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【1140】正々堂々一発当てる大穴狙いの実直命中率 [ビジネス]

 今度の統一地方選が4月9日だから、騒がしくなる前にカジノIRの話題を。
 昨年のうちに大阪維新の会から大阪府知事・大阪市長の両候補が発表され、いろいろと紆余曲折もあったと見受けるが、このほど対立候補も概ね出揃ったようだ。
 相変わらず『大阪維新 vs 反・維新寄せ集めの急造勢力』という構図が残存しているが【272】【339】、随分と明暗が分かれてきたように見える。どっちが明でどっちが暗かは、まあ置いときましょう。

 かねてから述べている通り私は大阪湾人工島でのカジノIR起動に大賛成しており、これは日本国が背水の陣で臨む、起死回生の、そして唯一無二の財務改善方策だと確信している。改めてしっかりと断言しておく。

 日本国財務が現状ママで特段の対策措置もなく楽観的に将来を迎えられると思っている日本人は、さすがにもうどこにもいないはずだ。数年前までちょろんちょろん経済学者だのエコノミストだのの名札ぶら下げて、『日本はまだまだ大丈夫』『日本経済の底力』『日本の借金を気負うのは勘違い』みたいな無責任な漫談がやれていた日本経済界が実際どの程度のモノだったのかよく判る。
 人類文明としての経済を理解も運用もできない黄色いサルのサル山あってこそ、真顔で公言され誰かが取り合うとして、あんな現実性の無いシロート楽観論が横行していたワケだ。日本国内に、まともな社会システムとしての『経済』の概念は存在しない。

 学術めかした曲解や頓智の類は経済専門家を自称するサル畜生にやらしとくとして、日本社会は我々1億2千万人の集団ひとつとして『ちゃんと返済するから』と約束した上で、1千兆円以上の日本円をこの世に借り出して、既にその借入金は日本社会の運用に供されて、日本の生活の何らかの一端として使われて出回ってしまっている。
 将来、借り込んだ額のぶんだけ『これは、世の中で使えるお金だよ』と名実ともに公認で保証のついた日本円を、耳を揃えて目前の卓上にぽんと現物として用意し、『ハイこれ、約束通りにちゃんと返したよ。どうもありがとう』と公認で返済処置を完遂しない限り決着しない。当たり前だ。

 いい大人が、このあたり全部知って解った上で、今ここまでやらかしたのだ。
 人が暮らす社会において『価値』という概念が定量的に数値換算され『カネ』と引き換えられて流通する。人類文明が価値を見出す事物を日本社会が国力として『生産』して、それがカネ=日本円に換算されて経済がまわり、景気を支える。

 カネとはそういうものだ。
 だから社会におけるカネ流通現場の一面として『たくさんカネを持っているヤツは、経済として動いている多くの事物を、自分の支払い能力と引き換えて好きに動かせる』という権力構造が顕れるのである。そういう位置関係になる。
 まあ、みんなカネを欲しがる根本的な理由がこれだよな。とりあえずカネさえあれば、経済取引に絡む生活領域のあらゆる事象は思いのまま実現できるのだ。

 だが元々は、それだけの権力を自由に振り回すだけの『社会が認める価値』を生産していて、それ相当のカネが生産元の手元にあるはずなのだ。順番としては『社会的価値の生産』が先にあり、その結果として数値換算された『経済権力としてのカネ』が世に送り出される。
 裏返せば、先に日本社会総力としての生産で生み出された『価値』もこの世に存在しないのに、ただ印刷物として刷り足された日本円に、カネの機能など備わらない。

 『いやいやコレは立派に価値のあるおカネで、それを前借りしただけの借金です』といくら言い張ったところで、そんなもの何の『価値』の前借りになっていて、今後の日本経済のどこで生産されると保証された『価値』が釣り合うのか、答えられるヤツいるのか?
 今さらのハナシだが、1億2千万人の誰ひとりその価値交換の完遂を本気で約束せず、中央銀行に日本円を無節操に刷らせてしまったのだから、現時点で日本円がロクな価値根拠もない紙切れにしかならないのも必然のなりゆきなのだよ。

 まあいいや、改めて上記の通り、いい大人がそのへん解って借金作ったんだろ?
 外為市場を見る限り既に打つ手なしの底なし沼だが、それでもなおの一応ながら『日本円がただの紙きれ以上の価値媒体である』として流通する経済効果は、市場である程度認められている。この価値認識が地球上の経済市場のどこかに残っているうちに、リアルに現存する人並・他国通貨並の社会的価値と日本円を釣り合わせて、借金の清算を急げるだけ急ぐ以外に手段は無い。
 人類文明の課題として組み合う腹も固められず、黄色いサルがラクやトクの引換券としてだらしなく世に撒き散らしてしまった日本円が『カネ』として見てもらえるうちに、手早くは外貨と交換してもらってまず『国家資産の価値化』を図る。
 こうして国際的に価値評価の安定している外貨を手元に持って、それを『迅速にまわす』ことで、国際通貨市場における『より安定した高い価値』を手元に増やしていく。

 そう、カジノIRだ。
 ヒトが自身で保有した価値を、自らの判断でカネに換えて偶然の行方に託す娯楽。
 人間の、いやもしかすると生物の生存本能システムファイル領域に共通しているかも知れない偶然志向=実力勝負に終わらない幸福願望の産物である【1129】

 なるほど国家運営での価値管理を誤った日本円を見込んでくれる人を探して、わらしべ長者式に価値増幅を図るという戦略なんだから、正直『欲を出さずに地道に真面目に』という清貧さは捨てている。 
 だがこうでもしないと、何しろ今まで『欲にまみれカネに目がくらんで不真面目一方に』通貨の本来意義を食い潰した日本円が、世界経済市場のスケール効果の希釈力を借りて、合法的に原理相応の作動状態を取り戻す現実解にはなり得ない。
 言い訳できない・しょうがないというより、よくこんな四角四面を自発的に遊ばせるような文化が世界のあちこちで後ろ暗さもなく、むしろ煌びやかなあだ花のイメージで平和に普及してくれていたと喜ぶべきであろう。

 カジノ反対でだらだら食い下がる反・大阪維新の『大人になれない聖者』ども、オマエら今そこまでカジノIRの弊害を騒ぎ立てるなら、何故こんなことになる前に日本円の価値を取り戻す経済政策を死に物狂いで主張しなかった?
 当時やんごとなき理由があったならあったでその説明から聞いてやるが、それにしても現時点、オマエらごときがカジノIRをどう評するかなど誰も興味はないのだし、心底から言いたいことがあるのならカジノIRで日本国財務が改善した現実をまず受けて、その先の課題として論争するしかねえだろが。そのへん解って論戦を頼むよ。

 もっともこの程度のこと、大阪府市民はとうに理解しているはずなのだ。
 とにかく2025大阪万博は東京五輪なんかの過去事例にとらわれず、身の丈に合った内容と規模の節目セレモニーに収めておいて、『未来を狙うニッポン大逆転の第一起点』を大阪現地に打ち込む本命タスクに集中すればよい。
 これが叶えば、今のこの日本国全体を覆う陰鬱な不景気を払拭する足掛かりとなるだろう。大阪府市と言わず日本国にとって、『一致団結・一致結束』とやらのサル山帝国がやり散らかしてきた非・文明性の失敗が明確に打ち止めになり、人智による問題解決への反転攻勢が動き出す。

 まあ、そうは言っても油断は禁物!を肝に銘じて頑張っていただこうか。
 子供たち若者たち、カネに目がくらんで苦労を怠けて作った借金を、自分らで本気で返す責任感のある大人とそうでないオトナの違いがよく見える統一地方選になるのかも知れないぜ。
 試験・受験シーズンを乗り越えたら、その着地点から次を起動だ。今週も御幸運を!
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【1139】いぶし銀カクシャク大黒柱の耐久強度試験 [ビジネス]

 株式会社IWAKURAの技能レジェンド笠巻さんがぎっくり腰を引き際にいよいよ引退かあ。確かに機械工作など立位・座位で終わらない中腰の現場作業が主業態の仕事において、腰の故障率は驚くほど高い。腰は一回やってしまうと再発性が非常に高く、いわゆる持病のような定常負担になって、当人の稼働率ベースを深刻に落としてしまう。

