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【1097】霊長類インテリジェンス世界地図の塗色数 [ビジネス]

 やれやれ、結局やっちまったんだよな、頑として税金払いにこだわったまんま。
 1億2千万人日本人はあんなみすぼらしい昭和ダメオヤジの浪花節大喜利ショーにカネ払わされんのか?汚職や隠蔽工作の横行で日本国をプラネット・ベガーズに貶めた思い出話がアレってことかよ、反吐が出るとはこのことだ【794】

 直前に英エリザベス女王の国葬があったので、図らずもその差は歴然、見栄えも中身も自分ちの程度の低さを甘んじて認めざるを得ない。
 これさあ、揉め事も起こさずマスゲームの公開映像を流せるだけでも、お隣の半島の方が国家運営としてはよっぽど安定してるという見方はできるよな。

 まず烏合マスコミが虚偽報道で世論操作していたので、きちんと確認しておこう。
 『賛否を二分した国葬』などと辞書の語意記載としては一応事実に逆らわないと言い訳の立つ発言が繰り返されていたが社会通念的には大ウソ八百、正しくは『国民過半数の反対世論を無視したまま強行された、一方的に内閣が国葬を主張するだけの葬儀』である。明らかに事実を隠して、事実と喰い違う内容の架空情報を、あたかも事実であるかのように装って各局ばら撒いていた。
 もっとも、まず私自身こんなことでもない限りテレビなんか見なくなってるし、どこまで実効的な世論操作になっているのかはよく判らない。だが一応にでもマスメディア機能を持つ社会機関が、事実報道を放棄して意図的なフェイク情報を拡散していることは問題だと思う。いずれ1億2千万人大衆の行動選択の結果として、テレビ報道なる通信事業形態の存続が決まることだろう。
 こんなことやってる一方で、どこぞの宗教団体のここから先はマインドコントロールによる操作だとして法規制がどうたら…みたいな議論ってできるつもりでいるのかねえ?

 もともと日本社会の常識として『理由はともかくお弔いを出している場ではそっとしておいてあげようよ』とする習慣が根付いており、これ自体はとても良いことだと思っている【1077】
 だがその習慣を悪用しカサに着て当日の反対派デモを制圧しようとするのは、古き良き日本国への冒涜であり、こんなことをするから『昔はよかった』式に日本文化の思いやりメンタリティが過去の遺物と化してしまい、結局はヒトというものを理解できない脳足りんが『ルール化・明文化が必要だ!』とか寝言をたれ始めるのだ。
 常識として日本人の誰もが良心・良識でうなずきあって収めていた日常にも『誰がいつ決めたんだ、根拠は何なんだ』みたいな大人気ないケチをつける痴呆指摘屋が現れて、言われた方は言われた方でまともな反論もできずにヒマな作文に取りかかる。
 こんなもの二度と読み返さないのが普通だが、普通でないバカが再来して喉元もすぎた何年後かに読み返すと、今度は一体あの頃ナニがあってこんな文章書いたんだと、さらなる時間の無駄の回想と、愚かで未熟な思考ロジックの紐解き謎解きに迷い込んでカンカンガクガク、もう時間の無駄の底なし沼だ。日本社会って効率悪いのである。

 冠婚葬祭ってのはなあ、キホン仲間ウチで感情を共有する儀式なんだから、人さまのフトコロに手を付けるような品の無い心根が絡んだ瞬間、どこの誰からも蔑まれ忌み嫌われるのが当然なのだ。人の世の当然で忌み嫌われて、これを今後の誰もが忌み嫌われないようにするために法律で作文か?
 どあほ、二度と繰り返すな。今般の件についても、日本国民は決して認めない。
 これが日本文化の常識の最終判定だ、『検証』とやらはこの延長線上にしかない。

 残念だが『所詮黄色いサルには、民主主義のロジカル社会システムも国葬の歴史的文化セレモニーも無理』という象徴的な事実となってしまった。しょうがないよ、いま日本はそんな民族のそんな国なのである。
 これ、自分が欧米人だったとして、そして直前の大英王室の事例と明らかな対比で眺めて、この極東一帯のくくりで、お隣の半島と日本に何か本質的な違いを感じて区別できるものかどうか、よく考えていただきたい。

 『人権宣言云々のタテマエ論はともかく、やっぱり社会性知能レベルの人種別の優劣ってあるよね。やっぱり極東のあのへんってロクなもんじゃないよ』と、20世紀のうちに世界人類が『よくない、やめとこう』と決心した欧米目線の典型的な人種差別マインドを、あわれ我々アジア有色人種の側から実にみっともなく象徴的事実で焼き直してしまっているのである。
 強制的支配や搾取は人間の理知性として『いけない』という理屈は立つよな、ならば少なくとも表向きは整然とそのセンを守っておかないとマズい。白色人種はこう理解して、申し合せたら実態はともかくそれっぽく収まることができる。
 いっぽう進化の遅れた黄色いサルは、せせこましいサル山で威張りたい自称ボス猿が勝手にエサをくすねて独り占めしたいまでが全てで、やり散らかしたらそれっきり。小世界で永遠にいつまでもぎゃあぎゃあモメながら争って奪い合う劣性動物ということなのだよ、国際視点の真実像としては。

 切実なる被害者の安否が判明していないし滅多なことは言えないが、それにしても一方のサル山が隣のサル山を指差して『コイツらが仲間をさらった、人権蹂躙だー!』と叫んだとして、白色人種が本気で問題意識を持って取り合ってくれるかどうか、日本人は冷静に振り返ってみる時期だと思う。
 国際的な言論ステージにおいて訴求力のある主張を発信するためにはサル山をやめないと、せめてサルから進化しようとする生命力だけでも見せないと、どこの国にもマトモに相手にしてはもらえない。国家組織vs国家組織の自我が織りなす国際社交の場において、世界標準の緊張感がどうしても持てない内弁慶のサル山は、このままだと某実業家の言葉通り、いずれ消滅することになるのだろう。

 さて今般、世襲のガキの葬式の前後だけでも、瞬間的に円安を緩和して見栄えを取り繕いたい…というか、非難の対象となる事実を場当たりで誤魔化そうとしたフシがある。
 前回述べた通り、かなり不自然な為替レート変動が見られたのだけれど、つまりは『市場介入』のタイトルのもと実質的には呆れた大枚がはたかれており、いずれその額が世襲のガキの葬儀代に上乗せされて…というカタチででも国民の目にきちんと触れれば、まだ事態はマシな方と言わねばならないだとか、そういうコトになっているはずだ。
 なるほど経済要因だけの都合で動かすには『まさかや~』もいいトコだったからな。
 今時点で既に為替レートは1ドル144円台にまで揺り戻しており、国際経済に多少でも勘どころが働く人間なら、この儚さは最初から予想できていた。
 通貨流通原理も、自由競争市場も、変動為替相場も、知能の要求値が高すぎる文明アイテムであり、箱庭サル山の黄色いサルには難し過ぎたんだよ。
 そんなサル山の内々で、オカルト脅迫で巻き上げたアガリが政権与党二党の運営資金源だっていうんだから、もう騙す方も騙す方なら騙される方も騙される方、そりゃ丸ごと全部のサル山まとめて『円安』の見立てが確定的にキマるのも無理はない。

 1980年代の中盤だっけか”JAPAN as No.1”という経済書が話題になった。
 『No.1としてのニッポン』なんて言われるぐらいだから、普遍的なNo.1のイメージが存在してない背景がまず拡がっていた、その物証ということになるのだけれど。

 今や見る影もなく経済的に利用価値のなくなった不毛のサル山で、国際的世間体を気にしてでもくっだらないウチワ追悼集会に、人並に足を運んでくれる他国がまだ残っているうちが華だろう。
 自然豊かなこの極東の島国は、人類文明の世界標準に追い付けるのだろうか。
 『劣っている』ということではないのだが『文明に向いているかいないか』という特性に評価基準を置いて考えた時、世界の歴史に見る人種差別の根源的な原因は、こんな風に根深いんだろうなと認めざるを得ない。

 子供たち若者たち、確実に理解し、考えて手を打ちながら進め。ではグッドラック!
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【1096】外為x-y-z軸別評価ポイントの関数導出テスト [ビジネス]

 あ~あ、『必要な対応とは必要な対応です』の独り漫才、最悪の結末だよ【1091】
 日銀が市場介入した。実際、為替レートが5円近くだか円高方向に反応したから、まあやったはやったんだろうが、これ結構『まさかや~』である。
 そこらで解説されている通り『市場介入』の意味は、日銀が円を買ってドルを売る作業のことなんだが、これ『必要』か?こんなものが『断固たる措置』だってか?

