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【1236】懲りない廃墟ニュータウン宅地開発の新人研修ツアー [ビジネス]

 そうだイカン!道路交通の大雪立往生の回【1225】にひとつ書き忘れていた。
 命にかかわり得る内容なので、取り急ぎ追加情報を突込んでおこう。

 車列の中で身動きが取れないまま積雪が嵩むと、車体周囲を雪が塞いでしまい、排気ガスが車室内に侵入してくる危険があると述べた。
 ならば排気管にホースをつなげて延長し、反対側をリアワイパーやルーフ端などに固定し、積雪に塞がれない高さで排ガスを逃がしてやれば良いのでは?

 結論は『NO』だ。やってはいけません。
 排気ガスは車体前部のエンジンから、ミッチミチの気密経路でお尻の排気管開口まで引かれているのではない。『排気』なんだから、環境適合や保安基準さえ満たしていれば車としては捨てるだけ、それより排気系は高温になるし、いきなり水は被るしの厳しい作動条件下で故障など起こさないことの方が優先度は高い。

 まずそこそこの長さの細いホースで延長されたぶん通路抵抗が上がり、排気系の最終出口が詰まり気味になるから、末端で素直に出て行かないからには、内圧が上がって途中のあらゆる接合隙から排気ガスが洩れ出し、結局は路面と車体底の間に排気ガスが溜まってくるのだ。
 むしろホース延長で『もう大丈夫』と油断しているうちに車体周囲を積雪に塞がれ、ドアを開けるのも困難になったところを、ホースが強風で折り曲げられて塞がる…など事態の悪化を招く危険がある。

 雪かき作業といえば、そりゃあもう手は痛いのを通り越して感覚なくなるし、顔もピリピリちぎれそうで表情変える気がしないし、僅か数分でも体じゅう雪だらけになってありとあらゆる体温を奪われるし、そうやって極寒地獄の重作業から生還して戻ってきた車内で、あったまるための飲み物も待っていないとなると、本気の本気で雪かき作業そのものを最初からサボることを考えてしまうのは重々理解できるが、残念ながらこればっかりは負からない。手も気も抜くと、死ぬぞ。

 排気管延長がお手軽な排ガス侵入事故の対策になるくらいなら、とうの昔にカー用品店で気の利いた専用パーツが商品になって並んでるはずだ…と気付いていただきたい。
 こんな簡単で安価に商品化できそうな便利グッズが無いという事実の裏には、無いだけの理由があるのだ。まだまだ突然の大雪に巻かれることもある今の季節、どうか御安全に。

 さて一気に話題を宇宙に向けて、いいタイミングでJAXAが画像を公開してくれたが、月面探査機“SLIM”くんは脳天から月面にごっつんこの状態か。
 SLIMくんのこんな姿の現状を撮影してくれたのは着陸船本体から分離した小型ロボットだとのことだから、コイツが生きてここまで機能してくれただけでも万々歳である。でもコレ電源供給どうすんだっけ?電池切れたらオワリだっけ?

 地球の六分のイチと言われる月の重力だけれど、軟着陸するためには着地速度を落とすため噴射ノズルを月面に向けなければならないはずで、だとすると着陸態勢に入ってからの姿勢制御が何かうまくいかなかったんだろうかね。画像を見る限り、バウンドしたり転がったりした痕跡は無さそうだから、マンガみたいに頭突き一発で止まったってことか。
 ほぼ原形を保っているし現時点でも十分なラッキー、昭和の時代からこんだけ地球にUFOが飛来していて宇宙人との交流を公表する人たちも少なからずいるんだから、誰かちょっと宇宙人に頼んで起こしてもらってくんないもんだろうか。

 月面に大気は無いので、強風に流されたり雨雪などをもたらす擾乱(じょうらん)現象にも巻かれない。ある意味ラクなのだが、空気抵抗が無いからには落下傘原理の降下着陸装置も使えない。
 接地速度を落とす手段は、月面に向かって月着陸船自体の質量の一部を射出する以外に無い訳で、つまり月面に狙って着陸するためには38万キロの航路を飛ぶ間、その操縦操作に足るだけの質量の余裕と射出機能を温存しておかねばならないのだ。なるほど技術的にはタイヘンなミッションなのである。
 夜にちょっと見上げると、荒地は荒地にしても、機械デバイスをあそこまで飛ばして降ろすぐらいやれそうな感じはしてしまうもんなのだけれど。

 因みに火星は二酸化炭素主体の大気がありヘリコプター型の探査機”INJENUITY”(インジェニュイティ)が何度も地表面で飛行と着陸に成功している。あっぱれNASA。
 気体成分で決まる流体特性も、温度・圧力などの状態量も、これまでの火星探査の測定装置に検知できている以外は未知の大気だから、いわゆる『二重反転ローター』にして反力を相殺し、テールローターを省略する設計思想は正攻法であろう。
 もう何十回も飛んでいて離着陸でコケたハナシは聞いた記憶が無いのだが、激しい砂塵嵐の砂礫チッピングにでもやられたのかローター翅が破損してしまい寿命なのだという。残念だが、よくそれだけの回数を持ち堪えて繰り返し飛んだものだ。
 独立制御のテールローターを自分で操作しないといけない狂気と錯乱の『レボリューター』【1116】よりは操縦がラクチンな気もしないでないが、大気も重力も異なる環境の火星表面で回転翼機の飛行を成功させたのには驚きである。

 『銀河鉄道999』で地球から出発して最初の駅が火星だった。メーテルによれば、

 火星の気圧を人工的に地球並に引き上げるのに1世紀かかったわ。
 今では人間が暮らすのに何の不自由もないところ。
 でも地球の植民星としていま住んでいる人たちの大部分は機械の体の人たち。
 なんて無駄な努力を、人間はしたのかしらね…

 推察するに、先に生身の人間たちが火星での拠点生活を実現し、次いで機械の体が普及したという順番である。人間の心身構造のメカニズム解明が火星植民地化よりも難度高く見積もられており、結局両方ともクリアしたその先が『銀河鉄道999』の世界なんだよなあ。でもコレいずれ訪れる現実化の順番があったとして、逆順なんじゃないすかねえ。

 外宇宙に張り巡らされた『無限軌道』を光速以上で駆け巡る銀河鉄道の技術体系は、これまたメーテルの解説によれば『遠い外宇宙の滅亡した科学惑星の遺跡や異星人から手に入れた、人間の科学力以上の知力』ってことなのだが【994】、そんな遠くの他人事でなくとも、人工創出物AIが叶えてくれる可能性の方が現実的ではないだろうか。
 別格の情報処理能力でAIが提示してきた新たな世界モデルに、人間が心を開いて迎合し実用に動けるかどうかがネックになると思う。