 明らかな若者世代の目で『腰をやってしまった』という整体アクシデントを傍観するだけの立場からすると、健康で元気なはずだったしっかり者がいきなり想定外のポンコツ系故障に見舞われて、おやおやどうしたの?的なコミカルな笑いごととして片付けられがちだが、現実は全くそうではない。
 工員はもちろん、発生率は下がるが事務員も含めて、腰のトラブルは職場健康被害の圧倒的な定番上位を占める、極めて重大な職場生産力の劣化現象なのである。

 私の知る限り、たまたまの必要にかられて重量物を『えいっ!』と持ち上げるにあたり、その一発入力に降伏して腰が壊れるパターンはあんまりない。むしろ重量物らしきモノを何も持たなくとも、地面近くの低い位置に座ったり立ったり、しゃがんだり立ったり、中腰で一瞬以上の時間を断続作業したり、うつむいて作業盤を見下ろし続けたり、それが致命的な累積ダメージとして効いてしまっているイメージが強い。
 この類の姿勢が日常になっている職場において『腰の持病持ち』としての人生が始まってしまう年代は、私の知る限り30代である。
 若いうちは想像つかないかも知れないが、ある日ガタっと馴染んだ引き戸の戸車が外れるように、毎日開閉していた蝶番の軸がぽろりとすっこ抜けるように、何の前触れもなく事前の不調も無く、あっと思ったらもう現実が先行して、身体構造の組立機構が崩れるのだ。周囲に散発する惨状を目の当たりにして気付く頃には、逃げようもなく『自分がそうなる可能性のある年代』になっている。

 何とな~くだがティーンから20代にかけて肉体労働系の日課を過ごした経験のある者は、それほど凄い本業エキスパート域にまで行ってなくても、不思議と腰を痛めにくい傾向があるように見受ける。何か成長期に、特別な体格構築や適応性の身体制御を身に付けているのだろうか。
 私はスポーツマンではないし体育会系の部活をやったこともないが、中学生時代から体重の何倍かあるような超・過積載の貨物用自転車で新聞配達して小遣いを稼いだり、後に町工場では倉庫の荷運びまで交えた機械加工アルバイトをやったり、就職直後のバブル期には3ヶ月ほどにしても研修の一環として工場の繁忙ライン稼働も経験しているから、何だかんだで生命力ゾーンの体力構築は人一倍できていたと思われ、これがその後の耐久性地盤になっているのは間違いない。
 わざわざに体力づくりを意識して日頃からジムなんかでトレーニングしていても、もちろんその効果は確実にあるはずなんだけれど、日常ロードとしての軽負担が腰を壊すかどうかとは根本的に異なる要因があるような気がする。もっと泥臭い領域の初期準備の完成度が決定的なのではないかなあ。

 で、腰の故障がすっかりクセになっちゃった人によれば『何気なくひょいと荷重をかけた瞬間、背骨と背骨の間でぷちゅっと何か破裂して、生あったかいモノがぶわわあ~っと広がる感触があり、同時に腰がすこんと抜けてチカラが入らなくなる』と、聞いてるだけでこっちの視界がモノクロになって意識が遠のくような解説がなされたりもするのである。激痛で叫び声を上げるハナシの方がよっぽど爽やかだ。
 なるほど立ち上がって出勤のため自家用車に乗り込む段階から叶わず、朝の職場に『ゴメン、今日はアウト』の欠勤連絡を放って電話口の向こうで倒れる姿も想像ついてしまうワケだが、とにかく今の時代こういう知識が無いがために、人生一度きりの成長期を活かし切れずにただやり過ごしてしまう事例は数多いと思われ、若い人たちには今しかできない身体構築をがっちり固めておいて欲しいと切に願う限りである。
 平成すぐの頃に『3K=汚い、キツい、危険』と前時代扱いで軽々しく邪険にした負荷環境は、人生後半の健康ポテンシャルに想定外に効いていた。潔癖症のひ弱な洗練ニッポンが再考すべき事実だと思う。

 ともあれヒトが自然環境を生きて進化してきて、その姿勢や動作モードへの遭遇率があんまり無かった、それこそがカイロプラクティック系の重大故障を引き起こす『意外な真相』なのではないだろうか。
 ようやくその被害が顕在化した折には修復困難なまでに重篤化しており、発覚後はもう標準的な業務能力ポテンシャルを下方修正して過ごしていくしかない。

 例によってちょっと横道だが、いま御存知の通り体力育成のトレーニング方策としての『うさぎ飛び』は絶滅している。しゃがんだ姿勢からわざわざに屈伸で跳躍を繰り返すような負荷モードは他に存在せず、むしろ特殊な荷重による事故や妙な部位の故障の方が心配で『しんどいこと、つらいことに耐えて課題をクリアする』という精神面の鍛錬ぐらいしかメリットが見出せないとされるからだ。
 汗水たらしてるのに自然な身体稼働を強化するような動きになっていないのは、つまりどこもマジメに鍛えていないという理屈である。言われてみれば、確かになあ。昭和世代はみんな一生懸命に励んだものだが。
 ただ私は、うさぎ飛びで深刻に身体を壊したハナシも聞いたことがない。苦難の課題としてわざわざにでも取り組まない限り他でまずやらない動作なら、『ヤバい』と思ったらそこで緊急中断するんだろうし、そこまで思わなければ手抜き足抜きのズルで苦痛の緩和に走るのが人間というものだろう。
 『うさぎ飛び』は確かに不自然な負荷を強いる非・スポーツ学的な古式鍛錬術ではあるが、だからこそ何かのペナルティ概念を『カラダで覚える』ための強制使役としては、あながち否定するだけの習慣でもないのではないだろうか。

 …ってところで本筋に戻ってきて、マジに喰らうとヤバい負荷に対して『ああやだ、しんどい、つらい、ギブアップ!』を検知できるかどうかが自己健康管理の重要ポイントであり、実は案外と危険な負荷に限って相応の危機感や嫌悪感で検知できないものだというのが、私が半世紀余の人生で得た教訓である。
 少々タイヘンでも、それがタイヘンで、一刻も早く開放されてせいせいしたい…ってのは、みんな本当にそうするから限界を越えないんだよ。逆に、あんまり負担感や苦痛を感じない負荷モードの中に、一定確率で『生物として不自然な作動状態』が潜んでいて、それは不自然ゆえ危険を検知する仕組みが自然のなりゆきとして完成されておらず、だからこそ重大事故の落とし穴になりがちなのだろう。

 とにかく腰のトラブルはほんっとに多い。一度やると持病化して本人も辛いし仕事もまわらなくなるし、まずは『立つか座るかどっちかにする』心掛けには組織を上げて取り組んでいただきたい。職場や、企業や、業界や、社会全体レベルで、必ずや生産活動の業績に有意差をもって効いてくるはずである。

 日本社会の健康保障制度が世界随一の優秀なシステムであることは何度か述べたが【836】、これはもちろん日本社会の医療機関を国民誰もが安心して最大限に駆使できるところが有難いのであり、健康被害の現象そのものを一瞬で解消して元通りの健康にしてくれる魔法の完治術では決してない。
 どこに何の理屈や解釈があろうが健康被害は、やっちまったが最後その損害を受け入れてナンボ改善という展開でしかなく、つまり最初からやっちまわないようにして損害を未然に抑えないと、日本社会の生活財務の改善は叶いませんよということだ。生まれ持っての素の健康こそ国家と国民の至高の財産だと、厳に心得るべきである。

 若い人たちは試験・受験のシーズンが過ぎたら、とにかく歩き回って動き回って、生き物として少しでも自然に感じられる生活稼働の習慣を工夫し、長期的にそれを平常にする努力の意識を持ってみよう。
 若くない人たちは、来るときゃ突然来るので油断なきよう。お互いにグッドラック!
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【1138】風来坊ストーカーの非格闘確保マニュアル [ビジネス]

 やれやれ、戦争ボケ日本の今度の空振り空騒ぎは『風船爆弾の回顧扇動』かよ。
 丸々ほかって無視して良いとは言わないが、少なくともこの日本国が他国空域の偵察気球まで指差して、やいのやいの危機感を煽って浮足立つような話など無かろうが。

 当面の具体策としては、よっぽど穏やかでない雰囲気のブツが飛来したならば、その折には日本の国家主権としての安全管理を根拠に、その旨を国際的にアナウンスした上で撃ち落とせば済む。動力飛行でないので、どうしようもなく時間切れで我らが国土の安全を深刻に脅かされるとは考えにくい。
 当方からの捕捉と追跡を検知されたところで緊急離脱の高速飛行などあり得ず、テキは浮力を奪えば確実に落ちるんだし、どうせ海上にしても地上にしても現物の回収部隊を向かわせておいて落とすだけだから、まあ接近して相対速度を落として、一撃必中率の高い手段で始末すればよかろう。現場知らずの簡単すぎる言い草でスマン!

