SSブログ

【966】英単語で学ぶ両A面極上ライフの基礎構文 [ビジネス]

 いきなり英単語の勉強からスタートしてみよう。
 睡眠中に体験する世界としての『夢』は”dream”、『夢でアナタに会いました』の英作文はムチャに凝らずに“I saw you in a dream.”でマルがもらえる。

 次に、起きて覚醒中に過ごす現実世界を生きながら、『こうなったら良いのになあ』『是非こうしたい』と思い焦がれて、現実化したらどんなに素敵だろう…と脳裏に描く願望としての『夢』もまた”dream”である。”Dreams come true.”は普通に通じる正しい英文だ。
 この”dream”の用法は案外と幅広く、絶対に手が届かない雲の上の憧れから、短期集中的に努力を突込んで手に入れる具体的な成果目標値まで、『人がいま手元に無いポジティブ事象に志を向けて使う言葉』ぐらいのユルさがあるんだよな。
 寝ていて見る『夢』と起きていて願う『夢』、そのいずれも”dream”、この一致はなかなか意外でもあり改めて考え直すと面白い。

 『悪夢』は”nightmare”、見るからに起源から異なる別の英単語なのである。
 これを英英辞典で調べると”a very frightening dream”=『とっても怖いdream』と解説されている。何故こんな異質の英単語になったんだかねえ。

 道を歩いていて危うく車に轢かれそうになり、『もうダメだ!』の絶体絶命の瞬間いきなり地面に穴が開いて落っこちて、あのジェットコースターで落とされる感覚を味わいつつ『これは死ぬぞ』と思ったところがビールの海にぼちゃん。よく冷えていて美味いが冷たくて溺れそう…なんてのはどっちの単語で語るんだろう?
 …とアホな屁理屈を捏ねていて気付くのだが、そんな評価に悩ましいようなビミョーな夢を見た記憶は一度も無い。御覧の通り、こういうのは起きて考えて、わざと矛盾を籠めようと意図的に組み上げた情報単位なので、そのひねくれた目的に応じてきちんと論理的に構築されている。
 これに対して、何もかもとても自分で思いつけないデタラメな巡り合わせで登場し、文字通り取って付けたストーリー成立感を上からべたりと貼り付けて記憶を残すのが夢だから、『良い夢』『悪い夢』の印象は、それ単独のこととして脈絡なく一発で決まって心に刻まれるのだと思われる。
 何にせよ”nightmare”という英単語については以前から不思議を感じていたので、この機会に話題にしておくことにした。

 英語に限らずだが”go-went-gone”のような不規則変化動詞には、『行く』のような原始的・基本的で、社会集団の中で会話に乗ってくる頻度が高そうなシンプルな動作概念を指すものが多い。
 だが原始的ゆえ、その言語という文化体系が構築され始めた段階で、どこかに『行く』という概念と、過去に『行った』という概念の位置関係には考え及ばず、全く違うものとして各々のコトバが対応させられた。だから”go”と”went”は似ても似つかない単語なのだろうな。
 日本語も『こ・き・くる・くる・くれ・こ』みたいなコトになってたりするワケで。

 そのうち文法が形になり始めて動詞や時制の概念が整理され、そうなってくると原形+edだとか五段活用だとか規則性が確立されてくる。
 だとすると”dream”と”nightmare”なる単語たちが生まれた時代『おんなじ夢という現象がまずあって、その内容の良し悪しを一本の定規の上での目盛の違いとして呼び分ける』という捉え方ではなかったんだろうな。
 “dream”は、人間の望みが睡眠中の仮想世界の記憶となって顕れがちだという古くからの事実認識を指しており、まあ普通に眠れば、少なくとも悪夢でない夢を見て普通に起きるから、特別な”nightmare”はそれこそ病気の一種ぐらいの位置付けだったのではないかなあ。
 そしてその自然な感性があったなら、苦しい夢を盛んに見た私の姉は、もっと的確に身の危険を自覚できたはずだと思うし【241】、悪夢とまで呼ぶかどうかは微妙だが、この私もステロイド離脱症状と戦いながら戦慄を感じる夢は何度か見ている【615】

 人類文明としての言語は、人の集団が社会組織を成して暮らしていく中で、できるだけ多くの人間同士が響き合い意思疎通できるよう『規律立った情報体系としての効率を追求する』方向性でシステマチックに成長する。そして言語ありき、言語ネイティブとして生まれ育った人間およびその社会においては、新たな現象に遭遇してそれを表現しようとするにあたって、今度は『言語の規則性ありきでの理解』を経て概念構築していくのだろう。生物としての本能が、情報を得た人工的な理性に凌駕されるのである。
 不規則活用など言語に一部見られるイレギュラー性には、人間の非・文明領域の生体メンタル反応や、当該文化圏の黎明期の社会性通念が顕れていると思われ、言語学者ほどにまで踏み込まなくとも、外国語を学ぶにあたって意識しておくといろいろ理解が深まる。ここからその話を始めるとえらいことになるので、またいつかにするとして。

 当たり前の自然なこととしてよく眠る欧米人にとっては、この原理が『dreamとnightmareは別物』としてそのまんま言語に定着しているのに対し、日本人は豊かな日本列島ゆえの千変万化の森羅万象が、日本語圏の社会組織に『寝る間も惜しんで』『寝る暇もない』みたいな要求を繰り返してきたため、『夢』の理想ファンタジー性が幾分薄くなっていて『良いも悪いも夢は夢』ぐらいに収まったとか。
 睡眠の世界は、その舞台設定や展開に自分の意志が働かないが、他ならぬ自分自身が誰にも介入されずに作り上げたものである。『自分の意志が働く』という感覚、『思い通りに物事が進む』という認識、裏返して『何事もうまく行かない』葛藤や落胆、こういうのってどこまで客観的な妥当性があるのだろう?

 睡眠は、生体活動において余白とか義務のような感覚で捉えるものではない。休息や静養の役割はあるはずだが、だからといって高度経済成長期の無神経な計算のように『24時間あって8時間眠るのなら、人生1/3は死んでいるのと同じで損している』みたいな、スイッチOFFの非活性状態ではない。
 この身体をウラ画面でブートして、デフラグで書き込み待ちの白紙記憶域を拡大しながら楽しく有効なバーチャル経験を積極的に重ねる、とても贅沢でアクティブな世界なのだと思う。これが疎かになると、いつの間にか覚醒中の殺伐とした世界観に閉じ込められ、無意味で無駄な対象相手に思考がハマり込んで、いともあっさり思考停止で課題の解決を投げ出したまま惰性の時間だけが貧しく浪費されていくのだ。

 今般のコロナ禍にあって『やることを失い』自宅で眠る時間が増えた人は一定数いるはずで、その点においては日本社会にとってプラス効果が見込めるのではないかと思っている。
 欧米人も休日は大好きだが、『寝不足で起き出す辛さがなく、遅くまで惰眠を貪れるから』ではないのだと感じる。『日本社会は非効率』とされる意味が本当に理解できていると見受ける日本人はなかなかいないのだが、1年半もこんな稼働抑制をやってきたのだから、ただ忙殺されながら元の木阿弥に戻ってしまうのでは、もったいないだけの損失にしか終わらない。

 みんな同じの共感を満足感と錯覚し、面白くない時間を自我封殺の思考停止で平穏に過ごせる日本人固有の特性が、日本列島の繫栄に逆効果に働かないようにする工夫が必要だ。
 たった一度の大事な人生の時間、一人ひとりオモテ画面もウラ画面も存分に経験し尽くして、最大限の知恵がまず日本国全域に発生するよう仕向けたい。おやすみなさい良い夢を、では今夜もグッドラック!
nice!(9)  コメント(0) 

【965】夢見る人生スケジュール集中強化レビュー [ビジネス]

