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【913】ピンと来ない防災グッズの救急救命率 [ビジネス]

 おややそうか、今夜がもうクリスマスイブだったか。世知辛い話題にお付き合いを。
 忘れないうちに前回の決着から済まそう。『正常化バイアス』のハナシである。

 これ、十中八九…というか洩れなくの百発百中で『人間というのは、異変を感じてもそれを敢えて否定し、いつもの通りで大丈夫だと思い込もうとする傾向を生来持っている』みたいな解説がされていると思う。
 何というか、本能とか深層心理の領域では絶体絶命を正しく自覚しているにも関わらず、理性の領域がその絶体絶命の恐怖に耐えられないため、まだ正常な状態の延長線上にあるから怖くないよと認識したがってしまい、結局は絶体絶命の実情に率直に対応できないのだと。
 いかにもありそうな理屈で筋は通ってるんだけど、本当にそうなんだろうか?

 いや、真剣にヤバいと思ったらヤバい認識なりの思考が働いて、これはもういつもの状況とは違う対処で意思決定や行動の選択をするモードに切り換えなきゃダメだ、そっちへ行くのが人間というものなのではないだろうか。
 ただ、私が的外れな見立てで誤解をしているのでなければ、専門家の看板掲げてそればっかり研究してる連中の間では、さっきの正常化バイアスが人間の特性の通説だったりするんだよな。何だかんだで、所詮はいま平常時の心境で考えているからにしても、どうしてこんな、直感的にしっくり来ない心理的反応の定番イメージが、非常時の人間の一般的性向として広く認知されているのか少々不思議だったりする。

 そこでだ。私なりに可能性を見出している仮説をひとつ紹介する。
 正常化バイアスとは『非常を知りながら、まだ正常だと思い込もうとする』現象ではない。
 目前の非常事態が、本人の意識世界にとってまるで未知のものであるため、本人にとって既知として記憶されている正常状態との違いが見えないのではないか。
 人間だれしも意識世界の壁のこっち側にまでしか行けないから、結果的に正常時と不連続的にかけ離れた思考や判断のプロセスには切り換わらないのだ。これが真相ではなかろうか。

 例えば東日本大震災の踏切車列のケースにおいては、事前にどれだけ災害の知識を学んでいたかはともかく、全ての事物が津波に呑まれてしまう現実がどんなだか、車列の誰もが意識世界にきちんと描けなかったのではないかと思うのだ。津波の理科的情報までは知っていたとして、どうせ海面が持ち上がって迫ってくるんだから、そうなったら津波来襲の姿を振り返りつつ車の速度で逃げ切ろう…とか。
 いっぽう踏切事故でメチャクチャに大破した自動車の映像なんかはちょくちょく目にするから、こちらは具体的かつ明確に、その異常事態と危険度が描写される。そんな想像を巡らしつつ、視界内では店頭の物品が崩れ、電車が止まるぐらいだから一斉停電もしてたりなんかしていたら、そんな環境で雨風をしのぎガソリンさえあれば荷物と共に移動も自由、この自家用車を失うようなリスク・チャレンジなんて絶対にあり得ない。

 ここで私みたいなのが出て来て『あなたがた、まさかそんなことないと当て込んでるんだろうが、津波が来たら一巻の終わりですぞ。こんな時には、人間ってできるだけ大丈夫だと思いたくなるもんです』などと切り出したとして、危機に直面している立場の当事者たちが『おお確かに、あなたの言う通り私はこの事態をついつい過小評価しようとしていた。御忠告ありがとう、すぐ逃げます』とすんなり心変わりしてくれるものかどうか、想像してみていただきたい。
 むしろ『うるさい、もし電車が来て衝突事故になったらオマエは責任取る気あんのか!』と斬り返されて会話を閉ざされ、既に電車が通過し得なくなっている真実さえ伝えても真に受けてもらえない可能性が高いのではないか。

 いざ蓋を開けてみれば、真っ黒になった海が何もかも呑み込んでいく、まさに想定外の現実がその正解だった訳で、あの記憶が普及した今だから、私みたいないかにも胡散臭い迷惑型トラブルメーカーの言葉でも、行きずりの人々は耳を貸すと思えるようになったのである。
 ここまで理解してこそ気になるのが、そこらの自治体とくに大都市部においてよく見かける『地震や洪水など自然災害の来襲を想定したCG映像』の防災ツールである。
 一刀両断、あんなもの上記の理屈に照らして、そこにいる人・そこを訪れる人の被災イメージ構築に役立つ訳なんぞなかろうが。
 画力・画質の実感の乏しさもさることながら、だからってハリウッドばりのCGを持ち出したとして、いざという時の当事者の記憶に蘇り、その心を被災する前に動かせなければ、ただのガラクタ動画クリップでしかない。一本いくらするんだ、ああいうの?
 ほんっと、『防災』という金科玉条キーワードには要注意なのである【825】

 ところで今、日本社会は危機に瀕しているとする言論が飛び交っている。
 ひとつに、迂闊な表現は使えないが、決して諸外国並みの限界を超えた過負荷には陥らないはずの医療機関に対して、『医療崩壊』というコトバを盛んに使う現状だ。少なくとも日本社会は現有の医療体制を、相応の効率的に活かせておらず、いくつかの最前線で局地的なオーバーフローの恐れが出てきている。
 もうひとつに、生活困窮者ひいては自殺者まで急増させている経済活動の停滞である。この日本国内でウィルス感染した場合の重症化率・致死率と、生活費を絶たれ衣食住の暮らしの基盤を失ったり絶望して自害してしまったりの困窮率・自殺率と、どっちが日本社会の現実的リスクとして重篤だというのだ。
 ガチの当事者になってしまっている方々には気に障るかも知れないが、連日バイオハザードの超過勤務に心身を晒しつつ休めない医療関係者さん方も、空腹を抱え『死にたい』と相談ラインに電話してなお何の解決策も見つからない経済難民の人たちも、こないだまであり得なかったはずの、こんな絶体絶命の危機に陥っている原因を思い出そう。大事なコトであり、必要なコトだと思う。

 『ああ、この人たちに社会運営を任せとけばいい』『よく解んない、知~らない』

 そんな態度を決め込んでいたあなたの周囲では、今やもう誰も見なくなったテレビに新聞が『消費税は下げられない』だの『経済支援政策おいくら拠出』だの、いかにも出来の悪い『国家危機防災コンテンツ』を繰り返しタレ流していたのではないか。
 CGにもなっていない、前時代式の三文茶番劇や政権隷従のちびっこ作文が横行する幼稚な社会が、新型病原性感染症の拡大というサイエンス難度の高い災害に遭遇したのである。

 負けに不思議の負け無し、そういうことだと思う。
 今を切り抜けたとして、御自身が何も変えなければ、いつかまた同じ思いをする。
 だから生き抜いて、もう負けないよう手を打とう。メリークリスマス、御幸運を!
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