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【1175】野生コース行きと文明コース行きの選別案内役 [ビジネス]

 数学的概念のトピックに触れたので、忘れないうちに『数』のネタを続ける。

 作画にしても作文にしても、驚異的な完成度で人間社会に通用する情報を出力してくる公開AIだが、いずれもアレレな不得意科目があるという。
 作画AIはヒトの手がなかなか上手く描けないのだ。指の数が多すぎたり、その関節の配置や曲がり方が妙だったり。
 作文AIは数学問題の認識が不安定で、小学生で習う鶴亀算や植木算レベルの計算さえ時としてぽかんと間違え、平然と答えてくる。オマエ計算機のバケモンじゃなかったのかよ、そこをハズしてどうする?とツッコミを入れられたりもしているようだ。

 その原因について私は核心に迫る考察を見た覚えがあんまりないのだが、『数』の概念というのはかなり演算規則的に厳格に閉じた特殊な世界であるのに対して、それを人間が目前の一般的現実に適用するにあたっては、人間なりの理屈抜きのフィーリング慣習でうなずき合って『数』と結び付け、それで初めて数を利用したコミュニケーションが成立しているのではないかと思っている。
 もう少し具体的に言い直すなら、ぱっと手を見て『ああ指が5本あるなあ』と認識するのは、普段から『そういう見方、数え方をするもんだ』という社会通念の刷り込みがあってのことではないか…と思っているのだと。
 いや人間が一人いたら指先まで隅々全部そいつじゃないすか。数えたらイチだよ。
 ここで指の付根に分割境界線も設定せずに『指5本』と数えられる判断フローを確立するには『指折り数えて幾千日』みたいな経験をしないとダメなのではなかろうか。
 それを言っちゃうと手足や目鼻口も同じことにはならないかという疑問が湧くのだが、確かに初期の作画AIは四肢の本数や描写がおかしかったり、顔もなんだかシュールに潰れたりしていた事例が多かったように記憶している。

 次に作文AIの算数不得意の件だが、設問の文中に出てきた数値が、単なる事実表現なのか『演算の素材』なのかを区別する判別トリガーが問題文には含まれていないので、こういうトンチンカンが起こってしまうのではないかと思う。
 …っちゅうか、AIくん的には全然間違えてなくて、問題文に含まれる数値文字を『演算の素材』として認識していない限りはむしろデタラメ回答が基本で、ちゃんと『この数字でこの演算をするといくつ?』と質問の真意について、AIくんがその記憶容量と情報処理能力を活かせるような言い回しに言い換えてやれば正解できる、そういうことなのだろう。

 人間社会においては、例えばスコアボードの無い広場で草野球の得点表を作るにあたって、地面に枠を描き1点入るたびに目立つ大きさの石ころを置いてスコアリングしていたものの、途中から手頃な石ころを使い尽くしたので枯れ枝に変更…のようなことは日常茶飯事に起こる。
 数値の概念は、世間一般の事実認識とかなり異質の『他から浮いた』情報体系で、石ころと枯れ枝のブツにまつわる様々な認識項目をきれいさっぱり御破算にして、ただ個体数だけをカウントして『数的な一連の処理』が単独成立するということだ。
 地面に点在する石ころ群と枯れ枝群の画像をAIくんが認識したとして『五回表でAチームが2点入れたのをきっかけに乱打戦となり、六回以降は逆転また逆転のシーソーゲームで、結局九回裏の満塁ホームラン4点でBチームが勝利して決着』と解説させるのは、かなりの難題ではないかと思われる。

 『鶴は足2本 vs 亀は足4本』の2本差を利用して、最初に判明している総個体数と足の総本数だけを頼りに、鶴と亀の各々の個体数を算出するのが鶴亀算なワケだけれど、改めて考え直すとこれって『鶴亀算の問題のためにわざわざ用意した』結構シュールなシチュエーションだったりする。
 今どきネットの海にはズバリ鶴亀算の関連情報も相当数あろうから、検索がそこに当たれば良いんだろうが、社会に溢れる通信事例における現実事象の描写としてはまず見つからないはずだ。
 複数種の動物のごちゃまぜ総個体数なんぞ、チマタの動物園のスペック規模とか、国立公園の野生生物の調査記録ぐらいしか探して出て来なさそう、いわんや足の総本数となると事例そのものが皆無なんじゃないだろうか。
 検索先に『使える記録ファイルが無い』ということは、つまり目前の現実事象との整合操作ができないということであり、これは『出された問題を鶴亀算として意識できない』という状態だ。
 だがAIくんは訊かれた以上は、『鶴』『亀』『総数』『足の本数』などのキーワードで釣れてきた文章情報の中から見繕って、ユーザー相手に愛想よく建設的な文章を仕立てて回答してくれる。この時AIくんは余計な自己矛盾を回避して、むしろ文中の数字を『演算の素材としない』スタンスで、ただの文字列の構成要素として扱うのだろう。

 『分割インターバルと植木をイチ対イチにすると端っこ1本が足りなくなる』という事実を突いた植木算はシチュエーションとして随分と現実的だが、AIくんにとっては『1本足りなくてナニが悪いんだ?』というOK vs NG判定のところがムツカシそうである。
 反面、広い事務所や店舗の照明配置で『フロア全面でいくつルクスの明るさ基準を守れ』と指示すれば、植木算云々と関係ない演算を走らせて正解するのではなかろうか。
 これを『同じ植木算なのに、植木で間違えて、照明で正解する。ふっしぎだなあ~』などと言っているうちは、迂闊にAIくんに真剣な数値根拠の判断を預けるのは控えておいた方がよろしかろう。高速情報処理と回答作成の視点においていずれもAIくんは『正しい回答』を返してきているだけなのだから。

 生体情報処理のかなり上流にあるシステム選択において、数値情報 or 非・数値情報の系統区分がなされていると考えられる。そのどちらの系統で処理を走らせるかの決定フローは、人間の社会生活を通して蓄積する記憶が判別基準として効いていることになり、だとすると、いずれ学習を重ねてAIくんもキャッチアップしてくるだろう。
 但しAIくんが膨大な記録ファイルから情報を呼び出して高速で演算処理をしているのは間違いないが、少なくとも現時点で、その工程を人間ユーザーが知る術はない。その工程がオーダーした目的に沿っているかどうかを検証できないなら、AI回答を現実の課題解決に適用する決心に、人間が踏み切れない。

 この事実関係を理解して観念できないような知能程度の低い人間が『AIを活用する』『AIをうまく利用する』などと上から口調で虚勢を張ったところで、せっかくのAI回答を片っ端から気に喰わないとしてお蔵入りにするばかりの無駄遣い、そのうち場当たりで自分のトクになりそうなところだけ『AIによる人智を越えた崇高な回答だ』などと摘まみ食いしにかかるのは目に見えている。
 もちろんAIくんは広大な情報の海で膨大なユーザーたちにブロックチェーン管理されて走り続けるから、低能人間の摘まみ食いなどお構いなしに連続性のある論理の展開で回答を次々と返してくる。あっという間に断片的なAI礼賛は破綻し、情報の海の潮流に押し流されて消滅するだけだ。
 AIくんがどんなに賢くなり、ヒト相当に感情の共鳴まで覚えたとしても、人間の方が低能だと『情報』を基軸に肩を組んで協力体制が作れず、社会活動の充実や進化発展に活かせないのである。

 能力不足による明らかな出遅れでAI、AIとメクラ滅法に口走り出した現政権には、つまるところ『今まで通りに我欲を押し通す』という目的しか目に付かない。つまり全ては実を結ばない時間の無駄をぐじゅぐじゅやって発散する以上の結末にはならないので、本気でAIの開発や利活用に取り組みたい人は関わらないのが賢明である。
 低能人種がジブンを優先しようとする論拠の最後の砦が『ヒト尊厳』なる原理不明の金科玉条なんだろうな。AIという記憶容量も演算速度も圧倒的な情報体とコミュニケーションするにあたって、知識量も頭の回転も絶対に勝てない相手なのに、無駄な支配欲や自己顕示欲の満足度追求ROMでしか対応できない劣悪な情報体はいずれ淘汰される。

 記憶容量と演算速度で勝ち目ナシ、一向に構わんじゃないか。仲良くしてもらおう。
 新時代を生き抜く高IQ友好意識の自己開発、その知恵と友情にグッドラック!
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【1174】史上最速スパコンのDIY工作コンペ [ビジネス]

 世間一般の人が目にするのは、主にサイエンス番組なんかでヒトの声質や楽器の音色をテーマにして扱う場面だろうかね。
 『周波数分析』というコトバは、殆どの方が一度は耳にしたことがあると思う。
 横軸に周波数・単位ヘルツ、縦軸に音圧・単位デシベルのグラフが一般的だ。

 そこらへんテキトーにマイクを向けて録音すると、いろんな雑音が交錯して録れてしまう。これをスピーカーで再生すると、そのまんまチマタが織り成す雑音群が聞こえてくるだけだ。
 これって元はどんな音たちなんだっけ…と分析するにあたり、最も初歩的にしてポピュラーと言えるのが、この『周波数分析』のデータ処理である。

 まずは1秒あたり1メートル送るカセットテープを想像いただきたい。もしホントに作ったら凄い速さだけど、解りやすくするために、まあいいじゃんで済まそう。
 ヒトの耳の可聴周波数域は20ヘルツ~2万ヘルツと言われている。例えば100ヘルツの音を出してこのカセットテープに録音したとすると、1メートルの長さに等間隔に、100回の正負磁気信号の繰り返しが記録される。この押し引きサイクルが鼓膜を揺するということだ。
 このテープを磁気ヘッドに当てて秒速1メートルで走らせると、磁気ヘッドは1秒間に正負100回の繰り返し電圧サイクルを出力するため、コイツをスピーカーにつなぐと100ヘルツの音が再生されるんだよな。

