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【1337】伝説の大洪水で始めるニッポン組織観レビュー [ビジネス]

 前回の続きをやるつもりだったのだが予定変更。脱ステ経過レポートである。
 正直のところ参っている。苦痛は大したことないが不便すぎてたまらん。

 前が見えない症状は徐々に改善してきたけれど、昨年に続いて足がややこしい壊れ方をしてしまい、自由を奪われっぱなしだ。
 『ステロイド離脱末期は手足末端の症状が顕著になる』とどこかで読んだが、なるほど顕著で、昨年は足があちこち割れて血だまりを作りながら這いずり回っての移動を強いられる大流血戦、今年は流血こそしない代わりに水がぼとぼと出てくる大洪水だ。

 昨年末のうちに左足の薬指…っちゅうか第四指をちょっとぶつけて、米粒大に皮が剥けちゃった程度だったのだけれど、これが治らないどころか今年になって無限の水抜き穴みたくなってしまった。
 傷としては拡がっても深まってもないのだが『夏にへちまの蔓を切ってへちま水を集めてるんじゃないんだからさ~』と愚痴りたくなる勢いで、水がびっしょびしょ出てくる。みるみるしずくになって流れ滴る。

 無色・無味・無臭でべたつきも全くなく、まさにただの水みたいな感じなので不衛生感は無くて助かるのだけど、水量の処置に手を焼く。何しろトイレットペーパーを包帯状に折って指をぐるぐる巻きにしておいても、巻いた先から指丸ごと水に浸けたかのように濡れてくるのだ。
 血液やリンパ液なら空気に触れると凝固して傷を塞いでくれるが、ただただ水が湧いて流れ出るばかりでちっとも固まってくれない。ホントいうと何も被せず風にさらしておきたいのだが、そうもいかない。
 どこにどんな水たまりを作ってしまうのか、服に地図を描いてしまうのか、油断も隙も無いのである。濡れて溶けてちぎれたトイレットペーパーで屑かごを山にしながら、とにかく止まるまで続けるしかないようだ。就寝時は寝具を汚さないよう目いっぱい団子巻きにして、それで幸運にも何とかなっている。

 恐らく昨年はこの『止まらない湧水傷』に血管の損傷が伴っていたので、出血が止まらず、あちこち血だまりを作ってまわっていたのだ。両足ともくるぶしから下はパンパンにむくみっぱなしで生姜の根っこ状態、紐をだるだるに緩めたスニーカーも、夏場のスポーツサンダルでさえも、履くのが大変である。
 おまけにこの両足末端だけ、完全に土座衛門カラーというか『死体の色』だ。知識の無い人だったら、腐って落ちるんじゃないかとビビりまくるだろう。やれやれ。

 こんな傷って人生の他であんまり経験無いなあ…と思って、はたと気が付いた。
 今でこそ完全に解放されたが、まだ全身傷だらけで泣きながら暮らしていた頃、あぶら汚れや垢汚れを噓のように感じさせない、さらっさらの不思議な汗を全身から大量にかいていた。
 『汗びっしょり』では到底済まない勢いで、特に就寝中は季節を問わずじゃぶじゃぶに汗をかいてしまう。ただの真水でもないとすると、ナトリウムなどのミネラル分が大量流失していることになる。

 いわゆる体内ミネラル成分は『電解質』と呼ばれるもので、つまりミネラル含有の水分は電気をよく通す。栓を抜いた風呂桶のようにそれが失われるとすると、体内の情報通信としては間違いなく支障が出る方向だろうから、この大洪水現象と不具合モードの辻褄は合ってるってことだな。
 何かミネラルを注ぎ足したところで流れて行っちゃうだけだ。厄介なはずである。

 …とここまで結構スペース使っちゃったけどまあいいか。とりあえず深く考える元気がないので深く考えずに前回の話題を再開してみるとするか。

 例えば全く同じ事業組織を10単位なり100単位なりコピーで用意できたとして、そのまま一斉に日本社会の野に放つとどうなるか。大きくふたつの代表例を挙げてみよう。

 その1『いまに生きるタイプ』は、組織力采配の権限を『現有の知財と従来までの熟練度』に設定し、さまざまな事業課題に対して『組織力の現状の最適解』で処理する稼働に落ち着く。
 その2『明日に生きるタイプ』は、組織力采配の権限を『過去と無縁な判断力と未記入の白紙域』に設定し、さまざまな事業課題に対して『組織力の進化の模索段階』として探索・開拓する稼働に落ち着く。

 この世を広く俯瞰した時、まだ時代として事業領域の進化がゆっくりしていて、鳴り物入りの業界刷新アイテムに人間が唸りながら組み合い、一人また一人と『やった、使いこなせるようになった』『こんな使い方もできるぞ』などと歓声をあげながら普及が進む…なんてのどかな成長で間に合ううちは、タイプ1でも生き残り可能だ。
 むしろ現時点で目前にある事業課題を、老人の習熟スキルで片付ける方が効率的だから、事業をさばいて世を渡る組織の全体像としては、老人主導の判断に落ち着くのが自然っちゃ自然である。『長老の知恵』で成功を重ね、そこで稼いだ余裕を社会変遷への対応に充てる運用コンセプトとなる。

 だからこっちが、ついついの主流になるのであろうことは理解できる。だがこれでは加速し続ける社会の時代の流れの速度にいずれついていけなくなり、そこから先は衰退するしかない。
 本当に将来性があり、どんな将来にも四苦八苦しつつ適応して定常運転の寿命が続くのはタイプ2の方なのである。

 あああ~そのへん腰を据えてハナシがしたかったが、やっぱ今この体調では無理なようだ。今回はこのあたりでお開きにさせていただきたい。情けないなあ。
 要は『組織の寿命』=明日を生きる組織の生命力を維持したいのであれば、わざわざ若年層主導の目前の面倒を選びに行かないと叶わない…という、経営ストイックな原理について語ろうとしている。

 まあいいや、元気な時だったにしても、どう説明するかは結構悩ましいトピックのはずなので、ここは慌てずに刻んでいきましょうかね。
 何しろ老人主導が常識になってしまっている日本社会だから、若年層主導は少数斬り込み側の勢力にならざるを得ず、深入りできる一手を探りながらの攻め方になるのも必然なのである。ムツカシイよ。

 今季NHK朝ドラ『おむすび』も、そのスタンスをどう戦うのか興味深く観ている。
 視聴率の伸びて欲しい朝ドラなんだがなあ。では震災復興の週末にグッドラック!
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【1336】『いま』の経営と『未来』の経営の間違い探し [ビジネス]

 あら朝ドラのスケバンvsレディースの母親バトル、自動消火で収まっちゃったよ。
 職場食堂の虎ファン古株調理士も、若者世代を肩車する理想の上司心得がすっかり板についたようだ。とりあえず次のストーリー進展を前に、万事めでたしめでたし。

 実際こんなに平和に人間関係が刷新されるかどうかはともかく、劇中に描写されている組織の理想像としては素直に正しい。まず最若年層に判断力と権限を委ねて、職場の知見をはじめあらゆる組織リソースは、その若い判断力の支援として集中させる。

 古株がマンネリ成功を一例稼ぐヒマがあったら、最若手が自前の知力・体力で一回失敗してくれた方が、組織の将来性の期待値は高まるのだ。この失敗が致命傷にならないよう古株が全力でバックアップするのが正しく、最若手が新時代の成功を自力で勝ち取ってくれるまで待つ。
 ものごと運不運は半分半分、何事も山あり谷あり、成果を狙うため我慢に甘んじる時期はある。たかが場当たりのラクを目当てに、いつか色褪せる、いや既に色褪せて久しい、古びた判断力の反復を『また』やってしまって、いずれ組織力を擦り減らして使い果たしたら、そこまでだ。ついそっちに行かない意識を維持したい。

 『最若手にこそ最高の判断力を宿らせる』の理念を定型運営イメージとし、組織一丸この体制で巡行運転できるよう努力し続けなければ、組織はすぐに老いて破綻する。世の諸企業が、どんなに業績不振であっても無理してまで、新卒確保を死守しようとするのはこのためだ。
 大抵は経営者と一部の『解ってる人たち』以外はマトモに意識できてなくて、定年など一定ペースで人員が純減するぶんの補填ぐらいにしか認識されておらず、せいぜい『職場規模の要素数』程度に語られてたりするんだけどさ。

 何しろ人員数というのは、まず将来の市場生き残りパフォーマンスに直接効いてくる組織スペックだし、少なくとも日本国内ではいっぺんヒトを抱え込んじゃうと、そう簡単に解雇もできないし福利厚生など長期的な人件費もかかってくるから、事業設計にガチで関わる『解ってる層』は、胃袋に孔あけながら死に物狂いででも『人並以上の利益を生み続ける、優秀な忠誠者』の定着を求めて手を尽くす。
 ところが悲しいほど成功率が低く、組織は未来志向の判断もできずに足踏みするばかりだし、元気で優秀な年齢層はせっかくの厚遇も見限って去っていってしまう。
 いま日本じゅうの組織が対策を見つけられず困惑している苦境ではなかろうか。

 判断力は最若年層、知見による支援は古株。この分担がなかなかうまくできない。
 どんどん移り変わる社会の最新トレンドのなか成功or失敗を繰り返しながら、いつも元気なナイストライで模索し成長する、そんな情報体としての組織生命体の標準モデルなのだけれど。
 例えば、絶え間ない新商品力の提供でユーザー市場を相手に生きる製造業では『同じことの繰り返し』『昔の価値の再主張』を指差して非難し、必ず『改善して解決する』のである。旧知に頼る安泰など無い。

