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【1254】未来極東のライト兄弟はフェイク作画のマルチ商法屋 [ビジネス]

 NHK朝ドラ『ブギウギ』が最終回を迎え、そこにちょうど間に合うカタチで『あさイチ』の朝ドラ受けとプレミアムトークが戻ってきた。おお、新年度のプロローグ。

 さて前回、ヒトの集団が成す社会組織には『組織生命リビドー』とも呼ぶべき原動力エネルギーが潜在しており、それはパフォーマーvsオーディエンスの対比を内包するステージ・パフォーマンスの構造になって顕れると述べた。
 ここから拡がる話題は数限りなくあるのだが、他の時事トピックについ噛みついてそのまま本線復帰を忘れてしまうことが私には普通にあるので、ひとつ今のうちに言い切っておきたいところを先に済ませておく。

 ヒト個々人が各自に閉じた『意識』『主観』『自我』みたいなものを持っているとしよう。呼び方はどれでもいいや、要は情報世界の『ジブン』です。
 こいつらを複数人数、ひとところに集めたとして、まずは『ただの群衆』だ。
 集めた人数分の呼吸で酸素消費もするしメシも喰うが、その数量効果以上のコトは何も起こらない。
 ここに世間話でも歌でもパントマイムでも、何かひとつコミュニケーション事象を共有して群衆がパフォーマーとオーディエンスに分かれ始めると、そこにステージ・パフォーマンスが自然発生し『組織生命リビドー』が発現する。
 まだ目的を定めて行動を起こすような具体性は持っていないが、最初の最初にこのエネルギー源が発火したからこそ、このきっかけに他がうまく巡り合わせれば『組織力』が起動する。

 『ワクワクするような目標を見つければ、一同が湧きたって職場が活性化する』
…みたいなイメージで企業理念の文言に頭を悩ませる前に、その土壌がきちんと整備されていなければ永遠に空振りが続くだけだ。
 おっと危ねえ、脱線するよ。これはこれでまあいいや、各自で御一考されたい。

 今日済ませる本題に戻して、久しぶりに『組織フラクタル構造』で考えてみよう。
 組織の一部を拡大視すると、そこに全体像の相似形が顕れるというやつだ。

 まずヒトの集団は、最初『ただの群衆』なのだが、たまたまステージ・パフォーマンスの自然発生に恵まれて『組織生命リビドー』の動力源に火が入り、実効性ある『組織力』を備えた『組織生命体』になる。
 そこには、群衆の構成要素である個々人の誰からも情報的に浮いた『組織の自我』が発現しており、その組織生命体は、個々人の誰にも従わない『組織力』をもって世に振舞う。
 この総観的構図は、一段階スケールダウンしてヒトひとりにも収まっているのだ。

 まず細胞分裂を始めたばかりのヒト幼生は、最初カツオノエボシみたいな、ただの生体細胞の集合体なのだろう【607】
 栄養分と酸素を消費して生きているだけの細胞たちに、そのうちステージ・パフォーマンス形態の役割分担が自然発生し始める。
 軽く余談を突込んでおくと、つまりステージ・パフォーマンス以前のただの群衆イチ要素の段階にまで立ち戻ることができれば、それがいわゆる転用自在の原生万能細胞=IPS細胞になるはずなんだよな。

 …で、そっちは今ちょっと置いとくとして、どんどん細胞分裂を繰り返しては機能分化する順番で、ヒトは人間イチ個体としての総合機能体系を完成させていく。まさに体組織が、『群衆』から『組織』へ移行していくのである。
 キホンここまでの完成度でヒトはおぎゃあと生まれてくるのだろう。

 出生の瞬間から、情報的にはヒトへの『外界情報の記録インプット』が始まる。
 初期段階で赤ん坊の情報ストレージ空間に記録されていくのは『ただの情報群』でしかない。ヒトを人数カウントで集めただけの、社会的に無意味な『ただの群衆』と同じく、赤ん坊も薄らトンカチにメシ食って出しながらあれこれ見覚えるだけの『ただの情報群』でしかなく、情報体としての機能をまだ持っていない。
 見覚え聞き覚えの記録の断片を、ひたすら書き込んで積んでいくだけなのだ。

