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【1106】指先ひとつ北斗経済拳の舞台背景 [ビジネス]

 たまのことなので、もう少し経済の話題を続けましょうか。
 もうぐっちゃぐちゃの財政出動が金曜夕方に突然発表されたが、御覧の通り『ナニナニにいくらバラマキ』ばかりで、従来比で変化点の中身はナニも無い。

 ここに常連でおいでくださっている方々ならもう直感的に納得されることだろう。
 実に大したことないハナシであり、こんなものを受けてナニも変わらない。

 例えば日本国内で、宇宙空間に散らばる波動エネルギーを収集し凝縮させて、石油と全く同じ物性の液体を生産することができる…という新技術が開発され、そのヤマト式石油がどんどん他国に買われて外貨収入が激増したのなら、日本社会に暮らす日本国民がその恩恵をどんな形で享受するかの議論が始まる。
 逆に日本国内でのみ空気中の酸素が1/10に減ってしまい、他国にお支払いしてわざわざ空気を買わないといけなくなったのなら、今度はその支出を日本国民で分担して負担するための議論が始まる。世界の中で日本が上向きか下向きか、ってことだ。

 お解りだと思う。おうちの中で『ほおら、お手伝いとお小遣いの交換券をたくさん作ったのでみんなに配るぞー』と子供たちに振舞ったところで、いま抱えている住宅ローンの返済がどうなるものでもない。お宅の子供たちが他人んちにお邪魔してお手伝いを頑張り、その交換券を差し出しても、お小遣いどころか何の『いいモノ』とも引き換えてもらえない。
 子供たちが明るく正しく賢く朗らかに成長して、おうちの中でも外でも構わないから、美味しい食べ物や便利な機械を作り出すとか、誰もが喜んで身を預けるようなサービスを施せるようになって初めて、例えば外の他人様から御代1万円札がおうちの中へ転がり込んで、それをローンの支払いに充てることができて、そのぶんローン残高が減るのだ。こういう話において『カネは天下の周りモノ』なのである。
 自宅の中でお手伝い交換券を1万枚刷っても外の誰も気にしないし、その1万枚を独占しても、羨ましがるのはせいぜい子供たち兄弟姉妹だけだろう。もちろん29兆枚刷ってもその状況は何ひとつ変わらず、むしろ増えすぎて異次元レベルにダブつくばかりだ。

 ここで『家事のお手伝い』なる作業は、世間一般として確かに傷害・災害に映るネガティブ事象ではないが、だからといって無条件に誰もが有難みを見出せるバリュー事象でもない。要は『家庭内スタッフ業務』とでも呼ぶべきものだ。
 肩を叩いてもらって元気を出したお父さんや食器洗いを代わってもらってよく寝たお母さんが同僚より抜きん出て稼ぎを上げてくれれば成果アリ、つまり『両親の直接業務の収益性を向上するための間接業務』という位置付けになる。
 だがそもそもからお父さんの仕事向きが怪しくなって、ローンの支払いが焦げ付きそうになってきたとしよう。あなたのお宅ならどうされますか?

 まず『支出で引き換えて調達しないと死ぬモノって何だっけ?』の勢いで支出を極限まで削るのが喫緊の最優先だろう。お菓子や漫画に引き換えられてしまうお小遣い、つまりお手伝い交換券なんぞ即刻全廃せねばならない。
 一番のポイントは、家庭の外との契約取引としてローン負担を抱えているため、家庭の外で通用する『お金』を家庭生活から捻出してローン支払に充てなければならない、というところにある。イチ家庭まるひとつをイチ単位とする社会空間層域において『お金vsローン残高』を釣り合わせる『価値』と、その家庭内空間でささやかに『お手伝いvsお小遣い』を交換する『価値』は違う。

 ここで、一家として『稼ぎを上げる直接業務』が必要ぶんやれてもいないのに、家庭内でだけ間接業務に精出して、ナニか頑張ったつもりで気を済ませてしまうパターンが、その気になればできてしまう。社会性を失くした現実逃避一家だ。

 コレお気づきの通り現状のママゴト日本経済の例え話であり、他にもテーマ相応にいろいろ展開のさせようはあるのだが、今回ここでは日本の職場がついつい陥りがちな…というか、意識してその目的で目を光らせ指摘し、クチうるさく修正を加え続けないと、自然ななりゆきとしていつの間にか落ち着いてしまう非効率業務体質の姿でもある、という理解に絞っていただきたい。
 職場で視界に入ってるヤツ10人ひっぱり出してみると、生業たるアウトプットが実質的にできているのが1~2人いてくれれば良い方で、あとは知ってか知らずか『仕事してるつもり』だけの大人サラリーマンばかりだったりするのだ【971】
 製品も作っていなければ商品も売らずに、せっせと『イチ足すイチはニ』で計算した根拠を綿密調査して報告書をまとめていたり、目を吊り上げて問題ない日常をスケジュール表に書き落としていたりする。

 狙いどころや当たり前が外れて損害が出るのが通常なので、無事や正常を追いかけたい衝動は一応理解できるものであり、まあ決して邪心や怠けグセでこうなるワケでもないのだが、とにかく直接業務が及第点レベルに稼働しない限りまず売上が手に入らない事実の認識は、大人数になるとぼやけがちなのだ。特段の工夫をしてでも間接業務の緊縮と削減に徹し続けないと、端的に組織が維持できなくなって破綻する。
 組織生命体として、おのれの食い扶持を支えるための実効アウトプットは現状ナニがいくつで、過不足ぶんはナニがいくつなのか。いま動いている間接業務は内部損失に終わらず、直接業務の実効アウトプットを実現するための不可欠要件として作動中か。

 ナンタラ支援金にウンタラ補助金はこの計算を狂わせる。
 衰弱した実効アウトプットの挽回には能力も時間も必要なため、不採算財務の緊急改善策は生命維持ギリまで厳しく削り込む支出の抑制にしかならないワケだが、そこへ場外からカネが投げ込まれるとその体質の転換ができなくなるからだ。
 マシにやれている投資家連中はこのくらいのことは常識以前に心得ており、今般だと何のバラマキ通貨がどこにいくつではなくて、日本社会全体の経済生産力の特質として程度を見切って、日本経済・日本円に総観的バリュー評価を下してくる。

 う~ん、非効率ニッポンのフラクタル解説にしたかったけど、まとまりイマイチか。
 NHK朝ドラの悠人くんは『指先一本で大金を稼ぐ』とのことだったが、その指先が『収益性を保証できる確率で、的確なキーを叩く直接業務』を実現するために、どんな抜きん出たスペシャルな間接業務が必要なのかもよく考えないとね。
 ま、頭いいし性格も悪くないし、思うまま頑張れば解るさ。今週もグッドラック!
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【1105】外為レートで見る世界真実ハウマッチ [ビジネス]

 あまりに様子がおかしくなっているので、取り急ぎ今回は外為の話題から。
 前回152円/ドルから144円/ドルまでレートが急変した事実を受けて、私は日銀の無計画な市場介入に自制が利かなくなり、実りの無い介入を節操なく繰り返す自己放棄体質に陥る心配をした。

 あっという間に150円/ドル前後まで揺り戻したのは当然だとして、直後に間髪入れず『また』やってしまったのには、再び『まさかやー』であった。一回目であっという間に揺り戻した現実を見ておいて、同じことを工夫無くやらかしてるんだから、もちろん『またまた』揺り戻してオシマイである。愚かだ。
 やれ6兆円規模だとか何だとか言っているが、日本経済として、例えば消費税何パーセントで何年ぶんの掛け算負担をこの数日に積み足したのだろうか。

