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【906】少年の瞳に映った楽園の未来像 [ビジネス]

 若い人たちにとって、お隣の大陸は『資本主義世界市場と二極で対峙する、不思議な独自性の巨大経済圏』としてのイメージしか無いかも知れないが、我々昭和世代にとっては、長いこと『当代最新の資本主義経済から隔絶された未開の大秘境』であった。

 乱暴なたとえではあるが、今でいう半島の北側みたいな孤立したミステリアスな経済圏が、もっともっと広大に大陸規模で拡がっていたのである。対岸なのに『違う世界の未知の土地』であり、まあ万里の長城とか定番の観光地になっているような場所でもない限り、おいそれと旅行で歩き回ったりもできそうにない。
 ただその地を包む経済も技術も、国力全体が前時代風に朴訥で控えめでもあったため、資本主義の国際自由市場からは『ものの勘定に入らない』と軽視あるいは無視されていたように思う。確か当時で人口は7億とか8億とか言われていた。

 小・中学校時代の私の記憶では、すぐお隣の大陸に日本列島がいくつも収まるような面積の田舎があって、一律に人民服を着た貧富差のない人たちが各々決まった農地や工場で働き、そこから更に大陸奥地の砂漠地帯や山岳地帯に踏み込むとなると、田舎どころか完全に探検隊ぐらいしか見に行こうとも思わない、手つかずの荒野が無限に拡がる…とそんな想像力を掻き立てられたものだ。
 実際その時代に揃えたウチの百科事典を見るに、極限の地の古い遠景写真一枚に『いついつどこそこの国の調査隊が測量に入りました』という解説ぐらいしかされてなくて、地域一帯の地形や山頂高など、今になってみればかなり不正確な地図表記になっていたりもするのである。GPSなんか無かったしねえ。
 崑崙山脈、最高峰はウルグ・ムズターグで7,723メートル。因みにワタクシ山岳の趣味はありません。こんな地形の場所って一体どんな景色なんだろうと、そっちの興味でいろいろ調べたものである。

 そんな訳で、NHKが初めて長期取材を許可されたという『シルクロード』なんかは毎回とても楽しみに視聴していた。そこまで地学・考古学や民俗学に入れ込むような少年ではなかったにせよ、乾燥した果てしない大地の先に信じられない高峰が霞んで連なる景色の中、もちろん『シルクロード=絹の道路』といっても自動車がまともに走れるよう整備する世界観など微塵も無くかけ離れた、ただの『人が通る定番の動線』を、四輪駆動ジープや牛馬で苦難と共になぞっていく紀行番組には、激しく心を揺さぶられた。
 そこに行く現実の大変さを理解できてしまったこの都会育ちで根性なしのもやしっ子は、のちに先進文明の利器たちに目一杯ぬくぬくとあやかりながら、オーストラリアや北米の各地でそれっぽい地球の素顔に触れ、そこそこ好奇心を満たして今に到る。

 さて、これが平成に入って大陸で経済の自由化政策が進み、恐らくは国民の就業・起業の管理などが緩和されると同時に、何より他国がそこに拠点を置いて経済活動を行うことまで制限が解かれたのである。
 独自の経済圏で純粋培養(?)されていた素朴な労働力は、栄華を競う自由市場において賃金が高騰していた製造業の労働力よりも、文字通り桁違いに安価でタフなものであったため『世界の工場』となり、全世界を席巻することとなる。そして経済成長の呼び声のもと、みるみる資本主義世界市場と遜色ない作動点にまで達してしまった。
 ふたケタ億人という莫大な人口を擁する大国ゆえ、まだ資本主義原理の経済市場を開拓する余地は残っているとする説もあるが、だとすると今もうちょっと見えやすい勢いの残り火があるはずではないかなあと、個人的には見受けているのだが。

 こんな回想に浸っていると、この日本国で資本主義の高度経済成長のまっただ中に身を置いて、そんなお隣の変遷を眺めてきた我々昭和世代は、現代の若年層に比べて『資本主義vs共産主義のリアルな対比で感じるメリットとデメリット』をよく知っているとして良かろう。そのアタマで、現状ニッポンの経済政策に目を向けてみる。

 コトここに到るまでの経緯はごそっと別の話にするとして、いま『国政に対して国民の側からブレーキをかけた』カタチになっているGo toナントカを、それ単独で仕組みとしてだけ考えてみよう。
 端的に『何の対価でもないカネが国から国民に渡される』という一点において、これは資本主義経済の自由市場原理に即していない。そう、共産主義の仕組みそのものなのである。

