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【645】幸運ラフプレーの退場宣告 [ビジネス]

 偶然の巡り合せながら対比が明暗ハッキリついていて、これが日本社会の意識をまた少し変えてくれるのではないかと期待している。
 そう、若い人たちの素直な声が上がり、道理に沿って物事が展開しつつある大学アメフト危険行為の騒動と、相変わらず不正・隠蔽の横車で認知症老人の言いなりが通ると勘違いしている国会の痴呆論議の対比のことだ。

 アメフトの件では、危険行為を犯してしまったプレイヤー本人クンが逃げ出さず辛い場面に自ら出て来て、自分の言葉で真実を語った【330】
 これに続いて、彼を裏切り見え透いた保身に翻る指導者どもの醜い言い訳をもって、関東の学生連盟が『不自然極まる、虚偽と判断した』とバッサリ断ずる痛快な計らいが光ったのは御存知の通り。
 ぐうの音も出ない証拠さえ上がらなければ、どんな自分ら都合がバレバレの作り話でも基本的人権を踏み越えてまで追及の手は及ばないから、結局は普段から顔の効く範囲の場で言ったもん勝ちの逃げ切ったもん勝ち。こんな性根で、一応にでも『命令する地位にいる』『カネ流れを好きに決められる』ということにしてもらっている自分が、何か関係者一同に主張して強要して、しぶしぶの黙認で従わせるチカラがあるとでも勘違いしたのだろう。
 もうマトモな日本語の会話が成立しなくなっている。

 こんな的外れに狂ってしまった人間関係の認識では、もはや組織の一員として噛み合うことはできない。まさに組織認知症である。
 若い学生さんを擁し過半数が未来を意識する学生連盟組織は、認知症を発症した用済み個体を切除・廃棄し、合理的な組織力生成機能を取り戻して生命力を再整備するのだ。

 いっぽう完全な『さらし者』として、呆れられ忌み嫌われ続けるのがこの犯罪者政権である。
 偶然といえば偶然にも見えるが、思えば何年にもわたって隠蔽と虚偽答弁ばかり続けていたのだから、いずれ正しい実例が真横で対照的に並走し、この悪しき慣習が社会の全面に同時絨毯爆撃で強く印象付けられる日は、来ない方がおかしい。
 これは必然の展開が訪れたのであり、甘く見て早めの火消しを怠ったため云々…とする論評は、渦中の当事者ども同様、全く時代遅れの世間知らずである。

 『法治社会なんだから、悪事の物証を隠し通して、日本語文法でどうにか文意の成立する主張さえできてしまえば、疑わしきは罰せずで硬直し風化する』などという社会基準はもう過去のものなのだ。
 立法・行政・司法の日本国運営機関にまたがる組織認知症の高齢犯罪者集団が、やって良いコト悪いコトの一線を見失い、私利私欲の違法行為をバレバレ穴だらけで隠蔽したつもりを演じ、これを誰にも気付かれていない体で強行しようとする、まるでコントのような故障モードがあからさまになり過ぎたためである。
 当然、認知症犯罪者集団に対する反感が拡がり、巨大生物・日本社会の自我は『従来の裁き方でどう決まろうが道理の通らないものは通らない。許さないものは許さない』と腹づもりを据え替えた。
 誰がどこから見たって真実は明らか、ならばそれが日本社会の自我の認識なのである。

 まだまだ治らないこの犯罪者政権の不正を暴く物証は出続けると思う。
 日本社会の現役世代=生命力の中心が、犯罪者政権の食い物にされようとしていた危機に気付き、本気で組織認知症の犯罪者を駆除にかかる決心を起こしたからだ。
 組織生命のDNAを紡ぐ『生命の掟』として、正しい反応動作である。

 国会の意思決定を不正に狂わせたペテン眼鏡が『ま、このくらいなら不正ってほどでもないんじゃね?』的に不起訴で済んだというのも信じがたい話だが、次はこれを日本社会が従来なかった反応で裁く順番になることに気付こう。
 例えば、これまで選挙の投票用紙にしばしば抱き合わせ?で問いかけられていた、裁判官の信任・不信任の投票に大きく影響が出て来るのではないかと思っている。あの『やめさせた方がいいと思う裁判官』というやつである。
 恐らくほとんどの人が『やめさせた方がいい』とか『不信任』に票を投じたことが無いのではないだろうか。政策の良し悪しとも直接関係なさそうだし、わざわざにやめさせる理由も見当たらないし、よく判らん…んじゃま頑張っててくださいよ、というのが大方の判断ではないかと推察する。いかがでしょうか?

 だが今回、司法機関があからさまに日本社会の意志を無碍にした処置を勝手に決めた。検察は厳密な区分としては行政に属したと思うが、社会一般としては司法のまな板に乗せるかどうかの入口機関として認識されているはずである。
 どこに勤めるどの立場の奴とか細かいハナシはともかく『日本の司法が』、世襲のガキの手前なら公金8億円ぐらい罪を問うほどでもないってことでオシマイにしちゃった訳だ。
 これ、上記の投票スタンダードが裏返って、司法関連の信任投票と見るや片っ端から…という将来の事態を招いてしまっている可能性は少なくないと思う。改めて危機管理が語られる昨今なのに、この程度のこと考え及ばんかなあ。まあいいや。
 とりあえず眺めていようか、『幕引き』とやらの収穫はいずれ自分らで刈り取るんだろう。

 冒頭に話を戻すが、若い人が『反則して、自分が勝ったことになる判定を手に入れる』ところまで行かなかったのが、何よりも良かったと思う。
 こっそり不正をやってそれを見逃した誰かに勝利を認めてもらったとして、人を騙して、騙した人の目に決めてもらった高評価を手に入れて、それを自分の優位価値にしてしまった記憶が生涯永久に残る。こんなもの成功してしまっていたら、一生の不幸だ。

 軽減税率=現役世代の生活負担【574】をこっそり交換取引に差し出し、ウソをつき真実を隠し、忌み嫌われ嘲笑されながら、改憲の名誉に執着するどこぞのガキみたいな卑しい顔になっちまってたところだぜ。
 あれこれあったが、良かったじゃん。まだ若いんだし、また仲間と思い切りアメフトやれば?
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【644】どんぶり勘定サービス残業の満足度 [ビジネス]

 またかよ、もうメチャクチャだな。不正と捏造の疑惑漂う『働き方改革』とやらのことだ。
 あれってさあ、日本国民の意志を代表する立場として選出されたメンバーたちが、日本社会の明るい将来を目的意識に持って慎重に検討を進め、国家運営方針を議決している姿なんだっけ?

