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【971】令和ニッポン大人養成講座 [ビジネス]

 『営業制限の強権にひれ伏さない下民の店は融資の命綱を切るぞ』とあからさまにもベタに過ぎる越権行為の脅迫、たかがカマキリ人形の知能で思い上がっただけの発狂スタンドプレーにしては、あまりに大掛かりじゃん。裏から先に周到に固めておいて、爆弾背負わせて発射の自爆カマキリ突撃隊劇場だろうな。
 そう思っていたら、やっぱりというか、先に複数の役所まで結託してアルコール販売業・飲食店市場への圧力をかけていたか。いつも半島や大陸の中央集権体制を見下す論調で批判している洗練された良識派文化人の皆さまは、ちょっとぐらい騒いでるのか?

 先に日本国民の意思決定に直結しやすいところから解説を入れていこう。
 『自公以外』が1億2千万人の合言葉
であることをまず待ったなし今この瞬間からの徹底事項として確認しておく。

 『自公以外』というからには、政党の看板が掲がっている場面での完全撲滅キャンペーンということになるのだが、一言でいえばこいつらは自爆テロ非国民犯罪者政権の邪心の総本山である『公務員組織の古株』にケツを突かれて踊りまわるだけの、使い捨て戦闘員の群れに過ぎない【685】【686】
 過去にもちょっと触れている通り、公務はどうしても月並以上の定型化志向が求められるため、公務員の人事評価体系も均一かつ一律を基本コンセプトにしたものとなりがちなのだが【647】【648】、これが執務能力とまるで連動しない人材配置の根本的な原因となり、その結果として厚顔無能の劣悪な邪心が公的機関の組織力をもって動いてしまうという慢性的な腐敗体質につながっている。
 最終的にはこっちの本丸の構造が、今般の諸悪の根源であるという認識は忘れないでおこう。もっとも立法・行政・司法に跨るこの犯罪者組織を解体する目的が大上段にあるから、手のつくところから手のつけられる形で…ってことで、今わかりやすく『自公以外』を日本国民の全員でお互い申し合わせる意味はあると。

 それにしても左巻きヒステリー族がいつの間にか死滅しているぶんには、アッチの世界のリベラル論法を見境なく混ぜ込んで一方的にがなり立て、問題の本質がぼやけてしまう不都合が無くて有難い。あれだけいた左巻きが滅んだあと日本社会のいろんなところから一斉共鳴で、自爆テロ非国民犯罪者政権の横暴を否定する真摯な声が上がってきているのが面白くも頼もしく感じる今日この頃である。

 さて読書の想い出ネタをもうひとつ。1993年初版なので平成5年の本だ。
 『大人養成講座』という、バブル時代の成年社会人向けナンセンス娯楽のサブカル書物である。辛辣かつ的確に真理を突いていて、なかなかに興味深い。
 『「仕事らしきもの」を上手に見つけるのが有能なサラリーマン(かも)』の一節では、サラリーマンの定番の心得『仕事は自分で見つけろ』の本当の意味なるものが解説されている。

 「仕事らしきもの」に給料を払ってくれる会社の有難さを知り、無意味な行動を全力で行い、他人の無意味な行動を優しく見守るのがオトナというものです。無駄な行為を「無駄」とはっきり指摘するのは最大のタブー、「仕事らしきもの」がなくなって困るのはアナタ自身。
 「忙しい」が口癖のヒトに対しては「タイヘンですね」とちゃんと見ていることを伝え安心させてあげること。「手伝いましょうか」など大きな御世話であり、「困った困った」の連発も、本当に困ったときは黙っているはずにつき対処は同じです…

 その挿絵には、部下が『曜日別の電話代の統計が出ました』と課長に書類を提出し、『よし、次は時間帯別と天気別でやってみよう』と返す課長の姿が描かれている。

 業務センスをことごとく生まれ持って来なかった非効率人種がいつもやらかして永遠に治らない『職場の日常あるある』が、全てこの調子でテーマ別に並べられており笑えるっちゃ笑えるのだが、ネットでちょっと調べてみると、もう内容が時代不相応に古くなってしまっているとのこと。確かに当時はパソコンも携帯電話も普及してなかったし、当たり前にサービス残業して飲みニケーションという時代だったからなあ。せめて40代でないと当時の知識どころか理解できる精神構造から持ち合わせてなくて、想像力を働かせてなお意味わからないってのも結構ありそうだ。
 しかしこんなことばかりやっていて、本当に当時の世の職場は業績の不振も訴えなかったし、財務破綻もしなかったのだから凄い。この稼働状態を起点として、新たな能力開発も事業振興もしなかった日本経済は、その後に時間遅れをもってその真の結末が露わになり今があるだけではないのか。

 今般の『コロナ死ぬ死ぬ』は、こういった『仕事らしきもの』がネタにされつつも『デキるヤツばっかりじゃない、そんなものに執心するヤツもいて仕方ない』と世の中に置いてもらえていた時代の呑気な感性で、いま高齢化した社会組織の運営層がまだやっていられると勘違いしているところに、問題の本質があるのではないかと思っている。時代遅れの老人が、許されるボーダーラインを見失っているのだ。
 バブル時代だったから工数やコストの足を引張る愚行も、おとぼけ扱いで笑って見逃す余裕があった。昭和文化の年功序列がまだ残っていて、ベテランと呼ばれる世代の万年なりゆき業態を真っ向否定するには精神的なハードルも高かった。
 そんなこんなで、収益性・採算性組織にありながら『知って見過ごす冗長文化』みたいな組織風土が、日本社会全体の地味ながら根深い負の特質として染み付いてしまったのではないだろうか。

 これではイケナイ。よし、いま日本社会は本当にタイヘンなことになっているから、建て直す仕事を始めよう。何しろ、解決せねばならないムズカシイ問題が山積みだー!

 課題1:飲みに行く人数が何人までなら良くて、何人以上からコロナ死ぬ死ぬ
 課題2:飲んでる時刻が何時までなら良くて、何時以降はコロナ死ぬ死ぬ
 課題3:都道府県境はどっちからどっちへ越えて飲みに行ったらコロナ死ぬ死ぬ
 課題4:感染・死亡の発表がいくつになったら第5波来襲とやらでコロナ死ぬ死ぬ
…(まだまだあるが以下省略)

 『国会』『全国知事会』『専門分科会』みたいな看板を掲げた会議体が、一生懸命『仕事』をしている日本社会の日常があり、実に1年半も笑って済ませてきたのでお店や会社が持たなくなった。当然である。
 そろそろ1億2千万人日本国民は真顔に戻らないと、いっぱいになるはずのないカマキリの記憶容量がいっぱいになったとかで【938】何度でも狂った緊急指令が乱発され生活が煩わされ、涙を誘う仲間思いの古電球がそれを謝って済ますという反吐の出るキズ舐め合いウチワ美談がリピート再生されるばかりだぞ。

 それともアルコール度数に総飲量を掛け算して、規制値の線引きでもする?
 『仕事らしきもの』に割く時間がもったいないと思うアナタは、そんなもの探して見つけるより美味いモン食ってよく眠りましょうぜ。ではこの週末もグッドラック!
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