 再び小学生時代の会話を思い出す。
 『みんな均等に仕事して同額のお金をもらって暮らすって、不満も出ないし自然な国の治め方だと思うけど、どうしてみんなそうしないの?』なんて言ってたものだ。
 『それをやると決まった…というか決められた仕事をただこなすだけの人間ばかりになってしまい、国内としては平等で平和なのかも知れないけど、もっと良いコト凄いコトを誰も求めなくなってしまって、国全体が豊かになっていかないのですよ』
 こう解説され、確かにお隣の半島や大陸っていかにも時代遅れの第一次産業主体の後進国に見えたし、当時はソビエト連邦から東欧一帯が共産主義圏となっており、西側の資本主義圏と世界地図を二分するこのあたりも総じて、どお~も垢抜けない貧乏国家という雰囲気を強く感じたものだ。

 で、小学生の次の疑問としては『みんな平等で平和に暮らしているはずなのに、どうして軒並み一部少数の支配階級制みたいな国ばかりが目立つのかなあ』というところへ向くのである。

 これは後に『国家組織にただ均等に与えられた条件のもとで生かされて暮らす人民は、何もかも管理されることになる。何か不満を感じて現状打破で国に跳ね返そうとしても、都合が悪いとされて自在に封じられてしまうからだよ』、更には『人間は他人と均等に甘んじて満足な幸福感に落ち着く生物ではないため、手段を選ばず支配階級の立場に潜り込もうとするものなのだ』という、オトナ領域の知識に繋がっていく。

 『みんな等しく平和な理想郷』は、人間が成す組織の現実と戦いながら『あるべき姿』を発信し続ける。
 他国にも、国際世論にも耳を貸さず、ただ頑なな思い込みを、一方的に。
 かつて昭和世代が日本国の後ろに見たつもりの大陸や半島の北側って、このままなりゆきに任せた我等が日本国の未来の姿なのではないだろうか。

 だから、絶対にこのままなりゆきに任せてはならず、まず第一に国民主権の民主主義議会制を解って固守し、また日本経済市場の資本主義原理を、基礎に立ち戻って、その再構築の工程を考え直す必要がある。
 せっかくの年末年始に切実な思いをしているお商売の方も多いと思うが、好きに稼ぐ自由を失ってしまっては元も子もない。どうか生き抜いて、再び御一緒しましょう。引き続き、御幸運を!
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【905】ニッポン民主主義人民共和国の拉致問題解決ニュース [ビジネス]

 今さら税金花見の調べごとだとさ。こんなもん世襲のガキが現職のうちにやっとけってんだ馬鹿馬鹿しい、まあ確かに真相不明で終わらせるハナシではないから、しばらく静観してみようか。

 そんなことより最優先で、我々は今『学術会議の任命問題』に組み合う必要がある。
 理由は明確だ。

 この自爆テロ非国民犯罪者政権が、我等が日本国の運営の原理的コンセプトに反する国務操作を、国民に無断で滑り込ませた上に、それが撤回されず今なおペンディング状態になっているからだ。
 日本国が定めた法律に背く現状であるからして、このまま放置していては『日本国が国民主権の民主主義法治社会を管理できていない』という国家存亡に関わる事実が残ってしまう。

 ナウ現在進行中の現政権による犯罪行為なのだから、まさにその現場を押さえ現行犯逮捕して、公衆の面前で法律文面との照合により違法性を特定し、その処置を確実に決める必要がある。

 『学術会議、まだやってるの?』などと早く取るに足らない過去の出来事だったことにして、日本国民の関心をそらそうとする悪質な工作員の世論操作も散見されるが、特に今は野党たち、そんなもの一切気にせず古電球に火力を一点集中し、叩いて叩いて叩きまわして、血反吐と一緒にでもコトの経緯を洗いざらい吐かせて欲しい。