 もう日本円経済圏の組織マインドとしてこの自滅体質は、国際為替市場で生きている連中にとってはお馴染みのテッパン認識になっているはずである。日々変動する外為レートの流れを読み、上昇気流を目ざとく見つけてはそれをとらえて高度を維持して命を繋いでいる人種にとって、こんな誰が見ても判る狂乱財政なんだから『あほ政権むっつり無能の思わせぶり芝居』で覆面ナンタラなんぞ透かしっ屁の風圧にもならない。

 確かバブル景気とやらがまだ現実だと思えていた1990年代、それまで小市民が投資で資産を増やすなんて考えもしなかった…というか、それは人道を外れた悪いコトとしてさえ扱う経済倫理が一般的だったと記憶している。
 昭和の時代までは『自分自身が直接労働力を注ぎ込んだ商品アイテムの成果と引き換えてこそ正当な金銭収入だ』と固執するかのような社会通念が普及していた。その後の感覚の変遷からすればかなり偏った価値観と映るが、結果的に見るとむしろあれで良かったのかも知れない。
 日本人は『経済をドライな定量システム構造体』と理解して『専門知識と特殊技能をもって制御をかけて、ようやくマトモに作動する技量要求型メカである』と覚悟して対峙する心掛けが、DNAレベルからできていなさ過ぎる。気候が穏やかで季節毎に豊かな実りに恵まれ、この島で何となく他人に同調していれば幸せに生きていられる、そんな呑気な環境に育まれた情任せのDNAは、わざわざ四角四面のせせこましい計量・計算など好きでも得意でもないのではないだろうか。

 逆に異文化同士が衝突と折衝を繰り返す社会的進化の最前線では、ナニとナニが価値取引として釣り合うかは重大な死活関心事である。現時点の進化到達ポイントである『変動為替相場制』において外為トレーダーとして生き抜いているような連中は、何の価値がどの人種のどの通貨にどう反映されて相場が決まるのか、とにかく鋭い。そのへん世界標準の尺度で人並以上に得意な連中だ【598】
 そんな経済ソリッドな視点で見れば、日本人の経済志向や日本円の通貨特性なんぞ、寝てても身に付く基本中の基本として誰もが心得ていると考えてよかろう。

 日本円経済圏を全体で活性化させて、通貨循環ループが太く速くなって全員の経済生活が豊かになる原理も理解できずに、独占欲や権力欲に抑えが利かない、それが日本人だ。所詮黄色いサルのサル山だからエサが減ったら奪うだけ、奪われたら奪われっぱなしで従うだけ、それ以上の知能が働かなくなって、そのまま老いて滅ぶ。
 いま世界的に資本主義経済市場が本来の制御性をぐらつかせており、北米FRBも欧州ECBもシステム作動原理の維持に四苦八苦している反面、日本に限っては『伝家の宝刀』『断固たる措置』などと、まさに箱庭サル山のチカラ関係で暴発する場当たり反則操作しか見られないのも当然ってことさ。
 わざわざ気にして予想して、日本円を取引の対象にする理由は無いはずである。

 二十世紀の終わり頃だったか、株式投資が随分とカタギの職業?として扱われるようになってきて、海外で年収数千万から億単位の収入を実現しているトレーダーの実態も報じられるようになったが、二段三段でそびえたつ10面以上のディスプレイ群と向き合う姿が紹介されていたりもしたものだ。寝るとき以外キホンこの要塞オペレーション席に座りっぱなしで、その寝る時間も無いとのこと。
 そりゃそうでしょ、世界じゅうに融資を受けて事業に成功するヤツがいるから投資家に儲けが出るのであり、『いま何の価値がどの通貨においくら反映されているか』の情報通同士が、生存と一攫千金を賭けて競い合っているのである。何年かコレやって目標額を貯めたら、さっさと温めていた人生の夢の実現に取り掛かろうとか、そういう割り切った期限付きのモチベーションででもないと身も心も持たないんじゃないすかね。

 NHK朝ドラの悠人くん、まだ大卒の年齢だしナニやってもどうにでもなるし、投資で大儲けする当座の目標を冷めたドライな理屈で定めた点については何ら問題ない。その理解を盲目的に拒絶する姿勢を正義とした結果、いい大人が経済に無関心で無頓着の他人事…みたいなことになるよりよっぽど将来性がある。
 もう時代設定が今世紀となると、何もかも放り出して損得抜きで『いま生きている時間を没頭したい』と思うような対象に出遭えている舞の方が、ラッキーな少数派ということになるんだろうな。これはこれでガチンコ有意義に素敵な青春の一幕であり、幸運に身を預け何もかも放り出して没頭すれば良い。

 以上、いま日本円の価値は日本国政の失敗要因と日本社会の構造欠陥まで、きっちり事実を整合して確信され見限られていると観念せねばならない。箱庭サル山の中で何を騒いでも時間の無駄だ。
 『極東の社会主義国あるあるで、雇用と通貨を支配階級の役人層に強制偏在させた結果、国家産業が総合的に弱体化して経済循環が焦げ付いた。それでもなお国家をあげて改心しロジカルに正しい方針修正することもできず、非・文明的な損害性の誤作動が止められず自暴自棄の破滅に沈んでいく』
 現状の日本円バリューの世界的評価はこんなところだろう。

 日本円経済圏の中で他国を凌駕する収益性産業を復興するには、メのある社会層に的確な能力開発を仕込んだ上でも、それなりの時間がかかる。では即効性のある活性化方策とは何だろうか。

 前回述べた通り、決して手詰まりにはなっていない。
 歪んだ非・経済原理的な規則・ルールと実作動を全てキャンセルすればよい。
 前々からの繰り返しとなるが、消費税は即刻一律5%以下とし、もちろん今なお現場なりゆきで不備を放置されたままの軽減税率制度は撤廃する。新規性の準備は一切不要、来月からでも実行可能だ。
 需要と供給の原理原則ループを強化する方向に舵を切るので、もちろんナンタラ支援金にウンタラ補助金の類は一斉全面の緊急停止。自由競争市場の経済循環にとって病的中毒性の外乱ゆえ、キホンすっぱりと決別する。

 使えるものは何でも使えってことで、直近マシな商売になっていたのは少々情けないが海外観光客のインバウンド需要であったことを思い出せるなら、今どきまだマスクしてるようなビョーキの国に来たいと思う外国人がいるかどうか答を出す程度の思考能力は残っているだろう。逆に、こんな個人的な行動の選択さえ放棄してコロナ名義の経済抑制にまだ甘んじ続けるなら、むしろ国政ではなく国民の生存本能に原因アリだ。

 いずれ日本国内で米ドルや人民元が流通し始めるのかな。でも仕方ないよねえ。
 まあ自分らのことだから、自分らで考えて決めましょうや。日本円にグッドラック!
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【1104】高度成長に見上げた大阪下町の空模様 [ビジネス]

