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【959】誰もが知る独裁者伝説の誰も知らない絶対服従ルール [ビジネス]

 では予定通り、この一昨年来の真実のイメージの続きを語ろう。
 昨年の今頃、既に『どうやら日本人には、新型コロナ肺炎に対する耐性が備わっていると期待して良さそうだぞ』と見えていた…というところまでであった。
 実は、病原性ウィルスの感染現象としては、実質ここまででフェーズの段階的進行は終わっている。

 これ以降、何人かかって何人死んで第ナン波がどうたらというのは、もう一部の人間の勝手な都合で、いわゆる『鉛筆を舐め舐め、誰かが決めた数字』を歩かせただけである。もう感染現象としては、減衰と希釈のフェーズが続いているだけと見るのが妥当ではないかと思う。
 まあ呼吸器中心に発症しがちなウィルス性病原体ってことで、インフルエンザなんかとの類似性はそれなりにあって当然だろうから、いったん昨夏に収まりかけたかのように減ったのち、気温が下がり始めた頃いわゆる第2波が緩く立ち上がってきたあたりまでは、自然な真実のなりゆきの傾向として、外乱含みながらも調査データに引掛かってきてはいたのかな。

 何にしても、ここから先は『組織統治』なるたかが人間のアタマの中の概念=『誰が誰に行動を強制するか、強制されてどこまで真に受けてその通り行動するか』の押し引きが全てとなっている。

 『死病コロナ肺炎による命の危険』というのは、当該ウィルスの種類や病理特性が割れる前の段階で、呼吸困難に対する酸素吸入や高熱に対する解熱剤投与などなど、一般的な対症方策で手を尽くし本人の体力に命運を預けるしかなかった時期のものである。
 確かに当初はそうだった、だが今は違う。

 今時ただの冷徹に終わらない非人情な言い草として必要以上に反感を買ってしまう可能性も感じたため、狙い撃ちでトピック設定してここで語るのは控えていたが、実はあの頃の当初から、犠牲者は出ていたものの、その総数も増加ペースも明らかに欧米より複数ケタで少なかった。
 ここの読者さま方という組織生命体の御機嫌を無駄に損ねる恐れがあり、『我々日本人は致死率が低いので必要以上に騒ぐな』などと発言すると、後のここでの言論内容に響いていただけなくなってしまうかも知れない。当時の私はそう考えて、意図的に日本人の致死率の低さを話題に出さなかったと白状しておく。
 世間で名の知れた人たちまで含め亡くなった方々が実際におられて、御遺族は対面してのお見送りさえ許されず、本当にお気の毒としか言いようのない深い悲しみに暮れていたのだ。コロナ肺炎に関する率直な見解を正しく伝えたいなら、相手が感情を持つ人間であること、その人間が成す社会組織であることを考慮し、時と場所と言い方を選ばなければならない。

 少なくとも現代医療史としての過去には記録の無いウィルスであることが間違いなさそうだから、その正体の解明と治療策・予防策の検討は必要であり、それには手間も時間もかかる。たかが1年半でこのウィルスをすっかり見くびって構わなくなったとは言わない。
 だが1年半見てきた結果論まで交えて、少なくとも日本国内の日本人においては、早期発見・早期治療と万一の重篤化に対応する体制だけ固めて、もう社会を日常稼働に戻して経過観察することが十分可能な段階になっている。
 国産ワクチンがどうたらも『よく見てそのうち』で十分間に合う、保証する。何よりウィルス感染症の現象展開を読み取れる正確な公式データが、公共情報としてさっぱり出回らないのが気になるね。

 以上、ウィルス病原性の感染症の実情に対する私の率直な見解である。
 では次に、少なくとも喫緊の重大危機感で扱う時期など大昔に過ぎてしまったその後に、丸々1年以上も思い込み押し引きばかりやっている話に移ろう。

