SSブログ

【1210】人類史教訓の算出プログラム絵巻物 [ビジネス]

 まずは新聞関連の積み残し話題から。
 新聞紙は丈夫で吸湿性が高いため、昔はいろんなところで使われたものだ。

 箪笥の抽斗や納戸の棚など、ありとあらゆる収納スペースの底面・床面には『じか置きしないなら、とりあえず新聞紙を敷く』が常識であった。だから倉庫の整理や家の建て替えなどで、普段手を付けない長期保管庫を整理すると、敷かれた新聞紙の日付で搬入時期を知ることができた。
 通常は本でいう裏表紙にあたる最終ページが、ラジオとテレビの番組表になっており『ラテ欄』と呼ばれ…と今どき念のため解説を入れたりしちゃって、とにかく昔のラテ欄なんかは出て来ると懐かしくてついつい見入ってしまう。家計簿の日記機能と似たような、懐かしい記憶の引金である【443】
 既に記憶に自信がないのだけれど、NHK朝ドラ前作『らんまん』でマンちゃん遺品の植物標本を整理するにあたり、標本を挟んだ新聞紙を手掛かりにするくだりがあったんじゃなかったっけ。

 『今日こんなことがありました、こんな日でした』という毎日の記録は時を経て、当時その場に渦巻く一時的な心理境遇から離れて、冷静な俯瞰視点での情報を再提供してくれる。そこにいた自分の姿の記憶まで含めて、誰の介入もなく一人真摯に過去を懐かしみながら反省することができる。
 いま新聞社がいくつ生き残っているのか知らないが、今日の出版物を収納の敷物にしたとして、いつの日にか人々は目を止めて思わず読み込んでしまうだろうか。カネに困った物書きが日銭目当てで政権勢力に媚びて書いた駄文散文は、それなりに特徴的ではあるんだろうが、人生の想い出に残る社会実情の脳内記録ファイルに噛み合わない。あやふやなウワサ話として卑下されていた三面記事の方がよっぽど正確だ。

 因みに、古新聞が人の目に触れてSNS記事などに昇華される例は結構な件数になっていると思われ、見境ない文書電子化の盲信なんぞ押し進めると、この社会史の草の根保管機能は失われていく。

 『誰もが認識する実情と無理なく噛み合うこと』が社会の事務連絡の機能要件だとすると、この情報領域は間もなく人口知能AIに凌駕されることになるだろう。
 まだまだ定義が不明確な『人工知能』というコトバだが、端的に演算能力と記憶能力に現代コンピューター技術が使われていて、人類文明として価値ある情報処理を可能にしてくれる機械くん…あたりがチマタの共通認識ではないかと思う。
 だとすると同じ演算と記憶のハードウェアを備えたAI同士でも、そこに記録ストックされた記憶情報の内容や、演算処理フローのアルゴリズム構成などソフトウェアによって『中立』『率直』の情報品質の管理能力が違ってくるはずだ。つまりブツだけ見て『AIだから信頼できる』という理屈は成り立たない。

 『中立』は人格や思惑による操作と相反する概念だが、その正体は『万人の人格や思惑が手放しで向かう方向性』のことだ。ヒトの世を離れたどこか雲上に、全人類がひれ伏す『中立性判定マニュアル』があって、それと照合して決まるものではない。
 ここに『中立』とは『人間と根本的に違う機械ならではのアブソリュート情報処理体系』が定義し保証する情報の質ではないことに気付いておこう。
 同様に『率直』も意図的な曲解とは相反する概念だが、その正体は『万人が未加工ありのままの現実だと認識する解釈』のことである。

 個人あるいは一部の少人数が、全体集合の中にあって部分集合を装いながら、全体集合から違った系に変質し、全体の自然な情報処理に噛み合わないこと・同化しないことをやらかし始めた時、そいつらは中立でなくなり率直でもなくなる。
 ここまでを整理すると、『社会の事務連絡』の品質を維持するにあたり、特定の人格や思惑と縁を切る方策として、まず情報品質の管理に関わる人間を人工知能AIに代替する方策が有効。
 但しAI置換だけでは足りておらず、これを社会全体が考え得る限りオープン化して、ひたすら社会組織全体の情報特性を広く反映させるとともに、常に最新情報を演算させ記憶を更新させ続けることだ。これが世間一般『まあ常識的に良いセンいってんじゃない?』ぐらいのレベルで実現すれば、政権に跪き言いなりを喧伝するだけのマスコミ報道など、業界まるごと消滅する。

 現時点において既に公開AIは、とりあえず単語や表現の選択において好意的な姿勢を保ちながら、言語情報の応酬としてかなり自然な会話が可能になっている。つまり情報体コミュニケーションの局面において、善良な人格像と潤沢な知識量を感じさせる印象ツールは揃っている。
 このAIに人間が自覚する『主観』『自我』『意識』のようなものはあるのだろうか?

 ナウ議論が交わされているところではあるが、これらの印象ツールを『統計的オウム』と呼んで『主観』『自我』『意識』の本質とは別に扱うべきだとする考え方がある。こっちがどんな受け止め方をしようが、所詮は膨大な記録情報から統計的に導き出される演算結果の所業に過ぎないのだと。
 豊富な知識を持ち相手に好意を抱く『主観』『自我』『意識』があるからこそ相応の印象ツールが揃うのだけれど、だからって成功している会話例から印象ツールだけメカニカル算出で揃えて返答を組んでも、その情報の質的オウム返しに『主観』『自我』『意識』が宿るワケじゃないでしょ。そういうことなんだろうな。

 こればっかりはオウムたる発信元に乗り移らない限り、絶対に答が出ない…というか、乗り移れるからにはそこに『主観』『自我』『意識』とせめて等価なモノが存在してなきゃいけない気もするんだが、そこの深みにハマりに行くのはやめておこう。
 今ポイントを置くのは『統計的』という、全体集合を代表する特性で応答する規律作動をもって『理知的で好意的』という印象が完成されているということだ。
 言ってしまえば『統計的オウム』そのものは大いに結構であり、現有の知識で精一杯フレンドリーに会話するその姿勢は、多くの人々にとって社会性の目標値だったりもするのではないか。
 ここまで理解すると『社会性の理想像は統計で算出できる』として理屈の破綻は無いように思え、AI議論において『人間の尊厳』みたいな漠然ワードを印籠にしてAI社会参画を否定する向きには、その『尊厳』とやらのナニが統計算出値を上回って価値があると感じられるのか解説させてみたい。

 私個人的には『主観』『自我』『意識』みたいなものは幻影でしかなくて、大脳=大容量ストレージを持つ生物はみんな『統計的オウム』なのではないかと思っている。
 だからこそ成長期の初期書き込みは非常に重要なのだ。突込んで話題にするかどうか長らく迷っているのだが、殺人や略奪などの破壊的行為を楽しく建設的な事象として入力された人間や動物は、その方向性のアルゴリズムに則って自らの寿命を生きていく。

 人のココロは時に予測を外れてぐらついたり、のぼせあがって粗悪な狂い方もしがち、『統計的オウム』の理想を知りながら、いけないと解ってそれを裏切ったりもしてしまう。だが結局のところ『人間、誰しもそんなもの』という共通認識があって、それを否定したくないし大抵は否定しないため、結局の結局これがまた全体集団の代表特性として割り込んでくるからムツカシイ。
 社会に流通する『中立』や『率直』の浮動性を認めて、過去や現在の、個人や大衆の、生データと統計算出結果をいつもみんなでチェックし考え直すために、情報空間の記録メディアは存在する。
 ブツとしてただ置いておける情報を目のカタキにする社会風潮は危険だと思う。

 今日のあなたの作文が永遠に幸福を発信しますように。では送信、グッドラック!
nice!(12)  コメント(0) 

【1209】ブラウン管と新聞紙が総天然色と引き換えた商品力 [ビジネス]

 高度経済成長期にあった昭和40年代において、社会面ニュースや政治経済などの時事問題に関わる解説・討論系番組と、歌謡やドラマにアニメなどの娯楽番組は、明確に異質の情報コンテンツとして意識され扱われていたというハナシはした【73】【149】
 ひとことで言えば『つまらない事務連絡』と『楽しい遊び』のジャンル区分である。

 例えば夜7時から1時間枠のいわゆる『ゴールデンタイム』などは、一般家庭で食卓を囲みながらテレビを観るシチュエーションを想定して、各局が家族団欒に相応しい『楽しい娯楽番組』で視聴率を競い合っていたのは明らかである。
 NHKだけは7時のニュースをやっていたと思うんだが、それでも5分なり10分なりの短い事務通達のようなもので、その後は娯楽系の内容を放映してたんじゃなかったっけ。

 そもそも『国営放送局NHKは国民への通達義務がある情報に徹するべきで、遊び気質の芸能やドラマなんぞは民放にやらせておけ』という認識だったから、社会の事務連絡=現場映像に続いて背広アナウンサーが原稿を読み上げるだけのニュースが早々に片付いたとして、どうせ民放の向こうを張るのは、ドキュメンタリーやサイエンス、あと生活課題のスタジオ討論みたいなものまでである。
 『楽しい芸能』と言えばせいぜい一番人気の毒の無い流行歌ぐらい、あとドラマは『連続テレビ小説』や『大河ドラマ』は昔からあった。いずれにせよその程度だったように思う。