 この文書ファイルをSSD仮置きで維持するところまでは到達したとして、もしかして先にストレージコピーツールを繋いで前PCのHDDデータを覗きに行けないかと試してみたがアウト。そりゃそうか、甘かった。
 ちゃんと新品ハードディスクをフォーマットして、計画立ててドライブ別に容量を切り分けて、パーティションを設定してから、各々データを移していかないと。
 面倒くさい限りだが、これだけ快適になっといてここで文句言っちゃいかんね。気晴らしに、まずは小うるさく重箱の隅つつきでNHK朝ドラの大阪弁チェックから。

 人称を複数化するにあたり『俺たち』『僕たち』『私たち』『君たち』のように『たち』を使うのは、ネイティブ大阪弁人種にとっては、割と標準語めかしたヨソ行きニュアンスの感覚がある…という指摘である。
 例によって決して言わなくはないのだが、『ナニナニたち』はキホンかしこまった場、例えば式辞や契約書面の文言のような、文語体っぽくフォーマルなシチュエーションで使う様式のイメージがある。
 大阪の、というか関西の日常口語では『俺ら』『僕ら』『ワタシら』『キミら』『お前ら』『ウチら』『固有名詞ら』と、圧倒的に『ら』の方が多用されるのだ。
 『オレら』ってのはビミョーにラ行の連続発音が不自然っぽい気もしてしまうので『正しい日本語』でなさげと取られ、避けられがちになるのかも知れない。だが関西ネイティブは日常的に『オレら』を使う。

 …にしても『カムカムエブリバディ』に続き安心して聞いていられる大阪弁である。
 大口受注を手にした社長が仲間や家族に『おおきに、ありがとう』と放つ抑揚とタイミングは正確であった。『おおきに』はポピュラーな好印象ワードだが、特に最近になるにつれ使用頻度は急速に低下しており、昭和ネイティブでも作為的に響く感覚に躊躇して、まず使わなくなっていると思う。

 舞が校庭で飛ばしたライトプレーン、当時も素材と構造は概ねあのままである。
 あのくらいのサイズも確かにあったはあったが珍しい方で、倍近い大きさで翼長80センチぐらいあるサイズの方が一般的であった。ただこうなると空の広く開けた河川敷などで向かい風で飛ばしてやらないと、30メートルつまり10階建てくらいの高さにはすぐに上がってしまう性能を持っているので、飛ばす場所を選ぶ。
 向かい風と上昇気流が良ければ、みるみる高度を稼いでいってゴム反力を使い果たし、そこから悠々と滑空しながら地上に軟着陸するまで分単位の飛行が可能だ。
 翼には半紙のような薄い紙を張り、少し残ってしまうシワは霧吹きを吹いて紙を収縮させてやればピンときれいになる。まさに骨と皮ばかりの、なけなしの機能部品だけで構成された機体だが、うまく作れば想像を超える飛行能力で驚かせてくれて面白い。
 竹ひごは焦がさないよう水に浸してロウソクで炙りながら曲げたものだが、タイヘン根気のいる職人作業であり、昭和のうちから曲げ加工済の竹ひごに接続用のアルミパイプ、プロペラや脚など丸々一式を袋詰めにしたセットが売られていた。どこか模型屋さんででも見つけたら一度挑戦してみては?

 ライトプレーンはとってもエコに軽やかに舞い上がってくれるのだけれど、昔の飛行機、特にジェット機は嫌になるくらいうるさかったものだ。今のうちに高度経済成長期の旅客機鑑賞事情を。
 関空なんか無かった昭和40年代の大阪近隣では、実は滑走路が短すぎてジャンボジェット=ボーイング747型が発着できなかった。我々大阪の小学生にとって、ジャンボはまず見ることすら叶わない夢の世界規格の飛行機だったのである。
 そこらで遊んでいてよく見かけたのは四発のダグラスDC-8型で、ちゃんと『ディーシー・エイト』と洋風正確に読みます。いま写真を見る限りはほっそりした上品なプロポーションが美しいのだが、とにかく耳が痛くなるカン高い騒音が好きになれず、子供心にあんまり好印象の機種ではなかった。
 いわゆる『T尾翼』が特徴のボーイング727型と併せて、当時は大きめのジェット旅客機といえばこれら二機種が定番だったと記憶している。あと737もいたかも知れないが、朝ドラ劇中の映像に747ジャンボが映らないのは正しいのである。
 まあいずれにせよ、飛行場の間近にいるのでもないのに会話をかき消されるほどで、今日の飛行機と比べるとケタ違いにうるさいというか、もう忌々しくやかましかったものよ。滑走路間近を訪れた岩倉父娘は、二人とも耳栓を詰めていたはずである。

 岩倉家はお兄ちゃんが私立経由で東大ってのも王道の優等生だが、舞が中高で私立進学にこだわった様子もなく大学工学部の航空工学科っては、何だかんだで相当勉強好きの理数系秀才だという設定になる。航空は偏差値高いんだよ、大したものだ。
 岩倉工業だっけ、特命係長の町工場は危機を乗り切って規模を拡大できているのが何よりだが、『極端にタイトな納期での高品質特殊ねじの受注』を実現させ、大口納入で当座を繋げたのは非常にラッキーであった。競合が軒並みギブアップで断ってしまい、引き受け手に困った仕事が発注先を探している…そんな美味しいシチュエーション自体が、実はなかなか無い。
 立ち行かなくなってきた製造業は、赤字覚悟の納期度外視で何でもかんでもメクラ滅法まず受注するのが先決になるのが必然にして常識、と断じて過言ではない。製品がひとつでも現物のモノにさえなったなら藁にすがって、とにかく売上が1円でも手に入れば、そのぶん赤字でも工場の寿命は引き延ばせるからだ。生き残りをかけて凄まじい受注合戦が繰り広げられ、勝者以外は延命できずに消えていく。

 どうやら日銀が『またやらかした』ようだ。152円/ドルから144円/ドルかあ。
 どこから何の受注も無いのに、日本経済の通貨がこんなに値を上げた。
 前にも述べたが、こんな小細工あっという間に国際経済に吞み込まれて虚空に消えてしまうはずで、そうなると次の展開は、どんどん躊躇の歯止めが利かなくなって『また』のやらかしがエスカレートしていくしかない。

 現状の日本経済は決して手詰まりではないのだが、その話題は次回にしましょうか。
 何より即効策があっても1億2千万人日本社会が無関心の限り日本経済は動かない。
 深刻に円安で困っている日本人、どんだけいるのだろう?では今週もグッドラック!
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【1103】気配なきハイスペック新参者 [ビジネス]

 意外とメール設定と喫緊案件の処置に手こずってしまったため、他の作業がまだ山積みなのだが、とにかく新しいパソコンが稼働を開始することとなった。

 いやいや、これ暑いうちに一念発起的に噛みついてたらとても体力が持たなくて、物凄く半端なところで場つなぎのやっつけ仕事で終わっていた。なりゆきに押されてでも、涼しくなってからの今頃に取り組んだのは正解である。
 何だかんだで、もたつきながらも向こう数年来の紆余曲折まで考えてパソコンの設置場所から抜本的に変えていこうという気になり、本当にそれが現実になっている。
 今でなければ到底そんな気は起らなかったし、ここまでの進展も到達点もなく早々に作業切り上げを至上目的にしたドカチン処置で倒れ込んでいたことと思われる。

