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【1020】オトナには白紙で読めない日本史ラストページ [ビジネス]

 明けましておめでとうございます。2022年もよろしくお願い申し上げます。
 前回、年末のシメにNHK朝ドラで扱われている時代の昔話をした訳だけれど、そういえば特に父方の祖父からよく聞かされたエピソードがあって、それがイマイチ他でウラが取れないまま今に到っているので正月一番のネタにしておく。

 年齢の定義だ。時代としては1800年代まで遡る。
 いま現在もう百歳を越え長寿記録が視野に入ってくるような人々には、意外としょっちゅう自分の年齢を正確に認識していないケースが見受けられる。…え?自分のトシがはっきりしないって?
 いや、御年齢が御年齢なだけに、そろそろ人間としての記憶機能が…というハナシではない。だが、せめてもの少なくともで、とりあえず本人個人的には『自分は何月何日に生まれた、よって何歳だ』という揺るぎない記憶情報ファイルがあって普通だと思うのが、まあ今日の日本国に暮らす日本人の一般常識というものだろう。
 結論から行くと違っていて、以下2項目の規則で年齢が定まったのだという。

1.赤ん坊はおぎゃあと生まれたら、その瞬間『そいつは1歳だ』と決める。
 1月2日生まれも12月30日生まれも、大晦日時点で同い年『1歳』だ。
2.世の全員が、正月を迎えた時点で一斉に年齢をひとつ加算する。
 上記のほぼ1年近い人生経歴差のふたりは、揃って『2歳』となる。

 『み~んな正月が来たら一緒にひとつ年とるんだよ。昔は簡単で良かった』
 いや、おい、それ簡単だとか、まあ確かに簡単は認めるがその簡易性のメリットを喜ぶとか、そういうハナシか?…と、まだ社会組織について深く考えなかった年齢の頃には、かなり面喰らったものである。

 もう我々昭和40年代の高度成長期世代で既に『明治』とは、『明治維新』という小中学校で習うキーワードひとつでイメージが代表されてしまっており、要はこれ以前が和服にちょんまげ頭のサムライ社会であり、ビフォー科学文明の時代劇生活だった…あたりが月並なところであろう。
 自分らがいま暮らすリアルタイムの現代社会と等価な位置付けで、当時の日本人に当時の明治時代があったはずだが、早いハナシそこに巡らす想像力や思考力が、不自然かつ不連続に、そして実は意図的に操作された結果としてカラッポなのである。
 子供時代の私と一緒の昭和時代を、共に会話して、蚊帳吊って火鉢にあたってメシ喰って、『カムカムエブリバディ』の下町みたいな木造家屋で普通の日常光景として暮らしていたものだが、我々のジジババって現役でその明治を生きていたんだよなあ。

 まあ時代のナニに焦点をあてるかでいろんな見方はできるのだが、『人生五十年』というコトバが常識だった時代であり、どこの家庭も子供の数は7~8人あるいはそれ以上、だが世間標準モデルとしてコドモと呼ばれる年齢のうちに2~3割は死んで成人できずにいなくなり、更に成人しても30代で命を落とす人も多かったようだ。結核も赤痢もガチ致死性の怖い病気であった。そして私はもう、死んでいる。
 弱肉強食の大自然の渦中でもなく、人間社会として当時の先進文明に守られた空間であっても、家族・親族がかなりの減率で淘汰されるのが普通だったため、それを補ってなお余る多産戦略で血筋を繋ごうとする人生観が普及していたのだろう。
 どこんちも、子供をいちいち個別管理なんかやってらんなかったんだろうな。
 そんな庶民文化で日々まわる生活現場に人々が生きていて、学校その他、社会での人間の扱いを年齢別に何か決めようとすると、社会運用側の都合として、社会全体が一律に動く節目をもって、人間の年齢値の進み方を定義するのが正確で便利だとする考え方は自然なものだと思う。だから年内どこで生まれてもノーカウント、正月で一斉加算。

 以上、恐らく祖父の昔話は現存した事実なのだろうと私は推察している。
 個々人の誕生日をわざわざに特定する目的意識が無かった、そんな社会全体の慣習の空気に身を任せて暮らしてたら、百いくつにもなりゃ自分の誕生日や実年齢が不明確にもなるってもんだ。

 一応、ここまで私自身の結論は出ているのだけれど、この『正月一斉の年齢加算システム』については、他であんまり同じ話を聞いた記憶が無い。もっと複数筋から耳に入ってきて良さそうなのに何故なんだろう…と長らく不思議に思っており、この度ここに紹介しておくことにしました。
 表計算ソフトはおろか、もちろんワープロも、いや必要事項記載の定型フォーム用紙すらなかった時代、家族内も役所も、徹底的に管理業務を簡略化しヒト・モノ・カネをかけないよう工夫を尽くしたらこうなったのか。シンプルゆえ間違いも起きにくいし、コレで割り切ると決めて割り切れるんなら、とても効率的な決定フローではある。

 私の母方の祖父が明治32(1899)年生まれで、でも黒船ペリーが下田に乗り込んできたのが、その僅か半世紀ほど前の1853年とかそんなもんでしょ?
 直近の百数十年の日本史というのは、現代日本社会が今こんなことになるまでの経緯を肌感覚で語る実効力高い貴重な資料なのだ。時々言われるが、あらゆる歴史学習のうちで、最も深く丁寧に掘り下げ、学校教育でも時間をかけて子供たちに解説すべき領域だとして過言ではない。

 このあたり、我々世代は…というか、昭和20(1945)年以降=戦後生まれの世代は総じて、授業記憶の完全空白地帯となっている者がほとんどのはずである。小学校社会科、中高の日本史において、現代日本社会の構築過程が見えて、解って、考えたくなるような内容がすっぽりと抜け落ちているのだ。
 まあ歴史年表に沿って史実を追って来て、必然的に最後に迎える順番にはなる訳で、授業スケジュールの消化ペースを誤ると、やり残しの自習で終わってしまい兼ねない巻末ではあるんだよな。だがそれにしても、日本の子供たちは共通して、現在への直近日本史の勉強が疎かなのだ。
 これにはまた『社会的影響の強い史実を自分都合で次世代に刷り込みたい』というくっだらないオトナの理由で、全国的にこの授業内容がわざと未実施スルーされがちだった経緯があるのだが、お正月なので、そのへん改めての機会に先送りしましょうかね。

 日本列島は、元が『海と山、水と土の、豊かな島』なのだから、そこで日本人が自然な気持ちで納得して満足のいく一生を送るために、みんなでどう協力していけばいいのかをみんなで考え、みんなで理解し合って、みんなで分担して行動する。先進技術なんか無い自然豊かで朴訥な島国は、この戦略思考の現実解を求めてもがき続けてきた。

 今年、若い人たちは学校教育のこの空白をちゃんと埋めていってみないか?
 …と、それっぽくシメて、引き続きの御愛顧をお願いしつつ今年もグッドラック!
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(。・_・。)2k

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します

by (。・_・。)2k (2022-01-02 22:28) 

ネオ・アッキー

明けましておめでとうございます。
佳いお正月をお迎えのことと思います。
本年も、何卒よろしくお願い致します。
by ネオ・アッキー (2022-01-03 07:18) 

にすけん

 (。・_・。)2kさま、ネオ・アッキーさま、いらっしゃいませ。
 御丁寧に新年の御来訪をいただきまして恐縮です。

 こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本年も引き続き御愛顧くださいませ。
 当方も毎度楽しみに覗かせていただいております(^^)

 早々の御挨拶どうもありがとうございました♪
by にすけん (2022-01-06 21:17) 

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