 10年以上前にここで何度か取り上げた裁量労働制、当時は『ホワイトカラー・エグゼンプション=間接業務労務管理の融通拡大』なる用語が飛び交っていたものである。最近の若い人には馴染みが無くなっているかも知れないので、基礎から改めて解説しておこうか。
 まず青い作業着で工場ラインの組立作業、これがブルーカラーの代表的イメージだ。その生産力は製品に直結するので『直接業務』と呼ばれる。
 いっぽうワイシャツで事務所のデスクワーク、これがホワイトカラーの代表的イメージだ。その生産力は直接業務の作業内容や仕組みを変えたり、事業全体の経営方針を決定するなど組織運営の情報操作として顕れるもので、直接業務に対してこちらは『間接業務』と呼ばれる。

 直接業務は、作業標準で決められた定型作業をこなすスタイルとなるため、賃金は時間単価に就業時間を掛け算すれば算出できる。
 ところが間接業務はそう単純ではなく、例えば来年度の経営戦略立案が一人あたりおいくらなのかは、そう簡単に算出できない。というか何通りもの考え方と、それを解釈した計算式が多岐に拡がるため難しい。実績に基づく職務ランクに対応して頭数割りでおいくら、のようなやり方もあるだろうし、完全に成功報酬制にしてしまって、コミットメント達成の証左をもって成果項目逐一を御代と交換、も一手になり得る。
 直接業務の実直な遂行は製造業のリアルタイム生産力を支えるのだが、それを適正化し継続的な組織収益に結びつけるには、優れた間接業務による直接業務の適切マネジメントが不可欠だ。よって組織全体の収益性を確実に保証する責務を負って、ホワイトカラーは『相対的に優遇されつつも時価で買い叩かれる』運命にある。

 ここで『組織全体の収益性の保証』をどう評価し、賃金換算するかが問題となる。
 一番わかりやすいのは、ある一人が新規参入して、そいつが『いない状態』から『いる状態』になるビフォー・アフターで、収益向上の実績差額が明確な場合である。その差額まるまんまかどうかはともかく『ハイ成功報酬、これね』とまとまった一時金の形で賃金支払いが可能だ。
 だが逆に損失を出した場合、その瞬間に払い戻させるのか、あるいは業績回復の責任を負わせて継続雇用し最終的に収益を刈り取るまでやるのかの選択もあれば、そもそもがそんなに個人効果が単発的に組織収益を左右することなど無いのが普通だ。
 よって、とりあえず基本給を決めておき、在職中の実績を反映させた職務ランクを設定、この職務ランクの階層で出世競争を頑張ってもらうのがポピュラーな賃金体系となる。あとは、知名度の高い表彰を受賞するとか、組織のイメージを落とすようなボロい不祥事を起こすとか特別変動系の一時評価が乗っかると。
 本来『ボーナス』というのは予定外の収益に付いてくる、この領域の『賞与』なのである。

 さて、なかなか一筋縄で定量換算できないホワイトカラーの『組織全体への収益性の保証』ではあるが、高度経済成長期においてはブルーカラー的な量的効果の概念が強かった。
 ひとつに終身雇用が常識だったので帰属する組織のために、個人都合を二の次三の次にする社会気運が高く、『職場として必要なコトをこなすため』にみんな仕事をしていたこと。そして戦中戦後の厳しい記憶が社会に残っており、有難味を解って習得された平均値の高い教育が、道理として均質に成果出力を生んでいたこと。
 また国際的に見て、高い技術力が安価な労務費で稼働する日本社会だったため総じて重宝された時代であり、日本社会ウチとしては経営力やマネジメントの優劣に関わらず、仕事に溢れ商売繁盛が叶ったこと。
 つまり、まあ大体その業界でマジメに仕事しているつもりで暮らしていれば、つもりのまま本当に仕事になっちゃっていたという、今ふり返ってみれば特殊なラクチン行きがかりの社会情勢だったのである。これが日本社会の労務標準モデルとして意識されてしまったところに間違いがあったのは確かだ。

  『やるべき仕事は無限にあるので、やったらやったぶん仕事になる』
  『定時で上がるのは仕事嫌いの怠け者、良い仕事の節目は深残でつける』
  『仲間がそのペースでやっている以上、組織力維持のため自分も同調せねば』
 こんな理屈が成立し、相応に現実になる条件が揃っていた時代ゆえ、ホワイトカラーの賃金体系にも残業効果の定量計算が常識になっていた。
 10年前いやその遥か以前に、既に自由競争市場はその常識にそぐわない変質を遂げており、その問題について考え始めたのが、ここを立ち上げる動機のひとつにもなっている。
 少なくとも日本社会の労務意識は、高度経済成長期の残滓と決別する必要があると思う。

 だがだからといって、この度の『働き方改革』とやらがその役割を担って作用するかというと、答は全くもってのNOだ。
 立法・行政・司法の機関横断型・組織認知症の犯罪者組織が、『企業財務が好転したから日本経済は好調だ、だから消費税率を上げて良くて、軽減税率で還暦公務員を食わして良い』と言い放つための、労務管理あやふや化政策というのが実態である。
 この不況下では、様々な名目のもと公金の支援あってこそで、経営がどうにかなっている企業は多い。その財務処理にあたって、一般に最大級の支出費目となる人件費を削らせて、業績を好転させる額面操作を許す…というか強要して合法を主張させる根拠を仕込むのが、この異常な労務概念なのである。

 おわかりだろうか。景気好転のデマを流布する仕込みってことさ。
 惰性の慣習的なカラーが強かったとはいえ残業代の賃金階層を強行に削ぎ落として、財務上だけは諸企業の収益性を好転させようとする犯罪シナリオの1ピースなのである。だからあの勢いで、本来なら採決として事実認識すべきではないのが明白なのに、『またしても』の強行採決と相成ったワケだ。世襲のガキ、改憲賛同との交換条件ひとつクリアってことだな。

 ま、学生さんが注目浴びながら襟を正す姿が目立つ昨今、相応に映ったとは思うがね。
 こういう場面で『結果はともかく経緯が大事』という表現を使うのだ。頼むぞ、野党たち!
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【643】楽しみ失くした人生の終活偽証罪 [ビジネス]

 今週になって明確に睡眠のパターンが変わった。まずはその備忘録から。
 寝付いて2~3時間だろうか、草木も眠る丑三つ時に必ず目が覚めてしまう。夢は見ない。
 そこから再び眠りたいのに薄明るくなる頃まで入眠できず、恐らくはそこからの2~3時間に数日跨ぎの長編の夢を見る眠りに落ちている。
 眠れぬ中抜けの時間帯は『身体が全く眠ろうとしない』状態であり、実はこれまでにも何度か体験している。その時は実に丸一夜、朝まで入眠が叶わなかった。

 ここはひとつ『身体各部にもローカル記憶機能』仮説【635】に従い仰向け安静にして観察していると、やはり脊椎の芯、両肩関節、股関節などに次々とデフラグらしき速い振動を感じる。何らかの理由により、アタマは敢えて起動しておいて、ローカル記憶機能の方を睡眠デフラグ処理する工程になっているのではないだろうか。睡眠は脳だけの特権ではないことになる。
 ここしばらく睡眠中の体内が静かだったのに、この睡眠パターンになってから再び賑やかになってきたと感じる。どうやら身体にはやることがあるので、『眠れないから』と未明に起き出したりしない方が良さそうだ。
 ここへ来て主に関節の内側なんかが繰り返し荒れるから、一気通貫のローカル記憶更新期間なのかも知れない。なお再入眠後の長編の夢は、目覚めた直後に思い出せるものの、その記憶は比較的薄く短いものだ。

 順番が前後するが、ちょっと厄介なのは最初の入眠時だろうか。
 子供の頃、友達の脇腹を手刀で突つくなり、くにっと揉むなりしてイタズラした経験は誰しもあると思う。そう、やられた方はその特有の激しいくすぐったさに思わず身をよじることになる。
 何故か、あの感覚が身体の筋肉一本一本を襲うのだ。せいぜい数分程度だろうとは思うのだが、気持ちよく眠りかけては思わぬ所に『づくっ』と来るので迷惑千万、かなり腹立たしい。まあ不眠症にもなっていないし当面はそのまま放ってあるワケだが、この珍症状に種明かしの日は訪れるのだろうか。

