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【915】初夢占い準備のAIサイエンス大晦日 [ビジネス]

 いよいよ2020年も今日でおしまい。皆さま、より良い2021年をお迎えください。

 少々申し訳ないが、私個人的には意外にも悪くなかった2020年であった。昨年の夏の終わりに、寝ても起きても心臓から首を貫通して下から脳みそに突き刺さり続けた『不快鈍痛カラーコーン』が消滅したは良かったが【802】、それを機にすっかり復調…とは行っていない。コロナ禍の社会減速には助けられていると思う。
 症状そのものからして不明瞭で特定が難しいトラブルも多いのだけれど、完全断薬のもと確かに全快に向かっては歩を刻めており、まあ来年のどこかでは事態を俯瞰して世間様に役立つ一連の情報にまとめられたら嬉しいなといったところか。
 生物単体の自力独力の再生能力を実地体験して改めて感じるのは、これは決して『時間が掛かり過ぎている』『あまりにも遅すぎる』というのではなく、なるほどこの程度のコトにはなるんだろうな、という納得の方である。かつての私も、ポピュラーで一般的な対応が確立された疾病と、それに応じる現代医学の完成度を、すっかり生命の歴史の不思議な万能パワーに読み換えて勘違いしていた。

 不本意に病院に担ぎ込まれてしまうような破目に遭っても、退院して帰宅するや『出された薬はまず全部捨てる』と豪語するツワモノをひとり知っていて、いくら何でもそこまでの徹底に賛同する私ではないけれど、それにしてもガチで『使わないと死ぬ』という薬でもないのなら、問答無用の全廃棄もあながち間違いとも言い切れないと思うようになった。
 大事な自分の身体、かけがえのない健康なのだから、病院信奉のクスリ信者なんかもうやめて、しっかり自覚と責任を持ちましょう。私みたいになりたくないっしょ?

 『高齢化社会による医療費負担が健康保険システムの破綻リスクを高めている』
 もう随分前から言われている話だが、病原体の種別特定からまだ1年にも満たない現時点において『ワクチンを何千万人ぶん確保の方針』みたいな政策案がこれ見よがしに流される日本社会の実態について、社会人の一人として考えてみていただきたい。
 何よりまず、大事な自分の身体にこれを投与する判断をして良いのか?
 そんな代物を、足りないはずの税金資本で買い付ける意味などあるのか?

 年末にもう一度繰り返しておくが、エマージング・ウィルスである以上たいした理由も見当たらないまま自然消滅してしまう可能性があるのはもちろんのこと【815】【833】、消滅しないにしても、こと日本人に関しては、全員が永久に未感染隔離あるいは人為操作による耐性確保で健康保証をする必要など無いし、国家戦略の工数・コストとしてもそんな無駄なことをする訳には行かない。だから感染拡大ペースひいては重傷者と致死者の発生ペースを何としても抑え込んで、現有医療体制の処置を間に合わせながらコトの動向を見極めるのである。
 ちょうどステイ・ホームの年末年始だし、御自宅で一杯やりながらゆっくり考えてみてはいかがだろうか。酒はユルさを求める奔放ツールとしてばかり強調されるものだが、真面目な課題に自由に取り組むエンタメ小道具としても全然アリなのだ。あ、大道具にはならないように。

 さて、大晦日のここまで世知辛い内容になってしまったのだが、冒頭の話題に戻って、ここ最近とくに今年後半における私のステロイド離脱過程で遭遇した面白ネタを紹介しておこう。
 一昨年あたり、たて続けに子供時代の記憶に縁のある夢ばかり見ていた時期があると述べた覚えがあるのだが、逆にこの半年は驚くほどベタに直近の記憶が反映される夢ばかりだった。

 昨今はドライブレコーダーが普及したため、一般人が日常運転のさなかに遭遇する交通事故の記録が克明に残されており非常に興味深い。ある日、センターラインを越えてきた対向車が自車の右前部にガツンと接触する録画クリップを見たその夜のこと。
 私自身がいつも通り愛車に乗っていて、まさにそのシチュエーションで同じ色の対向車にぶつけられる夢を見たのである。夢の中だからか、それほど取り乱しもせず『あ~あ~もう、しょうがないなあ』なんてヘッドライトの破片を拾い集めたりしていたものだ。おーまさに短期記憶の夢ネタだよなあ。
 そして衝突した瞬間の視野アングルが、背高ミニバン型の軽自動車のドライブレコーダーのものだったことに気が付いた。私自身が愛車を運転していて絶対に見ることのない光景だったのである。

 その数日後の朝、詳細の内容は全部ふっとんで憶えていないのだが、どこかの学校が舞台になっていて普通に校舎内を歩き回っており、そこに貼り出されたA4コピー紙ぐらいの案内表示を見て右に歩き出す映像がきっちり記憶に残っていた。
 『1』『6』『年』『組』の四文字が『ふたケタ数字+漢字二文字』の並びだったのは間違いなく覚えているのだが、『16年組』も『61年組』も直感的レベルでおかしい。だがパッと見て『あ、ハイハイこっちこっち』みたいな感じで判断していた自分がいる。
 そうか、やはり脳内に残った記録ファイルの断片が、睡眠中のデフラグ工程の途中で偶然任せに呼び出され、そんな記録情報の不連続ランダム断片群にストーリー感を後付けするカタチで、夢というのはできてるんではないかなあ【693】

 そんなことを考えた更に数日後、自覚としては比較的浅い眠りで夢うつつの時に、二重に違う内容の夢を並走で見る経験までしてしまった。これを『二重の夢を見た気がする』という内容の単一ストーリーなのかも知れないと言ってしまえばそれまでだが、こんな概念は通常こうして考えている私ひとりの意識世界では元々思いつけない。
 もし私が本当に二列並走で独立した別ストーリーの夢二本立てを見たのであれば、『意識』というのは、生物学的に素朴な、単純で反射的・機械的な情報処理が一定数量のボリュームで集まった時に、客観的にそこに見出されるだけの強制ロジカル想定枠なのかも知れない。私の大量の記憶ファイル断片群の中で、たまたま二系統の因果ラインが成立したとか。

 振り返って、もう自分で自分の脳がデフラグする感覚は再現したくてもできないし、未成年時代の忘れていた想い出が生き生きと蘇る夢を見ることも無くなった。いずれ直近の記憶ばかりがこの勢いで夢になることも無くなりそうな気がするし、そもそもこのところ夢が記憶に残る頻度がどんどん落ちている。

 ステロイド離脱過程と言わず、補助者や機材の助けも借りながら、もっと夢の記録や情報構造について、分析的な視点で記録ストックを蓄積する手はないものだろうか。
 大晦日だし、半ばムリヤリにジブン人体実験の最新ネタで括ってみました。

 こういう領域の話題を心置きなく連発できるくらいに、現状国政に対する具体的な意思表示が日本社会のあちこちから見えてくることを祈願して、今年一年の御愛顧に心よりの御礼を申し上げます。
 今年が底になり、皆さま良いお年を迎えられますよう。来年もより一層の御幸運を!
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【914】恩知らずの除名は豪華ディナーの席順表で [ビジネス]

 いよいよ年末まで一週間を切ってきた。激動の一年だったが、この時期に地球の公転一周ぶんの終転と始点があるのは、暦という人類文明の情報体系の上だけでのことだ。
 もうここまでやっちゃってるんで、忘れないうち記憶に引掛かる世知辛いハナシを続けてしまうとしよう。