 過去の不祥事への解明・追及にかける経過時間を、さも無益であるかのように卑下するのなら、今さらの税金花見の蒸し返しの方が、よっぽど事後処理として効率は悪い。
 そりゃ去年までの累々たる狼藉の詳細を法律文面と突き合わせていけば、毎年恒例の税金花見が公職選挙法や政治資金規正法に抵触するのしないのの議論は起こせると思うが、いま日本国に流通する法律文面の恐らくはどこにも『国民から徴収した税金を、個人のお気に入りや利害関係で招集した花見の代金に引充ててはならない』などと直球指定の表現で記載されているはずがない。つまり税金花見に対して『相応の法律条文を選んで適用し、違法性を特定する』という作業が発生する。
 何だかんだで昔の話になってしまっているため、悪事のひとつひとつに疑いない物証を突き合わせる裏付けにも不完全が避けられないし、そこまでやって最終的に証拠不十分で逃げられてしまっては、ますます国力の無駄遣いに終わるだけである。
 よって今は学術会議が最優先、税金花見は適宜優先度を落とすのが得策であろう。

 まず何よりも法律に基づき、日本国として任命する学術会議の参加人員は、その選出基準と適格判断を日本国民に明示のもと、日本国の総意として決定されなければならない。
 日本国民の代表たる国会議員たちが構成する国会の場において、正確に通じる平易な日本語をもって、任命責任者よりその根拠が確実に解説される必要がある。我等が日本国は、議会制民主主義法治国家だからだ。この事実論拠は動かない。

 ところで、昨年末に御帰宅された舶来の社長さん【813】が話題になっている。
 イチ民間会社の社長さんの立場においてだから、そもそもオオヤケのカネに手を付けた訳では全くなく、更にはべっつに不正を働いて同僚たちを欺き大金ごっそりを懐に入れていたのでもない。
 ところが、どこぞの地検特捜部が『社長にこんなにカネが渡る帳簿の付け方が悪い』と不可解な因縁をつけ、ある日いきなり社用ジェット機から出てきたところで、このヒトを逮捕・拘束してしまったのである。
 まずここで、例えば卑近なところで窃盗や痴漢や暴行なんかであれば、とりあえず現行犯を確認したその場を押さえて犯人を捕え、『逃亡の恐れあり』ってことで当面の身柄を拘束するのは理に適った処置であろう。だが専用ジェット機まで使う大会社の社長さんにそんなものが必要かどうかは言うまでもない。

 もちろんこの時点で法廷における違法・合法の議論など始まっていないし、仮にそれをやって違法財務だとの結論に到ったとしても、まだ帳簿記載だけで実際にカネが本人に渡ってないんだから、まずは合法財務への帳簿の修正指示と、あとは経営陣への注意で処置すれば解決である。日本国内の経済社会の法的規律は何事もなく維持される。
 次々違法財務を繰り返して悪質なカネ儲けを虎視眈々と企むような犯罪性の動機でも見出されない限り、処罰その他の空振り公務に工数とコストをかけるような無駄な司法判断を下すのは、とても国民主権の法治社会として適切な姿とは言えないだろう。正して済むミスは正せば良いのである。

 だがこのケースに限っていきなり拉致された社長さんは、マトモな理由も明かされず弁護士や家族にも会うことを許されず、勾留され続けてしまった。確か1年ほど経った昨年末に、生まれ故郷の国にお帰りになったのは良かったと思う。

 法治精神の重視とちょっと話が矛盾するのを覚悟して先に述べておくが、私は、悪い気を起こす人種には本当に油断ならないのがいるため、真剣やむなしの状況次第では『人間としての苦痛や本能の呵責に訴えてでも』という、いわゆる前時代的な手段も辞さない性格であると白状しておこう。
 言論商売の左巻きリベラルに多いが、見境なく人権の概念を情報化してしまい、それらの論理性成否の情報あそびを独り歩きさせた結果、遺族感情を置き去りにした死刑反対や豪華快適な懲役施設みたいな非現実的コンセプトに迷い込む、あの手のクズ議論は私は大嫌いである。
 ま、そんなこんなで私の暴言・蛮行も『状況次第』であることを重々に強調はしておくのだが、さてそこで。

 兼ねてから『国家機関が一方的に個人を捕えて、一般社会から隔絶する形で閉じ込め自白を強要する行為』と指摘され、そもそもからこういった日本の検察の初期稼働をもって『人質司法』とまで揶揄されてしまうケースは存在していたのだが、このたび国連の人権理事会から、上記一連の社長さんの事例を指して『不当な恣意的拘禁であり、賠償措置も必要』と改めて日本国のやり方が批判されたのだという。

 この見解が妥当かどうかは敢えてちょっと置いとくとして、この国連の批判に対して我等が日本国は反論を放ったところでいま終わっているらしい。
 『国連の声明に法的拘束力は無く、到底受け入れることはできない』のだそうだ。

 …あれ?コレお隣の、黒デンワ将軍やプーさん国家主席の台詞じゃないんだっけ?
 もちろん日本国がこれまでずっと国際世論に敏感な優等生を決め込んで、いつも迅速に従順な対応で反応してきたかというとそうでもないんだけどさ。それにしても、これホントにウチの国の話なのか?