 せっかくハナシがそっち方向に行ったので、睡眠についての備忘録から。
 新しい発見でなく単なる過去回の検証ということになるのだが、夢には『その日の昼間に見てきた事物アイテム』が登場し、しかし夢の中でそれら短期記憶の脈絡はまるっきりデタラメなことになっている。間違いない。

 久方ぶりにローカル単線に乗って田舎町を訪れる機会があったのだ。よくあるパターンで駅を降りてすぐ真ん前に、何台か車輌を収められるサイズの屋根付き月極ガレージに事務所を足したようなタクシー会社があり、そこの前を歩きながら奥を覗くと霊柩車が収まっているのが見えた。
 国産高級車の前車軸と後車軸の間を延長し、更にキャビン後半部に納棺室を後付けした、ストレッチリムジン+ステーションワゴン型の改造車である。街ナカだと今どきプリウスのストレッチ霊柩車が斎場から出て来るのを見かけたりもするのだが、田舎だと立派な御屋敷の御自宅で葬儀が執り行われるケースもまだまだあるはずで、だとするとフォーマルな高級感を漂わせて近親者まで乗せられる車でないと、やっぱり相応しくないんだろうな。
 まあ特段にインパクトを感じた訳でもなく、何気に前を通り過ぎた。そして食事をして少しタクシーも使った。その夜のこと。

 今月のアタマで完全断薬してから満8年半を迎えた私だが、さすがに傷らしい傷はなくなり痛みや痒みで睡眠が中断されるということもなくなり、基本7~8時間は朝まで一直線に眠っている。明らかに夢の明確な記憶が残る頻度は落ちているが、この日は起きてはっきり憶えていた。

 車がすれ違えないような2メートル強くらいの幅の丸断面の古いトンネルがあり、そこを徒歩で通り抜けようと数メートル踏み込んだ私に対面して、黒いタクシーが停まっている。まだ入口近くなので背後からの光があり、そんなに暗くはない。このシチュエーションに到るまでの経緯はよくわからない。
 黒塗りのタクシーなのだが、後半部分に窓の無い荷室が付いたステーションワゴン型であることが後方の暗がりに見て取れた。霊柩車仕立てではないし、タクシーでこんなワゴン型は見たことがないなあ…と思ったのも憶えているのだが、これがトンネル内で道に対して何故か斜めになって停まっていた。
 私が道の右端を抜けようとするとタクシーの左前端、左側を抜けようとするとタクシーの右後端が邪魔になる形で、まあ抜けられないことはないがちょっと狭いかなあと思いつつ歩を進め、運転席では70歳近いと見受ける人の良さそうな運転手があたふた取り乱している。
 『そんなに慌てなくても簡単に出せますよ、ごゆっくり』と表情で伝えているところまででこの記憶は終わっており、それほど長い映像クリップではない。

 この古いトンネルの出典はローカル単線で電車に乗って車窓から内壁を眺めながらくぐったトンネルと思われ、もちろんワゴン型のタクシーは駅前で見かけたタクシー会社の待機中の霊柩車が元ネタだろう。実に見事に、昼間に遭遇したアイテムがシャッフル配役で登場している。
 ただ自分が眺めた現実ビューを忠実に再現する景色ではなく、そこから連想される徒歩視点からのトンネル内部や、車外から見る慌てた姿のタクシー運転手など、明らかに他のどこかでそれっぽい場面に出くわしていないと不可能なアレンジが加わっている。

 人間の記憶って、どんな単位でファイル化され、どんな基準で睡眠中に呼び出され、どんなプロセスで繋ぎ合わされているのだろう【939】
 確かに京大式カードを書き溜めたとして、それを整理保管の移動中に、不意にテーブルの上に投げ出して、無作為に混ぜたのち何枚か拾い上げたところで、無理にでもストーリーをこじつけてこじつけられるほど、都合よくカードの組み合わせが揃うとも思えない。
 人間の記憶情報はナニガシかのジャンル分け・カテゴリー分けがされていて、それらに対応して、ストーリー構築を試みるにあたっての規則的な操作というのが決まってるのだろうか。それともあれだけ眠ってたかがこの短い映像クリップしか残ってないのだから、歩留まりサイアク中から生まれた奇跡のイチ作品なのだろうか。
 まあいいや、とりあえず今回の夢なる現象の考察はここまでとしようか。

 ともあれこんなことを楽しく考えて遊べるのは、ちゃんと眠れているからである。
 以前は、睡眠時間は6時間を基本とするのが私の生活習慣であった。いつも寝不足でクラクラしている訳でもなかったが、それでも座ってずっと話を聞いている間についウトウトみたいなのも普通にあって、それでも病的な異常を感じることもなく平然と暮らしていたものだ。
 あーアレもやんなきゃ、コレもまだだ、うう~間に合わねえじゃん…と4~5時間睡眠になるのもしょっちゅうで、翌日以降にちょっと長めに眠るという借金返済パターンもしばしば、要は『やらなきゃいけないコトを24時間枠に詰めていって余白部分が睡眠』という決まり方であった。

 このコンセプトは間違っている。
 『まず自然に眠る時間を眠り、余白部分に起きて何をするか』の順番が正しい。
 この方が起きている間の活動の質が断然高く、人間ひとり生きて何をするかの視点で圧倒的に効率が良いのだ。昼夜を問わず死ぬほど働くビジネスマンは欧米にもいるが、社会全体の生活の空気感でいうと、総じて欧米人はしっかり睡眠を摂る。
 そう、北米大陸を毎週横断していた頃、いつも移動の翌朝に挨拶代わりに『時差ボケ大丈夫?』『よく眠れた?』で切り出す彼等の習慣は、その東西に広い国土によるものではなかったのだ。クタクタのボロボロで眠い目を擦りながら出勤し、会議で居眠りする日本のサラリーマンがどこまで高負荷なのか知らないが、そもそも本人の持てる力を何パーセント使えているのだろう?
 もっとも人間の生物学的な最大効率作動点と、人類文明社会が求める成果達成要件はどうしても違ってくるから、双方の折り合いを探る形にはならざるを得ないのかも知れない。
 睡眠時間を増やすと覚醒時間は減るから、厳選した目的事象に慌てず・諦めず・楽しむ貴重な時間を心置きなくかける【379】判断が重要になってくる。

 小池東京都知事が過労で入院したそうだ。そりゃタイヘンはタイヘンだったろうから、緊急避難的にでも一旦職務を離れてひとまず静養していただきたい。そして。

 コロナ禍の東京都政の、五輪の、ナニがそんなに多忙だったのだろうか?
 ぐっすり眠って、ひと通り思いを巡らして、しっかりメシを喰ったら、もう一晩ぐっすりと眠ってしみじみと考えていただきたい。その睡眠時間を引き換えてまで取り合うに値する出来事とは、どれとどれなのか。

 『コロナ死ぬ死ぬ』でお店がなくなり、雇う側も雇われる側も職を失い、仕方なく昼夜たがわず飲食店の出前注文マッチングを奪い合って生活を切り回そうとする人がいる。それさえ叶わず今日帰って食事して寝る住処を失った人もいる。
 思い切り眠って考えて、いま日本中その当たり前ができないでいると、まずクチだけ動かして声に出してみて欲しいのだ。
 税金資本の給料もらって、日本社会まるごとここまで低迷している中『ボーナス』などという意味不明の一時金まで『決まりだから』と転がり込む立場で、何がそんなにタイヘンな仕事だったのだろうか?
 いわゆるジョブ型タスクとして課題を列挙し、効果額おいくらの何の成果アイテムが各々対応させられるのか、たくさん食ってぐっすり眠って、ラフなメモでいいのでざざっと書き落とすとどうなるのか?

 そして寝食が十分に叶わない現実の中にいる方々、あるいはその心配が他人事でなくなっている方々こそ、しっかり考えるべきである。今日もまた、アルコールでちょろっと手を湿しては暑いのにマスクして『コロナ死ぬ死ぬ』
 あなた方も、民主主義社会に生きるイチ日本人として、日本国憲法で一人ひとり基本的人権を認められているはずなのに、こんなことになるまで一体ナニをしていた?なぜ黙って『みんなやってるから』に流されるままでいた?

