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【662】マスコミ演劇講座の先進ネタ探し [ビジネス]

 数日前たまたま知り合いに訊かれたのである。
  『仮想通貨ってナニが良いの?』
 ここを御覧いただいている方には御馴染みの通り、その本質的な回答は
  『一部の悪い人間が、こっそり自分勝手なアンフェア操作をやれないのが良い』
ということになる。そう、ブロックチェーンの仕組みである。

 皆に知られると困るような思惑を持った人間が、皆に知られると困るようなコトをする時、基本は皆に知られないよう人目を避けながら、組織の仕組みに小細工を仕込む。
 社会組織の中で生きる人間ひとりがその社会組織を裏切るからには、こそこそ不正操作を加えた情報をでっち上げて組織に密かに放つ工程が必ず発生するものだ。この時『何が正しくて、何が不正なのか』の判定基準があやふやだと不正が横行してしまうのだが、そこに『事実=正として機械的にネット拡散する』という発想が秀逸であった。

 今や『御存知の通り』と言っても大丈夫な気がするのだけれど、ブロックチェーンは仮想通貨に特有のシステム概念ではなく、あらゆる情報共有空間において、関係者全員が相互監視することにより不正やミスの誤作動を防ごうとするものだ。
 仮想通貨について具体例を挙げるなら、取引情報の記録データ=デジタル二進数のナニガシかに対して、一義的に算出して決まる『ハッシュ値』を対応させ、『ハッシュ値』のタグがついた取引レポートとしてデータブロックを形成するという方式になる。ブロック形成都度、それが関係者全員にネット拡散されるワケだ。

 例えば誰かがこの取引記録データを改竄すると、記録データの改竄操作に呼応して機械的に『ハッシュ値』が変わってしまう。すると改竄前時点で関係者全員に拡散されたオリジナルのハッシュ値と不整合となるので、それが検出され、それをトリガーにシステム緊急停止・トラブルシューティング開始となる。
 仮にそのハッシュ値にまで不正操作を加え、オリジナルと見分けのつかない偽ブロックが作れたとしても、先発のオリジナル版が広大なネット空間のどこでどう受信されて残っているか、改竄操作の張本人からは追跡しようがないから、オリジナル版を狙い撃って偽ブロックに置き換えに行くことはできない。
 ま、原理的にはある意味、過去ふざけ半分にアップしたフシダラ写真が独り歩きでバラ撒き状態になり永遠に消せなくなって困ってます…の悩みを逆手に取ったと言えなくもない。この高速大容量通信網の不可逆性を、不正やミスの防止に転用しているところがアタマ良いと思う。

 前にも述べた通り、ここはおいでくださる御贔屓さん方々のクロスチェック眼で持っている。
 事故や故障による通信不具合なんかただの偶然でしかないので、まあそのスジに詳しい読者さんにどんなトラブルが起こってそうか御想像を巡らせていただくまでとして、仮にここをハッキングして、誰かが私になりすまして更新を始めようとするケースについて考えてみよう。

 さて私オリジナルの姿とは…だ。
 毎回テーマの設定はメチャクチャ不確定で、酷い時には途中で気が変わって別の話を始めたりする。更にそれも気分次第で気紛れに切り上げてしまう。自分でも先行き決めずに書き始めてるもんな。
 でも御贔屓さんにとっては、宇宙ロケットの話であろうが、政治経済の話であろうが、小鳥の話であろうが、たった一回ぶんを御覧いただければ『これ、ヤツじゃないか?』と勘付いていただけることと思う。
 逆に誰かがネット検索でちょっと調べ事をして、私の好きそうな飛行機や人工知能の解説なんぞ俄か作文したところで、恐らく数行も読み進めば『これヤツじゃないじゃん、誰だよ?』と見破れることだろう。

 まずまずの分量だとはいえ、私が発信し皆さんが受信しているのは所詮、日本語文章の文字列のみだ。
 だがそこに感じ取れる『何か』がハッシュ値として効いているのである。ハッシュ値相当の機能が文中の規則性に間違いなくあるはずだが、掴みどころがなく分析しきれず、故に再現もできない。

 さて『何かあるんだが、掴みどころがない、分析できない』と白旗を上げてしまう人間クンはそこまでなのだが、これが人工知能だとどうなるのだろうか?たかが文字列だし『AIがなりすましたニセ私』って可能なのだろうか?

 人間が様々な打ち手を教え込んだ『アルファ碁(Alpha GO)』が人間を打ち負かした後、今度は全く無知の白紙状態から、このアルファ碁を相手に対戦を繰り返して学習を重ね、最終的にアルファ碁を負かしてしまったのが『アルファ碁ゼロ(Alpha GO Zero)』である。
 その学習経過を観察していると、いわゆる『定石』の手が顕れてきたりもするのだが、そのうち淘汰されて滅んでいったりもするのだという。つまり、本当なら想像を絶する先の先まで読んで巻き返せる手なのだが、人間能力の常識レベルの未熟さにより、人間はそこまでできずに負けてくれているので、当面のところ定番の勝ち狙いの手法=定石として通用しているということか。
 ともあれ、『アルファ碁ゼロ』が文字通りのゼロ起点から『アルファ碁』を負かすまでにかかった時間は、僅か7時間ほどだったと聞いたことがある。とてつもない学習能力である。

 例えばここの文章を片っ端から入力し、ここの次回の更新として通用する文章をあれこれ出力させると、途中経過にどんなものが現われては消えるのかタイヘンに興味がある。ポイントは、『掴みどころがない、分析できない、ムリ』とギブアップせず、ひたすら機械的・統計的・合理的に模倣を繰り返してくるというところだ。
 何か試行錯誤を交えた人間の成長過程に通じる現象が見えたりはしないだろうか。例えばスタニスラフスキー・システムなんかと照らし合わせながら検証すれば、『人間が正しい目的をもって合理的に言動する』という情操整備・人材育成の画期的ヒントなど転がり出てきたりはしないだろうか。
 スタニスラフスキー・システムとは俳優育成プログラムの基本コンセプトのひとつで、ぶっちゃけ内面の目一杯まで理性的にも感情的にも役を理解し尽くし、それを人間として自然な精神と身体の使い方で、演技として出力するための方法論である。
 あ、普通イメージするような体系整理された方法論にはなり切ってないかも…とりあえずぶっちゃけ理解で良しとしてくださいな。実はぶっちゃけ過ぎてるんだけれど。

 『いま伝えるべき真実の情報を、信念を持って、率直かつ誠実に伝える』という仕事を、いともだらしなく放棄してしまった日本社会の公共言論だが、マスメディアに関わっている人種ならスタニスラフスキー・システムは聞いたことぐらいあるだろうし、この業界土壌を利用して、うまく矯正の潮流を作るきっかけが得られないかと思った。

 まず巨大組織生命体たる日本社会が、素直で正確な五感と自然な思考動機を持たないと、今日をどう断じて明日をどう変えるかの話が始まらない。リアル空間の言論勢力が全滅なら、仮想空間の側からブロックチェーンを使って喝を入れてやろうじゃないか。
 今回は、こんなお話に舵を切ってみましたとさ。
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【661】迫害プレッシャーの圧抜き技術解 [ビジネス]