 国連に因縁つけられたってことで、国際司法裁判所にでも駆け込んでみますかね?
 みんな忙しいし人質司法に遭う心配は要らないと思うけどさ。ではグッドラック!
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【904】和を重んじるアンガー・マネジメントの平常心 [ビジネス]

 やれやれ『Go toナンタラ』が一転、急ブレーキだって?呆れて言葉も出ない。
 『我慢の三連休』とか抜かして事態硬直を決め込んだばかりじゃねえのかよ。

 ま、強大な1億2千万人日本国組織の自我が向かう行方には、誰のどんな操作も効かないんだから、その『組織の真理』を理解せず観念もできていないバカは、こんな『絵に描いたような悪事の大失敗』に追い込まれるってことさ。
 カタチとしては、一応サイエンス系・医療系の専門家を名乗る連中がキレて独自の見解を主張し始め、自爆テロ非国民犯罪者政権が遂に分科会とやらの『提言』を聞き入れたということになっているが、今更このタイミングでは『専門領域からの知見を採り入れ、中立的な最適判断を心掛ける行政』のアピールとして完全に手遅れである。

 もしかして例の学術会議の任命プロセスに関わる違法な恣意判断の仕込み疑いについて、『アカデミック領域のセンセイがたに対して強権発動する気は失せましたので、ハブった6人は下民に示しをつけるために何となくハブったまま、なあなあなし崩しの不問で誤魔化させてくださいや』みたいな伏線でも張っているつもりなのだろうか。
 もちろん問題というのは原因・損害・対策・改善と一連の因果関係が成立する単位で、ひとつひとつくくって解決していくものなので、古電球には6人ハブった経緯について洗いざらい吐かせるのが明確なタスクのイチ単位である。そんなことになった原因を本件直結事象として特定し撲滅して完結することが現時点の最重要課題であることを、改めて1億2千万人日本国組織として確認し直しておきたい。

 『我等が日本国組織として任命する105人の対象者に対して、たかが古電球ごときが独断で6人をハブって、そのまま黙秘強行で押し通そうと居直ったまま、時間だけが過ぎている』
 この国民主権に反する重大な背徳行為は、民主主義法治国家・日本国において、その発生原因も途中経緯も今もって明らかになっておらず、従ってもちろん解決もしていない。絶対に放置してはならない。
 国民主権の民主主義体制に背く思想を持つ個人が一定数いるのは、大勢で成す組織として避けられない現実だ。だから基本的人権として『思想の自由』を認め、国家運営を担う意思決定の場からは隔絶して、オオヤケではないプライベート・マターとして、組織内の他の仲間たちの迷惑にならない範囲で好きなだけ追求しましょうねと規則にし、それを守って我々日本国民はこの日本社会で生きている。

 特に過去の戦争の経験において、勝利して『日本国組織が、国際社会の中での自由と幸福を維持・確立する』という至上目的があったとはいえ、日本国内の特定の一部集団が支配的な立場として振舞い、他の多くの仲間たちがその割を食う立場に追いやられ、大切な財産や家族ときに本人の命まで失う悲しいケースが多発した。
 ただし断っておくが『お国のため、日本国のため』は日本国民として立派に正当性のある目的意識であり、当事者でもない外野が『あってはならない苦役の強要の加害者と被害者』などと否定的に評するのは失礼きわまりない的外れである。

 ともあれ日本国組織の系外にある他国から、別世界の思考体系の目的意識で強制力を被せてこられた以上、やむを得ない展開として過去に戦争という手段も採択したことがあるが、逆にそんなことにでもならない限り、我々日本人はもう『誰かが私意で強制して、誰かが不自由に従わされる』という構図は無くそうと決めた訳だ。万人は法のもとに平等なのであり、その万人の意思を日本社会は平等に反映する。
 これにより、国民の最大多数が思うままの活力で自由奔放に生きることができて、その成果が社会性を帯びて国力となるメリットが期待できる。狭いが豊かな国土に暮らし教養がよく行き届く、我々社会によく馴染んだ合理的な方策だと思う。