 本来『社会人』というなら、この程度のことは当たり前に知っていて然るべきはずなのだ。ここまで読み進めて『この理屈はおかしい。極端な偏向思想だ』あるいは『利益だけを追求する人間否定の極論だ』みたいな心象を持った方はおられないと思う。
 だが現状日本社会の教育課程では、大学院まで行ってもこの内容は出てこない。

 会社でも役所でも、好景気にあって義務教育も行き届いた安穏な昭和ニッポン社会においては、このへんごっそり空白無知のまま『仕事とは目前に用意されている業務課題を処理することである』という就労観で、定年まで行けちゃったんだよ。
 表現が難しいのだが、日本人というのは積み上げてきた『いま』しか目に入らない組織観に陥りがちで、そこを補うための知識を普及させるための教育の必要性を見落とす失敗をしているように思う。
 これから何が起こるか判らない『未来』と組み合うにも、馬鹿のひとつ覚えで積み上げてきた『いま』でしか構えられない精神文化では、ますます世界に水を空けられるばかりだ。『未来』と組み合うのに、積み上げた『いま』はむしろ邪魔だ。

 おっと、ここから核心に突入したら終われなくなりそうなので、今回はここまで。
 今季NHK朝ドラ『おむすび』は、若年層の人生観にある『新しい自立性・自律性』を昭和世代・親世代と対比させるコンセプトが面白い。
 ただそれ故に若年層にも昭和世代にも、それぞれに心象の差し触りを感じるシーンが頻出してしまい、損をしてしまっているところはあるんだろうな。

 良くも悪くも昭和ニッポン精神文化が崩れて、崩れたまま組織のカタチが見えなくなっているのが今の時代だ。崩れっぱなしで手が打てなかった組織は、新構造で世代交代できずに消滅するしかない。
 なかなか具体的なおハナシに組んで取り上げづらい世代間意識のテーマと思われるが、朝ドラに仕立ててここまで成立させているのはお見事。楽しみに応援している。

 後半のメインテーマは何になるんだろう?週明けからの新展開にグッドラック!
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【1335】モヤモヤ会話の壁、新旧貫通ダービー [ビジネス]

 NHK朝ドラが年明けの日常ペース再開、改めて注目しながら楽しみに観るとしよう。
 続く『あさイチ』でやっていた『ちょっと気になる会話作法』の企画が面白かった。

 ま、詰まるところは『相手とのコミュニケーションを真剣に扱わない文章と語調が気に障る』ってことだから、逆に私は相手に明確な不真面目や悪意を見出さない限り、少々不自然さが引掛かっても気にしないことにしている。
 それにしても…で、よっぽど妙なコトバの選択が繰り返されたり、態度に違和感が続いたりする場合にのみ、そろっとその真意を確かめにかかる程度だ。

 まず私の日本語がお行儀としてメチャクチャなのは今さら論点にしないとしてだね、じゃあ別に特定の誰かが『正式』でもなければ『標準』ってワケでもないだろうよ。定型の日本語を業務ツールにする事業がどこかにあったとして『ある時期ある基準に照らして完成度がいくつ』、そこまでである。
 就職していろいろ社交場に新規遭遇を重ねている最中の20代ぐらいまでは、個人事情のひょんな巡り合わせを、思い込み・思い違いで体得してしまっているケースも多い。
 っちゅうか、程度の差はあるにしても、ほぼほぼ誰もが何かしら勘違いなどによる『会話のアラ』を持っている方が普通だろう。アラ探しで目くじら立てても、あんまり意味は無いんじゃないかねえ。

 社会は時代と共に変遷するものなのだから【1332】、社会人としてヒトが交わすコミュニケーションの情報構造も、それに合わせて変遷する。
 こんな変動要素をいちいち摘まみ上げて、例えば昭和人種が親分風を吹かして『守るべき既存ルール』として自分らの流儀を押し付け、コミュニケーション空間の主導権を握ろうとしたりする下心まで見え隠れすると、若い人たちが遠ざかっていくんだよ。

 コトバや会話流儀の変動要素に関しては異文化への好奇心で受け止めるとして、圧倒的に大事だと思うのは、変動要素じゃない固定要素の方だ。
 誤解なくお互い相手に通じるコトバで、思うまま考えているままを文章情報に組んで交換する。こう思ったからこう言った、こう聞いたからそうだと思った、言語を通じた胸の内の相互交換ができないくらいなら、無意味な言語の応酬なんぞしない方が余計な誤解がないぶんよっぽどマシである。
 そして私は、ここに明確な悪意を確認しない限り、たかが会話相手の単語の選択や流儀・作法ごときに、否定的な感情を持つことなどない。確約する。

 ここまで解説しておいて、実はそんな私が最近NHK朝ドラでもちょっと気になるなと思うのは、誰かに話しかけられて『え?』の第一声で反応する行動パターンだ。
 聞こえなかったのか、聞こえていて掛けられた言葉の意味が理解できなかったのか、いずれにせよ話しかけてきた相手が言い直しの必要性を感じる反応の仕方である。
 特にしっかり会話を交わして意思疎通する必要性のある場面では、その場のコミュニケーションへの真剣さを疑われる恐れがある態度だとされる。

 我々昭和世代だと、だいたい小学生のうちに深く考えず『え?』で応えてしまい、一度や二度はどやされて意識するクセがついているものなのだが、平成以降『子供をどやす』という行為が無条件に虐待扱いされるようになり、今そんな教育不行き届きの子供が大人の年齢になっているのが原因ではないかと思っている。
 普段のなんてことない会話でまで無理してやんなくていいんだけど、少なくとも確実な意思疎通が必要な会話では、意識してはっきり『ハイ!』で応える習慣をつけとくと、いろいろ良いコトあると思うよ。自信をもってオススメしておく。

 逆に『なるほど』で相槌を打つのを失礼と受け取る風潮が、思いのほか強いようで驚いた。まあ『不当に無礼扱いされている事例です』とフォロー解説されていたので、ほっとはしたのだけれど。

 察するに、望まないコミュニケーションの場で、相手の意を酌めた実感も無いのに、ぞんざいに『なるほど』で済ますシチュエーションが世間に増えたんだろうな。
 その行きがかりはというと、まさに昭和人種がデジタルネイティブ世代相手に、会話文化の変動部を突つき出してウンチク交じりの『躾レクチャー』をやったりする頻度が急増した結果ではないだろうか。
 もうデジタルネイティブ世代は、相手と交換・共有したい心理アイテムや、そのために採る通信手段など、コミュニケーション原理のゾーンから違っているため、老人がどんなに実感をこめて熱弁しても『外宇宙の情報体』として伝わらない・響かない。
 この食い違いを意識しないまま、どうかすると見下したまま絡んで、初任給を上げるとか、配属先や赴任先の希望に応えるとか、的外れな厚遇を用意しても空振りである。
 職場の財務はきつくなるし、事業設計は破綻してきりきり舞い尻もちの大損害が関の山だ。昨今の日本社会の職場では、定番のあるある失敗モードだろう。

 いっぽう若い人たちにも『なぜ老人のカラミってこんなに中身カラッポでウザいのか』の理由に洞察的に興味を持って、分析的に考えてみていただきたいのだ。
 『君たちのことを考えて言ってるんだぞ!』のあほ丸出しの決まり文句は、上記の通り異次元レベルで方向を間違えているが、親世代が一応は本気であなたがたに語りかけている日本語なのである。
 悪意の押し付けとか強要でなく『行き違い』なのだ。意を酌んでやって欲しい。

 そうそう、こんなハナシになったついでに昭和人種にはぎくっとしといてもらおう。
 朝ドラではおむすび嬢が規格外野菜の導入を提案し、すっかりキャラ変した虎ファン上司が率先して取引先をあたってくれる展開があったが、ここが全世代の視聴者の共感を落としているところだと思う。
 『こんなに上手くいくんなら誰も苦労はしない』などと言われてしまうやつである。

 そう、『こないだ職場に来たばかりの小娘に自分が従う』などあり得ないのだ。
 どんなに優れた実用的な提案であっても『自分=職場のドンが、もっと優秀な若造に従う立場になる』という現実が、どうしても、何があっても許せない。認められない。

 仮に他の誰かが『いや良い提案でしょう、この子の言う通りやってみましょうよ』と加勢したとしても、今度はぶすう~っと無視・無感知のMAX牛歩戦術で徹底抗戦に出る。あらゆる協力をむずかって拒否し、その方針の物事をごね倒して動かさない。
 理由を尋ねられても、何を話しかけれても毒を吐きながら押し黙り、自分以外の人間が組織の意思を決定づけて先導する展開を執拗に妨害する。

 さっき加勢した謀反者は、のちのち見せしめ当て擦り・嫌がらせの標的が決定だ。
 事前に内々に打診を持ち掛け『ドンの真意』ってことに仕立てて『ドンを立てる』カタチで公表すれば、逆に猫っ可愛がりの超絶えこ贔屓にあやかれるんだろうけどな。