 凄い。電源を入れたのに作動している気配が全くない。

 とにかく一旦動かしはじめたら、どうせ大容量ストレージは必要になるんだしってことで、あらかじめ内臓ハードディスクを別途買い込んである。
 …ってことはだ。新しいパソコン本体を箱から出すなり、最初に電線つなげて電源入れるより先に、いきなりネジ回しを持って中身を御開帳ってことになるんだよな。
 いっぺん繋いで電源入れたところで何てことはないのだが、逆にそれで使いもしない部品構成で無駄に電源だけ入れて、想定外のヘンな出来事にも遭遇したくないのだ。イチ早く新品状態で中の景色も見たいし。

 後々の拡張性を重視しながらも、すっぴんベーシックには低稼働率の余計な機能もぶら下げず省エネ運用できることを考えて選定したので、ミニタワーサイズながら新品の現状で内部空間は結構スカスカ、しかし750Wの電源から空きコネクターだらけのケーブルが密生している。
 ちゃちゃっと写真だけ撮ったら、電源ケーブル群から内臓ハードディスク1台を追加する束だけ取り出して、あと残りは当面は分類整理して括り付けるだけなのでお茶の子さいさい…と言いたいところだが、BTOブランドあるあるというかケーブル以前に、他の部品に干渉して肝心のハードディスクそのものが設置ベイに滑り込まない。

 こういう事態には、自作や分解組立なんかの作業を繰り返して恐怖感がだるだるに麻痺したこの性格が有効策となり、まあいいやで当たる部品の留めネジを緩め、ちょいとよけて解決してしまうのが早かったりする。そう、パソコンは相当その目的でおかしな反則組付や邪道接続をやらない限りは、別に火を噴いたり爆発したりはしない。

 首尾よく内臓ハードディスクを組み付けて、いよいよ電源をONしてみた。
 …ん??? ウンともスンとも言わない。だがディスプレイだけが立ち上がる。

 うわキモチわる、この時代にそこそこカネかけたからには並に比べて見劣りは絶対しなくて当然なんだろうが、ここまで静かというか、リキが入った感じも無いものなんだろうか。ウソみたいだ。
 ナニかが作動している気配というものが、真剣に『無い』
 コワい。凄い。驚いた。

 電子メールの着信履歴が月頭まで遡ってくれたのは有難いのだが、これが1400件ぐらいありやがって処置がタイヘンっちゃタイヘンである。でも旧機の受信トレイにわざわざ手を尽くして覗きに行って確認するよりは遥かに早いはずで、タイヘンとは言いつつ随分と助かっていると思う。
 後でスケジューラーの方の過去履歴は追跡しないといけないのだが、直近の受信トレイぶんだけの処理引継ぎが叶っただけでも気が楽だ。いやはや便利になったものだよ。

 旧機はいったん内部結線を脱着してみたのだが、やはり動いてくれない。これはハードディスクをひとつずつ外して、新機で中を読み出すのが先かなあ。スケジューラーは自分でもナニをどんだけ書き込んでいたかが判らないので事故直前の姿を確かめたい。また明日以降に考えよう。

 ところでNHK朝ドラでは、ねじという汎用部品の製造仕事を、恐らく海外の安価な労働力に持っていかれつつある、国内町工場の困惑と苦悩の様子が描かれている。
 二十世紀のうちには、もう規格品なんか軒並み輸入製品に市場を席巻されており、規格外の特注仕様の調達にしても、発注元が急速に普及したインターネットを通して、図面付きの仕様提示をアップして公開入札する方法が台頭してきていた。
 製品の品質と価格、またここ一番の無理無茶の許容限度などを含めた『古くからのお付き合い』式の信頼関係のサプライチェーンは、インターネットの情報網に引掛かる全てのバトルフィールドを相手に納期と価格で勝ち抜かねばならなくなり、赤字を出しながら受注したところで万一仕様未達の不具合でも出せば、あっという間に見たこともなければ聞いたこともない競合他社に乗り換えられ、将来ぶんまで含めて失注してしまうシビアな時代の到来である。
 買い付ける側としては確かに『望む品質を徹底した安価で』調達できるようになっていったのだが、それはパソコンとインターネットという『情報力』が呼び込んだ凄まじく激しい市場競争の産物だったということではなかろうか。

 こんな話もしたいところだが、早くパソコンを代替し切ってしまうのが先だわ。
 新機から無事に更新できたことだし、今日もビール飲んでさっさと寝よう。
 では一応どうにかなってますってことで、引き続き私こそグッドラック!
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【1102】爽やかな秋空のIT霹靂談 [ビジネス]

 意表を突く事故が発生、自宅の主力デスクトップ機が突然使えなくなった。

 このところ体調が改善してきて、そろそろパソコンの新調をしようと考えていたのである。現行PCを組んだのがほぼ10年前の2012年の夏前であり、ホント言うとフル稼働させていろいろ仕様変更を加えながら使い倒すつもりだった。
 だがその年末、私はステロイド依存が飽和状態に達してぶっ倒れてしまい全てが急停止、そこでステロイド依存症に陥っていたことを自覚し、すぐに断薬を決心して長いステロイド離脱の道を歩み始めることになる。

 パソコンの仕様変更どころか、日常の通信をこなすのもタイヘンだった期間が何年も続き、せいぜい部品としてはハードディスクを交換して、Windows7からWindows10にOS移行したぐらいの機能アレンジしか結局はやっていない。だがいつも、ケースを開けて中にたまった埃を掃除機で吸い、配線を脱着した後は何の問題も無く起動し、その後の通信生活を支えてくれていた。なのに。

 今日に限って、ただケースを開けて埃を吸っただけなのに、電源のONから一切叶わなくなった。もうAC100vが箱の手前で遮断されている感じで、ウンともスンとも言わない。だからこそ最初のうちはハード系接続あたりの単純ドカチン問題かとタカをくくっていたのだけれど。
 少なくとも現時点でまるでどうにもなっていない。もう今日は諦めた。

 実はあんまり慌てていなかったりする。
 7月の終盤のうちに新しいデスクトップ機を購入してあるからだ。かねてからの半導体不足で、そっち系の仕事をしている知り合いによれば、あちこちのオフィスでパソコンの調達遅れが続出しているというし、早々のうちに円安が底なしで進むことは判っていたから、動けると思った瞬間に動いたのである。
 この代替機もゼロから組もうかとも思ったのだけれど、パソコンショップで相談に乗ってもらううち、既製品モデルをカスタムベースにして使い始めて、必要に応じて中を開けて機能アレンジを加えていく方が安価で作動保障も確実だという結論に達した。
 CPUはCore-i7、メモリーは16Gあるが64まで増設可能、まあ最新機ということでSSDも512入れてある。これに1TBの増設ハードディスクその他もろもろ込みで、税込20万ほど払って持ち帰ってきた。

 これだけのブツがあるんだから、さっさと乗り換えればいいものを、何しろ設置スペースからして荒れ放題だし、この期に及んで指先の関節リウマチ症状が痛すぎるしで遅れに遅れ、今月に入ってようやくじわじわマシな更新準備を進められるようになり、その途中で今日『ちょいと』現行機の掃除をしたら、こんなことになったというワケだ。
 逆に、過去10年間不便で困り果てるような致命的トラブルも起こさず、酷使に耐えてよく頑張ってくれたものだよ。まだ死んだと決まった訳ではないが、感謝感激である。