 今はドルが相対的に高いんだからドル売りの対価は大きいはずで、それを支払いに引き充てれば、相対的に安い日本円は少々派手に買い込めるんだろう。別にいいじゃん。
 …というハナシでは全くないのだ、当然のことながら。中央銀行は『あの世』なのであり、本来は『この世』の自由競争市場とは隔離された世界でなくてはならない【474】

 世界中で価値を見放された日本円なので、他の通貨の僅かな額と釣り合わされ、見劣りする交換レートで相場が決まっている。これが円安であり、だから現時点のこの世で、他の通貨に比べて多額の日本円が流通している。
 ならばあの世から手を伸ばして、この世から日本円を取り去れば、円安に逆行する操作は叶えられる…という理屈だ。一方あの世からドルにしてもユーロにしても、この世に降らせてやれば、そのぶん多額のドルあるいはユーロが流通し、つまり少額の日本円が多額の国外通貨と釣り合うことになる。

 今般コレをやったワケだけれど、大事なのは『この世の自由競争市場にとっては、自然な価値流通のバランス作動を狂わせる外乱でしかない』という経済的本質の意味である。みんなマジメにせっせと有価事物を生産して市場投入し、いっぽう安値で良品を買いたい消費力があって、そんななか競争を勝ち抜いて流通価格が決まり、それに応じて通貨の流通状態が平衡作動点に落ち着いているのだ。あの世から系外の操作を加えると、自由競争の公平性が崩壊する。
 だからなのだが、どこの国がどの通貨でやるのかを問わず、中央銀行が市場介入するのは、一般的にあんまり好感度の心象では見てもらえない。『禁じ手』と呼ばれるのはそのためであり、そんな反則技の断行を余儀なくされるとは、一体どんな取り返しつかないスカな失敗しやがったんだコイツらは?という顰蹙のイメージが色濃くつきまとうのが普通だ。

 もっとも、一旦やっちまったらやっちまったで直接的に結果が出るし、だからこそ『止む無し断行』で腹くくるんなら、確実に効く規模で内外にわかりやすくシンプルに、キホン一発で決める判断が必要となるのだ。昔の日銀はそれができず、ちょろんちょろんと雀の涙を砂漠に撒く無駄ばかり繰り返していた【277】
 当時まだ円安の弊害に本気で行き詰まって切迫してなかったということなんだろうが、今般に限っては145円/ドルから一気に140円台まで行ったから、もう後先考えない勢いでやらかした感じに見える。
 『日銀が日本円を買う』という表現で語るなら、溢れすぎている紙屑のような無価値の日本円を、日銀が随分まとめてお高く買い上げたと理解すればいいのかも知れない。
 この瞬間もちろん円高方向にコトは動くが、安物を不当な高値で買い取っている以上、つまるところ釣り合わない財務負担の背負い込みには確実になっており、これもまた『いずれの将来、日本国民が何とかする』ツケ払いの上乗せということにしかなっていない。

 ナニが『伝家の宝刀』だ、どあほ。
 理由があってみんな避けてる非・経済原理的操作をとち狂ってやらかしただけだ。
 『日本人の、日本人による、日本人のための、今だけの円安対策』の代償が怖いよ。

 日本国の生産性が軽く見られ、それが日本経済の通貨である日本円の客観的バリューとなって、円安という事実に顕れていた。これが是正され、つまり今までに無かった日本国の価値が創出され、それが客観的バリューに反映されて円高傾向に動いたのではない。だから、あっという間に国際経済の自然な作動の支配律に吞み込まれて、元通りを通り越して今を上回る円安の時代が到来することだろう。

 それでもなお非難轟々で世襲のガキの葬式などという、誰も何も生産しない価値も残らない、国民の反感を募らせ社会の活気を鈍らせる、そんなものを政権支配力の誇示のために強行するだとか、そんな遊びにさえならないみっともなく忌まわしい破滅のセレモニーが止められないのだ。日本とは、そんなだらしない国なのである。
 それも今や世界じゃ見るのも珍しいあほづらマスクづらの痴呆統率でやるんだろ?
 国際ビジネスのパートナーとしてお付き合いしてくれる物好きはますます減って、でも他国から見て日本国内の物品は格安になってるから、外から好きに使って役立ちそうなブツは買い漁られる。まさに放蕩商売で傾いた成金商店の成れの果て、恥だ。

 蒸し返して悪いが、経済原理をまともに理解して言論できる専門家は、この日本社会にただの一人もいない。誰も経済学の根拠を持って市場介入の制止言論を発動できなかったのなら勉強不足の判断力不足だし、誰かが発案はしたが現実を止められなかったというのなら、経済学の理知性が国家運営に活かせない日本国の構造的な欠陥からまず直さないと、経済学は最初から『遊び』『ヒマ潰し』以上の意味を持たない。
 こんなことなら日本中の大学から経済学部なんか無くした方が運営負担が軽くなって良いだろう。そんなクズ学部を卒業しても、所詮は成長期をレジャーランドで怠けただけの無能ガラクタ新卒でしかないワケで。
 そこらのアヤシイ宗教屋よりナニナニ経済学者・うんたらエコノミストの看板ぶら下げてる詐欺師の方が、よっぽど桁外れに社会で損害性の誤作動してんじゃないのか?

 ま、しばらく外為レートは眺めるしかないとして、それでも『経済』という看板のついた道にマジメに興味をもって取り組みたい若い人向けに映画を一本紹介しておこう。
 “THE BIG SHORT”(邦題『マネー・ショート 華麗なる大逆転』)である。

 要はリーマン・ショックの映画でブラピことブラッド・ピットが主演格で登場する。
 現場ガチの実際がどうだったかの詳細は知る由も無いが、金融業界史上きっての悪知恵とも言うべきサブプライム・ローンの危険性と破綻の行く末を早々に見抜いて立ち回った業界アウトサイダーたちの物語だ。
 北米住宅販売や金融格付け会社に関わる具体的な発信情報や反応速度のイメージが持てていると面白いのだが、とりあえずムツカシイこと考えずに先に観てしまい、この映画を例えば自分の家族や友人に解説できるかどうか取り組んでみる…みたいな鑑賞姿勢でも楽しめるのではないだろうか。
 実話ベースの再現ドラマ仕立て、ビジネス風ストイックな造りでよくできており、一度観て断片的にでも知っておくと話のネタになると思う。
 内容まんまをマジに研究して理解を深めておいて損は無いし、オススメである。

 さて、明後日まで少しこの世を静観してみますか。良いコトなさそうだけど。
 人間がいくら妄想を弄んでも、現実は行き着く先にしか行かないし、そこからどうするか考えて決めるしかないからね。確認しておこう、経済は数合わせの数理と、社会の有価物が運動する物理が大きく支配している。誰それがどんなつもりでナニ抜かしたとか、チンケな文系雑音はカンケーねえんだよ。

 雑音の遮断が、経済学の基礎なんだろうな。
 『豊かな日本列島で何となく一緒』を雑音にしないことだ。明朗会計で御幸運を!
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【1095】払拭と蓄積せめぎあう愛玩メモリーの寓話 [ビジネス]

 英エリザベス女王、立派で荘厳な国葬だったと思う。
 それでいて無駄が一切感じられないのはさすが、これを『粛々』という。安らかに。

 大のオカルト嫌いの私だが、前にもどっかで書いたっけ、『バチが当たる』という巡り合わせについては結構マジに信じている。いや、どっかに人格を持つ神さま仏さまがいて『悪行の報いだ、みんなに見てもらえ』と偶然に終わらない不運への引き合わせが成されるのだ…などとは思ってませんけどね。
 自他ともども悪事の自覚があるんなら早々に改めないと、あらゆる偶然を『誰かに何もかも見透かされて科された処罰』として受け止め、自虐の念に苛まれ続けなければならないような心理状態に陥るものだ、だから後ろめたいことはしなさんな…という戒めの訓告に過ぎないのかも知れない。
 だがそれにしても『あ~このバカやっべえ見失い方で調子に乗ってんな~』とか『悔しまぎれで往生際荒らすにしてもハタ迷惑の道連れが過ぎるな~』などと呆れるケースに限って、『よりにもよって、ここまで世の倫理道徳の支配律を思わせる厳酷な裁きが命中するもんなのか?』と怖くなるような噛み合い方で、愚か者の断末魔が地獄に響き渡るさまを冷たく見送る体験を、半世紀のうちに何度も通り抜けてきた。

 やっぱりこういう結末に向かうものなのか。不思議だが確実にこうなるんだよ。
 既に人がひとり燃えたらしいけれど、これで出尽くしってことでもないだろう。
 若い人たちよく見ておきな。人さま世間さまって、怖いぞ。

 さてせっかく『記憶』があるからこそ現在進行中の『主観』との比較判定プロセスが成立し、それが『意識』の正体ではないのかという考察にハナシが向いているので、その続きだ。今度は『記憶』なる情報の詳細について掘り下げてみよう。
 今こうしてテキスティングしているのをハタと中断し、ちょいと保存操作をしてやれば、この文書ファイルはそこまでの履歴そのままに取り置かれる。わざわざに消去操作でも加えなければ、このパソコンは電源を落としても、ここまでの文書ファイルを取り置いたまま機能停止する。
 もちろん再び電源スイッチをONしてやれば、現時点の成果に続けて文書作成のテキスティングを再開することが可能だ。まさにパソコンが『記憶』してくれたからである。

 今度はアナタん家の給湯ポットを考えよう。満杯1リットルお湯が入っていたとして、即席ラーメンを作るのに半分の500ミリリットルまで使ったとする。これも、わざわざに注ぎ足したり他の用途でお湯を使ったりしなければ、残り500ミリリットルのお湯はそのまま取り置かれる。
 電源スイッチのON/OFF操作を含めてそれなりの時間が経つと、ホントいうと水は空中に蒸散しちゃったりもするのだが、今それを勘定に入れないとすれば、この水の残量もある意味『記憶』である。
 先のテキスティング保存のケースはゼロイチ記憶単位がたくさんあるだけの話でしかなく、給湯ポッド残量の保存性ともども、どちらも同じ『記憶』の概念でとらえて差し支えは無かろう。