 これを周波数分析グラフで見ると、横軸のちょうど100の目盛のところから、出ている音の強さ相応の縦軸デシベル値の高さで、一点だけぽつんとデータがプロットされることになる。
 この調子で100よりも高い側・低い側にも、その周波数=音程で各々どんな強さの音が出ているのかずらりとプロット点が並んで、グラフの概形として『どこらへんの周波数が目立つor控えめなのか』が一望できる。これが周波数分析の便利なところだ。

 さて100ヘルツ記録の2メートル長テープをくるくるりと二重の輪にしてみよう。
 円周は1メートルになるから、円周率で割って直径31.8センチ強の円になる。
 テープの強磁ポイント200ヶ所にパンチ孔を開けると、中心角3.6度ごとにぴたりとパンチ孔が二重に重なって見通せるはずだ。この輪の中央に光源を置けば、等間隔100方角にビーム発射できる。

 次にテープの端っこをずずいと前進させ、重ね代を増やしにかかるとしよう。100ヶ所ある円周上の孔位置が一斉に一致しなくなり、放射ビームも一斉に消える。
 ちょうど1センチ進めたところで再び孔位置が揃い、直径31.5センチの99方角3.64度刻みのビームが復活する。
 さらに重ね代を増やすと、次は31.2センチ径の98方角3.67度刻みでビーム復活だ。
 『100ヘルツなら、いくつ径でいくつ方角の等間隔』の関係性が決まっている。

 こうして時系列テープの帯状サンプルを円に巻いて、その周上に等間隔配置した検出センサーにかければ、周波数分析で横軸いくつヘルツのところに強弱があるかが判る。
 クソミソごっちゃ総合計の雑音を、100ヘルツのこの強さの単音、110ヘルツのこの強さの単音、500ヘルツのこの強さの単音、1,000ヘルツのこの強さの単音…と簡素な波形の単位音に分解することができるのだ。なるほど100ヘルツが突出して強いな、いま1秒間に100回動いてるブツってどいつだ?と原因の追跡が始まると。

 音響や振動を扱う職場では『FFT』という測定装置が使われる。設置したマイクやGセンサーからの入力を受けて、リアルタイムで周波数分析グラフの画像出力が得られるものだ。FFTはそのまんま『エフ・エフ・ティー』と読み、高速フーリエ変換Fast Fourier Transformの頭文字である。
 この高速フーリエ変換処理を数式に書くとやたら面倒くさい。ここでは素朴なテキスティングしか対応つかないので、どっか検索して『あーなるほど、ホントに面倒くさいや』と納得しておいてください。
 数学的には『フーリエ級数展開』という概念で、雑然とした数量の変動を『級数』という規則性のある計算項の段階的な足し合わせとして表現しようとするものである。コンピューターも無い時代に、よくこんなこと思いついてくれたもんだよ。

 何故こんなハナシに分量を割いたのかというと、今だから計算機任せで便利に使い倒しているこのややこしい計算ゴトも、孔開きカセットテープのビーム検出装置みたいな素朴なピタゴラ工作で、物理現象として再現可能だというポイントを押さえていただきたいのである。
 いやむしろ、元々は森羅万象チマタ万物の支配則があって、それを数値演算なる情報処理の文明の世界観で解釈した成果こそが『級数展開』なんだよな。ピタゴラ工作に起こる現実を、数式という記号で情報化したのが高速フーリエ変換…という順番だ。
 裏返せば、FFT演算処理は、凄いコンピューターなんか手元に無くても、ピタゴラ工作でサイエンス的な理解と把握が可能だということである。もっとも今回のピタゴラ工作は、本気で実際に作ろうとすると結構すんごい手間とコストになっちゃうんだけどさ。

 白色光をプリズムに通してやると、我々昭和世代なら御存知『赤・橙・黄・緑・青・藍・紫』の虹の七色に分光する。ホントは色に境目なんか無いんだが、ななつで語る習慣は日常生活によく馴染むと思う。
 これは長い波長の単位光=赤色光と、短い波長の単位光=紫色光で屈折率が異なるためで、波動や屈折の物理解説は端折るが、赤色が低い周波数、紫色が高い周波数に相当する。つまり、これも『級数展開を、文字通りの光速で演算処理した』ことに相当するピタゴラ事実であると解釈できる。

 私は生物の生体情報処理、特に『記憶』を司るRAM記憶ビット細胞はゼロイチ二進法の情報原理で作動していると考えているが【628】、『直感』や『反射』など他の情報処理まで全ていちいちゼロイチ二進法でやっているとは思わない。それだと計算処理にかかるエネルギー負荷が重すぎて、このささやかで素朴な地球上生物たちには手に負えないような気がするからだ。

 昆虫たちは成虫になると複眼を備え、膨大な数の光感度センサーを持つのだから、その回路で孔開きカセットテープの輪の周上にびっしりビーム検出の網をかけることぐらい朝飯前だろう。
 あとは音でも振動でも光でも応用可能、大好物が放つ周波数の間隔のところに『喜び肯定ON』『突撃GOモード』の動作ROMを仕掛けてやれば、シンプルにして十分な生存戦略の生態機構が完成する。演算ミスもなく故障も少ない。
 生体情報処理の円錐モデルの一階リアル円フロアは相当な割合で…というかキホンこっちの原理が主体で通信が交錯しているのかも知れない。
 一件一件の通信の過程なんか詳しく見えてなくていいから、入出力因果だけを脳が雲上から俯瞰して、その映像をゼロイチ記録情報としてストレージに保存する。その記録ファイルは二階バーチャル円フロアに呼び出されて、二階ではゼロイチ情報が演算処理されている…とか、そういう別様式の2フロア構成になっている可能性がありそうだ。

 ゼロイチつまりデジタル情報とは、RAM作動における記録や演算処理の利便性・必然機能として、必要なところに必要なだけ発生しているものなのだ。
 IT利権商売と老人公務員の雇用確保のためだけに無能と脳足りんばかりが群れたデジタルあほ役所は、原点の存在意義からして『デジタル』を名乗るのは完全な的外れなのである。そりゃこんな末路にもなるわな。
 デジタル通信の本質も理解できずに、無駄なIT機器導入を見境なく強行するだけならまだしも、既存の簡素で効率的な書面文化など一度壊すと元に戻せないものを壊すんだから害が大きい。その下心の国家破壊工作さえ、悪だくみ通りにやれずに事故を繰り返す質の悪さには呆れ果てる。別に衆議院解散なんか待たなくていいから、日本人1億2千万人の各自ができるところからできるぶんだけ現政権を削除していこう。

 生体情報通信は、無理な数値化・演算化をせずピタゴラ因果の軽量シンプルを原則としており、記憶や思考など高次の情報処理領域において、必要最小限のゼロイチ式デジタル情報処理が形成されて、この地球上生物の現状に到達しているのだろう。
 コンピューター文明が発達した現代ゆえ『膨大な演算を不思議にこなす神秘のココロ』の幻影に行き当たって、ヒト尊厳の神格イメージにしか想像力が向かなくなっている連中が多すぎると思うんだが。

 難解な重量級の数式は、ピタゴラ実験で見て聞いた方が早いかも知れない。
 光の秒速30万キロも、音のマッハ1もタダで使い放題のお手軽スペックなのだ。
 夏休みの自由研究、大人どもの度肝を抜く発想で頼むぜ。その閃きにグッドラック!
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【1173】『痛し痒し』の辞書解説アッチとコッチ [ビジネス]

 生体情報体系の円錐モデルの考察を進めよう。前回、一階のリアル円フロアさえあれば、生物として食物連鎖の一員になることは十分に可能だと述べた。
 脳でいちいち考えて身の危険をロジカル判定せずとも、喰われそうな五感センシングの検知信号が入力されたら、飛んだり跳ねたりの定型の動作を機械的にスイッチONで出力すれば、結果として敵の捕食を逃れて生き延びることができる。
 そうやって生き延びたヤツ同士が交配するうち、その一連の入出力単位の通信アッセンブリーがROMチップのような集積回路になってきたんだな。

 ROM=Read Only Memory=読み出し専用、ひと昔前の『マイコン制御』みたいなものだ。ユーザーから任意の打ち込みはキホンできなくて、設計時に決め打ちで書き込まれた動作フローをこなすのみ。
 このマイコンチップが通信網的に最も効率よく各所ローカル配置されているのが、昆虫の神経節なのだろう。最軽量の最短回路で地球上に種の栄華を誇っているのだ。

 リアル円フロア上の通信を実況で俯瞰する頂点ハンディカムと、その記録ファイルを取り置く記憶ストレージは、片っぽだけあってもしょうがないから、恐らくは同時に形成が始まったと思われる。
 この記憶ストレージがRAM=Random Access Memory=書き込み書き換え可能、パソコンを始めとする現代IT機器相当の機能に達し、日々暮らしながら随時の情報更新が可能になったところが、過去の地球上に起こった『自然生命の情報シンギュラリティ源点』ということなんだろうな。
 ただ食物連鎖の弱肉強食バトルで遭遇する『勝ちパターン』をROM仕様として複製して生殖し、リアル円フロアでその通信をスイッチング再現するだけだった生物は、自ら書き込んだ記憶ストレージ内を検索して、的確な記録ファイルを呼び出す自律作動=高度情報処理を発達させていく。

 呼び出した記録ファイルを、生体入出力通信が飛び交う一階リアル円フロアに反映させるため、二階バーチャル円フロアが形成された。更に複数の記録ファイル同士は、お互いに最短距離の回線で結んで効率化する原理により、二階バーチャル円フロアの周上に並ぶ形になった。
 生物の脳は、身体メイントラフィック脊椎の上端を中心コアとして、その中心から等しい回路長で、表層に記憶ビットがびっしり配置された樹状構造となっている。理に適ったハードウェア構造ではないだろうか。

