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【1201】五十音順の幸福とアルファベット順の未来展望 [ビジネス]

 ありゃりゃマンちゃん気が合うね。言った先から図鑑に新種発見を追加しちゃって。
 実はやり直し工程って、一度は見て知った通り道に『どこをアップグレードしてやろうか』『前とおんなじでたまるか』という執念めいた娯楽要素が常に背景として存在するため、一度目の落胆の瞬間に直感するほど賽の河原的な徒労感は無い。決めた目標は、やり始めたら結局は楽しくて面白い。

 理学博士号授与の記念壇上から放った『植物は、面白い!』の一言が痛快である。

 私は小学生の頃プラモデルが好きで、乗用車から航空機から艦船から陸海空ミリタリーからよく組み立てたものだが【209】、結構な回数でふたつ同じものを買っている。
 ある時は初めてのスプレー塗装で大失敗したり、またある時は完成させたのに近所の野放し放置幼児に自宅侵入されて壊されてしまったり、状況はいろいろである。当時はどこのおうちにも施錠する習慣が無かったですからね【1032】
 いずれにしても、こういう失敗なり災害なりで初期成果が失われた時、私の両親は快く再挑戦の資金を出してくれた。私が熟考して取り組みを決めて買ってきたものだから、その納得いく完遂を最優先してやろうとする気持ちがあったのだろう。
 私のその後の人生展開を見るに、これはタイヘンに有難い配慮であった。

 二度目はどこが難しいのか、組立説明書のままにやっては後でイマイチ感が出てしまうのか、全て実作業を通して解っている。二度目は仮組みして手を入れてから本組みするとか、せっかくの二度目だから初回は素通ししたところをもっと緻密にやってみようとか、初回ぶんの部品を流用して新しい改造を加えてみようだとか、その充実度は初回を大きく上回ることの方が断然多い。

 私の場合、どこかのコンテストに出品するようなレベルには到底届かず、数年後に超絶音楽バカにフェーズ移行するや執着心も失い、作品をちょっと年下の親戚の子にやってしまうなどの『処分』で苦労はしなかったのだけれど、思わず溜息の洩れるような芸術作品を仕立ててしまう超一流モデラーの皆さんって、完成品のその後の維持管理をどうしておられるのだろうか?
 どんなに温湿度条件を整えて暗所に保管しても、経時劣化による傷みは宿命的に進行するものだし、どんなややこしい箇所がどう傷むかは補修の都合なんぞ考えてくれるはずもない。傷んでなくても死ぬほどデリケートで、傷んでしまうと本来的機能が激しく損なわれる。これはキツいぞ。
 自分の手じゃ絶対に葬れないし、私は早々に音楽バカに転身しといて助かったよ。

 それにしてもマンちゃんの図鑑収録数、3250種もあるのかあ。ここはようやく1200回いったばかりだからこの3倍ネタ数があって、全部に思い付きの漫談でもない正式な学術解説が付いてるということか。凄いな。
 まあ私の頭の中の『面白いコト』はまだまだ無尽蔵にあるから、最終的にネタ数で負ける気はしないのだが、内容のロクでもなさが致命的である。さらにこんなものでもやり方をそろそろ工夫しないと、ドキュメント化を壮大に積み残したまま私自身の製品耐用期間が先に来てしまうのは確実だ。どうする?

 劇中でマンちゃんが『誰にでも手に取って欲しい。学名だけではなく和名でも引けるようにしたい』と言っていた。現代で言う『検索機能』の汎用性高い造り込みを、どう紙面構成・綴り込み構成で実現するかの思考検討である。
 偉いなあ。私が無計画にだらだら書き散らしてきたここなんかどうすんだよ。

 恐らく最初はガラケー内臓の連絡先データベースの普及あたりが発端だと思うのだが、検索窓に音読文字をテキスティングしていけば即座に結果出力が返ってくる時代が到来して、程なく『今の若い人は辞書が引けない』という社会現象が語られるようになった。
 日本語だと『あいうえお』の行順と『あかさたな』の段順が頭の中でマトリクスで組めておらず、目指す単語をお題に置き、最初に辞書のそれっぽいところを開いて出て目に付いた単語と比較して、それらふたつの単語の相対位置が、瞬時に反射神経でとらえられないというのだ。

 いっぽうの英語はアルファベット26文字だから多少は簡単かと思いきや、そもそもから『エービーシーの歌』があやふやで、アタマのA・B・C・D・Eとお尻のX・Y・Zぐらいなら何とかなるが、その間に広く分布するふたつのアルファベットの相対位置関係はもうお手上げ。
 どうやら仮名もアルファベットも、文字列を一定の規律体系に則した空間位置として意識する能力が失われているらしい。私は今も百科事典は大好きだし、確かに頻度が落ちたとはいえ辞書も引くが、標的探索の瞬発力が落ちたとは微塵も感じない。
 今どき無用の長物的に見えるのかも知れないが、この能力は結構思わぬところで役に立っているような気がして仕方ない。子供たち若者たち、古い辞書が手近にあるなら、ただのゲームで構わないので早引き競争などやっておくと悪いことは無いように思うぞ。きちんと根拠を示せなくてスマンけど。

 現代の子供たち若者たちは、いわゆる『デジタルネイティブ』という世代であり、我々昭和世代とは原理レベルで異なる情報インフラ環境で生まれ育ってきた。
 ちょっと前なら『パソコンに没頭してばかりではいけない』、最近なら『スマホにかまけてばかりではいけない』などの言論が、まだ昭和世代の世論が過半数を占めていた日本社会の、若者批判を象徴する大局的姿勢として飛び交っていたものだ。
 過去にここで何度も述べている通りこの私自身も、心構えのない無防備のまま次々と情報だけ溢れてくるスマホに身を任せるというか、アタマを預けるのは大反対である。
 だが反面、もう昭和世代には見ようと努力しても永遠に見えない、子供たち若者たちのデジタルネイティブ精神構造で社会規律を成立させて動く情報空間があって、若い人たちはそこでその年齢の人生を生きているのも事実だ。物理法則も、流通言語も、喜怒哀楽や快・不快の基準さえ理解を超えた別体系なんだよ。

 『若者はいつの時代でも否定されるものだ』などと物知り顔を決め込むヤツに限って、この世代を分けた『精神構造・情報社会の次元違い』のところを思考停止のブラックボックスにしたまま、ケチな経験則に仕立ててしまっている。こういうのが若者に腹を割ってもらっているところを見たことが無い。

 また『国際的な競争力を身に付ける』だとか『最新の時代に適応する能力を身に付ける』だとか、これまた具体的な課題項目がさっぱり見えないクチだけスローガンを掲げて、初等教育のうちからわざわざに高度通信機器を持たせたがるバカな大人が多すぎると思う。
 そりゃ子供の年齢で最先端新技術のトップクラス級の思考をするようなジーニアス人材の輩出は、可能性として全く無いハナシではないけれど、ガッコに通信ツールばら撒いてそんな稀有な成果の刈り取りが期待できるものでもない。
 むしろバラマキ通信ツールを巡ってのくだらない利権商売を発生源から根絶する意味で、小中学校はリア充アナログ世界で心身を鍛えるのが最優先だ。

 最近あちこちで気になるのが、子供連れのお母さんが子供の顔を母親として見ずに、スマホに熱中している姿である。やれ虐待だ育児放棄だと判りやすく見えて指差して人を呼べる現象については、目を吊り上げてアラ探しめいた指摘ばかりする癖に、それこそ子供でも判るあからさまな親としての我が子への関心の放棄が、社会問題として扱われず看過されている風潮には少し恐怖感さえ覚える。
 デジタルネイティブ時代の人材育成・能力開発が、ヒト以外の情報体との交信を絡めたものになるのは必然だし宿命だが、それがヒト対ヒトの素直な意思疎通を阻害して、ヒト対ヒトの好意的・建設的な共生空間の幸福を損なうことがないように、慎重に目を光らせ適宜に周知を図る必要があると思う。