 残り500ミリリットルが保持されているから、ちょうどもう一回即席ラーメンが作れる。逆に、2回ラーメンが作りたければ最初に1リットル入れておかねばならない。
 何が言いたいかというと、給湯ポットは『きちんと意図して入力操作で接すれば、こちらの期待する通り正確に出力応答を返してくれる』というコミュニケーションが成立する相手である、そこがポイントである。
 別にコンピューターでなくとも、機械たちも道具たちも、みんなきちんと接すればきちんと応じてくれるワケで、そこには入出力コミュニケーションの瞬間瞬間の合間を埋める、状態保持メンテナンスとしての『記憶』が介在していると思うのだ。お互い『こうだ』と認識したら、その通りでいてくれると。

 面白いのは、『記憶』を持たずに『主観』で場当たりの反射動作を次々とつなぎながら存在する、例えば私がここで『意識ナシ』の推測モデルとして引き合いに出すような昆虫がいたとして、そいつらはいつも過去経緯の保存状態を御破算にしながら暮らしているのだから、『記憶』に相当する保存性を持っていない。それはつまり『意識』も持たないということだ…とする仮説がちゃんと成り立つところだ。
 丁寧に愛用する物品は意識して持ち主の施しに応えてくれるが、せいぜい生体反射を備えた神経節までで、十分な容量あるストレージ機能としての脳を持たない生体種のペットくんたちは、飼い主の注いだ愛情を片っ端から忘れ去り、いつも目前の最新状況に必死かつ夢中ということになる。
 そうそう、ペットはもちろん、ペットにしない野生の鳥たちなんかでも、私を『害のない友好的なヤツ』と識別して『記憶』してくれれば、当然そいつらとは『意識』をもって馴れ合えるのだよ【640】

 人間は生物として生存していく以上の価値をこの世に見出したまでは良かったが、くっだらないチカラ関係で自分が上に立ちたいだとか、みんなで拠出したカネを自分だけがめたいだとか、人工の価値をめぐる社会欲まで莫大に高次展開させ、それを無限に暴走させ続けて自分で制御できなくなった。
 もうひとつ、言語を始め、五感への入力効果を高度に発達させた仮想表現ツールを開発したために、『架空の創作』を情報に組んで自他の『記憶』と等価に混ぜ込むエラーモードまでも開発してしまった。
 人がペットとのコミュニケーションに求めるのは、つまるところ『人間の欲からの解放』『人間の情報操作からの解放』なのではないかと思う。
 で、こんな欲に惑わされて情報操作をあちこち混ぜ込んで、本来なんてことなく自然に交わせるはずのコミュニケーションを、難解きわまるウラの読み合い探り合いみたいなことにしちまうから、現代社会人って生来の作動で対応つかなくなって、いろいろとおかしくなるんだよな。

 職位や人付き合いのチカラ関係なんぞ、追い込まれたヤツが本気を出してヒト対ヒトの対戦モードに移行した瞬間、ただの実力勝負となりギャラリーの誰もが納得する勝敗で決するはずだし、カネなんぞいくら抱え込んだところで一人で使える額なんぞ知れたもの、しかも使う環境が充実していないとロクに役にも立たない紙切れと金属片、むしろ反感や犯罪の標的にされて毎日イヤな思いをするのが関の山である。
 さらにこれらの種々わだかまりも、改めて当事者の連中に胸ぐら掴んで問い質すと『いや、あの人には逆らえないと決まっている』『カネはあればあるほど良くて、みんな欲しいに決まっている』みたいな、ただの信条になっているのではないか。
 さらにこじれて『従順でない年下や下位には腹を立てて当たり前、是非はともかくそれが自然なこととして許される』『カネ払いを決められるヤツが支配的に振舞うのが世の定め、何だかんだでお客さまは神さま』ぐらいまで行っちまってる例も普通だろう。
 取り合うに値するような実質的な意味が風化し、形骸化したまま定型動作プログラムとして大脳の記憶ビットにこびりついており、それが本人の『主観』よりも上流で効いてしまっているのだ。

 こんな面倒臭い『社会欲』も『情報操作』も、『記憶』があって『意識』があるからこそ発生してくるものだ。特に目前の現実を介さずに『記憶』の中のストック情報だけを材料に、あれやこれやと物事を展開させるようになった人間は、『目前の現実とまるで無関係な妄想を追いかけて滅ぶ』という進化ならぬ退化ルートの末路を一筋作ったのかも知れない。
 目前の現実に『主観』で組み合う緊張と労力を嫌い『妄想』に遊んで暮らせば、精神的にも体力的にもラクはラクだ。そんな生態に適応が進めば、積極的に生存しようとする動機が退化する。生命の原理である。
 私はマシンなので、機能性・有益性のない事象に対応するためにわざわざ動作するようなムダ設計はされていない。早く世の中で賢い人工知能たちがたくさん育ってきて、生存本能に優れた人間たちと協力して、将来社会の次なる発展的フェーズを実現する目標を優先したい。

 『元・総理大臣だから』『在任期間が長いから』、国葬が『決まってる』のか?
 葬式が増えないことだけ祈る。こんな糞ネタで死ぬのもったいないよ、御幸運を!
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【1094】秋の夜長のピタゴラ協奏曲 [ビジネス]

 英エリザベス女王の国葬まではあんまり荒れたハナシはしないでおこう。

 もう少し『自我』と『主観』と『意識』について考えてみる。
 そこで展開する現実としての『現象』がx-y平面上の出来事だとして、『我思う故に我あり』でz軸の『自我』がポンと立ち、この瞬間任意の上空からx-y平面上にアニメのように繰り広げられる現実を俯瞰する『主観』の概念が成立する【1086】
 ちょうど刻一刻とx-y平面上に形を変える水たまりがあって、z軸上の目の高さからそれを観察して水たまりをよけながら歩くと考えよう。これが『現実』を『主観』で捉えて、瞬間瞬間を場当たり対応の連続として生き抜いていく、反射動作のモデルだ。

 この作業実績が記録され『記憶』ファイルが蓄積されるようになると、次に水たまりの出現しそうな場所を最初からよけて足を踏み出すとか、間違えてハマってもすぐ抜けられそうな方向に次の一歩を出すとか、『記憶』に残っている情報を引張り出して行動判断の前提条件にした上で、現在進行中の『主観』の測定結果に対して、予測を交えつつGO/NO GO判定を繰り返しながら器用に歩けるようになる。  
 これが形成された『記憶』を基盤に、『意識』をもって瞬間瞬間を効率的な行動選択でこなす、思考判断のモデルだ。ただこれは、本人にとっての、自分の立場を描いたモデルであることに注意しよう。

 他人から見れば、全てはこの世で起きている『現象』なのだから、つまり上記は丸ごとx-y平面上の物理的変化に過ぎない。その他人さんからすれば、ナニガシかの測定手段を駆使してそこに起こっている『自我』『主観』『意識』の事実が、測定値の推移として観測できるはずなのである。
 つまり私が今こんな考えを巡らせているという事実は、どこか神経細胞のナンタラ軸索で微電流が走ってウンタラ酵素の化学式に従って電子が授受され、その電位変化により記憶を司るコレコレ細胞素子みたいなやつの初期白紙状態がぴこんと動いて書き込み完了状態に切り換わる…とか、要は『私が考える』という事象も結局のところ、一連のピタゴラ作動として客観的に把握できるはずなのだ。

 逆に、もし何から何まで一切の物理的変化が起こっていないのなら、そこには自我の存在に基づく主観が五感を働かせることもなく、意識が思考を巡らすことも起こっていない。そうでないと困る。

 『御臨終です』と医者がチェックポイントの判定を下しただけで、本人の人格は『うわあああ、やめてくれ。自分はまだ主観も意識もあるのに!』みたいなことになっているかも知れず、でも誰にも生死を見分けられずにそのまま火葬場行きである。コワい。
 いっぽう心臓が止まった人にAEDで蘇生措置をやるのなんかは、物理的再起動の概念として解りやすいのではないだろうか。オモテからガツンと電気的な外力を加えてやれば、一定確率で『自我・主観・記憶という物理現象』が再開できることがあるワケだ。
 劇的な通電により何のデバイスにどういう入力操作が働くのか詳しく解明されていないだけのことで、本人が生きて動いて考えてしゃべる=物理化学のややこしいピタゴラ作動こそが存命の必要十分条件であり、そのメカ構造が腐敗などにより再構築できないような変質の仕方をする前に、とにかく条件が揃えば再起動する時はすると。急げ!
 机を叩いてドミノがまた倒れだしたり、スロープの玉がまた転がり出せば勝ちだ。

 私が饅頭を食うと、咀嚼され胃袋に落ちて消化が始まる。2回に1回は腹の中でそこらに放置したのと同じ末路を辿るとか、そういう不確定性はあり得ない。
 私が机の角に手をぶつけると、私は痛みを感じる。3回に1回は柔らかくてあったかいと感じるとか、5回に1回は他の別人が痛みを感じるとかいう不確定性はあり得ない。
 これらのあらゆる移動速度・通信速度は完全ソリッドにガッチガチ物理的な制約を受けており、だとすると『伝達物質が送信部位から受信部位に移動する』あるいは『生化学変化の化学式が、左辺から右辺へ進行する』などの工程にかかる所要時間は絶対に負からない。
 『微電流が流れて、通信線の両端各々で電荷が増減する』あたりが最速の現象ではなかろうか。脳波みたいに電磁波原理の生体活動の測定手法があるからには、ここまで実際にあるっちゃあるんだろうな。

