チェックリスト [ビジネス]

 ふーん、舞ちゃんはお好みに肉かぶせて、そのままひっくり返すんだ?
 あれだと握り寿司の酢飯とネタのような積層構成になるため、裏返したとき肉が直に鉄板と接する位置関係となり、他人の口喧嘩に気を取られなくとも早期の焦げ付きが心配になる。薄い肉一枚の上から野菜や水分を大量に含んだ粉もんタネが乗るので、粉もん層に熱を通したい目的と肉を焦がさない節度のバランスが、どうしても火加減の調整とターンオーバーの念入りな手間を要求してくる。
 テコでぴたぺた遊び半分にひっぱたいたり、ごそごそ底ざらえにテコ突っ込んで置き直したり、無意味に圧迫したりひっくり返したり、食い物をオモチャにしてに形状を整えながら雑談でダベるにはイマイチ向かないんじゃないかなあ。食う段になって肉を底面にすると切り分けやすいのは認めるけど。

 まああのくらいなら、オコゲが香ばしい!で食っちまって気にならないだろう。
 『食い物は焦がすと発癌性物質と化す』とか何とかイミフにおどろおどろしい都市伝説がポピュラーに定着したのは何故だ?どうせ食い物なんだし、オコゲに怯えるのは異常だと思うぞ。
 あれもこれも猛火バーベキューの採り忘れみたいに炭になるまで焼いて食うんでもあるまいし、どうせ加熱処理したら見える見えない関係なくそれなりの熱変化は起こってるんだろ?食い物に因縁つけてるヒマがあったら、鈍感力で食事を楽しんだ方がきっと健康になれるぞ。

 私は1~2割ほどタネを取っておいて、肉の上からもう一層かぶせに行くタイプである。両面の層構成を揃えて冗長性を与え、気楽に火を通すためだ。
 高校生時代、近所になかなか安くて美味いお好み焼き屋さんがあって、そこは4人掛け鉄板テーブルが食堂然と並ぶ完全セルフ制となっており、小学校給食の『大きいおかず』風のアルマイト容器に野菜入りのタネをどん!と用意され、肉入りの場合はその上に牛なり豚なり平たく被せて載せられ、横に玉子一個が生でごろんと付いてくるスタイルであった。今でも焼くのは好きだし得意である。

 オトコばっかりのむさ苦しい学校にあんな可愛い女の子ふたり放り込んだら、もっと根本的に違う形で全学級スケールの争奪戦が始まっているはずなんだが、まあストーリーの本筋とはあまりにも関係ない枝葉エピソードになっちゃうし、こんなもんでしょ。
 学業成績以外までも緻密に評価する名物教官というのはあって自然な設定だと思うが、そこで学生たちがいわゆる『点稼ぎ』のデモンストレーションの必要性を意識するくだりが面白い。実は案外とこれ、ドラマだからといってわざとらに若い人たちの心理展開に、ある意味オトナ価値観に意図的に媚びるかのような背景事情を用意したもの、とも言い切れないのである。

 今のガチ現実の若い人たちは、良くも悪くも洗練されたヨソ行きの社交辞令を通して学校組織と接しているのだ。これに気付かず幸いなこととして薄らぼんやり彼等を眺めている限り、『無難な平穏』を取り繕うバイアスのかかった情報ばかりインプットされて、実質相手にされずにオシマイではなかろうか。

 かの航空学校の教官殿が今後どんなキャラクターとして描写されるのかは知る由もないが、少なくとも私は人材育成の課題を担う立場に立ったとして、あらかじめ準備された視点で細かく記録をつけるような見方はしない。
 みんな若いんだし元気なんだし、つっけんどんにお独りさまで自分流を突張るのもヨシ、和やかな親睦を取り持とうとあちこち遁走するもヨシである。好成績をハナにかけて嫌がられるのも何の問題も無いし、低成績からえっちらおっちら苦節ステップを重ねるのも後々を楽しみに眺めると思う。
 私自身もまだ見知らない領域まで含めて、ナニがどのくらい優れているかは、本人たちがどこまで走るか、走った到達点からどの方向に手を伸ばそうとするかで決まる。こういうのは『計画』『実績』『反省点』などに代表されるヘンテコな評価書式なんぞ用意するから、記入欄を埋めるためのヘタクソな作文が先に立ってしまい、スカが的外れな先入観の人材説明書を各々に貼り付けちまうんだよ【75】

 本来気を付けるべきは、まず自他の殺傷に思い及ぶほどの感情の衝突だ。
 昭和の時代に当人同士が各々信ずる『正義』を賭けて、ビシッ!バキッ!とか雨の中を二人で泥だらけになって組み合って、口角や鼻の下にひとすじ流血して解決してくれる程度なら、これもまた問題は無い。二人ともバテてきて『…やるなあ』『…お前こそ』『…わっはっはっは!』と大笑いして本当に仲良しになってくれた実例は知らないけれど、『共通認識している道理をどう現実的にさばくか』で意見がたがうぶんには、当人らで擦り合わせて最適解を導き出すに任せておいて険悪な結末にはならない。

 怖いのは道理を壊す『怨恨』で、誠心誠意を籠めた真剣な努力で会心の成果も上がっているのに、いわゆるサル山力学で抑え込まれ、理解の足りないオオヤケの同調もあって世間的には無いものにされたり、あまつさえ人生を賭けていた成果を他人が横取りした行きがかりになるケースなんかは理解しやすいかも知れない。現実世界に対して、思考や解釈で収まりのつかない激しい嫌悪の感情と否定的な記憶が醸成され、修復不可能な人間関係の軋轢意識に化けるのではないかと思う。
 大学研究室や公的研究施設など進級と世代が交錯する小世界で、メッタ刺しの凶悪殺人事件が起きたり無差別標的の危険物テロが仕掛けられたりといった事例を見るたび、人さまが丹精込めた世界観を怒らせた時の怖さを思い知らされるのだ。
 この手の『道理の歪曲』を見つけたら、いち早く『捻じれてんじゃないのか』とその認識を共有し、みんなで考えて対応を決めるよう方向付ける必要があると思う。

 もうひとつは『背徳』の構図を動機の段階から摘発し排除しておくことだろう。
 単に誰かが誰かを好いたり疎ましがったりという関係は人間2人以上いたら普通に発生するものだし、それがコミュニケーションの場面で見え隠れするのも自然である。気にするヤツは気にするし、気にしないヤツは気にしないし、遅くとも小学校中学年以上かな?親とは別の自我が確定する年齢になったらキホン本人マターでしかない。
 ここで背徳つまり『組織集団としての成立を脅かす裏切りマインド』が湧くと、その共同生活の場をお互いさまのお陰さまで維持する良心や仲間意識の共通基盤が、深いところから潔癖性を失い崩壊するのだ。
 仲間を落とし入れるために裏で悪い噂を流すとか、みんなで拠出した共同資産に手を付けるとか、社会通念の領域まで含めた違法性・犯罪性というか、まさに『反社会的意識』が紛れ込んでいると、その組織体は組織力を失う。
 反社会的というからには同じ社会の他の人さまにとって『悪いコト』であり、悪いコトを起こしたのなら、その張本人がきちんと認めて謝って改める処置で解決するのが現実解となる【109】

