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【660】名機舞うユートピアの働き方ガイドライン [ビジネス]

 いかん、書き忘れていたので何の脈絡もなくアタマから押し込んでおく。
 明治32(1899)年生まれだった祖父は関東大震災に遭っており、家財道具を積み込んだ大八車を引いて逃げたという。
 おっと今の時代なら解説が必要かな?『だいはちぐるま』と読み、現代のリヤカーの原型となった…というか、もう今の若い人にはリヤカーも身近な理解が危ういか。ともかく木製二輪の人力荷車である。

 関東大震災は大正12(1923)年だから祖父は24歳、当時なら十分に一家の大黒柱として暮らしていた年齢だろう。あちこち火が上がって、十数分からせいぜい小一時間で家を捨てる判断を下し、自分が囲う生活の丸ママを大八車に畳んで乗せて、家族を連れて避難したのだろうか。
 祖父がその目に遭ったかどうかは知らずじまいなのだが、昼前の地震だったため食事を準備する厨房の火種により火災が同時多発し大火となり、これが広く火の粉の雨を降らせて、逃げ惑う人々の大八車に次々と引火、それがまたその場で新たな火種になったと聞いた。
 動画サイトには、大規模火炎の熱による上昇気流が火災旋風を発生させ、周囲に激しい風を巻き起こす映像も残っている。周囲一帯が焼け野原になったという。

 大正15年が昭和元年だから、関東大震災の僅か15年後に昭和12年の日華事変、そのまま日本国は大東亜戦争に突入していく【459】
 そうそう、昭和4年生まれの母は幼少時代、祖父に飛行機の絵を描いてくれと頼むと、必ず複葉機の絵を描いてくれたものだと笑う。
 ちょっと調べたところ、日本海軍の『赤とんぼ』=九三式中間練習機は昭和9(1934)年に生産が始まったらしいから、なるほど時代はぴったり整合する。赤みの強い橙色の練習機塗装にその名を因んだ複葉機のことだ。私は昭和40年代の模型屋で『赤とんぼ』を見覚えたから、定年後のおっちゃんモデラーが想い出の機体として組み立てていたのだろうか。
 昭和11(1936)年正式採用の九六陸攻、九六艦戦がいかに先進的な設計だったかが窺い知れるというものだ。

 さて前回に続く話題として、『風立ちぬ』の劇中で印象的なのは、優秀な部下に対する『上司のあるべき姿』もさりげなく織り込まれているところである。
 多少ガミガミとしたうるさ型もいれば、人格者然とした穏やかな紳士もいるが、いつも自分を含む従来世界のその外側、元気な若年層が思いを馳せる未来世界の存在を認め、成長と成功のチャンスをどんどん部下に提供していく。
 しっかり『解ってる人たち』として描かれているのだ。

 自席で作図中の新人・堀越技師を紹介するにあたり、直近上司の黒川主任が、与えた業務課題がそこで進んでいるものと疑うことなく、連れてきた設計の服部課長に説明を始める場面が面白い。
 『ハヤブサの取付金具です』 それを聞いて製図盤上を覗き込んだ服部課長の一言は
 『…こりゃ違うぞ???説明したまえ』
 非難も懐疑も全く含まないこの第一声、図面に描かれた新発想の匂いにいち早く勘付いて、好奇心と包容力の笑顔で受け止めるベテラン機械屋のセンスがうまく籠められていると思う。
 これに応える堀越技師の回答も、未完の新規構想を恐れず率直に語るものであり好感が持てる。ここも私の大好きな一幕である。

 『風立ちぬ』の職場シーンには、ひたすらモノ作りの楽しさを追い求める技術者や作業者の姿が描かれており、それは『解ってる者』同士であってこその、無理も無駄もない理想的な職場人間関係に乗っかって実現するものであり、ズバリその通りの光景が劇中ストーリーとして流れていく。
 余計な悪役とか、嫌な奴とか、足手纏いの勘違い野郎なんかが一人も出てこない理想郷なのだ。アニメ作品ならではで成立し、違和感なく視聴できる世界なのかも知れない。

 ともあれ見ていて痛快で気持ち良い限りなのだが、何故ジブリはこれを知っている?

 能力のある人間が夢に衝き動かされるままにモノ作りを志し、組織をなして相互理解し、協力し、成果を生む。人間社会における生産活動の本質がノイズなく解説された教科書とも読める内容だと思う。
 やれと言われて言いなりにやっている人間も、やらないとしょうがないからと嫌々やっている人間もいない。誰かに何かを強制して、権力支配感の自己満足に浸って喜ぶ無能な人間もいないからだ。
 頼まれて意地悪く断ったり交換駆け引きを持ち掛けたりする人間もいなければ、意見を求められて押し黙ったりデタラメな嘘をついたりする人間もいない。『良い製品を作りたい』という正真正銘の目標以外に、カネや権力や力関係みたいな浅ましい利得に余所見する無駄な人間もいないからだ。

 『ああ、こんな言動の交換が、人間の理性・知性を活性化して、良い製品ができるのだな』と自然に納得できた人は、一面的・部分的にでもこの幸福な時間をどこかで過ごしたことがあり、その概念を知っているのだろう。
 『けっ、こんな職場が本当にあるなら苦労しないよ』あたりの憎まれ口が出てきてしまう人は、これまで全く恵まれなかった自分の過去が、そんなにまで恵まれなかった理由を考えた方が良い。

 なお実在の堀越二郎技師は、九六艦戦・ゼロ戦と傑作機を生んだ後、あまり成功には恵まれていない。げに技術開発の現実とはこんなものである。
 十四試局地戦闘機=『雷電』は大型大馬力エンジンを使いながらも空気抵抗を減らすため、ラグビーボールのようなプロポーションの胴体とし、後ろに退いたエンジンから延長軸でプロペラを回す設計としたものだが、思ったほど速くもならず、この延長軸が捩じれ振動を起こすなどジャジャ馬な飛行機になってしまった。現場の努力もあって、東京空襲に来たB29相手に一定の戦果を上げているのは立派。
 更に十七試艦上戦闘機=『烈風』は、計画構想の段階から非現実的なプロジェクトであった。多数の空母を喪失し本土決戦の色が濃厚になってきていた大戦末期に到って、まだ軍部上層が高性能の艦上戦闘機の開発指令を出していたという事実が確認できる。
 無茶な要求性能の達成に四苦八苦するうち、コイツは実用化されることなく終戦を迎えた。

 いや、技術検討の経緯は全プロジェクトにおいて革新的で優秀なのだけれど。

 そして終戦後、初の国産旅客機YS-11の開発にも堀越技師は参加しているのだ。
 幸運にも私はそのYS-11の実機搭乗・旅客飛行を体験できているのだが【399】、よくあの時に乗せてくれていたものだと、今も心の底から父に感謝している。恵まれた人生である。

 …とまあ今回はこんなところか。閲覧数の伸びも順調、ここは予告も予兆もなく更新が止まるようなことは基本ありませんので、今後ともよろしく御愛顧くださいませ。
 閉幕を迎えた今国会だが、今回のハナシに照らして、どれほど生産性があったのだろう?
 まずは野党たち、お疲れさま。これで終わりじゃないが、御尽力ありがとう!
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