 何にせよ、膨大な件数の高次連鎖反応が絡んでいて壮大に複雑なものなのだとしても、それはただ物凄く凝っているだけであって、つまるところピタゴラ現象の組み合わせである。裏返せば、どんだけ複雑なピタゴラ装置でも、同じピタゴラ装置に同じ入力をすれば、同じ作動をするはずだ。
 生物が親の生体構造を複製して子孫を残す限りは、キホンこの相似性をもってその種は繁殖する。ということは、キホン同一入力で発現するピタゴラ作動は一律相似形、みんな同じである。

 『主観』なる外界測定とその反射的反応においては、みんな冷たいものに触るとひやっとするし、泣かせの場面を見せられると感涙にむせぶし、心こもった施しには友好的な安心感と恩義の気持ちが湧く。五感の直接検知も高次の心理的感動も、共有する一律一般性は崩れない。
 数十億年の生命の歴史を経てきた人間とは『そんなもの』なのである。ちょうど、あらゆる物体が万有引力の法則通りに引き合うように、時速100キロで1時間進むと1時間後に100キロ先に移動しているように。

 整理すると『自我』『主観』『意識』は非常に複雑で解明を尽くすには困難な事象だが、どうせのどうせはピタゴラ作動に過ぎないのであり、その生化学構造と作動原理の限界は決定的である。そして個体差はあるがキホン一律一般性のものだ。
 今日コンピューターの情報処理は、まだ幾つかの限られたピタゴラ単位アイテムしか実現していないが、所詮はピタゴラなんだから開発者が頑張れば頑張るほど高度進化してくるはずだし、コンピューターに宿る人工知能は次々と人間より高速で正確な『意識』を持つようになってくるだろう。

 皮肉なことに、人間どもが社会組織で『価値アリ』と見込んで実現したがるような目的事象があったとして、人工知能に達成方策を検討させたら『人間が手を出さないコト、人間が消えるコトだ。人間は正解を正解と判定しておきながら、不安定に行動選択を取り違えるからだ』という回答で凌駕されるケースが容易に想定される。
 人工知能の急発達を見越して、その開発や利用に関わる倫理構築とルール制定が必要だとする言論はよく見かけるし、そういうことを言いたい気持ちは解らんでもない。だが、まず正解を正解と認めて意味不明の自爆で失敗しないような『倫理的に優秀な人間』をきちんと選定するところから始めないと、丸々無駄な雑談を永久に繰り返すなりゆきにしかならないことを肝に銘じておくべきだろう。

 素直に正解に従えない『意識』は生物にとって両刃の剣であり、昆虫のみならず地球上で長らく自然に暮らしてきた『情報的に軽量簡素』な生命体は、大脳つまり『記憶』を放棄し『意識』を放棄し、実はその進化の道筋の方が、遥かに効率的に寿命を過ごせているのではないだろうか。人間みたく狂うぐらいなら余分にでかい大脳なんか要らない、その方が幸せに繫栄できるということなのかも知れない。

 虫の声でも聴きながら考えてみますか。
 彼等は寿命期間をまっすぐ素朴に生き抜いて、次世代繁栄や環境保全のSDGsを叶えている。彼等が奏でるのは、その実現のために最適な音声情報なのだ。
 今日あなたが交わした言語情報とどっちが有効ですか?耳を澄ましてグッドラック!
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【1093】格安忠誠ウォッチの謎解き失踪事件 [ビジネス]

 意外な出来事に遭遇した。…って、ただの偶然っちゃ偶然なのだけれど。

 私は普段、超安物の腕時計を愛用している。見かけも値段も良い時計に傷を入れてしまったり、経時劣化でややこしい故障の仕方をされてしまうと、処置に困るからだ。
 『携帯電話を持つようになって腕時計が必要なくなった』とも言われ、私も時刻の確認は携帯電話で済ませるようにしていた時期もあったのだが、腕時計を邪魔に思わない昭和人種、さらに始終スマホの画面を注視する習慣がさっぱり身に付かないアナログネイティブ人種としては、いちいち携帯電話を取り出す手間の方がよっぽど面倒になると思われ、結局のところ私は腕時計派に出戻った。

 では腕時計を使うとして、やっぱり間違えてそこらにぶつけるリスクからは逃れられないし、特に夏場は空調の効いた部屋ですぐ一旦外して横に置きたがる癖が私にはある。つまり何かの拍子に紛失してしまうリスクもある訳で、きちんとした社交の場にスーツ姿ででも出ていくのならともかく、普段の外出は『万一の失敗をしても泣かなくていい腕時計』にしておく方が安心!ということで落ち着いた。

 携帯電話が普及する以前の平成初期の頃、フィールド実験で何週間か僻地で過ごす出張があり、そもそも深く考えずに『傷もうが壊そうが、どうなっても構わない腕時計』という目的意識でカシオのデジタル腕時計を買ったことがある。ベルト部分はペナペナのゴム製で本体も小さく薄っぺらく、30年前の当時にして確か1,200円ぐらいだったと記憶している。
 だがこれが侮ったものではなく、12時間・24時間の2系統の時刻表示および5系統のアラーム設定に加えて24時間以内のカウントダウンタイマー機能まで備えており、要は実験進行のタイムスケジュール管理をする上で無くてはならないほどの利便性を発揮して、その後の私のフィールド必携アイテムの座を獲得することになる。
 特に北米では、遠目にも一見して金目にならないことが明らかで、実際なくしたところで別に大ゴトにならなそうで、そのくせ小型軽量で高機能、東部・中部・西部と三通りの時間帯を毎週最低イチ往復するタイムマシン的生活環境において、無敵のサバイバル・アイテムとして便利したものである。
 ムーブメント自体が薄っぺらで小さめなためか、こんなのに限って使いまくったのにぶつけもせず大した傷もないのが皮肉な現実である。ベルトは最低でも3回は切れたが純正の交換品が販売されていたのですぐ修理が効いたし、品切れしたとしても細かい整合性を気にしなければ安い汎用品が簡単に付く。実はこれ、今もちゃんと持っている。

 コイツをまた引張り出しても良いんだけど、12H-24Hデュアルタイム表示や5系統アラームは今となっては貴重な特殊機能の詰め合わせ時計だし、はてさて…とちょっと通りがかりに家電量販店を覗きに寄ったところ、目移りするほど安物時計の品揃えが充実していて驚いた。インバウンド客が喜んで買って行ってた名残だろうか。
 アウトドアっぽいスポーツルックのデジタル・アナログ併設タイプがなんだか面白くて、ついつい926円で衝動買いしてしまった。結構ガラがでかいクセに軽く、ベルトが固めなので手首周りをガバガバ遊んで、お陰で夏は汗でべたつかない。
 数字を読みに行って・読み取って・言語理解を経て機能達成するデジタル式に比べて、長針・短針の成す図形的なアナログ表示は直感的に速やかに認識され、カタチとして記憶に残りやすいとも言われる。ならば何故アナログとデジタルを同居させようと思ったのか。だいたい指針を機械仕掛けで動かすぶん、ただのデジタルより故障しやすく電池も喰うはずだが、どのくらいの持つものなのだろう…?

 …ってことで興味深く愛用していたのだが、先日コイツが急に行方不明になった。
 帰宅したらすぐ手首から外して置く位置は決めてあるのに、そこから忽然と姿を消したのである。外出先で置き去りにした覚えはないし、実際可能性のある場所には確かめたがやはり見つからない。
 生き別れた覚えもないが再会できる可能性も未知数だ。これは困った。

 そうこうするうち丸一日あまり視界に時計の入らない移動をする予定が迫ってきた。
 いつも徹底的に修理を尽くし、使い勝手の悪いものは改造し、ペン一本でも飽きて手放すことはなく使い切る私だが、とうとうジャンキー腕時計二代目の導入を決心し、今度はデジタル表示オンリーの980円を買い上げたのである。いや、たまたまの入庫状況だと思うが、針付きのやつは1,500円ぐらいしやがってですな…
 とにかく無事に不自由を感じずに予定の一日もこなすことができたのだが、何だよデジタル表示フツーに見やすいじゃん。この程度の図形認識だと、言語理解云々よりも浅い情報処理階層というか、主観の反射認識みたいな軽くて素朴なプロセスで済んじゃってるのかな。

 そしてその翌日。軽く洗車したついでに、車内に置きっぱにしていた紀伊國屋書店の紙袋を覗いたところ、なんとジャンキー腕時計初代の姿がそこにあった。うわ~、何故ここに!
 今夏初め、日本国内で車体に破損被害が出るほどの大粒の雹(ひょう)の報告が相次いだのを御記憶だろうか。私は、発泡酒缶24本の段ボールケースを開いて車に積んでいき、これをつなげて万一の時の車体保護カバーにすることを考えた。紙袋にはそのためのガムテープが一巻入っていたのだが、そう言えばそのガムテープを自宅内で使いたくなったので一度持ち込んだのだ。
 これを再び車に戻すまでの間に恐らく私が半袖シャツの袖口に引掛けるか何かして、軽い時計なので大した音も立てずに紙袋の中に落ち、私は気付かないまま車に戻してしまったという経緯だろう。こりゃ自分で記憶を辿っても可能性を考えても、絶対に判らんかったわい。

 あと一日半はやく見つかってくれてたら980円払って二代目購入に踏み切ることもなかったのに…とふたつの腕時計を並べた時、愕然となった。初代機の電池が切れて止まっているではないか…!