 今季NHK朝ドラ『らんまん』は、マンちゃん発の幸福の連鎖を描いたドラマであった。いつも自分で幸福を組んで放って連鎖させていけば『やりたいこと』が枯渇することなどない。
 若者たち、今のそのデジタルライフで『恒星のような人物』になれるだろうか?
 デジタル機器と態度を決めて向き合うのは自分だ。よく考えて、グッドラック!
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【1200】電源切れない画像とフォントの精神安定効能 [ビジネス]

 いよいよ今季NHK朝ドラ『らんまん』が最終週を迎えるので、駆け込み回を。
 なし崩しに賃貸住宅・十徳長屋なんだか槇野製版印刷所なんだかよく判らなくなっていた長屋跡地も被災し、どうやら猛火にも巻かれたと見受ける。

 気にする人が普段からどのくらいいるのか知らないが、関東一円にはあちこち関東大震災の被災記録を後世に残す記念碑が建てられているのだ。
 暴れ川の河岸段丘や海に面した傾斜地なんかには、よく水害の到達水位の備忘録=その後の地域開発への申し送りとしての石碑が建てられていて、その実用に即した連絡事項ゆえ比較的ポピュラーに気にされていると思う。
 いっぽう地震の被害となると、少なくとも私は『地震が来たら避けようがない』とする直感から、ただ被災事実の記録を残し犠牲者の無念を鎮めるための目的意識を連想してしまう。特段の歴史探訪や祈禱文化の研究でもなければ、普通なかなか関心が向かないのではなかろうか。
 まあ家屋倒壊の被害度分布の記録から地盤の堅牢vs軟弱を気にする意識はあったにしても、次の大震災を想定して居住可能区画を限定するような地域復興には繋がらなかったんじゃないすかね。

 だとすると、自治体がわざわざに地元密着型の公共事業として震災の記念碑を建てたとは思えず、時代からして石造りの商売で暮らしてた連中はどこの町村にも一定数いたろうから、そいつらが地域住民の支援を受けて建てた可能性が考えられる。地元の民間事業であるところがポイントだ。
 実際、綺麗な形に切り出して丁寧に仕上げ、立派な台座の上に威風堂々建てた石碑…ではなく、ほとんど原材料のままの岩片や石板に、最小限に加工して文字が彫られているタイプが目立つような気がする。

 『関東大震災』というとまず東京都心部、あと思い出せば鎌倉とかの辺りも被災のエピソードはよく聞く気がするなあといった感じなのだが、鎌倉から西へ20キロほど行くと相模川河口の茅ヶ崎や平塚がまずあって、そこから相模川を北に20キロほど遡上したあたり、厚木の川沿いにも『ここが関東で最も被害が深刻だった』とする石碑が複数建っているのだ。
 私が時折訪れていたのは、もう現在は新東名の厚木インターチェンジができている間際の子易神社だが、地図で確認する限り近くのどの石碑も撤去されたりせず、昔のまま保存されているようだ。まあ現代の国策級の交通網整備工事だとはいえ、ゆめゆめ手を付けちゃいけないと思うね。

 週な週な単車で関東じゅう気紛れに走り回っては缶コーヒー片手の休憩で寺社散策していて最初みつけた時、こんな場所でMAX被害を語る記念碑が建っていることに驚いた。だが震度や被害の程度について測定技術も評価尺度も無かった時代、当該地域の住民の共通認識をありのまま記した結果なんだろうな、とも考え直した。

 いやしかし、もう大正だよ? 爺さん婆さんの現役時代だよ…?

 そう短絡的に自分らの心象を貴重な石碑に彫り込むような、原始感情的な精神文化だったとも思えないし、現代の技術で推定する関東大震災の震度分布図と見比べて喰い違うものでもない。やはり石碑というメディアで記録を残すからには、日本社会のサイエンス知見として正確な内容になっている。と、言うことは。

 恐らくは生身の人間たちが徒歩で移動し行き交い、出先各地の現況を互いに目視確認し、被災者の言葉を確かめ合い、その情報ネットワークの拡がりが接点接点で表現の妥当性の調整を取り合って、関東全域で一大情報体系が形成されていたのではないか。
 情報伝達速度も容量も素朴なものだが、当時のどぶ板マスコミュニケーションの情報信頼性は、社会をあげての高い志を動機とした優秀なものだったのだ。
 現物の前を過ぎる人だけの目に触れ、立ち止まって読み込む人だけに理解され記憶されるものだけれど、後の世の最新交通インフラを支える巨大建造物をどかしてまで、長期間にわたってその場から、その通信モードで発信し続けられる理由は何なのか。
 人間社会の『情報伝達』に絡む関係者は、真剣に考えてみるべきではなかろうか。

 いま公共の交通機関で行くには不便だけでは済まなかったり、車を使うにしても駐車場がない場所も多いので、実はこんな時こそ単車の利便性の出番だったりするんだよな。もちろん御近所の迷惑にならないよう重々気を付けて、私ごときがサボってマジメにやらなかった歴史探訪を試みる、秋の少人数ツーリング企画などいかがでしょうか。
 複数目的地の間を短く刻めばインカムで無駄グチも叩かず運転に集中できるし、動画撮影やナレーションがしたければ目的地で地に足を着けて存分にやればよい。
 予想外の視聴者層が関心持つかも知れないぜ。バカ高のガソリン使うんなら、コスパ高いSNS娯楽チャレンジにでもしないともったいない。

 完成目前まで来ていた『全日本植物大図鑑(仮題)』の到達点をほぼ御破算にされたマンちゃん、そこからまた地道にやり直し始める理由として『伝えたいから』とおスエ夫人に答えている。
 標本採集に始まり、観察・分析を経て精緻な植物画と掲載文を書き上げ、印刷と製本の量産作業に乗せて、社会に暮らす全ての人々に情報提供する…という膨大な工程の全ての現場・現実にみっちり関わり、自分の納得いく品質を保証し、図鑑として社会に発信する紙面情報の質を確保している。
 なるほど一言にまとめれば『伝えたいから』ってことになるんだろうな。結局は全部やりたかったんだろうし、全部好きだからだったんだろうけど。

 会心の成果が崩壊して二度目の道を進む時には、初回の模索に費やした時間が節約されると共に、二回目ならではの改善点が意のままに折り込めるため、良質の成果が思わぬ高効率で達成できる。実は製品開発の過程ではしょっちゅう…というか基本コレで物事が進んでいく。
 夢に見る最終目標が以前も今も変わらないなら、失われた初回の成果に落胆して暗い時間に浸るよりは、ゼロ起動するより遥かに信頼性高い土台を得て省力・省工数で、初回には考えつかなかったグレードアップまで加味して先を目指す『再チャレンジ』が賢くて楽しくて勝率高い選択だと思う。
 後々になって『いや~あそこで一回リセットしてなかったら…』などと回想するケースは案外と多いのだ。私なんぞそのベタな見本もいいところであり、危うく故障したヤク中基準の健康意識で勘違いしたまま、あれからこれから将来構想に向けて突っ走ってしまっていたところであった。命拾いである。

 もっとも諦めて済むものなら、こだわらずに諦められない次の目標に移行する選択肢があるのも事実だ。かのホリエモン氏は『結局はやりたいことのあるヤツが強い』と言っているがその通りで【1016】、マンちゃんの場合はそれが一生を賭けた植物学・植物図鑑の一本鎗だったということだろう。いずれにせよ、やりたいんだからしょうがない、立ち止まっている暇は無い。まだ還暦なんだし。