 以前Windows7から10に移行するにあたって、Win7のシステムディスクをバックアップする必要にかられたこともあり、ハードディスクもSSDもそっくり複製できるコピーツールも買ってあるし、まあこれを機会に早く新機に乗り換えろということなのだろう。そもそも新機がもったいないよ。
 いろいろやってどうしても現行機が動かないようなら、ハードディスクを順次コピーして新機に移していけば良いのだ。現行機は落ち着いたら新しい中身買ってきて入れ替えちゃうってのも、いずれはアリで腹づもりにしていて良いのかも知れない。
 つくづく私は、機械に関わる行き合わせに運のあるオトコなのである。

 ま、多少ムリめを押しつつドタバタするんだろうけど、一気にパソコン代替だな。くだんの新機についてはいずれ詳細を紹介していこうと思う。
 以上、そんなこんなで今日はもう疲れたので、ビール飲んで早めに寝ます。

 次回は問題なく新機からの更新ができるのか?
 新たな障壁にぶつかって再びモバイル機からここの更新になるのか?
 …ってことで、今回は私こそグッドラック!おあとがよろしいようで。
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【1101】経済指標スケールで刻む最新版進化論 [ビジネス]

 円安が進んで、146円/ドルを割り込んだ。だから言ったろ、当たり前だ【1096】
 150円/ドルでも済まずに、もっと行くんだろうな。

 簡単なハナシで『日本経済の価値が明確な変化点をもってプラス指向に転じる』という確定的事実が起こらない限り、円安は止まらない。絶対に、だ。
 もちろん外為取引にもいろんなヤツが絡んでいるので、このただならぬ円安基調を見込んで、例えば『今こそ底値で円を大量買いする一発だし抜きのタイミング』と見切る勢力は必ず発生し、それなりに円安はちょびちょび揺り戻す。
 だから金融市場は読めない、どう転ぶか判らない…ではなくて、キホン『日本円市場が自己バリュー向上マインドを喪失している』のだから、揺り戻しの瞬間値をすかさず食って小まめに採算を合わしていくような生き方で喰い繋いでいるのでもなければ、手堅く『円安は行きつくところまで行くもの』という前提で態度を決めるのが普通だろう。

 妙にこっそりと報じられた感のある『先般の市場介入で2.8兆円スッた』というハナシが本当だとして、よく消費税1%ぶんで税収2兆円…みたいな概算があるんだから、あっという間に消えてなくなる140円台/ドルのためだけに、このくらい狂った財政出動を『必要な対応』『断固たる措置』と呼んでやらかしちまうのが、黄色いサルの経済崩壊地帯ニッポンだってことだよ。

 とりあえず本件『経費2.8兆円をかけて144円台/ドルから140円台/ドルへの円高効果の実績を上げた』という国務なのだが、私イチ国民としてはこれの『費用対効果』の解説を聞きたい。一般国民の日常目線では、為替レートの数値が一瞬ちらっと動いただけでしかなく、何の生活向上にもなっていないからだ。もちろん災害回避でもない。
 まず『日銀市場介入の効果』は何だったのか?
 『断固』などという表現を使うからには、明確に結果があるはず、それを答えろ。

 反面、消費税率に換算して年単位の長期間にわたって家計を圧迫するレベルの資産拠出を国家財務として実行してしまっており、実に軽々しく交わされる通説として『将来の税収で埋め合わせする』という解決策が想定されているのだとしても、その清算処理の計画全容とスケジュールの始点・終点が公開されるべきである。そうでなければ日本国民は、少なくとも数年スパンの生活中期計画が立てられない。

 これさあ、別に能無しの大臣職やお飾りの中央銀行に何か答えろとは言わんし、どうせ理屈にも冗談にもならない寝言しか出て来ないだろうから今さら問い詰めようとは思わないんだが、こんな時こそ学術的ストレートに学者・研究者が赤裸々な解説を入れてくるのが正常な社会機能のあり方ではないのか。
 …ってことで、昔むかし『学術会議』と呼ばれる何だか意味不明・役割不明の仕組みがあって、そこに学者・研究者の名札を一応ぶら下げただけみたいなのが名前並べて世間話ぐらいはしてたんだろ?
 元々はどうにかでも、政治の押し引き=特定の損得レベルの都合からは切り離された社会運営の意思決定機関であったはずで、これがどこまで組織設計の当初意図通りに実効的に機能していたのかは知らないが、とにかく数年前に『現政権に逆らう学者は消す』みたいな象徴的な強権発動をやったんだよな、この黄色いサルのサル山は【890】

 ここで改めて気付いておきたいのは、この学術会議とやらも国家運営システムの一環にはカウントされているようなので『学者・研究者のネームブランドをおいくつ引張ってきて並べましょう』と、みんな大好き法律・ルールとして明文化されている事実だ。
 端的に、当時の古電球がこれを違法行為として独断でいくつか間引いてハブってしまっており、数が揃わないまま長らく放置されたことになっている。無能の司法機関はとぼけて職務を放棄、古電球を拘束せず知らん顔で泳がせたまま今日に到る。
 あれさあ、まだ不足数の補填はされてないんじゃないっけ?ちゃんと埋めたの?

 こういうとこ、自称ボス猿を血祭りにあげて八つ裂きにして晒すとこまでやらないんなら結局は横車を認めたことになっちゃうし、だから何となく座学のお受験勉強だけはしてるんだけど、ダラダラ何にもしないできないの非・実力派ちびっこ青瓢箪人種から抜け出せねえんじゃねえの、日本の学者・研究者の社会層って?

 やれ規則だルールだ法律だ!それが現代人の洗練された行動規範だ!と目の色変えて騒ぐのも結構だが、実情に照らしてガチに社会メリットのある決め事を、その場にいる人たちの理解と納得のもと、どうせ運用するんならマジメ正確に運用しないと、全ては時間の無駄のブラック校則にしかならない。
 規則だルールだ法律だ!は『傍若無人の横行に歯止めをかけ、理知性の交通整理で物事を解決する法治社会』の平和を無条件で保証する催眠術の合言葉ではないのだ。
 ヒトとヒトが干渉し合って、友好的にせよ敵対的にせよ対人関係が発生する。そこで交わされるコミュニケーション=交信の局面において、いきなりの原始的・本能的な行動に走るより手前の意思決定段階で、『規律』『ルール』なる情報処理領域の規制パワーをかけることで、みんなが自分勝手による損害を被らずに万遍なく幸福になれる折衷点を探そう。
 これが法治社会の原点であり、結局は人間同士で成す社会組織である以上、『法治社会』と言いつつも『ヒト対ヒトの行動規制』こそが社会空間全体の一体性・一貫性を維持する原動力なのである。
 直接対面する人格の無い『法律』という事物に向かって、相手と自分の意識の衝突もさせず折衷もせずに、相手のいない作業行為で作文を練り上げ独りよがりの正義を吐き捨てたら、それを自動的にヒト対ヒトの規制パワーに変換してくれる便利ツールが『法治社会』だなどと勘違いしてはいけないのだ。
 ヒトに言えず抱え込んだ思いを壺の中に叫んでも、現実のヒトは何も変わらない。

 まあいいや、あほの中央銀行に大枚はたいて無駄な市場介入を繰り返させないこと。
 国民の側が『法治国家』をダシにされた立場を言い訳にして諦めたりせず、国政への監視眼と抑止力をきちんと持つことから考えないとマズいと思った。もう日本国民は中央銀行の市場介入について基礎知識を持っているのであり、政府の勝手で破滅的な行動には出られないと肝に銘ずるべきだ。
 この1億2千万人日本国民のチカラと独裁者気取りの政権勢力のチカラの拮抗の構図が、僅かでもハタ目に明らかになり始めたら、それが根拠となって多少は円安が緩和し円高の傾向が顕れるのではないかと思う。

 あらら、妙にオチのつかないところでいい分量になっちまったか。だが現実だ。
 円安は確かに困ったハナシだが、世界標準で経済マネジメント能力の信頼性バリューとして見れば、この程度でしかない黄色いサル山の価値なんてこんなもんじゃねえの?