 昔も今も戦争は『技術戦』の一面を持っている。
 『風立ちぬ』の劇中で、堀越技師が軍に拉致されようとするところを会社にかくまってもらう下りが出て来るが、アレ?なんで?と思った方もおられるのではないだろうか。

 この場面設定についてまず解説すると、当時の日本国は連合軍と戦争状態にあり、そこで戦闘の役割を直接負うのは日本陸海軍。その軍が、製造メーカーに対して武器を発注するという、意外にも平時の日常的な社会の仕組みに則ったものである。戦争だからって、日本人の誰しもが仕事も私生活もなくなって、適材が片っ端から無条件の無償で日の丸背負って軍事活動に参加し、戦力を支えていた訳ではない。
 戦争にでもならなければ、当時のこととはいえ企業間の国際交流は珍しくなかった。いや、飛行機なんか日進月歩の最新技術領域だったから、各国の優秀な人材が自社開発のため盛んに情報交換していたと思われる。
 だがこれは、軍にとっては勝敗を分かつほどの機密が敵国に漏洩しているスパイ横行の構図にもなり得てしまう。大戦中は各国で優れた技術ほど目を付けられ、組織も人も成果も、軍が乗り込んで管理しようとしたのであろう。

 日本国が耐熱合金の開発に遅れていた話はしたが【311】、その一方で軽く強靭な『超々ジュラルミン』など構造部材の独自技術開発は進んでいた。
 一方ややこしいことに、もちろん相当額のライセンス料は払ったのだろうが、世界工業技術の最先端たる同盟国ドイツからの技術供与にもあやかれていた【459】
 例えば遊就館に展示されている艦上爆撃機『彗星』の愛知航空機製エンジンは、ダイムラー・ベンツ製エンジンのライセンス生産である。更には実用に到らなかったが、世界初ジェット軍用機メッサーシュミットMe262は『橘花(きっか)』として、ロケット軍用機Me163は『秋水(しゅうすい)』として、一応この日本で試作されている。
 ナニが超機密の自国技術でナニが超高額の同盟国技術なんだか、戦時中の事だし混乱してないはずがなく、こうなると取り締まる方も、誰をどこまで取り締まっていいのやら。

 優秀な技術者がいたとして、軍の勝手な都合で拉致幽閉でもされたら、技術者本人も会社も大迷惑でとても仕事にならない。軍部としても、上記のような高性能の最新兵器をモノにするには、結局のところ優秀な技術者がガチの本気で能力発揮してくれる必要がある。
 そんなこんなで軍部としては、抜き打ちの連行と尋問で一定の睨みを効かせはしても、拷問がらみの屈服要求まではやらなかったのではないだろうか。詳しい話は聞いたことないけど。

 このついでと捉えて恒例の余談に言及しておくと、かつて紹介した先尾翼式の迎撃戦闘機『震電』【320】、大戦中にジェット機化する計画があったという妙な作り話が飛び交っているようだが、全くのガセである。『震電』は開発当初から一貫して空冷レシプロエンジンのプロペラ機なのだ。よろしく。
 『震電』の特異な機影は、まあパッと見ジェット機になりそうな形はしているものの、操縦席から後ろのあの胴体長では絶望的に寸足らずでジェットエンジンは収まらない。また正面向けに口を開けて空気を喰う丸型吸入口が必要になるだろうし、あっという間に燃やし尽くしてしまう莫大な燃料を積む場所も、どこかに新設せねばならない。
 たぶん見た目でつい連想した作り話が独り歩きしてしまったのだと思う。そのくらい想像力をかき立てられる、革新的な飛行機だということだろう。

 さてハナシを日本航空技術に戻して、日本軍部の公式記録に残る各機諸性能のデータは、機体を米軍に接収され適宜ゴム部材やオイルなど良質の代替品に交換の後、オクタン価の高い米軍の燃料を喰わせて試験したところ、総じて大戦末期まで十分に最新鋭級の性能を持つレベルだったことが判っている。敗戦の時をもって、敵国の手に落ちるのを避けるため自らの手で破壊・焼却された機体も数知れず、今さら悔やんでもしょうがないのだが、実にもったいない限りだ。
 『気合いだけで乗り込む骨と皮ばかりのポンコツ飛行機』などと得意顔で揶揄する無知丸出しの左巻き、最近は随分と見かけなくなったが、この機会に完全に撲滅しておきたい。

 終戦を経て復興・急成長する加工貿易国日本において、家電製品や自動車などが質・量とも爆発的な進化を遂げ次々と世界的ブランドになっていったのに対し、航空機製造業だけがすっこ抜けたように不自然に手薄だった理由。それは戦勝した連合国側から、日本航空技術を恐れてこその圧力がかかり、有り体に言えば市場競争でマトモにかち合う領域での航空機製造を禁止されたためと言われる。
 そこであぶれた技術が、自動車や新幹線など多岐に昇華された【440】
 後に北米自動車市場は階級違いの市場競争力を持つ日本車に席巻されることになるのだが、ある意味必然の因果応報と言えよう。

 モノ作りの理想的な生産性組織の姿が描かれている反面、唐突に堀越技師がアンネ・フランク状態でかくまわれる理由には、こんな社会背景があった。
 技術屋としては、この状況下で艱難辛苦を乗り越えて設計をやり切るドラマもあるだろうに、そっちには殆ど触れず、モノ作り理想郷の描写が優先されているところがタイヘン興味深い。
 答を見てしまえばナルホド納得の正解なのだが、何故ジブリはそれを知っている?

 このトピックで結構回数を重ねてしまったので、次回は現実に戻るとしようか。
 例によって『消費税率10%引上げは、余程のことが無い限り…』と複線張ったら【653】、大阪で地震は揺るわ、西日本一帯で大雨は降るわ、一転してその後は日本列島丸ごとが酷暑激暑で焼き尽くされるわ、えらいことになってきた。
 神さまは見ている。日本列島も見ている。
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【660】名機舞うユートピアの働き方ガイドライン [ビジネス]

 いかん、書き忘れていたので何の脈絡もなくアタマから押し込んでおく。
 明治32(1899)年生まれだった祖父は関東大震災に遭っており、家財道具を積み込んだ大八車を引いて逃げたという。
 おっと今の時代なら解説が必要かな?『だいはちぐるま』と読み、現代のリヤカーの原型となった…というか、もう今の若い人にはリヤカーも身近な理解が危ういか。ともかく木製二輪の人力荷車である。

 関東大震災は大正12(1923)年だから祖父は24歳、当時なら十分に一家の大黒柱として暮らしていた年齢だろう。あちこち火が上がって、十数分からせいぜい小一時間で家を捨てる判断を下し、自分が囲う生活の丸ママを大八車に畳んで乗せて、家族を連れて避難したのだろうか。
 祖父がその目に遭ったかどうかは知らずじまいなのだが、昼前の地震だったため食事を準備する厨房の火種により火災が同時多発し大火となり、これが広く火の粉の雨を降らせて、逃げ惑う人々の大八車に次々と引火、それがまたその場で新たな火種になったと聞いた。
 動画サイトには、大規模火炎の熱による上昇気流が火災旋風を発生させ、周囲に激しい風を巻き起こす映像も残っている。周囲一帯が焼け野原になったという。