 昭和ダメオヤジの、まさにダメたる典型的な生態だが、こういう問題が拭っても拭えない難治性の持病として組織に染み付いてはびこるのには、実は上位に別の本質的な原因がある。
 この『昭和式ゴキゲン傾斜事故』の勝手を解っている取り巻き昭和人種どもが、この事態を受けてそこはかとなく動き始めるのである。具体的には、この件を『なかったこと』にしてとぼけ始め、見て見ぬふりに続いてタブー=禁句にして封じにかかり、結局ドンの気に入らない事実を揉み消してしまうのだ。

 昭和ダメオヤジが巣食って巣食えてしまう昭和ニッポン寄合型コミュニティの古臭く閉鎖的で陰湿な空気は、そこに身を置く昭和人種が組織ぐるみで大事に抱え込んで宿しているものだってことさ。
 途中まで『あるある~、ウチも困ってるんだよね~』と共鳴いただいた方、困ったことにしているのはあなた自身だったりするんですよ。
 あなたはそれを変えたいですか、変える気ありますか?…それが言いたかった。

 ありゃりゃ、ついでのハナシが伸びすぎちまったけど、まあいいか。
 腹を割ってくれない新世代に腹を割ってもらわないと、もうこの先の時代、トランプ君やイーロン・マスクらの世界基準で戦えない。
 昭和世代は『自分らでチームワークにして固めて自分らが雁字搦めに縛られる、陰険で異様で空虚なニッポン職権の構造』を、この機会に確かめておこう。
 面倒がってだらだら許すから、嫌われて代替わりもできなくなって滅びるのだ。世の情報体の『種の保存』の真理である。

 今季NHK朝ドラ『おむすび』はコミュニケーション固定要素の大切さがテーマだ。
 そこんとこ応援してるぞ、今週大詰めで荒れ模様の家族会議にもグッドラック!
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【1334】近未来ギャル戦士の想定外能力指数 [ビジネス]

 新年第一回で結構カッコつけておいて、第二回は脱ステ経過症状の泣き言から。
 前が見えんよ、こりゃ参ったね。手足とか、それだけで終わってもないんだけどさ。

 やっぱ冬になると寒くなってくるよな~と思い始めた季節から、オレこんなに目ェ悪かったっけと思うくらい盛んにディスプレイに顔を寄せるようになり、あーまた網膜とか視神経をやられちゃってるのか…と今や勝手知ったるで観念する。ここ数年の定番パターンになってやがるなあ。
 恒久的に視野が欠損する訳ではなく、数秒単位の網膜像グレーアウトという表現が正しいと思う。昨年末いっぱいは、それ以前に左右の目がちゃんと視射角を一致させられずにいたようで、ディスプレイ表示を倍率アップしても二重ブレ画像から逃れられず、きっつい生活を送っていた。

 『自分はいま生物として欠陥品になっている』という屈辱感が凄いが、なあに私は干支も星座も軽く一周した脱ステ途上のポンコツ野郎、プライドなんか忘却の彼方にして、いつか語る脱ステ伝説ネタの取れ高を稼ぐのである。万が一にも取り返しのつかない間違いを起こさないよう車の運転を控えて、もちろん本なんか読めるはずもないし、普段にはないくらいの時間テレビを観ることになった。

 私が子供の頃『テレビは、人間がぼんやりと何もせずに過ごす時間を与えてしまう堕落の機械』とされていたものだ【945】
 そんなテレビは一気に庶民の情報源として影響力を拡大した反面、リアルタイム特化の一過性情報であるともされ、マスコミ業界においては浮草言論扱いで見下されたりもして、新聞に代表される紙面メディアこそが『地に足の着いた公共言論』として一目置かれていたのだが、いま思えばあれも昭和文化の一面だったのかなあ。
 そんな当時の『時代の寵児』だったテレビが、このSNS全盛・AI普及時代を指して『何が真実か判らない』などと、さも困ったことであるかのような情報を世間に向けてばら撒いている。

 いやさ、まず社会の高度情報化が進めば進むほど『情報』が質・量ともに青天井で増えていくのだし、そこにこの世の個人誰一人も、あるいは組織ひとつも、ジブン都合で仕組んだ意図なんぞ介入させようがないってのは理解できてるよなあ?
 社会が、社会に暮らす人間が、情報的に高度化し続ける限り、人間社会のコミュニケーション空間の情報量は増えて伝達速度も上がる。
 人間個人のどっかのどいつかが『ハイ、これ真実ね』『こっちは虚偽、却下!』なんてえっちらおっちら仕分けして、『みんなでここの情報を見ましょう』と、真実レッテルを貼り付けた情報を流す…とかやれると思うか?

 あらゆる情報は無償で流通する時代が来るだろう。管理不可能だからだ【590】
 そんな怒涛の情報環境で真偽判定に迷わず的確に行動できるかどうかは、個々人の生存能力としての『知識・思考・判断力』にかかっている。
 粗悪な情報を信じ込んでそれに従ってしまい『だってだって誰それちゃんが言ったんだも~ん』と泣いても、誰も気にも留めてくれないし気に留めようにも留められない。個々人が賢くなるしかないのだ。

 まあいいや、今回のお題はそっちではない。
 NHKの『プロフェッショナル 橋本環奈スペシャル』がなかなか面白かった。

 御存知、今季朝ドラ『おむすび』の主人公を演じる25歳の女優さんで、有名なのは数年前から聞き及んでいたが、私にとってはこの朝ドラが見始めである。正直、特段に興味のあるタイプでもなかった。
 『元アイドル』という経歴が目に付いた途端、私の卑小な好き嫌い選別回路が起動してしまい、いわゆる食わず嫌いで敬遠してしまうのである。悪いが『アイドル』と言われたらアルファベット三文字にふたケタ数字のグループしか思いつけないし、どこまでが地上でどこから地下なのかも判らない。
 徒党を組んで集団ステージに明け暮れるばかりで、あとはファン人気で刈り取るグッズ売上つまり営業成績のランクが評価基準…みたいな業態イメージが私にはあるのだ、殺伐すぎてスマンね。

 集団ステージだって各自の正確な全身動作が必要だし、お遊戯形態の集団ステージを根こそぎで単純否定したりしないけれど、そこから女優さんに転身となると全く異質の才能を求められるはずだから、私にとって『元アイドル』での知名度地盤は逆宣伝の心象が否めないのである。
 おまけに『何千年の逸材がどうたら』とか大層に騒ぐのが目当てであるかのキャッチコピーがくっつこうものなら『ああ、逸材ならば放っといても自然と視界に入ってくるんだろうぜ』と天邪鬼な待機モードを決め込んでしまうのが私の性分だ。ああ、なんて視野も心も狭いんでしょ。

 まあいいや、それが毎朝観るようになって『なるほど、こりゃこの子は有名になるわ』と思うようになったのである。
 『プロフェッショナル 橋本環奈スペシャル』は主に朝ドラのメイキング映像集に御本人や共演者さん方のインタビューを絡めたものだった訳だが、結局番組に仕立てて放映するからにはただの未加工・無防備オフショット集でもないにしろ、劇中おむすび嬢を演じる『中のヒト』が、劇中おむすび嬢を演じていない時の姿が見れたのには思わず喰い付いた。
 余計な演出や録り直しがなかったとして、25歳にしてあれだけ整理された日本語がハシったりモタったりせず、相手に向かって一直線に放たれるのは素晴らしい。しっかりしたお嬢さんである。
 頭の回転も速いが、身体にも制御が効いているってことだ。立場上よく場数を踏んでいるのは当然だが、若いうちから『解って』現実に遭遇する体験を通り抜けて来たんだろうな。

 英会話にしても、楽器演奏にしても、プレゼスキルにしても、今どき世の中には解りやすく使いやすく便利な教則情報が山のように溢れており、最近の若い人たちはそれらを思い思いに参考にし習得して、洗練された振舞いをベースとして高水準で身に付けているのが普通になっている。
 そんな今風の情報環境をただの人並だけで通って来なかった実力派の理由がいろいろと見えて面白かった。特に『飽きられるのを判っているからこそ、見せ過ぎない』という戦略的思考(?)の発言は、今の時代に人気商売で生きる若手としては、未来の不確定性を的確に意識できている一言だったと思う。
 『いま人気のあるうちに』の刹那な全開運転ではなく、かといって『自分のヒミツ兵器は誰にも明かさない』の自滅型余力温存運転でもなく、25歳なら使える新兵器はこれからまだまだ身に付くし、じゃあどうするのかの答なんて無理に固める必要はない。
 なるほど、こりゃいろんな人が面白がって可愛がって楽しみがるワケだよ。

 どのみち今の情勢なら、数年のうちにAIが生身の人間と見分けのつかない3D役者データを構築して、ここにはいついつどのシーンの誰々風の表情・動作が相応しいのか、次々とハジき出しては試して選んでハイ決定…みたいな映像技術が実現することだろう。
 市場人気に飽きられなくとも、今度はルックスと芸風の選択肢をとっかえひっかえしながら、無限回テイクを24時間365日休まず提供してくる情報体がライバルだ。何がどこまで進化してくるのかは、いま考えて悩んでも自分の足が止まるだけである。

 このお嬢さんなら、AIに怯えて妨害工作したりせず楽しみに戦うんじゃないかなあ。
 すっかりファンになったよ。では週明けから新展開の朝ドラにグッドラック!
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【1333】難癖で語られるシンプルな新時代の御開帳 [ビジネス]

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いくださいませ。
 1月1日ってのは、たかが人間の都合で太陽系の周期的運動に節目づけただけのもんだけれど、実はただひとつ、ちゃんとそこからカレンダーは加算方向にのみ着々と進んでいくのだ。後戻りすることは絶対にない。