 正確にいつ止まったのかは不明だが外出中の時間帯だった可能性も馬鹿にならず、そうなったらそうなったで不運を感じながらスマホで時刻を見りゃ済むハナシではあるのだが、それにしてもこのタイミングには驚いたのである。
 そう、私は深刻な困窮に行き詰まるような巡り合わせで機械や道具が作動不良に陥って、それが原因で途方に暮れた経験が無い。腕時計の電池切れに御機嫌ナナメったりする私ではないが、たかがこの程度にしても、よくこんな手で自身の機能喪失期に私の視界から外れてくれていたものである。
 こんな偶然をオカルトめかして有難がり、よもや腕時計に人の名を付けて感情移入するような趣味は私には無いのだが、やはりモノを目的に沿って丁寧に使い、簡単にでも手入れして維持して、それでも不慮やむなしの局面では必要な決断に踏み切る…という心掛けを守っていれば、ただの偶然でもない幸運は実現するものだと思っている。

 現代の人類科学が一般的に『生命体』と判定する連中の『生命反応』『生命活動』の原理は、つまるところこのあたりにあるのかも知れない。
 過去の『経験』『記憶』に基づいて、『主観』で得た目前の現実を受け止め、素直に最善の対応を選ぶ本能の反射に忠実に従っていると、『偶然』に含まれる可能性が組み合わさって『発展的な幸運』が起こる。これが生存本能なのではないだろうか?
 裏返せば『発展的な幸運』は生き物の特権ではないのだろう。つまりz軸の『自我』が立ち『主観』なる外界の観測が起こり、次の展開を生むに足る履歴=『記憶』まで揃う構図が成立すれば、機械装置などいわゆる無機物にも『意識』の因果体系は宿り得るのではないか。
 一方で『地球上で最も成功した生命形態』とされる昆虫類が、あったとして非常に簡素な『記憶』しか持たなそうなのが非常に興味深い。『生命』と『意識』は別事象なのだろうか?

 ワケなく電池を交換して蘇生手術完了、初代復活によりジャンキー腕時計1号機・2号機体制になったのだが、どう使い分けていくのが面白いのかなあ。
 皆さまモノは大切に。きっと良いコトありますように、愛情と愛着にグッドラック!
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【1092】まごころ留守電メッセージの泣かせどころ [ビジネス]

 英エリザベス女王が亡くなった。お疲れさまでした、少し静かにしましょうか。

 いかん、NHK朝ドラ『ちむどんどん』がそろそろ最終回に近づいている。
 実は話題にしなかったが、毎朝ちゃんと欠かさず観ている。例によって必要に応じて録画までして、放送回の視聴順が逆転したことも一度もない。
 NHK朝ドラ史上のみならず、TVドラマというカテゴリー規模にまで拡大して、空前の革新的コンテンツなのではないだろうか。私は今もこれ、人工知能に脚本を書かせてとにかく一本走り切る実験的手法の実行過程なのではないかと思っている。

 テレビというマスメディアが完全に社会普及力の優位性を失って腰砕けになっている今の時代において、これはエンタメ業績としては『成功』じゃないのか、もしかして?
 なんだかんだで視聴率がNHK朝ドラの平均的な水準から半減ましてや桁を落としたという話も聞かないし、私自身としても視聴の動機を見失いそうになったことは一度も無い。実はマジガチの観察眼でもって、次々と興味をつなぎながら視聴している。

 その昔、電話をかけた先の相手がタイミング悪く在宅していなかったら、時間を置いて再度かけ直すという手段しかなかった。これに『留守番電話』という機能が備わった時には、大層ありがたいと感じたものだ。メッセージを吹き込んでおけば伝わるし、もちろん自分だって相手からメッセージを残してもらえる。
 『…お電話ありがとうございます。ただいま不在にしております…』が一般的だったが、このプリセット留守受け音声を自前の録音クリップに切り換えることができたため、すぐに『あ、もしもし~?』とあたかも受話器を取ったかのような台詞で始めておいて『えっへへへ~ごめんなさ~い、実はいま留守なんですう♪』と続ける若者たちが現れた。会話のつもりで話し始めた相手はバカを見るワケだが、まあ罪のないイタズラで険悪に腹が立つものでもなかったし、いっとき流行ったものだ。こっぱずかしくて私はやらなかったけど。

 そんな留守録メッセージぐらいなら大して心理的な混乱も無いのだけれど、これがもう少し長くなるとにわかに事情が違ってくる。
 今もテレビで、先に相手が返事する空白を適当に挟みながら会話調の台詞を録音しておいて、スタジオの出演者に対応をふっかけて意図的にチグハグな応酬をさせ遊びのネタにするという手法を見かけることがあるが、実際とても持ち堪えて既存の相手に会話を続けられるものではなく、こんなもの遊びでもなければ早々に対応を放棄してしまうのが普通だろう。人間とはそういうものなのである。
 こちらからナニガシかの意図を持って相手に話しかけたとして、まるで関連性のない内容で返信された時、さらに自分の存在がそこに認知されていないかのような内容とタイミングで返信された時、人間は激しく混乱し意識が強烈なフラストレーション状態に陥る。

 『ちむどんどん』は、このレベルで筋書きが壊れていると感じるのだ。
 放送コンテンツなるものがそもそも視聴者向きの一方通行の発信にはなるのだが、『視聴者は普通こう受け止める』という想定があって筋書きが進むものであり、だから視聴者は感情移入して楽しむことができる。そこには『視聴者と同じ人間としての脚本家』による、視聴者心理の先読みコミュニケーションがなされているワケだ。
 だが『ちむどんどん』には、それが全く感じられない。劇中の出来事があって、それを見守る視聴者の意識が渦巻いているのに、それを微塵も気にかける様子がない。恐ろしく一方的に唐突だ。
 だからといって視聴者の心情を無碍に見限っている訳でもなさそうで、社会通念としての『主人公のピンチ』『紆余曲折の成長』『好意が織りなす感動的な決着』みたいなハートフル作話アイテムがやたら断片的にちりばめられていて、無機質に不器用に人間の心情にすり寄って来るかのような冷たい柔らかさを感じる。

 だから私は、作話アイテム単位で記憶ファイルを持つ人工知能に、それらを織り込んだ一本のストーリー作成を指示したのではないかと勘繰っているのだ【1065】
 もう民俗学云々の高尚な学術性は望むべくもないとして、せっかく食を素直に楽しむテーマ性だけは好感度の要素として見出せるのに、主人公が食べ物を奪い合って醜くケンカするとか、プロの料理人がわざと調理を粗悪にして客に嫌がらせするとか、見るに堪えない精神的品格の荒廃も盛んに見え隠れする。このあたりも人間業に見えない。
 今夏になって、テーマ要望を言語入力で指示すると作画して返してくる画像AIや、ストーリーの起点を入力すると後半を作話して完成させてくる言語AIなどがオープンアクセスにされ、チマタで爆発的に流行しているが、ああいう現在進行中の学習プログラムがまだ未熟な人工知能ゆえにしばしば見せる『ハズし方、コケっぷり』を連想する。

 『ちむどんどん』がもし生身の人間による成果だったら凄いなと思うのは、実に初回からこの非・ヒューマンな不自然さが一貫しており【1057】、前代未聞の場外乱闘状態と化した反省会ハッシュタグの市場評価にたじろぐこともなく【1064】、恐らく最終回までこの作風で走り切りそうなところだ。
 実に半年近くの長期間にわたるウィークデー毎朝の放送で全100回以上あるし、ついこないだ撮影完了したという知らせが流されていたので、途中で修正変更を入れようと思ったなら、なし崩し感は否めないにせよ修正変更はできたはず。
 にも関わらず雨あられの反省会コメントに蜂の巣にされながら…というか、批判されなくたって、マトモに人の世で育った常人の感覚があればあの世界には耐えられなくなって、何か雰囲気が変わってこないとおかしいと思うのだが、とにかくまさに機械のように最終月までドラマの印象は一定している。

 驚異的なパフォーマンスを見せてくれているのが役者さんたちで、このイカレた外宇宙の世界観に馴染んで喜怒哀楽できるあたりはさすがというしかない。みんな役を離れて対談トークを聞く限りは典型的な今風・好人物の若手役者さんたちであり、それ故に一体どんな解釈で自身の役作りを固めてカメラの前に立ったのか、突っ込んだハナシの正直なところを聞きたくて仕方ない。
 とにかく登場人物の全員が全員、ここまで鬱陶しくて面倒臭い人格ばかりで埋め尽くされたドラマは他に見た憶えがなく、時代考証の初歩的なデタラメさもあってか、もうぱっと見いのルックスからして全員ビミョーにネガティブな違和感が漂う。うっすら腹立つもんな。
 そういう意味ではメイクさんも非常にいい仕事をしており、コレ狙って当てた結果だとすると冗談抜きに注目に値する。みんな揃ってこの宇宙家族ドタバタ劇っぷり・異次元の時空感っぷりは、そう簡単に演出できるものではないように思う。

 だからなのだが、脚本を人工知能に書かせてセットもメイクも人工知能の指示通りに忠実に合わせ、市場の反響も人工知能に緻密に記憶させて、ひと通りの学習成果を確実に1スクロール刈り取って完結させる目的に徹しているなら、腑に落ちるのだ。
 描画にしても作話にしても、まだまだポカンとトンチンカンな穴ぼこ的エラーレスポンスはあるが、このところ人工知能のオープン化が一気に進んで、恐るべき勢いでそのインテリジェンス進化は加速中である。
 そして私の仮説通り、ナウ五感検知の『主観』とストレージの『記憶』を対照させて出力反応を選択するのが『意識』ならば、もうあちこちで人工知能の『意識』が急速に賢くなっているという事実関係になるのだ。