 あほの便所タワシが国家安全保障としての正式見解を公表できずにおとぼけサル芝居を決め込む無知無能っぷりはお呼びでないとして、そもそも日本国は金輪際『戦争なる紛争手段を放棄する』と宣言している事実を確認しておきたい。
 まず他国に甚大な損害を及ぼすような、本格的な軍事威力を備えた先制デバイスなど保有していないから、探しても見つからない。まあモノがモノだけに公表値がそのまま真実だとも思わないが、専守防衛の持ち駒を事前調査されるにしても、それらが一気に無力化するほど身ぐるみ剝がされて詳細の実力まで暴かれるとも思えない。
 気球観測で可能な範疇の情報収集なら国境線を割り込まれて覗かれても、遭遇都度・摘発都度に見つけて落として『どこの国だか知らんが、平和を乱すつまらない小細工はやめておけ』と国際的に発信するところまでで、まずは追及を止めておくのが賢明な対処である。そんなものより日本は今、喫緊の国内問題の方が山積みになっている。

 こんなのと一緒にしちゃ悪いんだが、長らく積み置きにしていた話題をまたひとつ。
 実は私は熱気球に乗ったことがある。ほんのちょっとだけなんだけどさ。
 世間でよく言われる『のんびりと空のお散歩』の飛行モードには程遠くて、某所の小学校の校庭で係留ロープをつないだまま10メートルぐらいの高さまで上がったに過ぎない。よって全然怖くはなかったのだけれど、しかしあれで完全に地上と縁を切って空中を漂うとすると、やっぱり相当に怖いもんなんじゃなかろうか?もしかして。

 何しろ人が乗るゴンドラは一辺で1メートル半ほどの、籐籠そのものであった。
 若い人たち『籐(とう)家具』って御存知かね?ニス塗り仕上げの木製っぽい色した『ざる』みたいな家具あるじゃない、竹竿を曲げて輪郭と骨格を組んであって、天板や座面が細いストラップの編み上げになってるやつ。アレだよ。
 籠(かご)の深さは、せいぜい私が普通に立った時に側面から見てベルトが隠れるくらいでしかなく、残りの上半身は四方から吹きさらしだから、ちゃんと上がった先の温度と風に見合った服装を考えて持ち込まないと、浮上したが最後『ちょいと降りる』のは難しい。
 狭くてちっこくて胸から上は籠の縁を越えるといきなり地面まで何も無くて、これで何百何千メートル単位の空中に孤立して、足の下にはマジで接地感もナニも無いとなると、高所恐怖症でなくたって慣れてないとココロもとない気分に苛まれるのではないだろうか。熱気球愛好者たちに言わせれば、その感覚こそ醍醐味ってことになるとは思うのだが。

 ちょっとしたコツというか、面白いなと思ったのが、乗員の乗り換え手順である。
 3人乗って一旦浮上したのち着地、そのうち1人が地上の誰かと交代するとなると、先に無理に新たな4人目が乗ってから、前の1人が降りるようにしないとうまく行かないのだ。何故でしょう?

 その場で体験するとすぐ理解できて順番も間違えなくなるのだが、例えば搭乗を済ませた1人が先に降りた途端に籠には2人しか残らなくなるから、新たな交代人員が乗り込むのを待たずして気球が浮き上がってしまうのである。一度着陸したら、用事が済むまで積載量は増やす方向だけを維持しないといけないのだ。
 …ということは、必ず誰か気球の扱いを心得た1人が籠の中にいるように作業管理しないと、うっかりミスで人や物を降ろした瞬間ふわりと手の届かない高さに飛んでしまう危険がある。
 空中をさまよい始めた気球に途中から追い付いて乗り込む手段は無い。もちろん私が体験したその場は籠から係留ロープが地面に繋がっていたワケだけど、遊園地やお祭りで子供の手を離れて、あれよあれよと小さくなっていくあの風船の姿が思い出され、コイツにアレになられちゃ困るよなあと貴重な実感ができたひとときであった。
 まあ身ひとつ飛ぶには小さかったっす。操縦操作係・通信連絡係・撮影記録係を分担してスポーツとして乗るにして定員3名じゃないかなあ。2人にしても決して広くくつろげるスペースではない。

 唯一の操縦手段の制御動力であるガスバーナーは籠の四隅から伸びた金属製の丈夫な支柱で支えられていて、大きめのパイナップルみたいな火炎噴射ノズルが乗員の頭上に二連装、これでだいたい高さ15メートルぐらいの気球を膨らませて浮力を得る。
 断続的に熱気を送り込む時には、ヒト一人よりふたまわり大きい=2メートル以上の火炎が派手に噴き上がるが、もちろん難燃・不燃構造の対策がきちんと講じられていると見えて、バルーンへの引火事故の心配は微塵も感じなかった。そりゃそうだ。
 なお気球のバルーン頂点には内圧がかかって閉じる弁構造の排気口があり、ここからぶら下がる紐を引張れば排気口のクチが開いて中の熱気が抜ける。これで下降する。

 籠に乗って遥かに見上げるバルーン内部は当たり前だがカラッポで、バーナー加熱でこれだけの大きさの熱気塊の浮力となると納得が行くような行かないような、それが自分の体重に打ち勝って浮き上がる感触はとても不思議な心象の体験であった。
 因みに私が乗せてもらったあと少し風が出てきてしまい、吹き流されて周囲と接触事故でも起こすとマズいってことで、手早く片付けられてしまったのだ。自重に対して図体がでかいため風にどうにでも持って行かれてしまうからだが、あとになってみれば、ほんの短かった静穏な時間帯に搭乗できたのは実にラッキーであった。

 機能性デバイスを吊り下げた気球、まあ今どきソーラーパネルを備えて少々の電動機器を搭載していたとしても、あの小さなプロペラに機動性を求めるのは絶対に無理だ。それほど大した重量物が吊り下げられるとも思えない。
 地表付近を飛ぶ有人熱気球と、今般騒がれているような10キロ20キロの高々度に達する観測気球を一緒くたにするつもりはない。だが現時点において、その浮力任せの飛翔能力に適応した処置を、工数・コスト最小限の現有国防能力の運用で実施すれば良いと言っている。

 もう止められない内部崩壊の共通認識をぼやかすため、見境なく周囲のあちこちを指差して襲撃の危険を騒ぎ立てる『戦争ボケ』のサル山は、放っておいても自滅の一途を辿る。だからこそ、ここで黄色いサルの断末魔のうろたえなんぞに国力を無駄遣いしてはならない。
 若者たちよく見ておきな、やっぱり日本列島って暮らしやすい羨望の的なんだぜ。
 しっかり勉強して強く賢くなっとけよ。今は好成績獲得に集中、ではグッドラック!
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【1137】職場ジャーナリスト優等生の一面記事 [ビジネス]

 いい機会なので、何かと嫌われがちな管理業務の話題を。前回ちょっとだけ触れた書面作成による業務改善の素案について、軽く試しやすそうなところを先走って紹介してしまおう。
 みんな『業務管理』なるものが『必須アイテムとして』仕事の一環だと認めてはいるのだが、それにしても無条件に面白くなくて、とにかく漠然とした徒労感の脊椎反射が抑えられない。あああ、やだやだ。

 日々を直接業務のすったもんだで過ごす現場からは敵視されることもしばしばだ。
 『せっかく自分らがあの手この手で〆切日程に追われながら辻褄合わせてんのに、ちょこまか日程表を持ち込んできては、工数実績いくつだの年度計画から遅れどんだけだの、上への提出物イノチの学級委員みたいなことばっかしやってんじゃねえよ』
 嫌われ見下され煙たがられうるさがられ、工数実績表や業務進捗管理報告の書面フォームはすべからく提出が後回しにされて遅れがちだし、その内容も『面倒くせえなあ、ナニか出しゃいいんだろ出しゃ』と言わんばかりの投げやり殴り書きっぷりが目立つ。