 あんまりいい加減なことは言えないのだが、このところ急にあちこち一斉に口走り始めたコロナ・ウィルスの『変異種』とやら、あんまり気にしてもしょうがないし、むしろこんなことを騒ぐ人間とその思惑についての方を観察しておくのが賢いかと思う。

 結論から行くとこの変異種、重い感染症にやられて命まで取られるという危険性については、実際どれだけアブナいんだかよく判らない。というか、現時点では大してアブナいという事実関係なんぞ掴めていないんではないかと見受ける。
 どのみち日本社会に生きている我々日本国民としては、生活習慣として何か対策ができるかというと何にもできないし『ふ~ん』で聞き流すしかない。それはそれで結構だと思っている。
 大事なのは、『変異種、変異種』の反復インプットに続けて『ワクチン、ワクチン』を必ず押し込んでくる情報操作にあると気付いておこう。

 再度、結論から行くと、ワクチンなんぞ1年も経たないのにマトモなもの開発されている訳がないし、どうにか限定的にでも効果を期待できる薬剤成分が見つかったとして、副作用のリスクに腹を括って、それを使わないと本気でえらい目に遭う立場の当事者がそれに賭ける。そこまでである。

 我々人間の身体は、人体製造業のナンタラ株式会社が設計して組み上げた工業製品ではない。新型コロナ・ウィルスという異物が市場で混入して、どこかの軸受を固着させたのでもなければ、隣り合わせに走る基板プリントパターンを短絡させたのでもない。
 軸受の固着であれば、設計して組んだ通りを逆にバラしてほどいてやり、洗浄して再組みしてやれば解決するし、基板プリントが短絡したならそこを絶縁し直してやれば元通り問題なく作動する。新型コロナ・ウィルスという異物が侵入した経路を特定し、そこを通過しないように設変を入れれば再発防止も完了するし、二次不具合つまり副作用の心配も無い。
 だが人体にしてもウィルスにしても人間が都合で組んだものでない以上、そこに巻き起こる現象メカニズムの掌握も、その病原性のみ狙い撃ちした対策も、大変に難しい。いや、キホン無理である。

 『感染力が1.7倍』なる事実を確定するには、本当いうと均質な『素の人間』みたいなのを用意して、男女比・年代比を等しくした何万人かのサンプル集団を作り、そこに決まった数の感染源を投入して、サンプル集団内の感染拡大規模を時間経過とともに測定しなきゃなんないんだよな。
 …やってるワケないっしょ、ンなこと?

 『スパイク』と呼ばれる、まあウィルス表面にいっぱい生えている連結器みたいなものが人間の体組織に噛み合ってしまって感染する…という一般的な解説を流用して精一杯サイエンス流の推理を頑張るならば、このスパイクが、従来見つかっているのとは違う仕様に変わっているやつが最近見つかりましたと。
 で、スパイクの母数いくつで変異部位数いくつかは知らんが、とりあえずオリジナル仕様のヒト感染スパイク数を3だったとすると、最近のやつは2くらい未知のよく判らん仕様に変わっていたと。
 『既知のヒト感染スパイク3』および『未知だがもしかしてヤバいかも知んない2』を合計して変異種のヒト感染スパイク数を可能性ふくめて5、従来オリジナルはこれが3しかなかったんだから、5÷3=1.666…で丸めて1.7と、おおかたこの程度の根拠なのではないですかね。
 人類の滅亡さえ招く、終末的な勘違いだったらどなたか御指摘くださいませな。

 結論。
 現時点で、日本国民の何割ぶんのワクチンがどうたらという議論は不要だ。
 というか、やってはいけない。総じて日本人は比較的軽度だとはいえ、これだけの病原性を持つウィルス感染現象に有意差をもたらす薬剤を投与するとなると、副作用による医療事故がまず間違いなく発生する。
 いま『アナタはワクチンを打ちますか?』の質問に、多数が『みんなが打ったら、様子見て決める』と返しているのが世論の実情のようなので、まあ良いんだけど。

 先にどこぞの役所が、国民に無断で税金をばら撒いて『もうワクチンをまとめ買いしてしまいました、どこそこのクスリ屋や病院で打てる段取まで付けてしまいました』なんてことにならないよう、要注意である。
 こういうことを抜かしそうなヤツには目をつけておくとともに、今後はそんな手間を省くためにも、この手の発信源になりそうなポストには永久に関われないよう、国民ひとりひとりが自分の立場からできることを、考えて工夫してやっていかないといけないのではないかと思う。

 そろそろいい分量か、あちこちで叩かれ尽くしている感はあるが、税金ばら撒き遊興政策に突然の方針変更を言い放った後、ぬけぬけと古電球が遊びに寄っていたという8席ゴージャス飲み集会のハナシをしておこう。

 あの話が本当だったとして、もういちいち古電球を指して非難するのは他に任せるが、心底人間としてその存在を認めるに値しないと思うのが、スポーツにしても芸能にしても、いわゆる娯楽文化と呼ばれる領域で名前を見かけていた野郎どもである。かつて日本社会が馬車馬のように稼いだその余力にあやかって食わせてもらって、その恩でこいつらの今があるのだ。
 どんな下手糞のどアマチュア猿マネ芸であっても、その場を支えてくださるスタッフさんとなれば、会場入りして最初に出会う駐車場の誘導員さんから失礼などビタ一文許されず、礼儀正しい挨拶と明快な返事はお約束だ。いわんやお客さまともなると、わざわざにいただいたお越しの時間と御代に、不満や疑問が糸くず一本の微塵も出ないよう、全身全霊の誠意と愛想で尽くすのが基本中の基本ではないのか。

 どんだけ儲けさせてもらって、どんだけ有難く拝んで、どんだけ真面目に次をお迎えする気を維持してやってきたのか知らないが、そんじょそこらに無いくらい御贔屓にしていただき、ここまで自分を育て支えてくださったお客さまとしての日本社会を尻目に、よりにもよって、それを裏切って見下して食い物にするような自爆テロ非国民犯罪者政権と嬉しそうに贅沢メシ食ってるんだから、まずこの世を生きる人間としてオシマイである。
 スポーツにしても司会にしても金輪際その醜い老人ヅラ見せるんじゃねえぞ、永久に失せちまえ。まあ1億2千万人日本国組織がいずれ扱いを決めるんだろうが。
 組織力は、カネでも地位でも名誉でもなく、ガチの好意と信頼に基づく仲間意識でしか繋ぎとめられない。そんなことも解らないまま無駄にトシだけぶっこいた強欲老人会が、薄らダラダラ日本社会の一角で開かれていたってことさ。くっだらない話である。

 たったふたり、あるいは3人とかでもいいけれど、高級ステーキでなんかなくたって、ちゃんと一緒に食べて楽しく話せる仲間たちとの食事の方がよっぽど美味くて豪勢だ。
 頑張って食い繋いで、こんな奴等に反撃ですぞ。寒くなりそうだが、御幸運を!
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【913】ピンと来ない防災グッズの救急救命率 [ビジネス]

 おややそうか、今夜がもうクリスマスイブだったか。世知辛い話題にお付き合いを。
 忘れないうちに前回の決着から済まそう。『正常化バイアス』のハナシである。

 これ、十中八九…というか洩れなくの百発百中で『人間というのは、異変を感じてもそれを敢えて否定し、いつもの通りで大丈夫だと思い込もうとする傾向を生来持っている』みたいな解説がされていると思う。
 何というか、本能とか深層心理の領域では絶体絶命を正しく自覚しているにも関わらず、理性の領域がその絶体絶命の恐怖に耐えられないため、まだ正常な状態の延長線上にあるから怖くないよと認識したがってしまい、結局は絶体絶命の実情に率直に対応できないのだと。
 いかにもありそうな理屈で筋は通ってるんだけど、本当にそうなんだろうか?