 いっぽう紙面メディアに目を向けると、まず新聞がNHK的な『社会の事務連絡』をがっつり底支えしており、テレビだと数秒~十数秒の映像と音声で流してオシマイになる内容をしっかり文章に組んで、ほとんど誤字脱字の無い完成度で印刷紙面にして毎日各家庭に配達していたのだから凄い。あ、もちろんスポーツ新聞や競馬新聞は別なんだけどさ。
 平成ひとケタの頃、私は社員寮に暮らしていて出勤時にロビーの投函ボックスから配達された朝刊を取り出し、それをそのまま職場まで持って行って始業時間まで読むのが日課だった。携帯電話もインターネットも無かった当時、既に私と同世代の間では新聞を取らないヤツが多数派になっていて、年長組からは『社会人になって新聞を読もうと思わないとは…』と呆れられていたのを憶えている。

 そう言えば北米でいわゆるスイートホテルに滞在すると、たった一泊でも必ず朝にはドアの下から”USA TODAY”が滑り込まされていて、これを出がけにカバンに入れその日持ち歩いて、毎日すみずみまでしっかり…とは行かないが、スキマ時間に好きなところを好きなだけ拾い読みするのに重宝したものだ。部屋のテレビで見かけたニュースの記事をゆっくり再確認できたりもする。
 そんな利便の好印象もあって新聞というメディア形態の文化は嫌いではない。朝のドア下”USA TODAY”配達は盤石な固定市場だったはずだけれど、今の時代さすがに廃止されちゃったかなあ、どうなんだろうか?

 テレビ報道も新聞も、当時の公共情報文化を振り返るに『事務連絡として流れるつまらない情報に、わざわざのウソは介在しない』という暗黙の前提があったと思う。
 そもそも何故つまらないかというと、ありのまま現状を素っ気なく『ありました』と伝えるだけだから、よっぽど視聴者・読者自身が直接自分との関係を意識する対象でもないのなら、そこに誰の思惑も、誰の人格も見出すこともなく『ふう~ん、あっそ』で終わってしまうのだ。
 子供年代の私にとっては、まあ猟奇殺人やタダゴトでない長期立てこもり、あるいは大災害や大事故など心理インパクトのある大事件が発生したら、興味本位でその詳細を覗き見ようとするくらいが関の山であった。
 思惑も人格も絡まないからこそ味気なく質素な事務連絡なのであり、思惑も人格も絡まないからには意図的な歪曲も加わらないはずだし、そんなところに細工する意味なんか無いに決まってる。ごく普通に自分のことだけ気にして日々を送る庶民の立場としては、これが自然な感覚だろう。

 もっとも戦中に言論統制が布かれて、ラジオや新聞が戦況をまともに伝えなくなっていた話は有名である【736】
 人間の思惑も人格も絡まないはずの『事務連絡』に、大衆が構えなく視聴覚の入力ゲートを預けてしまうと、大衆は集団催眠術に操られるように事実誤認の方向性をもって動いてしまう。
 ここに誰個人の意図でもない『組織の思惑や人格』の検閲や歪曲操作が発生し始めると、組織力が個々人全員の思うところから外れて誤作動し、同時に誰個人の制止も修正も受け付けなくなり、組織が自滅の一途を辿るということなのではないだろうか。だからパール判事は『広告には気を付けなさい』と忠告した【307】

 NHKのテレビ放送開始が1953(昭和28)年だそうで、『もはや戦後ではない』の経済白書が1956(昭和31)年のことだから、終戦から僅か11年後である。
 改めて日本社会の戦後復興の活力とスピードに感心するとともに、スローガンとしての意味合いまで含めた日本経済の自己認識がこれだったということは、まだまだ日本社会が戦中の負の記憶を実感に留めていた時代だったのだろう。
 さらに十数年後の高度経済成長期にもまだ、みんなが暮らす社会の平和を守るため、新聞記者が正義のヒーローとして陰謀を暴き悪の組織と戦っていた。ちゃんと戦争体験で学習した情報原理に基づいた設定じゃないか。

 さて1985(昭和60)年の『ニュースステーション』放送開始で、『つまらない事務連絡』と『楽しい遊び』の区別が撤去され始めたのではないかと考えている【149】
 いま思えば、中立にして率直な内容を『社会の事務連絡』として不文律で管理する業界意識の終焉だったのかも知れない。戦後40年目にして、日本社会の公共情報システムの自我が『事務連絡が歪曲されて社会が現状認識を誤る心配はもうしなくていい』と心変わりしたということだろう。
 高度経済成長期のひとつの到達点・バブル景気がもたらした全国民的慢心により、これが社会考察や権力監視の無関心放棄という形で現実化してしまった。そして文明社会の作動原理に適った理性的な現実アイテムの操縦ができなくなった日本社会・日本経済は、底なし沼の不況に沈んでいく。

 カネ廻りが滞り公共情報業界が稼ぎを失い、かつて流通させていた主力商品=組織力による事務連絡情報の品質を落としたら、発信情報vs発信情報のバトル戦闘力は大組織も個人もキホン同じである。
 ここに『インターネットの普及という背景』が重なって、大衆相手の大規模発信が個人でも可能になったため、あっという間に既存マスコミは優位性を失ったのだと思う。『組織力による情報の品質管理』にポイントを置くなら、昔も今も個人は大組織に歯が立たないことを強調しておく。

 少なくとも現時点、個人も組織も似たようなものなら情報ソースは多いほど良い。
 SNSは『広告でない発信元』であるという、その一点の根拠で『広告に気を付けるための実効ツール』としての価値は十分にある。

 人間が関心を持って知覚し、内容を理解し、心を許すに到る要件とは何なのか。
 チャールズ・チャップリンはどこまで解ってコメディという手段を選択したのか。
 明日もよく考えながら、NHK朝ドラ『ブギウギ』視聴でグッドラック!
nice!(13)  コメント(0) 

【1208】ちょびひげ算太おじさんの世直し底力 [ビジネス]

 時は世界大恐慌に向かう不況の下り坂、NHK朝ドラ『ブギウギ』のUSK歌劇団でも収益改善の身を切るリストラ策が次々と放たれ、会社にとっては看板従業員たる踊り子たちが、一致団結とは行かないまでも思い思いに協力体制を組みながら、労組協議の整備を目指して動き始めた。

 この時代のショービジネスシーンにおける雇用条件についてはあんまり知らないのだが、ひとつ確実なのは、記録メディアが無いため全てライブ稼働一発勝負の肉体労働だったということである。
 私の母親が1929(昭和4)年生まれの94歳で、『活動写真』と呼ばれる無音声のフィルム動画に、壇上の傍らの『弁士』が一人で台詞を付けていくという原始的な段階の映画をリアルタイムで知っている。
 パフォーマンスと言えばお芝居も音楽もライブしか無かったという時代は意外と最近にあったことで、それがフィルム録画を経て現状のデジタルコンテンツが一般流通するまでに、思いのほか時間はかかっていないということになる。まあF.M.アレクサンダーが19世紀後半~20世紀前半を跨ぐ時期の人だしね【1032】

 映像や音声の記録機器の発達により周辺事情・付帯事情の領域が変遷してきたにせよ、何だかんだで舞台ライブとしてやっていたパフォーマンスの基本はそのままなんじゃないの?
 だって設定シーンで劇中の役どころの心身状態を最大限に観客に伝え、その場の世界観に引きずり込む目的はずっと変わらないはずでしょ…と単純に考える方がどれだけおられるか判らないけれど、お察しの通りそんなに単純なものではなさそうだ。
 じゃあどこがどう何に合わせて要求値が変わり、工夫がなされてきたのかというと、私は役者でもなければ、演技で舞台も撮影も経験したことが無いので、体感を絡めて具体的な解説はやりようが無い。

 けれども、ってところで久し振りに映画を一本紹介する。
 タイトルは思いきり判りやすくも”CHAPLIN”、邦題は何故か『チャーリー』である。

 1992年の作品で、粉飾なくソリッドなチャールズ・チャップリンのバイオグラフィーという造りになっている。バイオグラフィーにありがちな大作で本編145分に及ぶ。
 先に書いておくと、ソリッドであるが故に女性関係のハードな一面もそれなりに描かれているため、子供さんのいるおうちで家族視聴するのは、あんまりお勧めできない。

 チャールズ・チャップリンを演じるのはロバート・ダウニーJr.、実はその従順でない若きチャップリンに不満を募らせるハリウッド女流監督として、”THE REWRITE”『リライフ』のマリサ・トメイがちょびっとだけ出演しているところが私にとってツボだったりする【917】
 改めてちょっと調べてみたら”GANDHI”『ガンジー』と同じリチャード・アッテンボロー監督の作品なのだそうで、なるほどその率直な長編ドキュメンタリータッチの作風には合点がいく【1133】