 大正15年が昭和元年だから、関東大震災の僅か15年後に昭和12年の日華事変、そのまま日本国は大東亜戦争に突入していく【459】
 そうそう、昭和4年生まれの母は幼少時代、祖父に飛行機の絵を描いてくれと頼むと、必ず複葉機の絵を描いてくれたものだと笑う。
 ちょっと調べたところ、日本海軍の『赤とんぼ』=九三式中間練習機は昭和9(1934)年に生産が始まったらしいから、なるほど時代はぴったり整合する。赤みの強い橙色の練習機塗装にその名を因んだ複葉機のことだ。私は昭和40年代の模型屋で『赤とんぼ』を見覚えたから、定年後のおっちゃんモデラーが想い出の機体として組み立てていたのだろうか。
 昭和11(1936)年正式採用の九六陸攻、九六艦戦がいかに先進的な設計だったかが窺い知れるというものだ。

 さて前回に続く話題として、『風立ちぬ』の劇中で印象的なのは、優秀な部下に対する『上司のあるべき姿』もさりげなく織り込まれているところである。
 多少ガミガミとしたうるさ型もいれば、人格者然とした穏やかな紳士もいるが、いつも自分を含む従来世界のその外側、元気な若年層が思いを馳せる未来世界の存在を認め、成長と成功のチャンスをどんどん部下に提供していく。
 しっかり『解ってる人たち』として描かれているのだ。

 自席で作図中の新人・堀越技師を紹介するにあたり、直近上司の黒川主任が、与えた業務課題がそこで進んでいるものと疑うことなく、連れてきた設計の服部課長に説明を始める場面が面白い。
 『ハヤブサの取付金具です』 それを聞いて製図盤上を覗き込んだ服部課長の一言は
 『…こりゃ違うぞ???説明したまえ』
 非難も懐疑も全く含まないこの第一声、図面に描かれた新発想の匂いにいち早く勘付いて、好奇心と包容力の笑顔で受け止めるベテラン機械屋のセンスがうまく籠められていると思う。
 これに応える堀越技師の回答も、未完の新規構想を恐れず率直に語るものであり好感が持てる。ここも私の大好きな一幕である。

 『風立ちぬ』の職場シーンには、ひたすらモノ作りの楽しさを追い求める技術者や作業者の姿が描かれており、それは『解ってる者』同士であってこその、無理も無駄もない理想的な職場人間関係に乗っかって実現するものであり、ズバリその通りの光景が劇中ストーリーとして流れていく。
 余計な悪役とか、嫌な奴とか、足手纏いの勘違い野郎なんかが一人も出てこない理想郷なのだ。アニメ作品ならではで成立し、違和感なく視聴できる世界なのかも知れない。

 ともあれ見ていて痛快で気持ち良い限りなのだが、何故ジブリはこれを知っている?

 能力のある人間が夢に衝き動かされるままにモノ作りを志し、組織をなして相互理解し、協力し、成果を生む。人間社会における生産活動の本質がノイズなく解説された教科書とも読める内容だと思う。
 やれと言われて言いなりにやっている人間も、やらないとしょうがないからと嫌々やっている人間もいない。誰かに何かを強制して、権力支配感の自己満足に浸って喜ぶ無能な人間もいないからだ。
 頼まれて意地悪く断ったり交換駆け引きを持ち掛けたりする人間もいなければ、意見を求められて押し黙ったりデタラメな嘘をついたりする人間もいない。『良い製品を作りたい』という正真正銘の目標以外に、カネや権力や力関係みたいな浅ましい利得に余所見する無駄な人間もいないからだ。

 『ああ、こんな言動の交換が、人間の理性・知性を活性化して、良い製品ができるのだな』と自然に納得できた人は、一面的・部分的にでもこの幸福な時間をどこかで過ごしたことがあり、その概念を知っているのだろう。
 『けっ、こんな職場が本当にあるなら苦労しないよ』あたりの憎まれ口が出てきてしまう人は、これまで全く恵まれなかった自分の過去が、そんなにまで恵まれなかった理由を考えた方が良い。

 なお実在の堀越二郎技師は、九六艦戦・ゼロ戦と傑作機を生んだ後、あまり成功には恵まれていない。げに技術開発の現実とはこんなものである。
 十四試局地戦闘機=『雷電』は大型大馬力エンジンを使いながらも空気抵抗を減らすため、ラグビーボールのようなプロポーションの胴体とし、後ろに退いたエンジンから延長軸でプロペラを回す設計としたものだが、思ったほど速くもならず、この延長軸が捩じれ振動を起こすなどジャジャ馬な飛行機になってしまった。現場の努力もあって、東京空襲に来たB29相手に一定の戦果を上げているのは立派。
 更に十七試艦上戦闘機=『烈風』は、計画構想の段階から非現実的なプロジェクトであった。多数の空母を喪失し本土決戦の色が濃厚になってきていた大戦末期に到って、まだ軍部上層が高性能の艦上戦闘機の開発指令を出していたという事実が確認できる。
 無茶な要求性能の達成に四苦八苦するうち、コイツは実用化されることなく終戦を迎えた。

 いや、技術検討の経緯は全プロジェクトにおいて革新的で優秀なのだけれど。

 そして終戦後、初の国産旅客機YS-11の開発にも堀越技師は参加しているのだ。
 幸運にも私はそのYS-11の実機搭乗・旅客飛行を体験できているのだが【399】、よくあの時に乗せてくれていたものだと、今も心の底から父に感謝している。恵まれた人生である。

 …とまあ今回はこんなところか。閲覧数の伸びも順調、ここは予告も予兆もなく更新が止まるようなことは基本ありませんので、今後ともよろしく御愛顧くださいませ。
 閉幕を迎えた今国会だが、今回のハナシに照らして、どれほど生産性があったのだろう?
 まずは野党たち、お疲れさま。これで終わりじゃないが、御尽力ありがとう!
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【659】実例フィクションの高プロ解説書 [ビジネス]

 『風立ちぬ』で目立つのは、他工程への好意的かつ協力的なモノ作りの現場像だ。
 堀越・本庄の両技師が休み時間の作業場に押しかけて、組立て中の試作機を現物確認するシーンが印象的である。
  『申し訳ありませんね、休み時間なのに』
  『いやあ、設計の若い人が来てくれるのは嬉しいですよ』
 会社一丸となり、優れた構想を現実化して良い製品をこの世に送り出す。社員お互いがその作業分担を理解し、相手工程に敬意を払い合って、進んで力を貸す姿がわかりやすく描かれており、個人的に大好きな一幕なのだ。

 構想立案・計算検討・図面作成など直接のアウトプット作業が事務所仕事になるホワイトカラー層は、ついついそっちに手を取られ構けるうち、心ならずも現場現物と疎遠になりがちだ。
 ここにそのチマタ月並の現実を見抜いた上での『そうじゃない、モノ作りってのはこうやるんだ、みんなで協力してさ』的な教育的意図を感じてしまう。
 いや間違いなくその通りなんだが、ジブリは何故これを知っている?