 困った困ったの自覚でオシマイなら、それが現状ニッポンの評価額だってことさ。
 評価額は変えられるし、変えるものだ。サルから人間、さあナンボ?では御幸運を!
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【1100】業務負荷は遊休資産ファイル棚 [ビジネス]

 暗いジャマが割り込んじまったが、実はNHK朝ドラのハナシをしたかった。
 東大阪のネジ工場かあ。私は尼崎のトランス工場で夜勤バイトやってたぞ【105】

 電王堂・特命係長の作業着姿がよく似合っていてカッコいい。主人公の舞はお隣のお好み焼き屋さんに『ほな!』とお別れしており、本作の大阪弁会話の完成度は一段と高くなっているが、さてネイティブ大阪弁講座【1022】の第二弾である。
 『そないなこと言うても…』というフレーズが何度か、お好み焼き屋さんとのお商売切り盛りの世間話の中などに聞こえた。

 まず、このシチュエーションでこの用法は正しい。言わなくはない。
 ただ『そないな』が通常ペースの会話で出るのは、明治・大正生まれ、つまり高度経済成長期育ちの私から見て祖父母世代のイメージが強い気がする。
 私の父はまさに東大阪の町工場に勤める昭和2(1927)年生まれだったが、もうこの世代になると『そんなこと言うても』『ほんなこと言うても』が普通であり、さらに日常会話では最初の発音が呑み込まれて『ンなこと言うても』あたりがスタンダードだったと思う。
 もともと日本語として正しくあろうとするNHKのはずなので、アタマの一音を呑み込むフレージングは、ついつい日常口語の『崩れ』として直されてしまったか。

 あと夫婦間で『黙っとった、堪忍やで』も、日常会話での流れ的には『黙っとった、ごめんな』の方が発生確率が高いっちゃ高いかな。まあ当時の旋盤工や溶接工など、戦中戦後を貧困・低学歴で育って腕っぷし一本で生き抜く古風な職人気質がまだ世間には色濃く漂っていたし、決して不自然な響きではないのだけれど。

 …で、高度経済成長期のこの時代、関西弁は…というか、恐らく他の地域の方言でも似た例はあったはずだが、他地域とお互い共有されない独自のニュアンスで流通する単語は幾つかあった。
 大阪の下町では『アホー、そっちやない』などと、親密に砕けたライトな否定として相手を咎めたり修正したりするのだが、東京モンに同じノリで気軽に声を掛けたところ、『あほとは何ですかっ!』と本気モードで対抗されてしまったというケースが実際あったという。
 一方『バカ』は、テレビアニメ=標準語の流通空間で出遭った記憶しかない。当時としては標準語のけなしコトバとして位置づけられていたはずである。

 もうひとつは女性、特に主婦間で世間話をしていて『もお~お、ちょっとお~』『やだ、カンベンしてよ』ぐらいの感覚で『アンタ、いやらしいこと言いな』あるいは『やん、もう、やっらしい~!』などとケラケラ笑っていたところ、やはり東京モンが『いやらしいとはどういう意味ですかっ!!』と真顔になってしまった話を聞いた。標準語的には『いやらしい=淫猥』という意味でしか流通してなかったんだろうなあ。
 ともあれ、恐らくは平成初期あたりに、たぶん漫才ブームか何かをきっかけに関西弁をしゃべる連中が全国ネットに頻出するようになり、一気に精度高い関西弁の普及が進んだような記憶がある。

 ところで大学時代に私が東北地方で自動車教習所に通った話はしたが【951】、一緒に申し込んだ学友ともども最初にぶつかって途方に暮れたのが『コトバの壁』だ。
 当時のことなので男子大学生ともなると運転操作の基本ぐらいは既に心得ているワケだが、隣で教官がナニかぐじゃぐじゃぐじゃっ…としゃべって、しかしその言語が理解できない。
 え?あれ?何か言った?…と戸惑ったところへ、いきなり助手席から教官ブレーキをガツン!と踏まれて『バガァー!おめ、なあにやってんだばはー!』と怒鳴られるところから始まるのだ。
 だがそこから続く次の言語がまた理解できないため、何を間違えて指摘され、どうしろと指導されているのか解らない。同じ失敗を繰り返していいとも思わないのだが、運転教習の真最中に『ええと、もう一回ゆっくり言ってください』とも返せないし、訊き返したところで意味が解る気もしない。あれには真剣に困り果てた。
 申し訳ないが、我々たかが二週間ほどの教習期間では最後まで原住民の言語を100%理解することができずに終わっている。のちに原発事故で大変になったあたりの地域であり、関東にまだまだ近いと映るあのへんでも東北弁は手ごわい。

 『言語』という情報体系には、日本国内だけでもこれだけ多様性があって、意外なところで共通認識の空白地帯的な行き違いもあるのだが、何だかんだで生まれて初めて遭遇する方言でもある程度の意思疎通はキホン不自由しない。言語というのは、案外と発信vs受信の間で幅をもって流通するファイル形式だということに改めて気付く。
 裏返せば、これを社会組織の中で持ち合うため一義性で機能するように作り込もうとすると、ただならぬ特殊な熟慮が必要だということだ。言語情報の作成と流通は非常に高負荷の作業であることを理解して、よく考えて費用対効果の出る運用を心掛けよう。
 『書面に残しとけば間違いない』程度では、所詮オトナ職場の『仕事らしきもの』にしかならない【971】

 最近のニッポン製造業の現場事情がどうなっているのか詳しくないが、かつてISO認証の9千番台【34】が標準書を基軸にした言語情報の業務整備を管理しようとする試みであったと思う。
 『あなたの仕事は何ですか?』と抜き打ち質問されてコレコレこういう回答が返ってこないといけないだとか、全ての業務に標準書が揃っていて、それらが陳腐化しないように毎年アップデートしましょうだとか、そのアップデートもまたいついつに誰が何をやるのか、標準書はどこにどう整理整頓され保管されていて、それをメンテする人員の業務スキル具備要件は…だとか、軒並どこもかしこも技術開発の本業そっちのけで、この無限曼荼羅ライブラリーごっこをネタに何をヒマなコトやっとるんだ状態であった。

 企業も役所も社会組織は『自我』『主観』『意識』を持つ生命体であり、遭遇する現実に対して『主観』でとらえて『記憶』と対比整合の上でGO/NO GO判定して対処行動を選択する=『意識』を持つ。
 この『記憶』を言語情報化して文書ファイルにし、組織内で活用の最頻化・最適化が図れる仕組みが作れていることこそ組織の優秀性の尺度となる…という理屈は解らんでもない。
 だがヒトのコミュニケーションにおける言語情報の不確定性の認識と、その実地運用にかかる工数の現場現実の負担感の想定が欠落しているのだ。アタマでっかち事務方の脳内理論をデスクワーク領域だけで一面的に構築してしまった『机上の空論的ハリボテ認証システム』の印象というのが正直なところである。