 さてこの”CHAPLIN”『チャーリー』だが、熱烈なチャールズ・チャップリン研究家専用というよりは、ソロ・パフォーマンス役者の一生を通して見るエンタメ文化の開拓・進化の歴史資料として、プロ・アマ問わず役者経験のある方に一度は御覧いただきたいものだ。損はしないと思う。
 時流のエンタメ最新技術が突き付けてくる市場新天地の拡張速度に突き動かされて、私生活そっちのけで研究と創作に没頭するその姿には、世界第一人者となった実力派パフォーマーの幸福とは何かを考えさせられる。

 因みにこの”CHAPLIN”『チャーリー』は、恐らくだけれどNHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』算太おじさんの役作りに参考にされていたと思われ、好きで観ていた人なら『あ、あれかー!』と思い出しながら楽しめたりもすると思う。
 いや、放送当時はネタばらしみたいになりそうで気が退けて、黙っておりました。

 私の親世代からもよく聞いたのだけれど、チャールズ・チャップリンの有名作はどれも社会風刺が痛烈に効いていた。『コメディ』というジャンルは、庶民一般層に敬遠されるような軋轢を孕んだ社会問題や、批判的なあまり一部の権力から敵視されそうな政治思想のメッセージを、『笑える架空の出来事』にして広く普及させる目的の公共情報という位置付けだったのだという。
 産業革命による機械動力の大量生産ラインを相手に、人間の方が機械のイチ部品に成り下がってしまう。国を沸かせた独裁政権の国家体制による強大な組織力が、結局は国民の幸福を妨げ、人間の幸福を妨げてしまう。何しろ素朴な内容の映像なのに、これらのテーマが実に解りやすいのだ。

 私が子供だった昭和40年代のころ日本のテレビでは、いい大人がわざと恥知らずな扮装をしたり幼稚な被りモノを被ったりして、日頃の鬱憤を晴らすため破滅的・痴呆的にドタバタ羽目を外してはゲラゲラ笑うだけのような退廃的な番組が高い視聴率を取っていた。別に当時の多数派を見下すつもりはないが、ウチではそんなもの家族の誰も見なかったし、それで良かったと思う。
 週休1日のカレンダーで出世昇進を目指して深残の日々、自分を封じて会社の歯車に徹する当時の労働者には、トゲの立ちそうなマジメ含みのインテリ劇なんぞ沢山だったんだろうな。当時のニッポン労働者気質をよく反映した、ある種の社会文化である。

 もっとも、これはこれでPTA=Parent Teacher Association、文字通り『保護者と教員で成す協会組織』に…おっとお?
 今ちょっと調べたところ、これにイチ対イチ対応する決め打ちドンピシャ和訳が存在しないようで、うまく見つからない。そんなもんなんだっけ?
 まあいいや、とにかく親やセン公の全国横断型組織層から『子供の成育に悪影響がある』とされ、有害番組として強烈に非難を浴びていたものだ。だが視聴率が取れるからには市場原理が働いて、テレビ業界全体にこの痴呆ドタバタ劇を是とする風潮も定着してしまい、これが少なからず『子供がテレビを観るのはいけないことだ』とする通説に結び付いたのだろう。

 映画”CHAPLIN”『チャーリー』に話題を戻す。
 元々は観衆席と対峙する簡素な舞台施設で、当時としては意外性ハプニング仕立てのサービス精神がてんこ盛りな身ひとつ即興アクション芸を得意とし、大人気を博したチャールズ・チャップリン。そんな彼が新興勢力の映像記録メディアと出遭っては模索し、開拓し、自分なりの妥協のない解釈で、最高の成果を目指そうと追求する姿が印象的だというハナシだった。
 エンタメだ映像メディアだという枠に限定したことではないが、ありもん環境に身を預けることしか頭になくなっていて、その出来合い世界で自分の持ち駒だけ試したらもう手詰まり、みたいな負け体質に陥っている現代人がいかに多いことか。
 世間的にはユーモラスで愛嬌ある仕草がトレードマークになっているチャールズ・チャップリンだが、その野生的で貪欲な生命力に溢れた生きざまと、当時の国際政情にまで影響を及ぼすほどの成果達成度まで、我々は一度じっくり眺め直すべき時代になっているのかも知れない。

 現実問題とまるで噛み合わないのが解り切った日本語で議論を交わし書類を作り、文明社会の原理原則の知恵に逆らうのを解っていて破壊工作にしかならないデタラメ細工を繰り返し、それをさもエラい実力者たちの公明正大な社会運営であるかのように吹聴して回る。
 こんな日本社会の情報流通の実情にして『ああ栄華を誇っていたマスメディアは何故チカラを失ったのだろうか』なんて、今さら何か考えることあるのか?

 エンタメ全体もコメディ域パフォーマンスも『面白い』の心象で相手の受信ゲートを開かせて訴えかけるので、大衆の動向を左右する影響力を秘めているのは間違いない。だが無能低能役立たずな政治家どもが、国民の視線を浴びながらドタバタ娯楽業界に懐柔しに出向くような位置関係など、この世にあり得ない。
 百歩譲って仕方なくそれをやるにしても、もうちょっとマシな相談先の程度というか、格の選び方があるだろうに。日本の無能低能役立たずの政治家どもが、まさに無能で低能で役に立たないワケだよ。

 豊かな日本列島に抱かれて、ほかっておいても土着の集団生活が自然発生して始まったニッポン精神文化は、馴れ合い環境の箱庭に恵まれてきたが故に生来のコミュニケーション虚弱体質がなかなか抜けない。
 デジタルネイティブ世代は、少なくともデジタル空間の人間関係において、このニッポン生来の閉鎖性を知らずに生まれ育っている。昭和老人の閉鎖性世界からの視点で、若年層が社会参画して来ないと映るのも当然だろう。
 ますますのオープン化に抗えない高度情報化社会の未来、こんな閉鎖性社会にクビを突込んでは時代に逆行して淘汰されるしかない。子供たち若者たちが腹を割ってこず距離を置くのは正しい判断だと思う。

 とりあえず30年前の映画だけど、機会があったら一度観てみていただきたい。
 ファスト視聴で観るなよ、もったいないぞ。では学びの標準再生にグッドラック!
nice!(12)  コメント(0) 

【1207】タイマン度胸の伝達率向上委員会 [ビジネス]

 『日本社会の一般庶民層の組織自我の変遷』についてもう少し。
 大衆の注目を浴びる立場を無条件の反射的に避けなくなり、偶然にでもその立場になったらパニクらずにソツなく応答する習慣が、日本社会に広く定着したのは好ましい傾向だと私は思っている。

 『社会空間に対して自画像を披露するのは特別なことだ』とする直結ロジックが起動してしまうと、多くの場合まず当人は自然体で発揮できるはずのさまざまなパフォーマンス機能を失う。人目の無いところでリラックスして表情豊かに発信しコミュニケーションできていたものを、途端に窮屈な管理枠に拘束されたヨソ行きの提出物として演じるのだから、そりゃ負担を感じるのもカタくなるのも当然というものだ。

 仕事のプレゼでもない日常生活の場で、その昔の昭和世代は『自分の世界に没頭する』あるいは『気心知れた家族や友知人と会話する』ぐらいの拡がりでしか、思うところを吐き出す機会がなかった。
 こんな情報環境が『言われる前に察してよ』『クチで言わせるな、忖度しろよ』『それは言わない約束でしょ』みたいな、コミュニケーションしてるんだかしてないんだか判らない不明瞭な押し引きで人間関係が動くような、控えめで奥ゆかしく大人しいが、ある意味陰湿で裏含みのある社会形態を作り出したのだと思う。
 『NOと言えない日本人』には、『イヤなものはイヤ、ダメなものはダメ』と正確に意思表示する必要があったことに間違いはない。

 私が人生の視野を振り返って、社会一般の大衆層が遠慮や躊躇のタガを外して恥ずかしげもなく発散する体験を普及させ、社会空間を前に率直に発信する姿勢が公認のものに転じたきっかけとして、やはりカラオケの影響力は大きかったと感じる。
 ちょうど今リアルタイムで『ブギウギ』劇中のテーマにもなっているが、『世間に自己主張するには才能=人並以上の何かが必要』とする心理的ハードルが、昔はチマタの常識として共有されていて、そのハードルがオリンピック選手級の高さから常人の過半数が軽く越えられるレベルにまで下がったのだ。

 今も語り草とされるバブル期ディスコブームのお立ち台では、『品よく小ぎれいに身だしなみを整え、大人のマナーを身に付けて、早く世間のレディの仲間入りをしましょう』みたいな、メルヘンチックな表紙絵のハードカバー指南書に小学校まで夢中になっていたような女の子たちが、捨て身の一発屋芸人もたじろぐ前衛ファッションに身を包んで、閃光と轟音のなか踊り狂うことになる。
 日テレ系だったか、当時の首都圏では『トゥナイト』という時事サブカル特集番組がウィークデーの日付変更線前後にデイリー放映されていた。御存知ない昭和世代には『11PM』終了後の後釜番組だと説明すればイメージしやすいかも知れない。
 人気絶頂のディスコ文化は当然格好の取材ネタとなっており、毎日の帰宅が普通に夜11時台になっていた我々サラリーマン若年層が、都心に花咲く浮世文化を他人事として眺めて楽しむにはぴったりの、まさに『情報番組』であった。

