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【963】和式間接業務のフリーズ解除手順 [ビジネス]

 もう緊急事態と蔓延防止の違いなんか気にしている国民はいないんだろうし、もしその必要性があって再び気にするのなら、それは従来になかった『質の違う』危険度の迫力の事実が起こった時だ。
 裏返せば、たかが人間の声明ごとき、どこの誰が、何の内容を叫ぼうが無駄。ますます反感を買って関心を削ぐだけの逆効果なんだから、謝ってオワリにした方が賢い。

 ガツンと現実に痛い思いを喰らう以外に次の展開が無いのなら、その『ガツン』に準備体制と気構えを整えて、余計な外乱や雑音を取払って、素の自然体で諸事GOするしかない。
 クリアな『ガツン』が現実のものとなったら、そのガツンの実体を改めて正確に観測・測定する。そうしないと、何がどれだけ悪くて、どこにどんな対策を打つべきなのか算出できない。
 以上、理解したらもういいじゃん。全てを元に戻して行こう。そこが原点だ。

 各地の行政がどう動くのかは当該の決裁者次第だが、『営業時間の制限を一部緩和』『引き続き酒類の販売は規制』みたいな中途半端は損害を長引かせるだけである。コトここに到って、1年半の泥沼から足を引き抜く割り切りに悩まないでいただきたい。
 単純なハナシ、性懲りも無く新・中途半端モードで始めてしまうと、新たな不確定要素をわざわざ発生させただけであり、新たな逡巡の漫談ネタを増やしただけであり、元々がこれだけ決心できない烏合の無責任集団ばかりゆえ、『また』『まだ』通常稼働の再開を先送りにする言い訳の材料にしかなり得ない。

 日本社会の自我がここまで気分を決めてしまっている以上、誰の人為的操作も及ぶことなく、どんどん経済稼働は元に戻っていく。みんなそっちがやりたいのであり、『言ってるだけ』が少々うるさくなっても『聞いてるだけ』で元通りの生活が流れるのなら、着地点はそっちだ。
 起こっている出来事の大局が『行政による規制で経済が停滞している』という状態を離れ、『経済が再起動し、行政が抵抗むなしく呑み込まれていく』という光景をもって、現実的な決着が進む。
 支配vs被支配のチカラ関係の維持を目当てに、『言ったことを言った通りに行動させる』という試みを続けても無力だ。『言ったこと』という、たかが情報を聞いて受けて、そこから『その通りに行動する』というガチ現実化に移す決定的ステップは、丸々聞く側の人間に決定権があるからだ。
 組織の自我に見放され、既にどうでも良くなった『言ってるだけ』に、大衆が反応することはない。そんな『言ってるだけ』を言い張る役回りに立つと、そのうち『あいつはシカト』という人格否定まで呼び込むぞ。

 ここである意味、意固地になって、法律に則った支配力を誇示するかのような態度や、ここまで進めてしまったロジックを『きっちりやり通す』という几帳面カラーで強硬策に出てしまうと、その先は異次元コミュ障の時空間が待っている。
 営利目的の民間組織、例えば世間一般の製造業や販売業の株式会社なんかでも、気を付けておかないと、嬉しい成果に恵まれず手応えを見失ったスタッフ業域が、間接業務そのものを目的にしてしまう不毛の永久回廊に迷い込むことがあるのだ。

 元々は現場の前線部隊が直接業務で具体的成果を稼ぎ上げていて、それだけだと個々人の生命力相応の活動単位の数量効果掛けにしかならないものを、ひとつにまとめて大局的に組織立った整理・組立まで創意工夫し、組織の自我向け総合フォーメーションにリメイクすることで、これらを『組織力』として出力できるように変換する。これがスタッフ業域の重要な組織機能である。
 ま、規則ゴトの制定やカネ勘定みたいな、書面相手でインドア系の事務仕事っぽくはなりやすいんですな。いわゆる縁の下の力持ち的な、直接業務層の頑張りやすい環境整備を受け持つインテリ業域というか。
 で、手元現実ベースの現場組に比べ、組織の広域に及ぶ守備範囲となる場合も多く、そうすると経営への影響度大として高給・要職ポストにもなりがちなのだ。無能に限ってこれを『エラい』と勘違いする。