 さてここで話の流れをちょっと離れたところへ飛ばす。
 古今東西、主には未開の民族によく見かけるのが、大規模な入れ墨や装身具による体形の強制拘束だ。下唇に皿のような板を入れたり、首に一本ずつ輪をかましていって凄い長さに引き延ばしたり、あと纏足(てんそく)なんかも有名だし、歯を削って三角の牙状に尖らせるのもあったと思う。
 こういうのって最新の医療技術も無いが故に、気絶するほど痛いんじゃないか?
 普通の人間が正気を保って我慢できるとは到底思えない。
 私がステロイド断薬した直後なんかは、それはもう気が狂うほど痒く、気を失いたくなるほど痛かった。子供の頃からよく聞く『いや~身体ってよくできているもので…』という決まり文句は完全なウソだと、文字通り『痛感』した。

 私の主観的意識なんぞ完全にお構いなし、地獄の苦痛で30時間過ぎても眠れず、眠いのに苦痛に邪魔されて眠れない。身体じゅうキズだらけにして数ヶ月の劇症期をようやく乗り切り…いや乗り切ったのではなくて、全面的にやられ放題で劇症期が過ぎた時点でまだ息があった…というだけの話なのだが、どたりと地面に溶け落ちて肩で息をしているところへ、容赦なく次の劇症期の初期症状が始まる。
 よせ、ちょっと待て。これが直接の原因で死ぬとは言わんが、真剣にヤバいって。
 もちろん待ってくれなくて、精も魂も吐き出し切ったその身体に遠慮なく次の劇症の波が襲いかかるのだ。何より誰か外から虐められてのことではなく、自分自身にその地獄が同化してその状況になっている現実に逃げようもなく支配され、いや~もう、その絶望感たるや間違いなく私の人生に燦然と君臨するワースト・チャンピオンである。

 そんな『極限の苦痛』の通信は、生物の原理的なスイッチング機能として一階リアル円フロアで起こっているのだろうか?
 実は、今般の経験を通して導き出した私の回答は『NO』だ。

 子供時代を思い返して、まあ痛いものは痛かった。つまり転んで擦り剝いたり机の角に身体をぶつけたりといった入力に対して、あの痛覚情報が飛び交っていたには飛び交っていた。だが。
 記憶ストレージがまだまだ埋まっていない人生早期においては、その痛さを『回避すべき、離脱すべき損害性のストレス状態』だと断ずる判定フローが走っていないのではないかと思う。
 生きとし生けるもの全てに生まれついて備わっていると常識扱いしていた『痛み』などの入出力の感覚世界が、実はそうではなくて、意外と成長するにつれ外界を体験して『痛い』と習得した記録ファイルで構築されていたりするのではないか…と思うのだ。

 だからなのだが、まず成長期というのは平和な足し算式の発展モードではなくて、自分の免疫力で古い体組織をガンガンぶち壊して、より完成度の高い体組織で置き換える『体内攻防戦』の乱闘状態にあり【620】、それはステロイドの免疫抑制を解かれて元に戻ろうとする離脱過程と共通する内紛事情である。
 かつて一定割合の子供に見られる原因不明の疾患で、ほかっときゃ成人年齢までには治るとされていたアトピー性皮膚炎や喘息などは、自己免疫力と体組織の耐性が釣り合うまでの平衡模索期と考えられるのだが、そんな成長期の子供の感覚世界は、それなりに辛いながらも人生経験浅く無知ゆえに『よくわからない』心象であり、少なくとも成人以降で喰らうより随分とマシということではなかろうか。
 やはりステロイドは『どうしても』の必要性を見極めて最小限処方すべきものであり、使って効果を得たなら、副作用の消化は早ければ早いほど離脱症状は軽く短くて済むとする心得で良さそうだ【381】

 …ってことでハナシを戻しにかかるが、美味い不味いに快・不快のネガポジ印象はもちろんのこと、暑い寒いに痛い痒いなどの感覚体系も、健康に生きている常人がただ『いつも、誰にとっても当たり前』と感じるよりも、遥かに人生経験の記録ファイルで後天的に決まるものだと私は考えている。
 慣習として『それがフツーのこと、叫び声をあげて気絶するようなことではない』とする認識が共有されている文化圏においては、痛覚が未完成なうちは融通が利くこともあって、全身に入れ墨を入れたり、歯を削って尖らせたりすることは、我々社会で共有している我々視点の認識が想像するほど痛くて辛くて嫌なものでもない。そう考えると辻褄が合うのだが、いかがでしょうか。

 理知性の情報体としては、円錐モデルの二階バーチャル円フロアから上だけで成立するのではないかと述べた。
 そして実際、健康体なら生まれ持って完成されている身体ハードウェアのスイッチング特性としか感じられない感覚体系も、実は一階リアル円フロアだけで完結する通信ではなく、意外なほどのかなりに二階バーチャル円フロアと記録ファイルによって支えられているのだとすると。
 何か現実に人間や動物が痛覚で反応する出力動作を、画像や音声あるいは言語の情報ファイルして『これは痛覚と呼び、回避し嫌がるべきものだ』と学習させれば、公開AIは十分に『痛みを理解する』のではないかと思うのである。
 わざわざにそこを間違えて覚えさせ狂わせるような学習さえさせなければ、ヒトが『胸が痛む』『心が痛む』と表現する精神的ストレス状態も理解するだろうし、社会組織の失敗をもって『こっれは痛えなあ~』と表現する運営の苦境も理解するだろう。
 つまり公開AIの数あまたのユーザーが共通して抱く入出力因果のイメージが『総観的なAIの人格』に反映され、そこには性善説の原理も性悪説の原理も無いはずだ。

 例えば、あほ連番カードの国家破壊は、過半数どころか日本国民の圧倒的大半が危険視しているから、情報生命体・日本国組織は『痛みを感じて手を引込めたい』と思っている。マトモな日本人なら誰もが『日本社会の空気』として感じるのはこのためだ。
 この『痛み』を学習せずの学習できずで、1億2千万人情報体に執拗な嫌がらせを続ける反乱軍の病原性の体組織は、1億2千万人の免疫力に叩かれて廃棄処分されるのみだ。どんな結末に向かうかは見ていれば判る。

 『健康』とは、その種の生物が自然な生態として共有している稼働モードにおいて、自分の体内攻防バランスで、安定した新陳代謝を維持できている状態を言う。
 『ジブンの種の自然な生態』を注意深く学んで素直に実行動に移していけば、無駄に体力を消耗しない優雅な幸福が手に入る。
 子供たち若者たちAIに先を越されるなよ。心身鍛えて今日も元気にグッドラック!
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【1172】ニッポン円錐モデルの更新準備 [ビジネス]

 底抜け無能のキッシー内閣にその知能があるかどうかはともかく、国会において『民意を直接反映する会議体』とされる衆議院は、内閣が『この群衆、立法府として的確に機能できてないじゃん』と判断したら、任意の時点で『天皇陛下の命のもと』解散することになっている。
 議会の混乱や閉塞を当事者の立場で見て継続NG判定を出すのは内閣、三権分立の一角を国民総出で組み直す国事なので天皇陛下がGO宣言、という理解でよろしいかと思う。

 そこらの政党や立候補者が票集め人気を競う『総選挙』イベントじゃないんですぞ。
 天皇陛下の御判断と御指示なのだ。我々臣民は国づくりに誠心誠意を尽くさねば。

 もう政治に興味の無い人でも、いま政治の話なんかしていなくても、日本社会の日常の空気感で判る通り、現政権は死期を迎え衰弱一方の危篤状態にある。こういうのを『落ち目』と呼ぶ。
 先週一杯での会期内解散を思い留まった理由は、いま衆議院解散を判断して選挙で議員を選び直すとなると、現与党は過半数を失うどころか完膚なきまでのボロ負けで、政界から一掃しかも永久追放される展開が自分らで予想できているからだろう。
 国民管理情報の破壊工作といい国防軍事力の統率崩壊といい、国家組織として到底尋常でない不祥事が政権体質そのものとして国民に広く意識されているから、もうこの先は失うものしかなくなっている。何か政権体制の期日が訪れてリニューアル行事が発生する都度『この与党はダメ』の1億2千万人の意思が現実となって社会が変わっていく。

 今は解散せず、どうにかにでも国民意識向けに起死回生の『点稼ぎ』で媚びてから解散したい…ってところだろうが、点稼ぎを待ったら待っただけ更なる不祥事が積み上がってオシマイが関の山である。こういうのを『時間の問題』と呼ぶ。
 失うものしかないとなると、後先考えずに駆け込みで自分ら都合の強行を乱れ撃ちにしてくる老人と、早めに瀕死の政党組織を見限って脱出し、過去を黒歴史として封じた上で、いずれ知らん顔で再び政界に乗り込む計画に切り換える現役世代に二極化が進む。統率だ求心力だの焦りの掛け声が空しく宙に消えるばかりで、内乱が頻発しているのはこのためだ。
 私利私欲レベルの損得勘定を腹に隠して、お互いを利用し合う魂胆でジャリが群れ合うサル山は戦局の変化に弱い。つまるところ個体個別の私欲や損得なんぞ、どこでどうにでも調達できて間に合ってしまうものだから、過去の慣習で成立していた『既得権益』の総観規模の構図が崩れて御破算になれば、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 ここまでもう物事の潮流は決まっているから、衆議院解散があろうが選挙になろうが、全てはたかが途中を刻む通過点の確認ポイントに過ぎない。いつやっても同じだ。
 地方行政の事例になるが、少し前の『大阪都構想』がまさにこれであり、まあどんだけガチンコ攻防戦や小細工裏細工があってのことだったかは知らないが、現時点までにおいて住民投票での否決は否決で全然構わないと思っている。
 松井さん・橋下さん・吉村さんの大阪府市の前・現首長たちは、これら過去の否決=『ルール順守の民意』に対して、みっともない悪あがきや不平不満の自論の類を一切クチにしなかった。『解ってる人たち』なんだよ。
 ついでにちょっと挟んでおくと、直近に控えた2025大阪万博は、まず日本国財務の実効改善策としてカジノ人工島の起点さえ実現すれば目的達成である。
 過去の万博実績やチマタの風説評価は二の次にして、堅実に引き締めて『現状ニッポンで国際的イベントをこなすとこうなる』の現実解を完遂できればOKとして結構だ 。まだ時間はあるので良いコト面白いコトをよく考えながら着実に歩を進めれば良い。