 そこらで合コンやったらオトコどもの我先の喰い付きを一身に集められそうな『フツーっぽい綺麗なお姉さん』が、どっかのビーナス像じゃあるまいし、ホタテの貝殻一枚で股間を隠したようなビキニ衣装…というか未開民族の装身具でインタビューに応じていた回の翌日など、職場でソッコー話題になったものである。
 支持構造としては、背中側からお尻の割れ目に沿って、線状の部材をまわりこませてその先端に貝殻を固定するしかないはずだ。現実の工作として難しくはないが、実際そんな構造で現物を起こした時、本人の装着感は一体どんなことになるのか心配で仕方ない。そもそもお立ち台に乗っているところを下から見上げたら、どんな光景になっているのだろう?トイレに行ったらどうするんだろうか?
 あの娘、見かけはメチャクチャ好みなんだが、そのへんを気にする自意識プログラムが壊れてるってのは厳しいよなあ。うん解る、オレもあの娘が一番好きだったんだが…

 …などとエンジニアリング頭脳の使い方としてどこまで適切か甚だ怪しい会話を楽しくお下劣に交わしつつ、机の上では丁々発止の技術開発業務を日夜進めていたものだ。
 同世代のオンナたちがまだいたいけな十数年前に憧れていたはずの、オトナの女性像の成れの果てを目の当たりにして、これはまたタイヘンな少女精神文化の大転換が起こっているものだと唖然とするばかりであった。
 とにかく当時の誰がどの一面を、どこまで大ゴト扱いで意識していたのかは知らないが、私は日本社会の『お行儀や気品としての閉鎖性』が、アリからナシにはっきり裏返ったのがこの時代だと思っている。

 旧態依然の現状打破をスローガンに掲げて、傍若無人の破壊的マインドを『縛られない個性』『自由の可能性』に読み換えて野放しにするのはどうかと思う。
 だがムカシ日本経済が一見調子よかった頃の現役=バブル以上の世代が、自分自身の正直な価値観・人生観と真摯に向き合いもせず、流れ作業で夢遊病のように甘んじてきたニッポン精神世界の『掟』を意図的に捨てにかからないと、社会でヒトとヒトとが響き合って組み上がる組織構造を維持できない時代になっている。
 もっとも流れ作業で『掟』に身を任せて気にもならなかった人種には、こんな話を外から突込まれて理解して、最新の気質に適応しようとする視野など開けるはずもない。
 日本経済の絶望的な長期的低迷は、世代交代に失敗し人員構成が腰砕けになり、さまざまな産業域で組織力が失われて、それでもなお的を射た改善に動けていないことが主要因のひとつなのではないだろうか。こんなものを『失われたナンタラ』と名付けてみたところで、何の希望的な展開も起こりようがない。

 朝ドラ『ブギウギ』の歌劇団組織は、多少きびきびとした規律戒律の緊張感こそ描かれているが、やはり現代の視聴者層の理解と共感を優先して、人間関係の本質のところは今風に自由で、いわゆるタテ社会の窮屈感よりも、登場人物たちの好意や友情などが強調して描写されていると見受ける。
 まあ朝ドラ視聴で毎日が始まる現代ニッポン人に向けて放映するなら、このあたりが良いところなのかも知れない。決して悪い印象ではなく、一般大衆の平均値狙いの考え方の貴重な一例として、興味深く観させてもらっている。

 他に大掛かりな娯楽が無かった時代、あんなステージ…と言うと失礼になるのだが、人力で緞帳を引きずらりとフィラメント電球が縁取って光るような舞台で、庶民が一生やらないようなメイクと服飾で役者さんたちが華やかに舞い踊るステージ上での出来事は、それだけで観客にとって人生の記憶に残るほどの体験だったはずである。
 私が生まれた頃すでに映画に続いてテレビが社会で一般普及しており、それら放映コンテンツでの露出頻度こそが役者さんたちの知名度を左右するようにもなっていた訳だけれど、それでも現代のこの時代にして『舞台ライブこそ役者職業の本質、一度ハマると病みつきになる』と語られるのだ。
 やはり全身全霊の表現を対面コミュニケーションの直撃で観衆に伝える舞台ライブは、他のパフォーマンス形態とは別格の、堪えられない充実感があるのだという。

 貧相で矮小な閉鎖性気質に閉じ込められ今も抜け出せないニッポン精神文化だが、今季朝ドラのストーリーを通した直達コミュニケーション観の解説と手引きで、一歩でも前進させられないものだろうか。  
 応援するので、工夫とチャレンジでひとつ面白いところをお願い致したい。
 社会を引張る果敢で華やかなステージに、グッドラック!
nice!(12)  コメント(0) 

【1206】セピア色LED照明の大喝采歌謡ステージ [ビジネス]

 NHK朝ドラ『ブギウギ』が第二週を終え、早や来週から大人エイジになるらしい。
 私もすっかり朝ドラ視聴者の固定層になったものだが、突発用件に見舞われる前の朝のうちなので、一日の定番ルーチンとして日常スケジュールに収まりやすかったんだろうな。
 もちろん民放3ヶ月1クールの夜1時間枠とは内容の配分やストーリーの緩急構成が大きく違っていて、配役の登場・去就や伏線の刈り取りなども特徴的であり、いざ見始めるとNHK朝ドラはタイヘン面白い。

 コトの始まりは、いつも鈴子が銭湯の玄関先で大好きな歌を披露して町内の人気者…という設定だが、私の記憶にある限り昭和40年代の高度経済成長期に到っても、ああいう街角パフォーマンスはキホン庶民の日常空間には極めて珍しく、正直のところ作り話の世界の出来事であった。
 その最大の理由は『人前で注目を浴びて何かやるのは恥ずかしい』とする一般通念だったと思う。目を見張るようなイケメンや美女でも、うっとりするような美声の持ち主でも、とにかく理屈抜きに『大衆の関心の的になるのは負担であり、そんな立ち位置は避けたい』という心象に直結していたのだ。

 今よりは遥かに珍しかったテレビ番組の街頭ロケに遭遇したとして、カメラを向けられながらインタビューに応えるなどとんでもない話で、遠目にロケ隊の存在を認識するや人々はわざと距離を置き、安全地帯から遠巻きにその様子を眺めていたものである。
 対象者を見繕ってカメラとマイクを向けにかかろうものなら、みんな両手のひらで透明バリアーを張り、遠慮の愛想笑いを振りまきながら後ずさりするのが普通であった。
 そのクセ誰かがつかまって応対している間、特に子供は背景に写り込む位置を争ってVサインなんか出していたのだから、小市民のケチな自己顕示欲は潜在的に旺盛ではあったのだろう。街ロケで収録するのタイヘンだったろうなあ。

 逆に正月に実家で親戚一同が会食するような場では、学校で合唱を習ったという子供がアカペラで歌声を披露する…というか披露させられる場面は見られたはずである。何しろ当時はロクな娯楽がなく居間にテレビが一台しかないというのが常識で、大勢集まると邪魔にされ消されてしまうのだ。
 まあこんな行きがかりにしても、歌わされる当の子供は決して得意満面という心持ちでもなく、むしろ大人相手が面倒くさいだけの苦手な場というのが正直なところだったのだが。
 この時代、社会において『大衆娯楽としての芸能パフォーマンス』というものは、ある種の緊張をもって舞台から放たれ、受け止める方も姿勢を正して吟味するという共通認識で成り立っていたように思う。
 某・職業歌手が風邪をひいてしまい、それに配慮した司会者が『今日はお風邪を召されたそうで、歌の方はちょっと…』と庇いかけたところ、当の歌手が『私はプロの歌い手としてここに来ています。お気遣いは無用!』と言葉をさえぎって、見事な歌唱を披露した…というスポ魂エピソードも聞いた。

 日本社会の組織の自我がまだ文化的に貧相で朴訥だった時代、日夜自然と格闘する第一次産業主体の生活維持負担や、戦後の焼け野原から歯を食いしばって復興中の過負荷労働が、組織の意識の大半を埋め尽くしていた時代である。
 日本社会という組織生命体がまだ『楽しむこと』を特別視していて、芸能という娯楽に対して安心して気を許せず、漠然と抵抗感を覚えていたのであろう。よく考えたら、今の私よりも若い年齢の大人たちが、常識的な日本の暮らしの娯楽アイテムとして貴重な自由時間に盆栽に入れ込んだり、和室で正座して茶道・華道や詠いなんかもやってたんだから、その現実に少々不思議さえ感じてしまう。
 朝ドラ『ブギウギ』の花田家みたく娘の芸能界入りに好意的な家なんか、高度経済成長期でも見たことがない。人並はずれた特殊能力が必要な職域であることは認めつつ、浮草商売・人気商売の稼ぎなんか水モノだから見て憧れるまででやめておけというのがギョーカイ外の一般常識だったと思う。