 いや、真剣にヤバいと思ったらヤバい認識なりの思考が働いて、これはもういつもの状況とは違う対処で意思決定や行動の選択をするモードに切り換えなきゃダメだ、そっちへ行くのが人間というものなのではないだろうか。
 ただ、私が的外れな見立てで誤解をしているのでなければ、専門家の看板掲げてそればっかり研究してる連中の間では、さっきの正常化バイアスが人間の特性の通説だったりするんだよな。何だかんだで、所詮はいま平常時の心境で考えているからにしても、どうしてこんな、直感的にしっくり来ない心理的反応の定番イメージが、非常時の人間の一般的性向として広く認知されているのか少々不思議だったりする。

 そこでだ。私なりに可能性を見出している仮説をひとつ紹介する。
 正常化バイアスとは『非常を知りながら、まだ正常だと思い込もうとする』現象ではない。
 目前の非常事態が、本人の意識世界にとってまるで未知のものであるため、本人にとって既知として記憶されている正常状態との違いが見えないのではないか。
 人間だれしも意識世界の壁のこっち側にまでしか行けないから、結果的に正常時と不連続的にかけ離れた思考や判断のプロセスには切り換わらないのだ。これが真相ではなかろうか。

 例えば東日本大震災の踏切車列のケースにおいては、事前にどれだけ災害の知識を学んでいたかはともかく、全ての事物が津波に呑まれてしまう現実がどんなだか、車列の誰もが意識世界にきちんと描けなかったのではないかと思うのだ。津波の理科的情報までは知っていたとして、どうせ海面が持ち上がって迫ってくるんだから、そうなったら津波来襲の姿を振り返りつつ車の速度で逃げ切ろう…とか。
 いっぽう踏切事故でメチャクチャに大破した自動車の映像なんかはちょくちょく目にするから、こちらは具体的かつ明確に、その異常事態と危険度が描写される。そんな想像を巡らしつつ、視界内では店頭の物品が崩れ、電車が止まるぐらいだから一斉停電もしてたりなんかしていたら、そんな環境で雨風をしのぎガソリンさえあれば荷物と共に移動も自由、この自家用車を失うようなリスク・チャレンジなんて絶対にあり得ない。

 ここで私みたいなのが出て来て『あなたがた、まさかそんなことないと当て込んでるんだろうが、津波が来たら一巻の終わりですぞ。こんな時には、人間ってできるだけ大丈夫だと思いたくなるもんです』などと切り出したとして、危機に直面している立場の当事者たちが『おお確かに、あなたの言う通り私はこの事態をついつい過小評価しようとしていた。御忠告ありがとう、すぐ逃げます』とすんなり心変わりしてくれるものかどうか、想像してみていただきたい。
 むしろ『うるさい、もし電車が来て衝突事故になったらオマエは責任取る気あんのか!』と斬り返されて会話を閉ざされ、既に電車が通過し得なくなっている真実さえ伝えても真に受けてもらえない可能性が高いのではないか。

 いざ蓋を開けてみれば、真っ黒になった海が何もかも呑み込んでいく、まさに想定外の現実がその正解だった訳で、あの記憶が普及した今だから、私みたいないかにも胡散臭い迷惑型トラブルメーカーの言葉でも、行きずりの人々は耳を貸すと思えるようになったのである。
 ここまで理解してこそ気になるのが、そこらの自治体とくに大都市部においてよく見かける『地震や洪水など自然災害の来襲を想定したCG映像』の防災ツールである。
 一刀両断、あんなもの上記の理屈に照らして、そこにいる人・そこを訪れる人の被災イメージ構築に役立つ訳なんぞなかろうが。
 画力・画質の実感の乏しさもさることながら、だからってハリウッドばりのCGを持ち出したとして、いざという時の当事者の記憶に蘇り、その心を被災する前に動かせなければ、ただのガラクタ動画クリップでしかない。一本いくらするんだ、ああいうの?
 ほんっと、『防災』という金科玉条キーワードには要注意なのである【825】

 ところで今、日本社会は危機に瀕しているとする言論が飛び交っている。
 ひとつに、迂闊な表現は使えないが、決して諸外国並みの限界を超えた過負荷には陥らないはずの医療機関に対して、『医療崩壊』というコトバを盛んに使う現状だ。少なくとも日本社会は現有の医療体制を、相応の効率的に活かせておらず、いくつかの最前線で局地的なオーバーフローの恐れが出てきている。
 もうひとつに、生活困窮者ひいては自殺者まで急増させている経済活動の停滞である。この日本国内でウィルス感染した場合の重症化率・致死率と、生活費を絶たれ衣食住の暮らしの基盤を失ったり絶望して自害してしまったりの困窮率・自殺率と、どっちが日本社会の現実的リスクとして重篤だというのだ。
 ガチの当事者になってしまっている方々には気に障るかも知れないが、連日バイオハザードの超過勤務に心身を晒しつつ休めない医療関係者さん方も、空腹を抱え『死にたい』と相談ラインに電話してなお何の解決策も見つからない経済難民の人たちも、こないだまであり得なかったはずの、こんな絶体絶命の危機に陥っている原因を思い出そう。大事なコトであり、必要なコトだと思う。

 『ああ、この人たちに社会運営を任せとけばいい』『よく解んない、知~らない』

 そんな態度を決め込んでいたあなたの周囲では、今やもう誰も見なくなったテレビに新聞が『消費税は下げられない』だの『経済支援政策おいくら拠出』だの、いかにも出来の悪い『国家危機防災コンテンツ』を繰り返しタレ流していたのではないか。
 CGにもなっていない、前時代式の三文茶番劇や政権隷従のちびっこ作文が横行する幼稚な社会が、新型病原性感染症の拡大というサイエンス難度の高い災害に遭遇したのである。

 負けに不思議の負け無し、そういうことだと思う。
 今を切り抜けたとして、御自身が何も変えなければ、いつかまた同じ思いをする。
 だから生き抜いて、もう負けないよう手を打とう。メリークリスマス、御幸運を!
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【912】もうひとつの致死性感染症への医療体制 [ビジネス]

 そもそも街の賑わいに触れる機会からして無くなっているのだが、今冬はクリスマスも年末年始も無さそうだな、こりゃ。
 歩いて数分の二年参りもやめとくかあ、そもそもここ数年すっかり商店街が寂しくなって、飲み屋の隅っこで一杯ひっかける楽しみも無く、ただただお参りして帰ってくるだけが続いてるし。

 いま不用意に出掛けて、まかり間違ってウィルス感染して、更に重症化までしてしまったら、体制の整わないところで肺炎の症状にやられないといかんのだろ?到底あり得ない。
 今月アタマで満8年を迎えた私のステロイド離脱過程はまだ完了してくれず、それにしても今や遠い昔の記憶になってくれた気管支系の炎症のあの天国を垣間見るほどの辛さ、あれをもう一回喰らう可能性をわざわざに増やすくらいなら、少なくとも現時点ただ待って済むハナシなんだし、そんな可能性は絶ち切って大人しく待つことにしよう。