 いっぽう覚醒中も明らかに離脱フェーズの進展があり、無機的にどんどん行動を切り換えていくプログラムが断続的に発動するようになった。
 電子メールを読もうとして、どうにも冷静に読めないので一旦諦め、音声をアップしてテレビ画面を見る。だが僅か数秒~十数秒でそうもしていられないような気がして、PCで電子新聞の記事を開いてみる。
 当然というか、見出し直下の1~2行まで目に入ったところで躓いて読み進めず、遂に横に置いてあった旅行会社パンフの短くユルい紀行記事に目を落としてみる。
 これがやっぱりダメでテレビに逆戻りし、PCディスプレイ、パンフレットとぐるぐる順巡りをしてしまい、だからって堂々巡りを絶ち切るため立ち上がってイレギュラーな飲食を始めたりすると体を壊すだろうし、仕方なくその場で目を閉じて感覚入力を抑えるうち元通りに収まる…とまあ、こちらも賑やかなことになってしまった。 再発までの期間も分単位の短いもので、寝ても覚めても身体が何らかの展開を急いでいると感じられてならない。因みに耳はまだ治っていないので、その影響があると思う。
 いいさ、完全断薬で後戻りの原因は根絶してある。存分に急いでもらおうじゃないの。

 とにかく現状がダメなら、ダメな原因をキャンセル処置して次に進まないと建設的な将来は望めない。労力と時間が必要ならかけるしかないし、それで消耗しても死にさえしなければ良く、そこから巻き返しが可能だ。だからそうしている。
 そのうち私は本来の稼働力を取り戻すことになるだろう。その経過観察から、人間や組織体のパワー復調を呼び込む生命の掟を読み取れないものかと狙っている。

 一般論的に『そこにいるだけで嬉しい楽しい』組織生命体とは【640】、人間個人スケールならば『食って寝て生きているだけで、とりあえず愉快でいられるハッピー野郎』なんじゃないだろうか。早い話が『保証すべきはまず健康、さらに目指すは絶好調』が基本要件であり、かつてのように『健康が話題になり始めたらもう若くない』などと吐き捨てていては、組織をなして生き残れない時代なのである。
 こういう明朗快活な個人が何かを始めようとする時、生物の自然な共通プログラムとして、生産性のある組織の自然でスムーズで合理的な要所作動を担って、強力な仲間意識を発動するのではないだろうか【630】
 裏返せば、食って寝て生きているだけでは不満足な人間が過半数いるから、今日の日本国は『そこにいるだけで嬉しい楽しい』組織でなくなっているのだ。

 例によって結論から行くと、『老衰により体力を失い、単純に食って寝て生きているだけの自分に満足できなくなっているヤツが増え過ぎた』というのが高齢化ニッポンに突き付けられた厳しい局面だと思う。
 だから日本社会のあちこちで、カネや地位などの人工価値に執着する傾向が目立ち、同じ老衰価値観の似た者同士で卑しい犯罪者組織を構築し、そのウチワのトクのために隠蔽でも不正でも何でもやるような群ればかりが目に付く事態に陥ったのではなかろうか。
 組織認知症は『無駄に延命された老衰個体が、人工価値を得て、文明社会組織の癌細胞として組織化し増殖する』とする定義が成り立つと思っている。未来ある社会本体からは速やかに切除・隔離して、実害のない善後策を模索させてやるのが適切な措置となろう。

 日本国においては、憲法のもと国民全員が平等な立場にある。発言権も等価だ。
 だが1億2千万人が直接一堂に会して意見をぶつけあい妥当解を決めるのは現実的でないから、選挙で代表者を一定数選出し、そいつらに隈なく国家組織の意図を反映してもらうことにし、国家運営の意思決定を任せる。御存知これが議会制民主主義の原理である。
 ところがこの現状はどうだ。
 日本社会組織の意図を反映するどころか、この犯罪者政権が違法行為を犯して情報の捏造と隠蔽をやっており、現時点で暴かれた件については事実関係の不整合をとぼけっ放しのまま今日がある。
 ボケ老人犯罪者集団の大ウソを議案にした国会で何か議決したら、近代国家組織としてオシマイだよ。認知症のガイキチ人治国家に半島や大陸を指して批判する権利は無い。嘆かわしいことである。

 今週末どんな結果であれ、日本社会の自我の認識とその後の反応は相応に付いてくる。
 日本国組織の良識ある生存本能の代表者として応援する。徹底して頑張れ、野党たち!
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【642】不思議の国のガイキチ職種 [ビジネス]

 現状ペースはウィークデーまとめと週末まとめのつもりなのだが、酔払っての更新はやらない主義なので、たまにはこんな時刻に。

 DNAが紡いだ本能は手強い。さしもの私も逆らう方策をまだ見つけられずにいる。
 背後の気配察知機能による思考作業の難しさのことだ。貴重な体験ではあるのだが【640】
 何か思いつけないもんかなあ。試せることは全て試しておかないと後悔しそうだし。

 『津波てんでんこ=何も考えず全てを放り出し、自助に賭けて個人単位で避難しなさい』の教えは、組織生命体としての津波来襲地域がDNAに紡いだ生命の掟なんだろうな。
 実際、311東日本大震災の被災調査のデータ分析では、高齢者や障害者などの介助のため避難が遅れて、介助する・されるの双方が犠牲になったケースが散見され、計算上は『見捨てて逃げた方が生存率は高かった』という結果になるのだという。
 数年前の311震災被害の追悼式で若いお嬢さんが、瓦礫の下敷きになったお母さんにお別れを言って避難した時の体験を語っておられた。ただ聞いただけの私が、いま思い出しても心臓を握りつぶされるかの圧迫感を覚える重い決断である。
 若さは強さ、生命の掟により彼女は生存競争を勝ち残り、その情報を日本国に展開した。

 ある程度知っていたつもりながら今年の311追悼番組で少々驚いたのは、三陸海岸に長々と建設された防潮堤の映像である。僅かに防潮堤が切れている海岸の集落は、防潮堤の建設か高台への移住かの選択を突き付けられ、海のある生活を続けるため負担を呑んで高台移住を選んだのだという。
 つまり、その選択を突き付ける先の住民がいない海岸線、高台移住の負担を負えない住民しかいない海岸線については、全て防潮堤を作ってしまっている訳だ、税金仕事で。
 一目みりゃ判るよ、そりゃ世のセメント屋は大儲けだろうな。ま、そういうことだ。

 ただ大儲けも何も、日本の国家財務は普通なら返済が絶望的とさえ思える天文学的負債を積み上げている上に、こないだ毎年の財務を黒字化するプライマリーバランス健全化も放棄を宣言している。
 三陸海岸が再び津波に襲われる日はいつか訪れるはずだが、もちろんその時期も規模も、誰にも予測はできない。
 一体どんな費用対効果の算出根拠のもと、どこで意思決定されこの防潮堤は建造されたのだろうか?
 細かいハナシはともかく、今なら私を含め国民の多くが『大体どこでどんなことになっていそうか』の見当がつくようになっているのではないかと思う。政権の移り変わりを跨いで原因があるところに注目。