 御自身がやらかした結果のツラさは私ごときの想像には余りあるが、それにしても健康な身体さえあるならば、それだけでガチ実効力の逆転勝率なのだと自覚しましょうぜ。失敗したら直せば良いのだ。
 どうにかでもよく食ってよく寝たら、よく考えてよく狙って、次はグッドラック!
nice!(10)  コメント(0) 

【964】昔懐かし昭和ヒーローの令和大予言 [ビジネス]

 『仮面ライダー本郷タケシは、改造人間である』
 子供の頃、深く意味も考えずに大の字にはりつけられた藤岡ヒロシを見ていたような記憶があるなあ。やおら『変身!』と段階的様式でジェスチャーをキメて仮面ライダーとなり、ショッカーの怪人と戦っていたものだ。確か初回の見はじめからこのテンプレ展開であった。
 後に私は多少の知恵がついて、この場合『ライダー』というのは単車乗りのことだし、それが仮面を被って=素顔を隠して、なぜ誰かと戦う行きがかりになっているのか、案外この組み合わせって特別な理由があるのでは?と思うようになったのである。まだボクサーとかレスラーとか、そっち方面の生業の方が格闘戦に向いてるだろうに。
 インターネットなんか無い時代、こんなくだらなく理屈っぽい疑問には答が見つからなかった。

 実は『仮面ライダー』には原作の漫画があり、この主人公を『悪と戦う正義のヒーロー』として子供に解りやすい設定にし、テレビ番組バージョンが制作されていたのである。
 本郷タケシは恐らく運動神経の優れているところを見込まれたか何かで身柄を拘束され、本人以外の意志で勝手に手術され身体を改造されたのだ。だが手術が完遂する前に逃走・脱出して自由の身となり、そんな身の上なので追手と連日バトルを繰り返す人生となったのである。
 手術が未完であるため、怒りの感情を覚えると顔に斑紋が浮き出てきてしまい、これを覆い隠すために仮面を被ることになったらしい。変身じゃないんだよな。なるほど単車乗りが仮面を被って戦うのには、そんな経緯があったのだ。健康優良児の、優秀であるが故のとばっちりってとこだろうか。気の毒なハナシである。

 ショッカーの戦闘員や怪人を相手に連戦連勝するぐらいだから、かなり身体能力を増強させる改造手術だったはずで、だとすると『人間をパワーアップさせる』という企画のテーマは、高度経済成長期の当時として十分に理に適ったものであり、それ単独で『悪』の概念に直結するものではない。
 それもそのはず原作『仮面ライダー』では、世界征服を狙うとされる悪の秘密結社ショッカーの正体は、日本政府だったということになっているんだそうな。残念ながら私は原作を読んだことが無い。

 そんな政治性シリアスな裏事情を含んだ『仮面ライダー』だけれど、冒頭の解説文が流れる番組オープニング・シーンに戻って、これは『日本政府が国民に身体改造の施術を強要している』という光景だという事実関係になる。

 …おいおい、これ日本社会のこの現実を予言していたことになっちまわねえか?
 手かせ足かせの拘束台こそ無いが、拒否れない立場の国民を狙って、誰も打ちたくもない注射を強制的に打つってんだろ?
 役所職員から自衛隊員から、あと商売あがったりで税金注入で延命するような民間企業【600】、更には客先イノチで生きるしかないその取引先、それでも足りないと見えて、遂にその家族=とうとうオンナ子供まで食い物にする外道の犠牲の強要は、とどまるところを知らない。
 これ、抜かし始めたヤツにしても右から左へ受け売ったヤツにしても、通りがかりででも見つけたら見つけた日本人がその場で摘発し、公共情報の視程空間に晒して、そいつの周囲からあらゆる手で袋叩きの目を見させて立てなくしてやる必要がある。世間さまを、社会組織をナメるなと。

 実質的な強制力を知ってとぼけて、ホントに誰も『やめろ』って言わないのか?
 立場の弱い人は独りで『イヤだ、私は打たない』って断固拒否するしかないのか?

 何種類か薬剤があって、不特定多数の国民相手に注射しようってつもりなら、性別に年齢に血液型に既往症に今の体調…と結構な適性判断の因子があるのはすぐ判る。
 おまけに薬剤の種類別に2回なり3回なり、既定の間隔を空けて打ったりする場合分けもあるそうだし、ならば全員に毎回、注射の直前に本人のナウ体質の適性診断や、過去経緯の良好な進展を確かめるための体調検査もあるはずだよな。
 どっちもせいぜい数分~数時間レベルのその場仕事で確実な判定が得られるものではない。なるほどな、不特定多数のメクラ打ちに一番安心で事故率低いのは生理食塩水だったりして【955】

 こんな怪しい注射だから誰も打ちたがらず薬剤ばかりがダブついてしまい、それを余らせて消費期限切れにすると病原体由縁の医療廃棄物になるからと、片っ端から上級ならぬ下級、いや奴隷国民を『改造人間』にして処理して行くという、とんでもない階級支配の実態である。これじゃ『仮面ライダーごっこ』の子供の遊びにもなりゃしない。
 注射打ちに関われば時給何万円単位で日当がつくという信じがたい話まで聞こえてきてしまう今日この頃だが、どこのどいつの御機嫌を取る都合があるにしても、おいくら実入りがあるにしても、人間の健康を生贄にする取引行為は決して許されるものではない。絶対に関わらないことだ、バチが当たるぞ。

 日本社会は過去に何度か薬害問題を経験しているが、従来のケースでは薬剤の流通過程にその原因があった。つまり供給側の都合で、何も知らず投与を受けた被害者が発生してしまうパターンだ。だが『事情を知って自らの意志で行動選択した』となると、その後はナニが起ころうが自己責任での完結を覚悟する必要があるだろう。
 今般の注射でも体調を崩したり死亡したりする事例は既に報告されており、今後これを社会が薬害問題視するかどうかは知る由も無いのだが、右も左も判らなくなっている高齢者施設の入居者でもない限り『注射の意味を知って自ら打ちに行った』という事実関係は成立してしまう。どうか御大事に。

 みっともないオオカミ少年ループを繰り返さないよう、まだ注意深く黙っていることにはしているが、この私自身の体調は、もちろん悪化するはずもなく着実に快調を取り戻してきた。
 ここで気付いて直して、健康の真意=生物としての自然な作動とその重要性をみっちり体験学習していなければ、早々に私の稼働力は余命・余力で再起不能の域まで転げ落ちていた、あるいは程なく転げ落ちて解ナシの消化試合を迎えるはずで、いま『残りの人生で何をどこまでやれそうか』と思い巡らすことなど到底できなかった。大変な目には遭ったが、私の場合これで正解だったのだ。
 出来心や慢心があろうがなかろうが、やっちまった過ちの果てしなくどうしようもない最悪の災厄が自分の中に一致同居し、逃げようにも逃げられない、容赦ない苦痛・不便と身ひとつで過ごすのである。
 万が一健康を害したが最後まともに動けないから、もう弱みを握られて差し出すモノさえ手に入らない。これが理解できる人間なら、絶対強者の立場にあっても弱者からむしり取るアガリの目減りがもったいないので、使い捨てになるようなマネはしないのが正気の振舞いなのだが。

 引き合いの事例として適切とも思えないが、大東亜戦争期の満州で生物兵器・化学兵器研究のため人体実験をしていたとされる陸軍731部隊【820】では、実験供試の直前まで捕虜に十分な寝食を提供していたのだという。丈夫で健康なサンプルが求められたためだが、当時の本土の日本国民が食うや食わずの生活を強いられ、国の配給で渡される芋やアワなど家畜の餌にもならないような食糧にしても、そもそもの分量からして全く足りるものではなかったという事実が何とも皮肉な限りである。
 こんな厳しい経験まで通り抜けてきた日本国は、その記憶を間近で受け継いだ高齢者ばかり多数の年齢構成に陥ったなどと愚痴をたれながら、いったい何をやっているのだろう?

