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【1249】黙々と足場を積むムッツリ地味系の高所眺望ビュー [ビジネス]

 あらあ~残念、和歌山県串本から民間企業のロケット打ち上げ、脆くも失敗した。
 先っぽに乗せてたモンが乗せてたモンだし、JAXAが失敗したワケじゃないなんてのは言い訳にならない。ニッポン国力としての宇宙航空技術の現状がコレってことだ。
 半島の花火の方がよっぽど信頼性高かったりして。我がニッポンは、半島の花火で騒ぐ空襲警報ですら、ガセと区別をつけられない程のいい加減さで終わっている。

 次期戦闘機の輸出をどうするかだと?次期戦闘機って何だよ?
 『また』でたらめなママゴト決定権が責任者の特定も誤魔化して『誰が言うでもなく』行使されたことになるような『閣議決定』とやらの適用条件がどうたらこうたら、もう国際的な技術開発競争に取り組む、成人社会人としての真面目さが絶望的に足りていない。
 いまリージョナルジェット(地域間運用の民間機)さえ飛ばせない技術後進国ニッポンなのに、技術開発とまるで違う次元に巣食う無能どもが口走る話題ではないのだ。
 これだけ派手な失敗をみんなで共有したんだから、日本国民1億2千万人はいよいよ自分らの国家の実力と外見を、ちゃんと無色透明の平面鏡に映して直視しにかかっても良いのではないだろうか。着飾る必要は無いが、襟を正す必要は大いにある。

 いまこの場で御自身に問い質していただきたいのだ。あなたは心の底から真剣に日本製のロケットが打ちあがって、将来の大気圏外への運輸事業を国力のひとつとして確立する結末を得たい、そんな日本で将来を暮らしたいとお考えだろうか。
 それとも大きめの花火をお祭り騒ぎでみんなで見て楽しんで、レジャー気分でニッポン宇宙航空技術を褒めて遊んでめでたしめでたし、そこまでだろうか。

 長らく機を探っていた、ついでの話題をひとつ押し込んでおこう。
 ちょっと比較対象としては重たすぎる感もあるのだが、北米が多大な国力を投じた原爆の開発は、世論の強烈な批判に追い上げられる立ち位置にあった。
 ありていに言えば、高い税金を召し上げておいて『新型爆弾の開発には到らず立ち消え終了でした』で結論付けることは許されなかったのである。
 もちろん当時の北米国民の生活事情と世論動向をこの私が直接知るはずもないのだが、御存知の通り北米は自由意思と自己責任の国だ。国民ひとりひとりは契約意識をもって国家社会の一員として帰属している。
 『戦争』という国民の生命に関わる国家運営方針を選択しておいて、実際ヒトもカネも緊急を謳って召し上げておいて『いいモノできませんでした、ゴメンナサイ』で済むはずがなかったのである。

 つまり原爆の開発事業が現実に動いたその瞬間から、成果の刈り取りが必然だった。
 最近はインターネットによる情報の普及もあって随分と有名な話になっているが、広島に投下されたウラン235の『リトルボーイ』と、長崎に投下されたプルトニウム239の『ファットマン』は、核分裂に伴う放射エネルギーを破壊力とする点でこそ同じ『原子爆弾』だが、ブツとしては素材も設計も異なるものである。
 原爆投下が広島だけで済まなかった理由が、当時の日本国の粘り強い徹底抗戦にあったのか、二種類のデータ取得が費用対効果としてどうしても必要だったからなのか、私は知らない。ただ交戦状態にあり、北米にも多大なる被害を負わせていた日本国が、原爆投下の実行対象となったことに特段の不思議は感じない。

 北米は、国民の安全と利益を守る国家事業としての原爆を『成功させた』のだ。
 戦時中である限りやはり決してラクでもない米国民の暮らしから拠出させた、貴重な税金の投入成果の物証として。
 『国民の個人パワーを集約して組織力=国力に昇華する』という課題に対して、大和魂メンバーシップで戦うニッポンは、税金徴収vs社会保障ギブ・アンド・テイクの取引ジョブで戦う北米を上回れなかったのかも知れない。

 さてハナシを一転、NHK朝ドラ『ブギウギ』が終盤駆け込みエピソードの勢いで愛娘・愛子の誘拐騒動になっているが、脅迫文の投函紙面が全面印刷ってのは一体どうしたことだろうか?