 結論から行く。
 『コロナ対応の名目で公共事業を無限に膨らませるための口先情報操作』が原因だ。
 高額納税を国民に要求する理由が欲しい。その発信源は立法・行政・司法に跨る自爆テロ非国民犯罪者政権である。
 だが発信源は少数派であり、その発信源に対して『我々日本国全体の損害になる悪事だから、やめておけ』ときちんと指摘しなかった大勢の日本社会の方が、圧倒的に実行犯として寄与している。
 もちろん『きちんと指摘できない背景』がまたあったりするのだが、そんな議論ばかりやっていると、お得意の『誰が悪い訳でもない』の結末に迷い込み、これだけ痛い目を見ながら、みんなして問題特定も、実効対策も、再発防止も、後悔と反省も、立ち直っての進化もできない。

 我々1億2千万人日本社会は『コロナ死ぬ死ぬ』をやっていたいのか?
 突き詰めるとそれだけであり、違うというなら違う行動を始めないと始まらない。
 その行動開始を基準にし、そこからモノを考えて言うコトを決めよう。この順番だ。

 違法行為でもなく屋外で飲食していた一般庶民が、行政指導とやらの自治体職員に向けて放った『コロナ存在証明を提示して言って来い!』の要求は正しい。あ、でもこれについては、しっかり納得できる危険性の証明がもし提示されたら、そこは素直に従いましょうね。どんな証明なのか興味あるけど。
 いま日本中で普及が急がれる行動規範の具体例のひとつだろう。
 おっと、行動規範の具体例になるぐらいだから騒いだり汚したりは一切ナシだぜ。『知らんヤツが勝手に公共の場を荒らす』なんて、『コロナ死ぬ死ぬ』の口先指導と同じぐらい社会常識としてあり得ないでしょうが。

 何しろ学校や企業といった『そこに帰属する自分自身の扱いに不利益が出そうな組織体』を狙うかのような行政操作も仄めかされているのだから、しっかりと公共情報網を活用して人権侵害を世に訴える準備はしておいていいのかも知れない。自分の身は自分で守る、防災の基本である。
 おかしな注射をそそのかされたら『我々が拒絶を躊躇せざるを得ない立場だと知って、なぜ誰も打ちたがらない妙な注射を組織的に勧めてくる?これは自由選択を装った人権侵害だぞ』と公言してやれば良いのだ。地元社会・日本社会・国際社会とスケール毎で組織の自我が味方に付くだろう。

 いま大阪がちょっと心配かなあ。せっかくここまでタイヘンさを組織に理解されつつ真面目に試行錯誤して頑張ってきたのに、こんなところで『命令』とか心の通わない態度で出ちゃったら、組織に鼻っ柱へし折られて自滅するしかない。とにかく本気で怒った組織には誰も勝てない、これが検討の原点なのだ。
 いま経済社会の現場では、『苦しくても死んでも法律だから守れ』ではなくて、『守れない法律が悪いと認めて、苦しくなくて死にもしない法律以外の解を探そう』という現実直視のクライシス・コミュニケーションが必要な局面になっている【909】【910】
 頑として言い張れば『それでしょうがない』と追究を放棄して流して済ましてしまってきた社会が、遂に人々の死活問題となって行き詰っている現場事情を理解せねば成立解には行きつかない。

 強く優良な生命力は、たくさん学んで確信したり、強く志して発言したりする。これって確かに正しく望ましい生命活動ではあるのだが、それらに呼応して現実に物事が起こるか起こらないかは、誰の意志でも見解でもなく『道理としての自然な流れ』に沿うかどうかで決まる。日本列島の森羅万象は見えて転がる現実の連続なのであり、決めて望んだ予定の実現ではない。
 我々は何を根拠に現状をどうだと認識し、どんな行動で受け止める判断をいま下しているのだろうか?
 日本社会を生きる自分に、いや自分が生きる日本社会に、十分な勝率は見えていますか?では引き続き、御幸運を!
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