 こうして仲間たちの大切な人生と引き換えながら、歴史を重ねて日本国組織が選択した民主主義国家の運営ルールに、この自爆テロ非国民犯罪者政権めが手前勝手な支配的操作をこっそり割り込ませ、少なくとも摘発されるまで実行の手続きに乗ってしまっていた事実はとても看過できない。
 こういう恥知らず恩知らずの邪心を起こした不心得者どもを残らず炙り出し、国家運営の作業現場から永久追放せねばならないと私は言っている。持久戦だの根負けだのという次元の問題ではなく、こんなものを中途半端に見逃すような日本社会だとするならば、そんなだらしない組織の自我は、まだまだやる気ナシのグズグズ鬱状態から巻き返す気概さえ起こせず、衰退の一途を辿っていくしかない。

 どこまで苦汁をなめ這いつくばる時間に辟易すれば、いま自身が甘んじているみっともない苦境に見切りをつける動機が湧き上がるのか。要は『組織の自我が本気を出すまでの時間の問題』だと私は思っている。
 一見すると、理不尽やアンフェアに溢れた日々の出来事が時の運を交えて過ぎて行くのだけれど、組織の自我は間違いなくそれらの真値を評価し記憶しカウントを重ねながら、気分の行方を決めている。だからある時点の静止画の記憶を残すような節目事実に浮足立たず、『我等が組織を信頼し、いつもみんなに良いコトをロジカルに進める』心掛けが大切だと思うのだ。

 ところで昔の話になってしまわないうちに、大事な話題なので紹介しておこう。
 御存知の通り去る11月1日の大阪都構想・住民投票は、僅差で反対票多数となり、大阪都構想は否決された【899】

 この直前、投票当日まで僅か数日を残す段となって突如、大阪市財政局が記者会見を開いて『大阪都構想にかかるコストが、218億円増しになりますよお』と言明した一件は、ここでも扱ったので御記憶の方も多いと思う【897】【898】
 こんなことになるからには松井大阪市長に一言の事前報告も相談も無かったという。そりゃまあ、そうでしょうな。
 そして更に不可解なことには、この記者会見後わずか一両日で『いやいや、あのコスト増はやっぱり間違いでした』的な発言の撤回がこれまた突然なされて、そこで財政局長が『公務員としてあるべき姿ではなかった』だの何だの、意味不明の寝言をたれたところで当面は尻切れている。

 本題はここからだ。
 その後の調査で、最初に大阪市財政局として『大阪都構想、コスト増』の記者会見を開くにあたっての草稿が『破棄してしまったので、もうありません』ということになっているらしい。

 たとえ大阪市財政局長であっても、たった一人で財政局組織の看板を背負った記者会見は開けない。記者会見の場で口述する内容について、まず初期案文面から誰かが書き落として、複数の人間の間で調整されているのは間違いない。
 だから事実経緯の解明のため書き落とした草稿を調べようとしたら、ひと月も経っていないうちなのに、大阪市財政局が捨ててしまってもう存在しないというのだ。
 大阪市民の皆さん、そして特に『大阪都構想に反対し、大阪市を存続させる』という方針で一票を投じた皆さんは、国政の場でいつか見た…というか、いつも見せられているのと同じこの構図を、どう御覧になっているのだろう?おいくら納税してます?

 ま、これをヨシとするもイケナイとするも、この幸せな日本社会においては、誰にも口出しされることなく自由だ。
 270万人大阪市組織の自我が、1億2千万人日本国組織の自我が、またひとつ真実の認識を深めること。それが今は必要な事なのであり、そこまでで今は十分な事なのだと思っている。
 混乱続きの局面だが、ぜひ生き抜いて先を御一緒しましょう。引き続き御幸運を!
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【903】平和に委譲された権利たちの不信任警告 [ビジネス]

 新型コロナ・ウィルスの感染がまた結構な勢いで拡がり始めた。
 随分経ったのにと思うのは社会生活を通した人間の勝手な感覚に過ぎず、社会問題として認識され始めた時点から数えると1年も経ってないんだから、まだまだ『判っていない=人類文明が十分な抑制措置を確定し決心するに到達していない』というのも当然だろう。決定打においくら税金を払うとか抜かすな。