 加害者がターゲットに脅迫文面を送り付けるにあたり、その筆跡からジブン個人を特定されないよう、あちこちの印刷物から活字を切り貼りして書面を作成する…という手法は、古くからよく知られている。つまりあっちからこっちから文字単位の切り抜きが一枚の紙に切り貼りされていないとおかしいはずなのだが、劇中では貼り込んで完成させたその文面を、改めて感光コピーして一面一枚の文書に仕立てたかのような造りになっている。昭和20年代ならコンビニもなければコイン稼働の乾式コピー機も存在しないし、そもそも一面一枚にする理由も無い。
 昭和世代の視聴者なら瞬発でツッコミを入れていたことだろう。こんなところに時代考証のほころびが出るほど便利な時代になったものだよ、興味深いなあ。

 因みに、娘に対する鈴子の溺愛っぷりは、私が育った昭和40年代においても一般社会から非難され見下され、疎外されるものである。どういう訳か劇中で愛子は真人間に育っているが、実際はもっともっと世間の常識観念から親子どもども爪弾きに遭い、愛子は塞ぎ込むかグレるかして学級から落伍してしまい、どっちに転んだにしても財力目当て以外の人間関係は築けないのではないかと思う。
 今般の誘拐騒ぎにしても、周囲からは『成金がとち狂った一方的な甘やかし過保護をやらかした末のバカ騒ぎ』としか評価されないはずで、だからこそ愛子が子供の立場として、手の届かない筋違いの親の擁護に際限なく反発し続ける構図にしかならないはずなのだ。昭和の子供社会で『オマエんちはカネ持ちだからな~』がけなしコトバになっていた所以の、まさに直球ストライクをいっている【636】
 昭和40年代なら、まず過干渉は大人になり切れず肝の据わらない未熟な親の定番パターンだと卑下されていて、さらにそれが金銭的な裕福ゆえのこととなると、当時どこん家も『総中流社会』どころか現状の経済状態に激しく不満な火の車が平均値だったから、そりゃ妬っかみも混じってトゲトゲしい敵意にも通じる反感を買うのが普通であり、あの頃はそれが日本社会の空気を仕切る『良識』だったのである。

 そんな世風にあって、決して人好きするタイプでもなく、現に人付き合いもヘタクソで、目立たないながらも『ジブンの世界』で質素な個人的成果を積み上げるタイプは一定数いた。賑やか華やかな印象よりも、眩しく優秀な社会評価よりも、マイペースの一発を抜群の安定感で内向きに成功させる底力のある、静かで地味~なヤツ。
 ある意味、勝った負けたやウケたウケないに浮足立たず、生存競争のバトルフィールドで持続可能な効率的ライフスタイルを貫いているヤツだと言えるのかも知れない。

 冒頭の話題に戻るが、ビジュアル的にも明らかだった昨日のロケット打ち上げ失敗は、我がニッポンの国力の実態をよく反映していた。
 次回の成功を夢見るのなら、今回いけなかった問題点をまず明確にする必要があり、当然その全てに確実に対策を打つ必要がある。
 何よりも判る範囲で構わないので1億2千万人が他人事にせず、かけたコストと工数が正確に成果につながるかどうか、各々イチ国民として真剣に関心を向けることである。

 国際競争力のある宇宙物流ビジネスは、今の日本国にどのくらい必要なのだろうか。それは採算性に優れた儲け商売で、安定したいい稼ぎになるのだろうか。
 この大気圏外物流を運営するのも、直近の将来が不安視される国内トラック物流を運営するのも、おんなじ日本円である。その采配を世界経済市場に見られて、評価されて、日本円の価値が決まる。

 今一度、昨日の派手な打ち上げ花火の映像をリプレイして考えましょうか。
 あれに空襲警報は要らなかったのか?その答に始まる思考と判断に、グッドラック!
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