 前々回、脱ステ期間が人生年表を灰色で塗り潰すと表現したが、それは心身両面を完膚なきまでに叩き壊され続けて、あらゆる『やりたいこと』ができなくなってしまう、いつまで待てばできるようになるのかが見えなくなってしまうところが、その異次元級の苦難の本質だと思う。
 これから頑張る方はしっかり腹くくって絶望することのないように、現実の処置を判断していただきたい。どうか御幸運を。

 あ~いよいよ最終週かー、面白くて現代流の時代劇すっかり見慣れちゃったよ。
 古典的情報メディアを軸に、圧巻の安定を見せる人間の心理描写が秀逸だった。
 では名残惜しくも楽しみな週明け、明朝からグッドラック!
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【1199】クルマとアタマの右回り危険予知 [ビジネス]

 今日から10日間、秋の交通安全運動の期間なのだそうだ。それで思い出した。
 最近、いつの間にか交通規則が変わってるんじゃないのか?と思わず記憶を確かめたくなりそうな場面にしょっちゅう遭遇する。今回は交差点の右折信号のハナシだ。

 先に問題点を明かしておくと、右折信号がある交差点で、とにかく右折の矢印が出るまで進まないヤツが増えていると感じている。
 改めて詳細を説明するのも恥ずかしいが、右折の矢印が出る前はただの青信号なワケで、もちろん右折で進んでも何の問題も無い。
 交通量の多い交差点で対面の直進車が途切れるタイミングがなかなか巡ってこない場合など、他を止めて右折待ちの車だけが進めるように右折矢印がある。逆に、だから右折レーンが掃ける程度の点灯時間しかなくて、進める時にどんどん進んでいかないと右折レーンの最後尾にとっては迷惑だ。

 なのに、進行方向別でもないまん丸の青信号を眺めながら、右折の矢印が出るまで動かないのである。最初は急な車輌故障かと思ってしまった。
 まあ全部の交差点でそうなっている訳ではなく、いくつか特定の、右折した先の二車線がすぐ絞られて合流するような、目くばせと片手挨拶なんかでコミュニケーションしながらミラー見て方向指示器出して…と確かに難度高めのところではある。でもフツーに免許持ってていい車乗ってるんだからさあ。

 青信号は『進め』ではなく『進んでも良い』だから、なるほど右折レーンの先頭車が進みたくなければ進まないという選択肢はある。だが特段の理由も無く、進めるのにそれをしないというのは、円滑な交通の妨げというものだろう。
 まあ私から見てどうであろうが、右折レーン先頭車の本人が、交通規則の勘違いでもなく本当に進むタイミングを捕まえられないのなら、無理をして事故を起こすよりはよっぽど良いのか。

 『最近、運転ヘタクソなヤツ多いよな』で車好きの若者が友人と頷き合う会話は、二十世紀のうちに絶滅したように思う。ヘタクソの事例に遭遇する頻度が目立ってきたという段階を過ぎて、世間の運転技量の平均値が底上げならぬ底下げになり、それが一時的なものでもなくなってきてたんだろうな。
 いま思えば、自動車運転免許証が『成人社会人なら誰でも持っている身分証明書』でなくなる社会潮流が、こんなところに顕れ始めていたのかも知れない。

 昭和の時代、運転免許証更新の全体講話で聞いた話をよく憶えている。
 交差点の右折待ちで対面の直進車が途切れるのを待つ間の心得として、青信号で交差点の中央までまっすぐ進み、そのまま操舵せずに直進状態で止まること。止まったらパーキングブレーキをしっかり引くこと。
 もちろん後続車に追突された場合に、対面してくる直進車に向かって飛び出さないためである。特に都会では数多くの車がひしめき合っていた時代だから、追突で右折待ち車が対向に弾き出されて二次災害になるパターンが多かったのだろう。

 今日でも私はずっとこの『舵角ゼロで右折待ち』を守っているが、ここに対向からも右折待ちが現れてしまうと、今の時代ミニバンにしてもSUVにしても背の高い車体の車ばかりで、こういうのに立ちはだかられて目隠しされるとタイヘンに困る。
 対向車が来るかどうか見ようとすると、わざわざ右に操舵して鼻先を突き出さねばならず、それは対向車の側から見ると、自分の前方に見えている右折待ち車の陰から私が飛び出してくる位置関係になってしまう。それはあまりに恐ろしいので無理には動かず、先に上背ゆえ私の愛車のルーフ越しに視界が効くはずの、あとから来た対向右折に先に掃けてもらうしかない。ビミョーに納得いかんけど。
 急がば待とうホトトギス、お陰さまで今のところ怖い目を見た経験は無い。

 ところでこの手の交通安全講話で『対向で接近してくる二輪車の速度は読みづらい』とよく言われるが、聞く方は他の注意事項とごっちゃに混ぜて、それほど特別な重大意識もなく聞き流して終わっていることが多いと思う。
 実は個人的にはコレ、二輪も四輪もちょっとマジメに気にしておいて欲しいのだ。

 かつて小田急沿線某所に住んでいた三十路そこそこの頃、私の余暇時間は常に単車と共にあった。関東一円、本当にどこへでも走ったものだ。生きている時間全てを単車に乗っていたかった。
 夏も近づく好天のある週末ひとり富士山麓を走っていた私は、一面の花畑の中を突っ切る片側二車線の、中央分離帯のある直線道路に出くわした。見通しは抜群だし交通量は少ないし、ついつい速度が上がる。まあ高速じゃないんだし追越車線ベタの3ケタ速度は念のためやめといた方が良いのかな。

 …と、その時!
 その開けた視界の中で、中央分離帯から長尺のトレーラーがいきなり顔をのぞかせ右折してきた。対向から右折で交差する横道に出ようとしたのである。

 走行中の単車に制動をかけるのは、キホン前輪の接地点ひとつだけだ【875】
 ディスクブレーキの摩擦力でロック寸前の限界まで車輪の回転を押さえ込んだら、それ以上できることは無い。四輪と違って制動中に操舵すると転倒する宿命があるので、眼前を大きく横切るトレーラーまでの距離で止まれるor止まれないの二択となる。

 いや~、そりゃもう心臓が縮みあがって全身の血が逆流しましたわい。
 どうにか間に合って止まってくれたので、私は今もこうして生きている。

 明らかに速度超過していた私が悪いのだけれど、それにしてもあれだけ飛ばしていた私を対向直進に見ておいて、果たして右折を開始しようと思うものなのか。この時はちょっと不思議な感じがした。
 だが後日に単車仲間にこの話をしたところ『あるある』もいいところで、中には私と同じ行き合わせで、強烈な減速Gでつんのめって後輪が浮き上がる『ジャックナイフ』までいった体験談も出てきた。やっぱり軒並ちびりそうになっている。

 ド派手でぺったんこのスーパーカーが官能の排気音ミュージックでも奏でているんなら遠方からでも判りやすいが、一目瞭然のアピールポイントも無いただの単車だと、大型トラックのみならず対向車に正しく接近速度を読んでもらえないのだ。
 どんなに見通しが効いて飛ばせる環境でも、他からの目に誤解されて映ると危険が転がり出てきそうな道なら、常識的=相手の頭の中にある速度に合わせておいた方が身のためである。
 私は事故になるより先にこの勢いで実地体験できて助かったのだが、のちに路上でこの自覚が無い二輪車を見かけると横からでも割と見破れるようになった。お~い二輪は楽しいけど、ぶつかったら肉弾戦だよ~人目映り気にしてお大事にね~

 今日ちょっと愛車で出掛けた時に右折待ちで気になったので書いてみました。
 速やか安全に交通を流して、これからも御無事の車輌運行でグッドラック!
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【1198】十二支対戦ゲームの双六武勇伝 [ビジネス]