 で、これがうまくいって『では現確したい』となり、とにかく休み時間中の組立作業場にも見に来る若き設計者たちがいて、それに快く応じて技術談義を頼もしげに眺めながら脚立を支えるベテラン現場主任(かな?)がいる。この世代を跨いだ信頼関係の描写もバッチリだ。そう、それそれ。
 実際こうはいかないもので、『突発の検討ゴトの対応工数は、当該部署の自己完結で持つのがスジ』みたいな会話がなかなか無くならない。自部署のちょっとした事情が周囲に非効率な稼働を発生させないよう管理するのは大事だと思うが、まるで険悪なライバル関係や損得駆け引きの相手であるかの如く、部署間に余所者感情が蔓延していることも珍しくない。

 これは性悪説的に人間が怠け者で意地悪だというハナシではなく、いつもギリギリ稼動でカツカツの労務管理のもと日々組織力を切り回していると、想定外=計画外業務を受け止めて対応する精神的余裕が擦り切れてしまうためだろう。
 いつの間にか、みんな当初計画・既設作業からの事態の変化はひしひしと感じているのに、何となく当初計画のまま無難に行けているとだけ自分に言い聞かせて、既設作業のなりゆき消化に閉じこもるようになる。決まったコト、決められたコト以外に動くのは損だ嫌だ疲れると言わんばかりに。
 こうして、実は常時変動し続ける現実への対応や、更にはそれ以前に、変動している現実をまず認識する段階のところから、邪険に遠ざける反射メンタリティがじわじわと拡大進行するのではなかろうか。

 労務条件の改善を狙って時短を提唱するのは良いが、それが生産力稼働の気楽な融通性を狭めていって、職場の仲間意識の源泉でもある精神的余裕を削り落とし、その結果『職場を面白くない場所・仕事を楽しくないコト』にしてしまっては本末転倒である。
 自由市場の競争を勝ち残るための企業努力は、自由市場の不確定性を受容れる柔軟な包容力の消耗と表裏一体という因果関係にあり、コイツは本当に手強い。効率化は、やればやるほど職場風土のギスギスで、かえって非効率に陥りがちな宿命にある。
 そして表裏一体だからこそどんなに好調期にあろうとも、その平衡点がそのまま不調に裏返る可能性に油断せず、『そこにいるだけで嬉しい楽しい』組織風土の維持管理に手を抜く訳にいかないのだし【640】【641】【643】、不調期に傾き始めて、慌ててその原因を求め、人間関係や業務内容の精神負担アイテムなんぞ洗い出したところで答は出ない。

 では『そこにいるだけで嬉しい楽しい』とは何なのか?

 その答も劇中に登場する。自主的研究会のシーンだ。
 恐らく定時後に技術者たちが居残って職場の一角に集合し、堀越技師が司会進行役となって自前の最先端構想の図説から入り、途中の検討経過およびその結論まで解説している。いっぽう工作課の技師も呼んでいて、組立作業現場の最新の実情も、その場の全員で共有していくのである。
 ハイッ!ハイッ!ハイッ!…とその場の全員が目を輝かせて身を乗り出し、我先にと発言を申し出る。チャレンジングな目標値や具体案が語られるたび全員の歓声が上がる。そう、会議がこのモードに突入したら時計なんか邪魔でしかない。

 最後列ギャラリーとして見ていた上司の二人が『いやぁ、面白かったなあ』『感動しましたっ』と夜も更けた廊下を去ってゆく後姿のシーン、同じ経験をした人なら『時の経つのを忘れるほど楽しい時間』の記憶がフラッシュバックしたことだろう。
 ウン、機械系のモノ作りとアニメ映画の制作に、共通点があるとは思うんだけれど。
 …それにしても、何故ジブリはこれを知っている?

 高度プロフェッショナルとは、こういう仕事モードを『わかって作り出せる』スキルレベルのことだと思う。つまり、くだんの『働き方改革』とやらは絶望的な的外れでしかないのが解るだろう。

 議会制民主主義もナニもあったもんじゃない今国会だが、まず走り切って結果を見よう。
 あと少し、しっかり頼むぞ野党たち!本当にお疲れさま。
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【658】大盤振舞い先鋭テクノロジーの贅沢な毎日 [ビジネス]

 さて『風立ちぬ』の劇中で目立つのが、飛行機の逆ガル翼だ。
 皆さん夏の海の絵を描いたら、上に凸の山をふたつ繋げたカモメのシルエットを幾つか飛ばすでしょうが。
 あれがカモメ=ガルだから、逆ガルとはシルエットがW字型になる主翼のことをいう。

 大戦中、実機での採用例は意外と多く、米軍のシコルスキー製F4Uコルセアなんかが見た目も極端だし有名、面白い所では七色星団においてドメル将軍の瞬間物質移送機を使った急襲作戦で、宇宙戦艦ヤマトに襲いかかった雷撃隊も逆ガル翼機で描かれていた。宇宙空間で主翼が必要かどうかという野暮な質問は呑み込むとして、胴体まるごとが魚雷になっているかのようなデザインが印象的であった。
 まあ主翼がW字型に折れているというのは、とりあえずインパクトがあってカッコ良く見えるのだが、何故こんな形状にしたがる設計思想が湧き起こるのだろうか。

 例によって結論から行こう。何より下が見たかった。
 …ええっ?そ、そんな理由で飛行機の命とも言える主翼を曲げちゃうワケ???

 答はYESである。
 当たり前だが主翼は真直ぐにして、一直線の主桁を通してやるのが断然に効率の良い設計となる。激しい運動能力を要求される戦闘機なら尚更だ。

 だが単発の低翼機は下が見えない。だって操縦席のキャノピーは主翼の真上だもん。
 飛行機を正面から見て、ぶっちゃけ円断面の胴体があったとして、主翼が円のてっぺんに沿う接線以上になるのを高翼機、円のド真ん中を貫く横一線になるのを中翼機、円の底の接線になるのを低翼機と呼ぶ。胴体断面円の中心にプロペラ軸が来るとして、主翼を真正面から引張れる中翼機が最も素直なレイアウトであり、これだと胴体と主翼の位置関係で決まる『干渉抵抗』なる空気抵抗も最小限に抑えられるのだが、どうして大戦中の単発機は低翼型が圧倒的に多くなっている。
 低翼式なら、主翼の中央を左右一直線で通す主桁が操縦席と場所を取り合いすることもなく、短い着陸脚を平たい腹面に引込めることができるからだ。

 では下が見えないと、何がどのくらい困るのか。
 一番の問題は航空母艦への着艦にあたり、事故率が高くなることである。飛行機は機首を下げて着陸するのではなく、逆に機首を上げて迎え角を大きくとって着陸するのだ。旅客機なんかでも必ず翼下の主脚の方が先に着地するでしょうが。
 九六艦戦でもゼロ戦でも形を見直してみていただきたい。熟練を積んで、殆どカンで相対位置を合わせ込んで、空母の制動策に着艦フックが引掛るタイミングを計って飛行機を落とすようなものである【460】
 『大戦中の艦上機の15%が戦闘ではなく発着艦時の事故で喪失した』とするデータもあるのだ。敵もいないところで飛行機1機失えば、さらに運悪くパイロット1名までも失えば、これほど馬鹿馬鹿しい損害は無い。お判りかな?
 従って逆ガル翼機は海軍の艦上機に採用例が集中している。ただゼロ戦は軽量化を最優先で一直線に伸びた簡素で素直な設計となっている。
 逆ガル翼により、下方視界を向上させるとともに固定脚を短く軽くした九六艦戦は、確かにアバンギャルドな効率的設計だったと言えるだろう。