 この一点において、世を生きる情報体たちは、情報的に生きとし生けるもの全て、必ず古い現実を情報化して知財にし、それらを既知とした高次情報を次の現実と照らし合わせながら寿命時間を過ごす。
 いついつ通り過ぎたあの日に、こんなことがあって、こんなことを考えました…と、記憶に取り置いた情報を携えながら、その内容を検索し読み出しては次なる意思決定や行動判断に反映させていく。知恵がついて賢くなっていくんだよ。

 この加算原理が『情報的な進化』であり、古典生物学の概念では『高度に進化した生きもの』を指して『他の生きものよりも高度』と定義づける核心ポイントなんだよな。
 そして『何故こんなに高度になったのか』『どこに高度化のきっかけがあったのか』などなど、とっても情報的に高度な『アタマ良い人たち』の興味と研究の対象になり続けている。
 もうちょっとクチを滑らせておくなら、この古典生物学の価値観に則って『人間こそが地球上で情報的に最強の生きもの』という不動の優越感を保証されて生きてきたのだよ、人間どもは。

 この核心ポイントは『正確で豊富な記憶情報』と『迅速な検索および現実への整合演算』というふたつの機能で成立している。
 前者は記憶容量とアクセス速度のスペックだけで決まる望大特性、つまり単純にでかくて速いほど望ましいと言い切れるものだ。とにかくいっぱい憶えてて、即座に思い出せるヤツが優秀ってことである。
 後者は目前の課題との類似性をスコアリング評価することさえできれば、やはり演算速度のスペックだけで決まる望大特性、つまり照合判定の最速ベストスコアリングこそが優秀ってことになる。使えるネタをぱぱっと見繕ってざっと比べ、コレがいい!と瞬時に確定できるヤツが最強ってことだ。

 ナニが言いたいのかというと、古典生物学が情報的に価値を見出したこれらふたつの機能は、いずれも早々に我々人間が機械化を実現しており、今この瞬間も天井知らずの機能増強が継続中だってことである。
 現時点で、古典生物学が『我ら人間こそが、コレ故に高度なのだ』と暗黙の共通認識にほくそ笑み合っていたその能力は、皮肉にも人工物に遥かに上回られ、どんどん水を空けられ続けているのだ。

 当の人間は現状、自らの生体構造を改変して追い付くことができない。
 鍛えて鍛えられるものでもないし、たかが人類文明に流通するどんな『富』を対価に支払おうが、ここでハナシになるレベルの情報処理機能を我が身のこととして自由自在に操作できない。
 既に『この世の情報体としての機能ランキング』では、旧式の家庭用パソコン以下にまで順位を下げている人間どもだが、他のナニを自己保存=生き残りの可能性として見出し、今後『情報体バトル』でどうやって人工の強敵・コンピューターと戦おうとするのか、そこに新時代の人類存在意義の模索トレンドが顕れるはずだ。

 結論から行くと、古典生物学でいう『高度な生きもの』人間は、高度でなくなった。
 しょぼい記憶容量と演算速度が、情報体としての人間のなけなしの持ち駒なのだ。
 どんなに悔しがってもアップグレードのしようがない、これが現実。そして。

 それはそれで、情報処理の展開の仕方に数多くの新規パターンを編み出す余地のある人間は、むしろ好奇心の感度を高めて、この現状の構図を面白がりながら現在およびその先の未来を見ている。

 いっぽう旧来の誰かが確立した実績枠にアタマ使わずハマり込んで、既存ルーチンへの適応解を情報化できずに、ジブン流の熟練度や経験則にすることまでしかできなかった人間は、ジブンひとり見て聞いて思い巡らすまでが世界の果てである。
 こういう人種は『ココロの神秘』『人間の尊厳』みたいな、万人にガチのソリッドに響く解説の不可能な、つまり実体が無いゆえ情報化のできない、架空の印籠で人間盲信パワーをでっち上げるしかない。
 まあ同類相手に『何となくの価値観』さえ共有できれば、神秘や尊厳の信奉者コミュニティは自然発生するだろうから、ココロと人間の絶対神格化サークルでも作れば良いのかなとは思うけれど、くれぐれも人類文明いや情報体文明のロジカル進化を妨害にかかる狂乱テロ集団にはならないで欲しいものだ。

 さて北米世情ニュースに見るトランプ君やイーロン・マスク、ちょっと遡ればオープンAI社のサム・アルトマンさんにイリヤ・サツケバーさん、そういえば昨年このへんのドタバタ劇には大手MS社も一枚噛んでたりしたワケだが、そんな登場人物たちでナウ大きく・激しく動いているのが北米経済や産業政策である。
 かたや我等がニッポン社会は、ウラガネ問題が良いのか悪いのか、おいくらまでガメたらヤバいのか、そんな議論…とは言いたくないな、無駄な雑談でまだグズっている。
 あなたはこれを、現代人類の国家組織の運営方針検討の姿として、何か意味のあるものに見て取れますか?

 そんなニッポン社会でもインターネット回線を介して、世界を席巻するAIが普及を始めた…などとようやく口走り始めたと思ったら、どの銘柄でどんな動画が生成されましたとか、この銘柄にこんな質問をしたらコレコレ盛り沢山の回答でしたとか、でも現状あっちこっちに発生するハルシネーションを摘まみ出しては、や~いこの知ったかカラクリ人形め!みたいな関心の持ち方でしか絡めない。

 古いだとか時代遅れだとかいうレベルの問題ではないだろう。現実と接点が無い。
 グローバル経済市場で、日本円だけ単独で落ちるところまで落ちて、なおも一向に底が見えない理由が判らない日本人がまだ残っているようなら、所詮ニッポンってそんな国だったってことで滅亡せざるを得ないのかも知れない。

 昭和ニッポン人は隣り同士目配せして『そんなこと言ったってしょうがないよねー、自分たちにはどうしようもないしー』と頷き合って、本当にそのまま心中する道をグズグズだらだら選びがちな弱点がある。その前に、世界標準のグローバル情報空間でいち早く自由に育った、元気な子供たち若者たちに主導権を移行させたい。

 今さらだが、変わりたくない旧態ニッポンを置き去りにして時代は変わっている。
 今年は、世界に合わせて変わりたい日本人の進化の年にしようではないか。

 『他人の目は気にしない』『ダサいことは死んでもするな』がギャルの掟だ。
 他人の目ばかり気にして群れる、古いダサい旧態ニッポンは潔く切り捨てよう。
 表紙をめくって、否応なしにその後が続く2025年カレンダーにグッドラック!
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【1332】予約先行リスク超越型の御来光ビューポイント [ビジネス]

 2024年最後の更新となった。
 いろいろあったが今年は『昭和精神文化の終焉』が目立っていた感がある。

 日本人の子孫として日本列島に生まれ、日本社会で育って暮らしているんだから、今の時代に生きる若い子たちも、みんな自分らと同じメンタリティで生きる、おんなじ日本人だ。
 この文章を『当たり前』だと思った人は、これまでも時代遅れだったし、今も時代遅れだし、今後もキャッチアップできず時代に置いてきぼりを喰らいながら生きていく。
 トータルの人数だけいても、カンフル若年層を苦し紛れのムリやりに集めて増強しても、自分らの時代遅れにいつまでも気付けない、あるいは気付いて直せない組織は、まだまだ若年層の定着率をボロボロに落としつつ抗えない老衰で縮小・弱体化していくだけである。時間の問題ってやつだ。

 年末だし細かいハナシをするより、ちょいと世間を大きく俯瞰してみますか。
 とうの昔に何段階も先のフェーズに進んでいるグローバル・スタンダードの新常識があり、明らかに置いてきぼりを喰らっているグズグズうじうじの旧態ニッポンがある。これをまず率直に認められるかどうかだ。

 先に実例から行こう。
 北米では有人火星探査計画を掲げたイーロン・マスクが『とりあえず』逆噴射の垂直姿勢で帰還してきたロケットを『箸でつまんで回収する』技術構想を現実化させた。いっぺん飛ばすたんびに『もったいなく捨てすぎている』宇宙ロケットを、もっと再利用で経済的に使えるようにするためらしい。

 ここでいきなり横道にそれるのだが、我々が暮らす地表面の重力場というのは、実は技術的に非常に厳しい環境であり、そこそこ巨大な飛行体がSFエンタメでお馴染みの垂直離着陸をマトモにやると、例えが少々アレだが、北米911テロの世界貿易センタービルと同じ崩れ方で自壊する【464】
 あのスケールで『箸でつまむ』方策を採用したセンスは、決して『突飛な発想』などという陳腐な日本語で片付けられるものではないのだよ。自重による座屈破壊を避けるため、基地タワーの箸つまみストローク圏内にまで寄っていって、体当たりでタワーと共倒れしない制御を効かせつつ箸つまみしてしまうってのも、凄い設計構想だけど。成功の瞬間の実写映像を見ても、まだホントかどうか目を疑いつつ感心するばかりだ。

 …おっと、とりあえず今そっちは本題じゃなくって、とにかく既成概念を打ち破って宇宙開発の新フェーズを開拓し続けるイーロン・マスクというヒトがいて、今の日本のチマタにはそんな彼を、何だか否定したがる言論ばかりが目立つように感じる。端的にこのニッポンの『否定したがる性格』が、悪くてマズいと私は思っている。
 一応にでも『メディアの公平性』みたいな一般論的な公共道徳を順守するテイは保っておきたいと見えて、真っ向から『コイツのやっていることは公序良俗に反する悪事です』と結論付けて断言まではしないものの、その大胆な発想に素直に目を見張り両手を上げて応援する気持ちの表現を固く封じているのがアリアリと判るんだよ、『誰かさんに目を付けられる』のをコソコソびくびく恐れるかのように。

 彼とトランプ君との接近が発表されると、なおさらその風潮は声高になったと思う。
 なんで日本のチマタ言論は、そんなに彼が嫌いなのだろうか?