 私の考える限り、これらのような集団意識の致命的な品質低下を食い止めながら、本人たち思う存分のペースで『本人が良いと思うこと』と『パイロットとして十分優れていること』が一致した時期を見定めてやるのが、名伯楽教官の役目ではないかなあ。ヒトは環境への適応性を持つ生物なので、劣悪な環境の組織では優秀に進化できない。

 最近の若い人と接していると『この主人公は正しくないと思う』とか『この登場人物は嫌いだ』とか『作者は何故こんな辛い話を他人に読ませようとしたのか』みたいな、日本語として否定的な内容の読書感想文を、コトもあろうに『書いてはいけない』という倫理的概念でとらえて避けているケースに遭遇することがあって驚く。
 だからみんな読書感想文が書けないし、あらゆるレポートが嫌いなのだ。アンケートなどもそのへん解らずに設問して回答を受け取るだけでは何の課題検出にもならない。

 北米相手の交易で活躍中の若者が、少し遠慮がちな前置きで『皆さんちょっと引掛かるかも知れませんが、僕は有名動画サイトで英会話を習得したんです』と語ってくれたこともあった。ああーわたしゃ昭和のNHKラジオ講座ですわい、結構ケッコウ。
 テキスト集とカセットテープでそこまで英語力がモノにならなかった馬鹿な年長に、上から目線でやっかみ混じりの偏屈教育論でもぶたれたか。賢くて気の利く若者にくっだらない遠慮と躊躇を教え込みおって、無能老人が。

 確かに教育プログラムにおいて教官や指導係というのは成績評価する側の立場にあるのだが、それは『未来を生きる若者たちが、現時点でどこまで適性アリかを判定する作業』に過ぎないと、正確に理解しておくべきだ。たかが既存枠への整合の完成度なんぞ、その程度のもんである。
 年長世代が見聞きして通ってきた知見を、確かに若者たちは知らない。
 だが若者たちがこれから見聞きして通る知見を、年長組は見聞きすらできない。

 日本社会は、その事実関係に観念すべきだ。
 将来の知見が現行の知見を超えて進化の歴史を刻めるよう、明朝もグッドラック!
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【1112】人智に背いて崩れる幻のサル山帝国ヒストリー [ビジネス]

 今年もそろそろ年賀状の購入計画を立てる季節になってきたか。
 前の元旦ぶんについては、継続派と廃止派の双方を想定し、廃止派にはその意図をもって『御遠慮なくスルーしてください』の一文を加えたのだが【1015】、その初年度としては『ほとんど誰も年賀状をやめようとしない』という結果となっている。

 NHK朝ドラでも、ケンカ別れの末の駆け落ち状態になっていた妻の実家に特命係長が年賀状を絶やしておらず、それをまたお義母さんが全部保管していた筋が語られていたが、ああいう人間関係においてドンピシャで有効な文化なんだよな。世の中いろんな人々がいろんな生活を送っているワケで、そんな中『そうしとくもんだから』の社交辞令として自動更新を繰り返す通信回路は便利かつ貴重なものだ。
 ただの印刷のみで一切の自筆がない一枚でも、本人もしくはその家族が名前だけでも私の記憶を持っていてくれて、それを発送する判断を下してくれているからには悪い気はしない。実際これだけ生きてきて、暮らし向きが想定外の急展開を迎える局面というのは忘れた頃に案外あるもので、そんなとき直近一年以内に連絡先の割れた挨拶状の束があるというのは断然に便利だし何かと心強い。いい慣習の伝統文化だ。
 もし折り入っての相談事があるのなら、まず連絡をつけてその旨持ち掛けた理由の説明から斬り込んで、お久し振りの会話を立ち上げれば良い。最新の通信回線が開いていて、ワケを話してコトバが通じるというのは、げに有難いものである。

 さて今夏、政治勢力が新興宗教を集票基盤と資金源にしている事実が明るみに出て広く知れ渡り、与党二党ともに『政教分離の原則』を日本社会に向け改めて公然と保証する必要が発生しているのは御存知の通り。
 本件とりあえず日本国民にとって、判断の仕方に迷うような未知の新概念アイテムはひとつもないところがポイントなのかなあ。『宗教』の世間的な立ち位置は、普通に社会を生きていれば誰もが実感をもって語れるはずだ。

 まず『宗教』といえばキリスト教イスラム教に仏教などなど、義務教育の社会の教科書級に人類の一大思想文化として認知されているメジャーブランド群がある。これらが何かその世界観に基づいて、現代の人類社会に脅威を及ぼすような集団活動を起こすと思う人はいないだろう。
 歴史を遡れば確かにその宗派なりに描いた世界観の共有を仲間意識の証として、世界地図スケールの規模にまで巨大な組織勢力を形成し、組織vs組織で国家間戦争の様相にまで重大化した事実はある。
 だが現代文明社会においては『基本的人権』なる概念が確立し、ひとつの社会空間での複数の宗教の共存まで前提とした上で、ヒト対ヒト相互の自立性・自律性を交通整理して両立保証する理知的認識が普及しているため、今さら『ナニ教こそが文明社会の支配律として相応しい、他は認められない』みたいな存在意義の正否をかけた衝突は起こり得ないと思われる。

 次に、主に戦後に発祥した『新興宗教』のくくりがあると思う。
 例えばキリスト教ならイエス・キリスト、イスラム教ならアラーの神、仏教ならお釈迦さまだっけ…といった具合に、もう具体的な実在人物の印象を遥か離れて神格化され『世の支配律』の殿堂入りをしている雲上の面々が、その思想体系のアタマを取って燦然と据えられているワケだが、新興宗教にはそれが存在しない。…よな、フツー?

 その新興宗教が提示する世界観の基軸として、現存あるいは生前の記録が明確に残っていて墓参りもできるような人物が据えられていたりすると、『基本的人権』の初期の雛形ぐらいは既にあったはずの近代文明社会で、どうしてそのそこらへんの誰かさんに何もかも捧げるようなことになっちゃったのよ?という脊椎反射の警戒感で受け止める人が圧倒的多数のため、どうしてもキワモノ扱いになるのだろう。
 基本的人権の主張がとりあえず可能な社会なら、良いモノは良い、欲しいモノは欲しい、イヤなモノはイヤ、と行動の選択ができる。そこには良くも悪くも個人由来の利害心象の折衷が根源的に絡むはずで、逆にそうなっていない一方的な人間関係に対しては、原則ヒトは不自然を感じて防御の心理で構えるものだ。

 ここがポイントで、メジャーブランド宗教は聖夜にプレゼントを奮発するとか、ハラール食文化の規律でメニューを選ぶとか、仏壇に花を買って添えて線香立ててお経あげるとか、損得を考えない庶民の日常生活の習慣として定着しており、まあささやかには経済にも宗派別の特殊事情として影響するんだろうが、それは歴史を経て社会の人々がお互い『基本的人権の保障に抵触しない』と常識で自然に納得される範囲なのだ。