 さて、これが昭和50年代に突入するころ歌謡曲が華やかに急発達した。
 小学校の中~高学年の子供たちが毎日テレビを観ては、休み時間に流行りの歌と振り付けを真似て遊ぶようになった。この時点で私はまだインドア派の工作少年であり、着飾った歌手が列席した聴衆の前で歌うだけの流行歌謡ステージは、どお~も学芸会に通ずるお遊戯的な幼児っぽさを感じてしまい、まるで興味を示さなかったのだけれど。
 偉そうかつ手前勝手な解釈で申し訳ないのだが、アウトドア系スポーツにしてもインドア系趣味にしても夢中になって打ち込むものがない連中が、ゴールデンタイム番組の流行りモノを見覚えては自分が本気で憧れ目指すつもりもないまま、きゃっきゃと群れ合ってだらだら無駄な時間を潰しているだけにしか見えなかったのである。ああ憎たらしいガキだこと。

 そんな私が中学から高校生ぐらいにかけて超ウザい音楽小僧に変貌した話はいま関係ないとして、確か高校時代の後半ぐらいから日本じゅうでカラオケが一気に普及したんではなかったっけ。

 時はバブル景気と呼ばれる飲めや歌えやのドンチャン騒ぎが途絶えなかった頃であり、大衆の注目を浴びて自分の個人能力レベルが露見するようなシチュエーションを恥として避けて逃げて、大衆に紛れて安心して雑音に加わるという従来日本式のメンタリティが、かなりはっきりと節目をつけて大転換した印象の記憶がある。
 上手にしても下手にしても『一度マイクを握ったら離さない』という自己陶酔モードが『あるある』で語られるようになったし、実際カラオケボックスになだれ込むや誰もが争って選曲入力し、歌詞があるところまで終わった途端、エンディングを待たずに次の曲を強制開始する野蛮な進行も珍しくなかった。一曲でも多く歌いたいのだ。
 もちろん歌が不得手でカラオケも好きじゃないという人は一定数いたはずだけれど、やっぱり総観的には、日本古来の精神文化として『大衆からひとり躍り出て目立つ役回り』を避けがちだった国民的平均値が、かなり根底から裏返った象徴的な時代ではないだろうか。

 私個人としては、思いっきり自分自身が率先してそっち方向に転がった当事者で、それでこそ楽しい人生を謳歌できているという現実もあるし、決して日本社会として悪い転換ではなかったと考えている。それまでの日本社会の気質は、そりゃ華美に走らず地道でつつましやかだったとも言えるが、同時に暗く消極的で貧相で無責任でもあった。

 そうそう、私が言おうとしているのは、今でこそネオ時代劇としてNHKの朝ドラで流されているこのストーリー、衣装や物品が清潔で洗練されているだけでなく、劇中の人々の感覚が現代人相当として場の空気がまわっているところが『ネオ時代劇』の『ネオ』たるアレンジの特質だということである。こう書いて、うまく伝わるだろうか。
 因みに『おしん』はビフォー・カラオケ時代のニッポン情操世界なんじゃないすかね、観てないんで知らんけど。ええ加減でスマン!

 そしてカラオケ・ビフォーアフターの国民メンタリティ大転換を実現させた最大の原動力は、達人でも有名人でもない平凡な個々人でも『完成度の高い伴奏で気分よく歌いたい』という潜在的願望があり、それをお手軽に実現したが故の自己束縛の解放だったのではないかと私は考えている。
 社会組織で『意識改革』が目的事象に据えられる例は多いが、掲げたスローガンは形骸化して空振りするばかりだし、行動規範のキャンペーンも思うような意欲向上に効いてくれなくて困ったりはしていないだろうか。『意識改革』のための狙いどころは的確かどうか御一考ください。

 そして今スマホなど通信機器や動画作成ソフトの普及により、国民メンタリティはどんな転換の局面にあるのだろうか。
 ああしろこうしろのスローガンやスマホ使用規制の類は有効なのだろうか?
 では朝ドラ第三週の展開を楽しみにしつつ、週明けからグッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

【1205】究極スピリチュアル職工たちの廃工房 [ビジネス]

 前回に続けてもう少しインド関連の話題を。
 最大の理由が『見ための印象』なのが恐縮だが、インド北部からネパールやチベットに拡がる山間部の精神文化は、国境を越えてひとつのくくりで扱えるものではないかと思っている。
 主に寺院などの壁画や仏具、装飾衣装や絨毯などの繊維製品など、我々他民族の精神世界の限界を遥かに超えて精緻が尽くされており、それが単に精巧だけに終わっておらず、あたかも今日最新の電子回路のような規則性を意識背景に造り込まれたものであるところが共通している。

 西暦2千ひとケタ年の後半だったと思うが、日本国内でチベットを中心とした地域の伝統的精神文化に関連する事物の展示会が開かれ、興味を引かれて見に行ったものだ。
 だがちょうどこの前後、それまで山間部奥地の秘境として中央政権支配の対象には事実上されていなかったチベット自治区が、いきなり政府軍に踏み込まれて制圧されるという災厄に見舞われた。踏み込まれる方はたまったものではなかったはずで抵抗もしたらしいが、何しろ武装した軍隊に抗い切れるはずもなく大勢が犠牲になり、付近一帯は政府軍による略奪の憂き目に遭ったのだという。
 こんな形で武力制圧された山間部の歴史的施設から持ち出された文化財が展示物になっている…との疑いの世論が日本国内で湧き起こり、あっという間にこの手の展示企画は姿を消してしまった。

 私はそうなる前に深く考えもせず喜んで見ていたことになるのだが、像や仏具など大小の銅製品が、今の時代にIT機器の集積回路に見るような絵柄サイズの文字・模様でびっしり埋め尽くされているのには度肝を抜かれた。食器レベルのお手頃サイズから等身大を超える神仏像まで、ルーペでも読むのに苦労するような刻印や、ミリ単位の鱗・細枝の工作が微塵の手抜きも無く完遂されているのである。
 まだ子供の年齢の僧侶がキホンそれだけを日々の勤めにして取り掛かったにしても、果たして一人の一生を費やして間に合うものなのか、現物を前にほとほと考え込まされて結論が出ない。初見で驚嘆し、そのまま何時間も思い巡らし、再び足を運んでまた改めて驚嘆したものだ。

 そもそも機械加工では実現できないほど複雑な三次曲面に沿わせる下書きやガイド枠なんか無いだろうし、あったらあったでその下書きやガイド枠の作り方からして気が遠くなるような手間になりそうだ。そんな下準備のサポートに頼れたとして、完璧に均一な筆跡・画調で隅から隅まで、隙なくびっしり行けるものだろうか。
 私なんか、ラーメン鉢の縁にあのカクカクのS字みたいな反復模様を描き並べるだけで即アウト、みすぼらしい失敗作だけ残して力尽きてしまう。最初のひとつめで描いた模様と回数を重ねた後に描いた模様は、ぱっと見いで子供でもすぐ気付くくらい違ってしまうんじゃなかろうか。
 ついでに言うと、正確に等間隔を守り切れず一周の終わり近くに帳尻合わせのゴマカシが入って、始点・終点の周上の位置も一発で見破られるような出来にしかならない。

 さすがに商品として対峙し、採寸した上で治具など駆使して描画すれば綺麗にできるはできるんだろうが、それはヒトが心に描く精神世界の因果律イメージを、手元の作品に乗り移らせ反映させる丹精こめた刻印ライフワークではない。ただの正確な複数図形の整列配置とは根本的に異なる、『数』の規律観に根差したヒト精神の思考展開の描画出力でなければ、あの荘厳な正確さと緻密さは顕れない。

 我々そこらへんの他民族・そこらへんの庶民小市民は、こういう高尚な精神文化活動を真似ようにも、まずハナっからタマシイが虚弱でスタミナ不足でタルんでてどうしようもないのだろうけれど、ならば鍛えて相応のレベルに到達できるかというと、そうとも思えない。
 インド北部やチベット一帯の山間部には、タマシイから肉体からそもそもの造りが根本的に異なる血統が根付いていて、そんな奴等が強靭な心身を元手に本気で修業と作業を重ねた成果こそが、あれら目前の現実を信じられないほどの超絶技巧を凝らした文化財の数々なのであろう。

 国境を越えて拡がる文化圏スケールでその作風が一般的だということは、例えば複数の職工で手分けしたり世代を跨いで完成させたりといった事例も少なくないはずで、そこに個人的なクセの尻尾も出さず、電子フォント的な一律の品質が保証されているというのは、本当に凄い。
 大袈裟でなく現代のナノテクノロジーを超える勢いで、時間や世界の果てのその先まで感じさせる文化遺産である。これを延々と育んできた寺院文化が武力制圧の犠牲になったのだとすると、地球上の人類にとって実に残念な損失だと言わざるを得ない。

 こういう時に『大変遺憾である』という日本語を使うのだ。よく覚えておくように。

 …で、ナニが言いたかったかというと、この手の展示会を見ていて前回紹介したインド系アメリカ女性の記憶が蘇り『ああ、あの精神構造を持つ一族なら、あながちあり得ないコトでもないかも知れんなあ』と回想していたのである。
 そんじょそこらの日本の職場だと、いわゆる『クセの強いタイプ』みたいな言われ方で、周囲からついつい距離を置かれちゃう心配はありそうだ。

 ちょっと余談だが、私は人さまを指してこの『クセが強い』という言葉を使ったことがないし、使わないようにしている。
 『クセ』とはナニを指しているのか、それが希薄だったり無かったりするのは良いコトなのか悪いコトなのか明らかにしないまま、当人のコミュニケーション流儀を漠然と否定的に言いたいだけの用法しか聞いたことが無いからだ。品の無い、アタマの悪いコトバだと思う。

 まあいいや、とにかく私がビジネス界におけるインド人材の特徴的な心象を『優秀だが迎合のハードルが高い』とまとめた理由を少々掘り下げてみました。
 この生来にして強靭なタマシイを御社の強みとして活かせそうでしょうか?