 こんなに身を堕としてまで態度の改まらない組織は、法律だルールだという決めごと以前に、みんな大好き『人間の尊厳』『大切なイノチ』の概念領域で否定され、日本国民全員の協力により解体されるべきものだと思う。
 毎日おいしく食べてぐっすり眠れる幸福は、社会全体で健康の価値を理解して管理しないと、みんなの大事なこととして実現できない。健康第一、来週も御幸運を!
nice!(11)  コメント(0) 

【963】和式間接業務のフリーズ解除手順 [ビジネス]

 もう緊急事態と蔓延防止の違いなんか気にしている国民はいないんだろうし、もしその必要性があって再び気にするのなら、それは従来になかった『質の違う』危険度の迫力の事実が起こった時だ。
 裏返せば、たかが人間の声明ごとき、どこの誰が、何の内容を叫ぼうが無駄。ますます反感を買って関心を削ぐだけの逆効果なんだから、謝ってオワリにした方が賢い。

 ガツンと現実に痛い思いを喰らう以外に次の展開が無いのなら、その『ガツン』に準備体制と気構えを整えて、余計な外乱や雑音を取払って、素の自然体で諸事GOするしかない。
 クリアな『ガツン』が現実のものとなったら、そのガツンの実体を改めて正確に観測・測定する。そうしないと、何がどれだけ悪くて、どこにどんな対策を打つべきなのか算出できない。
 以上、理解したらもういいじゃん。全てを元に戻して行こう。そこが原点だ。

 各地の行政がどう動くのかは当該の決裁者次第だが、『営業時間の制限を一部緩和』『引き続き酒類の販売は規制』みたいな中途半端は損害を長引かせるだけである。コトここに到って、1年半の泥沼から足を引き抜く割り切りに悩まないでいただきたい。
 単純なハナシ、性懲りも無く新・中途半端モードで始めてしまうと、新たな不確定要素をわざわざ発生させただけであり、新たな逡巡の漫談ネタを増やしただけであり、元々がこれだけ決心できない烏合の無責任集団ばかりゆえ、『また』『まだ』通常稼働の再開を先送りにする言い訳の材料にしかなり得ない。

 日本社会の自我がここまで気分を決めてしまっている以上、誰の人為的操作も及ぶことなく、どんどん経済稼働は元に戻っていく。みんなそっちがやりたいのであり、『言ってるだけ』が少々うるさくなっても『聞いてるだけ』で元通りの生活が流れるのなら、着地点はそっちだ。
 起こっている出来事の大局が『行政による規制で経済が停滞している』という状態を離れ、『経済が再起動し、行政が抵抗むなしく呑み込まれていく』という光景をもって、現実的な決着が進む。
 支配vs被支配のチカラ関係の維持を目当てに、『言ったことを言った通りに行動させる』という試みを続けても無力だ。『言ったこと』という、たかが情報を聞いて受けて、そこから『その通りに行動する』というガチ現実化に移す決定的ステップは、丸々聞く側の人間に決定権があるからだ。
 組織の自我に見放され、既にどうでも良くなった『言ってるだけ』に、大衆が反応することはない。そんな『言ってるだけ』を言い張る役回りに立つと、そのうち『あいつはシカト』という人格否定まで呼び込むぞ。

 ここである意味、意固地になって、法律に則った支配力を誇示するかのような態度や、ここまで進めてしまったロジックを『きっちりやり通す』という几帳面カラーで強硬策に出てしまうと、その先は異次元コミュ障の時空間が待っている。
 営利目的の民間組織、例えば世間一般の製造業や販売業の株式会社なんかでも、気を付けておかないと、嬉しい成果に恵まれず手応えを見失ったスタッフ業域が、間接業務そのものを目的にしてしまう不毛の永久回廊に迷い込むことがあるのだ。

 元々は現場の前線部隊が直接業務で具体的成果を稼ぎ上げていて、それだけだと個々人の生命力相応の活動単位の数量効果掛けにしかならないものを、ひとつにまとめて大局的に組織立った整理・組立まで創意工夫し、組織の自我向け総合フォーメーションにリメイクすることで、これらを『組織力』として出力できるように変換する。これがスタッフ業域の重要な組織機能である。
 ま、規則ゴトの制定やカネ勘定みたいな、書面相手でインドア系の事務仕事っぽくはなりやすいんですな。いわゆる縁の下の力持ち的な、直接業務層の頑張りやすい環境整備を受け持つインテリ業域というか。
 で、手元現実ベースの現場組に比べ、組織の広域に及ぶ守備範囲となる場合も多く、そうすると経営への影響度大として高給・要職ポストにもなりがちなのだ。無能に限ってこれを『エラい』と勘違いする。

 組織が好調なうちは、潤沢な現場稼働力を十分な組織力の成果に昇華する構図が共有されて、みんなお互いを信頼し合って健全で平和な日々が流れる。
 だが不調期に陥り『うまく切り回せない奴等』として組織の自我に見放され、それを自覚しながら行き詰ったスタッフ業域の小集団は、現場の現実も無いまま触り慣れた間接業務ツールを右へ左へ何となく動かす作業を仕事にし始めて、自分自身の稼働の実感をひとり寂しく確かめるような閉じ方をしがちなのだ。スタッフ業域の『脳内ブラックホール自閉症』である。
 元々は一体の組織生命体を構成する臓器と臓器のような関係で暮らしていたはずなのに、スタッフ小集団が全体組織との好意的な共存を見失って、アウェー分離してしまうのだ。特に現場組のブルーカラー性に対して、スタッフ層のホワイトカラー上級支配みたいな管理意識で勘違いしている不心得者は、現場の下民を自分の命令に平伏させる方向で間接業務ツールのアレンジを考え始めたりする。

 その結果は、『誰にも気にされず、誰も動かないのに、仕事だから・決まりだから・義務だから的な自分優位の正当性を主張しながら、ひとり毅然のテイで発令を繰り返す』という寂しい光景となる。
 せっかく現場稼働力に溢れた前線部隊がいて、事務能力に長けたスタッフ人材が揃っていても、何の出力成果も上がらない。現実味の無い発令への対応是非が一部少数で議論されるばかりだ。

 なぜ日本社会組織の自我の心が行政のスタッフ小組織を見放したのかというと、『根拠も無いのに、生活に制限を強いるから』に他ならない。
 いま根拠が無いんだから、まず制限をやめる。
 根拠が新たに発生したら、その根拠に正確に基づいて再び制限をかける。
 これしかない。

 最小・最短の被害でトラブル事象を特定し副作用なく解決するためには、物事をシンプルにする割り切りが必要だ。そりゃ怖いし、時に被弾もすれば本当に苦痛の損害だって伴うけれど、それは確率問題の現実なんだからしょうがないじゃん。
 『リスクを負ってチャレンジ』という表現はこんな割り切りを指して使うものなのであり、普段そこらで目にする『失敗時のリカバリー策』の欄があって幾つも承認印が突かれているようなのは、『プラン』であって『チャレンジ』ではない。

 『エラい』人間は失敗しない。
 失敗するとみんなに『エラくない』と貶められ仲間意識を断ち切られる。
 だから自分が『エラい』身分でいるため『失敗していない』という伏線を用意する。
 これもスタッフ業域の脳内上級組が必ずやらかす、あるあるの勘違いだ。

 『コロナ死ぬ死ぬ』痴呆国政に沈む日本経済の姿は、スキ無く積み上げて安定した実力を固める心意気までは立派だとして、それをもとに周到なプランを組むことばかり永遠の目的…いや執着対象となってしまい、そこから踏み出して現実と対面するチャレンジを恐れる、いわゆる引っ込み思案の堅実派が多いとされる日本人の民族性でもあるんだろうな。
 だからこそ、その血筋が導くままに落ちてしまったこの失敗モードから、事情と顛末をよく精査して、日本人固有の原因を客観的視点で注意深くキャンセルし、決定的な挽回策に打って出たいところである。