 週明けのNHK朝ドラ『らんまん』は関東大震災【660】、そうか確かにそうなるな。
 映画『風立ちぬ』の劇中にも描かれているし、私の祖父は実際に被災して大八車を曳いて逃げている。うむう、これらの出来事が同時進行していた、という事実が現存しているのだなあ。

 ところで前回話題にした『南方熊楠問題』は今も復旧していない。
 『むなかたくまぐす』と平仮名に開いても、ブラウザーを切り換えても、デスクトップでもラップトップでも状況は変わらない。引き続きウォッチングしていこう。

 さて長いこと放ったらかしになっていた脱ステ経過の体調の話題である。
 今年の年末で満11年を迎えることになるのだが、これまでの進行速度から推し量るに『何もかも完全ピッカピカのすっかり元通り』の達成は、このあと予想外の残症状が無かったとして早くて一声12年じゃないすかね。
 …干支ひとまわりかあ。私が断薬に踏み切ったのは2012年12月初めだから、最初のひと月で『辰』の総攻撃に晒され、程なく2013年の干支『巳』つまりヘビと死闘が始まったワケだ。今でも思い出して気が遠くなりそうだよ。
 翌年はウマに蹴飛ばされ、その翌年はヒツジ…とはどう対戦するんだっけ、まあいいや。何かこういう双六式にイメージできる尺度があると、いま格闘中の方もこれから取り組む方もやりやすいと思う。

 昭和のオッサンの私なんかより早くアガれるよう頑張れるところを頑張って、繰り上げゴールができたら大儲けの祝杯、といった作戦意識でいかがでしょうか。
 超・長期戦だが薬物依存の実態だ。観念しよう。

 最近ちょっと忙しいのと、遅々としてではあるが体調が確実に改善して気分的に『それしかできない』シチュエーションが減ったのと両方だと思うが、このところネットで他の方の脱ステ体験談をあまり読んでいない。
 私みたいに思いつきで散文に備忘メモを混ぜ込むスタイルではなく、きちんと写真まで載せて経過を記録していくものが多いが、少なくとも私が見始めて、完全離脱まで成功した事例はひとつも無い。
 記事更新の気力が萎えるのかステロイド処方に戻るのか、更新・継続されなくなり結末が判らないケースばかりが目に付く。たまに3年も5年も頑張って完治できず、そこで諦める決心をして離脱症状を抱えてステロイド治療に戻っていく女性もおられ、胸が締め上げられる。脱ステを妊娠・出産と重ねる訳にはいかないからな。
 私は絶対に一発必中で撃ち落として、完全離脱の宣言までやってやろうじゃないか。

 『手先足先にいつまでも症状が残る』とする解説をよく見かけるが、現在消化中の11年目は、末端と言わず深層部まで交えた全身症状が結構ハードである。
 手先足先は全部の指が関節リウマチ症状で関節痛、手指も足指も寝ていてビシバシ攣るわ、原始人風にむくんで巨大化するわで【1013】、のちにこれらがあちこち割れまくる。特に今年の2月頃は足の裏の母指球や踵が深く割れて痛くて自宅でも歩けなくなり、知らず大出血して畳に染みもいくつか作ってしまった。元気になったら裏返えそっと。

 うまく眠れないとか、アタマがとんでもない誤作動をするとか【1186】の脳神経系トラブルは相変わらず残っているが、車酔い的な不快感の雲【1115】に絡まれ覆われ、つきまとわれることはもうなくなった。
 ただ頭の中のの脳神経系症状が軽くなっていくためには、その原因を顔を貫通して外に排出しないといけないため、随分と穏やかになったとはいえ、顔を焼かれるような赤面感と不自然な発汗が襲ってくる。どこにいてもハンカチ一枚でさばき切れるところまで来ているのだけれど、そばつゆを拭いたような臭いがする。腐臭・汚臭・悪臭の類ではないし対面相手は判らないというが、女性は激しく気になるだろうな。
 ともあれ顔と身体がぱっと見いの全体的に、以前の『赤』から『白』の印象に転じたのが嬉しい。首回りに若干暗い色づきが残るがまずまずの達成感、あと全身がカイロプラクティック的に軽くなったこと!

 ところで今回の着目点は体毛である。過去にも眉の一帯に症状が出た時、眉毛が異常に伸びる話はしたと思う【605】

 昨年の春ちょっと調子が良くなった時期に『満9年半でこれだから、脱ステ期間は一声10年と宣言できるんじゃないか』と期待してしまったことがある。しかし万歳はまだだと思い留まった。
 やはり身体の色が暗かったのもあるけど、下腕の体毛がまだ最長8センチくらいあったからである。因みに、痒み痛みにのたうちまわっていた時代には最長13センチあった。まるで髪の毛だ。
 この時期、確かに髪の毛も髭も驚くほど伸びるのが速かったし、耳珠の下に生える、いわゆる『耳毛』が陰毛のように伸びた。だいぶ前に消滅したが、髭はのどぼとけにまで生えた。
 陰毛のようにと言えば、その陰毛も中央にぶら下がる真打ちを埋めるかのような長さと量でふさふさになり、胸毛も腹毛も生えた。いずれも身体の色が白くなって解消した感じである。

 体毛は明らかに体内の代謝物を排出する機能を持っている。眉毛では、ずっと赤く腫れているところの毛根から出たぶんだけ局所的に極端に伸びたりもしていたから、それが腕全体でまだ8センチもあるというのは、いっときマシだからといって残症状の原因がまだ腕の中に残っているという証左だろう。
 なるほど薬物使用歴を判定するのに体毛が検査されるワケだよ。

 果たして程なく昨夏を迎えて再び腕も身体も荒れ始め、脱ステ初期の濡れたホラーなぼろぼろ傷の様相ではないにしても、とうとう今年の明け1月2月には結構なアトピールックスに戻ることになる。大体このゴールデンウィーク一杯ぐらいまで続いて、また多少落ち着いてきてこの夏を迎えた。
 全体的に、劇症の初期に比べて始まりも終わりもはっきりしない症状が広く全体的に出る感じで、なかなか節目づけてテーマに取り上げて解説しづらいのですよ。

 今夏の始まった頃は手首・肘・膝の内側に鼠径部などあせも式に症状が出て、道を歩いていて立ち止まって人目を忍んで掻いていたりもしたのだが、ひと夏すぎてどうやらその時期も過ぎたようだ。
 そして今の下腕の体毛をつまんで計ると…最長5センチかな。
 ウチの百科事典には『手足や胴体の体毛は3センチを超えることがない』と書かれていて、私自身もまだこれが完全な元通りだとは思わないので、もうちょっと残症状あるんだろうな。そんなこと考えながら冒頭の『干支ひとまわり説』を仮組みしてみました。

 ところで最近ちょっと心配なのは、永久脱毛で医療トラブル…という記事をよく見かけることだ。永久脱毛したい人って増えてるんだろうか?
 恐らくは何年何ヶ月にもわたって毛を生やしたり伸ばしたりして、体内の健康バランスを大きなスケールで底支えする機能を失うことになる。30億年生命の進化を経てのオリジナル仕様は大事にした方が良いような気がするのだが。

 私の人生年表の相当なイチ区画をべったり灰色に塗り潰した脱ステ期間だが、引き換えにその先の真っ白な未記入領域が手に入るなら喜んで納得して収まってやる。
 まだ終わらない、長い長いと愚痴っていたら、知り合いに『これまでドタバタ忙し過ぎたから、一度ちょっと落ち着きなさいってことなんじゃないの?』と笑われたことがある。確かにこの期間が無かったら、私は一生こんな時間を持たずに全部やり散らかしで走り切って散るタイプだったかも知れない。必要な時間でした。