 わざわざに手間とコストをかけて海外から優秀とされる人材を調達したのに、調達した方もされた方も折り合いの悪さに戸惑うばかり、こんなはずじゃなかった…みたいな結末になるともったいないだけなので、どうか慎重に御検討を。

 そうそう最後に、かのインド系アメリカ女性は中背だったが全身のプロポーションは見事に引き締まっており、オフィス業務の対面で物静かな光景しか見なかったが、インド映画でよく出て来るビキバキにばね定数の高いダンスを連想させる、ハガネの肉体美であった。
 やっぱユーラシア大陸の真ん中で研鑽された、そこらとは設計思想の違うハードウェアに乗っかって、これまた別格独自の高精度ソフトウェアが動作してんだろうかねえ。この個人能力が束になって、何か人類文明に効く社会活動で大きな潮流を作り始めたら、将来の世界史が動くような気はするなあ。

 もしそうなったら東洋の島国ニッポンは身の振りをどうすべきなのだろうか。
 将来を狙う新進気鋭の御社の明日に、グッドラック!
nice!(10)  コメント(0) 

【1204】数学の秘境から来た優等生 [ビジネス]

 ついこないだの話だが、北米議会で『つなぎ予算』が成立した。
 要は国家運営費が枯渇してしまい、取り決めた債務上限値を超えて借金で切り回す財務方針が議決されたということである。
 つまるところカネなんぞ、ヒトが社会が『ウン、これってカネだよね、有価事物と交換していいよね』ってことで頷き合えば、いくらでも無から捻出できてしまう。裏返せば『これはカネだといくら言い張っても、誰も価値を認めないじゃん』とする共通認識が広まれば、どんな決め事があろうが通貨として流通しなくなる。

 世界各国から移民が集う北米社会はこの原理原則がドライかつシビアに現実化する傾向にあり、国家機関であろうとも財源が枯渇したら、その機能は停止する。
 事故や事件に遭遇して警察に電話したら留守対応の音声テープが聞こえてくるんだろうし、警察署に直接駆け込もうにも『本日休業』の表示が出ていて玄関は施錠されているかも知れない。火事や急患にも消防も救急も来ないし、役所の窓口は閉鎖され公共施設の清掃や設備保全も止まるだろう。

 これでは困るので、当座の公共機能の維持のために、とりあえず既存の取り決め度外視で『つなぎ予算』を成立させたという訳だ。
 もちろんこんな状況に陥る前に、慎重冷静なロジカル検討を経て債務上限値が決められているのだから、それを超えた事後調整の必要性が決定的になる。だから北米議会は結構なギリまで紛糾していたのだが、正しい姿である。
 そして経済原理としては間違いなく不正解の『つなぎ予算』の議決が、その上位課題『北米社会の維持継続』に正解として作用するかどうかは誰にも判らないし、これから決まることだ。
 私個人のタラレバ感想だけれど、北米大統領がトランプ君だったらこの混乱は無かったんじゃないかなあ。こんなところで言ってもどうしようもないんだけどさ。

 さて太平洋の対岸のことを気にする前に、我が日本国の円安はいよいよ打つ手なし、というか何をやっても経済社会がマトモに反応しないところまで行き詰まってきた感じである。
 日本円建ての数字が派手に踊っても、当事者以外は大して価値の流動を感じない出来事にしかならないということだ。その場で高額の有価物件に現実の動きを作っても、結局はそれをキャンセルする事後処理が洩れなくセットで付いてくる。経済の原理原則として、そうなる。
 もうみんな自分ちの、自分個人のカネ廻りとして実感し尽くしているはずだ。

 まあ改善の兆しも見えないダメっぷりは何年も前からのことであり、まず今の政権体制が底を打ってからでないと次が何も起こらない。よって今日の本題はこっちではなく、割と最近になってインドを対象にしたビジネス言論が目立ってきているので、そっちのハナシだ。
 恐らくは史上もっとも存在感の薄い北米大統領、バイデン爺が一体ナニをどうしたいのかさっぱり見えず、案の定冒頭のような北米経済の腰折れ傾向が強まってきて、ならばと東南アジアのひとつ向こうのインドにナニガシか次の一手を探り始めた…あたりの実情ではなかろうか。
 今や中国を抜いて世界一の人口を擁し、経済の伸び代もありそうだし、奥の深い思想文化があって数字にも強そうアタマ良さそう、こんなところが効いているんだろうな。

 今の二十代・三十代は知らないと思うが、確か今世紀に入った頃だっけか、一度インドをビジネスパートナーにしようと模索する試みがあったのだ。
 その直前まで日本企業の『アウトソーシング』が流行になっており、大企業が組織構造の簡素化・軽量化による収益向上を狙って、組織機能や事業部署単位で外注に換えていく舵切りが目立っていたのだが、ここに『オフショア』という新語とともにインドを開拓しようとする動きが加わったのである。
 まあ海外発注を強く意識して指したアウトソーシング、ってとこだろうか。

 私自身ガチに所在地インドの企業から訪日してきて、現地らしいインド文化の流儀をもって振舞うインド人とは付き合ったことが無く、自分ちの会社の北米事業所から出張で来日してきたインド出身のアメリカ人女性と数週間職場で一緒だった程度である。従って、決して対インドのオフショアトライアル企画の一環でもなかったのだろうけど、私にとってインド系人材の特性を垣間見るにはちょうどいい経験であった。
 もちろんたった一例のサンプルで民族の総観的な特性まで語るのは明らかに行き過ぎているが、それにしても特徴的なイメージの記憶が鮮烈に残っている。

 判りやすくひと声式の結論から行くと、日本人・日本企業にとってはなかなかにハードルが高いと思われる。計算能力の優劣やロジカル思考フローへの適性がどうこう言う前に、DNAレベルで精神構造が違い過ぎるのだ。
 欧米や日本の女の子って、明るく賑やかなタイプも、物静かな秀才タイプも、オンナとしての柔和な可愛げというか、生活感のある愛嬌みたいな、きゃいっとした雰囲気の一面が共通しているものだが、かのインド系アメリカ女性は三十路前後の若さにも関わらず、機械的に冷徹とさえ感じられる底無しの落ち着きようであった。
 会話していて、喜怒哀楽の感情の揺れが微塵も感じられず、ヒマラヤ山間山麓の寺院で曼荼羅図と対峙しながら一言も発さずに丸一日座っていそうな、静穏な重量感のある悠久のガンジスの神秘性とでも言うか、コトバが通じてもヒト対ヒトのコミュニケーション会話にならない感が凄い。

 だからこそ、そんじょそこらの他民族だと問題文の意味がまず理解できないような数学の難問や、数字の規則性にまつわる天文学的に壮大な概念体系を正確・緻密に思考することができるんだろうな。精神的にガチャガチャしたところが全く無いので、真面目といえば究極的に真面目である。
 具体化された課題の解決能力は非常に高いと思われるが、日本の職場ですったもんだしているビジネス人種とは生きる時空間が違うため、ヒトの集団としてのひとつの組織に融け合わないんじゃなかろうか。
 以前ここで『数』の概念はヒトの認知対象となる情報形態としてかなり特殊なもので、現状の人工知能AIが一見初歩的な数量把握や演算処理を意外なほど簡単に失敗するのは、『数』という情報体系をそれと判って、その特別な世界観の規律を情報処理に適用できていないからではないかと述べた【1175】
 そこらの他民族が、普段は『数』じゃない情報体系で生きていて、定量的・論理的な局面で『数』の情報体系に切り替えて対応するのに対して、インド系DNAは普段から『数』の情報体系でずっと生きている感じがする。

 まあ若くして日本に出張してくるからには優秀な技術職として評価されてのことだったはずで、経済的にも教育的にもトップクラスの少数派の道を辿ってきていたのは間違いなかろう。だが日本に限らず普通に企業が人材を求めて、業務能力の評価尺度で採用を検討するとなると、この層に命中する確率が結構高いような気がする。
 優秀は優秀なはずだけれど、雑多な他民族が交錯する職場に馴染めるかどうか、一緒に混ざり込んでヒューマン的いい加減に騒げるかどうかの方が、むしろ採用のネックになってくるのでは。

 恰幅よくガハハと笑って愛想振り撒きながらインド料理店やってる人もいますけどね。日本企業がビジネス戦力として人材発掘を考えるにあたっては、ちょっとこんな事例があることをアタマに置いておいて良いと思った。
 しかし15億人に迫るインド人口は、これからどんな動向を見せるのだろう?
 既に経済大国でも何でもなくなった日本国は、いつまで『インド人材を戦力にする』という立場で語れるのだろう?