 記入欄の最上段に『本件、ちゃんとやってますんで』の短い一行が孤立しているかと思えば、欄外はみ出しや勝手拡大に極小フォントの寿司詰めなどやりたい放題で、いかにも未整理のままダラダラ経緯を列挙しただけの『掃き溜めメモ』も珍しくない。
 どうにか記入欄の半分以上2割オーバー以内ぐらいの適正量だったとして、やっぱり内容は『どんだけかけてアレやりました。次にコレやりました…』の殆ど小学生の日記だったりもする。
 まさに『管理書面をやっつけ作文で出すだけ出して済ますこと』が目的になっていて、『職場の本来目的に対して、こんな具体的作業でこんな業績を残した』という現場レポートになっていないのだ。改めて考えたら、自分が特命プロジェクトの一員にでもなっていて、その取組み期間の総まとめ報告会か何かで、成果物の解説だとか効果額だとか、画面中央にひとことで語る機会なんぞ他のどこにも無いのに。
 そう、管理者視点で語られる超・嫌われワード=『日々の業務が見えない』は、あながち現場知らずのトッチャン殿様意識の産物というだけのものでもないのである。

 そんな現状の問題に深入りするより先に、現場側でこういう書面フォームと記入要請を受け取った場合の対処例を紹介しておこう。その方が良いコトがありそうだ。

 何よりまず人さまに見せる書面は『ぱっと見いでカッコ良くて綺麗なこと』である。
 レイアウトが不自然で大まかバランスが悪かったり、フォントがあちこち不揃いだったり、セルに収まり切らず非表示だったりするのは論外。アタマ悪すぎだろ。
 『つまんない連絡だなあ』『出しときゃ文句ねえんだろ』『これで片付けとけや』みたいな不機嫌を抱くのは勝手だが、その腹いせを受信者にまで叩きつけるのは知性にも品性にも欠ける行為である。書面全体をざっと俯瞰した瞬間から、少なくとも不快感なくスムーズに正確に視認させる心遣いを怠らない丁寧さは、いつも自分ブランドの提出物に超一流で保証しておきたいものだ。

 もし当該業務単位のタイトル欄が最初から決められているものでもないのなら、タイトルには『ひとこと目的解説』の要素を必ず組み入れる。
 『2月16日文面更新』ではなくて『230216管理書面の秘訣を紹介』の方が、正確な日付入りの出来事レポートのキャッチコピーとして適切なのは解ると思う。
 これには英語人種メールタイトルの動詞主導マインドに通じるものがあり【94】、裏返せば本人なりの確固たる目的意識も無く『仕事だから』という理由で何となくやり過ごしている消極的な取組み姿勢は、多くの場合タイトルだけで判別できてしまうのだ。

 次に概要欄だが、何か『業務をひとつやりました』という説明をするにあたり、内容を一読で理解できる分量というものがある。
 例えば現時点ここのサイトのPC画面表示は一行あたり40字だと見受けている。もし他んちのPCやスマホなんかで違っていたとしたら悪しからず。この体裁なら、せいぜい3~5行ぐらいだろう。
 記入する側の『書きたい内容』の分量はとりあえず関係なく、読む側として『一度に視野に入って直感できる内容』の分量を優先しないと、そこに記載された情報が伝達できないのだ。相手が読んで、相手の興味意識に響いてナンボである。
 そこで一番重要な一言目の文章は、タイトルにも籠めた目的意識に対して『成功or失敗』の総括的判定であり、判らない・判定できないのなら『わからない』とはっきり明記することである。積もるハナシがあるのなら、適量文面の中に『ざくっとこういうハナシがあるんだけどさ』と別途扱いにして端折れば良い。

 あとは日程遅れだのコスト超過だの解決方策未定だの、脛キズ情報で詳細の各欄を埋めていくワケだが、こんなもの書面作成者が悩んだところで数字や事情が変わるはずがないので、いいからさっさと手元の情報をそのまま記載するしかない。書面にした途端に誰の目にも見えるのだし、見てしまった者は一蓮托生の共犯者である。こうして業務負担を拡散・共有し組織戦にするために、管理業務というのは存在するのだ。
 ちょうどいい機会なのでここで明言しておくが『計画通り順調に進んでいない、オマエが悪い、オマエが何とかしろ』と文句や不満で反応し、書面作成者やその周辺に負担をかけたところで、事態が硬直したまま荷重を増やしただけに過ぎない。ここでは間接業務ならではの、非・現場域からの現実解を提示するのが管理職層の役目となる。

 さてさて以上を理解した上で、ではマンネリ管理業務書面の運用改善トライアルの入力起点とはどこにあるのだろうか?
 私は、現場側の書面作成者としての『どうやって面白く読ませるか』という読者サービス精神が、まずは手早いと思っている。とにかく組織内に流通して関係者同士で持ち合うのは書面なんだし、そこに書いてある味気も中身も無い一行が、さらりと目に飛び込んで思わず読み込ませる記事に化けるとすれば、それはテキスティングする書面作成者の指先如何にかかっているからだ。
 『ナニ?こないだの手抜きの週末企画、あれで300人も入っちゃったのかよ!』
 『新型の髭剃り供試品なのに、来客の若い女性比率が高かっただと?』
 『おいおい、満を持して起死回生の一発とやらの発表会が閑古鳥か?死ねや』

 なお気を付けたいのは、こんなものにまで『タイトルの付け方はこう』『内容の書き方はこう』みたいな味気ない内容記述マニュアルを用意してしまうと、今度はそれが自由を束縛し近寄りがたい心象を呼び起こしてしまい、ほぼ確実に失敗するということだ。『仕事だからそうする』という同調行動ばかりで日常が流れる職場においては、『どうするか書いてある』という環境にしたいんだろうが、それはセンスが悪い。

 現場知らずのトッチャン事務屋が、得体の知れない間接業務のためにアレ出せコレ書けとうるさいばかりの管理書面。『仕事だからそうする』というガッチガチの習慣に踏み固められた旧態常識の行動様式は、この上なく具体的だが思考停止の同調だけで、職場人生の平常の過ごし方として成立してしまう。そんな不毛なやらされ気分を方向転換させるのは、最終的には管理・被管理の双方に跨る全員仕事だ。

 あらま、結構な分量が埋まってしまった。偉そうなことを抜かすこの私自身が、いかに無計画の掃き溜め式に漫談テキスティングしているのかの見本じゃないかよ。
 まあいいや、実は管理書面に限らずだが、情報を発信して受信して、その内容が共有され何か良いコトが起こるから、通信する意味がある。
 人さまに正しく発信し、人さまから正しく受信しよう。幸せな通信にグッドラック!
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【1136】未来人発掘プロジェクトの進捗報告記入欄 [ビジネス]

 今のところここはノンアル更新でやることにしているので、たまには早い時刻に。
 いや、アルコール摂取の有無に関して、昨今の日本社会みたく気が狂ったような線引き否定も理解できる…などと言うつもりも無いのだが、『自分で後で見て、十分納得が行く判断で記述ができてるかどうか』という視点からすると『自分が思うこと思うまま言論する場』はノンアルにしといた方が間違い無いだろうと考える。それだけのことだ。
 要は夕方以降、確実に飲んでいるというだけなんですけどさ。御免あそばせ。

 さて、大きな賞で短歌が評価されたNHK朝ドラの貴司くん、歌集を出すにあたって『不特定多数にわかりやすく訴えかける作風を出してくれ』と要求されて四苦八苦している。
 個人内の価値世界でやっていたことが抜きん出た好印象で大衆に反応され、いざそれを商品化するとなると、そこからはもう自分の好きだけでは済まない。そりゃ出版元としては、歌集を出す以上は一冊でもたくさん売れて、少なくとも赤字でなく収益の上がる事業になってくれないことには意味が無い。
 かくして梅津センセイこと貴司くんは、自分のココロから自然に流れ出たコトバだけでは間に合わず、心得の無い俗物の見る目の無い目にも留まるような『イージーさ』『インパクト』みたいな要素の織り込みを要求されるようになったというワケだ。
 『メジャーになった途端、売れ線狙いを強いられる』というやつで、他のギョーカイでも実際よく聞くハナシである。最初から『売れたい、メジャーデビューしたい』が至高の目的になってるヤツの方が、こういう局面ではラクなんだろうな。

 ところで、あなたの職場でもナニガシか業務用の書式テンプレはあると思う。
 ささやかなところでは、新年度から対面業務ペースに戻すので、改めて最新の通勤ルートと交通費の申請フォームを埋めてくれ…みたいやつ。このくらいならA4半分のA5ヨコぐらいで十分だけれど、最上段に『通勤申請書』の見出しをつけて、『職番』『氏名』に始まり、『現住所』『最寄駅』『乗降ルート』などの欄が並ぶと。簡単に想像できるだろう。
 たったこれだけのことではあるが、もしこの書式フォームが無かったら…?