 『進化』の余地を保証されただけの自由空間で『おのれを越える能力を創出し、その優位性を認めて身を預けられる柔軟さ』こそが、高度情報体バトルフィールドでの生存能力の必須要件だ。
 この現代の地球上で、未来の銀河超特急を引張る若く新しいチカラにグッドラック!
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【1235】現実から幻までの太陽系クルーズ航路 [ビジネス]

 JAXAの探査機”SLIM”が月面着陸を成功させた。久々の明るいニュースだ。
…と言いたいところだが、どうやら着陸には成功したもののソーラー発電装置が機能していないらしい。着陸後のSLIM発信データが地球に着信しているそうだから、月面に着陸し損なってバラバラにぶっ壊れたワケでは一応なさそうだ…ぐらいなんだよな。
 このところロケット打ち上げも失敗が続いた感があり、そりゃ内情も知らない外野がテキトーな文句も言えないんだが、それにしても近年『ニッポン宇宙開発技術、どうしちゃったの?』的な不調イメージが拭えなかった。
 まあ調子の上がらない時はあるもんだし、大切なのは『焦らないこと』である。

 月までの距離は約38万キロと言われているから、電磁波の毎秒30万キロで通信して1.3秒弱かかる。これはSLIMの身の上に何かあったとして、それを検知するまでに1.3秒、間髪入れずに受け身の制御で対応するにも、その通信が届くまでまた1.3秒かかるということだから、普通に考えて不慮の事故には間に合わない。
 まだ真直ぐ降りたかどうかも確認中なんだっけ。激突や転倒なんかで本格的に壊れてないのだとすると、いつか次に月に行ったヤツにちょいと起こして置き直してもらえたら有難いんだけどねえ。

 もう数年前のことになるが、小惑星『リュウグウ』にタッチダウンした『はやぶさ2』のお話を聞く機会があった。何しろ相手が小惑星なので、最大で地球から3億キロぐらい離れてしまうことになるのだそうだ。
 はやぶさ2のミッションは、カラ傘おばけのようにリュウグウに一本足で着地したのち直ちに離陸し、そのタッチ一撃でリュウグウ表面の物質を採取して持ち帰るというものだった…はずである。私の記憶が間違っていなければ。

 こういうミッション形態の場合、実は早々に『公転軌道上のここでリュウグウと出会おう』と決まっていて、いったん打ち上げたらそこまでの行程はひたすらヒマな宇宙の長旅…というプラン消化の流れではないらしい。
 まずリュウグウの近くまで飛んで行って、寄せて寄せて傍から眺めながら、どこらへんがタッチダウンに良さげか見繕った上で、相対位置を合わせ込んでいって『よしっ、今ここ!』のGO判断で決行するのだという。だから太陽系の地球軌道とリュウグウ軌道の漫画を描いて、地球からどう飛ばしてランデブーに持って行くかの行程は最初に確定しておらず、人間の場当たり都度の判断による手動操縦なのである。
 むしろリュウグウの十数メートル上空だったかから、せえのー!で降下してチョンと突ついて、その一撃の瞬間にサンプル採取して、帰還の準備態勢を改めて整えにかかるまでの一連のパッケージ作業の方が、自律制御による自動運転に頼っていると聞いた。なるほどな~って感じだ。

 地球から約3億キロも離れた日には、はやぶさ2からの現状報告にしても、地球からの操縦信号にしても、秒速30万キロの通信速度で1,000秒つまり20分近くもかかってしまう。
 『ほら、いま見えるリュウグウってこんなんだよ~』と送られてきた画像は20分前のものだし、『よおし、それならこっちに回り込んでやれ』と作戦思考で放った操作が到達するのは、更に20分後のことだ。
 …こっこここれは、ラジコンのように楽しく操縦できるものなのか?
 人間ってなかなか大したもので、こういうタイムマシン式の演算課題に対しても、ちゃんと学習を経て『勘』が働き、こなせるようになるものだとは聞いたのだけれど。

 これ、宇宙空間に『発信』として放った情報が『受信』されるまでの20分間、ただ水面の波紋の三次元版のように進んでいってる過程なんだよな。3億キロも離れると、人間のしょぼい五感でも『幻』の進展速度に追い付けるというワケだ。
 このハナシどなたかライブ演劇のプロフェッショナルの方、イツマ教授の名言に絡めた、観客の度肝を抜く斬新な解釈で、未来のパフォーマンス新領域の開拓に活かしていただけませんかねえ。前衛芸術系アッチの世界のアングラ演劇に終わらないよう、慌てずの焦らずで、アタマの隅っこに置いておいて取り組んでいただけると幸いである。

 さてジャガイモのような小惑星リュウグウの凸凹表面に運任せでタッチしても、真直ぐで十分な耐荷重の面が待っていると期待する方がどうかしているから、確かはやぶさ2から事前に一発撃ってクレーターを作ると共に『ひと皮むいた中身』を露出させ、その中央にタッチしたんじゃなかったっけ。
 あんな岩石然としたカタチの小惑星をあっちからこっちから見立てて、成功率の高そうな接触地点を慎重に決め、いったん決めたら今度はそこに合わせて確実に作業を命中させなければならない。

 まず着地点に作った綺麗なすり鉢状クレーター、コイツを絶対はずさないようマーキングする必要があるので、先にパチンコ玉みたいな金属球を一定数まとめて散弾にして地表に向け撃ち込んで、まずは着地点近傍一帯にパチンコ玉の星座の地上絵を作ったのだそうだ。
 はやぶさ2からフラッシュを焚いてカメラで撮影すれば、このパチンコ玉星座が輝いてくれるので、ときに見えづらくなるクレーターの陰影ではなく、星座の方を基準に、タッチダウンの自律制御が自機vs地表面の相対位置を割り出せる。な~るほどなあ。

 ナマのままではつかみどころのない自然造形=正真正銘のアナログ事象を正確に把握するにあたり、人類文明としての情報処理手法を適用するため、入力vs出力の因果がはっきりしているデジタル通信現象を『効かせる』試みではないかと、私は思うのだ。

 人間は、いや記憶ストレージを絡めた生涯を送る動物くんたち、さらに機械くんも加えて、全ての高度情報体は、ゼロイチ原理のデジタル情報を介して、環境を把握し、世界モデルを構築し、対応を決心し、そこに現実を巻き起こしている=生きている。
 そしていったん『情報』に変換された現実の全ては、ありとあらゆる通信回路に乗って受発信され、拡散され、記録され、複製され、再生される宿命にある。この世の道理なのだ。
 そのための『情報』であり『通信』なのだよ、個体間という渉外フェーズにしても、個体内という生体稼働フェーズにしても。

 え~と月面探査機”SLIM”の話だったっけ、とりあえず月面からの電磁波到達時間1.3秒はとうに過ぎていて、SLIMくんの現状について何か判ってきてはいることだろう。もしかすると『何が起こっているのか判らない』という事実が判るだけの結末なのかも知れないけれど。
 とにかく38万キロ先の月面にまで到達したのなら、地球上みたく大気現象で風化する心配はないのだから、また忘れた頃にサイエンス話題の材料になって欲しいものだ。

 天文学的スケールって、SFなどハナシとして聞いて知ってはいるんだが実感の湧かない『ホントかよ?』の理屈が、冗談みたいな直球でモロ現実に顕れてくるのが面白い。
 こんな大風呂敷をフルサイズ枠にして中身を細かく計算するような課題となると、もう人間ごときの情報処理能力でナニをどう工夫しようが、とても手に負えないデータ量・演算回数となる。答を諦めるのか?