 またしても繰り返しになるが、世界的に見て相当数の他諸国よりも日本人の重症化率・死亡率は低く、いっぽう国内社会の拡がりに対する高度医療の普及率は高い。今夏にはかなり感染拡大現象のペースダウンが確認できていて、あの時すっかり収束を当て込んで安心するほどにまでならなかったのが幸いだと言わねばならないのだが、とにかく医療機関体制の現有キャパシティで十二分の余裕感があった。
 なのに、ウィルス感染拡大に対応し続けながら丸々1年足らずを経過した今さら、こんな思考放棄の脊椎反射で右往左往の発信ばかり連発する国政を、日本国民一同でよく確かめ査定しておきたい。
 そう、思考すべき立場にありながらそれを放棄するのも、脊椎反射で場当たりの自己都合を言い放つのも人間の所業であり、『犯人の仕業』なのだ。

 ちょっと横道を挟んでおくと、平成に入って、学校生活を始め子供社会の日常トラブルとして何か起こるたび、『個人攻撃はやめろ』だの『犯人探しはよくない』だの、洗練された良識を装ったヌルいウヤムヤ指南が目立つようになったと思う。
 因みに我々昭和世代の場合は、常に『誰がやった?』『誰が悪い?』で始まった。

 『自分がやりました』と、コトの一連の流れの中に『自分が一枚噛んでいる』という些細な根拠ででも率先して白状することをもって、潔しとする精神文化があった。明らかに主犯格ではないにしても、自分がいなければ、いや自分が皆を制止していればトラブルは起こらなかったはずだとする理屈である。
 それで正直さを評価され、むしろ褒められて許される…というのは教育的見地による作り話の定番パターンでしかなく、現実の展開としては、まあ悪いと自供したヤツが代表で怒られたり、あとは大した解説もされずに『連帯責任』という漠然とした表現で関係者全員に罰則が科せられたりしたものだ。当時は大人たちも高度経済成長期の社会で気合いだ根性だと声を掛け合いながら生きていた時代だし、深く考えずに子供社会に対してもその粗野で大雑把なメンタリティで接していたものと思われる。

 その裁きを受け容れず『自分はそんなコト知らなかった』『自分はナニナニしただけ』と弁明する返答は、仮にそれが真実だったとしても、仲間を裏切って自分だけ他人ヅラする卑怯者の言い訳とされ、それを機に大人からも子供仲間からも余所余所しく距離を置かれるような、そんな世風があった。
 実際コトの詳細を綿密に紐解いて分析すると、確かにその場の真犯人でないヤツが泥を被っていたり、完全とばっちりで無実の部外者が巻き添えを喰らっていたりする事例も多々あったはずで、これに納得いかず抵抗できずの悔しい承服で甘んじた世代が社会人の年齢となり、個人攻撃や犯人探しへのアレルギーを普及させてしまったのかも知れない。

 『個人攻撃はしないから、犯人探しはやらないから』と、失敗を自覚する張本人の心理的負担を解くことで事実経緯にまつわる積極的な証言を促す手法が、組織トラブルの早期解決に繋がるケースはある。だがそれを使ったなら使ったで、結局はどこの誰がどんな過ちを犯したか特定し、それを確実に修復するとともに、同じ失敗が繰り返されないよう再発防止を確定するところまでやらねば意味が無い。
 失敗して追及されなかったいい加減さが組織内に伝染してしまうと、誠実な組織稼働の完遂を支える全ての責任感がだらしなく緩んで、組織生命そのものがオシマイである。
 昭和式のトラブル対処には『真実を無視したアンフェア処置が強行された』というデメリット事象だけではなく、『失敗の自覚ある者たちが各々の立場でコトを決着させた』という大切なメリット事象がある。組織風土として反省と改善を志す意識文化が維持整備されている限り、そのメリットの方を確実に活かせるのだ。
 経済成長に浮かれて安泰の平和に気が緩み、反省も改善も疎かになった日本の大人たちは、子供時代の不満の記憶を晴らす目的しか見えなくなってしまっていたのではないだろうか。

 平成の時代を経て令和となった現在、いい大人が成す社会組織の失敗、それも100%人為的な失敗において、『誰がやったんだか判りません』『誰が責任者か決まっていません』みたいな本来存在し得ない、社会運営を放棄したトンデモ概念の発言が多すぎるのだ。
 こんな日本社会の病的な空気環境だから、直接の国民世論そのものもしくは国民代表の責を負った議員・職員たちに、税金資本の国務に関する情報開示を要求され、『あれはもう捨ててしまってありません』『これは個人情報に関わるので差し控えます』みたいな行方不明・隠匿の言い逃れが通用すると勘違いしてしまうのである。

 取り急ぎ、学術会議の人員任命における古電球の違法発言を、国民主権のもと全面開示で徹底的に裁くべきだ。本来なら大した時間がかかるはずもなかろう。
 日本国組織は本件を絶対に見過ごしてはならない。ウィルス感染拡大中だからといって看過するハナシでもない。1億2千万人法治国家組織が破綻するぞ。

 世襲のガキやペテン眼鏡みたく殺人まで犯してしまうと、被害者の遺族に対して解決し得ない負の心情の贖罪を、こいつら犯人の人格をもって尽くさせる処置がどうしてもはずせなくなるため、手荒な真似がやりづらくなる。今の古電球なら、後始末を気にせずちょっと小突いて絞め上げて吐かせればコトは片付く。やろうよ。

 いかん、また横道を掘り下げすぎてしまった。偉そうなクセに学習しないなあ。
 まだ次回はクリスマスじゃないから何とかなるかな。せっかく災害時の集団行動の話題が続いたので『正常化バイアス』の話をしたかったんだが、次回送りにせざるを得ないか。

 もちろんそれだけで日本経済市場が十分な活力を取り戻せていたとも言わないのだが、いの一番に消費税率を5%以下に引き下げ、ハンコやめてデジタルがどうたらと無駄に遊んでいた時間ももっと真面目に考えて、税金を遊興費にしてばら撒いたりせずちゃんと決められた事業支援金にして、それを困窮した人たちが申請して、これまでの時間をかけて審査を通って手にしていたら、今ごろ日本国内の雰囲気はウィルス感染状況の国際的傾向に合致したものになっていた。もったいない限りである。

 大変な年末年始になっている方々、力尽きずに直すんですよ。ではグッドラック!
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【911】知って選んだぼったくり三文演劇の返金請求 [ビジネス]

 年末年始には、幾分でも平和な話題にしたいので、今のうち辛いやつを。
 ほんっとのほんっとに大変になっている方々には真剣に気に障る言い草だが、今年を振り返ってこのコロナ感染騒ぎは、あながち悪いばかりのことではなかったと私は思っている。
 数百年の代々続いた名のある老舗店や、手塩にかけて立派に育てた会社を泣く泣く畳む破目になった方々もおられるはずで、だとすると例え話や一般論の引き合いにしても、こんな日本語はとても認められないとは思う。すいませんね。

 なにぶん相手はウィルスという数十億年にわたる地球上生命の進化過程での偶発種であり、たかが人類文明社会の仕組みごときで今どこまで対応できるのかの限界は全く不明なワケだが、それにしても人類文明社会の仕組みとしての限界までは、持ち駒としてきっちり使えないとおかしい。
 そして持ち駒を駆使してどうにか生活へのダメージを最小限に抑える、その対策効果にあやかる権利は、議会制民主主義の法治国家である日本国においては、1億2千万人日本国民の主権に基づき、その意思を最大限に反映する責を負った議員たちにより、議会における公平な議論を経て効率的に国民各々の身の上に実現されることになっている。