 職場の人数規模や人員の属性にもよるが、レシート大のメモ用紙の切れっ端あるいはA4コピー用紙一枚の片隅に『自分の氏名』『路線情報サイトで表示された片道運賃』しか書かないヤツは、いないようで結構いる。他人が書き殴ったA4コピー用紙にちょいと相乗りしてカラー付箋を貼り付けてくるケースも普通にあるはずだ。
 当人個人の立場としては、職場に通う交通費がちゃんと職場に伝わって、そのぶん支給されれば片付くのだ。忙しいんだし、たかが通勤交通費申請の連絡に手間や時間はかけられない。
 反面あなたがこの紙片を受け取る側にいたとしたら、たまったものではない。専用の書類受けをひとつ用意していたとしても、誰がどんな大きさのナニを放り込んでいるか判ったものではない。

 こんなことにならないよう通勤申請書フォームが組まれていて、まあ誰もがぱっと見いで直感的に正しく空欄を埋めていけるし、キホン間違えようのない単語選択レベルの記載だから、それで落着している。
 これさえあれば、ずらり氏名の五十音順にみんなの通勤経路と交通費が一括整理できて、適宜に記載内容の正否チェックも思いのまま、何よりも総額おいくらだとか、大体どのあたりが安かったり高かったりという傾向マップまで把握できてとても便利だ。
 例えば、いつか自然災害などで再び出社制限をかける事態になったなら、業務分担を組み替えてコレコレこうしておけば僅かでも損失額を抑えられるかも…など知恵も浮かんでくるのが解ると思う。

 『通勤経路と交通費の一覧整理』というと、いかにもシンプルな軽業務として直感されるのが普通だと思うが、こうして職場全体で質の揃った情報を並べて俯瞰すると、組織全体スケールの関心事が何となく感じられるようになるのではないか…という気に仕方をしてみよう。
 では経営目標のひとつにもなりそうな重点業務、例えば『年度明けから国内文芸ジャンルの売り上げを倍増させたい』だとか『新規受注した自動車用ネジの製造ラインを立ち上げたい』だとか、そういった課題事象は先の交通費などとは根本的に異質のもので、要因系も断然複雑だし『一言で語れないモノ』『事情に通じていないと全然理解できないモノ』なのだろうか?

 結論から行くとNOである。
 一言で『良い』と断じて語れないモノなら、やめておいた方が賢明だ。
 全然理解できていないなら、まず理解しないと『良い』『悪い』の判定ができない。

 『この新人はイケる!』でチャラく推すだけではダメであり、経験則にしても直感にしても『だいたいこのぐらい注ぎ込んで、おいくらで抱えれば3年で売上倍増できそうだな』みたいなIN-OUT情報処理が、あの一見うさんくさい編集者リュー北條氏のアタマの中でなされているはずなのだ。
 実際どう扱うかは業界風土や経営方針にもよると思うが、その気になれば貴司くんプロモートを業務課題タイトルに掲げて、目標値=国内文芸の売り上げ2倍、達成時期=3年後などなど、事業要素アイテム欄と管理値を対応させて並べた『重点課題フォーム』が書けるはずである。マジそこまでやるかどうかは別として、これがきちんと書けて目標達成できなければ、長山出版は赤字を出す。その位置関係だ。

 おっとっと、職場のありとあらゆる課題についてこんな管理をやると、書面作成の工数にしても管理・被管理の負担感にしてもムダに膨らみ過ぎるのでオススメしない。
 業務の現状を的確に反映させる書面の組み方にもセンスがあり、ヘタクソが見覚えで組んだ管理フォームは苦行タスクにしかならないから、業務管理プロセスには案外と特殊な才能が要求されるのだ。

 もっとも、だいたい諸事情をわかって課題をどうさばくか現実的なイメージが持てているヤツは、あんまり嫌がらず困らず、どんな書面もセンス良く埋めてくる傾向が感じられる。
 ということは、書面作成イメージの習得から遡って、個人の能力開発や職場の風土整備ができるのではないかという企みが成立しそうだなと前々から思っている。うまく整理できたら随時にここで紹介していくつもりだが、とりあえず今回この話題を取り上げてみたのは別の問題提起あってのことだ。

 『新しい資本主義』だの『異次元の少子化対策』だの、いっぺん課題の構造を分解して要素機構を開いて、A4一枚に収まるフォームで日本国民に提示してみろ。

 国家運営として何をどうして良いのか、雲を掴むままに雲を掴むばかりで認識を固められず、故に認識すべき情報も見える形でまとめられず、カラッポの断片キャッチコピーが茫然と流れるだけ。この現状ニッポン国政の体たらくには、現政権にまず重点課題管理フォームを書かせて提出させるのが具体的第一歩のアクションだと思っている。

 我が物気取りのサル山をどうしたいのかも決められない黄色いサルは散って消えろ。
 若者たちはサル山なんぞ気にせずに、最新の人智をメいっぱい仕入れておきな。
 気候の安定しない受験シーズンだが、引き続きの御幸運を!
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【1135】カネで片付く数字の文明キャッチボール [ビジネス]

 なるほどNHK朝ドラは劇中に混ぜ込んでインサイダー取引の解説入れてくれるのね。ちょうど先送りにしたところへズバリ命中のタイミング、手間が省けて助かった。

 そう、株式市場に内通者のウチワ我欲が割り込んでしまうと収拾がつかなくなる。
 例えばアナタが社長だったとして、いかにも将来業績が傾きそうに映るピンチを演じ、自社株の値段を暴落させておいて、示し合わせた受け手に買わせる手はカンタンに思いつくだろう。追って競合他社の追随を許さない隠し玉プランを本格稼働させ、首尾よく市場で注目を集めれば株価は上がると。あとは保有しとくなり売り抜けるなり、好きな手段で大儲けってことになる。
 これは解りやす過ぎる例だけれど、それにしても最初に目論んだピンチが狙い通りに株価を下げる訳でもないし、市場動向に有意差が出るほど注目されるようなピンチなら、そこを目掛けていろんな奴等がすかさず新手を仕掛けてくるし、つまり不確定要素が多すぎることもあって、こんなもの『悪の錬金プラン』として綿密に計画立てて、そうそうやれるものではない。

 …となると、実は『そんな見え方をしてしまって疑われそうな取引は、やれたとしてもやめておくのが賢明』という自主規制(?)のマインド傾向が自然発生的に普及する。今すぐ干上がるのでもなく、今後も同じ暮らし向きでこの業界でやっていくつもりがあるのなら、違法性が実質的に全く無くとも『なんだか見栄えが悪い』というだけの理由ででも避けておく方が、圧倒的に平和でラクチン採算というワケだ。
 一度でも疑われて『大事な資産の運用先として安心・安全』のブランド信用にキズがついたら、それこそ我が身の業界寿命の期間中べったりまとわりつくほどの大損害にさえなり得る。普通ならハイでもローでもなく、あまりにも割の合わないリスクなのだ。