 製造現場はこんなもの二十世紀のうちに失敗を体験学習してダメ出し済なのに、2020年代にまだまだ事務屋の背広人種はその欠陥の肌感覚さえ考え及ばず『作文してオワリ』が大好きなのである。
 何とかしてよ特命係長。島のお祖母ちゃんもカッコいいぜ!では明朝グッドラック!
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【1099】大根劇アラートで知る組織骨格の経時劣化部位 [ビジネス]

 なんっか、おっかしな雰囲気になってきたなあ、この政権の足取りのもつれ方。
 大丈夫かーおい?ではなくて、圧倒的多数の1億2千万人日本国民は浮足立たず、物事の行方を冷ややかに眺めるだけになるんだけどさ。

 我々日本列島で日常生活を送る一人ひとりの立場からは、半島でどの程度の花火があがったとか、どこまで飛んで落ちたとか知りようが無い。それはしょうがない。
 いや、世間知らずの平和ボケ国民が現実を直視せずのうのうと安穏を決め込んでいたところ、ある日あっと気が付いたら隣国から軍事介入され、なす術もなく侵略されてしまいました…という展開は、想定しようと思えば一応できるよ?
 もちろんマジメな国家危機管理の観点から、自国をあけっぴろげノーガードの完全非武装にして『戦争ハンターイ!』で国民の安全が守り切れると思い込むのも、これはこれでどうかしていると確かに思う。

 だからって現時点で、お隣の半島から人工衛星でもミサイルでも良いんだけどさ、ナニか打ち上がるとおどろおどろしい空襲警報で不安を煽るってのも、それはそれでおかしいだろうよ。
 キホン数ある前例と変わった様子もなく、新規性の特別な危険を検知した訳でもないのに、一昨日の朝7時半は異常に仰々しい雰囲気になってなかったかアレ?

 日本の上空を通過して太平洋に落下ってのが本当だとして、確かに妙な失敗をされると手前の日本国土のどっかに間違えて落ちるという事故モードは考えられる。だがそれを心配し始めたら、他のさまざまな飛翔体まで対象に、いちいち墜落の心配してしょっちゅう空襲警報出さなきゃいけなくなるようなコトになんないか?今回あの勢いで『安全な場所に避難を』の空襲警報をガナった理由を正確に知りたいのだが。

 国内景気改善の方策を見失った現政権は、もうウソでもデタラメでもなりふり構わず、高額の公共事業にGO宣言だけでもかけたくてしょうがないのではないだろうか。
 思惑通りにニッポン全国コンクリ防空壕の建設ラッシュ景気が実現すると思っているヤツもいないと思うが、だとするとGO宣言で景気見通しの好転を口走れる瞬間だけ作って、その僅かな隙に財政職域から逃亡しようとする愚か者どもの渦巻く魂胆が垣間見えたような気がする。

 半島から何か飛んだら『恐怖の大王、空より来たる』の大ゴトめかして空襲警報をアピールしましょうやとでも事前通達が出回っていて、それなりの用意はあったのではないだろうか。NHKの解説者は、恐らく『庶民向き初歩的な専門用語』のアンチョコ片手にナレーションを入れていたように聞こえた。
 でも勘どころの働かない俄か解説者がぶっつけ本番の付け焼刃で語るもんだから、専門用語がちゃんとアタマの中で意味を持って文章に組み立てられてないのがアリアリの口調もいいところで、それでも口ごもったり噛んだりしなかったのは、さすが実質国営メディアの面目躍如といったところか。
 いっぽう声明発表のため登壇した瞬間からカッチカチの棒読み噛み噛みで、単語や文節の区切りも脳内空っぽ状態が素通しだったカンボー長官はまさにハリボテ無知無能、今もってこんなポンコツ昭和文化の人事が国務に幅を利かせている惨状を、改めて再確認せざるを得なかった。

 ま、トークスキルが少々ヨレるのは状況からしてやむを得ないところもあり笑いごとで済ますとして、NHKでちょっと気になった点がひとつ。
 バイデン爺が今般の一件とは全く無関係にどっかで何かの演説やってた他の映像を画面に流しておいて、『アメリカ合衆国はまだ詳しい声明は出していないが、詳しく調査分析を進めていることと・思われます』などとナレーション入れるのはどうかと思う。イチ視聴者たる私の評価視点で『フェイクニュース』として明らかなクロ判定だ。
 勝手な憶測で『アメリカ合衆国』を主語にした『思われます』論調の文章をわざわざに速報仕立てにして、映像付きで重大感の迫力を漂わせた理由は何なのだろう?日本にブツが落ちて来るのを心配して身構えるのなら、必要な情報ではなかろうに。

 ところで『北海道と小笠原諸島』という警戒対象地域は、発射地点が北寄りの、特に半島のみならず海上まで含められるとすれば、北海道上空を通過して着弾予想地点が小笠原ってのは普通にあり得るはずで、実はそんなに不自然だとは思わなかった。
 ところがこれが後になって『システム上の不具合』だと?ナメとんのか。
 以前の訓練で使った設定データが消えてなかったなんてバカバカしい説明は当然信じないが、こんなエエ加減な空襲警報に一体どのくらいムダ金つっこんでるのか、そっちを聞きたい。
 世襲のガキが生前せっせと防衛費増額の焚き付けに入れ込んでいたからには、相当くだらないインチキ商売が横行しているはずだと前々から疑っている。宗教団体とねんごろになってたとこだけじゃなくて、こっちもその気でガサ入れればわんさか埃が出てくると思うがね。

 半島で核実験やるたんびに周囲が騒ぐのは、まあ多方面に親密な国交を深めるタイプの国でもないから、不穏な使い方を視野に入れての技術開発ではないかと疑われるのも無理のないことだとして、まあしょうがないかなとは思う。今後も核実験をやる可能性があるだないだじゃなくて、あるだろうよ。
 ただ過去に他ならぬこの日本国が経験している通り、国際社会でガチに悶着を起こそうとすると、人的にも物的にも圧倒的な資源量が持てていないと力尽きるしかない。つまり半島の統治状態がどうだかはともかく、いま決して本気で世界を相手に敵対行為を仕掛けるような自滅政策には走らないはずなのである。

 そんなものよりも、国内ウチワ利権でのボロいカネ儲けを目当てに乱造した原発、モロの現実問題として大事故を起こしたその構造欠陥の抜本的対策がどう打たれたかも解説されないまま、いきなり幾つも狂ったように再稼働させようとする国政とどっちがヤバいのか、その方がよっぽど1億2千万人日本国民としては気が気でないぞ。

 …などと考え巡らせていたら、今朝また何か打ち上がったらしい。
 調子に乗られて本当に間違えて日本国土や領海内で事故を起こされたらたまったものではないので、きちんと非難の声明は出しておくべきだと思う。
 だが、まだ世界経済に従来踏襲の惰性で過ごせる余白が残っており、いきなりに隣国が国際的な攪乱を起こすメリットも無い今のうちだからこそ、日本国は何より真面目に基幹産業の再構築を急がねばならない。むしろ地道に積み上げて今日ここまで到達した半島の国力構築を、怠けて崩れた現代ニッポンがマネだけでもできるかどうかの方が心配になる。

