SSブログ

【960】茶番完結フラグの第一発見者 [ビジネス]

 とりあえず結構な勢いで、新規感染者数も死亡者数も減ってきたよな。
 なんで?

 イヤミのジャブ打ちで言っているつもりは無い。ちゃんと原因があるはずだ。
 エマージング・ウィルスの自然な感染終息の場合、こういう推移には絶対にならない。着目ポイントとその減衰パターンについては、いま解説すると正確さを失った情報だけが独り歩きする恐れがあるので、申し訳ないが控えさせていただく。統計に勘どころのある方は十分実感しておられると思う。
 いの一番に専門家とやらの見解を聞きたいものだ。五輪をやるのやらないの、完全にどうでもいい議論で政府に対立する姿勢を演じているが、所詮は国民に税負担を積み上げる理由にする演目を提供するため絡んでくる役回りとしての、劇団の一員に過ぎないってことさ。皆さんノセられないように。
 なお現状この推移の原因をロクに考えもせず、『リバウンドがどうたら』などと知ったかを口走るのも禁物である。感染現象の自然な展開でもないのに、そんなものを見てのいい加減な思い付きでは、また無駄な損害を積み足すばかりではないか。

 もうちょっと突込んだ話をしておくと、感染現象の自然な推移でないからには、人為的操作の推移が顕れているはずで、だとするとそこには『どんな目的・何の意図でどの数値をどう決めたか』という因果律が確実に存在する。
 まずそれを明らかにしろと言っている。見て考えて正解を当てられる問題だ。
 1年半経過時点で1億2千万人集団に起こる自然なウィルス感染現象の分析よりは、遥かに簡単なんじゃないの?

 まあいいや、とりあえず予防効果および、何より安全性があやふやな注射なんぞ誰も打ちたがらないもんで、あちこち余るわ捨てるわのバチ当たりなことにもなっている訳だが、それでもってナウこの勢いで新規感染者数も死亡者数も減ってるんだよな。ならば静観してれば、今よりまだ減るんだろ?
 日本以外の海外では少々のリスクを負ってでもガチでワクチン注射を打ちたいと思っている人は多いんだし、我が日本国は現時点でそんなものの調達は一斉停止、他国優先で結構である。
 製薬会社もカタギで商売やってんだし、どうせあっちから何千万、こっちから何億ひっぱるみたいな政府のボロ計画は軒並ウソっぱちの作り話で、『やめる』と決めたらその場で綺麗にキャンセルできるはずだぜ?国立競技場の時の『キワモノ建築事務所に59億円を先払いしちゃいました、もう戻りません』とやりクチは同じだ【385】
 我々日本国民は、国民の財産である税収財源を自力で守る意識を改めてしっかり持つべきである。

 いま日本国は、社会生活を支え合う我々日本国民が成す組織と、そんな国民から税金名目で遊ぶカネを好きなだけ抜こうとする自爆テロ非国民犯罪者政権一派の組織に、大きく二分されている。
 パンデミック国家危機ごっこ『コロナ死ぬ死ぬ』で遊ぶんなら、遊びたい奴等の私費でやれば良かろう。日本国の成人社会人は、生活があるんだしもう付き合えない。毅然と突き放さないとキリが無い。

 同時に、我々は成人社会人なので、今度は自分たちが『権力のハナを明かすお祭り騒ぎ』に浮かれないよう気を付けておく必要がある。こういうのは射幸感の要素を一定ぶん伴うので要注意なのだ。
 いま日本国の最大の問題は、法治社会システムに則って動く指示命令系が、国家社会の活動現場を無意味に止めてしまっていることである。だから冒頭で、『ちゃんと意味を言ってみろ』と要求なんかもしてみた訳だが、日本社会の現実として組織が深刻な体調不良に陥り末端からどんどん壊死まで進んでいるのに、指示命令系において頭脳役を決め込んでいる連中が、決まり事や思惑といった『アッチの世界』にハマり込んで抜け出せなくなっているのだ。

 現代文明社会において法律は大事なものだが、大事であるがゆえ、それが人々にとってどうでもよくならないように意識して運用する必要がある。
 法律は、人間の口から滑り込ませれば機械的に一定の反応が得られる文書情報カセットではない。ちゃんと反応するかどうかは、その社会を成す人間が『そうしよう』と自然になびくかどうかで決まる。
 ベタな例を挙げるなら、そこらのヤツにいきなり刺し殺されるとか、持ち物を奪われるとかするのは誰もが本能的に嫌だから、殺人や強盗はみんなでしちゃいけない法律にして守りましょうってことですな。実は包丁一本あれば、そこらで刺殺も強盗もやれるかやれないかというと、やれてしまうワケで。
 でも法律で禁じてみんなで守り合った方が良いと自然に合意が進んで成り立ったから、日本社会はこれで決め事にして収まってるってことだ。

 日本のように国土が隅々まで豊かで、殺伐としない社会空間にきちんと教育を行き渡らせられるという、本当に恵まれた環境に暮らしていると、法律の定義が上記のような『悪いコトを禁じるための決め事』か、もしくは子供は小中学校に通わせましょうとか自動車は左側通行にしましょうみたいな『社会参画を定型化するための決め事』としての意識までで済んでしまうのが普通だろう。
 だから特に高度経済成長期以降、おしなべて日本社会でそこそこ人並の幸福感に暮らせた総・中流の日本人たちに限っては、法律を『破る理由も無いし、黙って従っていれば無難に過ごせる決め事』として、深く考えずにその運用と折り合ってきたのである。
 もっとも、これが国家運営・社会運営の当事者意識を怠けさせ、数多くの弊害を発生させてきたのだが、今ちょっとその具体的事例のハナシは置いとくとして。

 既に『盲目的な手放し遵法の慣習が消滅している』事実を受け入れるべきだ。
 『コロナ死ぬ死ぬ』を誰も本気で終わらせようとしないこの空気に、日本国民が総じて以前の日常生活および人生展開の破綻の危機を、本気で心配している。
 法律を守ってこんなことにしかならないのなら、法律を守るのをやめよう。
 だから、支払う罰金を手元に準備して営業再開するお店も出て来るのだ。

 喫緊の課題は、日本国民にいま幸福感とは言わないまでも、まず希望の光を実感させ法治社会への帰属意識を引き戻すことである。もちろんその希望の光とは、税金資本にツケがまわる協力金や支援金なんかではない。みんなカネなんか要らないのであり、『コロナ死ぬ死ぬ』をやめて元通り稼ぎたいだけなのだ。
 このまま手が打てないでいると、日本社会は『法治システムで実現する国民の幸福』というものを諦め始めるだろう。法律で国民を不幸にしているんだから、道理としてそうなる。

 『あり得ない』『考えられない』ではない。自然な流れなら何だって実現する。
 …ってことで、続きは次回に送りましょうか。『コロナ死ぬ死ぬ』が雪崩を打って崩れ始めた時に備えて準備しとかないと、逃げ遅れたら喰らう損害は質も量も精神負担もきっついぞ~!では今しばらくグッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。