 いっぽう新興宗教は新しい組織集団が故の宿命として、現在進行中の民主主義議会制・多数決議決における票数確保や、資本主義・自由競争原理の一様性とは別の目的性のカネ流れなど、現代文明社会の平等な共同運用を乱す機能を持ち得てしまう。
 『民主主義・資本主義を必ず狙って狂わす』とは言わない。
 だが『組織性のある集団行動なのだから、狂わす機能を備え得る危うさが認められる』のであり、社会組織の自我にコトが起こる前に歯止めをかけておく必要がある。日本国憲法が『政教分離の原則』を謳う真意は、ここにあるのだと私は考えている。

 この時点で結論は決まる。
 旧来のメジャーブランド宗教と、少なくともナントカ教会・ナントカ学会なる新興宗教の間には、明確な一線の区別があるのだ。
 『基本的人権を等しく保証するための社会運用機能への接触』という少々ややこしい判定基準なので、いざ古来広く浸透しているメジャーブランドとの差を明言で列挙しようと考え始めると判別点の整理がつけられなくなってしまうのではなかろうか。だがきちんと考えれば、違うものは違う。
 まずナントカ教会・ナントカ学会の新興宗教組は『社会通念として政治活動と認められる領域と一切の関係を断絶している・断絶させる保証』が、日本国憲法に則って必要であることを確かめておきたい。

 ナニナニ党の誰それが教会で賛美歌を歌おうが数珠もって墓参りに行こうが、誰も咎めないし実害もない。これはその通りだ。
 だがナニナニ党の誰それが、ナントカ教会やナントカ学会の運営に関わる会合に加わっていたとか、一般通念としての交際の常識を超えるような接待および金銭授受などをやっていたなら、それらは上記の根拠に基づいて憲法違反ということになるだろう。ここに『どんな動機やいきさつの参画なのか』『どっちにおいくら動いたのか』の詳細事情や程度問題は一切介在しない。どこかで線引きする議論など無い。
 『政治家だから墓参りに行くなというのか』みたいな苦し紛れの反論も聞こえたことがあるが、まさにメジャーブランドとの線引き解説の難しさを悪用した攪乱操作であり、取り合ってはならない。古来伝統の慣習たる墓参りは別、それだけだ。

 今なんだか『信者から団体が貢がせすぎだと判断されたケースについては、事情次第で払い戻しの余地があることにする』みたいな、いかにも実効性ゼロがあからさまな立法議論に持ち込もうとする雰囲気も漂ってきてそうなので、イチ国民として先に否定の一刀で断じておく。おいくらだから憲法違反って話じゃないっつってんだろが。
 また『救済新法』だか何だか知らないが、イチ国民が自分自身の意思決定でどこかの団体にお支払いしたのなら、そこに後始末が発生したとして本人個人で解決すべきマターであり、ゆめゆめ公金=社会の共有財源を持ち出して穴埋めするような関わりでないことも厳格に確認しておきたい。

 与党二党は集票マシンと集金マシンを繋ぎ留めておこうと必死のようだ。
 無視して壊してこんなことになるくらいだから、人類の理知性が歴史を重ねて編み出した文明社会の運用手法=民主主義・資本主義と、それを維持管理するためのこのべからず項は確かに正しいってことなんだろうな。
 『政教分離の原則』、1億2千万人で今しっかり勉強し直しておきましょうぜ。

 ヒトが手にして満足した知恵をわざわざに捨てて、黄色いサルが今なおしがみつき、かじりつこうと群がる先には何があるのか。歴史の教科書の最初に、アウストラロピテクスから徐々に立ち上がっていく原始人類の姿が掲載されているが、極東の黄色いサルがとりあえずあの最後尾に並ぶのはいつのことだろう?

 今夏以降の日本社会、あなたが教科書を作るならどう記述しますか?
 どんな生徒として何を読んで学んで欲しいですか?では今週も元気にグッドラック!
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【1111】身も蓋もない純朴のビジネス通信効率 [ビジネス]

 お、四桁ゾロ目に到達したか。何のセレモニーもやらないんだけど。
 まずファンとしてはちゃんと(?)NHK朝ドラ前作のフォロー番組『ちむどんどん外伝』を視聴したので、その話題から。

 比嘉家四兄妹のトーク座談会と長男主演・末娘主演のドラマ2本で合計2時間もあったのでわざわざ録画して観てしまったのだが、若手の俳優・女優さんたちの好感度も、ドラマ作風の外宇宙感も健在。相変わらず次元のぶっ飛んだあの時空、作話能力の未熟や創作期間の不足なんかでこうなるとは思えないし、では正統派の王道から狙って崩してあれがやれるかというと、それも恐らく無理だ。凄い。
 これだけ好印象の若手役者陣を集めているのに、とにかく出てくる男という男はみんな優(やさ)オトコというにも骨が抜けていてすべからく気持ち悪いし、女は女でせっかく美人揃いなのに、これまた全員どんなに辛抱強い男でもギブアップ間違いなしの勢いで、始末に悪い面倒くさい我がままで要対応マターばかり次々こさえて回る。これじゃただの悪女の方がよっぽど心穏やかに見ていられるぞ…と懐かしい心象を反芻できて嬉しかった。
 皆さん入れ込みようのない役を作るため並々ならぬ努力を払っているはずで、それゆえ制作現場の結束はひときわ固まったものと思われる。やっぱり学習途上のAI作品というイメージが強いのだが、本当に誰かが通常の業態で取り組んだ成果だとすると、それはそれで何があったのか興味津々である。
 忘れた頃に種明かしの面白い後日談が出てくるとタイヘン面白いのだけれど。

 いっぽう現在放送中の『舞い上がれ!』は、東大阪のとある町工場にしては実は結構ドラスティックな出来事が繰り広げられているのだが、わかりやすく素直な展開が安心して観ていられる。私は所詮『おかえりモネ』がNHK朝ドラの見始めなので相場の勘が無いのだが【1019】、課題勃発から解決までを比較的コンパクトなエピソード単位にする構造が特徴的であり、ウィークデー朝15分の帯ドラマならではの配慮というのはあると思うけれど、とても観やすい。
 布石だ伏線だとやたら複雑な謎解きを仕掛けられると、そっちが億劫になってきて視聴の気力が続かなくなると思う。
 その昔キャスティングの顔ぶれを入れ換えた『ターミネーター』続編を米TVドラマがやっていたようで、日本でも深夜枠で放送されていた。コレ最新の映像技術なども盛り込まれていて興味深く視聴し始めたものの、とにかく人間関係や事実相関がややこし過ぎて、少なくとも私は早々に根気が尽きてしまい継続を諦めてしまった。
 視聴者はビールでも片手にメモも取らずに週イチで観るのだから、とても覚えきれない放送回跨ぎのエピソードを複数ひっぱられたり交錯されたりすると、あっさりと気力喪失が先に立ってしまう。