 振り返って、暑い季節に何となく新規感染者が減って来たように見えていたものの、海外ではむしろ感染再拡大が断続的に報じられており、いざ日本も冬が近づくにつれ他国並ににぶり返してきただけのハナシである。
 ともあれ物事の流れとして好ましくない方向に行っているのはその通りなので、どうにか『判らない』を認めながらも何とか手をこまねいて見ているだけに終わらない処置は無いものか。

 まず、日本人の死亡率が他国に比べて随分と低いのは間違いないようだ。これは本当に、日本列島が我々日本人に与えたもうた何よりも有難い幸運である。
 当初は有名人が連続して犠牲になったりもして危機感も高まったものだが、1年近くを経たこの期に及んで、もう自分を含めて未感染者が未感染のまま一般社会空間からの感染経路を遮断し続けて一生を逃げ切る形で、元の社会生活が戻ってくるなどと思っている日本人は、あんまりいないだろう。
 安直にコトバだけ独り歩きさせないよう注意したいが、改めて『感染しても大ゴトにならなければ問題ではなく、そうなる確率は決して高くないので、重症化の見極めとその対応機関をオーバーフローさせない調整が管理の要件』というところに絞られるとして良いのではないだろうか。日本語で書くぶんには簡単すぎるのだが。

 きちんとこれまでの推移を数値データで確認していなくて申し訳ないのだが、今般の新規感染者数の急増には、その母数となる検査件数の大幅増加が効いているはずであり、ただ『日本国内でおとなしくなりかけていたウィルスが、手の付けられない勢いで再び活性化した』と見るのは適当でなかろう。
 いっぽう日本国内のあちこちでバタバタと新型コロナ感染症による死者が出ていたとすれば、それは生前にウィルス感染検査を受けていなくとも、死因調査の段階でウィルス感染の経緯が検出されるだろうから、もし『新型コロナ・ウィルス感染による死亡者』ならば、それとして的確にカウントされるはずだ。
 つまり、現時点では『ウィルス感染者の新規確認数が急増している』という事実が確認されていて、『もしかすると季節移行に伴う雰囲気環境の変化が、ヒトからヒトへの感染機会を増やしているのかも知れない』あたりのイチ仮説も立つ。ここまでである。

 いま恐れられている病理現象が本当にウィルス感染によるものだとするならば、ウィルスという細菌よりも微小な病原体が持つ物理的特性は、以前も今も何ひとつ変わっていない【838】
 もういちいち繰り返さないが、マスクがどうたらの感染防止策は、各自で日常生活の現場作業や自分の精神衛生までちゃんと考えて、現実的なセンで行動を決めるのが良いと思うぞ。マスクして会食ってオマエ、タレの焼き鳥かじってブリカマしゃぶったその口に即刻マスク被してしゃべんのかよ?いっぺん烏合マスコミで特番でも組んで、おもらい雛壇の連中で試してみろっての。
 そんな馬鹿馬鹿しい苦行に何分耐えられるかよりも、そのマスクをみんな自分で持って帰って家のゴミ箱に捨てるかどうかの方が遥かに深刻な問題であることはすぐ判る。恐らくはあらゆる飲食店で、通常と何ら変わりない会食モードが過ぎてゆき、汚れた置き捨てマスクを医療従事者でもない従業員が怯えながら片付けるという、理不尽な光景だけが激増する。もちろん感染拡大の機会は増えることになろう。

 もとはトラベルだのイートだの、英文法の基本としてGo toに続けてはいけないものばかり無理付けした、あほ丸出しの税金ばら撒き政策なんぞやらかしたところに諸問題の根源があるのだ。
 そう、このコロナ禍にあって、それぞれの立場なりに経済社会を生きている日本国民を、まさにゲンキンな手段で等しく支援するなら『消費税率の低減、あるいは消費税そのものの撤廃』が一番早いのは、もうみんなイヤというほど判っている。
 それを頑なにとぼけて穴だらけの欠陥ばら撒き支援策を強行し、不平等を指摘され放題の悪用され放題で蜂の巣になったのは御存知の通りだ。場当たりと呼ぶにもお粗末すぎる発生都度対応を繰り返した挙句、グダグダのまま現場なりゆき任せで放置されているのは軽減税率制と全く同じ展開である。
 そして今秋に入って遂に『新規感染者の確認数が急増しているにも関わらず、政府が税金ばら撒きで日本国民を飲食伴う外出に焚き付け、感染拡大を助長しようとする』という矛盾の異常事態が現実となった。