 いま頑張ってる方々、いずれこのぐらいにはなります。御健闘を、グッドラック!
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【1197】安上がり同伴パートナーの選定基準 [ビジネス]

 遂に朝5時台が『涼しい』ながらも、温冷感として『温+風=涼感』から『気温だけで冷の涼感』に切り換わった。そろそろ暑さ寒さも彼岸まで…ってやつかな。

 NHK朝ドラ『らんまん』が終盤を迎えて、えらく派手に展開してきた感じである。
 マンちゃんに植物新種の採集標本を送り付けてきた南方熊楠(みなかたくまぐす)、間違いなくモデルは宗像熊楠(むなかたくまぐす)で、視聴していて『うっわーここまで引張って、今そっち行く?』と声をあげてしまった。しかも南方熊楠のサイエンス雑誌ネイチャーへの投稿論文は星座ネタだって言うんだから、すげー!こりゃ面白いぞ。
 私は無学にして、宗像熊楠は民俗学のビッグネームとしての印象しか持っておらず、植物学域の功績など今まで知らなかった。『日本人の可能性の極限』という評価には深く共感する。外国語を多数習得し、当時にして大英博物館から北米からキューバから、まさに世界を股にかけて中身のぎっしり詰まった旅をした人だ。

 しかし日露戦争その他の国際的な激動の時代をここから始めて大丈夫か?
 でもマンちゃんのモデル牧野富太郎博士の生涯を超えて、マンちゃんだけストーリー都合で寿命を延ばす訳にもいかんだろうしな。日本国が死力を尽くして欧米列強に肩を並べに行った時代であり、そうしなければ日本は植民地にされ近代文明化の道を失っていた。国家の運命をかけた成長期だったのだ。
 前にも書いたが、日露戦争と相前後してライト兄弟が世界初の動力飛行つまり飛行機を成功させており、朝ドラ劇中の舞台から遠く離れた異国で、まさにあの空に飛び出す翼を人類が手に入れているという歴史年表上の位置関係である。
 私の祖父が1899(明治32)年に生まれ、二十世紀が始まる前後のことだ。今の若い人たちには肌感覚ゼロの日本史教科書の記述文面みたいなもんだろうが、私の年齢だと間接的ながら意外と現実感のある時代なのですよ。

 とにかく今月で終わるのが今のうちから名残惜しい。名残惜しいが楽しみだ。
 学者さんが主人公だけあって、いろいろと学ぶところの多い朝ドラであることよ。

 ちょっと余談をひとつ。
 『あれ、宗像熊楠ってそんなヒトだっけ?』とネット検索したら、普通に引掛かってざざっと一読できて、だから冒頭のような作文で書き始めることもできた。
 次に『南方熊楠』って劇中どんな設定で描かれてるのか登場人物プロフィールでも見れないかなと思って、それも検索してみた。
 おや、それなりに情報量あるじゃん。…と思ったら。なんだか『宗像熊楠』と同じだ。

 そして再度『宗像熊楠』を打ち込んでも、検索結果として列挙されるのはすべからく『南方熊楠』になってしまった。何度か試したがもう『宗像熊楠』の検索結果は二度と画面に出て来ない。なんで?

 いくつか『南方熊楠』の検索結果を開いてみると、そもそもは『宗像熊楠』の検索結果と記事は同じもので、その『宗像』の文字だけが全部『南方』に勝手に入れ換えられて直らなくなっている感じだ。
 因みに漫画『エースをねらえ!』の宗像コーチなど、他の宗像さんは大丈夫。
 ネット検索に介入している人工知能AIって、ナニがどんな機能で噛んできてるの?
 詳しい方おられたら御教示ください。もちろん各自観察して考えておこう。

 さて紹介しなきゃ紹介しなきゃと思いながら、いつでも出来るわいと油断していたら随分と月日が経ってしまった。実はラップトップPCを新調したのだ。
 前のASUS X200CAがヒンジ付根折損とバッテリー御臨終に見舞われ、本格的に寿命を迎える前に代替えしてデータを移行させるためである。1.1キロと軽い上にスクリーンのタッチパネルでピンチング拡大縮小が可能なので使いやすく、気に入っていつも持ち歩いてヘビーに使いまくっていたからなあ。

 昨年から使っているデスクトップ機【1107】がなかなか良い感じなので、ラップトップもiiyamaブランドで行くことにし、STYLE-15FH043-C-UCXSMという機種のOfficeインストール版を選んだ。お値段は7万円ちょっと、因みにOfficeナシだと5万円切ってたんじゃなかったっけ。
 安さの秘密はCPUがCeleronだからで、故に少なくとも現状では、上級者がお仕事で使うような動画処理などでは、ソフトや周辺機器との相性リスクが少々心配とされる。私はそんな特殊なビジュアル専門作業をやるつもりはないので、これで十分だ。
 一応お店で買ってすぐに、そっち系のヘビーユーザーの建築屋に『ねえねえ、新しいラップトップ買ったよ~』と披露したところ『むむ、これならグラボ機能のスペックは全然悪くないっちゅうか、しっかり十分以上じゃね?』とのお見立てであった。
 弱点としては1.9キロの重量であり、これだと他に荷物を提げるなど条件によっては結構キツいので、いわゆるリュック式に肩紐で背負えるソフトケースを買って持ち運ぶことにした。いわゆる百均ショップで100円じゃないが500円。

 ところで7~8年前に買ったASUS X200CAの3万5千円は望まないにしても【451】、総じてラップトップの値段相場は大幅に上がったと思う。とりあえず家電量販店の店頭展示でスペック見い見い『こんなもんかな』と見立てると、キホンふたケタ万円だ。
 ひとケタに収めようとすると急にサイズが小さくなってスペックも急落、おまけに薄い軽いを追求するのはいいけれど、LANやらUSBやらのポートが軒並みアダプター仲介だというのも趣味に合わない。

 因みに私が今般購入したiiyama STYLE-15は今の時代にして厚めだが外部接続ポートは充実しており、最近じゃHDMIに押されつつあるd-SUB接続でもプロジェクターが使える。HDMIは便利だけれどケーブル長の通信限界が低く、音声がつながらないが10メートルのケーブルでも接続が確実なd-SUBは、とりあえず備わっているだけで安心だ。
 おっと分厚くてこれだけ接続ポートも揃っているのに、内臓ディスクドライブが無いというのも弱点か。あと内臓ストレージも容量は250GBのSSDで割り切っている。まあ価格を抑えるためにはやむなしだったんだろうな。

 今どき自宅でもWi-Fi無線接続が主流になっているのかも知れないが、出先でラップトップを使い始めて、妙に動作が遅いぞと思ったら知らん間にWi-Fiがつながって、セキュリティソフトやOSのアップデートパッチが落ちてきていた…というパターンにしばしば遭遇する。
 デスクトップ機は有線接続で電源オート制御だから、私が作業していない時にアップデートを済ましておいてくれてるんだろうが、ラップトップは前に作業終了して電源を落とした時の状態そのままから、『さあ、やるか』で電源ONした瞬間にそれが始まる。
 コレやっちゃってるのに気づいたらできるだけ中断はしたくないし、最近は私も賢くなってきてそこまで計算に入れて外出先でラップトップを電源ONするようになったのはなったんだけど、正直時間がもったいなくて妙案を模索中である。
 もちろん前のASUS X200CAも同じ事情ではあったのだが、機械もOSも古すぎて意表を突くほどのアップデートには悩まされなかった。
 いや、あれも買いたての頃はちょっと気にしたような記憶があるが、過ぎたことだ。

 …とこんな滑り出しの稼働ではあるが、まずは快適にモバイル作業ができている。
 重さは予想通り、故にソフトケースの使い勝手も予想通り、結果的には悪くない。
 ラップトップPCの選定で悩んでいる方、御参考に。快適PCライフにグッドラック!
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【1196】難課題のリア充プラン思考法 [ビジネス]