 日本列島に暮らす『日本人の人となり』の作用と、法治国家・日本国の『組織の仕組み』の作用について、感じて・考えての両面から理解し、次はしっかりアップグレード版で立ち上がっていただきたい。 
 では『再起動』をクリックしてシステム再構成の表示を眺めつつ、グッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

【962】不運の原因分析レポートと幸運の対策検討プラン [ビジネス]

 やれやれ、まったく。ちょっと御無沙汰していた通信障害ネタで始める。
 私のメールアカウントを利用して不正メール送信が行われた可能性…とのことで、メール機能が止まってしまった。まあ迅速なサポートもあってすぐに復旧できたし、どうせ本当に私に用事のあるヤツは何かしらの手段で連絡をつけてくるんだろうし、大した被害も無くて済んだのだけれど。
 『デジタル』とか如何にも奇妙なカテゴリー概念で看板掲げた役所が通信事業に行政操作を割り込ませてくるようなことになったら、こうして誰かに何かあるたんび税金資本で調査と対策が発生するのかねえ?役所の新設が勝手に決まったことになってるんだが、日本国民は気にしておいて良いように思う。

 まあいいや…って全然良くないんだが置いといて、どこのヒマ人がいつまで五輪だとかコロナだとか言い続けるのかねえ?
 恐るべき勢いで『変異したかも、怖いかも』の危険性、ではなく言論情報を大量発生させている、まさに空前絶後の新型ウィルスが日本国内を席巻しているのだが、みんな気付いている通り『コロナ死ぬ死ぬ』が本当なら『五輪を中止する』しかない。逆に『五輪を実行する』のなら『コロナ死なない』が必要条件である。

 もっとも、とうの昔に『世界人類が持ち回りで運営してきた、4年に一度の五輪大会』は事実上開催されないものとして決定済であり、あとはなりゆきの現実を指差して『これは立派な五輪大会です』と言い張るかどうかの激論バトルだけが繰り広げられるのは目に見えている。
 もう関わりを断ち切れる人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出しているんだろうが、気の毒なのは逃げるに逃げられない出場選手たちだ。まだもう少しでも競技大会らしいものがやりたかったろうに。
 ゲンキンな表現になるが、五輪のような人目を集める華やかなヒノキ舞台こそ、彼等にとって掛け替えのない稼ぎどころであり、故にそのチャンスを逃す訳には絶対いかない。自力でこんな資金調達の場は用意できないから、ある意味選手生命を賭けて積極的な推進派の立場に身を置くことになる。
 この夏の現実と言論がどんなに浮世離れしたアッパラ喜劇になろうが知らん顔できないワケで、まあ我々国民は、そこは理解して彼等に余計なツッコミはしないでおいてあげるのが良いんだろうな。

 ここまで頭に置いて『さあハダカの王様、始まり始まり~』である。
 『コロナ死ぬ死ぬ』感染大事故を避けるため何もかも取払って、誰もいなくなった後のすっからかんを指差して『いやあ、立派な大会ですねえ』『うむっ、日本国の威厳を保つことができた』とにこやかに頷き合うのだ。
 国際社会の場では、その透明で見えない開催強行を気味悪がりながら、何をもって五輪大会が成立しているのかの疑問が散発する。五輪なんか最初からやれないのは決まってたんだし、随分前から苦も無く国内経済が、国内限定とはいえフル回転できるのに何故やらない?もう今時もったいないとも思ってもらえないんだろうな。

 欧米生粋の血筋にとっては、新型コロナ肺炎は今も十分に怖い感染症なのだと考えてよかろう。胸の内では感染症の危険をすっかり過去のモノとして、表向きにこんな呑気な押し引きで遊んでいられるのは、恐らく日本列島にこの冗談みたいな血筋を持つ日本人だけの幸運なのである【821】【852】
 毎度あっちの開催国こっちの開催国を指差して、まだここまでしか準備できてません、こんなに遅れて開催できるんでしょうか…などとこれ見よがしの他人事でやっていた時代が懐かしいよ。
 文句なし世界史上最悪のこの現状に、開催国としてのGO/NO GOの決心も表明もせず期日までひと月半か。いつぞやのアレがどんな腹づもりの『お・も・て・な・し』だったのか、真相の構図が見えてくる。

 …ってことで、今のうち日本国民の間で五輪批判の解禁を示し合っておこう。
 『悪いコトは悪い』『おかしいことはおかしい』、一応タイヘンな巻き添えを喰らう立場にいる仲間がいるっちゃいるんで、そこんとこの正確な理解は各自よろしく!
 五輪を腐さないお飾りの良識演技が、内圧パンパンに鬱積している国民意識をさらに加圧しないよう、まさにガス抜きの栓を早くから開けて準備をしておいた方が得策だと思うんだよな。前代未聞の不祥事が暴発する確率は下げておくに越したことはない。

 当面ここまで済んでしまっているコトはともかく…じゃないか、それはそれで追及するとして、日本国民が再確認しておくべきは『実体なき五輪につき、経費は全然かからない』という明確な事実である。
 苦労して、華やかにやりました、立派な大会でした。
 あれにおいくらかかりました、これにおいくらかかりました。
 それを言うために『いま』、専門家とやらが『かくも大層な五輪大会をどうするか』のテイで騒いで見せてるってことさ。黒縁ミイラはともかく、ノーベル賞ってたかがこの程度のもんなんだねえ、しょうもない。
 もうマトモな興味を向ける日本国民もいないんだろうが、いざその時に『ん?何かやってるのを見た覚えはないんだが、カネなんか一円もかかってねえんだよな?税負担なんかの余力はどこにも無いって知ってたよな?』と一顧だにしない姿勢で処置しよう。

 このへんで五輪の話題はもう終わりにするとして、日々何故か新規感染者数と死亡者数が減ってるんだが、黒縁ミイラはその理由を理論立てて日本国民に解説しなきゃいけないんだよ。専門家なら、フツー。
 きちんと物理的・科学的な事実関係の確定的な解釈があり、それに照らして緊急事態は解除するとかしないとか、どんな具体策の蔓延防止措置を採るとか、全てそこが根拠となり検討の原点になる。

 訊かれて黙って済むハナシではない。うやむやで流して流れることもない。各自治体の代表者は、各自の立場から責任もって政策決心の顛末開示を完遂しないとダメだと思う。
 少なくとも当初のうちは『正真正銘モノホンの専門家を集めても社会の安全が保証し切れなかった』ってことぐらいみんな直感で理解するんだし、そのあたりから腹を割って正直にタイヘンだった行政判断の移り変わりを時系列で解説すれば、地域住民の社会組織には決して嫌われたり疑われたりしない。
 人生を賭けた事業を奪われた住民たちには『ウソをつかない仲間意識』で信頼を固めてからでないと、その後の業務申請から納税義務から、再起に動く真面目で誠実な住民機能が期待できないだろう。良いコトも悪いコトも、当たったコトもはずしたコトも飾らず隠さず白状し、みんなで取り組む社会稼働の復旧に協力を持ち掛けないと、せっかくの優良組織の潜在的素質も日の目を見ず、地域丸ごと死にゆくのみである。

 現時点ここまでやっちまったんだろ?ならばガチ『殺すぞ』の勢いで、今般の日本社会の経済事情を強制した奴等から、首絞めて血ィ見させてでもきっちり事実関係の回答を刈り取ってきて公表することだ。
 前回に引き続いての話になるが、『場を荒らす』ことと『ナメた性根にヤキを入れる』ことは違う。闇雲おぼっちゃま良識の『暴力ハンタ~イ』が絶望的に見逃して許してしまう邪心の弊害について、そろそろ日本社会全体で考えるべき時期だと思う。悪いことをしたヤツは、怒られて、殴られて、場合によっては殺されるんだよ。
 何よりこれ終わらせねえと、地元現場の運営トップとしての示しなんかつかねえと思うぜ?みんなまだ暮らせなくて、困って泣いてんのに。