 ちょっと話題を北米のトランプ君に飛ばそう。
 これ、日本国内の烏合マスコミがそれっぽく流している映像や音声はともかくとして、実際トランプ支持派が声を上げている北米各地の現場では『現政権で得た、この自分たちの暮らす社会を諦めてなるものか』の風圧・温熱感がもの凄いと見受ける。
 トランプ君たった一人が個人的な執着心で大統領選の決着ペンディングを主張しているのではなく、『北米社会での生存を賭けた実力行使』の北米国民が、約半数その心づもりで騒いでいるワケだ。これは生命力・規模ともに極めて手強いと思われ、バイデン爺にどうにかでも手なずける実効手段があるのか疑問である。
 また南米ペルーでは、国会が前大統領を汚職疑惑で罷免し後任大統領を指名したところ、全国規模で激しいデモが起きてしまい、一週間を待たずに再びの大統領交代と相成ったそうだ。こんな世風では国会の一方的な決定事項なんか迂闊に宣言したところで、結構な数の国民が何ゴトも敵視し反目してしまい、国家社会がそれ相応の組織作動を成さなくなってしまう。

 本気の反感でもって信頼関係を断ち切って、直情の赴くまま暴れ出した圧倒的な社会組織の自我の前には、運営議会も役所機関も全くの無力である。
 『法に則って選挙という我等が社会組織の意思決定システムに判定を委ねたんだし、その組織の自我の決心を疑わず、何事を始めるもそこが未来への起点だ』という前提を共有して全員が従う。こんな大衆の同調が自然に成立する日本国の社会風土は、実に有難いものだと痛感しておきたい。

 世論調査のサンプリングの仕方の余地も残るが、そんな良心的・理知的な日本社会の自我が『Go toだか何だか知らんが、経済支援を口実にした税金ばら撒きなんぞ、いい加減にやめろよ』と政府を咎めにかかった。
 『週末は我慢の三連休』だとか、そんなくっだらないハナシどうでもいいのだ。

 前回、気長に実直を心掛ければ、必要な現実は案外と早期に起こると述べた。
 とぼけたつもりで原因を投じ続ければ、必然の結果は着実に段階を積んで起こる。

 大勢が成す組織の自我は、勝手な思い込みで仕掛ける小細工になどなびいたりはしない。率直な現実と組織の自我には誰も勝てないのである。だから真面目に着実に、引き続きグッドラック!
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【902】信じられない言葉を信じて確かめる信用の成果物 [ビジネス]

 トランプ君、頑張るというかしぶといというか。かなり割り切っているんだろうな。

 選挙とは、社会組織の自我に問いかけて返答を得る行為のひとつだ。それをやっておいて、上がってきた答に文句をつけるという態度で返すからには、『社会組織の自我を信用していない』という意思表示を確信的にデモっていることになる。私ごときに読み切れているとも思わんが、大丈夫か?
 理屈として『信頼関係が成立していない会話の応酬だ』というだけではなく、巨大生物・北米社会組織の自我に対して、トランプ君の側から、相互信用にもとったお付き合いを退けるという姿勢で、少なくとも現時点『戦う』気構えを固めているように見える。

 もともとは社会組織に向かって『あなたがたが形成する組織の自我の在り方を、ワタシという人間一人の身をもって成り代わって表現します。あらゆる偶発事象と人間関係が交錯するこの文明社会において、あなたがたの問題意識や納得満足その他、あなたがた組織の自我をこのワタシ自身の人格に投射して組織を運営し、実現していきます。だからワタシを組織の代表役に立たせてください』と公約して、そんな自分に相応の信用が得られるかどうかを問うのが立候補である。
 立候補した時点で、候補者はまず自分個人が社会組織の自我に信用を寄せていることを前提にして、そんな信用するあなたがたの代表役を任せてくれと申し出るのだ。

 ここまでやっておいて、いざ社会組織が自分の申し出を聞き入れない回答を返してきたからといって『そのNOは信用できない』と拒絶してしまうと一体どんなことになるのか。しかも単なる拒絶ではなく『あなたがた不正をやったろう、信用できない』と疑いの身体検査を仕掛けるのである。
 この行動には、まず原則的な自己矛盾があることに気づいておこう。