 もういっちょ、NHK朝ドラのネタで始めてみるかな。
 私は1965(昭和40)年生まれだが、特に小学生の頃は親世代によく『銭(せん)』という通貨単位の思い出話をされたものだ。
 1円=100銭であり、屋台なんかの駄菓子類が5~10銭だったというから、昭和ひとケタ時代の1銭=今の20円もしくはもうちょっと、ぐらいのレートであろうか。社会情勢に応じて品目毎の物価相場も相対的に変わってくるため、現代日常の物価観で言えば…という論法は案外とムツカシかったりするのだが、とりあえずおスエ嬢が勧められた120円の渋谷一軒家はせいぜい300~上限400万円くらいのイメージなのではないだろうか。
 なるほど田舎の二階建てとしてはお手頃じゃない、少々荒れてたようだけど。

 いっぽう私の幼少時代、昭和40年代中盤において駄菓子は5~10円が相場であった。5円玉、10円玉をひとつ握って筋向い5、6軒先の駄菓子屋さんに行くという経済環境であり、20円あると結構な贅沢ができる感じで、30円以上はもう『大金』である。
 ということは日本の子供向け駄菓子の価格相場は、親世代5~10銭から私世代5~10円へ、約40年間で一声100倍になってるんだよな。これって凄いインフレだったりはしないだろうか。
 高度経済成長期の時代、都会のド真ん中でも幹線道路を離れると未舗装道路があちこち普通にあって、雨が降れば泥水を湛えた水たまりが沢山できたものである。そんなデコボコ道をえっちらおっちら走る自家用車がようやく庶民のものになり始めた時代であり、数年ぶんの年収に相当する額を注ぎ込んで、買える人たちが自家用車を買った。
 1967(昭和42)年から1970(昭和45)年まで製造・販売された超高級車『トヨタ2000GT』の価格が237万円で、当時の新卒サラリーマンの初任給が2万~2万5千円…という解説はクルマ好きにはお馴染みのことと思うが、これを基準に考えるなら初任給は昭和40年代から50年強を経て今ようやくの10倍ちょっとだから、やっぱり昭和前半の日本経済の激動代って大きかったのだと思う。

 さて昭和45年のEXPO’70から55年となる、なかなか進捗が勢い付かない2025大阪万博の現実的な落としどころを、具体的なイメージで決めにかかり始めておいた方が良いんだろうな。
 キホン見世物アイテムが入るんだし、重量級の機械設備に耐えるような堅牢なハコにはならないんだろうが、それにしてもサイズ的に小さい建物でもなかろうし特殊な専用構造にしたい部分も多いはずだから、何を建てるにしても工期として成立が危うくなってくる。…っちゅうか、もう『業界初の新構造or未来工法』みたいなのは最初から諦めるしかない。
 既にシンプルな標準構造の建屋を選んで、参加国が各々の展示内容で中を埋めていく方式が提案され、その参加形態でのエントリーを決めている国もあるようだが、まだ国際的祭典の体裁を成すには足りていないと見受ける。
 奇抜でもない普通のビルなら、なるほど最近はえらい勢いで建つんだけどねえ…

 ハコは開催国内つまり日本国内の土建屋で受注するのがタイパもコスパも最適なはずだが、これだけ資材価格の高騰と日本国内の泥沼不況が重篤化していては、『待つ』ことで条件の改善を期待することがキホンできない。まあ『待つ』選択肢も視野に入れといて悪くはないけれど、この現状負荷を狙い撃ちで変える手段を何か考え出して試しにかからないと、現状の打破はツラいと思う。
 最初からダメ元の確信犯は論外として、『どんどん可能性を列挙して大勢の反応を見ること』が大切だと思う。いっそ完全VRのみのバーチャル特化展示まで認めることにし、ハコを更に簡素・安価にして、適宜に接客案内など会場オペの現場仕事まで日本国が受注し、最新のアイディアでVRコンテンツを開催国側から最小コストで配信する…なんてのはやれないのかねえ。
 華やかだった初期計画が現実にならないのは残念だが、現実が付いてこないものは付いてこない。そこを観念して『2年後の現実』を片っ端から絵に描いて、目前の現状と見比べて相違点の処置を考えていかないと、2025年当日の文字通りの『現実解』には到達できない。

 先日、開業の1年延期が報じられたカジノIR、これは建築工期もさることながらゾウモツ設備や人員組織の準備が大変なはずだから、焦って失敗して軌道に乗り損ねるくらいなら、こっちは確実な恒久稼働をターゲットに『待つ』ほうがが得策なんだろうな。とにかくカジノの外貨獲得が動き出さなければ、今後の日本経済の自力単独での復調は絶望的である。
 『失敗せずにカジノIRを稼働定着させること』が最優先課題だ。割り切って良い。

 2025大阪万博の方にハナシを戻して、延期あるいは中止するにしても、簡素化で走り切るにしても、目的事象はコスト削減ただひとつだと思う。まずは単純に『ありもん現状』を題材に、ソリッドかつドライに最安値の現実解・実行計画案をひとつ作って、他を考えるにしてもそれを基準点にすれば思考検討が進みやすいんじゃないですかね。
 最重要ファクターに絞って、脇目も振らずにやり尽くした場合の限界値がどこにあるか知っておくのは、現実解のイメージ構築の助けとなる。

 確かパビリオン群は会期終了後は壊すことになっているとかのハナシだけど、予算の帳尻さえ合うなら壊さないor小変更を施して後々まで使える大規模コンベンションセンターとして建設し、会期中だけ参加国に店子に入ってもらうなんてのもできないのだろうか。
 今世紀の初頭から、ラスベガスは知財交流機能の強化を街づくりに採り入れており、各種の大規模な展示会や会議など盛んに開催されている。最初ちょっと意外な取り合わせの感じもしたものだが、経済的に潤っていて先進技術や治安システムにも恵まれたカジノとの相性は良いだろう。

 有明ビッグサイトも幕張メッセもパシフィコ横浜も、どお~も海近くの強風に晒される記憶が強く、もちろん大阪夢洲も吹きさらしの人工島だが、これに近い大阪ATCなど瀬戸内海の風は随分と穏やかな印象である【704】
 会議場にしても展示会にしても、書類やパンフレットの頂きモノをたわわに持つ機会が多いので、外海からの直撃の強風に叩かれないというのは大きな魅力のひとつだ。

 決して効率的とは映らない光景を前に『ルールでそうなっているから、法治国家ニッポンでは…』という論法を聞くが、まずブツと実作業で妙案が成立するなら、ルール=何だかんだでただの情報、の変更の方を柔軟にしたいところだ。
 もちろん柔軟にしたがために気軽すぎる二転三転が常態化すると困るのだが、今は文句なし十分にタイヘンな特殊事情だと思う。大人なんだから気軽に走らないよう注意すれば良い。
 本来2025大阪万博は千客万来で夢いっぱいの楽しく賑やかな祭典であることが目的だから、ここで引き合いに出したくないのだが、いま放置されている学術会議の人員数だとか、遥か以前に停止措置が発動しているはずのガソリン税など、とにかくルール不適合の事例がゲンジツとして現存するのだから、この計画逼迫の万博でそれを試さないでどうする?

 ま、言うのも書くのもカンタン、実行はタイヘン、これも現実である。
 何か発案や割り切りのアイディア素材の提供にならないかなと書いてみました。
 とにかく大阪の勢いはカジノIRに集中だ、着実な進捗でグッドラック!
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【1195】麗しき理知性の筆跡練習帳 [ビジネス]

 そうそうNHK朝ドラ『らんまん』が終わってしまわないうちに。
 劇中では盛んに英文の『筆記体』が登場する。割と最近の数年前あたりに、筆記体を学校授業の履修内容から外しちゃったんじゃなかったっけ?