 さて今回は不定期重点企画のネイティブ大阪弁解説ではなく若者コトバ…というか、既に若くない年齢層にも広く普及していると思われる日本語表現についてのハナシだ。
 サラリーマンになったものの精神的な負担がきつくなっている雰囲気のお好み焼き屋さんちの貴司くんだが、自身の仕事向きを吐露する発言に『僕だけがうまく行かんくて…』みたいな台詞が出てきた。

 私自身は御覧の通り思いっきり日本語が乱れているタチである。コトバとは意思疎通の手段であり、受信者に効果的に響くことを最優先かつ不可欠要件と考えており、そこに形式のこだわりは全くない。正式な文書などで厳格な文法や様式が必要なら、そこさえハズさなければ良いのである。
 というか、薄らトンカチに既成概念への隷従として文体や様式にこだわるようなハンパなコミュニケーション意識しか持てないでいると、発信・受信の情報精度がナマぬるく落ちて物事の効率が下がるだけだ【812】
 そういえば五島のお祖母ちゃんが貴司くんに向けた『逃げてきた』『変わり者』の表現なんか、腹を割った親近感の誤魔化さない現状認識があって良かったよな。誰だってヘタ打ちゃ単刀直入に指摘されるもんだし、そんときゃ本当に自分は這いつくばっててみっともないんだよ。上っ面だけ慰めても良いコトは無い。そこからどうするかだろ?

 余談を少し挟んでおくと、就業人生の早期に深刻な挫折感を体験した人材に限って、後々組織を深く理解した貴重な戦力になる気がする。絶望に打たれまくりながら打たれ強さを蓄え『うまく行かない自分』の対局として『うまく行っているとされている職場』を真剣に観察し洞察し、そこに迎合するための要件とその方法論までゼロ構築しているからだと思うのだが、その話はまたいつか。貴司くんの苦悩と葛藤、いい感じだ。

 まあいいや、いま私が気にしているのは平成世代の音便のことである。
 まず『うまく行かなくて』ならば、我々関西ネイティブ昭和世代は『うまいこと行けへんかって』あるいはせいぜい『うまく行かんで』あたりが普通だ。『うまく行かん』の後に『く』が入り込む理由が解らない。
 今世紀に入って早々の頃、私はあれ?と気付いて、最初は自分の聞き間違いか、さもなくば発言者の口のもつれかと思ったものの、どうやらそうではない遭遇頻度を感じて、5年あるいはもうちょい下だっけかの後輩に確認したことがあるのだ。
 そこで彼は『ああ、違うくて・違くて、言いますね』と明言してくれた。

 ええ~?クチがカクカクして回りにくいだろうに、わざわざの一体どういう起源の新潮流なのだろうか…と不思議に思って以来いまも追いかけているのだが、若い人に絶大な人気者の口癖だったり、テキスティング変換のなりゆき発現だったりといった、それっぽい原因らしきものは見つけられていない。
 標準語なら『ちがって』、関西コトバなら『ちごて』『ちごうて』であり、実際私と同世代以上に『違うくて・違くて』は全く聞かれない言い回しである。劇中の貴司くん世代の言語環境なら、当時もう関東から関西まで『行かんくて』が普及していた可能性は十分あるだろうが、この点について私には時代考証する能力が無い。

 ところで私は子供の頃から飛行機が大好きで、小学生のうちに飛行機に乗せてもらってすっかりココロ奪われたのだが【399】、パイロットになろうとは思わなかった。
 後に大人になった私は乗客として『ゲー吐くほど』飛行機に乗る行きがかりとなる。

 特に北米国内線はアメリカン航空やU.S.エアラインなどが、航空路線に各々応じた大小さまざまな機種を飛ばしており、空港でこれから乗る機種を確かめては『お、ニューヨークまで長いからコイツの乗り心地は嬉しいね』とか『あああ、気圧制御イマイチで着陸前の降下のとき耳の痛くなるやつだ~』などと一喜一憂したものだ。

 昭和の時代『手に余るくらい』『十分以上』『辟易するほど』を表現したいシチュエーションで日常的に飛び交っていたのが、この『ゲー吐くほど』という比喩である。
 お察しの通り『ゲー』というのは標準語でいう『ゲロ』つまり吐瀉物のことであり、恐らくは社会の高度情報化と共に、主に標準語圏で清潔感を損なう品の悪さとして避けられるようになって、しみじみ吟味してしまうと確かにその通りなので、関西でも流通しなくなっていったのではないだろうか。
 だがネガティブな局面で『クソッ!』と吐き捨てるにあたり、うんこの具体的なイメージをいちいち思い起こす人はいないはずで、関西の『ゲー吐く』も全く同じ感覚であり、まさに老若男女が大した差もなく使いまくっていた思い出が強い。舞ちゃんがクルミちゃんとお茶しながら『ネジやったらウチにゲー吐くほどあんでー』と特段の意図もなく朝飯前に語る感じである。
 個人的には状況・心境が的確に伝わるし、あのコミカルな響きには愛着を忘れられず、どこかで流行らせてやりたいと密かに企んでいるのだが。

 コトほどかように、コトバというのは意思伝達のための情報文化なのだし、意思伝達というのは複数の人間がコミュニケーションを通して運命の方向を定めていくための『社会的人生の本質』なのだ。
 あらゆる公共言論が全滅状態の中、NHK朝ドラで『率直な会話で交わす正確な相互理解に基づくコミュニケーション』がテーマ性をもって語られているのは救いである。

 どんなコトバよりも判りやすく一義的とされ『数字でハナシをしようじゃないか!』とまで言われる数値情報だが、いま日本円が一義的に語る日本国の運命はどうなっているのか、直視して、観念して、よく考えるべきだ。
 まずヒトとして率直に数字を読んで理解して、失意に這いつくばる素直な情操を習得できなければ進化の枝は先へ伸びない。
 大遅刻でも日本国に成長期が遅れて来てくれることを願って、明日もグッドラック!
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【1110】ビジュアル経済で見る霊長類進化論 [ビジネス]

 おやまあって感じの円高振れだが、最近むっつりで国民に隠して勝手な破滅工作をやるのが得意な現政権だから、のちのち日が経った頃に実はまた『断固たる措置』をやってました…なんてことになんなきゃいいんだけどね。140円/ドル線を越えるほどの変動要因は、私には見当たらない。

 いま時点の日本の経済状態が『良好』と思っている人はいないだろう。
 その現状に何か明確な変化点が新規発生して『世間の日本円流通マップに違うことが起こった』と感じている人はおられるだろうか。
 違うことが起こっていないのなら『また』と見るのが正攻法にして確実なのだ。
 やらかした証拠をいちいち探してもらえる、むっつり黙てんを決め込めば疑心暗鬼で迷ってもらえる、そんな自分都合のあほな妄想で時間を潰せるのが、経済なる人類文明に決定的に素質の足りない黄色いサルの劣った知能の為せる業だってことだよ。