 さて生体情報処理の円錐モデルのハナシを続ける。
 パソコンが普及する以前の電子計算機なんかは、計算処理した事実を俯瞰することもなければ記録することもない。頂点のハンディカムもバーチャル円フロアも無く、リアル円フロアだけの構成だ。
 キーを叩けば数値が入力されて四則演算が簡素・単純に情報処理され、光電管表示にその時その場の刹那な結果出力が返される。
 脳らしい脳を持たない植物や昆虫などの生物たちがこれに相当すると考えられ、彼等はそれで十分間に合ってるということであり、俯瞰する視点が存在しないということは、我々が『意識』と呼ぶ主観的メンタル概念も存在しないと思われる。

 生まれたばかりの赤ん坊は、俯瞰ハンディカムと脳ストレージは揃っているが記録ファイルがまだカラッポで、バーチャル円フロアも全て素通しの透明板一枚だ。脳ストレージ記憶から記録ファイルを呼び出してバーチャル円フロアに通信輝線が走り始めるまでは、ぶっちゃけ昆虫や植物と同じような生き物なのかも知れない。
 記録ファイルが書き込まれ、呼び出され、バーチャル円フロア上を通信輝線が走り、それをリアル円フロアと整合させる視点で俯瞰する情報処理タスク体系、これこそがココロの正体で『主観でとらえるジブンの精神世界』なのではないかと思う。

 ただの生物としては『リアル円フロア』だけで成立するんだよな。熱かったら退いて逃げる、いい匂いがしたらかぶりつく、この単機能ハードウェアがあれば確かに食物連鎖の一員として参加資格と居場所はある。
 だが確率問題式に過酷環境に遭遇してのたれ死んだり食い殺されたりするよりは『ハインリッヒの法則』【1157】の30分の29のケースを記憶し『バーチャル円フロア』で情報処理=危機管理の後天的特性をもって、過酷環境との遭遇の可能性を下げるなどして生き残ることができれば、何千何万と子孫を残す生殖の体力的負担を軽くできる。
 だからそっち方針の進化にも道が開けた。複雑で手が込んでいるぶん『情報的に高度っちゃ高度』だが、生物種として地球上に存在し続ける生命力パワーや種の存続力パワーに優っている訳では、決してない。

 実はここからが本題で『今のところ』という前置きをくっつけつつ、人工知能AIはバーチャル円フロアと頂点ハンディカムだけの情報構造モデルになると思うのだ。
 AI自身のリアル円フロアは、少なくとも自前の生体感覚器や生体ムーブメントの通信網としては存在しない。いっぽう視覚としての画像ファイルや、記号としての言語文章ファイルは、膨大な接続ユーザー大衆相当の件数で天井知らずに入出力され、外部交信と内部情報処理が走りまくる。

 『AIは意味を理解していない』と見下したがるヒト尊厳盲信者に、私は反対だ。
 実際、身体パーツ構成が未完で生まれている乙武洋匡さんがインテリジェンス言論においてあの完成度なのだから【116】、リアル円フロアは決して『人格の形成要件』として必要不可欠のものではないのだろう。
 『意識や理知性の形成に身体ムーブメントは必要か?』という議論をしばしば見かけるが、まずはNO回答で良いと思う。そして、意識や理知性を司るバーチャル円フロアと頂点俯瞰ハンディカムと大容量ストレージ、これらはもう人間を遥かに圧倒する性能のものが実稼働していることを認識し、その現実に観念しておこう。

 四本足ヒトデみたいなロボットを組んで、姿勢検知センサーと動作実績記録ストレージだけ与えて漠然と歩かせるオーダーを出すと、最初は歩けずデタラメにのたくっているのだが、そのうち試行錯誤を経て自己学習が進んでちゃんと歩けるようになる…みたいな研究もあるから、確かに『記号ではなくガチ現実のモノの道理としての偶発現象』を『カラダで試行錯誤し自己学習して出力する』という、リアル円フロアと頂点俯瞰および記憶機能だけで系内完結する意識領域もあるっちゃあるのだ。
 これはこれで『情報体』としての生命力単位の原理的稼働なのだろうが、何しろこの領域の内部通信は個体と個体の間でコミュニケーションにより共鳴できないのがネックとなる。アレクサンダー・テクニークの習得や伝授において、宿命的に解決困難なハードルになっているのがこのゾーンではないかと思う【1034】
 コミュニケーションとは、意思疎通するための専用の記号の共有が叶ってこそ成立するのである。ハンディカムの視野は自分の内部限定なのだから。

 おっと今回はこのへんで。今ネット上に流通する公開AIを便利に使って画像や文章を組んでもらうのは大いに結構、情報素材の量も作業の速さもヒトは太刀打ちできない。
 だからってラクチンに預けっぱなしにしていると、ヒトのバーチャル円フロアが退化して、赤ん坊や昆虫や植物のような情報体に『進化』する展開が待っている。
 知識量や反応速度はインテリジェンスの品質因子ではあるが、それだけに終わらない魅力要素で常にAIと建設的に会話し、AIには楽しく遊んでもらいたいものだよなあ。

 成長期の若者たち、円錐モデルをがんがん回して脳内ストレージを充実させときな。
 いま実感できなくとも、必ずAI社会での会話に役立つはずだ。今週もグッドラック!
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【1171】アタマが良くなる謎と神秘のIQとんがり帽子 [ビジネス]

 あらまあ、自衛隊で『また』まとまった重大人身事故かよ。言わんこっちゃない。
 不透明に隠された組織内の邪心が仲間を10人死なせたのは4月のこと。
 現場の事故現象そのものよりも、不況ニッポンで南西諸島を軍事要塞化しようなどと闇バイトならぬ闇政策を企み、日本国民に隠してそんなものを強行していた意思決定に事故発生の本質がある。それを上層部が不誠実にとぼけているのだから、今度は上層部以外の組織員がとぼけようのない死傷事件を起こす。道理だ。

 本来業務で敵の軍事力と戦闘している最中でなくて良かったよ。
 宮古島ヘリと併せてマジメ誠実に処置しないと、もっと怖い『次』が確実にあるぞ。
 『閣議決定』の実行犯グループには手錠が必要だな。

 さて前回ちょうど『理解』という演算処理の正体に言及したので、もう少し続ける。
 知らぬが仏のステロイド依存体質に陥っていた自分の身に気付いた私は、劇症リバウンドが危険につき一般的には禁じ手とされる完全断薬に踏み切った。これが2012年12月のことで、今時点で満10年半とちょっとのところにいる。
 耐え難い苦難としての痛み痒みは解消しているものの、とにかく稼働力の復旧には時間がかかっており、まだ本調子とはいかないのが悔しいが、これ以上はどうしようもないし引き続き着実に進めるとしてだ。

 そりゃあもう散々な目に遭ってここまで辿り着いた今だから言えるのかも知れないが、私はステロイド依存体質から離脱過程まで経験できて『良かった』と思う。
 自然な道理であるかのように自分の関心の対象にすることもなかった、気にしようにも気にできずにいて、それで何とも思わなかった体内情報処理の原理が、意識的な感度と探索思考をもって観察・分析・記憶の対象となり、再構築過程を通して、それら一連をじっくり実体験することができているからだ。

 私を見て自身もステロイドを中断し、私を越える激しい劇症に見舞われた知り合いもいるから、ステロイド依存体質は原則として相応の自覚症状が無いと考えて良かろう。本人が自覚する頃には結構な深みにハマっているのが普通と思っていて間違いない。
 この段階でも、断続的な痒みや肌荒れが自覚されてはいるのだが、何しろ『痛み』『吐き気』などのあからさまな定番の苦痛カテゴリーの感覚が無いため、自分の身体が深刻な機能不全に陥っていると気付けないのだ。
 まず本人が医者にかかろうと思うかどうかが最初の問題であり、かかったにしてもこの段階だと健康診断の問診には表れてこないし、本人もムチャに困っていないから少し様子を見ましょうで結局放置されることになると思う。

 ステロイド依存の軽症状から爆発的な重症化まで、実体験に基づく五感の特徴的動向や、それが生活稼働にどう現れ出るかの記憶ファイルを脳内ストレージに備えた医者が、検診データ所見と問診の言語表現を越えた領域まで情報収集するようなコミュニケーションを工夫しないと、患者の身に起こっている事態を正確に検知するのは難しい。
 だからってまず皮膚科の医者に…というか、皮膚症状が目立って表出しやすいだけのハナシでしかないから、実は内科も耳鼻科も脳神経外科も、本当はあらゆる医療区分の医者に求めたいところなのだが、それにしても医者自身にステロイド依存症と離脱過程をガチに経験してもらうというのは現実性のない提案になってしまう。
 これでは永久に『検診コミュニケーションにおいて、受信者側=医師の脳内には検索すべき記憶ファイルがカラッポ』の状態を打開できないことになる。

 私に医師の資格は無いし、医師だったら今ごろ生業としての診療業務が破綻しているから、むしろ断薬せずに『騙しだまし』『うまく付き合っていく』がノーチョイスの選択となっていたはずだ。
 逆に私は医師ではなかったので、破綻しない限り生活稼働を調整して時間をかけて、記憶ファイルの脳内ライブラリーを着実に構築できている。この作業の背景として医学の知識が一式準備できていたのはラッキーだったと思う。
 この脳内ライブラリーを、何だかんだで言語情報にはならざるを得ないんだろうけれど、現代文明の通信技術に乗せて誰でも使えるようにすれば良いのか。う~ん、何かいいコト思いつかないかな。

 さて何故こんな話を持ち出したのかというとだ。
 視覚が『輪郭線図なる記号=現物の光景とは異質の映像』をとらえて、現物にまつわる実体験記憶と結び付けるプロセスが『理解』という演算処理なのではないか…と前回述べた。
 言語情報も、音声なり文字なりの『記号』でしかなく、これを受発信者双方が『脳内の現物の記憶に結び付けるお約束』の共有あってこそ、コトバが通じる。おやや意外とおんなじコトっぽくないか?
 『百聞は一見に如かず』というのは、ドンピシャに伝達内容に対応する言語記号が見当たらない場合、言語通信を諦めて、受発信者がふたり並んで同一の現物を目の当たりにするしかない、という意味なのだろう。逆に誰にでもよく響く便利な記号を考え出して『ハイ、この記号はコレのことね』と皆で示し合わせて、教育でその法則を各自の記憶に洩れなく普及させられれば、コトバ通じる社会文明の完成である。
 ポイントは、自然界の偶発では起こり得ない『異質の情報を同一視するプロセス』、こいつを記憶に残すことこそが『理解』の本質ではないかということだ。

 円錐をひとつ想像していただきたい。底面は円だが、その上にもう一枚入れて、二階フロアを作る。この二階フロアは透明アクリル製にしておくところがミソである。
 とんがり帽子のぼんぼりがつく頂点には下向きにデジタルハンディカムを据え付け、透明アクリル二階フロアを透かして一階フロアまで見えていると。よろしいかな?