 『世の中うまく行かないものだ』『頑張っても良いコトが無い』という現状は、本当に今をよく見て、改善の手を自分なりに考えて、やれる実行動をやって、それでも不運なアナタは意地悪な神さまが理不尽に見放して、こんなことになっているのだろうか?
 泣いている方々も、いや泣いている方々こそ御一考いただきたい。ちょっと泣くのやめてさ、まず何か食ってよく寝て、そして目覚めたらそこからグッドラック!
nice!(10)  コメント(0) 

【961】信用の大喧嘩vs笑顔の握手の裏含み [ビジネス]

 うん、まあゴタゴタしてるけど、みんな落ち着いて判断すればよろしかろう。
 五輪はやる…というかやめると言えないままその日を迎えるだけだろうし、注射は打ちたくない国民しかいないんだから、どんな大風呂敷を拡げても反応があるワケも無く、いずれ静かになる。

 思い起こせば、古電球がソーリ大臣ってことになってたんだよな、みんな忘れてるんだけどさ。いわゆる『政権与党』という一派が存在して、『国会で過半数を取れる』という立場を『日本社会を好き放題にできる』と勝手に読み換えて、世間知らずの傍若無人に振舞っていたワケだ。
 まあ我々国民としては、こいつらがナニをどう騒ごうが興味も無いし、ほかっときゃいいじゃん。あとを見てそこから考えましょうや。

 『政権消滅』である。

 どこぞの田舎町で、おかしな注射を子供に打とうとして苦情が殺到、業務停止に追い込まれたという。農業にしても工業にしても特産品も無いような田舎町だと、地元社会を切り回すための財源は中央行政に頼らざるを得ないから、もしかすると田舎町の側から率先して跪き子供たちを生贄に差し出す忠誠心を演じたのかも知れない。とにかく、しっかり日本社会の世論が抑止力を働かせて、将来のある若い人たちにこんな非道の隷従を強いるようなことにならなくて良かったと思う。
 確かに子供たちの日常生活の整備にも関わる地元財源の確保のためだという言い訳は立つが、将来世代の健康をオトナ都合のカネや権力と引き換えるなど、絶対にやってはいけない。倫理道徳云々以前の生命原理的なゾーンの話として、組織を成す構成員の健康維持に対する意識をきちんと持てないと、組織そのものが滅びて消える。こんな事を決めるのは、町長不適格というより、組織運営に関与してはならないタイプである。

 既にここまで腰砕けになり、1億2千万人日本社会に見放されたポンコツ政権にすがったところで、マトモな見返りなど期待しようも無いだろうに。長らく政権政党の紐付きコミュニティとして餌付けされ生かしてもらってきたからといって、政権の敗色を承知の上で尻尾を振って加勢して見せたつもりならなお悪い。

 見て判るだろう。この政権組織は、もう『負けが込んでいる』のだ。
 もう日本社会に向かって何を根拠に掲げて強気をアピールしてみても、組織生命体・日本社会は耳を貸さない・相手にしないで腹を決めてしまった。あとは日本社会のどこからどんな順番で、この政権組織と縁を切っていくかだけの展開である。
 五輪もコロナもイチ抜けニ抜けで関係を断ち切っておかないと、逃げ遅れれば逃げ遅れたぶんだけ、手負いの敗者が死に物狂いでまとわりついてくる粘度は高くなる。今の法律、今の権力、今の決まり事で、良い目を見させてやるからと、邪心いっぱい手段を選ばず『もう終わった組織構造』を主張しながら、逃がすものか、見限らせてなるまいとしがみついてくるのだ。うわあ~キモっ!

 例え法律といえども、所詮は人間が『こうしよう』と決めただけの情報に過ぎず、『こうしよう』と思わなくなったらその時点で意味を失う。だから法律というものは、どうでも良くならないように意識して運用する必要があると述べた。
 日本社会の圧倒的多数にとって、もうどうでも良くなったハナシを、どうでも良くした張本人に蒸し返されても、迷惑で不快なだけでしょうが。
 一方どうでも良くしたヤツだからこそ、『決まりなんだぞー、みんな言うことを聞くルールなんだぞー』と何度も何度も何度も言い張って、居直り続けようとする。

 程なく一気に雪崩を打って総崩れの様相となるのは想像がつくだろう。逃げ遅れると、もう幼稚園児も聞く耳を持てない馬鹿馬鹿しい三文劇に、あざ笑われ忌み嫌われながら真顔でその一味として晒されなければならない。
 日本人は『みんな海に飛び込んでいるから』という理由だけで『自分の命の安全も考えずに海に飛び込む』とされる、世界的にも珍しいくらい思考停止で組織に同調できる人種なのだが【860】、だからこそ組織がその作動を狂わせたとき、個々人が腹の底ではみんな手のひらを反す潜在的な疑問や不満を極限まで溜め込みながら、暴発を待つ流れになりがちなのである。

 注射なんぞ何本打っても『コロナ死ぬ死ぬ』
 真夏のマスクで熱中症になって死んでも『コロナ死ぬ死ぬ』
 あほですかアンタは?

 どっちも、本気の本気で胸ぐらつかまれて包丁なり銃口なり突き付けられて真意を確かめられたら、『真実でないと知りながら、みんなに合わせるためだけ』を白状するんでしょ?…ってことは、その腹を抱えて、かつての日常だった経済生活を失って、不満と不安で内圧パンパンだよな。
 今たったひとりでこれを読みながら同意しているアナタがいるんだが、きっと他の人も同じことを考えると予想がつくのなら、近々この政権勢力の行く末はもう決まっていると考えて動き始めた方が断然賢い。

 ちょっと思い出していただきたいのだが、大阪都構想の住民投票で、仮に少々の小細工なんかが紛れ込んでしまう余地があったのだとしても、組織の物事がそっち方向に動く時には、もう誰も抵抗できない勢いで、あらゆる雑音・外乱まで押し流してそっちに行くはずだと述べた。逆にそこまでならなければ、拮抗する相反二勢力の軋轢が無駄な内部摩擦を生み結局は失敗に終わるとも述べた。
 『機が熟していなかった』というやつであり、とにかく僅差の否決という結果が出たのは、大阪府市組織がまだ昨秋時点で十分その気になり切っていなかったことを示す。
 慌てても急いても、何ゴトのどんな都合があっても、現実がついてこないものはついてこない。そこ基準から物事を考えねばならないのだが、何も音沙汰が無いとこれまた組織というのは厄介な生き物で、新鮮な興味の印象だけを褪せさせて飽きてしまう。昨秋にあそこまでやっといたのは大正解だった。

 私はここで何度か『場を荒らしてはいけない』と言っている。
 物事ちゃんと相手がいて組織があって動いているのだから、理屈抜きの倫理道徳抜きの、つまり相手の存在を無いものとした自分一方的な感情の発散はやめろという意味である。少なくともその場は、もうコミュニケーションの対象として扱ってもらえない立場に、自分を追い込むことになるからだ。
 だが『納得できない表明として怒る』のはむしろ、もっとガンガン怒って構わないと思っている。というか、多くの日本人は、反対や不満をきちんと表明できていない。

 そのままあやふやに場を流してしまい、後処理に我を通すようなことをするから、欧米人には『何を議論しても誤魔化して逃げ帰り、日本人集団で群れて強行に出る』と嫌がられたりもするのである【313】
 いっぽう日本人としては、怒り=同調拒否の意思表示をいきなり『相手に寄り添えないワガママ風の幼稚性』に直結させてしまい、これはこれで『感情的』という表現でもって欧米式の意見の衝突を見下すようなことにもなっている【82】
 組織の自我に対して、どんな態度で訴えかければ制止や方針変更の効果が期待できるのかはその時々だと思うが、とにかく自然に展開している現実に蓋をして、内圧を高めながら一見無難にやり過ごすという日本文化の特性は、このコロナ禍の時代において途方もない損害を出す弱点となっていると思うのだ。違うか?