 『人間の尊厳』なんぞにこだわってちゃ先が知れない、未来が見えない。
 好きに議論して結論出して収まればよかろう。私は先へ行く、あとはグッドラック!
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【1234】幻の男の人生想い出ファイル [ビジネス]

 お、NHK朝ドラ『ブギウギ』のタナケン御大が、オオモノらしさを覗かせ始めたな。
 ステージで観客に披露する印象とステージ裏のプライベート印象が全く違うという例は多々あるようで、大の仲良し喜劇コンビがステージから戻るなりお互いクチも聞かない不愛想同士に豹変するケースもあったと聞く。
 徹底した職業としてのステージ・パフォーマンス運営における、客席向け商品=『夢の一幕』の、重保管理の現場実情といったところか。

 すべからく『華やかで楽しさ満載のオモテ舞台vs暗く陰惨なウラ実態』ばかりだとは言わないんだけれど、とにかくショービジネスなるものは『能力と適性を兼ね備えた人たちが、そこに目標設定した共同作業で実現する成果だ』ってことですな。

 タナケン御大は『喜劇王』の実力に即した懐の深い人格者であり、共演者や制作スタッフに見せる気難しく口数少ない人当たりも『わかって』やっている、職人気質の理想像を王道で行くタイプのようだ。
 『答は自分で探し出すものです』と整理した丁寧な日本語で鈴子に種明かしするあたり、昭和世代にしてみれば到底あり得ない解りやすさである。
 これでも今どき『無駄に怖い、わざわざこんなネガティブポーズから入る面倒にはついていけない』なんて声がちらほら聞こえてきたとしても不思議は無いんだろうな。最初から、そない言うてくれはったらええのにね。

 かつては『ごちゃごちゃ言わずに持ち場に放り込んでシゴくのが一番上達が早い』という無策の叩き上げが、むしろ業種を飛び越えて金科玉条の教育理念だったとして過言ではない。
 そりゃあもう、昭和時代の徒弟制度なんぞ怒鳴られ殴られ放っぽり出され、いつまで経っても何にもかまってもらえず、それでも師匠の憧れの技巧がど~おしても欲しい弟子だけが逃げ出さずに持ち堪えて、どうにかモノになりかけた頃にせいぜい『ワザは自分で盗め』あたりでオシマイ…が多かったような。
 傍目にも誰にでも一見で理解され納得されるような、技巧も人徳も上位の師匠から、その習得に狙いを定め一目散に励む下位の弟子へ…というロジカル整流がスムーズに流れる教育現場は、全くなかったワケではないのだろうが、あんまり聞いた記憶が無い。

 この『自分で盗め』式の放置プレイ・虐待プレイの伝承スタイル、私はあながち否定的にも見ていないのだ。どんな業界であっても避けられず必ず遭遇する理不尽や筋違いに対して、ビビってなびいて大人しく収まるようなハンパ同調に終わらない判断力を育成するには、むしろ効果的だと大いに認めている。
 好きで身を置いた場所でガチに険悪な障壁マターに次々さらされ、その逆境を単独で戦い抜かねば先は無い。好きなことに取り組みたいなら、被弾するに任せて耐えるも、正面から組み合って解決策・緩和策を探るも、自分自身たった一人がナニかしないと現実が動かないのだ。この対戦モードで場数を踏んでおくことは、実用性の高い能力開発として確実に効く。
 『好きなことを好きなように頑張る』は一見効率よく伸びやかで理想的に映るが、実はちっぽけなジブン世界の中だけで思い上がった未熟な自意識が、手付かずのままその先の現実と衝突する運命にある。
 『人材育成』『能力開発』の目的に照らして、十分な成果は期待できるだろうか?

 だが、私自身がこのツンデレならぬツンツン育成スタイルでやれるかというとメチャクチャ難しい…というか、私には絶対に無理なのである。
 もう威厳も恰幅もオーラも皆無のため、厳格めかした態度を決め込んでも貧相なコントにしかならず、その居心地悪い空気に耐えられず自分から笑いで崩してしまうに違いない。その方がよっぽど真剣かつ効率的に、シビアな内容のスキル習得を叩き込める。
 ツンツン育成スタイルがサマになって効果を上げられるのは、天性の才能だよ。

 今の時代、書面なり動画なりの記録ファイルを閲覧して伝承完了、そこから先は本人の内的な情報処理体系へのインストール成否で決まるような能力習得は、完全にインターネットで片付いてしまう。
 ユーザー問わず等しく効果の上がる教材コンテンツなども不要で、壁を感じたユーザーがその訴えを発信していけば、賢いAIにより社会全体規模でその傾向が集約され、発信者に向いてそうな対策案が提示される。
 だいたい記録ファイルの内容になって流通するようなスキル単位なら、そこらで入力して出力を受け取れば良いだけのネット代行ツールがすぐ実現するような気もする。何故そのスキル単位をわざわざ自分の内的情報処理に組み入れようと思うのか?…まで立ち戻って習得目的を固めないと、イミフの自己啓発で時間の無駄をやってしまう。

 再び朝ドラ前作『らんまん』のイツマ教授の台詞が思い出される。
 『演劇とは、演じる者と見る者、人間の間にしか存在しない幻なの』【1202】

 彼の言う『幻』とは、文明や技術が実現する記録メディアにも、あるいはただの人間の記憶にさえも、記録ファイル形式として物理的に残らない『その時空に発信され受信されるまでの間だけに進行する、制作で仕組まれた通信』を意味しているのではないかと思っている。ああ~、伝わりにくそうな日本語だなあ。
 そう、ポイントは『情報』が記録ビットの『書き込み前vs書き込み後の状態変化』という物理的現象に落ち着く前の動的な段階、その一時性の浮動過程に『演劇の目的や成果の本質が存在する』とするところにあるのだ。