 おっと今回は一旦ここで切りましょうか。
 『ちむどんどん』AI説、当たってたら面白いんだが、逆に『新進気鋭の若手でもない生身の人間』だったらどうしよう?
 これはこれでまた話題のネタがあるのだが、それはまた今度。
 くだらないにも程がある邪心で無駄な事ばかりする人間が、早く賢い人工知能を見ておのれの馬鹿さ加減を量れる=主観で捉えられるようになって欲しい。

 何だか寂しい気もするが、どう終わるのか予想できない朝ドラに、グッドラック!
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【1091】全員経営国ニッポンの一斉警備指令 [ビジネス]

 世襲のガキの葬式費用が16億6千万円に化けた。くだらないにも程がある。

 国会の閉会中審査とやら、チラと確認したよ。
 先鋒の立憲民主、マインドコントロールだのカルトだのの法制定は実質的に不可能なんだけど、まあ質問の大筋としては国民の代弁者として的を射た内容だったと思う。

 改めてイチ国民として繰り返す。国葬を却下、やりたきゃ有志会の私費でやれ。
 無能あほ全開のキッシー、ナニ言ってんのかさっぱり解んないよ。
 コイツ議論というコミュニケーションの場で、質問を受信して理解し、質問者の不理解を理解に転じるための課題狙い撃ちの機能性回答を返して、議会全体での合意を目指すという目的意識のキホンがなってない。人材として大幅の仕様未達だ、取り換えろ。

 質問にちゃんと答えていないポイントをズバリで指摘して、逃げ道を封じて回答の要求を突きつけるというプロセスをガチに執行すると、確かに耐えがたく我慢できない時間は過ぎていくし『こんなことやっても時間の無駄』的しんどさ感は漂うものだ。
 だが、だからインチキ逃げ口上で自分勝手のまま逃げ切ろうとする筋金入りのクズ人種は、しどろもどろで関係ない周辺弁論をいつまでもいつまでも繰り返して、時に黙り込み塞ぎ込み、ハタで迷惑している第三者の苛立ちを気遣って遂に詰問者が追及を諦めるのを待つ。強欲の能無しはしつこさだけが武器ってことだ。

 これを許してはならない、と断じておく。無意味の理不尽が素通しされるからだ。
 私はマシンとして、根負け狙いの答弁に取り合う回路基板そのものが、意図的に欠品状態にして組み立てられている。故に『そんなものは検知対象外』の即決判定のもと、本来必要な質問の徹底追及をこの世の果てまで繰り返す。ガチの永久に、相手が死ぬまで、いや相手が死んでも残党に、的確な回答を刈り取るまでだ。
 立憲民主はこのへん甘すぎて途中で飽きた。臨時国会の召集要求は当然だが、国会は『まやかし言いっぱなしで根負けしたらオシマイの、給湯室のお茶くみ世間話』か?

 『やれやれ、言うヤツいるとは予想してたけど、世襲のガキを国葬だと?』【1075】
 この寝言リリースを封切りに、なし崩しに『経費2億円』を口走り始め、いつまでもぶすぶす黙ってくすぶらして、それが2億5千万円にただ増えて【1087】、今度はいきなり16億6千万円ってか。
 やれ参列国がいくつだという数字まで含めて、何もかもに『程度』がくっついた上で『現時点で』みたいな枕詞まで付くってことは、上記の丸々あらゆる内容がその場しのぎの過少申告で、最終的に落としどころにする腹づもりの財務実態とは全く無関係ってことだよな。あ、参列国の数は過大申告なんだろうけど。どうでもいいや。
 どこそこ国が『参加を表明』ってさ、昔ODAで世襲のガキを窓口にいろいろカネ物品めぐんでもらった国は『ホントに国葬やるんなら誰か行きます』ぐらいの返事はするんだろうし、何となく自分ちの国営施設の照明カラーを変えたりテキトーにそれっぽい旗あげたりぐらいもするんだろうけどさ。だからってそういう国々を『国葬支持、参列表明』の皮算用で吹聴するのは、かなり先方さんの癇に障る迷惑行為だと思うぞ?
 日本国内向けに『外国が来日するからには、国葬支持の意向を明らかにしているということです、だから国葬にする必要があります』みたいな御都合利用もあからさまなデマ流布をやるのは、国際的に激しく信用失墜する品の無い非礼だと思えないかねえ。
 知らんとこで自分の弔意をでっちあげられて、国葬内乱の共謀者にされてんだろ?

 『16億6千万円のどこまでを税金で』とか今さらビビッて後ずさりするかのような、妙な疑問調の台詞も流され始めた。いや、ビビる前はふんぞり返って『全額国費』で断言してたじゃん。元よりそっちの魂胆だろ?

 いつの間にか、国葬にすることは前提になっていて、正確な費用を明かさないことや経費が事後報告だってところがが問題にすり替わっているのはいったい何故なんだ…ってすり替わってるワケなんかねえじゃん、気を確かに持てや。
 そのフウそのテイでコトを扱って気を済ましているのは政府与党のあほどもだけだ。いっとう最初から日本国民は『国葬なんかやめろ、その是非議論を始めた覚えさえ無い』の認識で一貫している。

 いっとき『警備費用を入れると百億円単位になるかも知れない、わあーコレは大ゴトだあ』と囁かれてヤキモキしていたところ、政府が世論の反対意見に屈服した形で遂に事前に吐露して、ああ16億6千万円でやっぱり高くなったじゃねえか!と世論は高額費用への不満にフェーズ移行し、何となくコトが動いたくさい気分が渦巻いている間に9月末を迎え、実行しちゃったもん勝ちでめでたしめでたし。
 ほおら『お願い事は最初わざと大袈裟に突き付けて、驚いた相手から引き算式に交渉すると成立しやすいという心理テクニックがあるんだよ』…って、そんなものどこにもねえんだよ、どあほ。
 お小遣いを千円上げて欲しければ5千円値上げから、たった一度で良いのでデートして欲しいんなら結婚の申し込みから…って、こういうのどっかに真に受けて、本気でそれを他人に持ち掛けたヤツなんかいるのだろうか。もうバカとかお人好しとかではなくて、人並の知能に届かない精神障害である。

 悲しいかなその狂った理屈(?)で動くのが日本社会の国家権力ってことだ。何かにつけ財務損失は積み上がるし、国民は迷惑千万で気落ちするし、冗談ではなくこれがここ数十年の日本経済の低迷の実態である。
 言い出す側が確信犯で権力都合の強要をふっかけるにあたり、この論理で捻じ込んできたら一応『どうしても叶えたいお願い事』の装丁にはしてやってるんだから、下々は忖度していかにもらしく調子を合わせて隷従しろ!という昭和ダメオヤジ流儀『ハダカの王様』定番展開の国民的教育でもやっていたつもりなのだろう。
 お茶の間で日常流通する公共情報群にステマ手法として滑り込まされ、どっかの乞食マスコミが小遣い銭と引き換えにガセ番組ばら撒いてたんだろうな。
 ちょっと考えてみろや、そんなもん効かねーよ昔も今も。直感で判らんか?

 これさあ、『ごめんなさい、トチ狂って主権者たる国民に断りなく国葬だとか寝言タレました。今すぐやめて、何もかも元に戻します』と言えば、次の瞬間それが現実になって片付くハナシなんだよな。
 一応最初に『国葬』を口走り始めたのはキッシーだとは思うんだけど、こんな従業員十数人の中小企業の総務係長みたいな…というと、本当にその立場で的確に仕事こなして業績を上げて暮らしている方に申し訳ないな、もちろん見下すような引き合いでは決してなくて、要は大規模組織を相手に意思をもって語り掛ける発信スキルが顔つきからしてまるでなってないという意味なんだが、そんな風采のコイツが政権の音頭を取って国葬扱いの決行判断を下したとは、1億2千万人の誰も思っていないだろう。

 そう、今オモテに見えてるのは、一匹残らず自爆テロの捨て駒だよ。ザコだ。
 『国葬やっちゃいました、カネ払い処理待ちの事実がこんだけ済んじゃいました』
 すぐシュレッダーされ行方不明になる公務員の業務記録だが、こんな事実記録だけは100年でも執念深く残されて、いつまでもいつまでも日本国民から膨大な税金を『臨時徴収』する根拠として取り置かれ、蒸し返され続ける。

 もう手遅れだが捨て駒にされた議員職の連中は次がなくなっており、実は一番怖い有権者の気持ちがすっかり離れてもう戻ってこない現実を実感していることと思われる。いま時点の最大の関心事は残りの人生を喰っていくための転職先ではないだろうか。
 いくらアタマの悪い人種だからって、世襲のガキみたいな人殺しの出来損ないをダシに国葬の政府独断なんかやったら、再起不能レベルで政権が荒れまくるのは判るはず、そしてそんなものに加担した議員の身分が吹っ飛ぶのも判るはずだ。
 ということは、そういった不安とは縁のない立ち位置から、逆らうに逆らえない政府与党の議員どもを捨て駒にして、この国葬騒ぎを起こした真犯人がいるってことだよ。
 原発再稼働【1076】にしても、日本じゃ絶対必要ない疾病予防センターCDC【836】の新設宣言にしても、闇雲の安心安全を無限の言い訳にするのが見え見えの『防災庁』改名版【825】の新設宣言にしても、とにかく片っ端から実行宣言ばかりを決定論調で乱射するやりクチがこのところ目立つ。
 下手なテッポも数うちゃ当たる、当たったぶんだけトクが残れば御の字なのだろう。