 時間を巻き戻すと、イーロン・マスクといえばテスラ社のトップだったんだよな。
 ほんの何年か前に突然『テスラ』の銘柄を聞き始めるや否や、そのまんま『ああ、あのテスラか』とEV業界の風雲児にして、時事トピックの常連ブランドに落ち着いてしまったのである。
 やれあっちで莫大なバックオーダーを膨らませてキャンセルが続出しただの、こっちでは市場投入した自動運転車が事故を起こしただの【1002】荒っぽい成長過程の話題にもコト欠かなかった会社なのだが、あれよあれよという間に宇宙航空領域にも進出し、いま垂直降下してきたロケットを箸でつまんでしまうまでになった。以前の時代には到底あり得ない、凄まじいまでの爆速展開である。

 先日某所で『イーロン・マスクってヒトは、製造工場が影も形もないうちに自動車販売の注文受けてるんですよ』と語られていたのを聞いて、うわ~なるほどその通りだったよな…と思い返したのだ。

 実は私の知り合いにもテスラ車に興味を抱いて発注したものの、納期のメドが立っているとはとても思えないニュースばかりが飛び交うし、その挙句に実際ディーラーさんから納期2年だと言われたとか何とかで、とうとうキレてキャンセルしてしまった人がいる。そりゃ従来基準の感覚で自家用車を発注したユーザーとしては、フツーに自然で理に適った反応である。

 けれど今になって街中でテスラ車をちょくちょく見かける…というか、遅々として普及が進まない他社製EVを差し置いて、見かける頻度は一番多いんじゃないかなあ。
 つまり納期遅れやキャンセル発生の諸問題をどこかで巻き返して、日本市場のユーザーときっちり御代を引き換えて、それなりの台数を日本の道路上に送り出したということなのだ。ビジネス的に致命傷を負う前に、造って売って事業拡大した結果の現実が今ここにある。

 御存知の通り、顧客からの売上を先行させ事業資本をやりくる操業形態そのものは以前からあって、ついこないだには段取りをつなぎ損ねたエステ業者の倒産が、またしてもの詐欺事件として報じられていた。前払いで納めたカネ返せ~!が殺到するやつだ。
 過去には旅行代理店なんかでも似たようなハナシがあって、この手の同類の失敗例には枚挙に暇がない訳だが、それにしても初期投資が莫大で事業ソースも複雑多岐な自動車製造販売業でソレやるか…?

 …っつっても、ホントにやっちゃった上に事業拡張してロケットも飛ばして、ついでに人類初のロケット箸つかみまでやっちまってるんだから、何にもしないできないの無能がクチ動かしても無駄だ。たかがコトバの言語情報、目前の実績事実には勝てない。

 『受注ぶんを製造する方策も無いうちにお客さまに納品を約束する』
 『せっかく我が社をお認めいただいたお客さまを待ちぼうけで逃がす』
 『悶着はあるが致命傷にせず次の受注でそれを上回る業績を稼ぐ』
 誇り高き昭和ニッポン製造業が、まともに神経を逆撫でされるような事業コンセプトである。白状するなら、私だってこんな恐ろしい順番でモノづくり商売をやる度胸を問われると、たじろがざるを得ない。

 だが時代が変わっているのだ。
 モノづくり事業の本質としては異なる事象なので、ここでただ綯い交ぜの論議にはできないんだけれど、それにしても、かつて製品開発プロセスの『サイマル化』について私が思い巡らせた否定的な考察は、明らかにもう古い【205】

 経済市場にある潤沢な資本が『エンタメ衝撃ターゲットの提示』を求めて集中するものであり、失敗して詐欺犯にならない底力をもって『ターゲット実現による出資継続』を勝ち取って生き残る時代が来ているのなら、日本経済ももちろんノーチョイスで肩を並べざるを得ない。良いも悪いも、好きも嫌いもない。
 小さな無人ロケットも打ち上げられず、そのエンジンの実験さえ成功させられない『むかしの技術大国ニッポン』が、今さらイーロン・マスクを毛嫌いする理由は何だとお考えだろうか?トランプ君の政治力と組んで何が困るというのだろうか?

 あなたのその答を受けて、日本国は何年後にどんなロケットを飛ばしますか?
 他国と対等にわたりあえる技術力と経済力はどう積み上げて誰が稼働させますか?
 カレンダーの数字がいくつであろうが、社会は、時代は、止まらず常に進んでいく。

 皆さま、今年一年の御愛顧をいただきまして誠に有難うございました。
 来年も引き続きのお引き立てを心よりお願い申し上げます。どうぞ、よいお年を。
 では次回、新たな2025年の幕開けにグッドラック!
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【1331】時流もの解りの及第点セーフと処刑アウト境界線 [ビジネス]

 うっかりしていたらクリスマスが過ぎてしまった。いよいよ年末年始である。
 今年は大型施設のクリスマス装飾が意外と緻密キレイに造り込まれていた反面、商店でのジングルベル喧騒は控えめだった感があるなあ。前がうるさ過ぎたんだろうけど。

 さてNHK朝ドラ『おむすび』職場食堂の虎ファン古株上司だが、何よりまず若手から強権的に奪い取ったノートを早々に返却した流れは正解だ。
 それどころか先達の立場から情報を追記してやったり、しおらしく自分の到らなさを認めてメニュー改善をみんなに相談したり、いきなり『いいヒト』になっちゃって少々拍子抜けもするんだけど、まあNHK朝ドラでいつまでも通せんぼキャラが存在感発揮するのもちょっとおかしいのか。ドラマの筋としてはビミョーにぎこちない感じだけれど、とりあえずめでたしめでたし。
 職位や年恰好の関係がどうであれ他人様の有価物を強奪するのは、その場に流通する慣習やルールがどうなっていようが、明らかに犯罪性を含む『悪事』だ。

 職場でも学校でも、複数の人間がいるとして、毎日みんな幸せいっぱいとまでは言わないにしても、根拠を納得できないような不自由や強制・剥奪の『理不尽』の目に遭わされて、不幸のストレス境遇に抑圧されるような人間関係を作り出さないこと。ものの弾みででも偶発したら、組織力で厳しく摘発し撲滅すること。
 社会組織の住人たちの精神文化を協力的で生産的な方向に維持し、そこに自分が身を置くことが嬉しくて楽しく感じる、そんな明るく健全な組織風土を布くための『基本中の基本』である。

 生まれつき地域社会由来の感情問題がDNAレベルに身近で、他のナニゴトも度外視して御近所式の馴れ合いに合わせ込んで事なかれを決め込みがちなニッポン昭和ムラ社会。これを強みにするか弱みにするかの制御操作が、日本人集団の運命の分かれ道となるのだ。

 ものの道理とゴキゲンがうまいこと噛み合っている時でこそ、絶体絶命の理屈をひっくり返す奇跡であるかのような神がかった勢いを発揮するのだが、反面それを踏み外すと、道理の立つはずもないアッパラ妄想にグズグズこだわり続け、最初から判り切った失敗を無限に繰り返しては、反省もせずできずに、ふんぞり返って自己改善をつっぱねる致死性のオワコン強情に閉じこもる。
 ここで何回も扱ってきた通り、日本社会のさまざまなコミュニティが次世代を担う若年層とうまく折り合えず困惑している惨状には枚挙に暇がない訳だが、この『ニッポン昭和ムラ社会の精神文化』こそ、手を打てず出口のないまま堕ち続ける国力不振の元凶なのだと私は思っている。

 そもそも今の若い人たち=グローバル情報化社会に育ったデジタルネイティブ世代にとっては、いわれもないサル山チカラ関係の末端枠に『当たり前』として収まる理由なんぞ、どこにも無い。ナンボかうまく行っているうちはまだいいが、結局は道理でもない妄想が組み上げたピラミッド型の構造枠なんだし、風任せのような運不運に引きずられるばかりのボロい展開が待っている。誰だって判るんだよ。
 初任給の額だけ吊り上げられて、体力に溢れた新人のうちから異常なペースで時短勤務や休暇取得をそそのかされ押し付けられ、コンプライアンスとやらに雁字搦めの就労意識調査を猫撫で声で問いかけられても、道理にそぐわない昭和老人の好き嫌いがまかり通っているような組織に甘んじている実感が本人にあるなら、なるほど『こんな場所では一人前に成長できない』と恐怖感に駆られるのが正常な心理というものだろう。

 朝ドラ『おむすび』はこのあたりドンピシャのシビアに的を射ており、主人公の職場食堂だけ切り出しても、いかにも昭和ニッポン人種の虎ファン古株上司が仕切り屋ポストを占拠していて、組織全体の維持管理・改善・将来継続を深く考えない無気力奴隷の部下たちが、ダラダラ経験則の惰性で動く日常業務に調子を合わせて日々を消化する設定がバッチリであった。
 視聴者が日本社会の我が身日常の現実を連想しながら思い巡らすには、先週までの『社員食堂のドン』っぷりの横暴な振舞いなんか判りやすかったのだけれど、それが今週になってスカッと優等生的に改まっちゃったのは痛し痒し…ってのが冒頭のおハナシである。解らないヒトは遅れているので、ちゃんとNHK朝ドラを観ましょう。