 まあこんなことをしてセメント屋を金ヅルに囲い込む以上は、セメント屋を権力ポストに置いたまま、周囲の誰も逆らえないという力関係が組み上がってしまうのだが、これが昨今なかなか興味深いことになって来たと見受ける。
 まず従来ちゃんと考えずに国民が受け入れてしまっていた『日本の政治なんてこんなもの』の常識を捨てて我に返れば、元々セメント屋が閣僚どころかコンビニのバイトも任せられない知能レベルであることはすぐ判る【614】
 でも脳みそは他に用意するとして、セメント屋には公共の場面で紙に書いたメモだけ朗読させオシマイにしておけば、見かけ上の政権運営組織は成立すると。
 それがここへ来て御覧の通り組織認知症が想定外に進行してしまい、『メモの朗読だけ』すら不可能になり、制御不能で気が狂った自爆発信を乱発するようになってしまった。

 被災地の仲間たちを苦しめて無理無謀な超巨大公共事業を自分ら都合にでっち上げ、金ヅルの傀儡重役だけ置いて資金を吸い上げるような悪辣なやり方に、まともにバチが当たった形だ。
 そうか、組織認知症で犯罪を繰り返す老衰組織は、いずれ徐々に進行していって、おのれの認知症で直接おのれを突き刺し始めるのだ。なるほどね、神さまは見ていた。

 ここで何度も解説しているように、カネというのは人間同士の約束事・信用に基づいて価値媒体として流通する。つまり『きちんと皆で仲良く便利できるツールにしようね』という相互信頼のメンテを、社会の全員が怠ってはならない。
 運用を間違えたなら、正攻法で損失を埋める。そこを管理できないと日本円の仕組みは崩壊する。

 本来ならもっと本格的にやりたいのがカジノ=IR法案によるカネ儲けだ。
 そりゃ賭博とは生産活動と縁の無い刹那消費であり、ある種の堕落感が漂うのは認める。だが一定数の人間が『大当たりの確率に賭けた浪費』に娯楽性を覚えるのも事実であり、だからこそ今日の人類文明において、ただの破滅的・退廃的文化ではない『カネ集めの方策』として認識されており、その効果は国際社会で実証もされている。
 世界に他例を見ない額の負債を積み上げた日本国財務は、何よりまず相当のことをやらないと正常化できないのだ。ここに腹を括れば、入場制限がどうの、ギャンブル依存がどうの、そんなことは二の次三の次で結構、何かあったら発生都度対応するとして、悩む前にやってみる決断こそが国務となろう。
 『賭け事は悪いコト』という良識フレーズを見境なく唱えたがる人種は、それもまた言語文化ならではの概念であることに気付くべきだ。
 国家財務という巨大生物の生命維持に緊急で大量の輸血が必要なら、最初に敷居の低いIRを準備し、発生都度の対処療法のため優れた医者を確保するのが得策である。

 ラスベガスが入場料なんか取るかよ?だから連休前のロスから大挙して客が押し寄せ大渋滞を作り、あの砂漠に輝く不夜城のウキウキワクワクの大繁栄があるのだ。
 正直このあたりは野党たちには冷静に考えて欲しかったりもするんだが、ともかく今は狂った犯罪者政権の制止をお願いするとしよう。
 ガイキチは帽子屋だけで十分、セメント屋は要らない。引き続き頼む、野党たち!
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【641】正しいトリ文法vs狂った霞が関文法 [ビジネス]

 耳について考えていて、もうひとつだけ思い出したので、鳥のハナシから。
 ウチにいたセキセイは人間の耳の位置・形・機能を正確に理解しており、肩に乗ると長髪にしていた私の髪を片足で一束鷲掴みにしてちょいと横へ分け、盛んに耳の穴に向かって世間話をしてくれたものである。
  『ひいよ~ぎょいよぎょいよ、い~よいよ。うい~ぎよぎよぎよ、くわ、くわ、くわ♪』
 日本語で生活する私にとって意味をなす音声ではないワケだが、まあヤツに話したいことがあって、好意的に私に向かってそれを伝えてくれているのはよく解る。目的達成である。

 例えば誰かに興味本位で取り上げられてしまったカードを、持ち主の人間が返却して欲しいと思った時、人間は自然な一連の動作として相手を見つめ、『お願い、そのカードは返して頂戴』と言葉を発する。
 カラス相手に日本語が通じる可能性に賭けて話しかけるのではなく、現実を前に日本人がある要求を訴えるとき発信する一般コミュニケーション動作として、正直に日本語で会話を持ちかけるのだ。
 『カラスがくわえたカードを持ち主の人間に返却するという現実』を巻き起こすために。

 こういったシーンで、人間同士・日本語人種同士において、圧倒的に情報密度が濃く伝達精度が上がるので、言語文明というのは知的に高度な交信が可能となり便利なのだ。
 言語文明の原理的な存在意義とはこんなものだろう。現実に向かって、放たれる言語情報の内容は整合し収束していく。

 この苦節のヤク離脱期間中、私は断続的に、自分にさえ滑稽とも映るような意味不明の行動をしたくなる動機にかられることがあった。道路のこっち側の歩道を普通に進めば家に帰れるのに、何故か道路の反対側に渡って、進んだ先でまたこっち側に戻ってくるとか。まあそれで気は済むんですけどね。
 違法行為にでもならない限り、実験として私自身が何をしたがるのかに任せて観察を続けてきた訳だが、そうするうち生命の本質的構造と作動原理、それらが淘汰の歴史を経て研ぎ澄ませた本能に気が付いたのである。
 あ、先に弁明しておくと、違法行為の欲望は一度も体験していないので、よろしく。

 さてこの挙動不審ぶりを道端でお巡りさんが見つけ、私に職務質問したとしたらどうなったろうか?そりゃヤク中なのは間違いないんだし、あれやこれやが尋常ではなく、タイミングが悪ければいきなりの不自然な紅潮や大量の発汗という怪し過ぎるオマケもつく。

 ハイ結論。ありのままを説明するだけだ。何なら家まで来てもらってガサ入れてもらう。
 最終的にせいぜい『お大事に』とは言ってもらえるにしても、私の手が後ろに回ることは絶対ない。

 どれだけ奇妙に見える行きがかりでも、現実は現実で、真実としてそうなっているのだからしょうがない。私の発する言語情報はこの世にある全ての物証を従えて、ただステロイド離脱5年半の経過時点を裏付けるのみ、それ以上もそれ以下も無い。
 現実に対する言語情報の位置づけって、やっぱりこうなんじゃないか。ええ?日本国よ。

 ところで人間が言語情報を持っていなかったら、『回り道』『挙動不審』の概念はあり得るのだろうか?
 答はNOだ。いま私は文明社会が人工的な情報として設定する価値観において『回り道という非効率な経路を歩くという、不審な挙動を示すヤツ』となった反面、耳に感覚トラブルを抱えた生物の行動としては極く自然だと言える。
 私はこれら双方の世界を激しく往復しているので意識できるのだが、こんなことにでもならないと、そうそうは思いつかない概念だ。40億年といわれる生命の歴史において、生存確率を上げるような一定の反応プログラムが競争を勝ち抜いてきて、それらのプログラム作動はわざわざ記憶に残らない道を選んだのではないだろうか。だって生き残っちゃえば勝ちで、もう次の瞬間から新規記憶ビットはひとつでも多く空けて用意しておきたいから、生存競争に不要な想い出は引きずらないDNAが紡がれているのだ【637】
 個人も組織も、生命の掟に従いながら自分自身で決断していると勘違いして生きている。