 その現実は御覧の通りだ。いちいち列挙しての解説は必要なかろう。
 いま日本国組織が唖然としている信じがたい光景の数々は、森羅万象の一環として巻き起こる自然の振舞いではない。すべからく人間が、人間の思惑でやらかした出来事である。
 それら出来事の全ては、人間みずから設定した『社会組織の運営』という文化体系の原理原則が元々あって、それに照らして、今こんなとき下すべき決断・採るべき行動というのは常識的にみんな判っているのに、その真逆ともいうべき破滅的な現実にしかなっていないので、唖然としているのだ。
 唖然の現実はイチからジュウまで『人間のせい』で起きた。ウィルス感染症は想定外の自然災害だったがそれはコトの発端に過ぎず、いま日本国民を直接混乱させ苦しめているのは特定の人間=『犯人』である。

 こんなことになっているのは、古電球のせいだろうか?
 こんなことになる道をつけた、世襲のガキのせいだろうか? それとも…

 そう、全ては我々1億2千万人日本国民のせいである。我々が犯人だ。
 端的に、1億2千万人ひとりひとりに、国家運営に関わる代表者を間接的にでも人選できる仕組みが、きちんと法律として具体的に決められている。
 みんなその仕組みを解説され理解する機会を十分に与えられた上で、不正も無く日本社会としてそれを実践した結果、適任として選出された人間がまさに現状のこうだった。誤魔化しも言葉のアヤもない、手放しでただ真直ぐな真実である。

 日本社会の日常生活の中でしっかり1億2千万人の総意が反映されるよう工夫し、それで行こうと法律で定めた以上は、自分個人として直接こいつらを指名した覚えが無いとか、それなりの役目に就いたヤツは大勢が気に入るようにやるのが当たり前のはずだとかいうのは言い訳にならない。いい大人が社会の仕組みに基づいた自分自身の社会生活の維持を、努めてやれなかったではなく怠けてやらなかったが故の道理の末路である。観念するしかない。
 そんな個人事情が1億2千万人ぶん集まり、日本国組織の自我となってここまでの現実に到達し、それを各自が致死レベルの生活ダメージとして直面するまでになって今がある。そういうことだ。それを認識できた今年一年であった。

 で、経済社会の事業単位も大概のことにはなっているんだが、現時点で…というか、もっともっと早々に明らかになってんだから、待ったなしで無駄な損害を喰い止めにかかるべきなのが東京五輪である。そこらのローカル大会以下の規模でしか集まれない出場選手たちで、カタチだけ五輪マーク掲げても良い事なんかひとつも無かろうに。
 常識的に考えて、いま海外から日本現地入りする予定日まで半年切って来ているワケだが、世界的にも軽症で済んでいるはずの日本国内ですらコロナ感染が抑えられず拡大中で厳戒態勢、いわんや海外諸国となると商店から何から社会活動を今もって封鎖している例も散見される。
 これでは五輪と言わず国際大会なんか成立し得ない。だから一度中止を決断して日本国組織の心理負担となる懸案アイテムのまな板から降ろし、必要ならばコトが落ち着いてから、腰を据えてやり直すのが賢いと今年の早いうちに述べた。

 無理目もいいとこのささやかな有志競技会で、間違えて五輪マークのもと史上最高記録なんか出ちまった日には、『手違いで有利な条件設定になっていたのでは』『世界の列強がいたら更なる新記録続出だったことが確実』みたいな、拭ってもぬぐい切れない曰く付きの公式記録になってしまい、選手にとって栄光どころか屈辱のあと腐れを残す結末が心配される。

 『計画されていた2020東京五輪は残念ながら中止。だが努力を重ね準備が叶った選手たちだけで、次回の盛大なる五輪大会を祈願して記録にチャレンジする』ぐらいに国際スポーツ界での位置付けを潔く下方修正しておかないと、これまた年が明け暖かくなる頃にどうしようもない重量級の鬱アイテムになっているのは間違いない。 
 どうせスポンサーもつかないしスタッフも集まらないだろうから、五輪の看板は下ろして、涙を呑んででも見送れる種目は全部見送る。やっちまってからじゃ遅いのだ。
 やれやれ、3千億かけて建設不可能なインチキ競技場建てるだの、いきなり札幌でマラソンやるだの言ってたのが懐かしいよ。どっちも日本国内で一番コロナ感染が逼迫している場所じゃないかよ。

 あ~あ、次から次へと愚政とその布石打ちが後を絶たないから、いっつも政治ネタばっかりになっちゃうんだよなあ~と気になり始めたのは何年前のことだったやら。それも近頃じゃ同時多発件数が多すぎてトピックを絞るのが難しいし、書き始めたら書き始めたで芋づる式に他が繋がって出てくるから、一回分が頭の中ですんなりまとまらない。参ったね、対策を考えないと。

 とにかく今般の失敗は事実なんだし頑張って生き延びるとして、次の機会を捉えてしっかり直しにかかりましょうぜ。これでまだ繰り返してしまうようなら、日本社会はみんな揃って泣き寝入りの行く末を確かめねばならなくなる。
 人生山あり谷あり、谷を這い上がって山を迎えられる。では引き続きグッドラック!
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【910】即戦力スーパー管理職の瞬間査定ランク [ビジネス]

 今年も残り少なくなってきた。光陰矢の如し、早いものである。
 『政府はたかが現状ごときで、いちいち面倒臭い対応なんかやらんのだ、わかったか』と古電球が居丈高に悪態をついていたのは、ちょうど1年前のことだ。
 いまコロナ感染者の1日新規確認数は全国で3千人を越えるに到っており、苦し紛れに口走った『勝負の三週間』とやらは、誰がどう見ても完敗であろう。

 負けたなら敗北したまま放置という訳にも行かないから、もちろん次はリベンジ勝利を目指して新しい行動を起こさねばならない。
 だが負けてやられてしまっている以上いきなり勝利を夢見ても気休めの夢想にしかならず、まずダメージを喰らって弱った自分を戦えるパワーにまでに回復させ、そこ時点の実情に合わせて勝算を見込める作戦を組んで、仕掛けるならそこだろう。
 そりゃ負けてるんだから今はみっともない体たらくなんだろうし、やれるはずのことやるべきことにも存分に組み合えないし、大概の場合は『泣きっ面にハチ』で地に這いつくばりながらなおも被弾の雨あられだったりする。だが。

 実は負けている時に限らないのだが、大事なのは手元にある原資を無駄に捨ててしまわないことだ。現有の原資は、一切の負担なく自分の持ち駒として自由に使える。だからこそこれを洩れなく有効打にして、キホン固定性・長期性の好転ファクターとして刈り取ってゆく必要がある。
 『危機を感じたら、その回避・離脱に全力集中する』は生存本能の基本要件なのだ。

 組織が災害事象に見舞われた時、その対処プロセスの概念で語られる『クライシス・コミュニケーション』という用語がある。ちょっと段階別に考えてみよう。

 ステップ1:平常時の規則を壊し、危機に見舞われた現状特設の最適解を決定する。
 ステップ2:その最適解を、現実的なアクションに直結するマニュアル情報にする。
 ステップ3:それを、組織が必要とする、そして実行可能なところに伝達する。
 ステップ4:対策効果を測定・情報収集、実態に応じてステップ2から再スクロール。

 このステップ1においては『現場の実情を認識できないヤツをリーダーにしてはならない』とされている。ナニがいけないのかも見えていないヤツに、その後の思考検討などできるはずもない。
 そしてこれはリーダーとなる人材の資質だけではなく、『中央集権型の指示命令系統は、危機対応に弱くなりがち』という組織の構造が要因として効いてくるところにポイントがあるというのだ。
 中央に一点集中した組織の意思決定機能は、現場からの情報をきちんと受信しなくなる。単純に現場から組織表上で遠ざかって情報としての受信内容が薄くなるだけではなく、その位置関係がウチワの特権意識に化けてしまったりすると、自分らだけのトクと組織全体の健全作動、どちらが至上命題なのか見失ってしまいがちなのである。