 まあいいや、『おむすび』は年明け以降もまだまだ続くし、当面この話題の掘り下げは先送るとしてだ。もしかするとこのあたりの『昭和ニッポンの実態描写』および『若年層目線の心理展開』が、放送開始以来ここまで『おむすび』視聴率がイマイチ伸びない理由なのかも知れない…と考えている。

 NHK朝ドラの視聴者層はまだまだ昭和ニッポン人種が多数派だと思われ、だとするとニッポン昭和ムラ社会を舞台に『世の中そんなもんだよな~』で渋々にでも迎合し、決して楽しく幸せでもない、エラくてツヨい誰かさんたちの勢力争いや嫌がらせ絡みのウワサ話・なかよし結託にずるずる調子を合わせる…みたいな流れの方が、共感を呼ぶ自然な日常の舞台背景なんじゃないだろうか。

 でも現状『おむすび』のストーリー展開はそうなってなくて、そこここにギャル人種がドヤドヤ乱入してきて、むしろ狙い撃ちで衝突してくる昭和式グズり・ムズカりを象徴的に解決してくもんだから、あんまり気分的に思い入れられないんだよ。
 反面、一方のギャル人種を始めとする若年層は、不可解・不透明・不愉快な昭和式のかび臭い陰湿っぽさなんか最初からそっぽ向いて、デジタルツールで気の合うヤツとだけ自分流の人間関係を謳歌してたワケだろ?
 だったら、わざわざにこんな現実感も無いハナシに興味なんぞ湧かないだろう。

 いや、本作『おむすび』ストーリーの狙いどころは間違いなく秀逸だと思うのだ。
 ニッポン昭和ムラ社会の弱点を剥き身にして見えやすく描くとともに、そのニッポン昭和ムラ社会はもう種が途絶えており、放っておいても老人ウチワで弱点を抱え込んで絶滅に向かうだけ…そこもそこはかとなく暗示している。
 日本社会で『高齢化問題』という言葉が語られるにあたって、その社会空間にいる人間がただ時間経過とともに年齢を重ねていくだけには終わらない、衰弱や滅亡のネガティブ印象までチラつく破滅性が漂うのは、結局この自覚が共有されているからだろう。

 少々造りの不器用さを感じるが、本作NHK朝ドラ『おむすび』には、そこをどうにか解決するための精神文化を普及させようとする、チャレンジングな制作意図を感じる。
 テレビ番組である限り視聴率は大事な指標値だから、数値が低くても全然構わないし気にすんな…なんてイチ視聴者が無責任には言えないのだけれど、私としてはタイヘン将来効果を期待しながら興味深く楽しませてもらっている。

 やっぱりよくできてるな~とリフレイン評価する『カムカムエブリバディ』だけれど、後から頑張る新興勢力は絶対に気を抜いたりするんじゃねえぞ。必ず過去実績に勝ちなさい、以前より上を行きなさい。痛快なやつを頼む。
 たっかい受信料払ってるんだから、当然面白いNHK朝ドラに忘年のグッドラック!
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【1330】剛速球の乗り心地で知る健康管理の法定速度 [ビジネス]

 緊急でもう一発、脱ステ速報を追加する。
 前回、この季節は空気感染症などに備えてそもそも免疫力が強まるので、脱ステ中の身体に自己免疫力による自傷症状が現れがちになるのではないかと述べたが、なかなか的中してるっぽい。

 昼間カーテンをかけたような薄暗い部屋の中でテーブルの下に何か光るものを見つけ、確かめに近寄ったところ、みるみるそれが虹色に輝き出すという夢を見た。真っ白にきらめく光の粒も撒き散らしている。
 さらに、その場面から途中の脈絡を全く憶えていないのだけれど、大勢のオトコ衆が賑やかに神輿を担いでいて、神輿のてっぺんにはタテA1ぐらいの紙に太い毛筆で『旅』と一文字書かれており、私は『ああー、旅が祭られてるんだなあ』などとワケのわからん発言をしていた。例によってさっぱりイミフである【692】
 これで終わらず、自宅にいて外から誰かに覗き込まれている気配に気づき『何だよこの野郎!』と思わず立ち上がったところで、遂に夢でなく現実に上体を起こして目が覚めた。

 派手な光学現象の映像に【615】、お祭り騒ぎと戦闘の心理状態も揃って【403】、そういや先週は両手両足が氷のように冷えてたな。つまり。
 これはもう、私の免疫力がバッキバキのやる気満々モードになっていて、ちょっとでも見劣りする体組織を目ざとく摘発しては、片っ端から処刑してまわっている裏付けではないか?
 そうか、だから毎年この不調期を抜け出た直後には、一瞬全快を期待したくなるほど好調を感じたりもするんだよ。さすがに13年もやってればこの私でもどうにか学習して、一気に舞い上がって駆け出したりしなくなっているのだが、この好調・不調の波は『解って自覚して対応を決める』という脱ステ作戦スキルにカウントして良いのではないかと思う。

 不調の時期はどん底でしんどいんだけどさ、改善課程の道筋が季節性パターンとして意識できるだけで『ここは堪えて乗り切る』『今のうちに片付くだけ片付けておく』『どんなに悔しくても我慢して寝る』などなど、戦略的思考で生活できる判断力になるはずだ。場当たりの感情に揺さぶられることなく、中長期ペース配分の考え方ができるようになれば、脱ステ成功率が上がるだろう。
 今まだまだ絶望地獄の狂おしい渦中におられる方々、その不遇が覚醒中のノンフィクションならば、それはそれで痛かろうが痒かろうが苦しかろうが、間違えようのない現実を念頭に置いた戦略思考がロジカルに通用するってことだから、可能性を見失わないように頑張りましょうぜ。
 あからさまな書きっぷりのものはだいぶ減ったが『どうせ脱ステなんかできません』『いいから諦めて安全で快適なクスリに戻りましょう』みたいな、脱ステ体験記・挫折談に似せた怪情報は後を絶たない。まあ本気でステロイド離脱を試みる人には最初から無関係なゴミクズ情報だと思うけれど、御用心。

 さて健康障害の話題と言えば、NHK朝ドラ『おむすび』主人公ギャルの彼氏役、ヨン様が肩を壊してしまった。高校時代のフリからして予想はついていたが…
 漫画にしてもドラマにしても『エース級ピッチャーが肩を壊す』という事件がストーリーの行方を揺さぶる展開は珍しくない。劇中ヨン様が医療書籍で眺めていた項目は『肩関節唇損傷』、その解説によれば『上腕二頭筋の腱が剥がれることを指し、自然治癒することはない』とのこと。おいおい、えらい大怪我じゃないか。

 私が中学生の頃だったと思うのだが『日本のプロ野球界で遂に球速151キロが出た!』と新聞やテレビが騒いでいたのを憶えている。ふうん、150キロって確かに絶対値として結構なスピードだけど、どのくらい凄いもんなのだろう…?
 高速道路の車が100キロ、当時の通勤電車も最高速度はほぼ一律100キロ、新幹線が最高250キロ。でも確かバドミントンのシャトルも瞬間値で200キロ超えるんじゃなかったっけ、直後に急減速するんだけどさ…

 早々に結論から行くと、150キロはメチャクチャ凄い。自分で出してみると判る。
 私は二十代の頃に、単車で時速160キロを出しかけて、怖すぎてやめた。

 さすがにそんなことを試そうと思うのは高速道路に限られるワケだけれど、とにかく400ccの40馬力ってどのくらいまで届くもんなのか、いっぺんやってみたのである。
 高速道路を巡行していると、単車のタイプにもよるんだけど、風よけの無い前傾姿勢の車型ではとにかく思いっきり風に巻かれる。これが120キロ超えたあたりから急激に酷くなり、特に私のようなチキン野郎は恐怖感が二次曲線的に増加するのだ。

 例えば長くて細い枯れ枝を手に持って小川の水流に突っ込むと、ぴるるる、ぴるるると先端が小刻みに振動するではないですか。あれは枯れ枝を包みながら両脇をすり抜ける水流が起こす現象であり、流体力学的にちゃんと解説がつくのだが、そのへんマジメにやるとやたら面倒くさい長話になる。
 今は『流れ方向に前後長があんまり長くなくて、おまけに表面が凹凸している物体は、乱流を起こして不安定になる』とまで言い切って、直感で納得してくださいな。

 とりあえずそんなワケで、メーター読み150キロともなると屈強のプロレスラーにフロントフォークをつかまれて、全力で揺すられているかのような空気力を感じるのだ。
 同時にぶん回る前後輪が強烈なジャイロ効果を発揮して、鉄壁の保持力でびたりと直進姿勢を保ってくれるから、結局は転倒したりしないのだけれど、そこまで解っていて乗っている方は、到底自分じゃ太刀打ちできない怪力のせめぎ合いに身を預けている実感が凄い。これで大型トラックの乱流なんか喰らうと、怖くてちびりそうになる。