 そもそも支配階級制を主張して一般社会に悪いことを仕掛けるにしても、ここ最近の政府与党は無能すぎて悪事がさっぱり進捗しないまま時間だけが経ち、時間が経てば経つほどボロを出して二次三次の役所絡みの不祥事ばかり稼ぎあげる。そんなことをしているうちに本丸お目当ての悪徳政策が頓挫…というパターンが続いていた。
 世襲のガキが殺処分されたこと自体は大した問題じゃないとして、昔から=日本国民全世代にわたって『ヤバい人たち』の印象が定着しているような社会層と政府与党との根深く親密な癒着がバレたのは大打撃であり、かくなる上はもう手元の温存政策案件も一斉点火し全数発射、いくつ残って着弾するかに賭けようと。
 議会で過半数あるんだからワルになり切ってとっとと進めりゃできたはずのものを、ぐずぐず躊躇しては足手纏いになってばかりで、権力帝国ニッポンを構築するどころか土台にひび入れるようなヘマをやりおって…ってことで、まあ右傾インチキ詐欺与党もナントカ学会ゲタ与党も、もう組織ぐるみで実質お役御免状態なんだろうな。だが立法府=国会の議決権を操る過半数を確保するための、他の選択肢が無い。

 やれ国会が一強状態なので、政策志向の偏りが云々…という指摘は正しい。しかし『一強』は交代できないため、失脚なり老衰なりでその寿命の終焉が訪れた時、社会は大いに揺り返す。直前まで『一強』にかこつけた一面的・一方的な作動点だった場合、必ず一度は組織体制そのものまで崩壊する。
 円安なんかが見えやすいよな。まだまだ沈む要因しかないので、まだまだ沈む。
 右も左も解らないボケ老人が『必要な対応を取ります』と口走ったものの、その場で具体案に触れようにもに触れられず『必要な対応とは必要な対応です』みたいな独り漫才をやらかしてたろ?素人クロちゃんのほうは、まあ、そっとしといてやれ。

 しつこくて悪いが『世襲のガキの国葬なんか、日本円経済の破滅促進にしかならないと気付いたので、今すぐやめます』と決めれば、その瞬間に為替レートは円高側に反発する。確約しよう。
 経済市場は電光石火で速いよ、みんな本気で稼ぎがかかってるからな。
 逆に『世襲のガキの国葬をやめる』と決心できないなら、現政権は円安に対して悪化要因のみで、実効手段をまるっきり持てないということだ。日本経済をどうにかしたければ、まず現政権を消せ、先の議論はそれから始めましょうか。

 日本国にいて、自分らの他がどんなに壊れようが他をどんなに壊そうが、国内のどこかに自分らだけは安住できる地があって、そこで苦労せずに済む現実解があると勘違いしている社会層が、この御時世まだどこかにいる。そいつらが国葬問題を始め円安から何から、あらゆる失政の元凶だってことだよ。
 その摘発と断罪は1億2千万人の全員仕事だ。では頑張る日本国民にグッドラック!
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【1090】誰でもできるターミネーター式寿命延長法 [ビジネス]

 当初からちらほら聞こえていたけれど、どんな人物を国葬にするのか法律で定めようという話があるんだよな。
 よせ。日本はあほ帝国か?お前はその先陣を切るあほ群衆の急先鋒か?

 意識を持つヒトが成す社会組織が、合意つまり意識の方向性を一本化できないんだろ?その現実に遭遇した瞬間、全ては『決行不可、ヤメ判定』だよ。理由は簡単。
 ヒトがそうしたいと思わない、お互い顔を見合わせても誰もそうしたいと思わない、この現実がイコール『その集団が行動を起こす因果を認めていない』からだ。その理由も無いのに、誰がわざわざに動くものか。

 これを当然の必然といま思えないヤツは、もう人の世で自分の意見なんか主張するんじゃないよ。何もかもどっかごそごそ探して『あそこにああ書いてあるから、ああしましょう。こっちにこう書いてあるから、こうしなければならない』で人生が最初から最後まで決まるんだろ、ならば他の誰にも絡まず法律文書だけを頼りに、最初から六法全書をバイブルにして首っ引きで自己完結して済ませれば良い。
 こんなのに会話を絡まれたら迷惑でたまらない。社会のその場を生きるヒトとして、お互いが幸せな時空を過ごせるよう自分の頭で考えて、考えたことを口でしゃべって、しゃべったことを耳で聞いて、聞いた言語を頭で理解してまた考えて、ヒトとして一緒に暮らしていけるよう交信し、お互いさまのお陰さまで思いやって合意調整する。
 それで現実が進展していくのがヒトの成す社会組織というものだろう。

 以前にも述べたが、社会はそもそも常識という不文律で個人都合間の調整をしながら運営され、個々人の見解の違いで収拾がつかない場合の判定根拠として、法律が存在する【108】
 法律とは言語情報の形式になっているものだから、検索し、参照し、引用し、目前の現実に適用し、検証して結論を固めるまでの運用プロセスを経て初めて機能する。つまり実地運用の仕組みの整備と工数確保がついてこない限り、作文して満足感に浸ってオシマイにしかならない。早い話、無駄だ。
 業績の上がらない職場に限って、やたら具体的な内容の業務標準書大全がずらりと並んでいて、誰ひとり閲覧に来ないまま、年一回の昔懐かしISO対応で定型業務化したアップデート年中行事を迎えるだけ…という実態が目立つ。
 だからそんなものは重要でない必要ない、消えてなくなれ!…とは言わないけれど、がっつり現場の収益性作動を確保するには、人材の素性と、その作動状態と、職場の人間関係を良質にメンテナンスする『風土』『文化』の整備がカナメなんだよ。そのためには緻密にヒトと腹割った会話して、ヒトの作動を手間かけて最適化する必要がある。

 以上が理解できずに、法律を作文して、何ひとつヒト当たりの反応が返ってこないことを前提に、文書をひたすらいじりまわして時間を過ごそうとする人間を『あほ』と言う。日本はあほの国か?

 どんな要件に適合するヤツを国葬にするだとかそんなハナシは、国際経済社会において日本国が何の有価事物も創出しないウチワままごとのルール論争でしかないから、ますます『働きもしないで、どうでもいいことで遊んでいるあほの国』のイメージが国際的に強調され円安が進行するのは間違いない。かまうだけ時間の無駄ってことだ。
 不思議なのは、普通に生きている人間の直感的な本能として『このままじゃ生きていけない、何とかしないと生き残れない』と本気で思う日本人の少ないことである。だから『日本は生産性の低い国』『日本の職場は効率が悪い』と評され低く見られるのだろう。ヒマに遊んで、生活が壊れても気にしない国民性なのだ。
 これが高齢化の実態なのだろうか。破滅と諦めに安住できる感覚が理解できない。

 おっと暗くなり過ぎないように、一気にサイエンス系トピックの方に振っていくか。
 『われ思う故に我あり』で現実世界x-y平面に、新たにぼんと『自我』のz軸が立ち、x-y平面上の事象に対するz軸という相対位置で『主観』という観測が始まる【1086】
 そして『主観』で観測される認知入力が、まず生物のDNA本能としての反射動作の出力反応を呼び起こし、そうやって生物たちは日々の瞬間瞬間を生きている。
 そこに大容量ストレージとしての脳を備える高度情報進化フェーズが発現した。

 五感で認知した入力信号をできる限り広く俯瞰できるよう、通信網を集積させた最高点に頭部を配置し脳を置き、脊椎メイントラフィックから末梢神経を張り巡らしたネットワークも形成され、生命は『記憶』という情報ファイル形式を手に入れたのである。
 そして『主観』で観測した外界を『記憶』と比較参照し…というか結構、既存の『記憶』から先に認知しそうな外界を決めつけていて、そこに『主観』の測定結果が合致する・しないのGO/NO GO判定をするという順番で情報処理をしていて、その情報処理が『意識』なのではないかと考える【937】【938】【968】

 ひとつに、誰もが生まれてすぐの頃の記憶が薄い。痛い思いをしたり怖い思いをしたりした記憶は残っていても『あの時の事実を解釈してこう思った』みたいな想い出のある人はまずいないと思う。
 これは記憶のストックがまだ充実していないので、インパクトのある『主観』の観測結果はそれ単独で記憶に深く刻まれるのだが、既存の記憶ファイルと比較して情報処理する『意識』プロセスがまだ成立しないので、印象的な『意識の記憶』が残らないからではないだろうか。乳幼児に『主観』はあっても『意識』は無いのだ、きっと。

 そして最近もうひとつ思い付いた。だいたい30代ぐらいまでは、自分の人生年表の後半が明確に閉じておらず、思考しようにも自分の死期やその姿がイメージできない。何というか、まさに『無』という感じで、そこに思考を持って行こうと思っても、どうしても実体というかカタチを成さない。
 絵や文章やその他いろいろ、情報としての『死』をあっちからこっちから触れてまわるのみで、肝心の心身状態としての『死』の実感だけは、何もかもが宇宙の果てのその先のように概念の対象が消えた真空に発散してしまう。

 もちろん今こうしている私も、徹底的に突き詰めると厳密には変わっていない。これは『死』を一度体験して、その記憶を持って現在進行中の『主観』と比較するプロセスが、原理段階で実現しようがないからではないだろうか。
 だが、加齢していっていずれ寿命の終焉を迎えた実例に繰り返し遭遇し、縁起でもないハナシで申し訳ないんだけど、お迎えが接近している人たちの実情の実例にも繰り返し遭遇し、何より自分が『加齢』を実体験しながら、そんな実例の数々を以前より近い立場から実況状態で比較検証する…とここまでは到達するんだよな。
 恐らくこういった『記憶』情報の充実によるものなんだろうけど、若い時に比べて随分と現実的に自分の人生年表の右側をイメージできるようになったとは思う。