 『あらゆる情報は無償で流通するようになるだろう』【432】【590】とする社会予測があり、私は上記のような理解の仕方で、その予測は的中すると考えている。
 知財の創出や管理で情報化社会を生き抜いていくつもりの人たちは、至高不滅の最終目標を見つけ出せとは言わないまでも、将来何年後あたりで何の情報単位の価値を商品にしながら食いつなぐのか、戦略を立てておかねばならない。
 コロナ騒ぎで生気を抜かれるままに弱らされちまった対面コミュ業界は、新価値ぶちあげて再構築に打って出るチャンスかも知れませんぜ。

 何を隠そう、文字フォントだけで済むような薄っぺらい内容の記録情報で繋いでいるのは、このサイトだったりするんだよなあ。やれやれ、おあとがよろしいようで。
 ま、どうにかなるさ!と根拠なき楽観ビジョンの幻を放って、皆さまグッドラック!
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【1233】呉越同舟最強セッションの御機嫌伺い [ビジネス]

 阪神大震災から29年かあ。東日本大震災2011年が12年ほど前で、今年がこの北陸の震災。他にもちょくちょく震災はあったから、やはり日本列島は『地面が動き回る変動帯』の島なのだ。

 私が小学生の頃、子供向けの科学雑誌に『日本は地震が多いので高層ビルは建てられない』と解説されており、それでも当時の技術の粋を集めて常識を破ったのが霞が関ビル147メートルとされていたのを憶えている。
 昔も今も変わらない特性の地盤に、軽量骨格タワー構造とはいえ600メートル超の東京スカイツリーが建ち、今や300メートルのビルも珍しくなくなっているのだから、大した建築技術の進歩である。

 平地を求めて低所に都市構造が発達しがちな日本列島において、地震発生時の液状化現象による地上構造物の沈下が起こりやすい事実が、今般の北陸の被災状況から改めて見て取れる。
 地面強度に対して重たいものを上から載せて暮らす限り、ああなるのはキホン避けようがなく、だとするとやはり電柱に送電線は日本の街並みの生命線維持ラインならではの景観と考えて、埋設など無駄な土建工事をせず現行踏襲で構造・機能を進化させていくべきなのではないかと思う【545】

 新千歳空港では旅客機同士の接触事故が起きており、ビミョーに『航空事故連鎖のジンクス』だとか形態共鳴だとか非サイエンス的ながら気になるんだが、今しばらく静観してみよう。

 NHK朝ドラでまだもう少し続けてみるか。
 GHQ駐在員のサムが元・鈴子付き人のサヨに求婚し、一緒に渡米することになりそうな流れになっている。そう言や『カムカムエブリバディ』の安子ちゃんもGHQのロバートに連れられ渡米したんだっけ。これ、ドラマ筋書き都合だけのただの作り話でもなかったようだ。
 現代の目で見れば随分と大人しくさせられてはいたのだろうが、それでも当時にして欧米文化圏の女性は自己主張が強かった…と、これについては私の親世代でさえ洋式女権主張の実態は直接知らないはずだから、当時語られていた国際社会事情の一般論なのだと思うけれど、とにかくそういうことだったらしい。
 そんな押しの強い欧米の女性に比べて、慎ましやかで献身的な振る舞いが『躾』の領域で行き渡っていた大和撫子の精神文化は、進駐軍のオトコ連中にとってそれはそれは魅力的に映ったのだそうな。戦勝国だからといって家族が平穏無事に過ごせていた者ばかりだったはずもなく、進駐軍と日本女性とのマッチングが成立した事例は散見されたと聞く。全てが微笑ましくめでたい組み合わせだったかどうかは知る由も無いのだが…

 さてパフォーマンス現場の環境設定が歌から演劇に拡がり始めているので、今のうちに当時の音楽事情のハナシを駆けこんでおこうか。
 鈴子とリツ子にしても、彼女ら率いる楽団員たちにしても、業界仲間として仕事仲間として、キホン仲良く好意的で礼儀正しい人間関係の世界が展開している。なるほど生き馬の目を抜く勢いの潰し合い奪い合い無限バトルでは朝ドラにならんだろうしなあ。

 鈴子楽団員のメンバーたちは黙てんバックレもせず、ちゃんと引き抜きの手が伸びてきていることを公然と白状するし、その場でギャラの釣り上げ交渉をふっかけたりもしない。何と義理堅い。
 本作のモデルケース御本人が実際どうだったのかはつゆも聞いたことがない…とまず断って、やはり劇中のああいう『伴奏を従えた歌唱』という形態のパフォーマンスの場合、当然オーディエンスの人気と関心は歌手が圧倒的に背負っている。要は、大半の客が歌手個人を目当てに来場する。
 興業の商品性の在処として、歌手個人に値が付くのは当然である。それこそ客さえ気にしなければ、興行元にとってバックバンドなんぞ要らないくらいだったんだろうな。
 看板歌手がいて伴奏サポートを調達するにしても、有名楽団のバンマスと後援パートの間柄にしても、少なくとも私が聞いた話としては、すべからく稼ぎ頭たった一人がギャラ総額の半分以上をガメていた例ばかりである。ということは、残り半分あるいはそれ以下を結構な人数で取り合う構図になるしかない。

 もちろんバックパート職層には怨恨さえ含んだ根深い不満が蔓延することになるのだが、自分ひとり楽器を持って稼げるようなポジションにそう簡単にありつけるはずもないため、そこに居られるだけでまずはラッキーとして収まるが、しかし待遇の改善がチラつけば信頼関係や忠誠心をやすやすと上回る。
 終戦直後のGHQキャンプの仕事においては、それでも総じて破格の収入だったのが救いだとも思えるのだが、そんな荒んだ業界風土の賃金体系だったからか、当時のミュージシャンが実直で真面目な倹約家だったエピソードはとんと聞いたことがない【676】

 何しろタフな精神文化の競争世界ゆえ売れた方は売れた方で、どこまでが勝者の特権意識なのか、どこからがネームバリュー維持の駆け引きなのか知らないが、リハーサルで『アタシこんなバンドじゃ歌えないッ!』みたいな突然のクレーム発動なんてこともあったのだという。

 ただでさえ不平不満が板についちゃっているバンドメンバーとしては、控室で
 『ド下手糞のくせに、本来ならまずこっちに菓子折り持って挨拶に来いってんだ』
 『あのアマいっぺん…(集団婦女暴行を指す表現なので自粛)…してやろうか』
などと、お行儀のいい吐き捨て陰口発散トークも飛び交っていたらしい。
 当時のことなので、歌手が誰だとか声の調子がどうだとかでキーの高さに注文を付けられ、カラオケ操作パネルのシャープ印やフラット印のボタンを何回か叩く…ではもちろん済むはずがない。スタンダードジャズなんかは曲を自在にバンバン移調させて演奏し、リハーサルで次々と試しつつ、こんな会話を交わしていたのだから凄い。