 日本円は外為レートの塩梅を上げ下げして一喜一憂するための量的媒体ではない…はずなんだけどね、元々は。
 とにかくいま実質的に『レート操作の量的媒体』になっているのだとすると、レート操作したいヤツのオツムの程度を見切れれば、時にヨイショとおだてて囃して、時に不満げに泣いて騒いで、わかりやすくそいつの心理状態に揺すりをかければ、レート操作のタイミングと規模を見抜くのは簡単だ。

 今日のこんな事態に陥る前から、国際協力機関ではいかにも象徴的な名義の重職ポストの肩書をエサに分不相応の高額出資をたかられ放題、ころりと他国都合の思惑に操られて、莫大な負債を積み上げながらの大盤振る舞いという気の狂った財務参画にハマり込んでいた。
 まあアッパラ喜んで乗っかったのは日本国の方だから、他国に取れるだけ取ってやろうという意地悪な戦略がどこまであったのかはともかく、そんな前時代式のボロい虚飾の権威欲で動くような政権体質だということが、経済ウォッチャーたちには当然テッパン常識になっていたワケだ【345】
 それが国内外に見透かされているとも気付けない・認められない黄色いサルは『偉い偉い雲上の国際組織のIMFさまが、天の声としてさらなる消費税率の引き上げを日本に推奨しておられる』などと烏合マスコミに言わせて御満悦だったりもしたんだよな。ここまで組織的にアタマが悪いと見事だよ。

 外交面でこんなことになるからには『社会で評価基準を共有する価値流通媒体としての通貨』が根本的・直感的に理解できてないってことなのはすぐ判る。ナニか日本国内特有のムツカシイ経済的要因があるのではなくて、そもそもの黄色いサルの知能レベルの問題だってことだ。
 だとすると国内に向けても同じ我欲任せのデタラメ財政の基本傾向が根深いはずで、二十世紀に戦後の工業力の勢いを使い果たして以降、日本社会の産業や経済や国民気質のトレンドを普通に定点観測していれば、日本円動向の大局を見誤る失敗は無い。諸外国が黄色いサルの低い知能を失敗せず利用するのだから、日本経済が何十年もかけて独り負けするのは当たり前なのである。

 そもそも『円高』も『円安』も単なる一時的な平衡状態を指す言葉であり、それ自体に良いも悪いもないのだが『悪い円安』という日本語が頻出した時点で、いよいよ社会における価値流通管理の怠慢が袋小路に行き詰まり、日本円が通貨として機能できなくなってきたとの共通認識が広まったと思われる。
 通貨経済の作動原理を理解し、つまり修正の方針転換を起動できるオツムがあるのなら『悪い円安』などという無意味な造語は出てこない。悪いのはオマエのアタマだってんだよ、どあほ【1050】
 それでここへ来て世襲のガキの殺処分をきっかけに、多面的汚職スキャンダル顕在化のオンパレードなんだから、そりゃ断末魔の政権が脇目もふらず虚勢を張る目的の底抜け介入は『アリ』と推し量って正解だろう。
 『伝家の宝刀』『断固たる措置』、またやらかしてんじゃね?

 さてハナシはこれで終わらないのだ。こんな火事場国政の場当たり小細工、国際外為市場において、いわゆる『公正取引』でないのはすぐ判ると思う。
 もともと中央銀行の介入は、どこがやるにしても国際的にあんまりいい顔をされないものだし【1096】、限度を超えると通貨可換のお付き合いを断られることになる。もう冗談にならないところまで来ているはずだ。

 日本円は既に『社会における価値流通の媒体』でなくなっているように見える。
 経済最前線のトレーダー戦士たちは、違法行為にならない限り大手を振って自由に、ゲリラ戦法まで含めてあらゆる手段で、外為取引で収益を上げるため速攻をかけてくる。通貨経済を理解できない黄色いサルが、サル山内向きに虚勢を張って自己崩壊に走るにしても、その過程にうまく絡んで価値あるどこかの通貨を手にするぶんには違法性は無い。当然狙われ、カネが動き、レートを変動させる。
 このカネ交換ルートは各国の生産力に基づく社会的価値の流通でないため、せっかく懸命に自国の産業育成と経済操作を絶やさず、国力の価値と採算を維持管理してきた他国にとっては『悪質な経済外乱』として作用する。いずれ次々と『国を守るため』日本円との関わりを切り捨てることになるだろう。

 どんな国のどんな産業でも、生産の直接業域が製品を作るからそれが商品になる。
 営業の直接業域が足を棒にしてお客さまとの商談を成立させるから、それが売れる。
 半額ででも売れてくれれば達成率5割の売上が手にできて、生活経費に充てられる。
 つまり現場で起こる直接業務は産業の本質であり、だからガチの現実的稼働を保証せねばならない。
 ここに、無節操にばら撒かれた紙クズとの交換を介在させる訳にはいかないのだ。

 そもそも価値概念を正確に理解し共有できるコミュニティを立ち上げて、本来的な通貨機能でもって流通させる専用媒体として開発されたのが仮想通貨である【587】
 仮想通貨が注目され始めた当時のうちから、世界中で現行通貨の流通制御が難しくなっている感が漂い始めていたからこその注目度だったのだが、そこで日本円経済がやらかしたのは、粗野で露骨な仮想通貨取引への嫌がらせと妨害工作であった。
 まだ親心のある日本人はともかく、海外のシニカルな『解ってるヤツ』は、当時すでにケタ違いのヘタを打っていた黄色いサルが、あれだけ積み上げていたおのれのヘタをそこで認めて修正する改心もできずに、むしろ横車の強行を押し切って自己崩壊に一直線…の流れをあのとき確信していたかも知れない。

 経済に限らずだが、この世に規律性を見出してその事象アイテムの組み合わせを工夫し、ヒトが『良いコト、面白いコト、価値あるコト』として達成感を覚えるような現実を巻き起こすのはとても楽しい。その満足感は建設的な記憶となって、ヒトや組織に宿る『意識』の良質な材料となる【1086】【1090】
 だからヒトも組織も、労力を費やし時に犠牲を払ってさえも、記憶に蓄積された『価値』の達成を再び目掛けて、知恵と体力と人生の時間をかけて飽くなきチャレンジを繰り返すのだろう。
 『考える葦=ヒトならキホンこうするはず』という大原則であると私は考えていて、だから人類文明は進歩してここまでに到達したのだと思っている。ヒトが籠めた『価値』を食い荒らし、その不始末に改心をとぼけ通すだけの黄色いサルのサル山は、まだしばらく退化の余地があるようだ。

 世界中で共通する人類進化の大原則から単独落伍して孤立しそうな高齢化ニッポン、地下資源にも乏しいし、いよいよ水と草木と海洋に恵まれた日本列島の価値を再確認できるようになるのかね。
 『サルの惑星』ならぬ『サルの列島』を、君が代DNAの日本人が奪回するのはいつの日になるのだろうか。
 まずはヒトとして『経済』を正確に考え直さないとね。では今週もグッドラック!
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【1109】過密雑踏の島国が醒めるとき [ビジネス]

 他国のことだし、人が亡くなっているのでいい加減なことは言えないのだが。
 お隣の半島の有名な繁華街で制御不能の大混雑が超過密状態に陥り、百数十人の死者を出す大惨事となった。ここでかつて話題にした、明石の花火大会の事故と同様の大衆行動現象だと見受ける【907】