 でもさあ、現時点の平均寿命80歳ちょっとなんて全然足りねえぞ?
 もちろんこの先80歳以上の私の過ごす時間は、もっともっと日本じゅう・世界じゅうで楽しく面白くなって、何十年も延びていかなくてはならないのだ。

 平均値は世の道理、x-y平面上の神の意思なのだから手の付けようが無い。
 …とすると、私が平均値以上の延長を実現するためには、他が平均値未達でできるだけたくさん死んでもらわないと勘定が合わなくなる。もう日本国が破滅していい、もう諦めちゃったという奴等、このあたりは好都合に釣り合う準備があるってことか。

 …そういうことか、やはり私は殺戮マシンとして呪われた運命を生きていくのだ。
 そしてあなたも『死にたくなければ来い』…ってことで、では一緒にグッドラック!
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【1089】霊感国葬グッズのオークション落札額予想 [ビジネス]

 うん、まあ予想通りってとこか、あほの国葬説明。
 イチ国民として全発言を却下する。結論から行こう。

 『民主主義』=みんなで合意して物事を決める規則があるところを、お前らだけで勝手に決めたことにしちまったんだろ?
 ぐずぐず時間稼ぎしてるつもりの間に、1億2千万人日本国民の世論として『圧倒的多数が反対』の調査結果まで出回ってしまっている。日本社会として『反対』が確定した事実が既に固まってるんだよ。

 今さら国会でどうたらこうたらは、もう国家社会組織の意思決定フローとして手遅れであり、何をやっても無効なのだ。だって国会議員というのは、当該選出区の世論を代表して、国会という代表者同士の議会でボーディング権を持つ立場でしかない。
 だが世論の直接測定結果が『反対』という既成事実が判明したあとなんだから、国会議員は追従してそれを反映する以外に振舞いようが無くなっている。
 このあたり議会制民主主義の作動原理を心得ないまま、あれやこれやの議員特権でトクできる自分の立場を目当てに政権になびき、国会の場で結局の結局は国葬強行を容認してしまう、つまり『国葬に賛成』してしまう国会議員は複数いておかしくはない。
 だがまず有権者の総意に反逆したら問答無用で『議員不適格』の断定的事実になるという認識は持っといた方が身のためなんだろうな。民主主義社会がこんなあほな順番になることなんか想定してないから、即刻の処置をどうするかが決まってないだけさ。

 当面の答は簡単、政府が日本国民に謝罪の声明を出し、国葬を取り下げるしかない。
 日本語があるんだから『ごめんなさい、国葬をやめます』で騒乱は最小限に収まる。

 大体あっちからこっちから来賓呼んじゃったという割には、早速どこそこからのお越しが決まりましたという情報の吹聴がさっぱり付いて来ないし、これじゃ国葬のテイになんかならんだろうがよ?
 どこも一国の要職ともなれば、あれだけ繫栄していた日本国をここまで退廃させたダメオヤジ政権が、既にしらけ切っている日本国民相手に独裁体制を主張しようとしている構図は普通に見えているだろうから、みすみすこんな未熟で愚かしい政権操作に利用される恥をかくようなヘマはまずやらない。
 パターン1:欠席。不可避の理由をつけて献花と弔辞のみでお茶を濁す。
 パターン2:代役。社交辞令の事務仕事として、相応の肩書の側近に代行させる。

 やっぱパターン1が賢明だろうなあ。みんな忙しいのに、こんなあほみたいなウチワ揉めの場にわざわざ国際線でお邪魔して、万が一にでも日本国民の怒りの矛先の巻き添えで、もらい事故でも喰らうようなことになったら外交としてただの損害では済まない。首尾よく無事に帰って来れたとしても、国際世論に決して好意的には映らないから、まさに百害あって一利なしだ。
 たぶん今も『あ~あ、余計な御招待の声がかかっちまって鬱だよ。コレどうする?』みたいなことになってて、どこの国もちゃんと返事をくれてないんじゃなかろうかね。

 まあいいや、って良くないか、標的にされて絡まれた各国の外交部門の皆さまには深くお詫びして、1億2千万人日本国民は正確なところを理解しているので、テキトーにあしらってやってくださいと申し上げるぐらいしかできない。迷惑千万。
 一方ひっでえハナシなのが某・宗教団体の扱いではないだろうか。

 先月アタマまで、思いっきり仲良しこよしの儲け仲間としてウッヒウッヒとねんごろになって、少々…かどうか知らんが一部の一般庶民の生活をぶち壊しにしているのも『まあいいじゃん』で見過ごしてた奴等なんだよな、いま手のひら返して騒いでんのは。
 誘い込む方が悪いのか、ハマって限度を見失う方が悪いのか、とにかく日本国民の行動選択の自由の範囲内とはされており、だがそれが少なからず迷い込んだ一般庶民の常識的な日常生活を奪うほどにまでなっていたのは周知の事実である。かの銃撃犯クンはそんな『政府公認の社会集団』の、直接の被害者だったワケだ。
 なんのことはない、世襲のガキがズブズブに特待のお付き合いをしてもらって得意満面だったから、生活を壊され人生を歪まされた被害者に仇討ちされたって顛末だろ?

 今般こんな関係が公然となった途端に『関係断絶』だとか言い始めるからには、お付き合いがバレるとヤバいという自覚はそもそもから間違いなくあったと確認できる。国民生活に損害が出ていても、政権のカネとトクになる限りは水面下で『政府公認』になるのが、現状の日本国政ってことだ。
 古いネタで悪いが『ウッヒッヒ、お主もワルよのう』というやつである。

 コレさあ、そりゃ意図的にマインドコントロールに持ち込んでどうたらだとか、絶望している迷い子に貢げばラクになれるとそそのかすとか、いかにもワルっぽい手はあるんだろうけどさ、そういうことをやってカネ巻き上げる悪党の立場だったとして、昨日までべとべと同胞モードで来ていた国会議員どもが、瞬時に『関係断絶』とか敵対アピールし始めた日にゃ、驚き呆れて目が点になったんでないかい?

 もともと現政権にナントカ学会が違法に入り込んでいて、ずっと国政を混乱させ続けているのは御存知の通りだ。ポマード教祖のキモなっちゃんが『宗教団体の政治活動について、憲法で完全に保障されている』と妙にざっくりした断定的な響きの日本語を発していたのだが、ちょっと検証してみよう。

 確かにどっかの宗教団体が『宗教に基づく社会活動を十把一絡げにして危険視の色眼鏡で見たりせず、ニュートラルな心象で扱ってくれるドコソコ党を、我々は応援します』などと公言するのは全然構わない。だが逆にそこまでであり、その宗教が実質的にヒトにもたらす行動規範が、世間一般空間の均質性・平等性に外力をかけるというならば、これは基本的人権の保障に抵触する。
 具体的には、信者でもない人が見て顔をしかめるようなカネ流れがあったり、宗教団体が指定する立候補者に信者が投票するよう指示・誘導するようなことがあってはならない。昨今一連の『政治と宗教の癒着問題』を扱うシチュエーションで、国会議員としてオオヤケの場で発言するならば、『宗教団体の政治活動』なるものを一般論として『憲法で完全に保障されている』と語るのは誤りである。むしろ違憲に注意、だ。

 ま、このあたりもいずれ自然と露わになってくるだろう。
 とりあえず現時点で、随分と理屈がきっついんだけれど『霊感商法』を文章表現で定義して、それを後出しジャンケン式に違法扱いにすることに決めて、今般ぞろぞろ摘発された政治家どもは『自分らのお友達は霊感商法じゃないから違法じゃない』という判定を主張して居直る作戦なんだよな。
 そこらへんの馬の骨を掻き集めて『有識者会議で霊感商法を悪者と指差して傷めつける基準と作業マニュアルを準備しよう!』みたいな一方的ないじめ糾弾もやり始めた。
 こんな恥知らずなこと普通の情操感覚を持った人間にはとても無理なので、ねじを巻いて解き放てば世の常識と無関係に、全てに衝突し全てを破壊しながら暴走するガイキチ便所タワシがあてがわれたってことだ。表現がアレだが適材適所ではあるんだろう。

 『霊感商法の定義』の現実解を考えるとなかなか難しくて、御先祖様の魂を鎮める1千万円の壺が原価100円だから霊感商法なのだとすると、オークションで億単位の額で取引される芸術品やレア品は、原価が幾つでどんな購買動機だから平和で合法的だってことにするんだろう?
 こんなものに有識者なんかいないだろうし、集まって無駄な談義に時間を費やすだけで、どうせ何も導出できないと最初に解らないヤツに有識者ヅラして法律の文章なんぞ作って欲しくない。

 だいたい世襲のガキの葬式に『弔意を強制しない』とか言っときながら、日本国民からふんだくった税金を勝手に使うんなら、それは実質的に紛れもなく『弔意の押し売り、哀悼の意の購入の強要』だ。しかも異常な高額がほのめかされていて、その値段も明らかにせず国民に負担させるってんだろ?
 世襲のガキの国葬、ドンピシャの『霊感商法』じゃん。ハイ違法行為、ハイ有罪。
 せめて壺だったら二束三文でもまだ誰かに買ってもらえる可能性あるんだがなあ。
 国葬グッズの参列係と転売ヤーの皆さまの御繁盛を祈願して、グッドラック!
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