 その頃マネージャーは関係者一同の平和な合意のため遁走し、華やかなステージの興業成立のため、あちこちに平身低頭で悪戦苦闘していたと思われる。
 観客が現実を忘れて夢中になるステージ上のチームワークは、あながち和気あいあいココロはひとつの信頼関係で、複数の才能が美しく組み上がって達成されるものでもないってことなんだろうな。

 社会組織の最適化にあたり『みんな平和にニコニコ仲良しである必要は無い』と私は考えているのだが、上記のような世知辛くも生命力強く逞しいエピソード群が、かなり根拠として効いている。
 わざわざに暗い闇や汚れた泥の部分を想像しながら朝ドラ観てもしょうがないんだけど、まあこんなウラ話もあるんだなあと興味を湧かせて面白がっていただければ幸いである。
 よし、楽団ウラ事情のネタをクリアできたし、タナケン編の新展開にグッドラック!
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【1232】孤独な目立ちたがり屋の1st.インプレッション採点基準 [ビジネス]

 北陸の被災地にも厳しいが、全国の受験生たちにも厳しい寒さだなこりゃ。
 避難所にしても試験場にしても、大部屋の暖房は効率確保が難しい。部屋が温度成層になってしまって、せっかくの熱がどうしても天井付近に偏ってしまうからである。

 かつて照明や空調設備の取り付け工事なんかもちょくちょくやったりしたものだが、普通に我々が暮らすこの居住空間、冬場に脚立ひとつ立てて上がると、あっという間に汗だくになるほど暑いのだ。目に見えないので気にならないのだが、夏場お馴染み30度以上の暑気あふれる世界がすぐそこにある。
 個人住宅なら、下の階で暖房を焚いて常用する部屋を決めておけば、真上の部屋は床暖房とは言わないまでも、案外と馬鹿にしたものでもないくらいの熱回収ができる。灯油もお高いこの御時世なので、うまくやりくって財布にお大事に行きましょう。

 温熱効率としては室内容積の高い位置に拡がる空間を制限したいところだが、天井からの圧迫感もさることながら、頭上に一時性のデバイスを設置するのは安全上の観点からしても好ましくない。
 故に、夏場に使う扇風機を持ち出してうまく室内に循環流を作る…という生活の知恵は現実的かつ効果もかなり期待できるもので、おうちにしても大部屋施設にしても『効く』風流れを探って見つけて室内空気を循環させるのは、暖房の効きの向上にかなり役立つ。いろいろと考えて工夫してみる価値がある。
 但しその循環琉には室内の湿度も乗っかるため、思わぬ位置の壁面や床面などに結露が発生することはあるはずなので、そこんとこ一応は気を付けて。

 さて引き続きNHK朝ドラ関連の話題で続けよう。さすがというか、終戦直後の経済環境にしては皆さんお行儀を守って生き抜いている。
 ポピュラー歌謡の有名歌手の付き人が、サヨみたいな日常用の和服で暮らしていたのかどうかは知らない。ただ我々の親世代から聞いた話では、女性が素足を人目にさらす習慣がまだ当時の欧米社会には一般普及しておらず、浴衣に下駄・草履で街角を歩く日本女性がムラッときた米兵に絡まれる事件が散発したそうだ。屋内は自宅内でも土足で過ごす欧米式文化において、女性の素足はもう他人でもなくなった関係の相手に、公衆の面前でもない場所でしか見せないものだ…という社会通念が根強かったとのこと。
 お銀さんもそんな日常の折、米兵に組み付かれたのかなあ【672】
 果たして、路地裏で歌って踊ってサヨとサムみたいな微笑ましい馴れ合いがどのくらいあったものなのかは知る由も無い。ひとつ確実なのは、こんなことを思い巡らす1945(昭和20)年以降、戦争あるいは敗戦という『社会の御破算』の憂き目も二度と見ないまま辿り着いた結果が、現状この日本社会だという事実である。

 ところで世に溢れ社会を生きる情報体というのは、やはり個体間の相互理解としてコミュニケーションするのが情報処理の原点なのだろうか?要は『会話なのか』という疑問である。
 いまこの世の、ぱっと見いの発現頻度や機能展開を見る限りは間違いなくそうなのだが、これはただの現状到達点に過ぎないのではないだろうか。
 『生物の情報化』が進んで、個体間の相互作用がただの巡り合わせの偶然任せでもなくなり、『社会組織』という上位スケールの情報体が形成された。つまり『話しかけたら受け止める能力を持ったヤツがほかに存在する』という情報社会空間の出現である。

 もしかすると進化の過程で、偶然にも自分のウチウチだけでなく外界からの受信回路をも備えた、『絡みに行って通じる』タイプの同種がたまたまいる空間で、素朴なメッセージをナニか思い入れつつ目前の空間にただ放った個体がいたのではないだろうか。
 最初そいつは誰かが受信して響いてくれるとも思っておらず、普段からそういう『受信者がいて初めて、結果的に発信につながるような行動パターン』を孤独に繰り返しながら、気ままに生きていただけなのかも知れない。
 つまりパーソナル事情で交わされる個体間通信よりも、拡散型のマスコミ発信と一斉受信の方が、原理的に見て時系列の上流側にある可能性を考えてしまうのである。

 『会話』よりも『パフォーマンス』の方が、人間の、というか生物の、通信機能の発達の源流に近かったりするのではないかなあ。
 いちいち目前の相手とタイマンで何かを語り合いつつ発信内容を模索するためには、目前のそいつ個人に通じて達成する目的が要る。これ結構ムツカシクないだろうか。
 いっぽう受信者を特定せず一方的に発信するのだとすると、嬉しいからついついやっちゃうような、悲しいから心ならずもそこに落ち着いて収まるような、原始的・本能的な生体反応の顕れのようなものさえあれば、それを起源としてコミュニケーションが起動するのではないかと考えられる。

 相手を決めて話しかけるよりも、思わず歌い出す方が早かったのではないだろうか。
 つい歌がこぼれ出るくらいなら、踊り出す方がなお早かったのではないだろうか。

 人間どもが現有の社会組織で日常会話を交わしつつ、歌や踊りを特殊スキル扱いで愛でたり競ったりしているが、それって随分と窮屈な勘違いをしているのかも知れない。
 情報体としての生物たちが辿ってきた受発信進化の歴史において、やたら複雑化させシチ面倒くさい高次ルールで習得しにくくしてしまったのは日常言語の方で、そっちの不自然な情報体系に『情報体人生』の比重をかけてしまっているような気がする。

 考えて御覧なさいな。普段の会話って、言って良いコト悪いコト、タテマエにホンネ、慇懃無礼に口先三寸などなど、交わされる言語情報以外のややこしい裏含みが多すぎる。コトバを受信者の義務として埋め合わせて解釈しろって言うんだろ?
 言語通信の形態として高次の産物であることは認めるが、発信者と受信者がくっだらない『忖度』の特例コード表を横行させて、本来の意思疎通がデタラメに混乱したりするようなら、それは本末転倒としか言いようがない。