 私自身インサイダー取引の検挙事情にはさっぱり詳しくないのだが『知らずにやってしまって、いざ指摘されてようやく自覚するケース』が相当数あるのではないかと思っている。
 冒頭のように社長自身が仕掛けるのは論外だけれど、知人友人や親類縁者がたまたま経営方針に関わる内部情報を見聞きしてしまい、株にはそこそこ興味あったし悪いコトとも思わず大ラッキーのボーナス気分でやっちゃいました…みたいなのに始まり、何の情報がいつどこで洩れたか、どんな間柄の誰がどう認識して株を売買したかの可能性などなど、発生したケースの数だけ事例集が積み重なるとして過言ではなかろう。
 ちょびっと調べたらドンピシャ言い逃れのできないインサイダー取引になっちゃってましたゴメンナサイ!という初歩的な失敗まで、違法行為だ罪状の確定だ処罰の実行だと四角四面に全数追及する社会的意味は無いし、だいたいそのプロセスひとつひとつにも公的な工数負担やコスト発生がつきまとうのだから、相当数が完全に『やるだけムダ、社会の損失』の不採算に陥ると思われる。
 まず『違法なカネ流れを修正させる』という対応措置にしておき、当事者の業界知識や順法意識を考慮した上で、適宜に行政指導や相応の反則金などをもって決着するのが現実解であろう。悠人お兄ちゃん、犯意はあったとされて懲役3年、だが共同経営の成功を自責で壊したくなかったという心情にもとる動機は理解できるとして、実刑ではなく執行猶予5年ということじゃないすかね。
 死傷者もいなくて物損もないのなら『カネや株式など有価物件の所有権が、法律を逸脱して移動しただけ』なのだから、そこを是正すれば実害なく一件落着である。

 実はこれがカネ経済の良いところ、便利なところなのだ。
 ヒト社会で流通する価値物件は原則、まず現物そのままでも『動かしたぶん元に戻す』という作業で事前状態を回復できる。もちろん生命や健康や信用や心情など『掛け替えのない価値』も少なくないが、これも半ば強引にでもカネ換算することにすれば、衝突・対立や迷惑ゴトの現実的な決着点を広くカバーして設定することも可能となる。

 『V字回復』の舶来社長さんのことを思い出そう【813】
 大きいとはいえイチ民間企業の財務処理において、早い話が『コイツの報酬額が多過ぎで帳簿がついている』という根拠(?)でもって、確かビジネスジェット機から日本国の地面に降り立とうとする平和な日常動作の両脇をいきなり取ったんじゃなかったっけ。まあお立場がお立場だけに、日本社会における企業財務の法的ガイドラインに対して無知ズブのシロートでもなかったはずなんだが、それにしてもあれだけの威力的・強権的な突然の拘束が強行された理由が今もって全く不可解である。
 そもそも国家組織がイチ民間企業の報酬額に、どんな法的根拠でOK/NGラインを引くのかから知りたいもんだが、この時点で日本国の行政としても司法としても、手元にあるのは『会社の帳簿に不備がある』という物証と、せいぜい日本国内で『違法な帳簿に関わりました』とする証人・証言までだ。まず社長さん御本人から事情を聴かないことには、現状把握のとっかかりからして何も始まらない。
 まあいいや、とりあえず『もらいすぎ』なる罪状が日本国にあったとしてだ。

 『全部知ってたけど、くれるもんだったら貰うつもりでいました』=犯意アリの違法
 『いやワタシは何にも知らない。全ては部下がやったことだ』=犯意ナシの違法
 いずれにしても、とにかく供述を取って真偽を検証し、公的に事実認識を固めないことには、法治国家ニッポンにおける違法行為発生の経緯が解明できず、ここが解明できないとなると、経緯の進行段階別に関係者たちの心情や境遇を勘案した量刑など、処分内容の具体的導出もできないことになる。要は法的措置が行えないのだ。

 この社長さんのケースで実際そこまで必要だったのかどうかは知る由も無いが、一応日本の…じゃないな、基本的人権を保障する意識があるとされる先進国社会においては、当該人物がいっとう最初に供述開始する段階から、弁護士が就いて発言内容を整えてヨシとする考え方が広まっている。
 どんなつもりでナニをやらかしたのか、ナニを知ってるか知らないかはともかくとして、ナンピトもまず社会を律する法律が、自分の供述にどう絡んでくるかをよく解った上で、開口一番からコトバを選んで発する権利があるでしょう、という意味だ。知らずについ、法律に詳しくもない本人の個人的語感で使った文言が『重罪の自供』として独り歩きしないようにするためには、確かにあっていい考え方である。

 日本の場合、御覧の通り公的権力は調整も相談も無く一方的に標的を拉致っておいて、弁護士どころか誰との接見も許さずに何ヶ月単位の身柄拘束ができてしまう。
 この独善性が特に欧米流リベラル思想から『人質司法』と指摘されたりもするのだが【905】、既にお気づきの通り『悪いことを悪いと知って他人の基本的人権を侵害するような悪人に、わざわざに断罪逃れの入れ知恵を許すことにもなる』という深刻な逆効果リスクに化けてしまう一面があり、なるほどこれはこれで決して無視できない。
 世の中ぽかんとハマる時には何の事実とどんな個々人の認識が組み合わさるか予想できたものではなく【1070】、社会組織の誤認識を暴走させないため人権保障の厳重なルール制定は必要だ。だがそれで社会における個人都合のフェアな交通整理として機能しなくなってしまっては本末転倒である。このあたり、非常に難しいのは認める。

 さて現状日本社会の『人質司法』に取り急ぎの改変が必要かどうかはちょっと置いといて、つまり国家権力のさじ加減で、こんな一方的な言いがかりで突然に身柄拘束して、恐らくは権力体制側に都合の良い自白を引き出せるまで、対象者を孤立させたまま拉致監禁を執拗に引き延ばして精神的重圧をかけ続ける…という異常な強権発動があったのは間違いなく、その経済的な影響の顛末を検証してみようというのだ。

 激動の戦後日本経済を通り抜けてきた自社の事業沿革を知る日本人経営者たちが、一切の理屈を抜きにして『絶対なくせない、何を引き換えても手放せない、自分の人生の成果そのもの』の価値【1126】を死守し、これがど~おしても採算を合わせられず、遂に理屈を抜きにしていては『倒産』への筋道しか残らないまでに追い込まれていた。
 理屈抜きの理屈を抜かず、採算合わせを理屈通りに先行させるために、事業沿革の別世界=外国からの落下傘人材以外に有効解が存在しない局面だったのだと思う。実際、その抜本的な方針変更は見事的中し、日本社会は目覚ましい『V字回復』を目の当たりにすることとなった。
 これが黄色いサルにとって、自分らで解決策を提示し国内経済力を救済・回復させられなかった『不都合な真実』に見えたのかどうかは知らない。自分らの無能にフタをするための腹いせのサル山リンチでした、とするマスコミ報道も今のところ聞いてない。
 だがこれを最後に、日本経済は右肩下がりで衰退の底なし沼へ沈む一方となった。

 資本主義や自由競争市場も、基本的人権の整備保障も、ヒトが大勢で成す社会組織を生産的・建設的・発展的に運用するためのシステム原理コンセプトだ。
 ヒトの文明ツールを真似させてもらってもヒトと同じくそれを理性で運用できない黄色いサルは、進化できずにサル畜生の威張り合い・奪い合いに先祖返りし、ハタ迷惑に老衰して滅んでいく。知能が低いんだからしょうがない、それが道理ってことか。

 若者たち、勉強して受験で試される基礎学力は、関門ゲートを通過して点数を残すためだけの学歴勝ち取りクイズではない。ヒト文明が組み上げた便利で楽しい理知的概念、その一般普及レベルの常識アイテムなのだ。
 無いと生きていけないとは言わないが、知っとけば知っとくほど確実に役に立つ。
 手を抜かず身に付けとこう。定期試験も受験もうまくいくといいね、御幸運を!
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【1134】経済大航海前夜のインテリ港湾ツアー [ビジネス]

 あうち。NHK朝ドラの悠人お兄ちゃん、インサイダー取引に手を染めちまったか。
 ここまで少々ヒネリが感じられたが故に【1121】、ちょっとベタな印象かも。まあ小うるさいコト言わずに、大人しく観ようかね。

 例によって若い人向けに解説を入れておくとするか。
 カネさえ持っていれば自由に株式を売買できるのが自由競争市場であり、だから『儲かる会社』の株は大勢に買われ、その支払金はますます会社の資本金となって当該事業を増強していく。大航海時代に原産地特産物と近代文明の世界地図規模の流通・交換が始まり、その輸送経路において『遭難リスクをさばく物流ルート組織戦』として発生・進化した経済システム原理だ【589】

