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【640】うしろのヤク野郎 [ビジネス]

 本筋は違う話題にするつもりなのだが、この機会を逃すと次がなかなか無いと思うので、鳥の認知能力について、今のうちにもう少しだけ。
 鳥は飼われていなくても日頃見かける人間は覚えており、さらにその周辺の人間関係を察知して、初対面の人間でもどんな奴なのか理解する。というか、我々人間もそうするではないですか。

 大きな畑の一角に10軒ほど並んで建てられた賃貸戸建のひとつを借りて住んでいたことがある。たまたま私の借りている家の軒先で、大家さんちの奥さんと立ち話していた時のこと。
 ハクセキレイが一羽舞い降りて、我々の顔を見ながら盛んに周囲を歩き回るのだ。
 それを見て大家さんがおっしゃるには『今はおせんべ無いよ。また後であげるから♪』

 大家さんの御屋敷は他の貸家を挟んで50メートルほど離れた位置に建っており、その真横に農作物仕出し用の8畳ほどの東屋があった。寒い季節以外は、奥さんとお爺ちゃんお婆ちゃんの3人で、いつも掃出し戸を開け放って野菜やイチゴの箱詰めなんかをやっていたものである。
 ここにセキレイくんが遊びに来て、いつもおやつを分けてもらっていたという訳だ。鳥は目が良いので、近くを飛んでいて私と話している大家さんを見つけ、愛想を振り撒きに立ち寄ったのだろう。
 田畑のある地域では、基本的に小鳥は害獣扱いされ追い払われる身である。よって、ハトやスズメも都会暮らしの連中より警戒心が強く、人間が近づくと倍ぐらい距離のあるうちに飛び立ってしまう。ところがこの一件以来、私の顔を見知ったセキレイくんは、私一人で家周りの雑草引きをやっている時にも寄ってくるようになった。
 後は会えば挨拶して、たまに軒先ではビール開けつつおやつに付き合ってもらうとか。

 まあそんなこんなで鳥のハナシを終えるとして、鳥の次は人間のハナシをしよう。
 まだ寒いうちに心電図を取った時の記録を今ごろ整理用の一元管理表に書き写していたところ、『完全右脚ブロック』の表記に気が付いた。そう言えば『今まで指摘されたことあります?』とも訊かれたっけ。もちろん初めての経験である。

 ハートマークを描いて、タテヨコに棒線を引いて四分割しよう。上ふたつが心房、下ふたつが心室だ。このうち右心室の収縮を担うのが『右脚』であり、文字通りの立って歩く脚のことではない。
 当時この右心室収縮機能を失っていた私の心電図に、それが顕れていたのである。あーなるほどと血圧を見ると、やはりこの時は上が二桁しかない。まあ心臓が減圧されるような体感は時々あったから【630】、ちょうど心電図測定のタイミングとぴたり一致したか。
 人体を球体近似し表面側から代謝が進行するというイメージ【381】、今回も含めて当面のところ妥当な概念モデルだと思っている。これに人体の機能構造マップを照合しながら検証していけば、ステロイド離脱過程をロジカルに理解・推測しながら、計画的に生活ペースの戦略を立てながら進められると思う。離脱成功の勝率が随分と向上するはずだ。

 徐々にでも各部の離脱症状が引き算されていき、そこそこ白紙を背景に耳がいつも何かやっているのを観察する雰囲気になってきて、今になって改めて意識されるのが耳の機能体系である。ただの聴覚器官ではなく、搖動・振動で捉える物理的環境の統合把握センサーだと述べた【633】
 鼓膜の入力が音になって聞こえ、三半規管の入力が身体の姿勢変化を感じ取り、そしてそれ以外に後頭部から両肩にかけて生ずる全感覚も耳に届くため大きく心境に影響を及ぼす。生物の危険察知センサーは、背後上空に感度が高くなっているのを感じる。

 いま私は後頭部・首周り・肩周りに離脱過程に伴う炎症を抱えているため、つまり常に『背後で何かある』という入力が継続されている状態にあるワケだが…そうか、生物は背後に何か感じたら思考判断すっ飛ばして、定常沈着状態から緊急脱出しようとするんだよ!
 恐らくこれが昨年から散々手こずっている『思考に一本芯が通らない』『何となく覚束ない』『つい無意味な回り道をする』みたいな、漠然とした落ち着かなさの正体だ。なんだ、人間サマだってハエハエ・カカカの虫たちと大して変わらねえじゃねえかよ【608】

 離脱過程の残症状があり、それが頭や首など体内通信網の重要部位であり、だから交信処理がうまく行かず、調子を戻すのに四苦八苦している…というロジカルな因果関係というよりは、まず残症状による背後の入力から直結ホットラインの危険感知が、機械的に意識手前の本能領域に押し込まれていると思う。炎症が途切れている間はウソのように消失するが、こいつが続きそうで続いてくれない。ふむ、T-1965型としては、どう戦おうか。

 最初に行動を起こす生体反応が先行し、後から本人の意識領域で行動決心がついてくる順番でデータが取れてしまう理由はこのあたりにありそうだ。
 事後にコトの顛末の全貌を見ながら因果関係を検証すると、人間の意識は『原因を感知して確認し、思考判断を経て、行動を決断する』というロジカル進行が成立している。だが恐らく実際は違う。
 原因事象からの入力を受けて、まず詳細の対象検知や意識的な状況確認が始まる前に、人間のDNAが紡いだ情報ライブラリーから、生存確率を上げるような反応行為が反射的・機械的に選択されるのだ。
 先に生物として勝率高いルーチンワークの自動選択で反応行為が決まり、無事それを追認し納得できたら気にも留めず意識として収まるのではないだろうか。もしかして正常化しつつある私の夢が、追憶の反芻を許さなくなっているように【637】

 実はずっと以前から、社会組織を眺めていて『何か原因事象が起こって、組織の動向が決まる』という順番ではない可能性について考えを巡らせている。みんな元気一杯の飛ぶ鳥落とすイケイケ稼動だったのに、あれよあれよと見ているうちに、対策に遁走する組織活性化タスクチームをあざ笑うかの如く、組織力が衰退していく現象は何度も見てきた。ロジカル思考検討の無力さが虚しい。
 あからさまな原因より先に、『そこにいるだけで嬉しい楽しい』と理屈抜きに直感できる空気が失われるのが発端だというのが当面の私が意識する経験則なのだが、拡げると長くなるので今回はここまで。

 社会組織を活性化させるような思考ツールが具体的に提案できるといいのだが。
 とにかくまず今がダメなら、今を止めよう。応援するので引き続き頼む、野党たち!
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