 お互い顔色を窺いつつここまでやっておいて『自分で自分の首は絞めたくない』『あり得ないことを真顔でしゃべってバカと思われたくない』みたいな、人間としての自然な感覚はみんな備えている、それが日本社会だ。
 『今はみんなバカに調子を合わせているから、滑稽でもその大衆とケンカしたくない』の一線が切れた瞬間、溜め込んだフラストレーションと現実の不整合が大雪崩を起こす。逃げ遅れたら『四面楚歌の完全ガイキチ空論を口走りながら、自分で自分の首を絞める晒し者』の屈辱ポジションが待っているのは、考えなくても判るだろう。

 ま、960回ぐらい余計なことを考えず見たまんまの事実を思うまんまの素通し言論で発信していれば、この世に十数人の御贔屓さま方を相手に、何の心労も無く961回目の好きな言葉が自由に吐けるというハナシですよ。いつも御覧いただきまして有難うございます。では肩の力を抜いて、グッドラック!
nice!(9)  コメント(0) 

【960】茶番完結フラグの第一発見者 [ビジネス]

 とりあえず結構な勢いで、新規感染者数も死亡者数も減ってきたよな。
 なんで?

 イヤミのジャブ打ちで言っているつもりは無い。ちゃんと原因があるはずだ。
 エマージング・ウィルスの自然な感染終息の場合、こういう推移には絶対にならない。着目ポイントとその減衰パターンについては、いま解説すると正確さを失った情報だけが独り歩きする恐れがあるので、申し訳ないが控えさせていただく。統計に勘どころのある方は十分実感しておられると思う。
 いの一番に専門家とやらの見解を聞きたいものだ。五輪をやるのやらないの、完全にどうでもいい議論で政府に対立する姿勢を演じているが、所詮は国民に税負担を積み上げる理由にする演目を提供するため絡んでくる役回りとしての、劇団の一員に過ぎないってことさ。皆さんノセられないように。
 なお現状この推移の原因をロクに考えもせず、『リバウンドがどうたら』などと知ったかを口走るのも禁物である。感染現象の自然な展開でもないのに、そんなものを見てのいい加減な思い付きでは、また無駄な損害を積み足すばかりではないか。

 もうちょっと突込んだ話をしておくと、感染現象の自然な推移でないからには、人為的操作の推移が顕れているはずで、だとするとそこには『どんな目的・何の意図でどの数値をどう決めたか』という因果律が確実に存在する。
 まずそれを明らかにしろと言っている。見て考えて正解を当てられる問題だ。
 1年半経過時点で1億2千万人集団に起こる自然なウィルス感染現象の分析よりは、遥かに簡単なんじゃないの?

 まあいいや、とりあえず予防効果および、何より安全性があやふやな注射なんぞ誰も打ちたがらないもんで、あちこち余るわ捨てるわのバチ当たりなことにもなっている訳だが、それでもってナウこの勢いで新規感染者数も死亡者数も減ってるんだよな。ならば静観してれば、今よりまだ減るんだろ?
 日本以外の海外では少々のリスクを負ってでもガチでワクチン注射を打ちたいと思っている人は多いんだし、我が日本国は現時点でそんなものの調達は一斉停止、他国優先で結構である。
 製薬会社もカタギで商売やってんだし、どうせあっちから何千万、こっちから何億ひっぱるみたいな政府のボロ計画は軒並ウソっぱちの作り話で、『やめる』と決めたらその場で綺麗にキャンセルできるはずだぜ?国立競技場の時の『キワモノ建築事務所に59億円を先払いしちゃいました、もう戻りません』とやりクチは同じだ【385】
 我々日本国民は、国民の財産である税収財源を自力で守る意識を改めてしっかり持つべきである。

 いま日本国は、社会生活を支え合う我々日本国民が成す組織と、そんな国民から税金名目で遊ぶカネを好きなだけ抜こうとする自爆テロ非国民犯罪者政権一派の組織に、大きく二分されている。
 パンデミック国家危機ごっこ『コロナ死ぬ死ぬ』で遊ぶんなら、遊びたい奴等の私費でやれば良かろう。日本国の成人社会人は、生活があるんだしもう付き合えない。毅然と突き放さないとキリが無い。

 同時に、我々は成人社会人なので、今度は自分たちが『権力のハナを明かすお祭り騒ぎ』に浮かれないよう気を付けておく必要がある。こういうのは射幸感の要素を一定ぶん伴うので要注意なのだ。
 いま日本国の最大の問題は、法治社会システムに則って動く指示命令系が、国家社会の活動現場を無意味に止めてしまっていることである。だから冒頭で、『ちゃんと意味を言ってみろ』と要求なんかもしてみた訳だが、日本社会の現実として組織が深刻な体調不良に陥り末端からどんどん壊死まで進んでいるのに、指示命令系において頭脳役を決め込んでいる連中が、決まり事や思惑といった『アッチの世界』にハマり込んで抜け出せなくなっているのだ。

 現代文明社会において法律は大事なものだが、大事であるがゆえ、それが人々にとってどうでもよくならないように意識して運用する必要がある。
 法律は、人間の口から滑り込ませれば機械的に一定の反応が得られる文書情報カセットではない。ちゃんと反応するかどうかは、その社会を成す人間が『そうしよう』と自然になびくかどうかで決まる。
 ベタな例を挙げるなら、そこらのヤツにいきなり刺し殺されるとか、持ち物を奪われるとかするのは誰もが本能的に嫌だから、殺人や強盗はみんなでしちゃいけない法律にして守りましょうってことですな。実は包丁一本あれば、そこらで刺殺も強盗もやれるかやれないかというと、やれてしまうワケで。
 でも法律で禁じてみんなで守り合った方が良いと自然に合意が進んで成り立ったから、日本社会はこれで決め事にして収まってるってことだ。

 日本のように国土が隅々まで豊かで、殺伐としない社会空間にきちんと教育を行き渡らせられるという、本当に恵まれた環境に暮らしていると、法律の定義が上記のような『悪いコトを禁じるための決め事』か、もしくは子供は小中学校に通わせましょうとか自動車は左側通行にしましょうみたいな『社会参画を定型化するための決め事』としての意識までで済んでしまうのが普通だろう。
 だから特に高度経済成長期以降、おしなべて日本社会でそこそこ人並の幸福感に暮らせた総・中流の日本人たちに限っては、法律を『破る理由も無いし、黙って従っていれば無難に過ごせる決め事』として、深く考えずにその運用と折り合ってきたのである。
 もっとも、これが国家運営・社会運営の当事者意識を怠けさせ、数多くの弊害を発生させてきたのだが、今ちょっとその具体的事例のハナシは置いとくとして。

 既に『盲目的な手放し遵法の慣習が消滅している』事実を受け入れるべきだ。
 『コロナ死ぬ死ぬ』を誰も本気で終わらせようとしないこの空気に、日本国民が総じて以前の日常生活および人生展開の破綻の危機を、本気で心配している。
 法律を守ってこんなことにしかならないのなら、法律を守るのをやめよう。
 だから、支払う罰金を手元に準備して営業再開するお店も出て来るのだ。

 喫緊の課題は、日本国民にいま幸福感とは言わないまでも、まず希望の光を実感させ法治社会への帰属意識を引き戻すことである。もちろんその希望の光とは、税金資本にツケがまわる協力金や支援金なんかではない。みんなカネなんか要らないのであり、『コロナ死ぬ死ぬ』をやめて元通り稼ぎたいだけなのだ。
 このまま手が打てないでいると、日本社会は『法治システムで実現する国民の幸福』というものを諦め始めるだろう。法律で国民を不幸にしているんだから、道理としてそうなる。

