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【907】失くした我の手綱さばき [ビジネス]

 少し前、人間の集団の振舞いについて非常に興味深い話を聞いた。
 パニックという言葉は皆さん御存知だろう。あれって何を指して言うのだろう?
 私もあんまり深く意識しないまま『目前の事態がとても手に負えそうになく、意図的な取り組みの姿勢を放棄してしまった心理状態のこと』ぐらいの意味合いで使っていたのだけれど。

 まず『想定される被害の大きさ=ヤバさ加減』と『自分の操作の有効度=制御性』のふたつの尺度概念で縦横のマトリクスにし、発生する事変を分析するのだ。
 例えば、地球に巨大隕石が落ちてくるケースなんかでは、そりゃあもう被害度MAXの激ヤバなのだが、自分の力では最初からどうしようもないことが明らかである。いかにもパニック映画という感じの想定条件だが、実はこんな境遇において、人間は諦めが先に立って無駄に騒いだりしないものらしい。

 日航ジャンボ機123便の墜落事故では、油圧装置の機能喪失から墜落までの時間に、自身の絶望的な生存確率に腹を括って遺書をしたためた乗客も複数存在しているなど、機内が決して理性を失ったパニック状態ではなかった。これは後に生存者の証言で裏付けも取れているそうである。
 また修学旅行中の高校生が多数犠牲になった韓国の客船の沈没事故など過去の事例を多数調査すると、大衆心理の一般的特性としては、『ヤバいが制御不可能』を確信した絶体絶命の局面において、我を見失った破滅的な行動は起こさないものなのだという。

 これに対して『ヤバいが制御可能=自分が事態の操作を頑張れば何とかなるかも』と皆が思い込んだ時にこそ、どうしようもない現実から人間の現状認識が乖離してしまい、いわゆる過剰反応による『パニック』が起こるのだそうだ。

 1938年、日本で言えばまだ昭和13年なのだが、北米ラジオ番組でのこと。
 今でいうニュース緊急速報を迫真の演技で模した仕立てでもって『ニュージャージーのとある地点に火星人が来襲しました!』とSFドラマを始めたところ、これを多数のリスナーが真に受けてしまい、我先にと銃を買い込んだり、取る物もとりあえず荷物をまとめて遠くへ逃げようとしたり、社会的規模の騒乱が発生した。一説には、関係筋にいわゆるマジレスの電話問い合わせが殺到したまでであるとも言われているが、とにかく一斉の社会不安が高まって、まとまった反応の傾向が顕れたのである。
 武装するなり逃走するなり、ナウ自分に叶う実行動で脅威を回避できると信じた人々が社会的規律を失調した実例の記録であり、実はこれ以降の大規模騒乱を分析調査するに、これと本質を同じくするパニックは確認されないというのだ。

 へええ~、そうなの?と結構インパクトを受けながら聞いたものである。生活を失う懸念に駆られて預金の引き出しを争う銀行の取り付け騒ぎなんかパニックくさい気がするが、社会的事例として扱うには規模が小さすぎるのかな。

 まあいいや、さらに興味深かったのはその続きで、21世紀に入ってすぐの頃に明石で発生した花火大会での歩道橋事故、あれはその観点においてパニック現象とは区別するべきだとのこと。
 軽く解説を入れておくと、海岸で花火大会を開催するにあたって、最寄駅からの人の動線を歩道橋一本に絞っていたため、そこに大勢が集中してしまい圧死者11名、重軽症者247名を出す大事故が発生した。
 花火の打ち上げも終了間近となったところで『大混雑になるより先に駅まで到達しておきたい』流れと、『終わってしまう前に最後の花火を見たい』流れが歩道橋で衝突、何と1平米あたり15人もの密度にまで達したのだという。うわ~そりゃ絶対ダメだわ、呼吸のために肺が拡張できない。
 この強大な大衆の流れの原動力となっていたのは、天から降ってくる災厄でもなければ背後から迫ってくる命の危機でもなく、『早く帰りたい』『花火を見たい』という願望・欲望だというところがポイントで、こういった集合行動を指して『グレース現象』と呼ぶのだそうだ。

 なるほど『いま電車が踏切事故で止まってしまいました』あるいは『花火の発射装置が故障してさっきの一発でオシマイです』のアナウンスが一帯に向けて流されたら、確かに全てはぴたりと止まりそうな気がする。
 『問答無用でどうしようもない事態』の降臨により、欲求の衝動の火が一斉に元栓から切れるとでもいうか。

 ところで新型コロナ感染拡大が収まらず、『大阪モデル』が遂に赤信号となった。
 非常に困った話ではあるが、何となく大丈夫そうな雰囲気のまま年末年始を過ごして、大勢の人間が縦横無尽に行き交い騒いだその後にいきなり爆発的拡大が顕在化してきて…みたいなパターンになるくらいなら、いま未然に身動きを潜めることができているのは幸運だろう。
 日本人は何より幸運なことに致死率が低いし、もしもの病床満杯に達したとしても、この日本社会においては、近隣府県が知らぬ存ぜぬの受け入れ拒否を決め込んで手詰まりになる心配はない。
 まあキホンそれだけの手厚い条件に守られた上で、一定確率で自分も感染してしまうぶんには『どうしようもない、だから騒がない』ってところだろうか。重症化率・致死率ゼロでないとはいえ、我々日本人で良かったですよねえ。

 別にウィルスや細菌でなくとも、自然界でナニガシかの生体種が突然変異を起こす場合、例えば『人間に感染した場合の病症性がいきなり強まる』みたいな、人間の都合に関わるところだけ狙ったように変質することはまずあり得ない。重症化率や致死率の算出値に少々の増加傾向が見られたとして、謎の凶悪化の可能性でもあるかのような論調で不安を煽るようなモノの言い方を公共の場でするのは、厳に慎むべきである。
 つまり今般の非常事態は、ウィルスが悪性化したなど危険性が深刻化したのではないし、そもそもが欧米諸国で不安に駆られている人々を包む空気とは決定的に違うということをしっかり認識しておきたい。
 それでも当面、コップの水に滴下したインクのように感染が拡がっていくのは、これまた『どうしようもない』から、浮足立たず冷静にその拡散機会を減らし、医療機関の負荷をできる限り抑えようというのだ。これが大阪…というか、大阪だけ特殊事情なワケないから、日本社会の現状最新の作戦コンセプトだと思う。

 まずは赤信号に対する社会の応答性と、それに呼応した感染状況データの刈り取りが待たれる。
 何とか生き抜いて、次の現実を確かめましょう。こんな時もあるさ、では御幸運を!
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