 あんまり深入りすると、ただの飛行機の話になってしまうので『風立ちぬ』に戻ろう。
 作中を通じて感じるのは『優れた技術者は自案の独占にこだわらない』とする『技術のこころ』である。コピーされるのを恐れて堀越・本庄両技師を威圧する現場作業員をなだめたユンカース博士は、惜しみなく自分の技術を開示する役回りだったし、作業点検口カバーの新構造を思いついた堀越技師は、それを図面に引いて本庄技師に『僕のアヒルには間に合わなかったんだ。使ってくれ』と気前よく手渡した。そりゃ早く現物の実用作動が見たいもんね。

 ここまでストレートに描いてくれた作品は他になかなか思い当たらず実に痛快なのだが、その痛快なる一言で断ずるなら『ああ、できるヤツってそんなもんだよ』といったところか。

 随分と前になるが、いわゆる『メーカーさん』がウチのライバル社の仕様提示をクリアできなくて困っていたところに知恵を貸したりもしたものだ。もちろんプロの技術者が技術検討に取り組むのだから、ガチの本気で『私の考えるベスト解』を提案した。これでやれば解決できるはず、どうぞ試してくださいと。
 いずれ自社が類似あるいは同様の課題に直面した場合があったとして、ライバル社が先んじて私のアイディアを実験してくれているものだと解釈する。やはり実験を経て、現実として結果事実を手に入れるというのは、技術思考の最強の確信根拠だと思う。
 ウェルカム、こちとら楽しんでやってるんだ、むしろ有難い。

 私の提案が現実として動いた場合は、ある意味義理の必然的に私の耳にその顛末が届く訳だが、ここは礼儀として、一切聞かなかったことにして墓場まで持ってくのは当然である。
 新たな問題が発生していれば発案の責任を負ってとことん相談に乗るし、もっと凄くなる発展案を思いついたらこちらから追加提案も差し上げる。更なる技術の進展を、この現実の出来事として確かめるために。
 こうやって業界の中で、手の届く限り広く、全知全能をかけ技術を育てて、そこから自分は必要になったところを必要なぶんだけ使えば良い。
 技術エクセレント層だけが理解して実践する特権のはず、ジブリは何故これを知っている?

 よこしまな心で他人の成果を横取りしようとする人間が存在する以上、知的財産の所有権に関わる概念を否定する訳にはいかないのだが、元来はそういう悪者がいない社会で、どんどん自分オリジナルの案を転がして楽しむ姿が技術者の理想像なのだと思っている。

 さてと。今回もこんなところで切ってみるかね♪
 まず、皆の底上げに手を抜かない。これは組織生命力の健全保証として必須項目だろう。
 …ってことを納得してもらって、予定通りならあと一週間だが、真直ぐ頼むぞ野党たち!
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【657】悩めるアキレスとアヒル二代目の武勇伝 [ビジネス]

 予想通り、自然とRSSの更新が元通りに追いつくようになった。気にせず進もう。

 さて堀越二郎技師は、九六艦戦のあと十二試艦戦=零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦を手掛けている。御本人としては九六艦戦の方が会心作だったらしいのだが、事実としては御存知ゼロ戦の方が大東亜戦争での存在感も、それによる知名度も遥かに上回った【309】
 九六艦戦は固定脚に開放型操縦席の軽量戦闘機=軽戦であり、空戦の武装は7.7ミリ機関銃2丁のみ、軽快な運動性で組んず解れつ敵機の背後を取り合う『巴戦(ともえせん)』を得意とする。
 えっ、最前線の戦闘機が青天井なんて野暮ったくない?などとおっしゃるなかれ。飛び立ってしまえばすぐ下層雲より上には出てしまえるし、他の背の高い雲は避けられる。空力的な非洗練性のデメリットが許容範囲に収まるなら、圧倒的に視界の良い開放型が当時のパイロットたちに支持されたのである。巴戦で戦うとなると、先に敵機を発見し斜め後方上空の好位置に回り込んで、先手必勝で仕掛けるのが断然に勝率高い。
 ゼロ戦を始め、後の全閉式風防の戦闘機たちも、戦闘態勢でない時は風防を開けて周囲に目を光らせるのが普通であった。当時レーダーは一応あったがまだまだ性能が不十分だったし、有視界飛行が航空戦闘の基本だったのである。

 さて高い運動能力を誇った九六艦戦だが当時の戦局に照らして、どうしようもなく不足している性能項目があった。
 航続距離だ。まあ空母で連れてって、そこらから飛ばすやつですからねえ。
 日華事変つまり大東亜戦争初期【459】、中国奥地の重慶や成都の軍事拠点を制圧するため、既に日本海軍の基地があった東シナ海沿岸部から爆撃隊を飛ばしていたのだが、小型軽量ゆえ燃料タンクも小さく遠出ができない九六艦戦は、爆撃隊の護衛に付けない。
 仕方なく護衛なしで爆撃隊を飛ばさざるを得ず、中国軍のソ連製イ-15あるいはイ-16といった旧式戦闘機の迎撃により大損害を出していた。イ-15なんか複葉機なのだが。

 この爆撃隊を編成していた飛行機が、九六式陸上攻撃機である。
 ほっそりしたプロポーションに双垂直尾翼が特徴的な美しい双発機、その設計者の名前を本庄季朗という。あんな風采のちょっとニヒル系イケメン技術者だったかどうかは知らない。
 飛行機好きには割と有名なトリビアだったりするのだが、実在した九六陸攻設計者の本庄氏は、第1回鳥人間コンテストの優勝機体も設計していたりする。

 九六陸攻も機首や胴体上下に旋回式銃座を備えているが、前回述べた『電車の窓から斜め射撃』の原理により命中率は悪く、たかが旧式であっても既に胴体軸線で撃てる固定銃を持った戦闘機には抗戦が難しかった。大戦中こういった旋回式銃座や、敵機の直上あるいは直下から狙う思想の『斜銃』というレイアウトもあったのだが、真正面狙いの固定銃と比較して、命中率は丸一桁違っていたという。
 ともあれ、費用対効果の悪すぎる爆撃作戦で、貴重な戦力を浪費する訳に行かなかったのである。

 ここにゼロ戦が投入される。
 例によって徹底した軽量化を図ることで、抜群の運動能力を与え、常識外れの航続距離も飛ぶ。加えて欲張って、速力と火力を大きく向上させた。それらを実現する設計アイテムとして、引込脚と全閉式風防、主翼内には20ミリ機関砲を備えることになったのである。