 『霞が関文学』みたいな劣化退廃型の痴呆慣習がいい例だ。あんなもの早く潰そう。
 歌って踊る動物たちの方が、情報化の到達点を遥かに種の繁栄に活かせている。

 いつも自然に感じるまま思うままを精度よく発信し、正確に受信されたい。
 この『通信の原則』を忘れた人間なる情報体に『人間の尊厳』などあり得ない。
 そんなもの情報的に定義しようが無いからだ。

 『自分の通信には責任を持つ』、明日の超・情報化社会の参画理念にグッドラック!
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【1231】勘違い切換表示のアナログ・デジタル変換器 [ビジネス]

 北陸の震災犠牲者が200人を超えたという。今もまだ捜索は続いている。
 羽田の衝突事故は、とにかく通信記録が正確に見えない限りは何も判らない。
 どっちも大変だが、いま私ごときが無駄な言論をする幕ではないなあ。
 ついでに言うと、私もまだ難しい内容を思考するほど元気になっていない。

 …ということで、前回からのユルい流れを続けましょうか。
 そう、キホン人間だけなのだよ、自分ウチウチに展開する内的情報処理について、ここまでの精度で対外的に発信できるし、発信するのは。
 動物たちにも、例えば『天敵が近いぞ』と察知して特定の鳴き方その他の反射反応が起こり、それを仲間たちが同じく『天敵接近中』と感知して、結果として一斉に逃避行動に移る…という個体間通信は珍しくない。
 そうではなくて、自分ウチウチに構築している『世界モデル』の事物や現象などを、絵図や文字などにして他の個体と共有する。ここまでやるのはキホン人間だけなのだ。
 まあ哺乳類や鳥類などにも原始的な言語と見られる通信文明が確認されるというハナシはあり、私もその通りだと思うのだが、明確な図法や言語があった方が解りやすいので今ちょっと置いておこう。

 人間は長らく『アナログ作動で組み上がった謎と神秘の生命体』であり、そいつが文明を発達させるうちデジタル形式による情報の管理・流通の技術体系を発明した。まあ大概の人間がこう考えている。

 コレ違うんじゃないのか?
 先に30億年生命の進化のなりゆきとして、複雑な情報処理を瞬発的にこなして地球上のややこしい災難をも切り抜け、その成功事例を記録・記憶して、適宜に検索してその先の未来に適用・応用もして、生存競争や環境適応を勝ち抜いた『デジタル情報体かつRAMストレージ生物』が自然発生したのだろう。

 その成功例が人間であり、もともとデジタルデータ原理の体内流通が完成していたからこそ、それを絵図や言語など情報ファイルの形式にまとめて、視覚や音声メディアに乗せて他の個体に向けて発信する発想が生まれた…っちゅうか、そっちへの進化の可能性が道を開いた。そういう順番なのではないだろうか。
 五本の指を順番に折っていける手指の制御性は、案外と数字の発明と一緒に発達してきたものなのかも知れない。馴染みの言語を饒舌に語る発音・発声の制御性も、生活の充実が要求してくるコトバの細分化と一緒に発達してきたものなのかも知れない。
 動物くんたちの中でも、やはり比較的複雑な情報処理を介して凝った生態で暮らす種の連中が、原始的言語のような高度通信をやっているように見える。さらに我々人間どもと規則的な応酬をパターン化して因果を記憶させれば、うまく懐いてくれたり調教されてくれたりして、種を跨いだ胸の内の交信も可能だ【68】

 順番が逆なんだよ。絵図や文字をデジタルデータ化して便利にしたのではない。
 源流の原理がデジタル方式だから、現代の電子技術で高速大容量で流通できるのだ。

 上記の原理を理解した上で『だからなんだけど』というハナシがここから始まる。
 人間は、どんどんRAMストレージ機能を高度化・高次化させていき、『記憶』から記録ファイルを引張り出しては自分ウチウチで捏ね繰り回した挙句、その成果物情報たる『脳内ナニナニ』『空想ナニナニ』『思惑』『理想』を、他の個体との率直リアルタイム共有目的の発信内容に混ぜ込むようになった。
 同じ『情報』なんだから、混ぜてしまえば双方見分けがつかなくなる。

 もうお判りの通りで、ときに『ウソ』や『思い込み』として、人間が現実と噛み合わない言動に迷い込む原因がこれだと考えられる。
 反面、ときに『夢』や『目標』として、人間がわざわざ現実の苦難に噛みついてでも、その先を目指せる原動力ともなっているってことなのだろう。良いコト悪いコト両方あるが、ヒトのこの進化フェーズは生き残るのだろうか、淘汰されるのだろうか?

 さて、古くならないうちにNHK朝ドラ前作『らんまん』のネタを回顧しておこう。
 模索期の国家権力による管理社会に反旗を翻し、その折には拘束され痛い目も見たイツマ教授だが、すっかり時代が進んだ深夜の『日本植物図鑑』の総力制作現場において、彼なりの『夢』=演劇博物館の設立構想を自由奔放にぶっていたのが微笑ましい。制作筋が登場人物ひとりひとりを大切に愛する顕れとして、いいシメだったと思う。
 その演劇博物館の具現化にあたり語られていた課題が、的を射ており面白い。

 『演劇とは、演じる者と見る者、人間の間にしか存在しない幻なの』【1202】

 脚本家が頭の中で設定した、物理的厳密には仮想の『現実』が台本に記録されており、その記録を読解した役者さんたちが独自固有の表現スキルを駆使して、ステージ上で『現実』に組み上げて観客相手に発信する。観客はその『現実』を受信する。これがパフォーマンスの本質だと私は理解している。
 観客席に座って、ステージ上の『現実』に反応する自分の1Fリアル円フロア通信に身を預けて、自分ウチウチに自分なりの『世界モデル』を展開させる。これが観客の情報的スタンスなんじゃないだろうか。

 演劇文化の物的ツールや精神文化の史実情報を展示するところまでなら、普通に博物館として作ることが可能だろうが、上記のイツマ教授の台詞を聞く限り、現場で起こる『ステージ上の現実』について、来場者に体験を交えた理解にまで到達させようとする意志が感じられる。その志の方向と高さには手放しで賛同するが、現代の体験版・仮想現実テクノロジーをフル活用しても、なかなか達成が難しそうだ。

 まず人間生来の体内情報処理のスピードだけは、外から何の外力操作も受け付けようが無いから負からない。ファスト厳禁どころかスローやリピートで、十分な深さで演劇に触れ、体内外に交錯する情報に浸ってようやく理解の対象になるのだから、収益性の施設にするとえらく効率が悪くなってしまうのは間違いない。資金繰りがタイヘンだ。
 イツマ教授のあの台詞が生み出された背景について『らんまん』脚本家さんの演劇博物館の構想がどのくらいのものだったのか、お話をいつか聞いてみたいなあ。

