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【964】昔懐かし昭和ヒーローの令和大予言 [ビジネス]

 『仮面ライダー本郷タケシは、改造人間である』
 子供の頃、深く意味も考えずに大の字にはりつけられた藤岡ヒロシを見ていたような記憶があるなあ。やおら『変身!』と段階的様式でジェスチャーをキメて仮面ライダーとなり、ショッカーの怪人と戦っていたものだ。確か初回の見はじめからこのテンプレ展開であった。
 後に私は多少の知恵がついて、この場合『ライダー』というのは単車乗りのことだし、それが仮面を被って=素顔を隠して、なぜ誰かと戦う行きがかりになっているのか、案外この組み合わせって特別な理由があるのでは?と思うようになったのである。まだボクサーとかレスラーとか、そっち方面の生業の方が格闘戦に向いてるだろうに。
 インターネットなんか無い時代、こんなくだらなく理屈っぽい疑問には答が見つからなかった。

 実は『仮面ライダー』には原作の漫画があり、この主人公を『悪と戦う正義のヒーロー』として子供に解りやすい設定にし、テレビ番組バージョンが制作されていたのである。
 本郷タケシは恐らく運動神経の優れているところを見込まれたか何かで身柄を拘束され、本人以外の意志で勝手に手術され身体を改造されたのだ。だが手術が完遂する前に逃走・脱出して自由の身となり、そんな身の上なので追手と連日バトルを繰り返す人生となったのである。
 手術が未完であるため、怒りの感情を覚えると顔に斑紋が浮き出てきてしまい、これを覆い隠すために仮面を被ることになったらしい。変身じゃないんだよな。なるほど単車乗りが仮面を被って戦うのには、そんな経緯があったのだ。健康優良児の、優秀であるが故のとばっちりってとこだろうか。気の毒なハナシである。

 ショッカーの戦闘員や怪人を相手に連戦連勝するぐらいだから、かなり身体能力を増強させる改造手術だったはずで、だとすると『人間をパワーアップさせる』という企画のテーマは、高度経済成長期の当時として十分に理に適ったものであり、それ単独で『悪』の概念に直結するものではない。
 それもそのはず原作『仮面ライダー』では、世界征服を狙うとされる悪の秘密結社ショッカーの正体は、日本政府だったということになっているんだそうな。残念ながら私は原作を読んだことが無い。

 そんな政治性シリアスな裏事情を含んだ『仮面ライダー』だけれど、冒頭の解説文が流れる番組オープニング・シーンに戻って、これは『日本政府が国民に身体改造の施術を強要している』という光景だという事実関係になる。

 …おいおい、これ日本社会のこの現実を予言していたことになっちまわねえか?
 手かせ足かせの拘束台こそ無いが、拒否れない立場の国民を狙って、誰も打ちたくもない注射を強制的に打つってんだろ?
 役所職員から自衛隊員から、あと商売あがったりで税金注入で延命するような民間企業【600】、更には客先イノチで生きるしかないその取引先、それでも足りないと見えて、遂にその家族=とうとうオンナ子供まで食い物にする外道の犠牲の強要は、とどまるところを知らない。
 これ、抜かし始めたヤツにしても右から左へ受け売ったヤツにしても、通りがかりででも見つけたら見つけた日本人がその場で摘発し、公共情報の視程空間に晒して、そいつの周囲からあらゆる手で袋叩きの目を見させて立てなくしてやる必要がある。世間さまを、社会組織をナメるなと。

 実質的な強制力を知ってとぼけて、ホントに誰も『やめろ』って言わないのか?
 立場の弱い人は独りで『イヤだ、私は打たない』って断固拒否するしかないのか?