 面白いのは、軽快な九六艦戦での巴戦に馴染んだ熟練パイロットたちにとって、当初ゼロ戦は箸にも棒にも掛からない不評だったという逸話である。身の軽さが身上の現行九六艦戦なのに、最新装備で鈍重になったゼロ戦は、改悪にしかなってないと。実際、九六艦戦とゼロ戦の模擬空中戦では、九六艦戦が圧勝したハナシが残っているようだ。
 護衛出撃の初日、ゼロ戦隊は計画通り爆撃隊を護衛して四川盆地にまで到達、爆撃作戦は首尾よく遂行された。だが護衛戦闘機隊の存在をどこか手前で見つけられたか、あるいは事前に情報が洩れたか、中国戦闘機群は迎撃に来ないどころか、飛行場にも駐機が全く見当たらなかったという。

 数度の肩透かしを食らった後のある日、ゼロ戦隊は爆撃隊と連れ立って帰投したと見せかけ、敵地上空に引き返した。
 戦力温存のため一時退避していた中国戦闘機群は安心して別空域から帰還してきたところ、まさかの意表を突かれた格好でゼロ戦隊の餌食となり、30機以上があっという間に全数撃墜されてしまったという。
 そもそも開発時期の新旧があり比較しては可哀想な階級差なのだが、対九六艦戦の模擬戦で不評だったはずの運動性能は当時の航空技術で十分すぎる水準にあり、この時のゼロ戦隊の損害は2機被弾のみという圧勝だったらしい。爆撃作戦の経路をいったん引き返して空中戦をやり、もちろん全機帰還したということは、そこまでやってなお燃料残量に多少なりとも余裕があったということになるのだ。

 この時代、空中戦の定番イメージが世界共通としてどこまで固まっていたのかは判らない。ただ信じられない長距離を一跨ぎに飛んで来てはケタ外れの機動力で暴れまわり、応戦しようにも歯が立たない大空の脅威として、ゼロ戦は連合軍に恐れられることとなった。
 お互いの未知や、多くの偶然にも助けられていたはずの大戦果、だが日本軍のアタマはこの成功体験を忘れ去れなくなり、変遷していく技術と戦法の移り変わりに追随できないまま苦境に落ちて行く。
 タイレルP34【81】とは別の形で、技術のあり方を改めて考えさせられる事例なのだ。

 で、この御時世に、定数6増なんて到底マトモな思考回路ではない、認知症による妄言だろう。これが民意だ。
 まずはあらゆる手段の徹底抗戦で結構、引き続き頼む野党たち!連日お疲れさま!
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【656】千客万来祈願、スーパープロモ歴史談話 [ビジネス]

 気まぐれのイイ加減が私の身上ゆえ、更に話題を違う方向に転がしてみようか。
 かねてからスタジオ・ジブリの『風立ちぬ』を話題にしたいと思っていた。しっかり技術的に納得のいく内容となっており、モノ造りの基本を心得た人ならではと唸らされる、ただならない作風を感じるからだ。万々が一にもネタバレにつながってしまってその興行を邪魔する行きがかりにならないよう、ずっと思いとどまっていたのだが、そろそろ大丈夫かも知れない。

 以前にも少し書いているが、『風立ちぬ』はゼロ戦の設計者・堀越二郎技師をモデルにした作品である【309】
 まずは、この作品が完全なフィクションであることを理解しておこう。本作のストーリーは、堀越技師の一生を描いたドキュメンタリーではない。
 そしてもうひとつ、この作品はゼロ戦の開発経緯を題材にしたものでもないのだ。菜穂子さんと手を握り合って設計を突き詰め、当時としては驚異的な性能を発揮した機体は、そのイチ世代前=九六式艦上戦闘機(『きゅうろくかんせん』と呼ぶ)である。さらに劇中で大空を舞い絶賛されるのは、まだ試作段階なので『九試単座艦上戦闘機』ということになる。
 あんまり詳しくないんだけど、アレ?ゼロ戦って脚は引込んでて、キャノピーは全閉型なんじゃなかったっけ…と気になり、ラストシーン間近に『これがキミのゼロか。美しいな』『一機も戻って来ませんでした』の会話で、アララこれっぽいかも?と勘付いた方、正解である。
 全面灰白色に日の丸、無敵の戦果を上げた初期型の一一型あるいは二一型あたりだろう。
 あ、『いちいちがた』『にいちがた』と読みます。よろしく。

 さて九六艦戦に話を戻すが、当時の日本海軍の呼称ルールに照らして、この日本最初の全金属製・単葉単座戦闘機は昭和9年に開発が決定され、皇紀2596年=昭和11年=西暦1936年に正式採用となった。
 そう、飛行機といえば木製の骨に帆布を張った複葉機がまだまだ普通の時代に、他国との武力競争に打ち勝つためこのレベルの設計を実用化したのである。

 私の母方の祖父【355】が生まれたのは明治32年=1899年、これは日清戦争の4年後であり、面白い所では牛丼の吉野家創業の年でもあるらしいのだが、実はこの時点でまだ人類は動力による飛行を実現していない。オットー・リリエンタールがグライダーの研究を繰り返すうち失敗して命を落としたのが1896年。ライト兄弟によるエンジン動力機の初飛行が1903年である。
 つまり人間は20世紀になって初めて飛行機を手に入れたことになり、その後の航空技術の発達がいかにどえらい勢いなのか、改めて驚くばかりだ。もうこの世にいないけど、ウチの爺さんは飛行機の無い時代に生まれてたんだぜ、凄いっしょ。
 日露戦争1904~05年がその直後であり、ここで日本海軍は日本海において露バルチック艦隊を撃滅し勝利を収めた。この時代、武力衝突と言えば上陸し大砲を撃って敵地に攻め込むか、軍艦同士でやはり大砲を撃ち合う制海戦が象徴的な形態だったのである。
 この頃の技術遺産が、現存する世界最古の鋼製戦艦『三笠』であり、艦内には日本海海戦の解説資料なんかもまだ展示されているはずなので、この夏ぜひ一度御覧になっておくとよろしかろう。因みに間近の売店にある『東郷ビール』は、泣いて喜ぶほど別格の美味だとまでは思わないけれど、訪れる度に記念行事として飲んだものである。

 飛行機に話を戻そう。
 第一次世界大戦1914~18年の直前あたりから、飛行機が武力として使われ始めたという。ただ、何しろ人類初飛行が1903年だから、たかが十年後のそれはロクなものではなかったらしい。最初はともかく武装を抱えて飛び立つだけの余力すら危うかったため、やはりというか、偵察任務が軍用航空機の始まりであった。
 おっとっとその前に、第一次世界大戦はぶっちゃけドイツが世界中を敵にまわして起こした戦争、ぐらいの知識は再確認しておいていただこうか。欧州のド真ん中で、例えば川や海峡の向こう側と戦争をやるのだ。うわわ、思いっきり御近所さんじゃないかよ。