 以上、相変わらずアタマの中の関心事を話題にして、思考展開できるよう解説していく順番を、きちんと交通整理できるほど思考力が無いので、今回はこのへんで。
 いまリアルvsバーチャルに単純化され、手早く間に合うならそっちでいいじゃん的な選択基準になっちゃってる通信プロセスなのだが『必要な情報を組織に効かせる』ことを考え、きちんと通信しないと無意味どころか自滅する。御慎重に。

 スマホやネットがあろうがなかろうが、何人振り向かせて何人コトバが通じるかだ。
 超・情報化時代を勝ち抜く『情報生命力』だと思うね。その発信にグッドラック!
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【1230】『AIレ可愛や人工知能』のWEB目線 [ビジネス]

 震災の犠牲者が120名を越えてきた。ただ正月を過ごすつもりだったはずだろうに。
 御遺族にしても、この寒空のもと自分が住むところからしてただでは済んでいないだろうし、同じ日本列島のあっちとこっちで起こっている現実の差に唖然とする。

 もっとも地学的視点において日本列島は『変動帯』に位置するのであり、いま目の当たりにする現実は決して理不尽なものでもなく、こんな時空間に育まれて日本人は今の日本人になった【276】【436】
 いま日本社会のそこらで飛び交っている言論は、そんな日本人の生い立ちに照らして、過去をよく理解した賢いものだろうか。未来の可能性を最善の方向に押し向ける健康で元気なものだろうか。

 私自身まだまだ油断できない体調なので、深い掘り下げはやめるにして、脳内既存のテキトーな関心事にざっくばらんな漫談を展開させて切り抜けることにしよう。
 前回に続けて少し補足しておくと、例えば熱いモノに触れて『アチっ!』と身を退くのは、高温を感知した触感のアナログ信号が発信され、恐らくそれは未加工のまんま当該部位のローカル神経に受信されての反応であり、アタマだの脳だの意識だのは介在していないのではないか…というハナシである。

 触ってアチチだけで済まない『情報処理』を含めた動作、例えば『あれ何だ?』に始まり『危険なモノだ』の判定を下し、目をつぶるなり避ける姿勢を取るなりするパターンにおいては、その情報処理を軽く速くしてROM(Read Only Memory=読み出し専用)装備するために『情報のデジタルデータ化』がなされたはずだ。そうでないと反射動作が間に合わず、その種は道理として、過去のどこかで絶滅していることだろう。

 こうして生体内を流通するようになった高速軽量のデジタルデータに対応して、生物は改めてRAM(Random Access Memory=書き込み・読み出し自在)機能を構築することに成功した。
 恐らく元々は生存確率を上げるために、反射反応ROMの入出力フローに一定の可塑性が残されたのだ。まだ見ぬ新規性の危険に遭遇すると、その対応プロセスの成功例を記録し定型化して入出力フローに加味していく…という流れでやっていたら、それが進化発展的に働いたのだろう。
 新規性の環境に新たな対応プロセスを構築して未来を生きていけるRAMストレージ生物は、みるみる生存確率を上げて地球上に種の繁栄空間を築き上げた。

 順番としては、先に体内情報のデジタルデータ化があって、そのデジタル原理を背景にして『記憶』したり『検索』したりする意識の機能が加わったと思うのである。
 …で、ここまでは生物の個体身ひとつという枠内に限っての進化論なのだが、ここから一歩踏み出し、人間は自分ウチウチだけに流通する『秘めゴト』だったはずの個人情報まで、言語その他の通信手段に乗せて対外発信するようになった。これが人間の情報的特異性ということができるのではないかと思う。

 例えば私が『ううう、痒いよ~痛いよ~』と日本語で愚痴れば、せっかくまだ正月気分から続く三連休で優雅に過ごせているアナタにも、陰鬱でイヤ~なこの精神状態が『文字通り』的確に伝わる。

 さて今回の本題は、実はここからなのだ。
 いま私は、ここにおいでいただいているアナタに不快な思いをさせようとして、上記の言語情報を発信した。もちろん快適に過ごせているアナタのことが妬ましく、自分一人だけしんどい思いをするのが悔しいため、巻き添えにして苦しめたいという目的意識が湧いたのである。受信者に特定の情報操作を加えようとして発信した。

 これがまあ、社会組織の情報空間に飛び交うコミュニケーションの標準形態だよな。楽しそうだったアナタの表情が曇るのを確認して目的達成、私は満足して気が収まる。
 そして後にこの事実情報を根拠に、私はアナタから『イヤなヤツ』の評価を下されることになり、いずれ私は公認の嫌われ者になっていく。
 発信者と受信者が、情報体としてはイチ対イチ同格等価の位置付けで、それなりの意味のある受発信を行い、それを関知する組織の中でお互いの相対的な立ち位置が決まっていく。これが社会生活における言語コミュニケーションだ。では。

 NHK朝ドラ『ブギウギ』の特設テーマ、ステージ・パフォーマンスはどうだろう?
 『目前の個人相手に、自分ウチの事情を具体的に発信する』という形態ではない。
 受信者にしても、自分個人を特定した発信でもないため体内情報通信に響かない。

 『実力あって当たり前、社員への観せ方こそ仕事術』という業務分析【1034】
 『我が事として避難行動に腰を上げない一般市民』への危機管理課題【1187】
なんかは、この領域の『相手を狙い撃ちしないが、天の声として浸透して響く』コミュニケーションが機能要件になっていると思われる。ナニが受信者の内部情報流通に到達し接する決定的因子なのだろう?

 朝ドラ劇中ではまだ戦中にあり、時代が時代だけに、いわゆるマスコミュニケーション・ツールを介さないステージ発信になっていて、至近距離で観客との個人的な以心伝心が交わされるシーンも目立つ。もうちょっと解りやすく非・個人vs個人の社会組織的なステージ影響力の描写があってもいいかも…とは思うのだが、今まだ難しいコトを考えられないので、今回このくらいにしときましょうか。

 忘れないうち書き残しておくと、風呂屋の玄関や汽車の中など『そこらへん』的なシチュエーションにせよ、設備の整った専用舞台での大掛かりな歌劇・歌唱ステージにせよ、本作は明らかに意図的に、ワンコーラスだけにしても頑張って劇中曲のノーカット版を放映し切っているところが見上げた心意気だ。
 毎朝一話15分枠は負からないから、その日は殆どストーリーの進展が無い放送回になっちゃったりもするのだが、朝ドラとしてこの果敢な内容構成のチャレンジはアツく応援したい。こんな機会でもないと、今どき対面ステージ・パフォーマンスを改めて見聞きすることって本当に無くなっていると思う。

