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【912】もうひとつの致死性感染症への医療体制 [ビジネス]

 そもそも街の賑わいに触れる機会からして無くなっているのだが、今冬はクリスマスも年末年始も無さそうだな、こりゃ。
 歩いて数分の二年参りもやめとくかあ、そもそもここ数年すっかり商店街が寂しくなって、飲み屋の隅っこで一杯ひっかける楽しみも無く、ただただお参りして帰ってくるだけが続いてるし。

 いま不用意に出掛けて、まかり間違ってウィルス感染して、更に重症化までしてしまったら、体制の整わないところで肺炎の症状にやられないといかんのだろ?到底あり得ない。
 今月アタマで満8年を迎えた私のステロイド離脱過程はまだ完了してくれず、それにしても今や遠い昔の記憶になってくれた気管支系の炎症のあの天国を垣間見るほどの辛さ、あれをもう一回喰らう可能性をわざわざに増やすくらいなら、少なくとも現時点ただ待って済むハナシなんだし、そんな可能性は絶ち切って大人しく待つことにしよう。

 またしても繰り返しになるが、世界的に見て相当数の他諸国よりも日本人の重症化率・死亡率は低く、いっぽう国内社会の拡がりに対する高度医療の普及率は高い。今夏にはかなり感染拡大現象のペースダウンが確認できていて、あの時すっかり収束を当て込んで安心するほどにまでならなかったのが幸いだと言わねばならないのだが、とにかく医療機関体制の現有キャパシティで十二分の余裕感があった。
 なのに、ウィルス感染拡大に対応し続けながら丸々1年足らずを経過した今さら、こんな思考放棄の脊椎反射で右往左往の発信ばかり連発する国政を、日本国民一同でよく確かめ査定しておきたい。
 そう、思考すべき立場にありながらそれを放棄するのも、脊椎反射で場当たりの自己都合を言い放つのも人間の所業であり、『犯人の仕業』なのだ。

 ちょっと横道を挟んでおくと、平成に入って、学校生活を始め子供社会の日常トラブルとして何か起こるたび、『個人攻撃はやめろ』だの『犯人探しはよくない』だの、洗練された良識を装ったヌルいウヤムヤ指南が目立つようになったと思う。
 因みに我々昭和世代の場合は、常に『誰がやった?』『誰が悪い?』で始まった。

 『自分がやりました』と、コトの一連の流れの中に『自分が一枚噛んでいる』という些細な根拠ででも率先して白状することをもって、潔しとする精神文化があった。明らかに主犯格ではないにしても、自分がいなければ、いや自分が皆を制止していればトラブルは起こらなかったはずだとする理屈である。
 それで正直さを評価され、むしろ褒められて許される…というのは教育的見地による作り話の定番パターンでしかなく、現実の展開としては、まあ悪いと自供したヤツが代表で怒られたり、あとは大した解説もされずに『連帯責任』という漠然とした表現で関係者全員に罰則が科せられたりしたものだ。当時は大人たちも高度経済成長期の社会で気合いだ根性だと声を掛け合いながら生きていた時代だし、深く考えずに子供社会に対してもその粗野で大雑把なメンタリティで接していたものと思われる。

 その裁きを受け容れず『自分はそんなコト知らなかった』『自分はナニナニしただけ』と弁明する返答は、仮にそれが真実だったとしても、仲間を裏切って自分だけ他人ヅラする卑怯者の言い訳とされ、それを機に大人からも子供仲間からも余所余所しく距離を置かれるような、そんな世風があった。
 実際コトの詳細を綿密に紐解いて分析すると、確かにその場の真犯人でないヤツが泥を被っていたり、完全とばっちりで無実の部外者が巻き添えを喰らっていたりする事例も多々あったはずで、これに納得いかず抵抗できずの悔しい承服で甘んじた世代が社会人の年齢となり、個人攻撃や犯人探しへのアレルギーを普及させてしまったのかも知れない。

 『個人攻撃はしないから、犯人探しはやらないから』と、失敗を自覚する張本人の心理的負担を解くことで事実経緯にまつわる積極的な証言を促す手法が、組織トラブルの早期解決に繋がるケースはある。だがそれを使ったなら使ったで、結局はどこの誰がどんな過ちを犯したか特定し、それを確実に修復するとともに、同じ失敗が繰り返されないよう再発防止を確定するところまでやらねば意味が無い。
 失敗して追及されなかったいい加減さが組織内に伝染してしまうと、誠実な組織稼働の完遂を支える全ての責任感がだらしなく緩んで、組織生命そのものがオシマイである。
 昭和式のトラブル対処には『真実を無視したアンフェア処置が強行された』というデメリット事象だけではなく、『失敗の自覚ある者たちが各々の立場でコトを決着させた』という大切なメリット事象がある。組織風土として反省と改善を志す意識文化が維持整備されている限り、そのメリットの方を確実に活かせるのだ。
 経済成長に浮かれて安泰の平和に気が緩み、反省も改善も疎かになった日本の大人たちは、子供時代の不満の記憶を晴らす目的しか見えなくなってしまっていたのではないだろうか。

 平成の時代を経て令和となった現在、いい大人が成す社会組織の失敗、それも100%人為的な失敗において、『誰がやったんだか判りません』『誰が責任者か決まっていません』みたいな本来存在し得ない、社会運営を放棄したトンデモ概念の発言が多すぎるのだ。
 こんな日本社会の病的な空気環境だから、直接の国民世論そのものもしくは国民代表の責を負った議員・職員たちに、税金資本の国務に関する情報開示を要求され、『あれはもう捨ててしまってありません』『これは個人情報に関わるので差し控えます』みたいな行方不明・隠匿の言い逃れが通用すると勘違いしてしまうのである。

 取り急ぎ、学術会議の人員任命における古電球の違法発言を、国民主権のもと全面開示で徹底的に裁くべきだ。本来なら大した時間がかかるはずもなかろう。
 日本国組織は本件を絶対に見過ごしてはならない。ウィルス感染拡大中だからといって看過するハナシでもない。1億2千万人法治国家組織が破綻するぞ。

 世襲のガキやペテン眼鏡みたく殺人まで犯してしまうと、被害者の遺族に対して解決し得ない負の心情の贖罪を、こいつら犯人の人格をもって尽くさせる処置がどうしてもはずせなくなるため、手荒な真似がやりづらくなる。今の古電球なら、後始末を気にせずちょっと小突いて絞め上げて吐かせればコトは片付く。やろうよ。

 いかん、また横道を掘り下げすぎてしまった。偉そうなクセに学習しないなあ。
 まだ次回はクリスマスじゃないから何とかなるかな。せっかく災害時の集団行動の話題が続いたので『正常化バイアス』の話をしたかったんだが、次回送りにせざるを得ないか。

 もちろんそれだけで日本経済市場が十分な活力を取り戻せていたとも言わないのだが、いの一番に消費税率を5%以下に引き下げ、ハンコやめてデジタルがどうたらと無駄に遊んでいた時間ももっと真面目に考えて、税金を遊興費にしてばら撒いたりせずちゃんと決められた事業支援金にして、それを困窮した人たちが申請して、これまでの時間をかけて審査を通って手にしていたら、今ごろ日本国内の雰囲気はウィルス感染状況の国際的傾向に合致したものになっていた。もったいない限りである。

 大変な年末年始になっている方々、力尽きずに直すんですよ。ではグッドラック!
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