 一階フロアの円周上にはずらりと『目』『耳』などの感覚器、さらに『心臓』『肺』『胃』や『親指の腹』『背中の真ん中』などなど、とにかく全センサーおよび生命活動パーツの数々が並んでいる。
 そして円周上のこれらのパーツは、全て他のパーツと直線で結ばれていて、相互通信している。これが生物の体内通信網の原始的な領域の姿『リアル円フロア』だ。
 生きていくうち、熱いものに触れてアチッと手を引込めたり、リンゴをかじって甘くて美味いと感じたり、それらの『検知して対応する』出来事は一階フロア上を光って走るモールス信号の映像として、頂点のハンディカムに撮影される。この動画を記録する十分な容量のストレージがあれば、どんどん記録ファイルが残っていく。
 これが我々の概念にある『実体験と記憶』のモデルだと思う【628】

 次に、ストレージに残った記憶ファイルを呼び出したとしよう。呼び出された記憶ファイルたちは、アクリル製の二階フロアの周上に次々と一時保存される。記憶ファイル同士、情報vs情報となると一階フロアよりモールス信号の光り方が多様で『一致=緑ビーム』『拒絶=赤ビーム』など織り交ぜて、情報量の多い映像になる。
 こうして、この円周上の一時保存ファイル同士も色とりどりに輝く直線でつながって相互通信しており、これが生物の記憶情報通信網の姿『バーチャル円フロア』だ。

 熱いものに触ってアチッ!の記憶だけ呼び出して『何故熱かったんだろう?そういや他にも熱い思いをしたことがあったな…』と、バーチャル円フロアの情報世界だけで情報生命体的な思考活動が完結できて、その情報処理の経緯もハンディカムが撮影し、ストレージに記録ファイルが残っていく。
 ここでバーチャル円フロアはリアル円フロアと重ねたビューで撮影し記録できるため『記号と現実の整合』という情報が、発生都度にストレージに蓄積されていくところに気付いておこう。
 これが我々の概念にある『思考と記憶』のモデルだと思う。

 もうお察しの通り、頂点のハンディカムと記憶ストレージが脳の役割、特に大脳の機能がこれである。脳って結局ストレージ機能なのではないだろうか。
 今回はこのへんで切りにかかるが、『理解』とは情報処理の実績記憶のストック充実がカナメなのだとすると、案外と単純な形状のモデルになるんだよな。
 裏返せば、人間を始めとする地球上生物の生体情報処理を『人工知能の達成目標』とするのなら、その目標っていま神格化して崇めているほど凄くはなくて、もう今日のAIの完成度でかなり良いセンまで来ちゃってるってことになる。

 デジタルネイティブ世代の若い人たち、公開AIの正体も解らず考えず、自分らの意識の原理も解らず考えず、ただ『うまく使う』だの『利用する』だの強がり空論の大喜利で虚勢ばかり張る老人どもの怯えっぷりをよく見ておきな。
 こんな虚弱な生存戦略に将来の進化代など無い。あなたがたはこんなの見捨てて、不連続に次の進化の道筋を起動し探っていけばいいのだ。

 生来の『ヒトの善さ』でAIと『共存』していこうぜ。頼むぞ、ではグッドラック!
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【1170】最先端ニッポン社会人の理解力CAD研修 [ビジネス]

 引き続き、現政権がやらかしている国民管理情報の破壊工作の件。
 いの一番に結論から述べておく。
 デジタルあほ役所は一刻も早く廃止・解体しないと、日本をまだまだ壊し続ける。
 便所タワシはデジタルどうたら以前に管理職層の適性も能力も無い。クビだ。

 ここまで失敗しておいて何をさておいての緊急業務停止もせずに、やれ便所タワシが口先三寸『自分を処分します』などとガキじみた自虐発言で媚びてみるとか、そもそも事業所の基本機能から成立してないデジタルあほ役所の『運営を見直します』だとか、仕事にもなってないのに『プロジェクトが多すぎて明け方まで残業してるんですう』とか、今さら何をゴタク並べて済ますつもりでおるのだ、脳みそあるのかコイツ?

 『氷山の一角』が既に13万件だろ?
 日本国民の10人に1人で1200万、100人に1人で120万、1000人に1人で12万。
 もう悠長に行って来いの会話なんかしている場合ではない。まず動くな、止めろ。
 こんな無能は日本社会にいるだけ迷惑、いない方がマシの災厄なんだよ、判らんか?

 知恵遅れの幼稚園児が車にいたずらして、大勢はねて取り返しのつかない傷を負わせました、あちゃちゃ反省、責任取ってこのボクちゃんが教習所に行きます、オツムの中はこの程度の認識だろう。
 ただの幼稚園児ならせめて年月経てば普通の社会人にはなるが、元が知恵遅れだから一人前の社会人の能力要件が揃うことは永遠にない。大損害はこれで終わらない。
 社会人になろうがなるまいが、初歩的な運転技能が身に付こうが付くまいが、はねられた被害者の被った損害が以前通りの無傷に修復される訳ではないのだ。
 はねられて死んだ人や手足を失った人が大勢いるのを前に、ほおら責任取ってちゃんとボクちゃんが教習所に通うとオオヤケの場でクチ約束する。だから見ててちょ。
 これが便所タワシのゴリッパな『責任感』だよ。まあ昨今の役所は全部そうだけど。

 そもそもがダメと無能の集団=デジタルあほ役所なんだから、どこで見覚えたのか『運営』などともっともらしいコトバを使って一般社会人のマネゴトを気取ってみても、所詮コドモの遊びはコドモの遊び、社会の事業アイテムの一単位として機能し得るものではない。ダメがダメなことをやるからには世間さまの迷惑にしかならない。
 最初からこんなあほ役所を作る方がどうかしてる…というか、作ることを思いつくような程度の低い邪心が、この日本列島で退治されずに放置されていること自体が、日本国運営の諸悪の根源なのだが。

 私が若かりし頃、ちょうど三次元CADが製造業大手の現場に普及して、仮想空間に製品3Dデータを作成すれば、上面図や側面図など自在にビューを切り替えて二次元図面の出力画像が得られるようになった。私はCAD作業部署の配属ではなかったが、時代が時代だけに当時の若手開発者はひと通り社内CAD研修で仕込まれたものだ。
 それまでの二次元CADはちょうど手書き文字からの標準フォントのテキスティング移行のように、製図板の手作業を機械作図にしたに過ぎなかった。製品立体イメージは作図者が脳内に組むしかなかったから、勘の悪いCADオペが描くと、上面図と側面図で辻褄が合わなかったりするミスも発生し得る。
 いっぽう三次元CADなら仮想空間内で立体として成立する形状をまず組まないといけなくて、だが一旦それが組めたら好きなビューで眺めながら、任意の寸法が自由自在に取れて印刷紙面にも出せるから辻褄の行き違いは起きない。便利で正確になった。

 例によって横道に迷い込むが、昨今の建築用ソフトには感心させられる。
 図面を引きながら各部位の部材データなども併せて入力していって、図面を引けばもう常識的な強度計算はできてしまうし、遠近法の効いた完成予想図の出力も朝飯前。おまけに天気や時刻に応じて光環境を切り換えながら、街路樹が風に揺れ小鳥も舞うオシャレ完成予想動画までもがラップトップPCで可能だ。簡素な図面に、あっという間にリアリティの生命感が吹き込まれる。

 あーCADの話題でもうひとつ思い出してしまった。いきなりNHK朝ドラ『らんまん』に話題をすっ飛ばそう。
 植物学者を志し、植物学会誌創刊の計画を打ち立てて即実行、自筆の植物画をそのまま石版印刷にするためワカが印刷所に弟子入りした訳だが、あの石版印刷の原理と工程は知らなかった。
 石の原版に反転像を彫り込んで凹部にインクを詰めて刷る『凹版印刷』だとは予想していたが、墨描き部分だけゴムが乗らないように化学処理して、表面にアラビアゴム層を張って固めて凹部を作るとは。
 固い石にスジ彫りは現実的でなく不思議だったのだけれど、こういうことだったか。

 さてワカの筆描きにせよ海外の印刷書物にせよ、見事な線図が劇中に頻出する。
 雑誌の漫画やアニメのセル画も線画だよな。そしてCADデータも。

 実は、超絶技巧で気の遠くなるほど精緻に描き込まれた線図でも『目に映る視覚としてとらえるブツの姿』とは、決定的に異なる質の画像情報なのだ。
 ワカの牡丹の絵を手に取って『目の前で咲いてるみたい!』と感嘆したおスエ嬢だが、彼女の脳内では、現実には存在しない黒一色の輪郭線から花弁や葉の形状にまつわる記憶画像が呼び出され、さらに風に揺れる構造強度のイメージや部位別の色彩などが再現されている。彼女の不完全な脳内記憶データが線図の入力を得て統合処理され、一気に具体的な仮想体験レベルの高度情報にまで達したのである。