 確かに今、地域社会の暮らしをどうにか持たせるため懸命になっている自治体の首長たちや、大混乱する診療現場の人員・設備を切り回す医療団体から、日本社会における感染拡大の機会を一斉に抑えるための政策が繰り返し要望されている反面、この国家的災厄に乗じて公務ポストと公費支出費目を焼け太り式に無限発生させたい政府に、全くその危機感は無い。

 前回紹介した震災時の踏切のケースでは、誰ひとり『そこらへんのオバチャンに指図されるいわれなど無い』と反発もしなかったし、『いいや、交通規則だから踏切が鳴り止むのを待つ』と独善にこだわりもしなかった。
 その時点で、オバチャンは現状を最も的確に知っていると同時に、何の欲も持たない人間だったから、交通規則に目をつぶるためのストレス議論も起こらず、平常時の規則が迅速に壊せたのだ。危機的状況を素直かつ真剣に認めて、車列のみんなで危機回避の組織総合的な潮流を作り、誰も妨害したりせず、組織の自我はスムーズに逃げて無事に済んだのである。
 結果的に見れば、このオバチャンは『車列に迫る危機に関して、誰より詳しい現場の専門家』として完璧に機能していた。

 そう、クライシス・コミュニケーションにおいて、ステップ1に専門家の知見が反映されなければ機能しない。またステップ2に現場従事者の意見が反映されなければ機能しない。
 いま1億2千万人日本国組織がしっかり現認しておくべきは、どこに誰が何人いようが、有用な知見を使える情報にして自由に発信し、それを受信した組織全体が協調して最適解めがけて動かない限り、組織力は発揮されないし、組織力を発揮できない大衆は、生きる能力を備えない烏合の群衆でしかないということだ。
 このままでは1億2千万人もいて、これだけ致死率が低くて、文明社会インフラが行き渡っていて、たまたま新規感染者の1日確認数3千人程度、あと重症者が5百数十人で死亡者は50人強というセンに収まっているという恵まれた境遇にありながら、衰弱した経済を更に疲弊させつつ狂ったように税金資本をばら撒いて自滅である。

 改めて、学術会議の人選に、何の権利意識で外野の古電球が口出しをした?
 くっだらない強権の主張を仕込む動機が国政のどこかにあって、その同じ根源に『どうせもう自力の解決はできない』『自分らが失敗したことにしたくない』『それでも自分が尊重されないと我慢できない』みたいな自意識があるのなら、それこそが日本社会組織の生存本能をここまで弱らせた元凶である。摘出と処分が必要だ。
 古電球を見逃してはならない。血とはらわたと一緒で結構、全て吐かせないと。

 健常な生命力を残している大阪府市および東京都・北海道にはまず総力上げて頑張っていただき、全国でこれを支えると共に、全国相互で過不足を調整しながら追従し、とにかく総崩れの発端を防ぐ。日本の現時点の感染事情と医療現場の実力なら持ち堪えられるはずだと思うのだが。
 ともあれ皆さまくれぐれも御大事に、そして引き続きの御幸運を!
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【909】命懸けの良識違反切符 [ビジネス]

 人命に関わる事だし、特に当事者さんおよびその関係者さん方からすれば、無責任な外野の非人情な議論にも響くのかも知れないが、だからこそ、そんな直接ひどい目にも遭っていない、そして遭わない大多数が被害最小限で社会を支えていくためのハナシである。悪しからず。

 『新型コロナ感染による死者が急増』といいつつ、いわゆる第一波・第二波で1日当たり最大20人程度だった死亡者推移が、こないだ40人超えたぐらいのペースだろ確か?
 『新型コロナ感染症に罹患して、今日死亡に到った人数』となると、その母数は当初の第一波からナウ現時点までの1年近い累積感染者数である。夏前に感染して今日亡くなる人も、先週感染して今日亡くなる人もいるからだ。

 検査件数増加に伴う新規感染者確認数の増加、あともしかして検査件数の増加以外に、本当に実質で感染拡大の勢いが従来比で増している可能性まで考えるとして、それが現状日々『東京で何件、大阪で何件、全国で何件、感染が確認されました』と発表される数字なんだよな。ちょくちょく『過去最多』の添え書きが付いたりして。

 しょっちゅう過去最多になるような増加率で新規感染者の1日確認数が増えている。
 ならば第一波から今日までの感染者数の積算総数は『加速度的に急増』である。
 ところが1日死亡者数の推移は、過去ピークのせいぜい2倍あたりで、その絶対値としてようやく40人/日程度といった規模なのだ。どう考えても『新規感染者にとっての致死率』は、日々かなりの勢いで下がっているはずである。

 海外で『不用意にコロナに感染しないように。こんな景色が人生最後になっちゃいますよ』と流された動画、あれフツーに日常生活でありがちな油断に改めて警鐘を鳴らす意図のものを、海外ニュースが取り上げただけじゃないかと思うんだよな。あの患者目線で、防護服着た職員に救急救命の手当て受けてる景色が映るやつ。
 いや対訳文面はあながちただのハズレでもないんだけど、なんであれが日本社会で『コロナで死ぬ人が最後に見る景色が話題になっています』だなんて、死病に憑りつかれた断末魔の恐怖映像みたいな論調になるのだろうか。まあみんなガチガチ本気の危機感で受け止めパニックを起こすような事態ではない真実を肌感覚で判っているからこそ、こんな不真面目な言論が横行する余裕もあるってことなんだろうが。

 真実は、まるで形態共鳴するかのように、いつの間にか組織の自我に広く確信されるのであり【482】、逆に組織を成す大衆の共通認識に起こる形態共鳴とは、実はオカルトでも何でもなく、表面的に伝播プロセスが見えにくいだけの、ただの正常な認知現象の統計的な結果なのかも知れないとも思っている。
 このへん総じて、私が『物事の真実は隠しようがない。うまく大衆の認識を欺き操れたと思うのは愚かな工作者自身だけであり、大衆は愚かな工作者が浅はかな情報操作を仕込んで独りそのつもりになっている全貌まで正確に把握している。自然にそう伝わるからだ』と固く信じて疑わない所以である。
 ポイントは、どんな形でナニを言ったのかはいろいろあるとして、結局は『コイツは自分都合を腹に隠して、真実でない情報操作を仕込んでくる人間だ』という事実の記憶が組織の自我に刻まれるというところにある。私が知る限り、組織をナメたウソで、組織にケッチンを喰らって、組織に許してもらったヤツはいない。

 まあいいや、社会的騒乱に関連したトピックでもうひとつ。これも文章だけの独り歩きにはならないよう、厳重に注意したい日本語情報なのだけれど。

 『非常時にリーダーとなるのは、平常時の規則を率先して壊す人である』
というもので、確かに平常時とは違うコトが起こってタイヘンになっているのだから、平常時とは違う行動による対応が必要となっているはずであり、そこで組織的規模の最適解を起動するためは、平常時の組織の規律を離れる決断を、みんなに向けて効果的に放たねばならない。そういうことである。