 少し復習しておくと、大衆が危機感に煽られ各自が離脱しようとして『整然とした組織性』を喪失するパニック現象とは区別して、むしろ大衆が願望にかられてひとつの大規模な潮流を形成した時に、その大局が成す動きを誰も制御できなくなる『グレース現象』なるものがあるというハナシだ。
 明石の事例では、帰宅の混雑に捕まる前に唯一の小さな駅を目指したい流れと、ラスト演出の百花繚乱だけでもぜひ観覧したい流れが、浜と駅を結ぶ一本の歩道橋で衝突した。怖いとも危ないとも思っていないが故に、自分らの潮流の先頭がどうなっているのか見えないままのユルい願望の駆動力が強大な流れとなって、逃げ場のない狭小空間でぶつかり無限に双方から加圧し続けたのである。

 今般の一件では、久しぶりのハロウィンで繰り出した大人数の中『人気芸能人がいる』という情報が急拡散したのだという。あの建て込んだ狭い路地だと見通しは利かないだろうし、近年の狂乱ハロウィンの夜ともなると、悲鳴も怒号も通行人を立ち止まらせる制止効果など期待できない。
 パニック現象にしてもグレース現象にしても、集団に働く内部応力の方向に関する定義は決まっていないようだが、例えばパニック状態の場合は全方位にてんでんこに散って逃げようとするパターンなどが結構あり得て、その場合は少なくとも一点集中して大規模なカタマリが事故を起こす形にはなりにくい。
 反面グレース現象の場合は願望が駆動力であるだけに、願望の求めるターゲットが存在するケースが多いと思われ、そもそも発生原理として一点集中の過密事故を起こしやすいと考えられる。
 しかも現場の路地は坂道だったようだから、自分の意思に反して歩が進んだり体重を乗せて押してしまったりしやすいはずで、結果論としてだが『起こるべくして起こった事故』ということになるだろう。

 他国のことなので、無責任な外野席から余計な評論をするつもりもないのだが、この事故の責任を行政に被せるかのような社会動向が見え隠れするのが気になっている。
 国や自治体が主催したイベントでもないのだし、ハロウィン名目で繰り出したいヤツが繰り出すぶんには引き止めない・引き止められない訳だが、その行動判断およびそれにまつわる出来事については個々人の自己責任だろう。狭い路地に突出していた建築躯体があったとかなかったとかの話にしても、誰もあんなせせこましい場所で意図的に大勢を参集させたりはしないから、誰にも過失は問えないと思う。

 何というか、損害に見舞われたら、いやその関係性を主張できると思いついたら、どう因果の理屈を当てつけて誰か犯人を仕立てて、その標的に償わせるかを目的にする『プロ弱者』動機の凶暴な断罪の構図を感じてしまうのだ。言っちゃ悪いが何年か前の慰安婦論争を始め、戦争被害ネタで見境も際限もなく絡んできていたあの外交姿勢には、その浅ましさの印象を禁じ得なかった。陰険な顔の不気味な少女像があったよな。
 大陸での激烈すぎるパワーゲームに押されて半島の先端で生き延びた血統のDNA特質ではないかと私は考えており、一方的にチカラで押し切ってくるイメージの大陸スタイルとは明らかな一線の違いを感じる。まあどっちも奇跡の列島に恵まれた平和な島国で育まれてきた我々日本人から見て、時として会話しづらい交渉術であるのは確かで、だから『精神規範として品が無い』という扱いで半ば見下すような習慣・常識もあったワケだけれど、これらはヒトがヒトと関わりながら世を生き抜いてきた結果としての特性であり、普遍的な善悪としての『良い』『悪い』で判定できるものではないと思う。

 もっとも全世界的トレンドの御多分に漏れず、世代が若年側に進むにつれてこういう民族性カラーが薄れて、グローバル情報網で共有された洗練度の高い社会性意識が広く普及してくる。いま日本国内で、旧態依然のダメ老人が黄色いサルのサル山古式慣習みたいなものがまだ通用するかのテイを引きずっている感じだが、恐らくお隣の大陸や半島も似たようなことになっているのではないだろうか。

 さてそんな半島の、今度は立ち位置ビミョーな付け根あたりの方なんだが、最近やたらめったら花火が上がる。…と日本国内では騒がれている。
 いや、前にも述べたが、武器兵器というのは、戦っていて相手に向かって放つのでなければ、お高くて面倒な特殊機器の無駄遣いにしかならない。だが万年待機状態だとキカイもヒトも錆びつくし、まあ実力行使能力の公開デモンストレーションも兼ねて訓練稼働はやっておくと。これが実情だ。
 今日の世界情勢を見るに、半島からそんなにぽんぽん花火を上げる理由は見当たらず、上げるなら上げるで少なくとも他国と悶着の火種をわざわざに作るような動機は考えにくい。よもや日本が突然の空襲を受ける可能性は到底見いだせない。
 あの暗転画面を背景にしたホラー明朝体の無駄な空襲警報に、ナニか国民意識へのメッセージ喚起が感じられると思うその感覚が、黄色いサルのサル山DNAの残骸だと思うのだ。自称ボス猿が声色おどろおどろしくキイイと叫べば催眠術にかかったようにサル山が動くと、まさにサル知恵で今さら小細工を仕掛けているつもりなのか。

 冒頭のハナシに戻って、大衆の緊迫感を煽る情報操作が成功したとして、日本社会に起こるのは思い思いの散りぢりに逃げ去るパニック現象の方である。半島が攻めてくるぞキャー怖い、大量の武器兵器を買い揃えセメント固めて防空壕、『欲しがりません勝つまでは』で社会をあげてナットクの大増税…などとコトが運ぶと思えるのだろうか。げに黄色いサルはサル以下である、やれやれ。

 いっぽう『ほおら人生の全てを捧げれば認めてあげるよ、アナタにもみんな仲良しの居場所があるよ』と巧妙に吹き込まれれば、その願望をつい暴走させてしまう辛い境遇の人間は掃いて捨てるほどいる。だから特定の社会現象スケールの目的性を仕込んだグレース現象が成立するのであり、この組織性原理においてはナントカ教会もナントカ学会もぴたり同質のものだ。『どんな日本語表現でそそのかして、おいくら巻き上げたのか』みたいな、一字一句や一円を追う判定基準でしか区別できない。
 形骸化を確信犯で合法vs違法のベタ具体的な線引きをしようにも、そこへ迷い込んだ当人の判断は同質なのだから、結局両方まとめて一蓮托生にしかなり得ないのだ。何にしてもここに法規制が設定されると、ナントカ教会にしてもナントカ学会にしても、人員勧誘と資金提供の両面で合法性の言い訳にミソがつく形となり、現・与党二党は宗教団体の看板を隠れ蓑にした集票マシン・集金マシンを失うことになる。だから今ぐずんぐずん動きが鈍いんだよ。