 何種類か薬剤があって、不特定多数の国民相手に注射しようってつもりなら、性別に年齢に血液型に既往症に今の体調…と結構な適性判断の因子があるのはすぐ判る。
 おまけに薬剤の種類別に2回なり3回なり、既定の間隔を空けて打ったりする場合分けもあるそうだし、ならば全員に毎回、注射の直前に本人のナウ体質の適性診断や、過去経緯の良好な進展を確かめるための体調検査もあるはずだよな。
 どっちもせいぜい数分~数時間レベルのその場仕事で確実な判定が得られるものではない。なるほどな、不特定多数のメクラ打ちに一番安心で事故率低いのは生理食塩水だったりして【955】

 こんな怪しい注射だから誰も打ちたがらず薬剤ばかりがダブついてしまい、それを余らせて消費期限切れにすると病原体由縁の医療廃棄物になるからと、片っ端から上級ならぬ下級、いや奴隷国民を『改造人間』にして処理して行くという、とんでもない階級支配の実態である。これじゃ『仮面ライダーごっこ』の子供の遊びにもなりゃしない。
 注射打ちに関われば時給何万円単位で日当がつくという信じがたい話まで聞こえてきてしまう今日この頃だが、どこのどいつの御機嫌を取る都合があるにしても、おいくら実入りがあるにしても、人間の健康を生贄にする取引行為は決して許されるものではない。絶対に関わらないことだ、バチが当たるぞ。

 日本社会は過去に何度か薬害問題を経験しているが、従来のケースでは薬剤の流通過程にその原因があった。つまり供給側の都合で、何も知らず投与を受けた被害者が発生してしまうパターンだ。だが『事情を知って自らの意志で行動選択した』となると、その後はナニが起ころうが自己責任での完結を覚悟する必要があるだろう。
 今般の注射でも体調を崩したり死亡したりする事例は既に報告されており、今後これを社会が薬害問題視するかどうかは知る由も無いのだが、右も左も判らなくなっている高齢者施設の入居者でもない限り『注射の意味を知って自ら打ちに行った』という事実関係は成立してしまう。どうか御大事に。

 みっともないオオカミ少年ループを繰り返さないよう、まだ注意深く黙っていることにはしているが、この私自身の体調は、もちろん悪化するはずもなく着実に快調を取り戻してきた。
 ここで気付いて直して、健康の真意=生物としての自然な作動とその重要性をみっちり体験学習していなければ、早々に私の稼働力は余命・余力で再起不能の域まで転げ落ちていた、あるいは程なく転げ落ちて解ナシの消化試合を迎えるはずで、いま『残りの人生で何をどこまでやれそうか』と思い巡らすことなど到底できなかった。大変な目には遭ったが、私の場合これで正解だったのだ。
 出来心や慢心があろうがなかろうが、やっちまった過ちの果てしなくどうしようもない最悪の災厄が自分の中に一致同居し、逃げようにも逃げられない、容赦ない苦痛・不便と身ひとつで過ごすのである。
 万が一健康を害したが最後まともに動けないから、もう弱みを握られて差し出すモノさえ手に入らない。これが理解できる人間なら、絶対強者の立場にあっても弱者からむしり取るアガリの目減りがもったいないので、使い捨てになるようなマネはしないのが正気の振舞いなのだが。

 引き合いの事例として適切とも思えないが、大東亜戦争期の満州で生物兵器・化学兵器研究のため人体実験をしていたとされる陸軍731部隊【820】では、実験供試の直前まで捕虜に十分な寝食を提供していたのだという。丈夫で健康なサンプルが求められたためだが、当時の本土の日本国民が食うや食わずの生活を強いられ、国の配給で渡される芋やアワなど家畜の餌にもならないような食糧にしても、そもそもの分量からして全く足りるものではなかったという事実が何とも皮肉な限りである。
 こんな厳しい経験まで通り抜けてきた日本国は、その記憶を間近で受け継いだ高齢者ばかり多数の年齢構成に陥ったなどと愚痴をたれながら、いったい何をやっているのだろう?

 こんなに身を堕としてまで態度の改まらない組織は、法律だルールだという決めごと以前に、みんな大好き『人間の尊厳』『大切なイノチ』の概念領域で否定され、日本国民全員の協力により解体されるべきものだと思う。
 毎日おいしく食べてぐっすり眠れる幸福は、社会全体で健康の価値を理解して管理しないと、みんなの大事なこととして実現できない。健康第一、来週も御幸運を!
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