 『そこにいるだけで嬉しい楽しい』と理屈抜きに直感できる組織の空気、これこそが、生命の掟が遵守されている時に、組織員に知覚される物理現象なのだと思う。
 そうか、これも私の経験則なのだが、職場風土管理において『仲間意識を破壊する内容の情報発信』はキルスイッチの緊急制止が必要な重大事件であり、それが真実であろうが虚偽であろうが、イチもニもなくまず消さないと組織体構造が崩壊する。元々生物が仲間意識をもって交信し、組織生命力を得ようとするものであるからには【630】、このあたりが組織生命の掟になって然るべきなのだろう。
 いっぽう沈んだメンバーを抱えて元気を失くしている集団には、弱っているヤツを狙って捕まえ面白い発信をさせて皆がそれを気にするように仕向けるのだが、確かにこれが成功して効いた時というのは、組織生命の火が入ったと表現するに値する。う~ん、うまく方法論化できないかなあ。

 ま、ハエハエ・カカカも高度文明社会も、みんな46億年勝ち残って今がありますからね。
 いま地球上の全生物のうちで日本人ぐらいのもんだよ、認知症で気が狂ったボケ老人支配の決め事やって、あからさまにそれと判りつつ自滅しようとしてるのは。みっともないハナシである。

 法案の論拠になるデータの2割が間違っていたのなら、仮にその2割丸々を削除して原案と矛盾が出なかったとしても情報は不足しているはずだから、一度はひっこめて不足部分を検証し、全体像まで含めて精査し直した上で次回に審議するのが常識だろう。だいたい2割削って結論が変わらないなら、その2割は無意味な無駄公務が行われていたことになる。それはそれで問題だろう。
 国民としては、論拠欠損による法案内容の不備を避けるため、慎重に次回送りにできない理由が知りたい。現状案ママなら、検討に余計な時間など割かず一発廃案とするのが正しい判断だ。

 こんな議論をしていて、『日本人として日本国で暮らせるだけで嬉しい楽しい』のか?認知症で生存本能が壊れ、気が狂ったボケ老人の不正情報は全て削除して欲しい。
 ダメなものを急ぐ意味なんか無い、これが国民の意志だ、応援するので頼む野党たち!
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【640】うしろのヤク野郎 [ビジネス]

 本筋は違う話題にするつもりなのだが、この機会を逃すと次がなかなか無いと思うので、鳥の認知能力について、今のうちにもう少しだけ。
 鳥は飼われていなくても日頃見かける人間は覚えており、さらにその周辺の人間関係を察知して、初対面の人間でもどんな奴なのか理解する。というか、我々人間もそうするではないですか。

 大きな畑の一角に10軒ほど並んで建てられた賃貸戸建のひとつを借りて住んでいたことがある。たまたま私の借りている家の軒先で、大家さんちの奥さんと立ち話していた時のこと。
 ハクセキレイが一羽舞い降りて、我々の顔を見ながら盛んに周囲を歩き回るのだ。
 それを見て大家さんがおっしゃるには『今はおせんべ無いよ。また後であげるから♪』

 大家さんの御屋敷は他の貸家を挟んで50メートルほど離れた位置に建っており、その真横に農作物仕出し用の8畳ほどの東屋があった。寒い季節以外は、奥さんとお爺ちゃんお婆ちゃんの3人で、いつも掃出し戸を開け放って野菜やイチゴの箱詰めなんかをやっていたものである。
 ここにセキレイくんが遊びに来て、いつもおやつを分けてもらっていたという訳だ。鳥は目が良いので、近くを飛んでいて私と話している大家さんを見つけ、愛想を振り撒きに立ち寄ったのだろう。
 田畑のある地域では、基本的に小鳥は害獣扱いされ追い払われる身である。よって、ハトやスズメも都会暮らしの連中より警戒心が強く、人間が近づくと倍ぐらい距離のあるうちに飛び立ってしまう。ところがこの一件以来、私の顔を見知ったセキレイくんは、私一人で家周りの雑草引きをやっている時にも寄ってくるようになった。
 後は会えば挨拶して、たまに軒先ではビール開けつつおやつに付き合ってもらうとか。

 まあそんなこんなで鳥のハナシを終えるとして、鳥の次は人間のハナシをしよう。
 まだ寒いうちに心電図を取った時の記録を今ごろ整理用の一元管理表に書き写していたところ、『完全右脚ブロック』の表記に気が付いた。そう言えば『今まで指摘されたことあります?』とも訊かれたっけ。もちろん初めての経験である。

 ハートマークを描いて、タテヨコに棒線を引いて四分割しよう。上ふたつが心房、下ふたつが心室だ。このうち右心室の収縮を担うのが『右脚』であり、文字通りの立って歩く脚のことではない。
 当時この右心室収縮機能を失っていた私の心電図に、それが顕れていたのである。あーなるほどと血圧を見ると、やはりこの時は上が二桁しかない。まあ心臓が減圧されるような体感は時々あったから【630】、ちょうど心電図測定のタイミングとぴたり一致したか。
 人体を球体近似し表面側から代謝が進行するというイメージ【381】、今回も含めて当面のところ妥当な概念モデルだと思っている。これに人体の機能構造マップを照合しながら検証していけば、ステロイド離脱過程をロジカルに理解・推測しながら、計画的に生活ペースの戦略を立てながら進められると思う。離脱成功の勝率が随分と向上するはずだ。

 徐々にでも各部の離脱症状が引き算されていき、そこそこ白紙を背景に耳がいつも何かやっているのを観察する雰囲気になってきて、今になって改めて意識されるのが耳の機能体系である。ただの聴覚器官ではなく、搖動・振動で捉える物理的環境の統合把握センサーだと述べた【633】
 鼓膜の入力が音になって聞こえ、三半規管の入力が身体の姿勢変化を感じ取り、そしてそれ以外に後頭部から両肩にかけて生ずる全感覚も耳に届くため大きく心境に影響を及ぼす。生物の危険察知センサーは、背後上空に感度が高くなっているのを感じる。

 いま私は後頭部・首周り・肩周りに離脱過程に伴う炎症を抱えているため、つまり常に『背後で何かある』という入力が継続されている状態にあるワケだが…そうか、生物は背後に何か感じたら思考判断すっ飛ばして、定常沈着状態から緊急脱出しようとするんだよ!
 恐らくこれが昨年から散々手こずっている『思考に一本芯が通らない』『何となく覚束ない』『つい無意味な回り道をする』みたいな、漠然とした落ち着かなさの正体だ。なんだ、人間サマだってハエハエ・カカカの虫たちと大して変わらねえじゃねえかよ【608】

 離脱過程の残症状があり、それが頭や首など体内通信網の重要部位であり、だから交信処理がうまく行かず、調子を戻すのに四苦八苦している…というロジカルな因果関係というよりは、まず残症状による背後の入力から直結ホットラインの危険感知が、機械的に意識手前の本能領域に押し込まれていると思う。炎症が途切れている間はウソのように消失するが、こいつが続きそうで続いてくれない。ふむ、T-1965型としては、どう戦おうか。