 組織が好調なうちは、潤沢な現場稼働力を十分な組織力の成果に昇華する構図が共有されて、みんなお互いを信頼し合って健全で平和な日々が流れる。
 だが不調期に陥り『うまく切り回せない奴等』として組織の自我に見放され、それを自覚しながら行き詰ったスタッフ業域の小集団は、現場の現実も無いまま触り慣れた間接業務ツールを右へ左へ何となく動かす作業を仕事にし始めて、自分自身の稼働の実感をひとり寂しく確かめるような閉じ方をしがちなのだ。スタッフ業域の『脳内ブラックホール自閉症』である。
 元々は一体の組織生命体を構成する臓器と臓器のような関係で暮らしていたはずなのに、スタッフ小集団が全体組織との好意的な共存を見失って、アウェー分離してしまうのだ。特に現場組のブルーカラー性に対して、スタッフ層のホワイトカラー上級支配みたいな管理意識で勘違いしている不心得者は、現場の下民を自分の命令に平伏させる方向で間接業務ツールのアレンジを考え始めたりする。

 その結果は、『誰にも気にされず、誰も動かないのに、仕事だから・決まりだから・義務だから的な自分優位の正当性を主張しながら、ひとり毅然のテイで発令を繰り返す』という寂しい光景となる。
 せっかく現場稼働力に溢れた前線部隊がいて、事務能力に長けたスタッフ人材が揃っていても、何の出力成果も上がらない。現実味の無い発令への対応是非が一部少数で議論されるばかりだ。

 なぜ日本社会組織の自我の心が行政のスタッフ小組織を見放したのかというと、『根拠も無いのに、生活に制限を強いるから』に他ならない。
 いま根拠が無いんだから、まず制限をやめる。
 根拠が新たに発生したら、その根拠に正確に基づいて再び制限をかける。
 これしかない。

 最小・最短の被害でトラブル事象を特定し副作用なく解決するためには、物事をシンプルにする割り切りが必要だ。そりゃ怖いし、時に被弾もすれば本当に苦痛の損害だって伴うけれど、それは確率問題の現実なんだからしょうがないじゃん。
 『リスクを負ってチャレンジ』という表現はこんな割り切りを指して使うものなのであり、普段そこらで目にする『失敗時のリカバリー策』の欄があって幾つも承認印が突かれているようなのは、『プラン』であって『チャレンジ』ではない。

 『エラい』人間は失敗しない。
 失敗するとみんなに『エラくない』と貶められ仲間意識を断ち切られる。
 だから自分が『エラい』身分でいるため『失敗していない』という伏線を用意する。
 これもスタッフ業域の脳内上級組が必ずやらかす、あるあるの勘違いだ。

 『コロナ死ぬ死ぬ』痴呆国政に沈む日本経済の姿は、スキ無く積み上げて安定した実力を固める心意気までは立派だとして、それをもとに周到なプランを組むことばかり永遠の目的…いや執着対象となってしまい、そこから踏み出して現実と対面するチャレンジを恐れる、いわゆる引っ込み思案の堅実派が多いとされる日本人の民族性でもあるんだろうな。
 だからこそ、その血筋が導くままに落ちてしまったこの失敗モードから、事情と顛末をよく精査して、日本人固有の原因を客観的視点で注意深くキャンセルし、決定的な挽回策に打って出たいところである。

 日本列島に暮らす『日本人の人となり』の作用と、法治国家・日本国の『組織の仕組み』の作用について、感じて・考えての両面から理解し、次はしっかりアップグレード版で立ち上がっていただきたい。 
 では『再起動』をクリックしてシステム再構成の表示を眺めつつ、グッドラック!
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