 『あり得ない』『考えられない』ではない。自然な流れなら何だって実現する。
 …ってことで、続きは次回に送りましょうか。『コロナ死ぬ死ぬ』が雪崩を打って崩れ始めた時に備えて準備しとかないと、逃げ遅れたら喰らう損害は質も量も精神負担もきっついぞ~!では今しばらくグッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

【959】誰もが知る独裁者伝説の誰も知らない絶対服従ルール [ビジネス]

 では予定通り、この一昨年来の真実のイメージの続きを語ろう。
 昨年の今頃、既に『どうやら日本人には、新型コロナ肺炎に対する耐性が備わっていると期待して良さそうだぞ』と見えていた…というところまでであった。
 実は、病原性ウィルスの感染現象としては、実質ここまででフェーズの段階的進行は終わっている。

 これ以降、何人かかって何人死んで第ナン波がどうたらというのは、もう一部の人間の勝手な都合で、いわゆる『鉛筆を舐め舐め、誰かが決めた数字』を歩かせただけである。もう感染現象としては、減衰と希釈のフェーズが続いているだけと見るのが妥当ではないかと思う。
 まあ呼吸器中心に発症しがちなウィルス性病原体ってことで、インフルエンザなんかとの類似性はそれなりにあって当然だろうから、いったん昨夏に収まりかけたかのように減ったのち、気温が下がり始めた頃いわゆる第2波が緩く立ち上がってきたあたりまでは、自然な真実のなりゆきの傾向として、外乱含みながらも調査データに引掛かってきてはいたのかな。

 何にしても、ここから先は『組織統治』なるたかが人間のアタマの中の概念=『誰が誰に行動を強制するか、強制されてどこまで真に受けてその通り行動するか』の押し引きが全てとなっている。

 『死病コロナ肺炎による命の危険』というのは、当該ウィルスの種類や病理特性が割れる前の段階で、呼吸困難に対する酸素吸入や高熱に対する解熱剤投与などなど、一般的な対症方策で手を尽くし本人の体力に命運を預けるしかなかった時期のものである。
 確かに当初はそうだった、だが今は違う。

 今時ただの冷徹に終わらない非人情な言い草として必要以上に反感を買ってしまう可能性も感じたため、狙い撃ちでトピック設定してここで語るのは控えていたが、実はあの頃の当初から、犠牲者は出ていたものの、その総数も増加ペースも明らかに欧米より複数ケタで少なかった。
 ここの読者さま方という組織生命体の御機嫌を無駄に損ねる恐れがあり、『我々日本人は致死率が低いので必要以上に騒ぐな』などと発言すると、後のここでの言論内容に響いていただけなくなってしまうかも知れない。当時の私はそう考えて、意図的に日本人の致死率の低さを話題に出さなかったと白状しておく。
 世間で名の知れた人たちまで含め亡くなった方々が実際におられて、御遺族は対面してのお見送りさえ許されず、本当にお気の毒としか言いようのない深い悲しみに暮れていたのだ。コロナ肺炎に関する率直な見解を正しく伝えたいなら、相手が感情を持つ人間であること、その人間が成す社会組織であることを考慮し、時と場所と言い方を選ばなければならない。

 少なくとも現代医療史としての過去には記録の無いウィルスであることが間違いなさそうだから、その正体の解明と治療策・予防策の検討は必要であり、それには手間も時間もかかる。たかが1年半でこのウィルスをすっかり見くびって構わなくなったとは言わない。
 だが1年半見てきた結果論まで交えて、少なくとも日本国内の日本人においては、早期発見・早期治療と万一の重篤化に対応する体制だけ固めて、もう社会を日常稼働に戻して経過観察することが十分可能な段階になっている。
 国産ワクチンがどうたらも『よく見てそのうち』で十分間に合う、保証する。何よりウィルス感染症の現象展開を読み取れる正確な公式データが、公共情報としてさっぱり出回らないのが気になるね。

 以上、ウィルス病原性の感染症の実情に対する私の率直な見解である。
 では次に、少なくとも喫緊の重大危機感で扱う時期など大昔に過ぎてしまったその後に、丸々1年以上も思い込み押し引きばかりやっている話に移ろう。

 結論から行く。
 『コロナ対応の名目で公共事業を無限に膨らませるための口先情報操作』が原因だ。
 高額納税を国民に要求する理由が欲しい。その発信源は立法・行政・司法に跨る自爆テロ非国民犯罪者政権である。
 だが発信源は少数派であり、その発信源に対して『我々日本国全体の損害になる悪事だから、やめておけ』ときちんと指摘しなかった大勢の日本社会の方が、圧倒的に実行犯として寄与している。
 もちろん『きちんと指摘できない背景』がまたあったりするのだが、そんな議論ばかりやっていると、お得意の『誰が悪い訳でもない』の結末に迷い込み、これだけ痛い目を見ながら、みんなして問題特定も、実効対策も、再発防止も、後悔と反省も、立ち直っての進化もできない。

 我々1億2千万人日本社会は『コロナ死ぬ死ぬ』をやっていたいのか?
 突き詰めるとそれだけであり、違うというなら違う行動を始めないと始まらない。
 その行動開始を基準にし、そこからモノを考えて言うコトを決めよう。この順番だ。

 違法行為でもなく屋外で飲食していた一般庶民が、行政指導とやらの自治体職員に向けて放った『コロナ存在証明を提示して言って来い!』の要求は正しい。あ、でもこれについては、しっかり納得できる危険性の証明がもし提示されたら、そこは素直に従いましょうね。どんな証明なのか興味あるけど。
 いま日本中で普及が急がれる行動規範の具体例のひとつだろう。
 おっと、行動規範の具体例になるぐらいだから騒いだり汚したりは一切ナシだぜ。『知らんヤツが勝手に公共の場を荒らす』なんて、『コロナ死ぬ死ぬ』の口先指導と同じぐらい社会常識としてあり得ないでしょうが。

 何しろ学校や企業といった『そこに帰属する自分自身の扱いに不利益が出そうな組織体』を狙うかのような行政操作も仄めかされているのだから、しっかりと公共情報網を活用して人権侵害を世に訴える準備はしておいていいのかも知れない。自分の身は自分で守る、防災の基本である。
 おかしな注射をそそのかされたら『我々が拒絶を躊躇せざるを得ない立場だと知って、なぜ誰も打ちたがらない妙な注射を組織的に勧めてくる?これは自由選択を装った人権侵害だぞ』と公言してやれば良いのだ。地元社会・日本社会・国際社会とスケール毎で組織の自我が味方に付くだろう。

 いま大阪がちょっと心配かなあ。せっかくここまでタイヘンさを組織に理解されつつ真面目に試行錯誤して頑張ってきたのに、こんなところで『命令』とか心の通わない態度で出ちゃったら、組織に鼻っ柱へし折られて自滅するしかない。とにかく本気で怒った組織には誰も勝てない、これが検討の原点なのだ。
 いま経済社会の現場では、『苦しくても死んでも法律だから守れ』ではなくて、『守れない法律が悪いと認めて、苦しくなくて死にもしない法律以外の解を探そう』という現実直視のクライシス・コミュニケーションが必要な局面になっている【909】【910】
 頑として言い張れば『それでしょうがない』と追究を放棄して流して済ましてしまってきた社会が、遂に人々の死活問題となって行き詰っている現場事情を理解せねば成立解には行きつかない。

 強く優良な生命力は、たくさん学んで確信したり、強く志して発言したりする。これって確かに正しく望ましい生命活動ではあるのだが、それらに呼応して現実に物事が起こるか起こらないかは、誰の意志でも見解でもなく『道理としての自然な流れ』に沿うかどうかで決まる。日本列島の森羅万象は見えて転がる現実の連続なのであり、決めて望んだ予定の実現ではない。
 我々は何を根拠に現状をどうだと認識し、どんな行動で受け止める判断をいま下しているのだろうか?
 日本社会を生きる自分に、いや自分が生きる日本社会に、十分な勝率は見えていますか?では引き続き、御幸運を!
nice!(9)  コメント(0)