 だからなのだが、どうにか飛べる飛行機が飛んだ瞬間、即刻武力に転用された。隣接する敵国陣地で、どんな規模の武力がどんな攻撃態勢を自国に向けているかは、限られた国力を投入する作戦立案にあたって非常に重要な情報であり、故に偵察任務は勝敗さえ左右する貴重な軍事機能だったのである。
 当然、敵対する両国から偵察機が飛び立ってお互いを探り合う構図となり、これらが空中で遭遇して撃墜し合うなりゆきとなる。最初は石ころやレンガを飛行機に持ち込み、相手の上空に回り込んで、これらを投下するという原始的な格闘手法から始まったそうだ。
 複葉で帆布張りの、単座なり複座なりの飛行機が、一生懸命にお互いの上空を取ろうとする。当然、そのうち鉄砲を飛行機に持ち込んで、下から撃ち返すヤツも現われる。
 飛行機に乗って手持ちの銃をぶっ放すというのも命中率が悪すぎたらしいのだが、ギア同期でプロペラの間から弾を撃つという技術【309】も無かったので、最初の固定銃はプロペラの回転軌跡をよけた斜め上向きだったという。
 電車の窓から斜めに銃を突き出して、車窓から見える対象物を狙撃できるかどうか想像していただきたい。さぞかしフラストレーションの募る空中戦だったと思われる。

 実に世界がこの程度の技術力だった時代から、僅か十数年で日本国は『九試単座艦上戦闘機』に到達しているのだ。現代をして『時代が進展するスピードが加速している』のではなく、高度経済成長期からバブル期あたりに、極端に『時代が進展するスピードが遅くなっていただけ』なのではないだろうか。

 確信犯で始めた話題ゆえ、ほんのサワリで一回使ってしまい、無論もっともっと続く。
 当面、議会制民主主義の基本をきっちり守って、是々非々を厳守して行けば問題ないかな。
 起きている事実をしっかりと発信しながら、まだまだ頑張ってくれよ野党たち!
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【655】となりの墓守さん合格マニュアル [ビジネス]

 このあたりでホイっと話題を変えてみる。どうやら思考回路の再結線が進んできた。
 調子が良い悪いの程度問題ではなく、いま思い出しても完全にアタマが断線して壊れていたのだと思う。

 このところ深く短い睡眠の単位が不定型に訪れる感じで、【643】ではまだ残っていた長編の夢はどうやらほぼ終焉である。ただ何か夢を見ていた記憶だけはあり、牧歌的というか懐古的というか、静穏で友好的な印象だけが漠然と残っていることがある。ほんの時々『暗雲を背景にした四重の虹』のような壮大な光学現象の単発シーンを憶えていたりもするのだが、これは免疫力発動が小規模・単発化しているのだろうか。
 これまでほど離脱進展の節目らしき段階的な変化は感じないが、ふと気づくと、どうしようもない思考崩壊と始末に困る突発性の大量発汗、およびキツイあせも痛の三重苦がなくなっている。まだキレイさっぱりの完治まで到達できず特に耳鳴り・聴力の不調が片付かないのが悔しいが、それでも元の事情を同じくする知り合いには羨ましがられるの何の。

 『人生、山あり谷あり』を痛感する今日この頃ながら、例えば将来になって今の時期を振り返り、これが本当の谷になって見えるかどうかはまだ判らない。また後々谷に見えたからといって、その印象をもって人生全体像の評価が何か決まる訳でもない。

 私の尊敬するラダ・ビノード・パール判事だが【156】【164】、晩年は経済的に厳しく困窮した生活の中で生涯を閉じたと言われる。また、あのサグラダ・ファミリア大聖堂を設計した建築家アントニオ・ガウディは、晩年やはり楽でない生活を送るうち路面電車にはねられて人生を終えた。
 二人とも人類の歴史に名を刻む大功績を打ち立てた人物ながら、決してそのイメージに釣り合うとは言えない最期であり、ファンとしては勝手ながら地味で残念すぎる印象さえ感じてしまうのだ。
 だがこの二人は本当に分不相応に不幸な末路であり、この世への未練たらたらでその時を迎えていたのだろうか?
 こんなもの外野が勝手に想像を巡らしても悲しいくらいしょうがないのだが、個人的には直感的に常識人が思うほど酷くはなかったのではないかという気がしている。何しろ自分自身がこれと信じるチャレンジを直球で実行し、その結果として展開していく現実の行方を我が目で確かめているからだ。

 考えてみれば、晩年になって有り余る財産を抱え、みんな仲良しの大家族に囲まれ、美味いもん毎日食って、あったかい寝床で眠るようにこの世に別れを告げるというのは相当に難しい。
 これが人類の文明社会において、一般的に『快適で安穏で精神的に安定している』とされる条件なのは間違いなく、気力・体力の衰えた年齢になってそんな環境で最期の時間を過ごしたいとする願望は理解できる。だから個人スケールでも社会福祉スケールでも、その構図が理想とされ目標事象に据えられるのだろう。
 だが果たして、これまでの長きにわたりDNAに生命の掟を紡いできた他の圧倒的多数の生物たちにとっても、事情は同じなのだろうか?

 人間の作り話だとする説もあるそうだが、有名なところで『ゾウの墓場』の例について。年老いて自らの死期を悟ったゾウは自然と群れを離れ、祖先たちの遺骨があちこち風化し行くコミュニティ共通の死に場所を訪れるという。
 これを『孤独で悲しく、みすぼらしくも寂しい』と評するのは、人間の、たまたま文明のなりゆきで人工的に周りに価値観を決めてもらったような個人の、勝手な泣きの概念だったりはしないのだろうか。
 そういえば、普段そこらで見かけるハトやスズメにカラス、その他は結構な街中にもイタチなんかが家族で歩き回っていたりするのだが、彼等は一体どこで息絶えているのだろう。自然死のなきがらを、まず見かけたことがない。

 私がかつて畑の一角の一軒家を借りていた話はしたが【640】、実はこの以前にも田舎の片隅の一軒家を借りて住んでいた時期があったりする。要は私好みの住居形態なのである。
 経験のある方ならわかると思うが、こういうのはちょくちょく草引きしてやらないと、すぐに家の周りが草ぼうぼう状態になってしまう。特に暖かい季節は雑草が元気すぎてたまらん。
 私の田舎住まい転々時代、偶然にも畑だけでなく水田も間近という共通点があったため、いずれも家の周囲はカエルたちの住処にもなっていた。よって毒=除草剤を使う訳にはいかず、セイタカアワダチソウ始め繁殖力旺盛過ぎ、かつデカくなり過ぎる、タチの悪い雑草については株の中心目掛けて熱湯をかけて退治することとし、他の無茶に茂らない草は置いておくしかなかったのである。みんないるんだもん。

 こんな暮らし向きでやっていると、セキレイやカラス、時には毛並も滑らかなイタチなんかが、草むらに紛れて死後硬直でカッチカチになって、エアコン室外機の真横にお休みしていたりするのである。イタチの成獣なんかは、間近に見て実際さわると案外でかい。
 おやまあ、こんな所でお疲れさま。人間ごときがあんまり余計なコトをするのもよろしくないかと、適宜人目に触れないよう手を貸す程度に留め、御近所さんに知られないよう秘密のお葬式を上げて終了だ。これがまた、かなりの確率で誰かがすぐ連れ去っていく。
 不思議なことに、虫たちも鳥たちも獣たちも、最期の最期にゆっくりできる場所は、皆ちゃんと見つけて来て知ってくれているようだった。
 ここで、まだまだ元気な子孫があれこれ自分の用事を放り出して自分を取り巻くだとか、どうせ味わえもしないのに食いモンだの何だの贅沢したいだとか、上げ膳据え膳の環境を欲しがるのって人間だけかも知れない。
 本人はイイ気分かも知れないが、それって幸せなのか?そんなことを考えたものである。

 …と、今回はこんな話題のこんな所で話を切ってみましょうか。
 急に情報公開が途切れたと思えば、クソくっだらない裏口入学の噛ませスキャンダルかよ。
 裏口入学だろ?ほっとけ、事実だとして苦労するのは能力不足の本人だけ、誰も困らない。
 還暦近いロートル役人のガキだとすると年齢的に、本気の医師志望たる現役ハタチ前を不当に蹴落とした訳でもあるまい。茶番だ、茶番!!!