 うわ、いかん。五島で一太くんが船の修理を習得しているシーンを見ていて、船舶技術の話題にも触れておきたいと思っていたのに忘れてたよ。いま思い出した。
 普通に空を見上げていて太陽や星座は時刻の進みと共に動くのに、その規則性まで見抜いた基準を構築し、そんな天文航法で『たかが風』を動力源にして、北半球から赤道を越えアフリカ大陸南端の喜望峰を折り返していたのだから凄い。私が小学生時代の高度経済成長期、現代式の大型輸送船に巨大マストを3~4本立てて帆を張った挿絵があり、燃料代の大幅節約を謳うSDGs技術構想が理科雑誌に載っていたものだが、アレってあんまりメリットなくて廃れちゃったのかなあ。
 気紛れな風を最大限に活用する帆船の、その設計や操船にまつわる技術は原始的だと見下したものではなく、あの細長く浮いている船体から目一杯高く帆を上げて風を受け横転させずに速度を稼ぐための機能構造と、風向きの変化に遅れなく多数の帆を臨機応変に設定変更する人員チームワーク指示命令系の組織コンセプトは、非常に高度で興味が尽きない。語り始めたら分量も尽きない。

 そうだな、海風は強烈に寒いので、暖かくなったら横浜に行ってみることを勧める。
 遠景で映らないので知らない人は意外と知らないのだけれど、桜木町で降りて間近にランドマークタワーがあって、そのすぐ傍にまずドックヤードがあるのだ。大型船舶がまっすぐ入って底まで外面から整備ができるように組んだ石造りの作業場で、コロッセウムを思わせる巨大な産業遺構である。今も解放されていて、普通にヤード内のスペースに入って歩き回れるはずだ。
 その横に帆船『日本丸』が係留されていて、確か隣接する『日本丸メモリアルパーク』と入場料が一緒だったか別だったか、とにかくこれも公開されていて船内を存分に観察することができる。月イチだかで帆の展開ショーもやってたんじゃなかったっけ。

 『日本丸』は練習船なのだが、洋上の船という隔絶された小世界で『とにかく無駄のない統制でスムーズに操船して、いち早く無事に目的地に辿り着く』という船舶運航の根幹原理を船員たちの心身の芯から育成するため、動力船主流になった後も姉妹線『海王丸』と共に割と最近まで運用され続けていた…とか、そんなハナシだったはずだ。
 よって、わざわざにすっぴん素朴な帆船でもなくエンジン航行も可能である。船尾には完全な人力操船時に100メートル近い船体を操舵するための減速機構がもの凄い。
 船長室なんかは、指示命令系の徹底を絶対保証するための『組織統率機能の必然としての差別化』が図られているのを見ておこう。ありていに言えば『これ見よがしに差をつけて船長は上等・高級』になっており、同様の造り込みはお台場『船の科学館』の南極観測船『宗谷』にも見ることができる。
 こういうものを考えもせずに『差別』『人権侵害』の価値観スケールで論じることに人智の意味はなく、生物としての人類が『洋上の船という閉社会』で生き延びて、計画的に海を渡り切るため編み出した経験則なのだと理解しよう。判断が割れて誤っての遭難や、乗員統治を失っての暴動で幾多の外洋船が陸地に到達できなかったのだ。  
 裏返せば、この差別化をただの『優遇』や『支配権』としてしか理解できない未熟者は、絶対にこういう組織統率の機能職位に就けてはならない。憧れのまま我欲がその場の現実になる満足感に夢中になり、その幼稚な思い上がりが組織全体の信頼を遠ざけて、その空間まるごと崩壊していく流れで発散・終了である。

 『日本丸メモリアルパーク』の方は海洋技術博物館になっていて、確かここでは簡単なゲーム式に、風向きに応じた効率的な針路の採り方を体験する展示物があったと思う。近くの小学校の見学隊なんぞとかち合うと落ち着いて観て回れないので、先に入口案内でその旨を確認して入った方がいいかも知れない。

 土産物や飲食が目当てなら赤レンガ倉庫も悪くないけれど、日差しも海風もきついと思うなら『日本郵船歴史博物館』の訪問の方をお勧めする。今ちょっと調べたら昭和11(1936)年製らしいが、格調ある旧社屋を改装した海運史博物館であり、少しコンパクトなサイズにリーズナブルな入館料がとても気に入っていて、何度もお邪魔したものだ。まだ順路ラストの自販機喫茶コーナーあるのかな。
 戦時中に日本列島を取り巻く大東亜共栄圏各地との物流手段として拠出され、非武装のまま出航して二度と戻らなかった船たちの写真の数に圧倒される。確か100隻余りあったと記憶している。
 人っけがどこにもない北方領土以北の極寒の原野や、不衛生かつ不快指数無限大の熱帯の密林で、敵軍どころか周囲の全てと死闘を続ける仲間たちのため、僅かな可能性に命を賭け武器も持たず、嫌だとも言えず言わずに漕ぎ出した船員たちが大勢いた。もちろん根拠もきっかけも無いところに奇跡は起こらず、軒並み海の藻屑と消え去った。
 戦後の平和になってから『丸腰で沈められに行った』『死ぬのを判って強要された』と好き放題に戦争ハンタイのダシに使われることが多かった物資供給の輸送船団の船影、よく見ておきたまえ。

 いま幸せなことに戦争の逼迫なんぞ心配する局面ではないが、1億2千万人日本国民に黙って勝手に、南西諸島に軍事設備を大量投入する気の狂った公共事業をやっている非国民がいるだろう。今どき利権商売目当ても見透かされていて『平和ボケ』ならぬ『戦争ボケ』と呼び捨てられており、実質社会機運を惑わす不安には及ばないにせよ、日本国民として穏やかに見過ごして良いコトとは到底思えない。
 戦争で悲しい後悔を経験した日本国は、戦争の心配をしないで済む今の間にこそ、こういうあまりにも質の悪い黄色いサルを、自分たち日本人の平和社会の真面目な安全管理として、きちんと間引いて根絶やしにしておく必要があると思う。

 あーここまで来たら大さん橋を過ぎて、もう山下公園の『氷川丸』まで行ってやれ。
 現存唯一の戦前製の貨客船だそうで、たびたび改修を繰り返しながら昭和35(1960)年まで運行されていたそうだ。立派な内装だがそっちは各自で御覧いただくとして、まだ船底近くまで降りて行って見れるのかな、ピストンの上下に燃焼室を持つ『往復ビンタ』式のディーゼルエンジンが面白い。
 大型舶用エンジンの専門領域に踏み込むと、もう完全にハナシが終わらなくなるのでばっさり端折るが、二輪・四輪の自動車などそこらのフツーのエンジンではまあ見ない構造なのだ。メカ好きな人には一見の価値アリ、横浜を訪れたら是非とも御覧あれ。
 桜木町も一度降りると丸一日飽きずに歩き回れるから、大好きな街なんだよな~

 あ~あ、インサイダー取引の解説から入って自由競争市場について語るはずだったのに、横浜ネタ船舶ネタでこんなにスペース割いちまってどうするんだよ。例によって今回はギブアップであっさり諦めるとして、次回は経済トピックの解説から入りますか。
 何事も、論点の核心にズバッと斬り込むため背景を省略する価値観も否定しないが、逆にここまで遡って理解が地固めできている人間は、先を発想するにも、その思考経緯を論じる発言をするにも、重量感の格が違ってくる。

 日本丸や氷川丸の機械構造に学ぶ船舶工学でも、あるいは組織原理から読み解く内装設計思想でも、更には海運史と戦禍に学ぶ国際情勢の変遷絵巻物イメージでも構わない。ヒトがこれまで『もっと良いコトがある』と思って積み上げてきたモノとは何なのか、それはどんな現実を迎えて過ごして、成功だったのか失敗だったのか。
 どんな局面でもヒトとして『今より良いコト』のために意思決定し行動選択するために、より多く学んで、より多く考えて、腹をくくって決断し現実を動かせる、理知的で素直で賢明な元気一杯の若さであって欲しい。

 もう受験シーズンなんだっけ、いま正念場の若者たち完全燃焼でどうか御幸運を!
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【1133】『眠れる朦朧の美酒』の再生速度 [ビジネス]