 あ~他のハナシしようと思ってたのに、なんとも世知辛い一回になっちまったよ。
 まあ、この奇妙な空襲警報が自滅財政の公共事業乱発に警鐘を鳴らしているってことだから、次回以降はみんなでよく見て注意するとしましょう。
 今日も平和な日本社会にグッドラック!
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【1098】諦めない人工知能の未来抽象画力 [ビジネス]

 NHK朝ドラ『ちむどんどん』が完結した。いや~面白かったと思うよ。
 最後の最後まで期待を裏切らず、宇宙家族の奇行奇談で走り切っており、最後は全員無理のありすぎる加齢メイクでコントのような後日談、笑える幕引きであった。この一貫性は見事だ。
 もういっぺん通して観ようとは思わないが、再放送やっているのを見つけたらチラ見はするかも知れない。テーマソングのアニメは絶品の美しさだし、毎朝のアレがなくなるのはちょっと寂しい。

 だが沖縄の本土復帰50周年記念企画だという話が本当だとするならば、その目的に対しては大失敗だろう。正直どうしようもないレベルの落第点である。

 やっぱり学習途上の人工知能で作話したんじゃないんですかねえ、これ?
 もしくは人間がやるにしても、初期草案の作話段階で『インパクトのある大事件』というお題で、あらかじめ情景設定ヌキで思いつくまま自由記述したカードを書き残しておき、それを無作為に一枚選び採って、選んだ一枚には死んでも従う…みたいな手法を採用したとか。要は人間にとっての自然な共感を敢えて断絶し、『機械的』に内容を決めようとする意図があったのではないかと言いたい。
 そりゃあもう、関心事のきっかけだけ作っておいて放ったらかしにされた劇中アイテムは数知れず、また大勢の脇役キャラクターが名前も語られずに消息不明のまま幕が落ちてしまった。演劇系エンタメ作品の完結度としては、空前の歩留まりの悪さではないかと思う。

 最終回の直前にもなって末娘が大概しんどそうな顔で寝たきりになり、最終回で医者も思わせぶりな台詞を吐いて、そんな状況でいい大人たちが病院を出てタクシーで連れ立って出かけ、海に向かって叫ぶ…という奇想天外な展開は、昭和の青春ドラマを何本も見知った私でも到底思いつけない。
 そう言えばこのドラマ、死亡フラグが立つ立たないの大枠も見えないうちにいきなり一家のお父さんが死んじまって、視聴者一同あっけにとられたところから始まっているのだ。ここへきて今さらハラハラもせず、最終回に末娘があの世行きってのもアリかな?だとか、新たな連ドラ先読み娯楽の新境地を切り拓いた感さえあった。

 これだけ人間の一般的思考の法則性から外れた物語の展開を、シーン毎にあれだけ真直ぐ演じ切った役者さんたちの努力には感服する。コメディでもなく、ホラーでもなく、サスペンスでもなく、意味不明のシチュエーションを指示する台本だけ手渡され、あの成果物が上げられるというのは大したものだ。
 実際ここでの役のイメージに引きずられて印象が悪化した役者さんは一人もいなくて、恐らくこれは私一人の特殊な感想ではあるまい。ビミョーに困惑した『朝ドラ受け』や反省会ハッシュタグでの発散を楽しみながら、むしろ総じて役者さんたちの好感度は高まったのではないだろうか。

 NHK朝ドラをネタにわざわざ難しく捏ね繰り回すのもどうかと思うが、文書の指示が結構とっちらかっていても、それを分別ある現場が良心的に解釈して具体化するなら、そんなに険悪なデタラメ崩壊には終わらないってことなんだろうな。『NHK朝ドラだから』という特別な条件はあったにせよ、ドラマ本編の内容を越えていろいろと興味深い知見が得られた作品だったと思う。
 来週からは鳥人間コンテストの話らしいから、引き続き視聴を続けることにしよう。

 さて、コトほどかように作文して文章に書き落とされた言語情報なんぞ、いざ現実に起こそうとすると物凄い不確定性を含んでいるモノなのである。文章とは、ありていには辞書に記載された内容までしか人間共通の行動の拘束力を持ち得ないのだ。
 だが受信した人間は『解釈』なる情報処理をした上で、意識的に行動を選択する。
 つまり主観として『ああ、コレコレこんな供述をする文章があるなあ』と認知したら、それを本人独自の記憶ファイルと整合させて、次の行動のGO/NO GO判定を下す流れとなる。どんな記憶と突き合わせて、どっちの判断を下すかで全てが決まるのだ。
 お判りだろうか。『作文する』という目的事象で何の文章をいくつ書き溜めようが、そんなもので人間の行動を制御しようがないのである。

 二の句に次いで『ルールだ、決まりだ、明文化だ』ばかりやっていると、組織全体が何をするにもまずマニュアルを探す時間の無駄から始めたがるようになり、いっぽう組織活動の本来実績としてのメリットvsデメリット評価概念もそっちのけに、合法vs違法ばかりが気になって、これまた無駄な適否議論ばかりに時間を浪費する組織体質が定着してしまう。だから日本の職場は効率悪く生産性が低いのだ。
 ついつい『組織に従う構図』を金科玉条の前提にして、ならば『ヒトではなく組織による具体的動作の束縛で管理すれば全ては整然と統治』という思考停止ルーチン制定の方策に走りがち。ほかっておいても、豊かな日本列島がまずひとまとめの集団をカタチ作らせてくれていたこの民族は、大自然の道理でもない現代文明の障壁に立ちはだかられた時、建設的な組織の舵取り手段を思い付けない。
 あれもこれも生産と成果を実感しながら楽しめる取り組みでなくなってしまい、いつしか思考停止してどこかの誰かの記憶の断片を探しては隷従してなぞるだけの虚しい徒労で寿命が削られていく。高齢化ニッポンは、これ以上収穫の無い不毛な加齢を重ねる組織体質を作り込んではならない。

 特に今夏あたりから爆発的に拡散され話題になっている描画AIの進化がいま本当に凄く、そりゃあ本業でやってるイラストレーター職のヤツが廃業を嘆き始めるのも無理はない。要は『コレコレこんな絵を描いてくれ』とオーダーすると、それに応えて人工知能が作画して返してくれるサービスのことである。
 まだまだ学習過程の初期段階なので、かなりの確率で的外れの絵も返って来るのだろうけれど、何より人工知能くんがギブアップしないところは面白くも凄くて、人間は真剣に見習って生き残る手を考えないと、文明社会での居場所を失う結末が明らかに見えてきていると思う。
 例えば『生命の組織倫理を探索する思考のひとやすみ』などとオーダーをかければ、とにかく何か絵を描いてくれるワケだ。これが気の利いた抽象画まで行くかどうかは現時点でまだまだ怪しいんだけどさ。
 それにしても、初見の難課題を『主観』でとらえて、サーバー内やインターネット上の『記憶』を交えて、どうにかでも高速の計算処理で結果を創出し、GO出力で返してくる作動保証の信頼性は、既にそこらのガラクタ人材を大きく凌駕していると言えよう。

 …と言いつつ、私もえっちらおっちら作文してるんだよな、今ここで。
 但しその目的は、おいでくださっているお得意さま各自の内々にある『自前の自我』に、取り上げて話題にしている事象に関して『思考』していただくことである。面白くて生産性のある『思考』が巻き起こせれば、私なんか考え及びもつかない優れた出力が、あちこちから自然発生するはずなのだ。

 次の朝ドラは『舞い上がれ!』だっけ。直球で期待して、週明けからグッドラック!
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