 解ってるようだし心配していない。引き続き応援するので本丸を着実に頼む、野党たち!
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【654】御贔屓ブロックチェーンの無料ロバスト保証書 [ビジネス]

 実はこれを作文している現時点で今なお継続している現象なのだが、前回【653】の投稿が『RSS1.0』『RSS2.0』に反映されず、RSSでは見かけ上【652】を最後に更新が滞った状態になっている。ここの御贔屓さんで、例えばスマホやタブレットなんかでお楽しみいただいている読者さんには、もしかして【653】の配信情報が届いてないんじゃないかという気もする。
 詳しくないので判らんのだが、なんでまた?こんな不具合モードは初めてだ。
 まあ前回【653】の更新直後といえば、物議を醸したサッカーW杯の対ポーランド戦でしたからね。きっと、どこか係の人がRSS更新用のスイッチ操作を忘れているのだろう。そのうち直るだろうし、気にせず今週も先へ進もう。

 特定の技術領域や公共福祉などを社会活動の重点強化アイテムに決めて、行政から補助金をつけるケースはよく見かけると思う。国際的に競争激化の気運が過熱している新技術だとか、国内で残念な事故が散発し要支援の世論が急上昇中の突発世相だとか。
 こういった社会の関心に応える形で、『ならば、みんなの力を頑張れる連中に託してみるか』と、税金資本の補助金がポンと積まれるワケだ。

 もちろん『よっしゃ、そういう事ならウチにやらせてくれ!』と腕に覚えのある老舗や新進気鋭の開拓者集団が次々に手を挙げ、用意された資本金でもって新事業展開のチャレンジを果敢にスタートアップ!
 …という構図は、この超長期的・底なし沼的不景気により、意外なほど稀になっている。

 前回にも述べた通り、特に中小企業なんかは今日を食い繋ぐための資金を、ガチの死にもの狂いで探し続けている。大企業はまず我が身を正常稼働に保たないと社会の広範囲に混乱が及んでしまうため、下請け泣かせの悪意など無くとも、必然として下請けの中小企業には厳しい採算取りのシワを寄せてしまいがちなのである。
 そんな苦しい立場の中小企業は、『補助金』や『事業支援金』と見るやイチもニもなく申請して、ありとあらゆるデッチ上げで応募要件を仕立てて書面提出、これでまず補助金受給により自らの運転資金を確保するのが至上目的となるケースは少なくない。これで火の車を今の瞬間ころがしてから、苦し紛れに成果事実の捻出を考え始めるという順番になるワケだ。
 大抵は役所や自治体が企画運営の事務局となり、税金資本で社会整備・産業活性化を図ると、応募が殺到して感度上々の滑り出しは見せるのだが、結局、業界を色めき立たせるようなヒット成果も出なければ、社会生活の安心基準が底堅く改善することもない。よくあるパターンである。
 何とかかんとかカタチになる成果物が実体化できれば御の字で、末路を訊かない約束の公務クローズ書面記録だけを残して消えていく企画も数知れず…

 疲弊した日本社会は、税金の撒き餌でギリ食い繋いでなお疲弊したまま、永遠に税金資本の出所に逆らえなくなっていくのだ。不景気が社会を公金予算の奴隷にし、奴隷と化した社会は、さらなる傲慢・横暴に隷従する体質に落ち込んでいく。
 日本社会の産業生産力が底を突き、流通させられる社会価値がカスカスに枯渇していても、紙に数字を印刷してカネをばら撒くぶんには、打出の小槌よろしくいくらでも経済空間に投入可能であることに気付こう。
 素人クロちゃんをバックにつけて世襲のガキがまさかの強気で居直る理由、財政健全化をあっさり放棄してバラマキ緩和政策の継続をいけしゃあしゃあと宣言する理由がこれである。

 冒頭に話題を戻して、これは中小企業限定の苦労話かというと決してそうではなく、中小企業が生命力を使い果たせば大企業は寄せていたシワを自前で背負い直すことになるから、結局は長きにわたり実際そうなって、上から下まで隷従社会の出来上がりとなった。
 そして遂には、日本国憲法以下、法律に従って公明正大に運営されるはずの民主主義法治国家組織・日本国において、あからさまな違法行為が摘発されたのに社会が気力を失い過ぎていて、それが犯罪として裁かれない緊急警戒事態にまで陥ってるかもってことだよ。

 ここは覗きに来る御贔屓さんが僅か数人程度の、ほんの小さな言論コミュニティである。受信者層の質に恵まれたお陰で、得体の知れない根拠で言いがかりをつけられ炎上することもなく、いつも楽しみに御覧いただきながら、この草葉の陰の独り言を発信することが10年以上にわたり叶っている。
 この通信形態は一種のブロックチェーンとして機能しているのではなかろうか。発信者・受信者を含む複数の人間がここの運営状況を定期的に並行チェックする立場にあり、その変化点は良識ある十分な能力により即座に感知されて、コミュニティ内で周知・共有されるのだ。
 ふう~ん、日本社会のサッカーW杯熱も相当なもんなのだなあと。

 ヒステリー系の左巻きが『言論弾圧・情報操作は独裁主義の象徴であり、戦争への第一歩だ!』と騒ぐのを見て、『鉄砲持った憲兵隊が常に国民を監視する恐怖社会』の短絡イメージを宙に描いて、鼻でせせら笑った人は多いと思う。では具体的にどんな違った姿になるのか、考えてみた方はおられるだろうか。

 この犯罪者政権が罪を犯し、世襲のガキ以下それをとぼけ通し、不運な国民が巻き込まれて命を落とし、それでも改まらないまま、犯罪者どもが立法に関わっているのだ。
 国家組織の意思決定にあからさまな情報歪曲の不備があるのを大勢が指摘しているのに、この犯罪者政権は多数決を根拠に自己都合のデタラメな立法を押し通している。これでは民主主義社会は成立せず、次には立てた法律が守られない=法治社会の機能喪失の懸念を禁じ得ない。
 他国と銃口を向き合せなければ、戦場で銃弾に倒れなければ、平和な日本国民としての暮らしが無条件に保証できるとでもいうのか。

 ここでは引き続き、私なりに品質保証した情報を提供する所存ですので、皆さま今後とも御愛顧くださいませ。次回には何事もなく元通りの、単なる事故だとは思いますが。
 こんな私が応援する。焦らず基本に忠実に、公然の正々堂々で頼むぞ野党たち!
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