 久し振りに脱ステ体調や意識系トピックに話が向いたので、もうちょっと続ける。
 ここ数年で私は本当に『寝るの大好き』の生活ペースが定着したと思う。

 一昨年あたりから『痛み痒みで辛くなりそうになったら寝てしまう』という手が必殺技として通用するようになり、もうこの世が破滅しない限り大概の別件は瞬殺シャットアウトして『いいから明日!今はギブアップ、起きて動けたらそこから考える!』とソッコー就寝するのが常套手段となった。
 とりあえず必要に駆られて『さっさと寝る』ようになり、今度はそれが『ゼロベースの自然な快眠とは何なのかの模索』に移行したのである。覚醒時の生活アイテムによる占有時間がまずあって、どうにかそれをこなした後の残りが睡眠時間になっていたのだが【965】、この人生長らくの優先順位が逆転した。

 まずこれで思い知ったのが、アルコール摂取による睡眠の質の低下である。年齢のせいもあるのかも知れないが、それにしても深酒を引張ると、翌朝の稼働力の土台が悪い影響を受ける。
 好調時に、いつも通りすうっと眠りに落ちて存分に熟睡して、朝ぱっと自然に目が開いて『ああー、よく寝たっ!』と爽やかに起き出す感覚は大好きだ。私の場合、今のところ7時間ジャストがこの適正睡眠時間らしいと感じられ、体調に恵まれた幸運な朝は狙ったようにアラームの5~15分早めに自動的に目が覚めて、この爽快感を楽しめる。

 だがアルコールを一定量を超えて飲んでいると、この睡眠時間の制御が狂うのだ。さすがに真夜中に目覚めてしまうことはあんまりないのだが、やはり途中で随分と眠りが浅くなっており、入眠から7時間経過時点で自然完遂できておらず、アラームに起こされるなり惰眠を引きずりたくなるなり不自然な違和感を強いられる。
 そんな状況でも一応は睡眠量相応に目覚めて起き出すまでは良いとして、今度は睡眠中に心身を上っ面しかメンテでき切れていない薄っぺらさというか、ここから更には眠れないのを知りつつもう一回眠りたいような、『心身が重い、動きたくない』モードが全感覚の背景に決まってしまう感じなのだ。
 遂に我慢できなくなって本当に横になってみても、時間だけは十分眠ってしまっているので『もう満タン、注ぎ足し不可』みたいな満杯感に塞がれてしまい、結局すぐ諦めてイヤイヤ起き出すしかない。いざ動き出してしまえば最初グズっていたよりはマシに動けてしまう気もするが、それにしても睡眠不足のもやもや不満足が鬱陶しく、その夜きちんと眠り直すまで一日過ぎるのが待ち遠しくて仕方ないのである。

 もともと泥酔するほど飲んでも悪酔い・二日酔いはしないタイプなのだが、泥酔どころかその遥か手前の飲酒量で、こんな睡眠の質の低下を呪うには十分にコト足りる。
 最近は本当に、夜に外で飲まなくなっているんだけど、その稀な一回についつい調子に乗って、一人では絶対にそこまで行かないプラス1~2杯を深入りしてしまうと、翌日には『まあ仕方ないな』の後悔と納得のペースダウンに甘んじなければならない。昔も今もこれからもアルコールは大好きだけれど、文字通り夢いっぱいの快眠の楽しさを追究し始めてからは、せっかくの美味い酒がヘタすると翌朝もったいないことになるので、睡眠の質の被害度とすぐ天秤にかけるクセがついてしまった。
 むしろこの寒い季節、水道水をちょっと手ですくって飲むと、そのキリリと透き通った喉越しが美味すぎて、もう一口あと一口…と飲み過ぎないよう反射動作を抑えるのに苦労する。脱ステ中には水分の摂り過ぎを控えるべきとする説があり、確かに肌荒れは乾燥させた方が解消が早いと感じるし、何とも健康的な葛藤だ。
 子供の頃『世界で一番おいしいモノってなあに?』という問いに、『水』という上級サイエンス式の模範解答(?)があったのを思い出すが、なるほど確かに~!

 さて酒のハナシはこのくらいにしておくとして、やっぱり睡眠時間というのはやむなし生体メンテの時間などではなく、もっと積極的アクティブに過ごすべき贅沢な人生裏画面だと思うのだ【966】
 映画を観るのと比較すると、あの長大な『ガンジー』でさえ3時間強だから、私ならあれを2回連続で観ても一晩の睡眠時間に余裕で収まってしまう計算になる。

 因みにこの”Gandhi”『ガンジー』(英・印共同、1982年)は私が観た映画の中では上映時間最長の一本だ。学生時代に試写会のチケットが二枚転がり込んだという友達が誘ってくれて御相伴に預かったのだけれど、昼下がりすぐ入館したのに、終わって出たら随分と夕方になっていて驚いた。
 一度だけでは理解し切れた気がせず、いつかリベンジ鑑賞したいと思っているのだが、あの長い長い上映時間の心象が先に立ってしまい今もって二度目を観れていない。大画面いっぱいに展開する壮大な世界史ドキュメンタリー作品ゆえ、スマホ画面での視聴はイマイチお勧めしない。

 おっと余計なことを連想したので、横道で消化しておこう。
 その同一人物には別の回にも誘ってもらって、”Koyaanisqatsi”『コヤニスカッティ』(米、1982年)という前衛芸術の映画作品を観たのだ。いかにも見慣れないこのタイトルは『バランスを失い混乱した世界』を意味する民族言語と解説されていたが、今日の表記は『コヤニスカッツィ』の方が目立つようだ。
 大事なとこのネタバレ気味になっちゃって申し訳ないのだけれど、劇中ナレーションも無く様々な地球上の出来事ありのままの映像が淡々と流れていく…という造りなので、現代風のファスト視聴をやるとすっかり無意味になる映画であろう。
 個人的には、こういう『観る者に積極的な集中力と思考を要求するコンセプト』は嫌いではない。ここで、視聴者側に情報処理の質や速度の個人差はあるものの、制作筋が意図して作品に造り込んだ『時間の進行速度』は、そこに籠めた内容を訴えかけ伝達する大切なコミュニケーション要件のひとつであるはずだ。
 ただこういうのって、好きじゃない人にとっては我慢できない作風だとも思われ、特に本作品は『途中でやめて出た』『カネ返せ』みたいなことになるリスクは甚大で、なかなかチャレンジャーな一本である。

 私自身はファスト肯定派でも否定派でもなく、必要に応じて使い分けている【1042】
 さすがの私にも、受信した情報を処理して有価物ならぬ有価情報としてファイル保存するにあたって、脳神経系システムの物理的な作動速度の限界はあるのだ。再生機器任せのファスト視聴でこっちのシステム認知速度がついて回らず、改めて標準再生で見直すくらいなら、最初から標準再生の一回で済ませた方がよっぽど効率的である。
 ファスト視聴にするかどうかは割と真面目に考えて事前判断するし、ファスト視聴中に予想外に内容が濃ければ標準再生に切り換えたりするのもしょっちゅうだ。巧く使えばファスト視聴は便利だと思っている。
 だいたいさあ、もう若者とは到底呼べない我々オッサン世代も、VHS裏ビデオを最初ファストで始めて核心部は標準再生で視聴、なんてのは普通だったじゃないすか。
 合法範囲内の『表』は正規流通ルートに乗り製作費も潤沢、よって映像美やストーリー展開の商品性も一応考慮されたと思われるが、『裏』にそんな贅沢なものは無い。目的機能シーン以外はまさに場繋ぎであり、キホン誰もが早送りしていたはずである。

 おっといかん、横道の分量も映画のトピックも過ぎたぞ。まあいいか。
 何年も前まだまだ苦しい離脱症状に苦しんでいた頃、ほんの少しまどろむ間にびっくりするような長尺の夢を次々と見ていたものだ【615】
 当時に比べれば、平和に安眠できている時間は圧倒的に長くなっているはずで、反面しっかり夢を見た実感はそのままに、遥かに整理された時空間を通り過ぎてきた自覚がまとまっている。ある意味、最初から腰を据えた標準再生モードで安定してきているとでもいうか。

 前回ちょっとした健康トラブルを検知したら、いっそ横暴キャラの安静を決め込んでしまってはどうかと述べた。それはおのれという情報生命体が、十分な稼働環境の整備を経てスペック通りの作動をした時にナニが起こるかのジブン品質検査につながる。この認識を確かめてその後を過ごせるんなら、ムチャだけの悪い取引ではなかろうよ。

 まずは『いっぺんやってみる』で始めてはいかがでしょうか。結果を見て次に進む。
 大事なのは、自覚する『健康』の質に興味を持つことだ。お大事に、グッドラック!
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