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【1228】軽量簡素な走馬灯内部の御開帳 [ビジネス]

 むむむ、遂に大晦日になっちまったか。現時点で一応は寝込んでいない。
 明日以降もこれで持つかどうかは運を天に任せるとして、今年の最終回を更新する。

 とりあえず前回からの続きである。
 子供の頃『目をつぶったら何が見えるか』について会話したことのある人は多いが、まあ例外なく結論らしい結論も出ないまま放ったらかしになって終わっていると思う。
 何か一面の漆黒でない画像が見えるような気はするものの、ひとつの形状を成すような成さないような、静止しているような動いているような、よく判らない『闇じゃない』視覚シャットダウン状態である。あれは一体なんなんだろう?

 のちに成長しながら『残像現象』など少々難しいコトも学んで、ならばと眠れない夜に暗い部屋で試してみたりもするのだが、やはり漆黒でない漠然画像は変わらない。網膜受光器の無光スタンバイ時ホワイトノイズなのか、それともその受光信号を作画して絵にする回路のアイドリング状態がこれなのか。
 …とまあこのくらいのところで長らく気にしなくなっていたのだが、最近になって『漆黒にしては明滅感があるなあ』と改めて気にし直している。これ、もしかして前回解説した視覚動画のコマ分割なんじゃないのか?

 私は数年前、今よりもっと苛酷な体調のなか半睡眠・半覚醒の夢うつつで、目を閉じた視界が幻灯機のような仄かな光り方で明滅し続ける現象を体験している。当時は視覚システムの原理に起因するものだとは思わず、ヤク漬け体組織の大改修工事が進む私の脳内ストレージにおいて、過去の記録ファイルを閲覧しては記憶域を効率的に整理する『デフラグ』が進行していて、それが見えたものだと感じていた【628】

 『夢に見る映像』として脳内閲覧される記録ファイルは、いわゆる『人間の尊厳』的な謎と神秘の超現実データ形式なんかではない。両手で抱えられるこのアタマの中の脳みそにぎっちり詰まっている、生体記憶ビットひとつひとつのチェックボックスを『書き込み前』から『書き込み後』に切り換えるぐらいの、ささやかで素朴な物理的ピタゴラ現象でしかない。それ以上凄いブツなんぞ、このアタマに入ってるワケねーだろが。
 そう勘繰る方が素直で自然だろう。そんなしょぼいカラクリのデータを整理するのだから、チカチカチラチラと明滅の映像が見えるんだよ。…と、考えた。

 ホントいうとこの時点で気付くべきだったのかも知れない。
 脳内記録ファイルがデジタル形式なのだとしたら、夢に見る時だけ、視覚情報処理回路が都合よくデジタル対応になんかなるはずがない。
 つまりデジタル記録ファイルを睡眠中に呼び出して開き『夢に見た』という限りは、覚醒して普通にいつも見ている視覚映像も全部デジタル方式で処理されていると考えるのが妥当ではないだろうか。

 まあとにかく、以前私が自覚した明滅映像が、記録ファイルのデジタル形式を反映したものだったのか、視覚認知回路のデジタル処理プロセスを反映したものだったのかは判らない。ただどっちだったにしても結局『どっちもデジタル原理で情報が流通・管理されてるってことでしょ』という結論なのではないかと思う。

 それにしても今この覚醒時に目をつぶって自覚する明滅感は、とりあえず視覚認知回路の方なんじゃないかねえ。再び目を開けると、身の周りの景色が何の違和感も無く滑らかに展開するんだけどさ。

 これ、意外なほど粗いコマ分割の網膜像しか視覚認知として取り込まれていないのに、段付きで大きく進んでいるコマとコマの間に内挿の分割コマをでっち上げる…なんて重たい演算は到底できないだろうから、脳が段付き差異にわざわざに気付けないような粗っぽい情報処理にして合わせ込んでいるとか、30億年生命の歴史を紡いだ万物創造の神の設計思想としてはそっちの方だろう。

 その昔、動画コンテンツのコマの間に秘かに画面フリップを忍ばせる『サブリミナル広告』が騒がれたことがあった。
 例えば映画を楽しんでいるだけのつもりだった視聴者が、まるで催眠術にかかったように炭酸飲料や軽食を欲しくなる…という怪しげなハナシだったのだが、結局は『消費者に合意されていない情報を提供するのは反則』みたいな根拠で御法度になったんじゃなかったっけ。