 最初に行動を起こす生体反応が先行し、後から本人の意識領域で行動決心がついてくる順番でデータが取れてしまう理由はこのあたりにありそうだ。
 事後にコトの顛末の全貌を見ながら因果関係を検証すると、人間の意識は『原因を感知して確認し、思考判断を経て、行動を決断する』というロジカル進行が成立している。だが恐らく実際は違う。
 原因事象からの入力を受けて、まず詳細の対象検知や意識的な状況確認が始まる前に、人間のDNAが紡いだ情報ライブラリーから、生存確率を上げるような反応行為が反射的・機械的に選択されるのだ。
 先に生物として勝率高いルーチンワークの自動選択で反応行為が決まり、無事それを追認し納得できたら気にも留めず意識として収まるのではないだろうか。もしかして正常化しつつある私の夢が、追憶の反芻を許さなくなっているように【637】

 実はずっと以前から、社会組織を眺めていて『何か原因事象が起こって、組織の動向が決まる』という順番ではない可能性について考えを巡らせている。みんな元気一杯の飛ぶ鳥落とすイケイケ稼動だったのに、あれよあれよと見ているうちに、対策に遁走する組織活性化タスクチームをあざ笑うかの如く、組織力が衰退していく現象は何度も見てきた。ロジカル思考検討の無力さが虚しい。
 あからさまな原因より先に、『そこにいるだけで嬉しい楽しい』と理屈抜きに直感できる空気が失われるのが発端だというのが当面の私が意識する経験則なのだが、拡げると長くなるので今回はここまで。

 社会組織を活性化させるような思考ツールが具体的に提案できるといいのだが。
 とにかくまず今がダメなら、今を止めよう。応援するので引き続き頼む、野党たち!
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【639】聡明カラスと痴呆人間の通話言語 [ビジネス]

 ありゃ、錦糸町券売機のカラスくん捕まっちゃったの?
 見たところ普通以上に人を怖がっていないから、確かに悪い人間に酷い目に遭わされたりしないかが心配であった。これを野鳥の捕獲として扱うかどうかは難しい所だが、個人的には少なくとも当面、好きな人に預かってもらって安堵している。

 前にも書いたが、カラスに限らず鳥は付き合いの相手として犬猫や牛馬…というか、人間と同格コミュニケーションの生物である。
 まあ恒温動物で、ハツだのレバだの似たような臓器が収まってますからね。当然か。

 しかし脳足りんのテレビ屋がちょっかいかけに行って、わざと荷物から物を抜かせておいて、いかにものおどおどビクビクで『盗られました!返して!返して!』と本気で取り返そうとするでもなく、執拗にカメラを向けるのには呆れた。端的に、賢いカラスくん相手にあほ丸出しのスカ人間が自分本位の演出のために愚行をさらすお陰で、『人間とはわざとらに仕掛けてきて、意味不明の絡み方をする会話不能の下等動物です』と教え込んでいるようなものだ。

 鳥慣れ・動物慣れしていない一般通行人はある程度しょうがないのかも知れないが、やたら戸惑いこれ見よがしに怯えたりするのにも、もうちょっとしっかりしろよと言いたくなった。
 トンビみたく急降下の一撃で狙撃される訳でもなし、カラスくんなら十分ハナシは通じるから、『ちょっと、カードは返して頂戴!』『オマエ、頭の上に乗るのはやめろ!』としっかり向き合って日本語で話しかければ、彼等はきちんと理解する。多少大袈裟に、憤然と髪を手櫛で整える姿を見せてやれば、人の髪にいたずらしてはいけないことも学習すると思う。
 少なくとも初見段階で、彼等は人を馬鹿にしたり危害を加えて敵対する目的で襲いかかったりはしないから、人間がちゃんと接して付き合い方のルールを意識させてやれば良いのだ。あのまま放置していたら、いずれ人を困らせる悪質ないたずらも覚えていたろうし、凶暴に壊れた悪い人間にも絡まれて、余計な攻撃性も帯びてくることにもなっていた恐れがある。

 余生がどうなるかはわからないが、また都会へ出て来てバカな人間どもに逆教育されるくらいなら、同種の仲間の見つかりそうな山へ放してやるのが最善なのかもしれない。いま残された映像からひたすら目に付くのは、人間という情報依存のひ弱な生物が見せるコミュニケーション能力の低さである。
 まず相手が自分相応の理解力を持てないと一方的に決めつけて怯えるばかり、たかが自分らが聞いて解った気になれる日本語が通じないだけで諦めてしまい、きちんと向き合って会話しようともしない。こんな傲慢で無理解で非友好的な態度じゃ、どんな生物とも腹割って仲良くしてもらえないぞ、人間どもよ。

 その『聞いてわかった気になれる日本語』なんて、どの程度のモノだというのだ。
 言語情報は、文字や発音の規則的配列に対して機械的に内容が決まるが故に、事実関係の物証や発言者の真意とそもそもが独立事象なのである。身も蓋も無い表現をすると、文字だけ書き落とすぶんには、口だけ動かすぶんには、誰でもどうにでも作れてしまう。これが基本である。
 だが社会組織というのは、大勢の人間が協力しなければ組織生命力が出現せず、つまり巨大生物としての優位性を発揮する組織になれない。大勢の人間が協力するためには自分たちを取り巻く現実を共有する必要があり、そのためには『誰でもどうにでも作れる言語情報なのだけど、そこは敢えて意識して現実に一致させなければならない』という管理規則が布かれることとなった。
 これが言語情報なる高度文明を持つ人間社会の原則であり、言語で伝達する大容量通信を圧倒的メリットとして働かせられる作動要件だ。だから世界各国いろんな言語文明があるのだが、例外なくウソを戒める申し伝えが日常会話のシーンに浸透しているのだろう。

 裏返せば、現実に一致しないウソ=架空の言語情報を世に向けて放ったり、事実の記憶を知り置きながら口を閉ざし情報通信を遮断する人間は、組織を通じて協力し合う一員として機能しない。知恵が生み出した日本語は、使う知恵まで揃わないと邪魔と迷惑にしかならない。
 10年前に出先で立ち寄った食堂で昼飯にナニ食ったのか訊かれているのではない。直近に公務として動かした事実を、普通の人間の記憶能力として無理のない範囲で問い質されているのだ。記憶にあるとかないとか、自分の認識の限りでどうだとか、そういう『自分の内々で閉じた世界の都合』を主張するのは、公人と称される立場では道義的に許されない。
 何だ、このあほみたいな認知症答弁?これを通すんなら日本社会も認知症ってことだぜ?

 国家運営の意思決定議会ならば、みんなが自然に納得して聞けるような事実関係の経緯がわかりやすく語られ、1億2千万人組織として現有の限られた組織力でどう戦っていくかの相談がなされるのが正しい姿、これはお解りだろう。
 本来ならば、ここで日本国の全知全能を結集して、いかにもアタマいい日本語が飛び交い、最先端の次世代国家運営が語られていなければならないはずなのに。

 まず今日もこの場で交わされている日本語情報の通信の全てが、いかに無駄でどうでもいい邪心や自己都合にまつわるものか考えていただきたい。これでは国家組織にならない。
 確かに現場で論じられている話題そのものは、本来やるべき課題からかけ離れた馬鹿馬鹿しい内容だとは思う。だが大上段に組織認知症の立法・行政・司法の機関横断型 犯罪者集団がいるという国家的災厄があって、今こいつらが間違えて手にしてしまっている権限を剥奪するには、まずその犯罪行為が法に抵触した具体的事実に基づいて、こいつらの不適格を指摘するところから始めるしかない。
 野党たちの誰も、こんな幼稚で回りくどい詰問などわざわざにやりたくはないだろう。止む無くやるにしても他にもっと効率的な攻め方もありそうに見えることもある。
 だが認知症の犯罪者組織より遥かに日本国に良心的で、我々国民の代表としてマトモだ。