 子供たち若者たち、いろんな国のいろんなメンタリティの人と仲良くできるようになっときな。今日もスマホで交わすその会話、国際性コミュニケーション術の鍛錬に活かせないものか。
 明日の世界地図で置いてきぼりにならないよう、考えて工夫してグッドラック!
nice!(13)  コメント(0) 

【1203】湯気と自由とリラックスの無限深夜会議 [ビジネス]

 今週から新たにNHK朝ドラ『ブギウギ』が始まっている。
 いきなり小学生の女の子の第一人称『わて』に先制ジャブを喰らったが、まあ黙って観ることにしよう。
 私が小学生だった昭和40年代、明治生まれの父方の祖母の第一人称が『わて』だったなあ。でも子供のうちからその習慣で通してきたとも、あんまり考えられなさそうな気がするのだが。

 相変わらずセット全体や衣装が清潔感行き届いており、妙に洗練された光景が気になるっちゃ気になる。昭和40年代でさえ都会のド真ん中でも道路はあんなに平らで清掃は行き届いていなかったし、家屋内も風呂屋の番台も、もっと暗く年季入ってシケていて、使用感たっぷりにボロかった。
 だいたいだな、小学生時代まで我々子供は近所の道路で遊んでいて、側溝でコンクリにスリットを切ったようなフタをされた排水支管の位置、あそこで普通に小用を足していたのだ。誰がいちいち家に帰ってまで便所行くかっての。
 もちろん手なんか洗うはずもなく、そのまま未舗装の地面で穴や溝を掘っては全身土埃だらけになっていた。それが帰宅して手ぐらいは洗うにせよ、着替えもせず食卓でメシ食ってたんだから恐れ入る。
 昔の生活はきったなかったのだ。裏返せば、それで健康を害さないくらいには皆タフだったということである。確かに今あの衛生環境をマトモにドラマの中で再現してしまうと、不潔・不愉快のクレームが殺到することには容易に想像がつく。

 当時の私の家の風呂は木製で、正方形の手前一辺側がベンチ風の板一枚の腰掛になっており、その下の足元にボイラーが内蔵されていた。夕方になると、玄関の扉を開けて外に出て、玄関扉の横の腰ぐらいの高さの風呂ボイラー扉をどっこいしょと開け、ブリキ製の煙突を燃焼室に届くまでぐさりと深く差し入れて、剥き出しで走っている都市ガス管の途中の開閉弁のツマミを開けながらマッチで点火すると『ボッ』と火が灯るワケです。
 もちろんこの時点で先に風呂桶には水を張ってあることを確認しておかないと、空焚きになってしまうし、空焚きに気付くのが遅れるとタダゴトでは済まない。

 もう風呂屋も長いこと行ってないけれど、昔はどこの銭湯も標準装備していた水風呂や電気風呂は、今も健在なのだろうか。
 水風呂は文字通りの水道水ママの温度の浴槽であり、サウナでもない普通の銭湯でも出口近くの一角に必ず配置されていたものである。まあ一般浴槽が明らかに家庭用の常識的な温度よりも高め設定で、いきなりざぶんと行こうとは思わないくらいの熱さだったので、水風呂にも一定の需要はあったと思われる。
 ヤバいのが電気風呂の方で、詳細の原理メカニズムは知らないのだが、とにかく浴槽に身体を浸けると、浸けた部位からビリビリと思いっきり感電風に痺れるのだ。これがまた誰でも笑って飛び込める優しい設定になっている銭湯を見たことがなく『入れるもんなら入ってみろ』と入浴客にケンカを売る勢いの電気風呂しか見た記憶がない。

 手先足先からちょんと浸けて、ばびびどびばび!と痛いほど痺れながら、まだ大丈夫、もうちょっと大丈夫…と身体を沈めていくのだ。ほとんど我慢大会のようなもので、我慢できるだけ我慢して限界に達し、慌てて転がり出るように上がる入浴形態にしかならず、それが子供心に風呂屋ならではの定番アトラクションという印象に映り、確かに楽しみにはなっていたなあ。
 後に工員としての労働を経験して、ああいうキョーレツ過ぎる暴力的マッサージ効果も、社会を生きる大人として・プロとしての負荷作業を一日終えた身体には、あながちキツいだけのものでもないんだろうなと理解できるようになったのである。あ~、思い出して今ちょっと銭湯に入りに行きたくなっちまったよ。

 そんな銭湯…というか風呂屋だけれど、劇中のような庶民のコミュニティスペースとしての機能を意識され始めたのは、皮肉にも風呂屋が絶滅の危機に瀕してからのことだと思う。やっぱり家にユニットバスひとつでもあれば、毎日わざわざ数百円払って外風呂に入ろうとまでは思わないものだ。
 富士山の壁絵を見ながら大きな浴槽で手足を伸ばして、水風呂や電気風呂のエンタメ性も、脱衣所のあの空間の雰囲気も、冷蔵庫から出して飲むファンタやパレードなんかの瓶飲料も、みんな非・日常感というか非・家庭感があって大好きなんだけど、日常レベルの頻度で行こうとは思わないから軒並み廃れてしまった。
 いま振り返って歴史的にタイヘン興味深い建築形式が多かったことも思い出され、もうちょっと狙ってあちこち訪れておくべきだったかなあと、今ごろになって少し残念だったりもする。

 平成ひとケタの頃、当時の職場から車で小一時間走ったところに温泉郷があった。
 実際には摂氏20度台の冷泉で、加熱して温泉にしていたようだが、毎日夜10時でも普通にみんな職場にいたこの時代、金曜の夜など仲良しの同僚同士で誘い合って車を飛ばし、仕事の後にひと風呂浴びに行ったものだ。
 恐らくは近隣一帯の企業だの町会だの、泊りの宴会の定番宿になっていたはずで、山間の平屋の『いかにも』的温泉宿屋という風情であった。これが宿泊しなくても千円払えば入浴だけ可能だったのだが、夜も11時を過ぎると宿泊客は宴会を終えて寝静まっており、故に従業員もすっかり退いており、電気を切られた自動ドアを手で開けて入る玄関は真っ暗で、もちろんカウンターには誰もおらず非常口表示だけが煌々と光る。
 無人のカウンターに現金を置いておくのもナンなので『やむなく』そのまま侵入し、スリッパに履き替え廊下を通って屋外の日本庭園を抜け、東屋式の脱衣所で服を脱ぎ捨てれば、その先は子供が泳げるほど大きな露天風呂だ。既に宿泊客が誰もいなくなった未明の岩風呂で湯気を通して夜空の月や星を見上げながら、会社のこと仕事のことプライベートのこと、いろんな話題で夜明け近くまで語り明かしたものである。

 おっと、風呂に入るんだから当然脱衣所で全部脱ぐのだが、五百円玉・百円玉はいくつか握りしめて行かないといけない。
 今では考えられないが、当時は露天風呂の洗い場に缶ビールの自動販売機が設置されており、全裸で自販機に硬貨を投入し、よく冷えた500ml缶を取り出しお釣りも取って、丸出しの股間をぶらんぶらん揺らしながらプルアップをぷしゅっと開けて口をつけ、そのまま湯船に浸かれたのである。
 これはもう酒好きビール好きの温泉好きには天国以外のナニモノでもなく、殊に紅葉も美しい涼しい季節に行くと、上がって岩に腰掛けたり再び浸かったりして透き通った夜気で身体を冷ましつつ、いくらでも何時間でも飲めた。
 実際フロントに従業員が戻ってきそうな時間を見計らって3時半か4時前頃に切り上げていたから、自宅に帰る頃にはすっかり完全な朝である。

 でもいい時間だったな~。真剣に人生に効いたし、もういっぺんやりてえよ~。
 やれ転倒すると危険だとかアルコールの飲み方としてどうだとかいう前に、正確な考察も理解もせず労務管理や医学めかしたウンチクをネタに陳腐な言論遊びをやる前に、ああいう心底腹割って仲良しと満足いくまで語り合うサイコーの場が手近にあることの方が、遥かに労働者のメンタルケアとして大事なのではないだろうか。
 こんな安上がりで美味くて愉快で心地よく信頼できるコミュニケーション空間があってもなお、今の若い人たちはスマホを持ち込んで、各自が夢中で画面に喰い付いて指先を動かすんだろうかね。