 民主主義でもなければ法治国家でもなくなっている日本社会の愚政失政の惨状だが、なるほどグレース現象に陥ってるんだろうな…とふと考えたので、ちょいとまとめてみました。
 自分の足元しか見えないままぞろぞろ前の人の背中を押して歩くのは、非常に危険な事態を招くと知るべきである。崩壊が始まりつつあるとも見える日本円経済に本気で危機感を覚えるなら、まず足を止めること、そっちに歩けと囁く声を耳から消すことだ。

 NHK朝ドラの舞ちゃん、小柄だし華奢だし元々アスリート志向でもなかったはずで、ここで夢を切り替える英断に踏み切った。そう、初志貫徹もいいけれど、まだまだ無限の展開を楽しむ余地が眼前に拡がっていると思うなら、あらゆる方向転換を思うままに試して楽しめば良い。
 悠人お兄ちゃんがビミョーな雰囲気だが、若いから平気さ!引き続きグッドラック!
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【1108】経済トラスト崩壊前夜のOSフリーズ頻度 [ビジネス]

 NHK朝ドラの悠人お兄ちゃんが、今世紀初頭に投資に入れ込んでいるうちに。
 彼が注視するディスプレイの画質や画面構成が随分と洗練され過ぎている感もあるが、まあそのへんは気にしない気にならないってことでスルーしよう。

 ただWindowsは2000で結構変わった実感があり、XPでようやく解消されたぐらいの時代感だから、お兄ちゃんも『突然のフリーズで仕事がパー』を何回かは喰らっているはずである。冗談抜きでPC作業といえば、賽の河原で石を積み上げるイメージがどこかアタマの片隅にこびりついていたものだ。それでも忘れた頃には、ちょうどそれを忘れるほど入れ込んでいる最中に、狙ったかのようにフリーズする【996】
 地中に人の姿かたちをした根っこを持ち、引き抜くと聞いた人が死んでしまうほど恐ろしい悲鳴を上げるという伝説の妖花マンドラゴラ。その絶叫が事務所に響き渡ると、みんな立ってわらわら現場に集まってきて『ああ解る、オレも先週やられたよ』『なんで一番来て欲しくないところで来るかねえ』などなど、口々に何の解決にも助けにもならない言葉で慰めて自席に散っていくのが常であった。

 ま、丹精込めたディスプレイ画面上の成果物を取り置く手段が無いコトは既に全員心得ていたから、まず当事者は現状放置で外の空気を吸いに出たあと、コーヒーの一杯でもすすりながら心の準備を整え、いざPC本体のプッシュスイッチを自らの手で長押しして落とすのだ。もう一度プッシュで再起動である。
 あとは溶鉱炉に落ちて劇中に化けてすり代わった人々の姿を次々とリフレインしながら、高周波の悲鳴を上げつつもだえ苦しむT-1000型ターミネーターになって、そこまでに投じた苦難の工数を走馬灯のように回顧しながら一回死ぬワケです。
 あとは溶鉱炉から這い上がってユーザーパスワードを入力するのみだ。コレわざとらの大袈裟でも決してなくて、この時代のPC作業を経験した世代は大概喰らっており、何だかんだでタフにメンタルを輪廻転生できてると思うよ。

 当時の金融市場はもう機械仕掛けトレーディングの普及が進んでおり、その作動速度が市場売買競争での勝敗を決めるとも言われていた。投資先の事業の雲行きや将来性を勘案して物事が動くのではなく、安値で買って高値で売る機械の『超人的速度』が、気紛れな数値変動に文字通り機械的に反応して、その潮流が市場動向の行方を握ってしまったと問題視する声も少なからず上がっていたものだ。
 投資家が、つまり人間が『社会でメがある』と判断した投資先にカネが集まり事業が動くのではなくなったと言うのだ。多分に偶然性を含んだ瞬間的な変動が逐一拾い上げられ、単なる売買損益数値のメカニカル然とした最大化志向が経済市場に割り込むと、産業発展による社会繁栄を志したい側の経済原理が狂うのではないかと。

 そんな議論が交わされている間に、もう日進月歩ならぬ電光石火の超速進化で新たな動作原理が加味されてはいたはずだが、それにしても自動売買のGO判定はヒトの思考や感情や願望や欲などとは別の系のものだったはずだ。言ってしまえば、自動売買にはカネを儲けたい欲もなければ、将来有望な事業を応援し大きく育てる夢も無い。

 ただそんな自動売買の作動特性を仕込むのはヒトであり、安値で買って高値で売るだけに限っても、間違いなく『カネを儲けたいヒト』の特質を再現したものである。ヒトとの決定的な違いは作業処理の圧倒的速度だけであり、ヒトが思いもつかない順列組み合わせで新たな道理を組み立てて、ヒトの望まない理解不能のカネ時空をあれよあれよという間に構築して、唖然とするヒトの目前でヒト流の経済を崩壊させる…というハナシでもないんだよな。
 …ということは、イチ早く高速機を手に入れて有利に立ち回れなかっただけの負け組が、勝ち組の足を引張って機械戦力を奪おうとして、取引自動化の経済危機警報キャンペーンに走ったのだろうか?
 コイツらも高速機が手に入ったら気が収まって静かになったのか、それともやはり自動売買を滅ぼして、投資先をヒトの判断力で評価するところまでやらないと気が済まなかったのか。もう知る由もないけれど。

 私個人としては、近年の資本主義経済システムの混迷のイチ要因として効いているのではないかと思っているのだが、深入りするとかなりの分量になりそうなので今は一旦ここまでにしておく。
 だいたい現時点ですら『円安を否定視しながら日本円を際限なくばら撒き続ける』という、どんなに初歩的で単純なプログラムも絶対に陥らないようなポンコツ自己矛盾を起こしているニッポン1億2千万人経済圏なのだから、まずその気の狂い方と精神疾患の病巣を特定するのが先決だろう。
 古来伝統的なカネ経済・資本主義すら理解することも利用することもできなかった無能の黄色いサル山経済圏に『新しい資本主義』もナニもあったものではない。

 しかし当時にして悠人お兄ちゃんはパソコンやソフトや情報網ライセンスにおいくらぐらい注ぎ込んでいるのだろうか。Windows環境にてフツーに動く一般向け市販アイテムだけで大枚稼げていたとも思えないが、当時のパソコンの作動信頼性で個人戦をやるとなると結構しんどかったと思われる。
 爆発的に急発達するインターネットの情報空間で、競合よりも優位な情報源を探り当て即刻反応するためには、やはり個人では自身一人の体力・気力の限界と闘いながら組織戦を仕掛けてくる連中を相手にせねばならず、期間限定ででもないととても持たない消耗戦になるのではなかろうか。

 2千ひとケタ年の中盤といえば、未公開株式の取引が一気に活性化した時代の記憶があり、投資銀行の求職者数を上回ったという話を聞いた。起業にしても再生にしても、数年単位で結果を出して次にステップアップしていくキャリアスタイルの業界なので、悠人お兄ちゃんが採用の決まった大手一流企業を『3年で辞める』と言い切るあの感覚は、当時のデキる現実主義の知性派にあっておかしくないと思う。
 未公開株式の取引は投資銀行に比べて業態が過酷で、そりゃ報酬は期待できるが終電では帰れないし、家族に相談してからでないと生活崩壊するので業界入りの検討をしてはいけません…とのことであった。外資系大手の国内参入もありそうと言われる勢いであったが、程なく世界経済は2008年のリーマン・ショックを迎えることになる。