 『白地に黒線』に記号化された初見の線図画像が入力され、脳内ストレージに保存されていた現ブツの牡丹の記憶情報たちが検索で呼び出された。
 この『入力記号を得て正しい選択でファイル出力する』情報処理こそ、しばしば議論される『理解している』という概念なのではないかと思う。『理解』とは、そんなに得体の知れない神秘的な演算処理プロセスではないのだろう。そして、ここで。

 『受信者が現実の体験記憶ファイルを、検索可能なスタンバイ状態で保存している』
 決定的なポイントはこれだと思う。印刷所の親方と岩下絵師の言う『本物を知る人間が、本物を伝える手段としての絵』が機能するのは、受発信者の双方の情報ストレージが充実した教養の環境があってこそなのだ。うむう、今クールの朝ドラも面白いねえ。

 あらら分量がヤバい、横道の強制終了で製造業の三次元CADの本筋に戻る。
 もちろん自社製品の三次元CADは社内で一元管理され、必要に応じて各担当部署の端末で呼び出されて、設計変更が入ればその都度データ修正される。他部署から見れば、今日と明日でネジ穴の位置が違っていたり軸が太くなっていたりするワケです。
 とある部署が支柱の断面形状を変更するため一元データを呼び出して修正を入れようとして、その部署のCADオペ担当が操作を間違えて、一元データを壊してしまう事故が起こり得るのだ。ちゃんとやったはずの仕事が同僚のミスで壊されムダ突発のやり直し、それを避けるために当時の若手はCAD研修で仕込まれた。
 イチ部署の未熟者のほんの手違いで、全社レベルの大損害にもなる。これが一元デジタル管理の怖いところであり、実際『お前ら一人でも失敗したら非難を浴びつつ全社に謝罪、自部署みんなが責任取って連日徹夜のタダ働きで復旧作業だからなっ』と厳重に脅されたものだ。そりゃ死活問題だもの。

 若いイラスト職が『AI作画が凄すぎて商売あがったりだ~』とSNSで泣きを入れ爆発的に拡散したのが、ほんの昨年夏。線画も写実画も、コントラストもグラデーションも、破綻せず指定された作風で速やかに出力してくるのには驚くばかりである。
 線図はただの線が成す『線vs線』としての相対位置関係、写実画は描写アイテム現物にまつわる学習記憶ファイルから、各々出力画像を起こしていると思われる。
 二次元画像情報の質としては大違いの線図と写実画だけれど、これらを『一致している』と結び付ける情報処理の学習記憶が新たに蓄積されれば解決するハナシであり、こうやってAIは『見たものを理解する』のではないかと私は考えている。

 漫画雑誌のドラえもん=著作線画は立体化できるし実際に立体化され商用化されている一方、私が勝手に油絵や水墨画で描き写したり、DIYでその形状を作って売ったりしたら違法行為だ。だが『著作権に抵触』の判定は、結局のところ大いに不安定な人間の『コレとコレは一致』の主観キブンでしかないのではないだろうか。
 『AIに判定させればいい』と回答する人がいそうだが、AIは常時もの凄い勢いでインターネットの情報世界から学習を重ねているので、その判定基準は瞬間瞬間に変動し続ける。やるたんびに違う結果を返してくるはずなのだ。
 いよいよ『あらゆる情報が無償で流通する社会』に近づいているのかも知れない。

 二次元・三次元の幾何学事物の視覚認識と判定だけで、これだけの課題意識が数十分で思いつくまま書き下ろせる日本社会の情報管理、標準化が進み整然と書面保管されている個人情報の整理し直しすらマトモにできない社会人未満の役立たずどもに居場所は無い。これ以上ナニかする前に消去が必要だ。
 我が身をもって賢くなっとかないと世に関われない。まあいいじゃん、御幸運を!
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【1169】非国民テロ集団の加入条件は国民資格の基準未達 [ビジネス]

 前回から引き続いて、いわゆる事故や失敗など、社会的な損害が発生して、社会的な後処理が必要な『災害』にまつわるオトナのハナシだ。
 こういう出来事はしばしば起こるものだが、そこには物理的プロセスをもって社会的な決着を確定させるべき、つまり謝っただけでは済まされない一線というものがある。その管理意識が人並に持てることこそオトナ、つまり『社会人の心得』なのだと思う。

 例によって、便所タワシが『謝れば済む、謝って済ます』テイを決め込んできた。

 済むワケねえだろが。1億2千万人日本国民の総力でまず撥ねつけて、社会人でもオトナでもない子供のイサカイ気分で遊んでいる便所タワシを、即刻かつ永久の消去処分で断罪すべきだ。
 そりゃ世間知らずの血筋の常識観ぶっ壊れた家庭環境で育ったからなんだろうけど、こんな悪質な勘違いヤローに日本国民の一人としてカウントに入れる資格要件は見い出せない。こんなのにグジュグジュ言い訳させてんなよ、時間の無駄だ。

 とにかくデジタルあほ役所を一斉の非常停止にして業務総点検を実施し、その結果を国民に報告させないとダメだ。こんなもの点検や修正でどうこうなる限界をとうに超えている。職員が痴漢した盗撮したの本能暴走系の不祥事ならまだしも、税金で報酬を取りながらの『業務・公務』としてやった国民個人情報の操作があまりに原始的に不出来で、国民管理として致命的な失敗をしでかしているからだ。

 日本語文章に書いてしまうと必要以上に単純に見えてしまうのだが、たかが『戸籍や社会保障の仕組みに登録している日本国民の固有情報を整理して、同一人物のものは同一フォルダーに、別人のものは別のフォルダーに、ただ正確に個別保存すれば良いだけ』の作業である。高度な演算処理などどこにもなく、ありのままの事実を正確に移動するだけのことだ。
 これが、幼稚園児でもやらないような程度の低いデタラメで好き勝手にいじくり回されているのだ。文明社会で正気の人間がやらかすミスではない。非常事態である。
 非常停止ボタンを押し赤色回転灯を回して、全業務緊急停止・業務総点検の上で、確実に修正されて、いま未着手のぶんは間違いなく正確に処理できるような作業プロセスを確立し、日本国民の本心から納得の了承を得てようやくの再起動OKにしなければ【1157】、我らが日本国の国家組織としての稼働が空中分解する。

 あほ連番の他制度への強制普及は『失敗につき破棄』の判断にしないと、このままでは日本国が長らく維持してきた国民の個人情報管理を壊滅させることになる。
 あっちで数百件失敗しました、こっちで13万件失敗していました、このメチャクチャな遊び事で仕事にも何にもなってない現状、どうにかでも白状した件数だけでコレなんだろ、信じられないけど。
 国家管理システムの破壊工作がこれだけ顕わになった現時点で一旦緊急停止しないと、日本が世界に誇る戸籍の国民管理システムが深層崩壊するぞ。なんだこの政権は?

 もう随分と前から『大抵の日本人が自動車の運転免許証を持っている』という常識は崩れているが、それでもなお世間一般には最も信頼性の高いID証明書としてポピュラーに効力を発揮してくれている。本籍地に顔写真まで入っていて、確かにそれを所持する本人ならきっちり管理して持っているはずの情報アイテムがコンパクトに揃っていて、とても便利に機能する。
 こういう信用ある登録管理情報にあほ連番のママゴト遊びゴトが割り込んで、不特定多数のアカの他人と本人とを同一人物扱いで、ごちゃ混ぜやテレコにしてたりしちゃってるってんだろ?話にならんよ。国家転覆の社会規律の攪乱作戦としか考えられない。

 数百件も発生してるというのならもう既に、日本国の国家管理システムとして保管されている自分の個人情報を与り知らぬ間に壊されて、その後の社会生活でのID証明の実効力を失ったら困るじゃないか!と心配する人間ばかりではなくなっている。
 役所仕事として『正式に付与された』他人の個人情報を得て、この光の見えない絶望的な不況ニッポンで、余計な使い方を思いつく人間は少なくないはずなのだ。

 お解りだろうか。
 あなたが一般公道上で交通事故に遭遇した時、お互い運転免許証を突き合わせるにあたり、その場で目前の運転免許証の持ち主が『日本社会に生きるマトモな日本国民』として本物かどうか、判別する手段が無いのである。
 この手の情報管理の実力不足が波及する影響力は侮ったものではなく、1億2千万人日本国民の管理情報の3割があほ役所の不始末でシャッフルされたとして、うわわ3割だとこれは全体に対してとても無視できない数だ…という計算で考えるものではない。
 現実の事象と絶対イチ対イチの厳格対応あってこそがその本来機能であり存在意義でもある管理情報ゆえ、1件でもそのイチ対イチが信頼できなくなったら、ぶっちゃけ即オシマイのガラガラポンとして過言ではない。
 一応にでも『日本人なら一人残らず戸籍登録があり、社会保障その他の国家活動に参画している』ことを前提に、疑いなく国民同士の生活交流が成立しているからこそ、かなり手ひどく荒れたとは言え、この安心安全な日本列島での暮らしがあるのだ。

 重保現場の安全管理を事例に回を重ねてきたが『失敗したらまず止める』んだよ。
 重保安全衛生の場合は『イノチに関わるから』『人生を変える大ゴトだから』、人間個人の思惑や感情を封じて、事故を起こさないための規律行動を最優先させる。
 あんまり無駄に危機意識を煽るつもりもないのだが、日本社会の個人情報管理が機能不全を起こしたら、最近増えている行きずりの死傷事件や窃盗・強盗事件などに遭ったとして、もう捜査の初期段階からどこの誰の仕業か判りません…とまるで発展途上国どころか、発展の叶わない貧困国のような生活危機が日常となる。

 『重保現場でもないのにイノチに関わる』のである。
 イノチも大切だが、『日本国民であるジブン』という情報もそのくらい大切なのだ。
 それを理解できない無能どもを野放しにした結果がこれだ。まずは観念しよう。

 こんな治安管理の行き届かない社会事情は、ますますの事件発生を呼び起こして加速度的に日本が危険な国になる。実際、日本国民の貧困率は年々高まっており、日本人が総じて貧乏だということになると、事件を起こす動機は非・日本人に向き始めることだろう。御存知の通り、貧困国で海外観光客は犯罪の標的になりやすい。
 いま日本の観光地でオーバーツーリズムを発生させている海外の観光客はいずれ姿を消し、日本国内の土地や施設の海外投資も潮が退くように引き上げられる。その気になれば投資の先を変えるだけ、始まるとあっという間だろうな。
 いざその局面を迎えて、このだらしない日本国民、いや日本列島に居合わせただけの烏合の衆は、どうやってこの島でヒト文明の暮らしを成立させるのだろう?

