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【908】諦めの神妙と諦めない恐慌の生存確率 [ビジネス]

 通天閣や太陽の塔が赤信号となった『大阪モデル』だが、これは一定の予測に基づいて対応体制が早いうちに的確に準備され、これのキャパシティに対して『いま手一杯までの余裕がなくなってきています』という、ロジカルに定量的な勘どころが普及された上での情報であることを確認しておこう。
 だから今さらの感情的な反発や政治的な疑義に対する説諭も必要とせず、大阪社会組織の自我は赤信号の意味を理解して行動に反映させている。つまりみんなに理解と納得が行き届くには、きちんと決めてかっちり整えて真面目にそれを運用する、それだけの事実構築の時間がかかるということである。
 自衛隊の準備は要請までで、実際の出動に到らない結末を祈りたいものだ。

 医療機関の方々は本当に大変になっているようで、ただただ頭が下がるばかりだが、とにかく現有ありもんの措置方策をもって『日本社会、現状成立!』は叶っているのだから、ここに新たにかかってしまう人数の新規発生を抑えれば良い。大阪は今、ここまで現実の課題と対策の整理ができている。
 大阪ほど準備アイテムや判定基準が具体化していないとはいえ、東京都も行政対応の方向性は共通している。小池都知事も現状にして精一杯を尽くしておられると見受ける。心より応援申し上げる。

 さて、もう少し社会的騒乱の話題について続けよう。
 前回書き漏らしているが、過去の社会的規模の騒乱を精査していくと、ヤバすぎる現実なのに制御性アリと見誤って立ち向かおうとする『パニック現象』は北米ラジオの火星人騒ぎの実例ぐらいしかなく、実のところ、むしろ殆どの騒乱は願望・欲望を原動力とする『グレース現象』ばかりなのだという話であった。へええ~。

 このあたりは同一の現象に対する解釈でも、研究者の視点次第で見方が変わってくるのかも知れない。また社会で飛び交う情報には発信者と受信者がいて、その発信意図に対する情報内容や表現の妥当性、また情報を受信した側の心象や理解度など綺麗に一本の線に乗っているとも思えず、そのうちのどの面に着目するかで現象の構造から違ってくるようにも思える。

 まあいいや、そこを拡げると言いたいことが薄まって見えなくなりそうなので今はスルーしといて、ともあれ今般のコロナ感染について考えるに、まず日本人でいきなり命の危険への直面を感じている人は決して多数派ではないと考えて間違い無かろう。
 この時点で、まるで針の穴のような生存可能性を求めて日本社会がパニック現象に陥る心配からは解放されるから、やたらめったらワクチン開発をアテにする必要も無ければ、いわんやそんなものを税金資本で全員一律に打つ必要も無い。
 むしろ年単位でその有効率や持続性や副作用の症状・期間など確認してからでないと、その順当な段階を守らない日本国政が『また』薬害問題を起こすのは目に見えている。

 欧米でワクチン認可を喫緊に急ぐのは、『命に関わるヤバい危険度』がパニックによる社会崩壊を引き起こす流れになるのを食い止めるという切実な問題がある。それを全く事情が異なる日本に転写しようとする動向は、明らかに的外れと言わざるを得ない。
 以上、ここまで『人命に直接かかわる危険度』という尺度での議論である。

 いっぽう経済市場で日々を生き抜く事業単位もまた、組織という生命体なのではないかとも考えたりする。一人で全てを切り回す個人事業であっても、採算イノチの財務や売上ミッション完遂の営業など機能別に人格意識は見出せるはずで、それら各々の志向の組み合わせをもって生命活動を営んでいるのだ。
 この事業組織生命体にとって、収入が途絶え経費支出による出血ばかりが止まらなくなり採算割れする展開は、人間個人で言えば致死性ダメージに相当するのではないか。
 現時点において、まだ知恵と工夫を駆使し、拠点閉鎖や業域縮小などで痛い思いをしながらも踏みとどまれている事業組織が多いから、日本社会全体としては『生存を諦め、既存業態が一斉に廃業に向かう』とか、パニックに陥り『自粛要請をわざとらに無視した闇雲の暴走セール乱発が起こる』とか、そんな酷いことになっていないのかも知れない…と思ったりもしている。

 つまるところ日本人はそう簡単には死なないんだから、消費税率を5%以下とすることで個人にも組織にも社会全体の生活負担を下げ、不備・悪用の二次不具合まで含めた無限の付帯公務を発生させるGo toナンタラの税金ばら撒きは即刻中止するのが最善策、この結論以外に行きようが無いと思うのは何かおかしいか?

 ところで『パニック現象vsグレース現象』の話と一緒に聞いたのが『エリート・パニック』という用語である。社会組織の動きを制御する職務ポストにいる当事者・責任者は、事態をコントロールできるものと勘違いしやすく、だからこそ自らパニックの引金になりやすいというのだ。更にその立場上、実際その必要も無いのに『自分の制御下にある大衆がパニックを起こすのではないか、パニックを起こしたらどうしよう』という危機感に単独陥りやすいというオマケもつくのだと。なるほど理に適っている。
 東日本大震災において、福島原発の処置に関わる一部業域でこのエリート・パニックが起きたとする分析は有名らしい。組織の危機対応には、このあたり『ちょっと浮世離れした鈍感力』があって、精神力を摺り減らさずに、パニック心配性から自然と距離を置ける人材の配置が有効なんだろうな。

 かつてないダメっぷり無能っぷりの国政はナニをどうしたいのかまるで決められず、あれもこれもデタラメやり散らかしで完全に発散したまま逃げるように…というか課題と組み合う土俵から文字通り逃げ出して、国会を閉会してしまった。
 本来無用な欧米並のコロナ対応政策に向かって、狂気的な理論武装でエリート・パニックの暴走を始めるようなマトモなエリート(?)がいなかったのは、国家運営としてある意味とても省力的に助かっている。それより遥か格下の陳腐な壊れ方ながら、現状の日本社会は単なる職務放棄でパニックではない=理性を失ってはいない状態なのだから、ここはひとつ日本社会に残っている理性らしい理性が各々の立場から、冷静に問題を詰めて原因を潰していく、その事実構築を着実に進めるのが現実解ではなかろうか。

 現状、ナニがどれだけハズれているか検出して、地道に是正していきましょうや。
 辛い時間が続くが、なあに、死ななければ巻き返せる。ここはパニック気質を決め込んで居直り、何とかなると諦めずにグッドラック!
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