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【966】英単語で学ぶ両A面極上ライフの基礎構文 [ビジネス]

 いきなり英単語の勉強からスタートしてみよう。
 睡眠中に体験する世界としての『夢』は”dream”、『夢でアナタに会いました』の英作文はムチャに凝らずに“I saw you in a dream.”でマルがもらえる。

 次に、起きて覚醒中に過ごす現実世界を生きながら、『こうなったら良いのになあ』『是非こうしたい』と思い焦がれて、現実化したらどんなに素敵だろう…と脳裏に描く願望としての『夢』もまた”dream”である。”Dreams come true.”は普通に通じる正しい英文だ。
 この”dream”の用法は案外と幅広く、絶対に手が届かない雲の上の憧れから、短期集中的に努力を突込んで手に入れる具体的な成果目標値まで、『人がいま手元に無いポジティブ事象に志を向けて使う言葉』ぐらいのユルさがあるんだよな。
 寝ていて見る『夢』と起きていて願う『夢』、そのいずれも”dream”、この一致はなかなか意外でもあり改めて考え直すと面白い。

 『悪夢』は”nightmare”、見るからに起源から異なる別の英単語なのである。
 これを英英辞典で調べると”a very frightening dream”=『とっても怖いdream』と解説されている。何故こんな異質の英単語になったんだかねえ。

 道を歩いていて危うく車に轢かれそうになり、『もうダメだ!』の絶体絶命の瞬間いきなり地面に穴が開いて落っこちて、あのジェットコースターで落とされる感覚を味わいつつ『これは死ぬぞ』と思ったところがビールの海にぼちゃん。よく冷えていて美味いが冷たくて溺れそう…なんてのはどっちの単語で語るんだろう?
 …とアホな屁理屈を捏ねていて気付くのだが、そんな評価に悩ましいようなビミョーな夢を見た記憶は一度も無い。御覧の通り、こういうのは起きて考えて、わざと矛盾を籠めようと意図的に組み上げた情報単位なので、そのひねくれた目的に応じてきちんと論理的に構築されている。
 これに対して、何もかもとても自分で思いつけないデタラメな巡り合わせで登場し、文字通り取って付けたストーリー成立感を上からべたりと貼り付けて記憶を残すのが夢だから、『良い夢』『悪い夢』の印象は、それ単独のこととして脈絡なく一発で決まって心に刻まれるのだと思われる。
 何にせよ”nightmare”という英単語については以前から不思議を感じていたので、この機会に話題にしておくことにした。

 英語に限らずだが”go-went-gone”のような不規則変化動詞には、『行く』のような原始的・基本的で、社会集団の中で会話に乗ってくる頻度が高そうなシンプルな動作概念を指すものが多い。
 だが原始的ゆえ、その言語という文化体系が構築され始めた段階で、どこかに『行く』という概念と、過去に『行った』という概念の位置関係には考え及ばず、全く違うものとして各々のコトバが対応させられた。だから”go”と”went”は似ても似つかない単語なのだろうな。
 日本語も『こ・き・くる・くる・くれ・こ』みたいなコトになってたりするワケで。

 そのうち文法が形になり始めて動詞や時制の概念が整理され、そうなってくると原形+edだとか五段活用だとか規則性が確立されてくる。
 だとすると”dream”と”nightmare”なる単語たちが生まれた時代『おんなじ夢という現象がまずあって、その内容の良し悪しを一本の定規の上での目盛の違いとして呼び分ける』という捉え方ではなかったんだろうな。
 “dream”は、人間の望みが睡眠中の仮想世界の記憶となって顕れがちだという古くからの事実認識を指しており、まあ普通に眠れば、少なくとも悪夢でない夢を見て普通に起きるから、特別な”nightmare”はそれこそ病気の一種ぐらいの位置付けだったのではないかなあ。
 そしてその自然な感性があったなら、苦しい夢を盛んに見た私の姉は、もっと的確に身の危険を自覚できたはずだと思うし【241】、悪夢とまで呼ぶかどうかは微妙だが、この私もステロイド離脱症状と戦いながら戦慄を感じる夢は何度か見ている【615】