 東日本大震災に見舞われた直後のとある踏切で、地震の被害により実は待てど暮らせど通過するはずのなくなっていた電車を待つ車列ができていたのだという。
 まあ交通規則だからってのもあるんだろうが、さすがに踏切事故となると自分の車はまず無事ではないだろうし、他にも迷惑で済まない大損害が出るだろうし、それこそ自分の力で全くどうしようもないような大地震直後の状況下で秒を争って先を急ぐ衝動に突き動かされることもなく、むしろみんな冷静だったのかも知れない。

 そんな時『アンタら何しているの!いくらもしないうちに背後から津波が来るよ!』と、もう電車が走れなくなっている事実と併せて車列に伝えたオバチャンがいたそうだ。もちろん先頭から次々と鳴動中の踏切を通って、車列は掃けたのだという。

 『見通しの良い交差点の赤信号で、瀕死の重症者を乗せたアナタは止まりますか?』の質問に近いが、たった一人の選択なのか、組織の自我の判断を動かすのかが決定的に異なる。
 組織生命体の稼働メカニズムの観点から見れば、そこらへんのオバチャンがこの瞬間『組織のリーダー』となって、薄らトンカチに平常時のまんまの規則を守って、異常に気付けず閉まりっぱなしの踏切を待っていた社会組織に危険を感知させ、漫然とした平常作動を危険回避モードに切り換えさせたワケだ。
 『踏切待ちの車列』という組織の無事を掛け値なしで目的にした発信だったことが一番だが、もうひとつ、オバチャンと車列組織との間に何の利害も発生しないと自明だったのが情報の信頼度を支えたのではないだろうか。例えば、この踏切が有料通行の電子計上ゲートだったりしたら、先頭から粛々と…とはいかなかった可能性を感じてしまう。

 のっぴきならない非常時に、その重大さを組織生命体が的確に認識し、時間遅れなく行動に直結させる生存本能。ある意味のんべんだらりで済んでいた平常時の稼働モードを根こそぎ叩き壊して生き残るための反射神経は、『信用に値する真実』の一言にしか反応しない。

 ここまで理解して、我々1億2千万人日本国組織は、お互いに声を掛け合い助け合って参りましょう。
 おっと年の瀬は安全運転をよろしく、引き続きどうか御幸運を!
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【908】諦めの神妙と諦めない恐慌の生存確率 [ビジネス]

 通天閣や太陽の塔が赤信号となった『大阪モデル』だが、これは一定の予測に基づいて対応体制が早いうちに的確に準備され、これのキャパシティに対して『いま手一杯までの余裕がなくなってきています』という、ロジカルに定量的な勘どころが普及された上での情報であることを確認しておこう。
 だから今さらの感情的な反発や政治的な疑義に対する説諭も必要とせず、大阪社会組織の自我は赤信号の意味を理解して行動に反映させている。つまりみんなに理解と納得が行き届くには、きちんと決めてかっちり整えて真面目にそれを運用する、それだけの事実構築の時間がかかるということである。
 自衛隊の準備は要請までで、実際の出動に到らない結末を祈りたいものだ。

 医療機関の方々は本当に大変になっているようで、ただただ頭が下がるばかりだが、とにかく現有ありもんの措置方策をもって『日本社会、現状成立!』は叶っているのだから、ここに新たにかかってしまう人数の新規発生を抑えれば良い。大阪は今、ここまで現実の課題と対策の整理ができている。
 大阪ほど準備アイテムや判定基準が具体化していないとはいえ、東京都も行政対応の方向性は共通している。小池都知事も現状にして精一杯を尽くしておられると見受ける。心より応援申し上げる。

 さて、もう少し社会的騒乱の話題について続けよう。
 前回書き漏らしているが、過去の社会的規模の騒乱を精査していくと、ヤバすぎる現実なのに制御性アリと見誤って立ち向かおうとする『パニック現象』は北米ラジオの火星人騒ぎの実例ぐらいしかなく、実のところ、むしろ殆どの騒乱は願望・欲望を原動力とする『グレース現象』ばかりなのだという話であった。へええ~。

 このあたりは同一の現象に対する解釈でも、研究者の視点次第で見方が変わってくるのかも知れない。また社会で飛び交う情報には発信者と受信者がいて、その発信意図に対する情報内容や表現の妥当性、また情報を受信した側の心象や理解度など綺麗に一本の線に乗っているとも思えず、そのうちのどの面に着目するかで現象の構造から違ってくるようにも思える。

 まあいいや、そこを拡げると言いたいことが薄まって見えなくなりそうなので今はスルーしといて、ともあれ今般のコロナ感染について考えるに、まず日本人でいきなり命の危険への直面を感じている人は決して多数派ではないと考えて間違い無かろう。
 この時点で、まるで針の穴のような生存可能性を求めて日本社会がパニック現象に陥る心配からは解放されるから、やたらめったらワクチン開発をアテにする必要も無ければ、いわんやそんなものを税金資本で全員一律に打つ必要も無い。
 むしろ年単位でその有効率や持続性や副作用の症状・期間など確認してからでないと、その順当な段階を守らない日本国政が『また』薬害問題を起こすのは目に見えている。

 欧米でワクチン認可を喫緊に急ぐのは、『命に関わるヤバい危険度』がパニックによる社会崩壊を引き起こす流れになるのを食い止めるという切実な問題がある。それを全く事情が異なる日本に転写しようとする動向は、明らかに的外れと言わざるを得ない。
 以上、ここまで『人命に直接かかわる危険度』という尺度での議論である。

 いっぽう経済市場で日々を生き抜く事業単位もまた、組織という生命体なのではないかとも考えたりする。一人で全てを切り回す個人事業であっても、採算イノチの財務や売上ミッション完遂の営業など機能別に人格意識は見出せるはずで、それら各々の志向の組み合わせをもって生命活動を営んでいるのだ。
 この事業組織生命体にとって、収入が途絶え経費支出による出血ばかりが止まらなくなり採算割れする展開は、人間個人で言えば致死性ダメージに相当するのではないか。
 現時点において、まだ知恵と工夫を駆使し、拠点閉鎖や業域縮小などで痛い思いをしながらも踏みとどまれている事業組織が多いから、日本社会全体としては『生存を諦め、既存業態が一斉に廃業に向かう』とか、パニックに陥り『自粛要請をわざとらに無視した闇雲の暴走セール乱発が起こる』とか、そんな酷いことになっていないのかも知れない…と思ったりもしている。

 つまるところ日本人はそう簡単には死なないんだから、消費税率を5%以下とすることで個人にも組織にも社会全体の生活負担を下げ、不備・悪用の二次不具合まで含めた無限の付帯公務を発生させるGo toナンタラの税金ばら撒きは即刻中止するのが最善策、この結論以外に行きようが無いと思うのは何かおかしいか?