 実はここまでお膳立てに過ぎず、150キロを過ぎた途端、急速に『地面が怖くなる』のだ。意外と頻繁に見かける高速道路上の落下物なんかで、タチの悪いのに巡り合わせたら一巻の終わりである。
 『この地面に、この相対速度で接触したら命が無い』という切迫感がOFFからスイッチONのように段違いで立ち上がり、車輌の性能としてまだ出せる余裕は判っていたが、そこで私の二輪最高速チャレンジは終了した。だいたい革ジャン着てたとはいえTシャツとジーンズにスニーカーでこんなことをしてはいけません。
 車載メーターは少し高めに表示されるのが普通なので、たぶん実測では時速150キロに届くかどうかぐらいだったはずである。あれが時速150キロか…

 ここで野球にハナシを戻すのだが、人体のピッチング・モーションを考えるに、肩関節の背面から前面への反転押し出しや、立ち位置の踏み出し代なんかまで含めても、ボール軌跡ってせいぜい3メートルぐらいなのではないかと思う。両手拡げたリーチがだいたい身長と同じだもんな。

 その距離で野球のボールを、あの時速150キロまで加速させるなんて信じられない。
 投球すべてが150キロの剛速球ばかりでもないはずだが、ならば今度はややこしい回転を加えて、100キロ級の球速なのにたかが20メートル弱を飛ぶ間に、打者が弾道が読めなくて迷うほどの変化球を投げたりするんだから、それもまた人間技ではない。あいてて爪を割っちゃったで済むもんでもないだろう。

 なるほどプロ野球選手って観る分には身近だが、超人的な素質に恵まれたギフテッド人材が、徹底的に条件を揃えて身体を鍛え上げて、毎度毎度出番を狙って調整して初めてモノになるものなんだろうなと気が遠くなるのである。ここに栄養士って、どのくらいの関わり方するもんなのだろうか。

 ささ、プロ野球選手でもない脱ステ途上の野良おっさんだって、緻密な自己診断のもと戦略的に生きていくのである。しっかり食ってよく寝よう。
 脱ステ中の読者さま方、いつか通り過ぎて語る現状の武勇伝にグッドラック!
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【1329】勝ち目ない若手への業務引継ぎノート [ビジネス]

 まずは脱ステ速報から。今月アタマをもって完全断薬後13年目に突入した私の脱ステ経過だが、今年『も』またジンクス通り年末年始の不調期が訪れた。

 やっぱり低温乾燥の気候が来ると、特に呼吸器系の感染症なんかに身構えるために免疫力が高まるんだろうかねえ。
 免疫抑制剤=ステロイド漬けの虚弱体質から立ち直る途上の私の体組織は、この季節一段と力強くなる自己免疫力に容赦なく叩かれて、あっちこっち炎症が激しく起こるとともに壊された老廃物の生成ペースも上がり、あっちこっち肌トラブルも増えるのではないかと感じている。
 半月ほど前に風邪でもないのに鼻と喉の粘膜が荒れまくって、御近所さんには声がおかしいと指摘され、予想通りになんてえこともなく収まったそのあとは、首廻り・喉廻り・耳の下・小鼻の両側・目の周囲などがかぶれてきた。

 顔に集中している目鼻口は常に速いペースで代謝され更新され続けているので仕方ないんだが、特に目をやられちゃうと、焦点を合わせて見ようとするその注視ポイントが、まるで盲点みたいにグレーアウトしやがるもんだから不便でしょうがない。っちゅうか、そもそも左右を一致させて焦点を合わす段から叶わない。
 目の周囲がぶくぶくに腫れて試合後のボクサーみたいな顔になり、むずむず痒いわひりひり痛いわ、そんな状態なので瞼が腫れて分厚くなってしまっており、一度ハードコンタクトを入れると外す時には瞼の縁がレンズにうまく引掛かってくれず、長時間自分の目と不毛に格闘せねばならない。馬鹿馬鹿しくて情けない。

 おまけに低温乾燥気候で、去年より随分マシといいつつ手も足も全部一ヶ所ずつひび割れちゃったりもして、痛くて歩くたびにつらいしキーボード作業も億劫だし水仕事は試練の時間なのである。しかもこんな時に限って、庇う動作が裏目に出て足を余計にぶつけてしまう。生卵を割ろうとすると、殻の破断面がひび割れに命中する。
 ただでさえ死ぬほど嫌な痛さに虐められ続けてウツな日常なのに、ビキっと亀裂を割り拡げる激痛にやられては悲鳴を上げ、それでも今年は流血騒ぎにならない有難さを泣きながら噛み締める毎日だ。ま、コレを通り過ぎないと完治しないし、いま通り過ぎている以上はまた一歩完治に近づくワケでして。

 さてムズカシイことも考えられないので、NHK朝ドラのハナシでもしましょうか。
 前作『虎に翼』をはじめ、総じて『弱い立場に甘んじない、しっかり意思表示する女性』と『根拠のない間抜けな強気が滑稽な男性』の対比を描くのが朝ドラのひとつの定番となっているが、今季『おむすび』もあちこちそのテーマが散りばめられているように思う。
 マツケン爺ちゃんもおむすびパパも、いわゆる『ダメな中高年男性の典型的事例』の『ダメ』なところがコミカルに描かれているワケだが、ここへ来て興味をそそられるのが職場の社員食堂を仕切る虎ファン古株調理士の上司だ。

 そうそう、この機会をとらえて横道で積み置きトピックの消化をしておこう。
 私は生まれ育ちが大阪のド下町なので、その後に赴いたあちこちで『オマエはやっぱりコテコテの阪神タイガースファンなのか?』と質問されたものである。
 まあフランクな会話の入口として便利なのは間違いないし、こっちも別に嫌な思いをする訳でもないし、今どき目ざとく『出身地ハラスメント』にでも祭り上げて、みんな大好きコンプライアンスとやらの標的アイテムに加える必要もないだろう。まあとにかくお約束で、よく訊かれた。

 まず返答の第一声は『すまんがわたしゃプロ野球は嫌いだ』で切り出す【1190】
 けれど大阪プロ野球ファンの実情には、とりあえず大阪人なりに接点があるので、そのハナシで埋めましょう!と続けることにしていた。

 実は小学校の中・高学年ぐらいの、最も単細胞に野球中継を観て単純に真似をしたがり、休憩時間や放課後に野球に明け暮れるような世代の子供たち、大抵はプロ野球チームをかたどった野球帽を被って走り回るような子供だったりするんだが、そんな子供たちでも全員が全員、阪神タイガースのファンってことでもないんだよ。
 年齢がふたケタになろうとする年恰好にもなると、もう子供たちは十分に『知性を備えたヒトの社会性』を見て理解して、自分の行動の意思決定に反映させているのだ。

 『阪神ファンてさあ、アホやろ? 腹立つから俺は巨人ファンにしてる』
 たかがプロ野球チームの好いた嫌ったで、駅前の飲み屋で本気の剣幕でケンカするおっさんどもや、恩知らずに接客態度にこれ見よがしに差を付ける飲食店など、子供は全部解って見てるんだよ。見下してるんだよ。
 もっとも後々の数年後、そういう幼稚性も成人社会人たるオトナの自然な実態の一面なのであり、好き放題を言い散らかしのやり散らかしが思う存分できる場では、よっぽど実害がない限り、そのぐらい自分を解放し尽くす時間を保証してあげても結構かな…なんて会話も理解できるようになるんだけどね。とにかくアンチ阪神は結構いた。

 …あ、失敗した。つまらん横道にボリュームを割き過ぎたが、まあいいか。
 先に言いたいことを言い切ってしまうなら、こういう一面をはじめ『気分屋の俺さま思考が社会空間で許されていつも通用すると勘違いしている、バカでだらしないオトナ』をあんまり安直に肯定視しないストーリーを、NHK朝ドラの脚本には期待したい。ハードル上げてすまんね。
 いや縄張り意識を利かせる限りは責任感も相応にあるんだとか、お行儀悪く我を押し通しつつも他人に気に入られようとする可愛いところもあるんだとか、そういう最初から問題でも何でもない人畜無害なお子ちゃま的ゴキゲンの悶着なんぞ、そもそも営利事業の運営としては関心事にすることでもない情操教育の躾の領域のことである。何しろ、もうこんなところにストーリーの着目点を置くような時代でもなくなっている。

 くだんの社員食堂の虎ファン古株上司は、ちょうど『ジブン経験則の個人専売』で勝負するタイプとして判りやすく描かれており、まあベタ過ぎるとはいえ実際この手の『ジブン特製・マル秘カンコツ情報』を意図的に職場の業務標準に割り込ませ、自分自身を『いなくなったら困る人』に仕立て上げようとする小細工は珍しくない。特に旧式職人タイプではその傾向がしばしば目に付く【1319】

 細かい議論はまたスペースに余裕のある時に改めるとして、何が言いたかったのかというと、この『経験則頼みの昭和職人タイプ』は人工知能AIの普及が市場競争として進むにつれ、残念ながらどんどん邪魔になる。
 御自慢のマル秘経験則なんぞ、右肩上がりに事例データを蓄積する莫大な記憶容量と、整合性判定を緻密化・高速化する演算速度の進化の前には、到底太刀打ちできるものではない。次世代が主導する社会進化の足手纏いになるんだよ。
 きちんと栄養士の資格を手に就職してきた若くて元気なお嬢さんに向かって、強権発動めかして『やめたるわ』などと毒づくような老人なら、慌てて御機嫌なんか取らずに、せっかくそう言うんだからそこで辞めてもらう判断が正しい。強権を謳歌するだけのことはあるそのゴリッパな職人気質で、あと5年社員食堂が持てば大団円のハッピーエンド…っていうんなら別に構わないんだけどさ。そうじゃない、先に未来がある。

