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【968】悪夢から我に戻る遠い日の散歩道 [ビジネス]

 そろそろ話題を現実に戻して行きましょうか。冷静に夢と対比させて考えよう。

 夢では筋道立った理屈が何もかもデタラメになっているのだと述べた。『空が青いので地下鉄に乗って鍾乳洞に行こう』ととんでもない台詞で平然と会話して、全く気にならないのだから凄い。
 だが爽やかな青空の映像や、通勤列車式のロングシートに座って暗く流れる車窓を対面に眺め、ひんやりと湿った洞窟の中の空気を感じながら暗がりのなか濡れた石畳で歩を進めた記憶もちゃんと残っている。でも待てよ、青い空から地下に降りる過程やそこから改札を抜けた景色なんかは、あるはずなのに欠け落ちている。どうしても思い出せない。
 これ、今日一日起きて歩いた道のりのことなら、わざわざに注意を向け意識した自覚の無い場面のことでも実はかなり憶えていて、記憶の場面をそこそこ連続で繋ぎ合わせることが可能なのだ。

 ロスから南へ車で4~50分ぐらいだっけか、『サウスコーストプラザ』という巨大なショッピングモールがある。ジョンウェイン空港も間近にあり便利な場所ってことで、毎週のようにその近所に宿をとって滞在していたものだ。
 必然的に週末に散歩・食事・買い物でサウスコーストプラザを訪れることもしょっちゅうであり、その『慣れ』が油断を呼んで、ある日やってしまった。ついつい考え事をしながら車を降りて、何の気なしに食事もして、はたと気が付いたのである。…オレ、どこからどう歩いてきたんだっけ?
 中途半端に見慣れてしまっているが故、『さっき通ってきたあの一角』という記憶の特定ができないのだ。まずい。結構真剣に青ざめた。

 現地を見たことがある方なら、その瞬間くらっと来る絶望感が想像できると思う。
 どっどどど、どうしようー!?
 何しろ『オマエは独りこれで勝手に生きていけ』と会社名義の給油カードと共にホイっと渡された社用車である。車種と塗色は判るものの、ナンバープレートは覚えていないし、そもそも車種も塗色も視野に入って来なければどうしようもない。サウスコーストの案内係に訴えて親切に気にして貰えたとして、車の写真も無いし少々の人数で手分けしたところで返事がその日のうちにあるかどうかも怪しいくらいだ。絶体絶命。

 …って、自分でここまでやらかした事実なんだし、こりゃ自分の記憶を辿るのが一番速くて確実だな。腹を括って、まず心を落ち着けることにした。うわっついていては判断を誤って深みに迷い込む。
 今の視界の空間に顔を出したのは…と検証しながらゆっくり後戻りして『そうだ、この店を見ながら、この通りを抜けてきたんだ』と思い出して再度確認し、慎重にそこまで歩く。戻り過ぎた景色に踏み込むと、あながち知らない景色でもないがために、また余計な記憶で混乱する元になるから要注意だ。
 視界の映像を、さっき見てきた最新のものと同じかどうか確認しながら、自分が通ってきたはずの道順を一手一手、最短ルートで戻っていく。そうか、当時の私は、今の私が推測する『意識』の正体=ナウ五感を記憶ストックとリアルタイム整合しGO/NO GO判定する…という理解に基づいた対処がちゃんとできているじゃないか。やるじゃん、オレ【937】【938】

 せいぜい10分程度だったとは思うけれど、『あー!そうそう、今日はこのエントランスから入ったんだよ。よし思い出した!』と安堵し、運よく駐車場が空いていたこともあって、首尾よく愛しの社用車を見つけて胸を撫でおろしたあの瞬間の気分は忘れられない。
 そのぐらいサウスコーストは広いです。これから行く方は私のような間抜けな失敗をしないよう、くれぐれも御注意ください。実にたまたま駐車場も建屋内も、むしろ閑散という表現が相応しいくらいの日だったからこそ事なきを得られたのであった。
 日本でも郊外型ショッピングモールが増えてきて似たような迷子騒ぎをやらかす客はいると見え、広大な駐車場の島や通路毎に大きなアルファベット文字や動物・果物の派手なシンボルマークを描いた表示板が掲げられていることが多い。少なくとも景色を見ながら自分の足で歩いてきた以上、一度は状況認知して情報処理しているのだから、特に目立ちやすい映像を記憶に残すような表示を出しておくというのは的確な予防策だと言える。逆に歩きスマホでこの失敗をやらかすと、真剣にどうしようもないはずだ。