 ところで『パニック現象vsグレース現象』の話と一緒に聞いたのが『エリート・パニック』という用語である。社会組織の動きを制御する職務ポストにいる当事者・責任者は、事態をコントロールできるものと勘違いしやすく、だからこそ自らパニックの引金になりやすいというのだ。更にその立場上、実際その必要も無いのに『自分の制御下にある大衆がパニックを起こすのではないか、パニックを起こしたらどうしよう』という危機感に単独陥りやすいというオマケもつくのだと。なるほど理に適っている。
 東日本大震災において、福島原発の処置に関わる一部業域でこのエリート・パニックが起きたとする分析は有名らしい。組織の危機対応には、このあたり『ちょっと浮世離れした鈍感力』があって、精神力を摺り減らさずに、パニック心配性から自然と距離を置ける人材の配置が有効なんだろうな。

 かつてないダメっぷり無能っぷりの国政はナニをどうしたいのかまるで決められず、あれもこれもデタラメやり散らかしで完全に発散したまま逃げるように…というか課題と組み合う土俵から文字通り逃げ出して、国会を閉会してしまった。
 本来無用な欧米並のコロナ対応政策に向かって、狂気的な理論武装でエリート・パニックの暴走を始めるようなマトモなエリート(?)がいなかったのは、国家運営としてある意味とても省力的に助かっている。それより遥か格下の陳腐な壊れ方ながら、現状の日本社会は単なる職務放棄でパニックではない=理性を失ってはいない状態なのだから、ここはひとつ日本社会に残っている理性らしい理性が各々の立場から、冷静に問題を詰めて原因を潰していく、その事実構築を着実に進めるのが現実解ではなかろうか。

 現状、ナニがどれだけハズれているか検出して、地道に是正していきましょうや。
 辛い時間が続くが、なあに、死ななければ巻き返せる。ここはパニック気質を決め込んで居直り、何とかなると諦めずにグッドラック!
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【907】失くした我の手綱さばき [ビジネス]

 少し前、人間の集団の振舞いについて非常に興味深い話を聞いた。
 パニックという言葉は皆さん御存知だろう。あれって何を指して言うのだろう?
 私もあんまり深く意識しないまま『目前の事態がとても手に負えそうになく、意図的な取り組みの姿勢を放棄してしまった心理状態のこと』ぐらいの意味合いで使っていたのだけれど。

 まず『想定される被害の大きさ=ヤバさ加減』と『自分の操作の有効度=制御性』のふたつの尺度概念で縦横のマトリクスにし、発生する事変を分析するのだ。
 例えば、地球に巨大隕石が落ちてくるケースなんかでは、そりゃあもう被害度MAXの激ヤバなのだが、自分の力では最初からどうしようもないことが明らかである。いかにもパニック映画という感じの想定条件だが、実はこんな境遇において、人間は諦めが先に立って無駄に騒いだりしないものらしい。

 日航ジャンボ機123便の墜落事故では、油圧装置の機能喪失から墜落までの時間に、自身の絶望的な生存確率に腹を括って遺書をしたためた乗客も複数存在しているなど、機内が決して理性を失ったパニック状態ではなかった。これは後に生存者の証言で裏付けも取れているそうである。
 また修学旅行中の高校生が多数犠牲になった韓国の客船の沈没事故など過去の事例を多数調査すると、大衆心理の一般的特性としては、『ヤバいが制御不可能』を確信した絶体絶命の局面において、我を見失った破滅的な行動は起こさないものなのだという。

 これに対して『ヤバいが制御可能=自分が事態の操作を頑張れば何とかなるかも』と皆が思い込んだ時にこそ、どうしようもない現実から人間の現状認識が乖離してしまい、いわゆる過剰反応による『パニック』が起こるのだそうだ。

 1938年、日本で言えばまだ昭和13年なのだが、北米ラジオ番組でのこと。
 今でいうニュース緊急速報を迫真の演技で模した仕立てでもって『ニュージャージーのとある地点に火星人が来襲しました!』とSFドラマを始めたところ、これを多数のリスナーが真に受けてしまい、我先にと銃を買い込んだり、取る物もとりあえず荷物をまとめて遠くへ逃げようとしたり、社会的規模の騒乱が発生した。一説には、関係筋にいわゆるマジレスの電話問い合わせが殺到したまでであるとも言われているが、とにかく一斉の社会不安が高まって、まとまった反応の傾向が顕れたのである。
 武装するなり逃走するなり、ナウ自分に叶う実行動で脅威を回避できると信じた人々が社会的規律を失調した実例の記録であり、実はこれ以降の大規模騒乱を分析調査するに、これと本質を同じくするパニックは確認されないというのだ。

 へええ~、そうなの?と結構インパクトを受けながら聞いたものである。生活を失う懸念に駆られて預金の引き出しを争う銀行の取り付け騒ぎなんかパニックくさい気がするが、社会的事例として扱うには規模が小さすぎるのかな。

 まあいいや、さらに興味深かったのはその続きで、21世紀に入ってすぐの頃に明石で発生した花火大会での歩道橋事故、あれはその観点においてパニック現象とは区別するべきだとのこと。
 軽く解説を入れておくと、海岸で花火大会を開催するにあたって、最寄駅からの人の動線を歩道橋一本に絞っていたため、そこに大勢が集中してしまい圧死者11名、重軽症者247名を出す大事故が発生した。
 花火の打ち上げも終了間近となったところで『大混雑になるより先に駅まで到達しておきたい』流れと、『終わってしまう前に最後の花火を見たい』流れが歩道橋で衝突、何と1平米あたり15人もの密度にまで達したのだという。うわ~そりゃ絶対ダメだわ、呼吸のために肺が拡張できない。
 この強大な大衆の流れの原動力となっていたのは、天から降ってくる災厄でもなければ背後から迫ってくる命の危機でもなく、『早く帰りたい』『花火を見たい』という願望・欲望だというところがポイントで、こういった集合行動を指して『グレース現象』と呼ぶのだそうだ。

 なるほど『いま電車が踏切事故で止まってしまいました』あるいは『花火の発射装置が故障してさっきの一発でオシマイです』のアナウンスが一帯に向けて流されたら、確かに全てはぴたりと止まりそうな気がする。
 『問答無用でどうしようもない事態』の降臨により、欲求の衝動の火が一斉に元栓から切れるとでもいうか。

 ところで新型コロナ感染拡大が収まらず、『大阪モデル』が遂に赤信号となった。
 非常に困った話ではあるが、何となく大丈夫そうな雰囲気のまま年末年始を過ごして、大勢の人間が縦横無尽に行き交い騒いだその後にいきなり爆発的拡大が顕在化してきて…みたいなパターンになるくらいなら、いま未然に身動きを潜めることができているのは幸運だろう。
 日本人は何より幸運なことに致死率が低いし、もしもの病床満杯に達したとしても、この日本社会においては、近隣府県が知らぬ存ぜぬの受け入れ拒否を決め込んで手詰まりになる心配はない。
 まあキホンそれだけの手厚い条件に守られた上で、一定確率で自分も感染してしまうぶんには『どうしようもない、だから騒がない』ってところだろうか。重症化率・致死率ゼロでないとはいえ、我々日本人で良かったですよねえ。

 別にウィルスや細菌でなくとも、自然界でナニガシかの生体種が突然変異を起こす場合、例えば『人間に感染した場合の病症性がいきなり強まる』みたいな、人間の都合に関わるところだけ狙ったように変質することはまずあり得ない。重症化率や致死率の算出値に少々の増加傾向が見られたとして、謎の凶悪化の可能性でもあるかのような論調で不安を煽るようなモノの言い方を公共の場でするのは、厳に慎むべきである。
 つまり今般の非常事態は、ウィルスが悪性化したなど危険性が深刻化したのではないし、そもそもが欧米諸国で不安に駆られている人々を包む空気とは決定的に違うということをしっかり認識しておきたい。
 それでも当面、コップの水に滴下したインクのように感染が拡がっていくのは、これまた『どうしようもない』から、浮足立たず冷静にその拡散機会を減らし、医療機関の負荷をできる限り抑えようというのだ。これが大阪…というか、大阪だけ特殊事情なワケないから、日本社会の現状最新の作戦コンセプトだと思う。

 まずは赤信号に対する社会の応答性と、それに呼応した感染状況データの刈り取りが待たれる。
 何とか生き抜いて、次の現実を確かめましょう。こんな時もあるさ、では御幸運を!
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