 あとちょっと余談だが、おむすび嬢と先輩調理士くんが作った実作業レシピの観察ノートは、古株老人が取り上げてガメたまんまになっているのだとしたら、とても見過ごせない悪質な若年層の成長妨害である。きちんとした決着があるといいのだが。

 そういう知財的・業務能力的な時代適応ニーズの厳しさをとぼけて、旧態依然の前時代式老人作法が『ギャルの掟』と認め合って折り合うような展開は面白くないし、視聴者のためにもならないと思う。
 こうした評価視点において、今季朝ドラ『おむすび』はこれまでになく人事的観点で興味深く視聴を楽しんでいる。確かに旧来の朝ドラ視聴層の全域に、まんまストライクゾーンで受け入れられはしないんだろうな。

 別にいいじゃん、今の日本社会に『当たり前』化して欠けている弱点だよ。
 遠慮せず意思表示して躊躇なく行動決定するギャルたちに、明朝もグッドラック!
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【1328】レッドリスト食文化遺産の緊急保護区域 [ビジネス]

 今年は11月になっても『暑い』というコトバを使いたくなるような気候が残っていて正直ちょっと驚いたのだけれど、一気にちゃんと冬になった感じだ。
 いい加減なカッコで風に吹かれてビール飲みながら過ごせる気候が大好きな私だけれど、やはり日本列島に暮らしている限りはしっかり冬の寒さもあってくれないと困る。防寒・暖房に手間もコストもかかるけど、鍋やらおでんやらあったか系料理が抜群に有難くなってくれて、そこに冷え冷えのビールがまた美味いから、人生から冬の季節がなくなっちゃ絶対ヤなんだよな。

 今年また一段トーンダウンしたなあと感じているのが『あれもこれも地球温暖化のせい』の無理すぎ痴呆言論である。ちょっと前までは、こうして急に冬型の寒い気候が現れても『この冬がこんなに寒いのは、地球温暖化が原因だ』とする、強引にも程がある『地球温暖化』ありきの気象解説が賑やかだった。
 ああいう結論先行の言論は情報構造的に『非・サイエンス』の空想盲信だから、大衆の実感で裏付けられることも無く、故に世論に響くこともなく『言ってるだけ』の空振り芝居になっていく末路は正しい。

 おっと先に断っておくけれど、私は『特に産業革命以降、地球大気圏が含有する熱量は、過去比で確実に増えている』つまり『地球は温暖化している』と確信している一人である。
 だってナニか吸熱材に吸熱させて、それを大気圏外にサヨナラするような人類活動は一度もやったことなくて、そのくせ大気圏内では燃料として使えるような、元からのありもん資源物質をボカスカ掘り出してはガンガン燃やしてるワケでしょ?そりゃ単純計算で大気圏内に熱はたまるだろうよ。
 あとは程度問題で、これまで散々燃やしまくって発生させた熱が、大気圏内で人類が気にするほど大気や海水や地殻表面の昇温に効いてるのかどうか、そこが議論の要点である。

 この昇温代およびそれによる大気現象の有意差のあるなしは『判らない』
 けれど私個人の人生経験として、人間が燃焼反応を介してやることの熱効率の悪さつまり排熱の多さと、周辺空間を無限の希釈媒体と決めつけることの危うさは心得ている。野放図のやりたい放題だと、結構ヤバい気がしているのは事実だ。

 昭和の時代『広いこの世で、たかがこのくらい』と社会事業が放出した廃棄物質は、日本地図スケールの規模で健康被害を蔓延させ、一帯の農水産物を汚染した。
 私が育った都会では、自分らの生活環境が一見して明らかに自然由来でないケミカル病変に覆われ、それこそ空気も水も土も危険物で、ごっそり底ざらえで交換しないと、もう永久に浄化することなんかないだろうと思えたものだ。
 小学生の頃に、電車に乗っていて間もなく渡る鉄橋の接近を、何より先にその河川の放つ悪臭で検知できてしまい、実際車窓からは透明度ゼロのドブ色の水面と、ロクな草も生えない水際の景色がそれを裏付けていた。空に白や黒に黄土色の煙を吐く煙突がたくさん並んでいて、夜空には確か二等星だっけかの北極星が、探してどうにか見つかる程度。自分らの暮らしにある川や空は、それが常識だと思っていた。

 だが公害病訴訟の報道が各地で取り沙汰され、チマタの環境意識も高まり是正措置が施されるようになると、化学物質の土壌浸透なんかはさすがにダメなんだろうけれど、それにしても意外にもそこそこ綺麗な風景が見えて、憧れていた自然生態系の姿が身近になるのに時間がかからないのには驚いた。
 二十世紀が終わろうとする頃には、もう臭いもしない川の底が好天の日には透けて見えて、緑に覆われた中州やその傍で魚を捕るサギの姿も珍しくなくなっていた。照明や電飾が増えて夜空の星はむしろ見づらくなった感があるけれど、決して空気の濁りや淀みの悪化によるものではない。

 なかなかどうして産業革命以降の人類文明の社会活動って、地球上で自分らの生存環境を、根こそぎ背景から一変させる可能性を秘めていると警戒しておいた方が良いと思うのだ。『ちっぽけな人間』の組織力を迂闊にあなどっちゃいかんのだよ、きっと。

 そんなこんなで、大気から水から土壌から、人間が気にする程度の範疇に含まれる『環境』の熱量を十分な精度で測定することなど不可能なのだが、まあ人類文明が化石燃料を掘り返し草木を切り倒して燃焼させてきた『温暖化パワー』は、少なくともIS/IS NOT比較で有意差には顕れるような気がしている。
 60年近く生きてきて、一応は熱や温度に関する人類文明の知見を学んできた私の洞察力としては、こんな結論だ。

 だがゆめゆめ農村地帯でみるみる増殖し、早々の数年目にしてあちこちで草ボーボーや基礎崩れの放置状態も目立ってきた太陽光パネルや、昨今ちょくちょくネット動画やテレビ番組の風景にも映り込むようになったものの、ことごとく羽根が回らず止まっているばかりの風力発電機のような、エネルギー収支的に何のメリットも見当たらない環境破壊のムダ構造物の存在を肯定するものではない。

 まあいいや、実はここまで前置きだったんだがつい長くなりすぎてしまった。もともと今年はいつまでも暖かかったが、今般しっかり寒くなったというハナシである。
 ある空間に何らかの変動が起こる時には、必ず『正』と『反』が対になって起こるとする基本コンセプトがあるのだ。そっちの話をしたかった。

 例えば、あなたがたらい舟に乗って静穏な池の水面に浮かんでいるとしよう。その時、右の遠方3時の方角から誰かが『おーい!』と呼ぶ声が聞こえる。
 あなたは左手を11時あたりの位置で水中に突込み、7時あたりの角度まで後ろ向きに弧を描いてぐいっと水を掻くと同時に、右手は5時から1時ぐらいまで前向きに掻く。
 するとたらい舟は時計回りの旋回力を得て、あなたは3時の方角を向くことになり、呼ぶ声に『なあにー?』と応えることができる。ここまでよろしいでしょうか。

 『たらい舟という物体が時計回りに旋回する』という現象が起こったのは、あなたの手の平が水を相手に踏ん張って掻いたからであり、だとするとこれとセットで、踏ん張られた水には、そのぶん反・時計回りの旋回流が起きている。これらは全部足すとゼロ=静穏の初期状態に帰着するはずである。
 物理学的にその世界がひとつの系として完結しているならば、ある方向性を持った現象が単独で、つまり一方的に起こることは無い…という訳だ。
 先にちょっとぶっ飛んでおくなら、この理屈により『物質 vs 反物質』がただの空想でもない扱いで語られ、双方が衝突すると打ち消し合って『無』になるとも言われるのである。もちろん『質量』に対して『反・質量』があり得ることになり、その物理量は『スピン』なる特性の正逆として定義される…んじゃなかったっけか。

 まあいいや、話を戻して、いわゆる『気候変動』により夏季の日本列島付近が高温の気候になったとしても、それは地球上・大気圏内の熱の偏在に過ぎず、それ相当の低温気候が他のどこかに起こって吊り合っているはず。そういうことだ。
 もともと太陽に炙られながら46億年も地球軌道上で過ごしてきた地球なんだから、キホン吊り合うところで吊り合ってはいるんだよ。たかが計測装置や計算機がモノになって以降の数十年で、いま人類文明に見えている範囲と変動代なんぞ、そもそもから一瞬の雑音とはっきり見分けがつくとも思えない。
 『一瞬の雑音』にしても、どのくらいの被害性のあるものなのか、また被害性があったとして、それを静める・鎮める手段として、たった数年で草ボーボーの太陽光パネルや、いつ見ても止まっている巨大風車なんかは、ナニかものの役に立っているのか。

 『計測機器や計算機の出力値を持ち出したから理系』ってワケでもなければ『機械装置を造って作動させたから技術』ってワケでもないのである。
 この寒さを身に沁みつつ『地球温暖化』なる問題の現実を実感して、これをサイエンスで語るべきなのか、他の誰かナニかの都合で語るべきなのか、そしてあなた御自身は今どんな立場で語っているのか、御一考いただきたい。

 …うん、熱燗も捨てがたいなあ。この快楽を死守するサイエンスに、グッドラック!
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