 風呂で何かイイこと思いつけ!と言われたら、真っ先にこの記憶が呼び出される。
 こういうの、安全に運営する手段を考える方向でビジネス化できないもんかねえ。
 ともあれ若者たちよ、健康あってのアルコール娯楽だ、節度守ってグッドラック!
nice!(14)  コメント(0) 

【1202】百薬の長のらんまん処方箋 [ビジネス]

 とうとうNHK朝ドラ『らんまん』が最終回を放映完了した。いや素敵でした、拍手!
 まず前回の聞き間違いを訂正しておくと、3250ではなくて『3205種』でした。これに新種スエコザサが加わって最終的に3206種。

 大詰めでイツマ教授の演劇博物館構想やら、佑一郎くんの『この先は生涯ただのエンジニア』発言やら、それだけで軽く一回ぶん行きそうなネタが目白押しなワケだが、ライブパフォーマンスについては来週からの『ブギウギ』でまた語れそうだし、エンジニアの人生模様については普段からやってるのでこれまた語れそうだし、いま無理にたいらげようとするのはやめとくかな。
 『演劇とは、演じる者と見る者、人間の間にしか存在しない幻なの』『大学教授こそ普請場に出ろ!言うて教授会で煙たがられた』などの台詞に思わず腰が上がりかけるのだが、どう、どう、鎮まれ私。

 さてタケオくん・アヤ姉ちゃん夫妻の『輝峰』が槇野一家に絶賛されていたが、確かに日本酒は流通する場のカテゴリー別に、同じ日本酒と呼ばれながらも異種の飲み物として数多くが世の中に出回っている。
 私は言うまでもなく大の酒好きで、繁華街の飲み屋をハシゴなんてのはしょっちゅうやっていたワケだが、平成ひとケタの時代に普通の居酒屋で日本酒を頼むと、割と一定した印象の酒がとっくりに入って出てきたものだ。業務用の定番ブランドでもあったのかなあ。

 酒好きの私でも正直のところ、味そのものは決して『美味』と感じられるものではなく、かなり明確なツンとした揮発臭が鼻を突き、舌に多少ぴりぴりした酸味に近い刺激を感じるものであった。まあ酒が好きなので出てくれば飲むけれど、わざわざにこれを選ぶぐらいなら全部ビールでいいや…とも思ったもので、実際二十代の頃の私は、飲み会の終盤でもビールで飲み通すことが多かった。

 これが三十路に突入し…あ、思い出しちゃった。横道に突入しよう。
 日本人ばかり7~8人集団で、北米アリゾナ州フェニックスの焼肉店で飲んだ時のことだ。確か現地駐在員のヤツがその中に一人混じっていて、フェニックスで日本からの出張隊を迎えたらよく来る店だとかいう触れ込みで、店名も日本語だったような気がするが綺麗に忘れた。とにかくその店でのこと。
 遥か太平洋を越え西部の砂漠も越えて来て、ここでも出てきたのは、日本国内でよく出遭う一般的な居酒屋仕様の日本酒だったのが印象的だが、それはとりあえず置いといて、だ。

 そもそもから暑い気候の土地だし、行ったその日は夏だしってんで、入店早々の斬り込みから瓶ビールをどんどん注文したのである。少なくとも当時の北米の飲食店では、冷えたジョッキにお姉さんがサーバーからジュワ~っと注いでくれる生ビールの販売形態はあんまり見なかったと思う。
 まあ瓶ビールを頼んで、よく冷えたビール瓶とグラスが次々届いたまでは良かった。
 ところが何故かそこで終わらず熱燗のとっくりとおちょこが同数届き始めた。
 おいおい、こんなの頼んでないよー、だいたい今は夏だし表はまだ明るいぜ?

 現地でこれを実体験した人でなければ、ナニが起こっているのか判らないはずだ。
 オーダー通しのミスではない。では仰天の種明かし。

 まずビールをグラスに注ぐにあたって、泡が溢れるようなギリではなく7分目ぐらいに留めておくのだ。注いだら飲まずに次の作業に移る。
 もちろんというか、おちょこに熱燗を注ぐのである。
 正しい所作ではあるんだよな、以下の次工程さえ無ければ。

 では、おちょこを手に取って…そのままビールのグラスにぼちゃん!
 おちょこはグラスの底まで沈んでいき、細かい泡をもうもうと吹き上げる。
 !!!…この世の終わり、摂理の喪失コヤニスカッティの光景である【1133】

 これをグラスごと持って、中におちょこを落としたまま飲むのだ。
 この店の看板カクテル『カミカゼ』だというのが、駐在員の解説であった。

 古来日本に伝わる『神風』精神文化の冒涜である。酒にもビールにも謝れ。

 きちんと申し上げておくが、教養と良識をわきまえた日本人は絶対にこんなことをやってはいけない。そんなカクテルは存在しない。せっかくの、キンキンに冷えたビールと熱燗の両方の価値を台無しにするだけの破滅的行為であり、別々に楽しむべき両極端の双方を刺し違えさせて、後に残ったまるで飲み残しのような不愉快な生ぬるさの結末に後悔してオシマイである。考えなくても判るでしょうが。

 ビンボー呑兵衛が酔いの回りを目的に廉価日本酒をビールで割る『バクダン』というのがあるが、もちろん日本酒は常温以下が大前提だし、ビールの度数アップこそ得られるが味わいとしては決して褒められたものではない。因みに巨大ペットボトルのチープ焼酎を缶ビールや安発泡酒で割るのも、都心のジャズ屋の間では『バクダン』と呼ばれ愛用されていた。ロクでもない豆知識。
 とにかく北米フェニックスで私はこの『カミカゼ』とやらを激しく拒み、頑なに瓶ビールと熱燗を交互に飲み続けたのであった…というオチで横道を終えて、本筋に戻ろう。場所は日本国内だ。

 三十代後半になって東北地方への出張が増えた私はある日、山形県は新庄駅前の古い酒屋で生酒(なまざけ)の瓶を数本購入したのだ。その直後にまとまった日数の休暇が決まっていて、友人と山奥に泊まり込む予定があったので【370】、面白半分で晩飯の友としてハナシのネタにしようと考えたのである。
 いわゆる清酒は加熱処理をしてあるので常温の冷暗所で大丈夫だが、非加熱の生酒は文字通りの生モノ、冷蔵保管しないと品質が保てない。ポータブル冷蔵庫の準備など扱いには手が掛かる。

 この時点で私はまだ完全ビール派を自称しており、飲み屋で自分からわざわざに日本酒を注文しない人種だったのだが、この生酒を山に持ち込み最初のひと口をつけた瞬間に、その世界観が一変した。
  『どわっ、うんまいいい~っ!な、何じゃこれは?』
 私に比べれば遥かに平凡なただの呑兵衛で、普段から人並に居酒屋の日本酒も好んで飲んでいた友人と、お互い目をまん丸にして叫んだのである。
 しかもその夜かなりの量を奔放に飲んだのに、翌朝に残るどころか普段よりも清らかすっきり気分爽快、山奥の朝日を浴びて迎えた目覚めは、過去に記憶が思い当たらないくらい快適で健康的だった。飲んでいる最中から翌朝まで、20度に迫るアルコール度数が判らないのである。
 この一夜からビール一辺倒だった私の日本酒ハンティングが始まるのだが、かの友人には『あれを飲まされたお陰で、オレも居酒屋の日本酒が平穏に飲めなくなった』と文句を言われる始末であった。

 『輝峰』に口を付けたおスエ夫人が『こんなに明るいお酒、晴れた空みたいな』と表現していたが、あの時の驚きが私にも蘇ってきたのである。東北のどこか山奥で、本当に手を切るような冷たさの日本酒の清流がせせらいでいて、そこから酌み出しただけの自然の恵みなのではないかとさえ想像してしまう。
 実に日本列島は、世界に他例のない清水が湧き出し溢れる奇跡の島なのだ。

 最近の私は、外のお店で飲むことが激減したというか、睡眠の質を落としたくなくて、そもそも夜の時間にまとまった量を飲まなくなっているので、居酒屋の最新の日本酒事情はよく知らない。
 まあ居酒屋ポン酒、あれはあれで古き良き酒文化の象徴アイテムとして懐かしくも面白いので逞しく生き残るんだろうし、皆さん美味しくいただいて繋ぎましょう。

 『若年層が飲まなくなった』という話題は随分前にここでも扱ったけど【56】、令和の時代になってそうでもなくなってきているように思える。ただ楽しく騒いでハメを外すというよりも、刹那な発散の目的が見え隠れするゾーンに踏み込む姿が目立つ感じで、微かに気にはなっている。
 まあ若いうちはナニやっても平気だし、今の時代の若者たちのその苦悩をさらりと払拭する手立てもないロートルが心配するフリしても無意味だし、とりあえず各自なりに気を付けられるだけ気を付けて、存分にお酒を楽しんでくだされ。

 食いモンの美味い季節だがヘンな寝方すると風邪ひくぞ。お大事に、グッドラック!
nice!(12)  コメント(0)