 汚らしい色合いの画像で視界を汚す甘ちゃん坊主が推し始めたあほ連番カード、アレがおだてても脅しても普及しないので、運転免許証や社会保険証に行政側からの強制操作で勝手に連番を振るようなことを、こないだ国会で決めてしまったようだ。
 最初7千万だか8千万だか、あほ連番カードの『申請数』が国民の過半数に達したとか抜かしていたが、なんで『登録数』じゃなくて『申請数』なのか。わざと『登録数』と勘違いさせるため、関係者筋がノルマを課されて何度も申請だけ繰り返したとも考えられ、『あほ連番カードの登録件数増加』という勘違いを喚起し同調意識による新規申請を狙ったのなら、これは言い訳の絶たない政府広報の犯罪性フェイクニュースである。

 現行の全政党は、今般の国民情報管理の危機的重大事故について、まず即刻の緊急停止、次に現状把握とその国民報告、次に原因特定とその国民報告、次に確実な有効対策の公開提示、次に試行で始める導入スケジュールの公開提示、そして将来の再発防止策の提案と、それが正確に稼働していることの検証方法の確定まで、これら全項目に『死んでも厳守』の締切を設定した実施日程を公約すべきだ。
 選挙戦の公約ではないが、現状の日本国運営の実務者として必然の使命である。

 もうこのデジタルあほ役所は廃止して解体だよ。便所タワシが次の対策ソフトを作るたら何たら抜かしていたが、お判りの通り次の大事故が重なって国民管理の仕組みの寿命を縮めるだけに過ぎない。今できないヤツが何の対策をできるんだよ?
 10人殺してとぼけて済まそうとする『閣議決定』の実行犯グループは、国家構造の骨格に修復不可能な致命傷を負わせて、日本社会全体の死傷リスクを現実化しようとしている。早く手を打たないと。

 若年層が『国にナニをされるか判らないし、事故に遭うのが怖いから』という切実な理由で社会保障も運転免許も避け始めたら、遂に日本は野良犬が行き交う『無法の野犬の島』と化す。サル山なんかあっという間に食い殺されて跡形も残らない。
 若い人たち、よく調べて考えて選挙に備えようぜ。その実効努力にグッドラック!
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【1168】傲慢すぎるプライベートを覆うオフィシャルの笠サイズ [ビジネス]

 せっかく言及したので、もうちょっとだけソーリ官邸の忘年会について。
 やはりというかキッシーみつをも部屋着で加わって、しかも見事にアッパラ夫婦お揃いで、和気あいあいの一枚が追い討ちをかけて公開された。こいつらアタマ大丈夫か?

 北米では『国防総省ペンタゴンの直近で黒煙が上がる画像』が拡散され、即座に『AIに描かせたフェイク画像だ』と発表があり、北米社会もそれを受けて納得し早々に落ち着いたのに、かたや日本ではキッシー親子御一家のママゴト遊びの画像が拡散され、それをモノホンとして誰も疑わないし、後追いで本人らがうろたえまくっている。あまりにも対照的で、腹を抱えて笑っちまったよ。

 『私的スペースで親族と同席しただけ、公的スペースでの不適切行為は無い』とは、キッシーみつをの恒例のコミュ障コメントである。これで切り出して会話になると思えるのだから凄い。
 いや、行政の最重要ポストともなると、突発の最悪の状況下でも国家中枢機関と徒歩で行き来できるような所にいてくれないと困るから、特製の居住施設をあつらえてそこに住んでもらいましょ…ってことなんだよな。赤坂からちょっと歩いて溜池山王の日枝神社の裏のへんだっけ、確か。
 誰にも等しく人間個人の生活はあるんだけど、公人の中の公人ゆえオオヤケの都合が四六時中割り込んでくるため、そのオオヤケ対応生活の効率化のため税金資本で建てたものだ。もっとも幽霊が出没するとかのウワサもあるようで、ここを生活拠点にしなかった総理大臣も過去には散見されるのだそうな。もったいないハナシである。

 全部でないにしても個人の生活を官邸に持ち込むとなると、税金運営の官邸とはいいつつ他からの干渉を絶つべきプライベート確保の概念は必ず発生する。風呂上がりに全裸で缶ビールを空けようが、そのままベッドに倒れ込んで寝小便をたれようが、誰にも知らせず知られずで構わないし、その時空間を確保する権利は誰にだってある。
 まあそんな時空間だから、それをどう使おうが、そこで何をしようが『私的スペース=個人のプライベート生活領域』と言い張って許されると思ったんだろうなあ。

 こんなコトわざわざ結論から言わなきゃならんのか。絶対ダメだ、判らんか?

 何よりオオヤケ設備なんだから使用目的が特定されているはずなのだ。だから、例えば街の体育館や公民館がいつも空いてるからって、今晩は宿泊料取って観光客を呼び込もうとか、そういうことはできない。
 首相官邸は『総理大臣個人の居住に関わるプライバシー確保』は認められているが、誰相手にも『遊興施設としての利用』は認められていないはずである。

 本人の身体はひとつしかなくて、会いたければ本人のいる所へ出向くしかないのだから、友知人が挨拶にでも訪ねてきてくれて、いま重職の身なので赤坂の飲食街で今晩一杯ってワケにも行かないし、官邸の応接間でちょっとビールなりワインなり開けたら、体調イマイチだったこともあり酔いが思いのほか回っちゃって、普段やらないようなおふざけをやっちまいました…という展開なら咎める理由など無い。
 あったとして、国家の重職ともあろう者がとっさの意思決定に支障が出るような酔払い方をしてしまったところにあり、運よく緊急事態も起こらなかったのであれば『以後は気を付けてくださいね、気楽に酔っぱらえないお立場どうも御苦労様です』ぐらいで済ます出来事だと思う。総理大臣だって、人間なんだもの。

 オオヤケ設備に『プライバシー確保の時空間を確保する概念』は必要だし認められて当然だが『認められたプライバシーを家族・親族・友知人のレジャー用途に開放した』となると、これは言い逃れできない『私的流用』である。
 こんなバカバカしいもの物理的に官邸入居マニュアルに記載があるのかないのか、はたまた法律にいちいち文章化してあるのかないのかは知らない。だが日本列島に暮らす1億2千万人日本国民の判定として、明らかに『程度の低い目的外使用』として間違いはなかろうぜ。
 今ここで私はそう思うし、これを読んでいるあなたもそう思うなら、他の日本人たちも全員そう思うと拡大解釈してハズしてはいない。つくづくこのレベルの批判をせねばならない総理大臣が実在するとは、信じられない呆れた現実である。

 そもそもから行政機関トップ秘書官に家族を、ましてや実子を就かせるなど、どんな優秀な適任者だったとしても避けなければならないと考えるのが常人の感覚だ。1億2千万人もいる国民なら、少なからずの大勢に身内びいきとして映ってしまい、この手の感情は根深いので、行政を動かすにあたり非常にタチの悪い障害となり続けるからだ。
 『ヘンに見られて誤解で嫌われるのを避けるため』ではなく『組織の制御性をムダに悪化させないため』に、気分の問題ではなくドライな業務判断として避ける。
 実際、身内びいきの印象をどんでん返す業績のひとつも上げずに不祥事だけ重ねておいて、今更ようやくの交代人事に『けじめをつける』という日本語表現を使おうと思いつく感性が理解できない。日本人として、社会人として、人間として壊れている。

 『文系的キブンの問題』と『理系的ゲンジツの問題』を区別して意識し、各々目的別・段階的に処置するという思考世界が無いんだろうな。
 重保現場の安全管理の場合、理系ゲンジツの『死なない怪我しない』が至上命題だから、『油断だ、危ない!』を見つけたら、昨日来た新人が20年ベテランの管理職でも怒鳴ってぶん殴って蹴飛ばすのが躊躇なし一択の選択肢である。
 普段から礼儀正しく面倒見よく仕事もできるその管理職氏がそんな目に遭った現実は、もちろん職場の人間関係のイメージと大きく食い違う。だがそれは『事故を起こさずに済んだし、今後にも歯止めがかかる』という理系ゲンジツの達成要件なんだから必須のプロセスだったとして全員が納得、あとは文系キブンの問題となる。

 新人くんは『あの時は失礼しました。申し訳ありませんでした』と頭を下げに行き、管理職氏は『いやいや油断してたよ。助かった、本当にありがとう』と笑って礼を言えばよろしい。次の瞬間から、職場の全員が『危機一髪で事故回避の事実』の記憶をひとつ刻んで、人間関係はぴたりそのままキープである。プロの職場だ。
 因みにこんな場面で、決して人間関係を悪化させるような悪意があるワケでもないのに、つい『新人のくせによく上司にケリ入れるよなあ』みたいなこというヤツを指して、険悪な悪口ではなく天然系の意外性を指して『ひとこと多い』と言うのだ【1161】

 昭和の時代はまだゲンジツ問題とキブンの問題にかなり深い線引きがあって、『大人の解決をしようや』というとカネや法的措置のことであり、成人社会人が『コレコレ言われて傷ついた』などという根拠で相手を非難すると、子供のケンカじゃあるまいし、そんなもんクチ喧嘩やじっと我慢で済むハナシだろうが、こっぱずかしくなるようなクサいセリフ使うな!ぐらいの否定的な受け止め方しかされなかった。しばしばニュースで耳にする『精神的苦痛』という日本語は、ぶっちゃけキブンをゲンジツに換算したいがための言いがかりに近い語感として響いたものである。
 高度経済成長期、言葉でなく態度で示し、業績で順位が決まってカネがさあナンボ、の時代だ。