 あらら今回もいい分量になっちまった。経済トピックももう少しいろいろ突込みたいんだが、ちょっと現状の日本円経済のレベルが低すぎて、本題以前のところでスペースばっかり無駄遣いしてしまいそうで二の足を踏んでしまう。
 当時の通信事情や経済環境が懐かしいね。では悠人くん、商売繁盛グッドラック!
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【1107】買い置きを叩き起こされた新生命体 [ビジネス]

 いろいろ話題があり過ぎるのだが、先にパソコンの話を済ませよう。毎度のことながら閲覧数の伸びが凄くて、皆さまの関心が最大級に高い。

 機種から紹介していきましょうか。
 いわゆるBTO=Built to orderというやつで、早い話がカスタムベース機だ。
 『iiyama Infinity』というブランドで、日本全国で普通に買えると思う。
 型式:IStDEi-M06M-127-UHCXM でコレひとつ買ってきてOKの完動品なのだけれど、逆にそうであるが故に、構成部品は時の事情に合わせて相当品で流動的に仕様変更される余地があったはずだ。悪しからず。
 本体の銘盤によれば、ブツとしてはよく見かけるマウスコンピューター製ですな。

 インテルのマザーボードB660に、Core i7-12700、4.90GHzの12コアCPUが組まれている。メモリーはさすがに新品を開けていちいち引っこ抜いてまで見てないけど、8GBが2枚刺さって16GBが備わっている。
 晴天の霹靂式にいきなりパソコン更新作業が始まってドタバタしていた頃、いい加減な記憶でMAX64と書いているが【1102】、MAX32GBが正解。スイマセン。

 VR技術者の知り合いがi7の32GBを普段使いにしており、このくらいあれば私ごときが近々にユーザーの立場で絡むぶんには不自由しないだろうという根拠である。VRという言葉も随分と一般的になったが、あのゴーグルつけると3Dデジタル構築された仮想世界に没入できるやつです、念のため。
 購入時点でおいくらか積んで32GBまで上げておくことも可能だったが、いまアタマの中にある私自身のパソコン使途を考えるに、普通の録画の整理がらみの稼働が圧倒的だ。VRモノに絡んだとして当分他人の高速機で覗かせてもらうくらいのことだろう。
 そもそも3Dデータ構築でVRなんかに踏み込むとなるとグラフィックボードも必要になってくるし、現時点でそんなゲームPCに迫る凄いモノ突込んでも無駄に消費電力を喰うばかりで、どうせ持て余して後悔の方が勝つだろう。一応の対応を可能にする受け口だけ持って備えておくまでで、今は十分である。

 以上、やれないことはないが結構な追加出費になるし、ここはケチってデフォルト仕様の16GBメモリーでよかろうよ…ってことで落ち着いた。『ん?互換性アリの普通のDDR4メモリーなら、いったん稼働を止めて中を開け、普通にメモリー基板を差し換えれば大丈夫。動かなくなる心配は要らないよ』と言ってのける知人もいるし、不自由したら一応データ避難させて換えちまえばいいかと。

 SSDは詳しくなくて、最初に中を開けた時も『どれがSSD基板だっけ?』状態であり、何よりパソコン代替を急ぎたかったので、どこ製の型番いくつなのか詳細を確認していない。NVMe M.2で検索するといくつもヒットするので、相性の良し悪しがあるかも知れないが、そのへん好きな人は調べてください。容量は512GBある。
 SSDは機械的ガチャコン動作の無いデバイスなので衝撃入力や物理的な作動不良によるピタゴラメカ構造の故障の心配は無い反面、電子特性の劣化による突然死のリスクがしばしば話題にされる。ハードディスクは不自然な作動音がしたり騒音が大きくなったり、ある程度はそれっぽい予兆を期待できるのだが、SSDはそうはいかない。
 書き込み何回、の素子スペックが自分ペースでの使用負荷にしてどのくらいに相当するのかイメージできないので困るのだが、先ほどのVR屋さんが仕事中にSSD御臨終されてしまい酷い目に遭った話は聞いている。バックアップの工夫はちょっと気を付けておいた方が良さそうだ。

 とりあえずここまでで税込13万円でお釣りが来るが、箱詰めされた商品としてはパソコン本体と有線キーボードまでだ。Officeはインストールされていないので、持ってる人は自分で入れて、持ってない人は3万弱払って入れましょう。
 とりあえず、あとディスプレイとスピーカーを用意すれば、これにてスイッチONで稼働開始はできてしまう。あ、あとマウスか。
 先に紹介してしまうと、私はディスプレイもASUS VA24DQを新調した。スピーカーは何故かいろんなのがゴロゴロしているのだが、VA24DQだと2Wの小さなスピーカーを内蔵しているので、これだけでパソコン事務作業程度の音ぐらいは十分にコト足りる。適宜このささやかな外付けスピーカーレス構成でちょちょいと使えて便利、う~んSDGsなことよ。

 さて現時点でビミョーに信用ならない気がするSSDひとつで生きていくつもりはない…ってことで、稼働前にハードディスクドライブを組み込んだワケだが、何しろ買ったのが夏なもんで記憶があやふやになっていた。HDDはどんどん値を下げていて、買いに行ったその場で1万円もしなかったので、ウェスタンデジタルの4TB機種WD40EZAZを用意してあったのだ。再びスイマセン。
 いや、パーティションを切ろうと記憶域を表示させたら『3,815,431MB』とか出やがって、あれ?と確認し直してやっと自分が真夏に4TBを買っていた事実を思い出したのである。そう、私の記憶容量は128KBぐらいしかない。
 持っていない人は、別途SATAケーブルとHDD側面の留めネジ2本が要るので準備忘れの無きように。ケーブル接続は難しくないし重大な故障の失敗をするような作業間違いも考えにくいが、拡張の余地を確保するため中がカプラーだらけなので、最初ちょっと怖気づくかも。

 このHDDにサンワサプライ製USB-CVIDE4で旧機のシステムHDDを移植して、ひとまず無事にPC代替となった。Outlookメールの連絡先をまだ読み出せていないのだが、まあ『連絡来ねえぞ、ナニやっとるんだ!』とお叱りの着信を待ちながらの待ちぼうけでも死ぬもんじゃなし、どうにかなるだろう。
 なお本コピーツールで外から接続したHDDが読めないとか書いているが【1104】、コピーツールのスイッチが入ってませんでした。入れたらちゃんと読めました。
 ええ、便利なツールです。スイマセンでした…って何回謝ったっけ?

 今回はPC選定の情報だけでまとめておくので、御自由に御活用ください。
 よし日付変更線ギリで滑り込み。いよいよPC購入に取り組むヒト、どうか御幸運を!
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