 とにかく今は野党たちに頑張れるだけ頑張って欲しい。応援するぞ、やってみたまえ!
 中途半端のフェードアウト、今回はナシ。それが国民の意志だ。まだまだ頼む、野党たち!
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【638】お疲れ吸血鬼の現代っ子テイスティング [ビジネス]

 一時的に荒れたりもしたがこのせっかくの気候の良い季節、しかし迂闊に直射日光を浴びて炎症熱のスイッチが入るのを避けねばならない私は、文字通りの日陰者として原則インドア生活を決め込まざるを得ない。

 食い物にも飲み物にも申し訳なくて、止む無しでもなければ余所行きの外食なんぞ行かない訳だが、ニュースで薄らぼんやり食フェスティバルのテレビ中継を見たりして気を紛らわすのは結構好きかも知れない。そういう世界に縁を絶たれてこれだけ経つと、もう嫉妬や羨望の気持ちはすっかりなくなっていて、ある意味素直に楽しめるのだ。えー?それ美味いんだろうけど、もうちょっと安くしようよーとか。
 都心ネタだと土地勘も働くし某・深夜の食べ歩きドラマも大好きでよく見るのだが、ニュースにせよドラマにせよ気を付けないといけないのが、ピリ辛メニューの不意打ちである。こちとら意識がちらりとでもその記憶に触れた瞬間に炎症熱のスイッチが入ってしまうため、速攻でチャンネルを換えてかき氷の頭痛を思い出しながら『強』の扇風機と数分間は睨めっこし続けねばならない【631】
 『やはり心臓側』で左耳にヘアドライヤーの温風を当てられているかの焦熱感と首から上の忌々しい発汗、首や顔面のあせも痛が収まるまでは大人しくしている他ない。これで体が寒い時の馬鹿馬鹿しさは筆舌に尽くし難い。
 最小限の外出で意識してカレー屋の近くは通らないようにしているのだが、通りがかりの広場でちょっとしたイベントを見かけ、つい興味本位で何をやっているのかふらふら覗きに行った途端、屋台から香辛料のそよ風がふわっ…みたいなゲリラ攻撃があるので油断は禁物である。いつも全方位に遠方から早期警戒するクセがついてしまった。

 もう目立つ深い傷も狂おしい痛み痒みもないのだが、逆にそこさえ腹くくって受け流せば済んでいた時期とは違い、意外にもこの満5年から半年の離脱フェーズは長く手強く、日常生活をこなしながら乗り切るのにかなりの負担と工夫を要求される。短く儚い『イケてる時間』が思わせぶりでまた読みづらい。
 入れたてのコーヒーを飲み始めて、恐らくカフェインの吸収が始まったと思われる数分後、いきなり古新聞の煮出し汁に取り換えられたのではないかと思うほど味覚がずっこける日があったし、歯を磨いていて意外なくらい嘔吐反射が起きやすくなっている日があることにも気付く。自然界なら生死に関わるような感覚の故障や生体制御の失調を抱えている時には、こまめに気道の安全を確保しようとする傾向がDNAに紡がれているのだと思う。
 頭を打った後、時間を置いてでも吐き戻しがあった場合は危険な事態があり得るので、動かさず速やかに救急車を呼べと言われるが、今さらに説得力を感じた。

 太陽の光が御法度につき日没から日の出までに稼働時間を限られ、ニンニクや十字架をかざされアウッとよろめくドラキュラ伯爵と今の私、どっちが不便な生活なのだろうか。赤提灯で一杯やりながら『弱点多い役回りってお互い苦労するよな』と良い友達になれそうである。
 まあ使用済みとはいいつつ間違いなく自分の一部を討ち捨てるのだから、しかもそれが頭と心臓を結ぶ人体中枢部分で、そいつらが首周りや内耳・中耳を経由して顔面を通過していくのだから、納得のいく自然な展開ということであろう。降り注ぐセミ時雨ならぬモスキート音時雨がその現実を物語る。
 ま、それで一通り結論を出したら、あとは取り合わない。元気に自然な代謝が進んでるってことで、こんなもの大したコトない、終わり。これ以上無駄な苦心の情報を起こしても処理のしようが無い。
 今が山か谷かと訊かれれば谷なんだろうし気にかかる事もいっぱいあるけど、何しろ絶好調のエンジン全開が叶わなければ埋め合わせができない。その未来目標値に到達するまでの必然過程ならば、行き当たり都度のなりゆき展開で出口を目指す。

 ところで国会集中審議の『空回し』、アレやって何か先があるとでも思うのかねえ?
 ひと昔前なら政権の横暴だ何だと叫ばれながら、野党ナシでも審議が進んだ形式だけ整ったので良いことにして、それで議決相当の処置が付いてきた。しめしめのウッシッシだった訳だが、今はもう違う。
 日本社会が旧来自身の無関心で看過してしまった過ちに気付き、現状の政権に社会運営の意思決定を任せるつもりを、心底から失くしているのではないか。『もう決~めちゃったもんね~、日本国民はこれに従うことになったんだもんね~』なんてやろうもんなら、まだまだ強烈なスキャンダル暴露がサメの歯のように順番を待っている【472】
 野党欠席の空回し集中審議が何とも恐る恐る報じられる雰囲気が見え隠れするが、御見事その気配の察知は当たっていると思う。這い蹲って潰れるまで続くぞ、これ。

 ここで野党は調子に乗らず、断固『不正を暴き、隠蔽を解き、まず顛末一切をつまびらかにして、抜本的に過ちを正せ』と鉄壁の直球勝負で接し、誰の目にも納得のいくレベルでこれが叶わない限りは遠慮容赦のない徹底抗戦で国家運営に制止をかけていただきたい。私はそれが正しいと思うし、国民の意志だと察する。
 図らずも高齢化の進んだ日本社会が知らず知らず生命の掟としての組織認知症に導かれ、加齢臭の空気感染を交わしながら、日本国組織の現状生命力をこの代で使い捨てて滅びる集団自殺に向かおうとしていた。
 この仮説に私見の策略など滑り込ませた覚えはなく、数々の社会現象を生命科学に照らして素朴に分析・考察していった結果、どうやらこういう事だと客観的に見えてきた、それだけである。

 私はこの運命に逆らいたい。腕ずくで日本の次世代に無限の未来空間を引き会わせたい。
 今の子供たちが何を始めるのか、日本国の歴史をこの先どう作っていくのか見てみたい。
 実に偶然この願い事が、日本社会の『空気』に拡がって来ている運気を感じている。

 ボケ老人お得意の不祥事帳消し解散風も言いだしあぐねているようだが、その通り、解散したとしてその後の展開に何らの変化を与えるものではない【633】
 整理しておこう。日本社会として一番に望んでいるのは、この犯罪者政権の犯行の全容をまず解明すること、次に不正に手を染めた犯罪者がきちんとフェアな処罰を受けて、国民全員の納得が行くこと。
 まずはここまでだ。次の犠牲者を出さないためにも、絶対に手を緩めてはならない【622】

 間違えちゃったんだから間違いはまず止める。次に間違いはハッキリ解明し、きちんと直す。
 これさえハズさなければ、みんな味方するさ。応援するので引き続き頼む、野党たち!
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【637】改憲議論参加資格の年齢認証タッチ [ビジネス]