 つまり起きて活動している人間というのは、あとになって『意識せずに素通しでやっちまった』と感じることでも、その瞬間その瞬間は案外としっかり現実を認識しているものなのである。
 この一件以来、私は落とし物・失くし物に気付いた時、丁寧に記憶を辿って必要なら可及的速やかに現地にまで戻り、追跡探索をすることにしている。その成功率は圧倒的で、落とし物・失くし物が多くて悩んでいる方にアドバイスするなら『みんな諦めるのが早すぎる』ってことになるんだろうな。
 ともあれ覚醒中の記憶に限ってこんな巻き戻しが可能なのであり、夢の記憶の方はアイテム個々が断片的で、落ち着いて辻褄を合わせてストーリー顛末を完成させようとしても、まず絶対にできない。
 なのに、ストーリー成立感だけがあまりにも明確なため、起きていてハナシとして夢を扱うにあたっては、覚醒中の論理的なアタマでもって『現実と等価の理屈が通る、一話完結のストーリー構造』を前提にしてしまうのだろう。『不思議の国のアリス』の世界構築なんか、えらい凝りようである。

 ではちょいと質問。
 東京五輪というコトバが飛び交っているが、元々五輪はこれまで世界人類が定期開催してきたスポーツ大会であり、この度その新たな一回を執り行う予定であった。
 ところが新型コロナ・ウィルスの世界的な流行がまだ収まっておらず、何らかの予定変更が必要となった訳だよな。ここでは、中止するか【832】最低2年延期しかない【837】と述べた訳だ。
 3週間後に日本国は、現実としてナニをやろうとしているのだろうか?

 起きて覚醒して過ごすこの世界は、質量保存則もあるし物体の運動は慣性をもって運動方程式に従うし、アインシュタインが何と言おうと時計とカレンダーに忠実に時間は進む。在るものを『無い』と頑なに言い張っても消えてなくならないし、無いものをいくら『在る、在る』と繰り返しても無いものは無い。
 まあ正気の人間が普通に人生を送れば、子供と言われる年齢のうちには正義のヒーローもサンタクロースも、現実の組み合わせでその姿を完成させ、自分に接しているのだと理解する。つまり『世の中の常識』『どうしようもない現実』というものがあるという認識であり、それは放っておいても1億2千万人で共有され日本社会の組織の自我の本心の知るところとなっているのである。

 日本国組織の本心は、もう五輪の開催など現実として起こらないことを知っている。

 人間の『心』『精神』を定義するのは難しいが、その拡がりは確かにウラ画面の脳内世界まで網羅している。だが、おのれの生命を維持し生物として存在し続けるためには、ノーチョイスとしてオモテ画面でもって現実と向き合い、人類文明の理知としての『人の手の及ばない因果律』に観念して、それ前提の行動決定をせねばならない。
 人間の行動学の観点において、物事を予測して採った行動が結果的にハズレだったケースをもって『失敗』と呼ぶのは適切でない。確信している予測に対して、覚醒中なのに現実の因果律に逆らい、つまり確実に現実と喰い違って無駄に終わるような非・生産性行動に陥ることこそ『失敗』なのだ。

 今日は東京都議選の投開票日だっけ。
 都民生活の、あれをああやって、これをこうやって、自分ちやみんなのお店や会社がまわるように東京都の社会組織を具体的に変えるのは、本来一人ひとりの都民自身だ。だが全員いっぺんに直接はやれないから議員を選出して、そいつに託す。
 選挙権の行使は大事ですぞ、では東京都の皆さんグッドラック!
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