 まあテキスティングが当たり前になった今日、直筆で英文の書面作成をする必要性もあんまりないだろうし…という見込みは間違っていないと思う。でも筆記体がすらすら書ける読めるってのは、な~んか知的に格調高くてカッコいいんだよな。
 いま書面に書き落としているその文字の前後のつながりを、一筆書き的な流れを持って書き進められるよう工夫された書体であり、理屈抜きにその紙面の概観が美しい。

 1965(昭和40)年生まれの私が中学英語を学び始めた1970年代後半、筆記体の習得は授業の一環として組まれていた。確かに『習い事』として仕込まれ知っておかないと、いわゆる『ブロック体』つまり活字の書体と、どれがどれだかドンピシャ整合できないような気もする。
 英語はアルファベット26文字の順列組み合わせで書き切れてしまうため、パーソナルレベルの活字化は比較的簡単で『タイプライター』なる印字機が普及していた。
 電気は不要、キーボードを叩くと機械仕掛けで凸版式の活字ハンマーが紙面に向けて振り出され、ハンマーが紙面を叩く直前にインクを染み込ませたリボンが滑り込まされて、紙面に印字される仕組みだ。
 昭和どころか、戦前どころか、二十世紀になるやならずのうちには、このハンマー式のタイプライターは実用化されていた。現物を目の当たりにすると判るが、この機構を電気仕掛け一切ナシでやれているというのは実にエコでクールだと思う。
 実は我が家にもタイプライターが1台あって、英語の勉強はもとより、洋楽のLPレコードをカセットテープに落として聞くのが一般的だった時代に、曲目リストを活字で作ってカセットケースに入れておくのに大層便利したものだ。私はこれをきっかけに手元を見ずにキーを叩くブラインドタッチを自然に身に付け、後のパソコン時代を迎えてその恩恵に大いにあやかることとなる。

 例によって横道にそれるのだが、現代のパソコンにも共通するこのキー配列は、タイプライターがまだ開発段階にあった頃の、印刷所の活字棚のレイアウトを流用したものだと言われている。
 このへん私は詳しくないのだけれど、つまり手書きの原稿を目前に用意して、その通りに碁盤の目にひとつひとつゴム印状の金属製活字スタンプを嵌めこんでいくとか、そういう作業だったんだろうな。”a”、”b”、”c”…と棚に区分けされてたくさん入っている活字スタンプの棚の区画から必要ぶんを拾ってきて文章を組み、刷ったあとはバラしてまた元通りの棚に戻す…みたいなことになるんだろうが、その棚のアルファベット配置に従ってタイプライターのキーを組んだのだという。
 “a”なんか使用頻度はメチャクチャ高く、だから左寄りの中間的な高さにあったりするのも当然で、でもタイプライターのキー配列にした時、それが左手の小指にあたる最悪の位置に相当するところまで考えてませんでした…って、改めて『ホントかよ?』とか疑っちゃうんだけど、とりあえずそういうことらしい。
 ”q”や”x”が隅っこになってるのは理に適っている気がするのだが、他がどのくらい活字棚として機能的だったのかはイマイチよく解りません。

 まあいいや、いわゆる五十音としての平仮名カタカナに加えて膨大な数の漢字を交える日本語は到底こうはいかなくて、個人文書の活字化はワープロ時代の到来を待たねばならないのだが、上記の事情によりアルファベットに関しては早々に動力源不要のピタゴラ式メカで脱・個人筆跡が進んでいた。
 いま思い返せば、我々世代が中学校でアルファベットの筆記体を教わり、試験の回答も筆記体を指定されていた当時のうちから、ネイティブの若年層は筆記体をあんまり使っていなかったように思う。どこでどう関わりを持ったのか、亡姉が中学だか高校だかの年齢で米人の同世代の女の子と文通していた時期があり、その文通相手はいわゆる『丸文字』のアルファベット版ともいうべき書式を使っていたのを憶えている。
 今の時点になって70代の世代の人が整った筆記体でサインを入れているのを見ると、『懐かし格調の筆記体の本家本元』としてビミョーに感動してしまうのだ。やっぱり理知的というか、伝統文化の教養を備えている感じがして見栄えがするよ。

 筆記体の線構成を見るに、恐らくはヒトが簡素な筆記用具を手にした時代に、速やかな流れで文字を書き落とそうとした結果の産物なのだと察する。石窟の壁面に一画ずつ刻み込む作業だとあんなになるはずがなく、鉛筆にしてもペンにしても『さらさら』と表現されるぐらいのスピードは出したい目的意識で出来上がってきたものと思われる。
 あと、もしかしたら一旦筆先を紙面に付けたら、可能な限り離さずに滑らせ続けたかったのかなあ。

 ブロック体にしても筆記体にしても、英語にしても日本語にしても、文字を手書きするにあたっては反射動作として情報処理がなされているのだそうだ。つまり『あ』と書き始める時『左上らへんから横棒を引張って…』のような、エレメント毎の作画手順をいちいち段階的に意識していないということになる。
 文字表現まで含んだ言語情報というものは、つまるところ人類文明としての記号体系であり、何らかの現実事象をイメージしつつそれに呼応した単語・文字を、アタマを使わず考えずに、脊椎かどうかは知らんが反射動作としてツーカー出力するワケだ。

 だとすると、何となくだがブロック体で書くより筆記体で書く方が、一本なめらかにつながった流れのある思考展開で流麗に作文できそうに思うのだが、いかがだろうか。
 印刷の概念が無かった時代、文字がまだパーソナルな記録や通信の使い道に限られていた時代、文字を書く本人のタイパ意識が筆記体を開発した。
 のちに印刷など記録メディア・通信メディアが急発達してくると、フォントひとつひとつを任意に組み合わせて作文し、目的を果たしたらまた分解して組み直して他の作文に再利用するシチュエーションが激増。さらに個人間でやりとりする手紙さえも、スマホなど最新式通信機器の普及でテキスティングに圧倒されて今のようなことになっている。そういうことなんじゃないかなあ。

 遂には『あ』とテキスティングしただけで、ずらりと選択肢に並ぶ『あ』で始まる単語群から適したものを選ぶ…という筆記とは異質の作業にまで変遷しており、私はこの機能は使わないが、これこそ現代流タイパ意識の産物なのだろう。
 ちょっと問題だなあと感じるのは、『あ』で始まる単語群のうち採用する単語はたったひとつであり、結果として残る選択肢は全て無駄になるのだから、現代流のタイパ作文はどえらく歩留まりが悪いという事実である。
 もちろん全部電気喰ってやってることだから、もしこのプロセスを画期的に異なる方式にして不採用ぶんのフードロスならぬワードロス?をなくせば、あなたにのしかかる通信費はいくつぶんのイチになるだろうか。

 若い人たちには、画像やテキスティングに身を任せて検索と受け身でスマホにかまけるばかりではなくて、画像やテキスティングなる情報伝達ツールに対して、好奇心と興味を向け『観察眼』の姿勢で接していただきたい。
 『らんまん』のおスエ嬢、田んぼと畑しかない渋谷をビジネス視点で『観察』にかかるようだ。NHK朝ドラ、終盤までダレずにシッポまでアンコ詰まってるなあ。
 簡単に身に付くし、筆記体を覚えといたら?良いコトあるかも、グッドラック!
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【1194】魔法のコトバが開く精神文化の内覧ゲート [ビジネス]

 9月になった。NHK朝ドラ『らんまん』は今月いっぱいだっけ。
 いろいろと見どころはあったが、学問に向かうにあたっての取り組み姿勢が、きっちりとその目的意識でテーマとして描かれているのはポイント高い。