 世はゴールデンウィークの後半だそうだ。その普通に楽しめる平和、どうかお大事に。
 こちとら格安牛丼の外食さえタイミングを計るのが難しく、娯楽行楽は何年も他人事である。

 夢が就寝直前の関心事をネタにした内容主体に変わったと思う。
 ただ、目覚めて夢を思い出そうとしてもうまくいかないのだ。漠然とだが明らかに就寝直前の記憶に基づくシーンのイメージがあり、それがどんなストーリー展開を経たどんな1シーンなのか、就寝直前の何が夢の大筋の元ネタになっているのか、追いかけようとする先から紅茶の中で崩れる角砂糖のようにカタチを失い、みるみる解け去って消えてしまう。
 目覚めたらすぐ体が覚醒モードに切り換わるらしく、タヌキ寝入りはほぼ不可能となった。そのうち何があったのか種明かしされる日が来るのかな。進展の節目だと嬉しいのだが。

 『人間の身体って本当にうまくできている』というコトバは何度も聞いたし使ったが、自分の意識集中による懸命な制御を必要とせず、巧みな人体の自動運転機能が最適処置を決めてくれるという意味だった。だがこれは間違っている。
 何というか、もっと構造が機械的にシンプルで、入出力の因果関係はロジカルで、ただ莫大な試行錯誤で淘汰され、確かに生存確率を上げる特性が研ぎ澄まされた結果の今がある感じがする。つまりポイントは『自然であること、理に適っていること』だと思う。
 だからなのだが、不自然や非合理を突込んだら拒絶反応も出るし、それを無視して改めなければ壊れもするし最悪は死に至るのだろう。

 私はいま自然で合理的な代謝と免疫力の平衡状態を、この年齢で再び創り出す過程にある。医療先進時代のウマい手なんかどこにも無く、もう一度バランス構築の仕組みをあるがままに作動させ、試行錯誤の痛みを『大したことない』と捨て去りながら、一手一手組み直すしかないのだ。
 目前の現実として何十億円積もうが世界征服権を手に入れようが無力であり、人間たった一人自由自在になるまでのこの作業は、私の身ひとつで着々と生命の掟に従う以外ない。

 ところで、もう少し回数を重ねないと確信できないのだが、最新の身体測定でビミョーに身長が伸びたくさいデータが取れてしまったのには超びっくりの大笑いである。まあこの苦節苦難の大工事なら、無いハナシではないかな。
 いいトシぶっこいて、まるで成長期のような代謝活動を体感し【621】、本当にその通りの現実が起こったのだとすると、これはなかなか興味深い事実検証ができたことになる。
 一応でもオリジナルを再生可能な免疫力があるうちなら、永年の淘汰が導き出す解答を信じて自然生命力に身を預ければ、時間を巻き戻しての改良オリジナル再生も十分狙えるってことか。そもそも年齢なんて人間が時間の概念に照らして勝手に決めた数値であり、自然生命力の寿命消化の真値とは無関係の尺度ですからね。

 この仮説を日本国スケールにフラクタル拡大視して、さてどう読むか。
 余計な操作を除外して自然で合理的な動作環境を整備すれば、『成長戦略』の実効解が自ずとその姿を現してくるのではなかろうか。
 組織生命の視点として自然で合理的な国家の条件とは、きちんと継続性をもって世代交代が進められていて、一番元気で頭脳明晰な社会層が常に組織の意思決定を担っていること。その意思決定において、国家組織の自我を国民全員でフェアに分担するルール=納得性高い法律が国家全域に周知徹底されて、それが幸福感に基づいて建設的かつ良心的に遵守されていることだろう。
 まずこれを確認して、では現実はどうなっているのか。

 ふと本州の西のハジっこに生まれ落ちてみたら、割と政治に縁のある家系で、爺さんがそこそこ有名に立ち回っていた。まあ何だかんだあって日本国は憲法の文章表現がイマイチあやふやで、長きにわたって生産的とは言えない論議が繰り返されても来たようだ。
  『よち!ポクちゃん、これをきちんと直してジイジ以上に有名になるんだい!』
 その志に問題は無い。頑張って収拾つけて、日本史に名を残してくれて結構である。

 でもやるんなら正々堂々ちゃんとやれよ。議会で改憲賛成の過半数取る必要はあるよ?
 だからって役人+ゲタ与党の軽減税率連合なんかと取引して、現役世代に負担掛けながら還暦公務員が遊び呆けて日本の経済力を食い潰すような法案の片棒を担いでどうする?
 こんなものに成立環境の条件設定を合わせようとするもんだから、景気好転して消費税率を10%に上げて良いことにしないといけなくなって【349】、でも本当に景気好転する実効政策は一切やれてないので現実がついて来ず、必然的に『デフレ脱却、景気好転』のバレバレ大嘘ばかりをつき続けることになったのだ。改憲やりたさに目が眩んで日本経済の未来を売り渡した代償は大きかった。
  『いやポクちゃん本気でカネばら撒いて、ダメノミクス言えば景気良くなると思ったの』
 その言い訳はあり得るだろう。経済に対して無知無能なのは一見して判るんだが、それで日本人としての良心が少しでもあったなら、ガチで有能な財務大臣を立てて、そいつに全権限を預けるべきだった。もちろんマトモな神経の財務屋なら、軽減税率法案など一瞬で撃沈して葬り去っていたはずである。

 『ワタシがリーダー♪ ワタシが責任者♪♪』
 セメント屋がくれる党財源は欲しいし、西のハジ同士御近所づきあいで小遣いのポチ袋もらっていた恩でもあったのか。昔ちょっと鉄砲撃ちが上手かっただけの、頭も口もガラも悪い醜いボケ老人を幼稚なママゴトの威張り役として財務大臣に祭り上げた、その日本国に向ける使命感・職責観が薄っぺら過ぎたんだよ。改憲を論ずる人間の器には遠く及ばない。
 いま『軽減税率』と『還暦公務員』という国家歴史級災厄の火元役所を指して、日本社会の自我が痛みの声を上げ始めているのであり、これらを全て白日の下でキャンセル解決しないと『また』次の事件が起こるだけだ。

 現役世代の無理な負担を承知でクズ役人の邪心を利用し、日本国の将来生産力を売り渡すような汚いマネをして、改憲という日本国の大仕事に自分の名を残せると思ったオマエが御門違いだ。恥を知れ、世襲のガキが!
 繰り返すが二代もひきずってこんなことにしかならない血筋なら、二代遡って丸々日本史から消えてくれた方が余程すっきりする【437】
 一度これまでのことを全部謝って今のポストを降り、正真正銘の公明正大を約束して出直した方がまだ人生残り時間に可能性はあると思うが、まあ実行できないんだろうな。
 政権発足当時はまだ大丈夫だったが、今はもう組織認知症を発症し気が狂ってしまったためである。こう解説されれば、この今日の普通でない様子も皆さん腑に落ちるでしょうが。

 野党たち、主張をどこまで通したvsここまで呑んで譲ったの勝負ゴトみたいな話にして、騒動フェードアウトの落としどころ探そうとする政府与党を絶対に許すなよ。そういう問題ではない。
 確かに過半数は大事だが、それ以前に保証すべきもっと大事なものを国民は知っている。
 頑張ってくれよ、まだまだ応援させていただこうじゃないか!
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