 人類文明としての言語は、人の集団が社会組織を成して暮らしていく中で、できるだけ多くの人間同士が響き合い意思疎通できるよう『規律立った情報体系としての効率を追求する』方向性でシステマチックに成長する。そして言語ありき、言語ネイティブとして生まれ育った人間およびその社会においては、新たな現象に遭遇してそれを表現しようとするにあたって、今度は『言語の規則性ありきでの理解』を経て概念構築していくのだろう。生物としての本能が、情報を得た人工的な理性に凌駕されるのである。
 不規則活用など言語に一部見られるイレギュラー性には、人間の非・文明領域の生体メンタル反応や、当該文化圏の黎明期の社会性通念が顕れていると思われ、言語学者ほどにまで踏み込まなくとも、外国語を学ぶにあたって意識しておくといろいろ理解が深まる。ここからその話を始めるとえらいことになるので、またいつかにするとして。

 当たり前の自然なこととしてよく眠る欧米人にとっては、この原理が『dreamとnightmareは別物』としてそのまんま言語に定着しているのに対し、日本人は豊かな日本列島ゆえの千変万化の森羅万象が、日本語圏の社会組織に『寝る間も惜しんで』『寝る暇もない』みたいな要求を繰り返してきたため、『夢』の理想ファンタジー性が幾分薄くなっていて『良いも悪いも夢は夢』ぐらいに収まったとか。
 睡眠の世界は、その舞台設定や展開に自分の意志が働かないが、他ならぬ自分自身が誰にも介入されずに作り上げたものである。『自分の意志が働く』という感覚、『思い通りに物事が進む』という認識、裏返して『何事もうまく行かない』葛藤や落胆、こういうのってどこまで客観的な妥当性があるのだろう?

 睡眠は、生体活動において余白とか義務のような感覚で捉えるものではない。休息や静養の役割はあるはずだが、だからといって高度経済成長期の無神経な計算のように『24時間あって8時間眠るのなら、人生1/3は死んでいるのと同じで損している』みたいな、スイッチOFFの非活性状態ではない。
 この身体をウラ画面でブートして、デフラグで書き込み待ちの白紙記憶域を拡大しながら楽しく有効なバーチャル経験を積極的に重ねる、とても贅沢でアクティブな世界なのだと思う。これが疎かになると、いつの間にか覚醒中の殺伐とした世界観に閉じ込められ、無意味で無駄な対象相手に思考がハマり込んで、いともあっさり思考停止で課題の解決を投げ出したまま惰性の時間だけが貧しく浪費されていくのだ。

 今般のコロナ禍にあって『やることを失い』自宅で眠る時間が増えた人は一定数いるはずで、その点においては日本社会にとってプラス効果が見込めるのではないかと思っている。
 欧米人も休日は大好きだが、『寝不足で起き出す辛さがなく、遅くまで惰眠を貪れるから』ではないのだと感じる。『日本社会は非効率』とされる意味が本当に理解できていると見受ける日本人はなかなかいないのだが、1年半もこんな稼働抑制をやってきたのだから、ただ忙殺されながら元の木阿弥に戻ってしまうのでは、もったいないだけの損失にしか終わらない。

 みんな同じの共感を満足感と錯覚し、面白くない時間を自我封殺の思考停止で平穏に過ごせる日本人固有の特性が、日本列島の繫栄に逆効果に働かないようにする工夫が必要だ。
 たった一度の大事な人生の時間、一人ひとりオモテ画面もウラ画面も存分に経験し尽くして、最大限の知恵がまず日本国全域に発生するよう仕向けたい。おやすみなさい良い夢を、では今夜もグッドラック!
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