 ひと昔前は、誰と誰がくっついただの別れただの、誰と誰の立場間の確執でどっちが勝ち上がっただの蹴落とされただの『定番の山谷イベント』のつなぎとして、『そこで主人公は一念発起して猛勉強し、その道の第一人者となりました』ぐらいの扱いが多かったんじゃないですかね。
 特に高度経済成長期の頃なんかは、労働にしても勉学にしても歯を食いしばり身を擦り減らし、誰に頼まれなくとも際限なく突き詰めるのが常識だったから、たまの余暇時間に観るドラマにまでわざわざマジメ領域の正論を語る精神文化はあんまりなかったように思う。
 むしろお行儀よく学校組織なんかに噛み合って着実に賢くなっていくという当たり前の展開は、社会常識として君臨している権力への隷従として、不当に否定視されていたものだ。優等生がフヌケかいけすかないヤツの役回り、そして『うわ、マジメ~』がけなし言葉だった時代である。歪んでたなあ。

 とにかく、マンちゃんが台湾のフィールド調査に先立って、準備として現地の言葉を十分に習得するべきだと調査計画隊と交渉していたのは正攻法であり正解だ。
 やっぱり人間が二人いて『二人の人間として関わり合う』には、相応のコミュニケーションが成立していなければならない。裏返せば、そこで交わせるコミュニケーションの精度と情報量で、二人が過ごす時間の質が決まる。

 例えば私がシルクロード単独踏破を思い立って実行したとして、道中いろんな人々と出会うだろうし、怖い目や嫌な目も見るんだろうが、普通に親切にしてくれる人もきっと多い。通じない言葉を身振り手振りで埋め合わせながら、一生の想い出に残るような素敵な交流もたくさん体験できる。
 だがそれはそれ、コトバ通じぬもヒトとヒトの共感や好意を確かめ合うには、片言レベルの意思疎通で何とかなるというハナシであり、シルクロード上の土着の精神文化にまで好奇心の底引き網を拡げながら、そこに育まれた日常生活のありのままを正確に観察するのなら、全くのチカラ不足だ。
 少なくとも初対面で現地ネイティブに『あ、コイツ世間話が交わせる』と思ってもらえるぐらいになっておかないと、まず会話そのものが、そして一緒に過ごす全てのシーンが、当地の日常生活から隔離された『異文化との特別な接点』になってしまう。

 だから忘れないうちに先に言っておくが、ベタにもベタだけれど、一応できるとこ頑張れるとこまでで結構なので、英語は身に付ける努力をしておいて損は無い。きっとどこかで、やらないよりはやっていて良かったと達成感に浸れる時が来る。
 よく言われる通り上手い下手は関係なく、きちんと諦めずコミュニケーションを試みる姿勢こそが礼儀である。お互いが相手の意思を好意的に酌み合いながらのなりゆき出来高で、毎回何かひとつ良い結果を出しつつ上達していくことができるはずだ。

 ここで盛んに紹介している北米見聞録のネタだけれど、コレ以前に書いたかどうか忘れちゃったよ、私が三十路過ぎで初めて北米に渡った時には、私が単独で各地に飛んで空港で初対面の現地スタッフと見つけ合って落ち合い、そこから協力体制を立ち上げて当該地域の仕事を喰っていくという業態であった。
 実は当時の職場慣習に従い、日本人がもう一人くっついてくる計画になっていたのだが、コイツが英語力ゼロで心労に押しつぶされて使い物にならなくなっており、かたや私といえば『まあ野放しで生きてけるんじゃね?』ってことで、会社としては経費半分で済むしちょうどいいや!とオチが着いた。大らかな時代である。

 結果としてこの処置判断は大成功だった。多少はマシな英会話が私に幸運を呼んだ。
 私にとって、技術的に特段優秀でもない、何より英会話のできない足手纏いがぶら下がっていては、そいつを置いてきぼりにしないためだけの無駄なお守りに苛立つばかりだったはずだし、きっと現地側スタッフたちの『標準的な日本人対応』の枠がはずれなくて、二人揃って腹を割ってもらえなかったと思う。
 普通に言葉が通じる間柄なら時間がもったいなくて絶対やらないような初歩的な内容の発言を、えっちらおっちら言葉の壁を乗り越えながら交わして『仕事で会話をした』という成果だけを確かめ、それで退屈地獄・ムダ手間地獄の定時を消化したら、せいぜい夕食の店を紹介だけしてオシマイ。日本人出張者アテンド然とした不毛な時間は、彼等にとっても真剣に身の入るものではなかったと思われる。
 週末にわざわざ時間使って『日本人にとっての北米文化体験ツアー』に付き合わされ、日本国内じゃ一応合法的に店頭購入できない無修正VHSビデオをまとめ買いするとか、日本国内じゃもちろん撃てない拳銃をカネ払って撃たせてもらえる射撃場で発砲体験するとか、しょうもない観光ツアーでテキトーに土産を持たせるのが定番だったのだ。そのくだらないことには、徒労感を思いやるに余りある。

 逆に日常の雑談ぐらいなら常用テンポOK、アタマの中はほとんど米人になりに来たかのような日本人が単独で乗り込んできたとなると、北米スタッフの連中同士でいじりネタとして面白がってもらっていたようで、私は北米全土のあちこちで自宅に招かれ、常連で通うメシ屋や酒場に連れ出してもらい、本気の本気で『オマエこっちに越して来いよ』『ここで一緒に暮らさない?』と誘われたものである【860】
 かねてからちょくちょく五月雨式に紹介している通り、その経験はどれもこれもタイヘン面白いのだが、到底一回で消化できる分量でもないし、今回ももうここまで来ちゃってるのでいずれの機会に。

 冒頭の語学力とくに会話力の必要性の話題に戻るが、要は不自然なつっかえや誤解のもどかしさがなく、安穏気楽に十分な精度でコミュニケーションできるかどうかが、ヨソ行きでない普段着の生活文化の領域に混ぜてもらえるポイントだ。
 マンちゃんはそのゾーンの情報で調査研究結果が欲しかったんだろうな…と視聴者が理解できるようなストーリーでこの場面にまで来ているのには実に感心、いい朝ドラだと思う。
 いっぽう当時は日本が統治を進めた地域において、厳しい強制力をもって日本文化を普及させていた一面もよく描かれていて、ぶつけ方はなかなか巧かった。統治方策としての日本語が確実に機能し、大東亜共栄圏の近代化と生産力向上を底支えしたのは事実である。

 どこの国のどんな文化圏の言語でコミュニケーションするにしても、まずお互いの言いたいコト聞きたいコトがあって、それらに対して素直で自然な表現が選ばれて交換されなければ意味は無い。
 誰もが『これってどういうイミ?』と興味を持ちつつ言語を学ぶ時、そのコトバが発せられる元となった心情を正確に知りたいと自然に思うだろう。
 『あーそういうコトね、な~るほど!』と腑に落ちた瞬間、その場面で自分が言語以外に感じ取っていたリアルタイムの五感検知と、ぴたり一致しているはずである。それが言語の機能要件なのだ。
 言語は非常に高度化された便利なコミュニケーションツールだが、文法や発音だけ整っていてもダメで、きちんと『意味を持たせる』目的で扱われなければ機能しない。

 ちょっと前まで『霞が関文学』などと茶化して自虐ネタにして諦めていた、日本国政の日本語コミュニケーション障害は、まだそれなりの勢いで横行・通用しているのだろうか。年々その世界に興味と好奇心をもって踏み込む若者が減少しているというし、一刻も早く絶滅して欲しいものだけれど。

 知りたい対象を大切に活かすなら、コミュニケーション回路の充実と整備が必要だ。
 具体的な対象を絞れなかったら、いいからまず英語。マイペースでグッドラック!
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