 便利な配信メディアが次々と開発され、時間とカネを消費してライブの現場に出向かずとも、パフォーマンス観客として満足度の高いコンテンツが容易に手に入るようになった。これはこれで社会の利便性の一面であり、否定的に論ずることに意味は無い。
 だが結果的に現場以外の情報領域が重たくなって、現場以外の情報世界だけで自然と満腹になり、何よりそれだけで時間やカネを使い果たしてしまい、現場コミュニケーションが『意識の外側、知らない世界のコト』になってしまうなら、それは問題だろう。
 自分個人ウチの情報処理に響いてくる受信回路が開いておらず、そんな回路の存在を生まれつき知らない人間たちが大勢いたところで『社会組織』にはならない。

 デジタルデータ形式は軽くて速くて、現状ありもんの機械文明の適用だけで、人間を含む地球上のあらゆる生物を天文学的な勢いで圧倒する情報処理が可能である。というか、既にそういう現実になっている。
 同時に、たかが人間ごときに『響く』かどうかなんぞ、情報のロジカル演算処理とはまるで無縁の独りよがりな価値体系に過ぎないのだと理解しておかねばならない。

 必要に応じてなのだが、『ヒトに響く』理知性は特別に造り込まねばならないのだ。
 『響くステージ・パフォーマンス』周知普及のため朝ドラ後半戦もグッドラック!
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【1229】大荒れ新年の時間遅れ祝賀カレンダー [ビジネス]

 何ということだ、正月一日の夕方に大震災とは。気の毒なことこの上ない。
 そんな翌二日の夕方に今度は羽田空港の滑走路で飛行機の衝突事故だって言うんだから、すっかり気おくれしちゃってるんだが、無事に過ごせている方々まずは明けましておめでとうございます。

 とりあえずこの新年は寝正月にならないことに成功した。今のところではあるけれど、年末のやられ放題からは少しずつフェーズ進展しつつある。
 とにかく10年以上にわたってステロイド残留の痕跡だけ残して潜伏していた『離脱待ち』ポイントがいくつか割と派手に動いてくれているから、ここはひとつ皮算用せず秘かに期待かな。

 日本列島の大事件については情報が揃うのをもう少し待つとして、取り急ぎ新年早々は『人間を含む生物の情報処理とは如何なるカラクリなのか』の話題を、昨年から跨いで引張ることにしよう。
 長らく謎と神秘の盲目的ラッピングを解かないことをお行儀にして特別扱いしてきた感もあるサイエンス課題だが、現代コンピューター技術の概念に照らして、実は大したことないゼロイチのデジタルデータを、やっぱり大したことないクロック数で処理してるだけなんじゃないのか、という仮説をとりあえず立ててみたワケだ。
 そりゃ人間ひとりで1兆個とも言われる数の細胞が、顕微鏡級の機能分担構成でイチ個体として組み上がって作動しているのは凄いよ?
 だが逆に、たかがこの程度の個別パッケージに、一体どんだけ緻密で複雑で高機能なハイパーメカが収まるというのだ?

 一見すごすぎてナニをどう感知・処理しているのか見当もつかない、視覚情報にまつわるデータ形式とその流通プロセスなのだが、これまで人類が工夫に工夫を重ねて『人間の視覚にどうにか付き合ってもらえる、人間の視覚のダウングレード情報』を開発し、うまいこと人間の超絶ミラクル視覚システムに自然に受容される技術を構築してきたと思い込んでいたところ、開けてびっくり案外とその軽量簡素化思想こそが、人間の視覚を司る基本原理そのものでした…というのが今般の私の見立てである。
 漫画アニメーションが自然に鑑賞できているからには、少なくともその条件下ではコマ分割0.125秒でも十分な現実の光景相当の認識として、滑らかに見えているということだ。これは良いでしょう。

 しかしモノが飛んできて反射的に目を閉じる動作などについては、網膜像をタイミング偶然任せの0.1秒ピッチで拾いに行くだけでは、あまりにも遅すぎるような気がするんだよ。そこでだ。

 例によって『生体情報の円錐モデル』を持ち出してみよう【1171】
 『危険!』の網膜像を検知した瞬間、1Fリアル円フロアの対面の周上に並ぶ瞼の開閉アクチュエーターに向かって『閉』の通信ビームが発射され、一切の演算過程ナシで瞼が閉じられる。そして眼球をガードする。
 ポイントは円錐モデルにおいて『1Fフロア完結の出来事として』目を閉じる反射動作が行われているというところにあり、この入出力単位は30億年生命の歴史の淘汰の結果として定型化され、ROM素子に焼き付けられて、人間の内部通信ネットワークに標準装備されているのではないかと思うのだ。
 よく『無意識の危機回避本能』みたいな言われ方をするが、未加工のアナログ感受器信号が出力動作に直結するような原始的な通信ネットワークの制御体系が、その正体なんじゃないすかねえ。

 そして『そういう一連の反射反応が起きた』という1Fフロア通信の事実が、円錐の頂点からハンディカムで撮影されており、デジタル形式にデータ化されて大脳ストレージに記録され、自分の身体に自分のコトとして起こる現象ながら、不随意に発現する『人体の不思議』として、客観的に向き合う知識ストックとなる。そういうことだろう。

 『人間には、モノが飛んでくると思わず目をつぶるという反射動作が備わっています』という自覚アイテムの完成である。
 次にこの事実情報について思い巡らし、何らかの考えごと=情報処理に絡めようとする時には、脳ストレージから検索された当該記録ファイルが2Fバーチャル円フロアの周上に呼び出されてきて『意識』のまな板に乗る…ってことになるんだろうな。

 人間の知能の発達の決定的要件を『言語の発明』だとする学説はよく見かける。
 だがこれは、今の時代もう少し踏み込んで『デジタルデータ体系による、個体間通信の発明だ』と言い換えた方が適切なのかも知れない。

 …えー、まだ話は続けたいのだが、調子が上がらないんで今回はここまで。
 視覚だの聴覚だの触覚だの、我々いろんな面で外界を把握して生きているワケだけれど、その『外界の把握』ってところが意外とナマ信号じゃなくて、初期から手が掛かった上での情報体系になっていて、その情報体系に乗っかっちゃう過程で特有の論理性というか、因果律が割り込んでるんだよ。
 だからなんだけど、自分の内々のコトで終わらず、相手を見つけて論理や因果を含んだ内容の情報を、言語なり身振り手振りなりで体外的に伝えるようになった。
 これがまあ、良いコト悪いコトいろいろあるんでしょうな。

 絶好調で暮らしてたら、こんな面倒くさいコト考えなかったかも知れないなあ。ラクでもなきゃ快適でもない時間だけれど、なかなか役に立っている気がするぞ。
 いま不運の方々に、いずれ幸運への大逆転が訪れますよう。今年もグッドラック!
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