 ヒトを集めた『ただの群衆』の漫然や混沌の中から、ステージ・パフォーマンス構造が組み上がって、そこに『組織の自我』が発現してきて、組織生命体となる。
 記録を集めた『ただの情報群』にも、ステージ・パフォーマンス相当の因果律構造が組み上がって、そこに『意識』『主観』『自我』が発現してくるのではなかろうか。

 『意識』『主観』『自我』って、ヒトが思うほど手の届かない神秘のオカルト現象ではないんじゃないかなあ。
 以前からここでは『意識や主観の正体とは、五感のリアルタイム入力を過去の記憶ファイルとを整合する工程の内視ビューであり、故に記憶ファイルなくして自我の実体は無いはずだ』と考察してきたが【1006】、恐らく間違ってはいない。
 忘れないうちにそれを言い切っておきたかったのだ。よし、ミッション完了。

 やっぱり群衆がいて、そこにステージ・パフォーマンスが始まるという流れは、生物が宿す生命力の原点に直結するような、宿命の導きがあるんではないかと感じる。
 現代社会の日常生活においてステージ・パフォーマンスは、ついつい『必要ぶんの生産』ではなく『余裕ぶんの消費』としての遊び事・レクリエーションである…と人生のアクセサリー領域みたいに解釈してしまいがちだ。だがヒトが最も解放され自由に過ごせる時空でそれをやろうとするのは、ヒトの誰もが等しく自然にそっちに傾く共通の方向性を備えている事実の裏付けなのではなかろうか。

 放っておいてステージ騒ぎがさっぱり自然発生せず、けしかけても誰ひとりステージに乗って来ないような、あるいは取り囲んで盛り上がらないような群衆は、もう組織生命体として世を駆けまわるリビドーの火種が消えているのかも知れない。
 逆にまだどこかに生命力の潜伏を見込めるなら、過半数が賛同してノッてくるステージ発現のきっかけを模索する価値は残っている。
 いま目標を持てない子供たち若者たちには、めくら滅法でガチ学校成績の点稼ぎにしかならなくて良いから、片っ端からかぶりついて何かひとつでも、人並が60点なのに自分が20点でも、とにかく勉強してゼロでない能力領域を身に付けておくよう勧める。
 ある日きっかけに出遭ってステージのどこかに首を突込むための持ち駒を、手当たり次第ストックしておくのだ。

 世界各国が実現しているジェット旅客機もロケットも、モノにならない後進国家。
 こんな無能の群衆に『ジェット戦闘機造って他国に売って良いかどうか』は問題か?
 なんじゃあの速度トロくて運動性悪そうな米戦闘機のちびっこ劣化版CG画は?

 突然に『リージョナルジェットをまたやりたい』みたいな寝言のリフレインも聞こえてきたが、世界に恥じる量産ヘリの日和見墜落の失敗さえ原因解明も再発防止もできない現状ニッポンは、そもそも航空機を開発する技術力なんぞ捻りだしようのない『ただの群衆』なのである。『技術力のたかひく』以前の問題だ。
 本気で国産航空機の開発を夢見ない群衆は、航空機開発名目のバラマキ日本円に群がる。その日本円は、自国産業なんかどうなろうが興味の無い、抜けガラ日本国民の無関心納税でまかなわれている。国際的には『無能の国の無価値な通貨』になるワケだよ。

 国家組織の特性、組織力としての国力は、組織の過半数が決めると述べた。
 とうの昔に機能喪失した国務アイテムの残骸を、まだ今さら公共事業詐欺のネタにする方もする方だが、まんまと思考停止の無抵抗で身を預け、上がり続ける徴税に隷従する方もする方である。
 こんな運営方針で、日本国組織は明るい組織寿命を過ごせるものだろうか?
 その答を出して行動を起こすのも、1億2千万人日本社会の過半数である。

 …お。まずまず大層なスケールの結論で今季朝ドラのテーマをくくれたぞ。
 では週明けからの『虎に翼』の新規ステージを楽しみに、来週もグッドラック!
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