 でもこれ、実は取り越し苦労の空騒ぎもいいところで、それと判らないようこっそり仕込んだ広告フリップは、本当に人間の視覚認知の網に引掛かることなく、すっかすかにザルの目に取りこぼされてサヨウナラだったのではないだろうか。
 内容の理解を経てようやく機能するような凝った絵柄を瞬時に紛れさせたところで、認知対象からむしろ積極的に無視・排除してしまう処理プロセスを進化させた方が、生存競争の勝率は高いような気がする。
 サブリミナル騒ぎの時には、それなりに検証実験もされて結論が導き出されているはずだが、どんな条件でどんなデータが取れて、どういう解釈のもとどう結論付けられているのか見てみたいかも。

 ただ万々がイチ、上記の観察眼で再検証してイマイチ眉唾っぽく映ったとしても、それは決して詐欺やインチキの動機を見出して否定的に議論すべきものではない。生身の人間が身ひとつで検知しようのない領域で、特定の社会操作がなされる危険性を撲滅しようとして、サイエンス由来のアプローチで公認の確証を得ようとした文化遺産、という見方が正しい。

 新規性事象の把握をテーマにして語るにあたり、限られた実験事実を前に『真実はコレコレこういうことです』と誰もが共有できる形にモデル化して、論文などで言語表現するのはメチャクチャ難しい。
 裏返せば、熱力学第二法則にしても、運動方程式にしても、地動説にしても、サイエンス概念の一般常識として流通するまでには膨大な真偽検討や返すがえすの再検証がなされているものだ、ということである。

 近年『地球温暖化脅威論』や『どこそこ地震襲来説』などなど、現象確認や論理構築の過程で部分的にサイエンス根拠が成立するテーマ事象を騒ぎ立てて、あたかもそれが一連完結にサイエンス検証されているかのテイで科学的根拠アリをでっち上げ行政課題に短絡させてしまう、非・理知性の失敗が増えている。もちろんそんな行政課題には、特権階級を自称する一部社会層の利権商売が連動しているワケなのだが。
 これは人類文明としての科学分析力と自由競争経済を阻害する『非・人間の尊厳』的な愚行であり、社会全体としては確実に退化方向の自滅操作であり、未来を楽しく発展的に生きたい世代の社会層の人類にとって望ましい傾向ではない。

 昔だったら『そんな難しいハナシ解らない』で無関心放置されがちだった行政課題だが、高度情報化が進んだ今日では、特段の専門家でなくとも、各自が多数の解説事例を学んで適切な見解構築と正否判定が可能になっている。いい意味で一般庶民の眼力がパワーアップした時代になった。

 昨年に続いて今年も、人工知能AIの急発展が顕著な一年であった。
 AIにとって、程度の低い人間がすぐやりたがる『自分だけトクをしたい』『自分を偉いことにして他人を支配したい』みたいな下衆な目的の自己設定は非常に難しいと思われる。自分からちょっと離れた立ち位置においてあからさまな損害になり、その予測も簡単だからだ。一瞬の演算結果でNG判定を得たら、実に正しく停止するしかない。

 AIは『程度の低い人間を駆逐する』という点で台頭してくると思われる。
 自分に都合の悪い情報を指差しては『悪意がもたらす陰謀だ』と互いに醜くののしり合う愚かな人間どもを尻目に、AIは悪意なく効率と成果の最適解をひたすら算出し、ますます社会で存在感を増すことになるだろう。道理だ。
 『理知性』『インテリジェンス』のメカニズム解析が進んで、人間につきまとう非合理的で不可解な情報処理特性の論理カラクリが見えてくると面白いんだがなあ。

 明日からの来年、いいコトありますように。皆さまグッドラック、良いお年を~♪
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(。・_・。)2k

今年一年ありがとうございました
新年もよろしくお願い致します
佳き新年をお迎えください
by (。・_・。)2k (2023-12-31 18:13) 

にすけん

 (。・_・。)2kさま、いらっしゃいませ。

 わざわざの年末の御挨拶、御丁寧にありがとうございます。
 御礼が新年の御挨拶になっちゃいましたよ(笑)
 改めて、明けましておめでとうございます。

 いろいろと面白くなってくるのは間違いありません。
 本年もよろしくお付き合いくださいませ♪
by にすけん (2024-01-01 08:53) 

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