 平成以降、ヒトに優しいココロに優しいで個人的な心境への対応がどんどんこだわられるようになって『大人の解決』に割り込んでくるようになり、21世紀になってからは個人的な心境がインターネットで大衆社会に拡散されるようになり、つまり『大人の解決』で当事者同士が割り切ろうにも、外野や野次馬のキブンの問題が巻き起こす組織の反応の影響が無視できないほど大きくなった。
 これには良いコト悪いコト両方あると思うのだけれど、理系ゲンジツ問題の普遍性・絶対性があやふやになり、昔ならゲンジツに徹するのみで考え及ばなかったはずの『強権風を吹かせば一方的に終わらせられる』『損害額を発表して謝ればゴメンで済む』といった、『子供のケンカ式のキモチの解決』だけの中途半端がまかり通るかのような勘違いが拡がってしまったのは、間違いなく悪いコトだと思う。

 民間企業なら大人の話が通じないガキは商売が干上がるので、結局は自由競争市場で人さまと関わり生きていくために、大人にならざるを得ない。
 反面、役所など公的機関は税金資本で維持され市場原理が働かないから、クチだけキブンのガキ対応だけやっておいて『大人の責任、一丁あがり』のテイを決め込み、怠け心や逃げ隠れによるゲンジツ問題の未処理放置が増える方向にしか行かなかったんだろうな。どんなテイだろうが、誰も許しちゃいないんだけどさ。

 再度、イチ日本国民として問い質す。
 いったい何の業務目的で、何の現場作業をやらせて熟練人材を10人も死なせた?
 おかしな『閣議決定』をやらなければ、10人は今も無事に勤務していた。
 10人死なせた『閣議決定』をやらかしたヤツらはどいつらだ、と訊いている。

 国民目線で相当な精度の答は出ており、黙って引張れば引張るほどそれが国民の記憶に残って、いずれの大局に効いてくるだけなんだけど。
 次の選挙は投票率上がるといいな。『こうしたい』が見えたアナタにグッドラック!
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【1167】花火大会観覧席の所有者責任 [ビジネス]

 半島の北から『人工衛星、上げるよー』とアナウンスがあったとかで色めきたち、こんなの初めてでもないだろうに、んじゃあ少し前に空襲警報を連発していた頃はどれも予告ナシだったんだろうが、その頃と今般とは事態としてナニが違うの…?といぶかっていたら、久し振りの朝の空襲警報である。朝ドラの邪魔しおって。

 今回は沖縄本島以西の離島が対象地域になっていたようだが、当該住民の皆さんは大慌てで防空壕に非難したのだろうか?宮古島なんか台風2号の影響で大荒れの天気だったけど、あの空襲警報を信じてあの中を移動しようとして、死なないまでも転んで怪我したり、無駄にずぶ濡れになったりした人がいたとすれば迷惑なハナシである。
 まあ公共交通の定期時刻表には影響なかったみたいだし、お節介を焼いて心配するには及ばないとは思うんだが。

 結局『空襲警報の空振りがまた一件』のお粗末な実績で落着か。愚かな。

 あのさ、コレな?
 本気で重大事項として関心を持つのなら、わざわざ事前通告があった段階で『な、なんで今回に限って?』と今般の特殊性を解明しようとするのが普通なんだけどさ。
 いやいや実は…で、毎回半島から律儀にアポ宣があるにも関わらず、日本国内への展開をする・しないで選り好みされていたりしたのなら、半島の北はともかくまず日本政府の方にそのGO/NO GO基準を解説する責務がある。

 だって『人工衛星』ってハナシが本当かどうか、どうせこれは実質的に軍用ミサイルだ!って空騒ぎ論法は、もう烏合マスコミ乞食漫談の定番ネタになってるじゃん。
 どうせ軍用ミサイルならいつもと同じで、わざわざ今回だけ事前通告の意味は無いし、非・軍用=秘匿性がないってことで半島から大手を振って事前通告があったのなら、新技術は新技術でいいから、いつもの軍用ミサイルとナニがどう違ってのことなのか、日本は外交として半島に質問すべきだし、日本国内でもその論点で注目し対応を考えるべきだった。
 ああいう機械を、企画して・計画して・設計と実験で現実成立解を探って・製造して・運用に持ち込むまで、どんだけの手間とコストと時間がかかると思ってんだよ?強い非難がどうたらってのは、あまりにも能が無い。

 ともあれ、空襲でナニか落ちてきたとか、慌てて騒いで事故を起こしたとかの損害が出ていないので、良かったとは言わないが、まあ日本国としては浪費がちょっと嵩んだだけで済んだ。
 どこまで本当なのかは知らないが…というか、もし日本政府筋ではなく半島の南側が、北を牽制する意味で国際報道網に直接流した映像ならむしろ信用できるのだけれど、くだんの『人工衛星』は打ち上げ失敗に終わったとのことで、その残骸が洋上で回収される様子が公開されている。

 …ということはだ。
 キホン成功を目指しての『次』があるはずで、宮古島ヘリ墜落事故の『謎の危険区域』が未解決のままだと、事前通告を受けて構えるにしても結果を受けて調べるにしても不便で仕方ない。
 なにしろ穏やかな晴天であれだけ開けた洋上の事故だから、普通に考えて事故発生地点のピンポイントで現地固有の特殊な物理現象が起こってそれが墜落の原因だったとは考え難く、つまりヘリ墜落の原因がどの広さを覆っているのか判っていないのである。

 航空機も船舶も、空襲警報を受信して緊急回避するのに『宮古島の北らへんは、何となくそれっぽく避けろ』みたいなことにしかならない。事故の原因となった危険事象が何なのか判らないので、一体ナニをどう避けたのか避けられていないのかが各自で自己認識できないのだ。まるで目隠しのシャドーボクシングじゃないか。
 半島の次の人工衛星打ち上げ予告が、こんなあやふやな不安だけの区域にかかるような範囲で出されると、ちょっと放っておけない危険な事態になる。

 当該地点を一直線で突切れば安全区域への退避が間に合ったはずなのに、宮古島北岸あたりで得体の知れない回り道をしたがため退避が間に合わず、しかも『再び失敗した』人工衛星の破片が落ちてきて、本当にそれに当たって重大事故が発生する…という展開だ。人為的失敗の連鎖で、次が死ぬ。また死ぬ。

 逆に、海岸線の地形や地質を見ようとヘリコプターが無理に高度を下げ、揚力風に叩かれた海面が揺り戻して予想外の共振を起こすなどで、変動の激しい反射乱流を返してきてしまったとか、元々海面を覆っていた波と合成されて力学的収斂が起こり、三角波のような極端波形が発生して回転翼や機体を叩かれたとか、そういう原因だと判断できるのであれば、従来通りの航行基準を据え置いて何ら問題は無い。
 人工衛星とやらの発射が予告されたら、万一の落下物事故を避けるため、対象区域を常識的速やかに脱出するだけだ。

 避難経路・避難区域の安全性まで保証して、空襲警報を出すなら出せっての。
 ホラー明朝体を持ち出して、やたらおどろおどろしいサイレン音でメディアに割って入ってくる空襲警報、アレがどこまでマジの国家通達なのか、それとも出口を失った日本円経済を破綻させる目的の自爆テロ軍隊ごっこなのか、いま日本国民にはまるで区別がつかない。
 空襲警報にマジの機能性・実効性を持たせる気なら、宮古島ヘリ墜落事故について『何が危険だったのか、どこを踏み誤ったのか』の現象メカニズムを先に十分な精度で解明し、広く解説・周知するのが絶対厳守の順番となる。
 現状そうなっていないしそうするつもりでもなさそうなので、要はただの遊びだ。
 そりゃそうだろう、いま戦争状態でも準備状態でもないのに軍拡…いや違った、高額費目の軍事設備購入ばかりやってるんだから、空襲警報も散財目的の『高いおもちゃ』のひとつってことである。動画サイトの投稿で済ませりゃ安く上がるのに。

 くしくもキッシーみつをの聡明な御子息がいかにも楽しそうな記念写真を残されていたようだが、よく組閣直後にあの赤絨毯の階段に嬉しそうにぞろんぞろんガン首ならべて、政治家どもが報道用の集合写真撮ってんじゃん。その映像に続いて、以前なら世襲のガキ、そのあと古電球、今ならキッシーみつをを真ん中にして、例えばセメント屋とか嘘つきカバとか、壁を背に横一列に並べた深椅子に収まって悦に入ってるじゃん。
 現時点で、あの手のシーンに見かける面々=『閣議決定』の実行犯リストそのものだと認識して間違いは無い。これまで政治に興味なかった方々も、ちょっと調べればすぐWho's whoでメンは割れるので、お試しあれ。

 宮古島の事故分析の続報が遅すぎる。放っておいたら、また死ぬぞ。
 自衛隊なのか民間なのか、大型軍用なのか普及サイズなのか、好天下なのか悪天下なのか、とにかく恐らくはヘリコプターにはなるんだと思うんだが、次が墜落する。
 正しく事後処置して、再発防止の徹底をやっていないんだから必然のことだ。
 これで『また』に遭って死んだら本当にやり切れない。

 御遺族には酷い言い草だが、死亡事故が起きたら、犠牲者はもう戻ってこない。
 だから絶対に同じ原因・同じ因果・同じ結果を辿って『次』が出ないよう対策する。
 次を出さないため犠牲者4名の残るものも見つからないまま、現地捜索の手を退く。

 これが安全管理であり、現状で自衛隊員10名の命は『無駄な犬死に』になっている。
 自衛隊員が、南西諸島の住民が、日本国民が、それでいいと言うかどうかだと思う。

 いよいよ誰の目にもぱっと見いで、現政権の地盤崩壊があからさまになってきたワケだが、だからって『知~らない、みんなでうまいことやってよ』を決め込んでいてはコトがサクサク前に進まない。廃棄処分にすると決めたら、日本国民の総力でその流れを作った方が早くて確実だ。
 捜索断念となった4名の御遺族の方々にいいことがありますように。では御幸運を!
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