 『あなたを信用します』なら、そのあなたがNOと答えた以上はNOだ。
 これをYESと言い直させようとした瞬間、『あなたを信用します』はウソになる。

 少なくとも回答時点のその瞬間において、出てきた結果は絶大の信頼で無条件に受け入れないと、他ならぬ自分が有言不実行となり信用を失ってしまうのである。
 お互い十分に意思疎通し合える通信手段=言語情報で交わしてきた一連のやりとりだとは言え、確かに途中で情報が歪曲されたり誤解されたりする余地はゼロにはならないワケだが、その外乱の影響はここで身体検査など持ち出さず、また全く新たに別の問題として提起しなければならない。
 そもそもの信頼関係から壊してしまっては、その後の会話が全て真意をもって通じなくなってしまい、まず同じ世界観で森羅万象・世の道理が転がる社会空間に共存できない不審者同士というレベルで、修復不能な仲たがいに陥ってしまう。
 決まり事やなりゆきのもつれ方次第で、相手に理解されない事態や敵対してしまう事態は多々あるが、最終的に同胞で居続けるつもりならば『まず信頼関係を通信の土台として維持しておくこと』が必須要件である。
 なお私はこのハナシ、社会性生物ならば人間といわず全種共通だと思っている。

 まず信頼し、悪意や反感で受け止めることはせず、ただ素直に真面目に『みんなにとって良いコト』を自然な日常の行動指針としてロジカルに進めていく。これが基本だ。
 みんなで決めるのに誰の意向にも従わない組織の統計的特性というのは正直なもので、良いコトには組織内の『効く実力』が着実に応答してくるものなのだ。
 これが意外と年単位でかかったりもするのでつい投げ出されがちにもなるのだが、現代文明社会の直情的な慌ただしさに惑わされず気長に実直を心掛けていれば、必要な現実は案外と早期に無理なく起こるような気がする。

 あと、一度でもNOが出るからには確かにNOが出るような原因事象がどこかにあるはずと観念しておいて間違いは無く、何かの勢いに任せて首尾よくYESが刈り取れたとしても、そこで露わにならなかったNO要件はいずれ組織の問題となり立ちはだかって、腰を据えた本格的な処置を要求してくることだろう。
 タイミングや運や勢いは大切だし、活かせる限り活かすに越したことはない。だがそれらによって、何か解決すべき課題を放置したまま物事が無難に収まるとか、人々の心が理由もなく自分の思い通りに向いたりすることは絶対にない。
 『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負け無し』というコトバ、なるほどこういう言い方もあるのかなあと思ったりすることがある。

 ただならぬ反対派の非難を轟々と浴びながら、『でもオレがやんなきゃ国が持たねえんじゃんよ!』と高い筆圧で、あの直線的なトランプ君サインを走らせる光景には、ある種の痛快さを見出してしまう。
 どこかの国のみすぼらしい老人どもが、無駄に虚勢を張って使いたがる『躊躇なく』という表現は、ああいうのを指して使うものだ。その躊躇ない勢いは組織運営のため必要なものだし良いんだけれど、それにしても解って捨てるものが釣り合わな過ぎやしないかなあ、トランプ君。
 組織の自我が全く悩まず『その気になっている』なら、そもそも僅差の多数決議決になんかならない。トランプ君の主張通り不正があったとしても、少々の小細工なんぞ押し流して明確な差で勝敗が決まるものだ。多数決議決は、そこまで含めて理解しておく必要がある。

 まあいいや、北米は世界中から生き残りの目的を賭けて集まった人々が法治国家という社会システムを介して共存し、国家として総合力を発揮する組織単位である。この文明構造において、あれだけのビジネス実績を持つトランプ君が次にどんな手を打ってくるのか、引き続き観察していきたい。

 ところで新型コロナ・ウィルス、まだ感染騒ぎになって1年経ってないのに『効果90%のワクチン』って何なんだよ?母数100%が何なのかセットで語られてない時点でおかしくないか?誰もがフツーに期待するような嬉しいモノなワケねえだろが。
 またしてもの感染防止対応は辛いけど、こんな妙な不確定情報に惑わされて余計な失敗をしないよう注意されたい。冷静に生き抜きましょうぜ、では御幸運を!
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【901】日米対抗、聞き分けと口ごたえの勝率判定ライン [ビジネス]

 少し気を離してた間にワケわかんなくなってるのが学術会議の一件だ。何だこりゃ?

 『任命拒否された6人について、再び政府に推薦することは排除されない』って一体どういう日本語なんだよ?ちょっと目を離してるうちに、日本国で意思疎通するためのはずの日本語文法が、ガイキチ優等生専用の霞が関文学とやらでアッチの世界にサヨナラしちまったってことか?ざけんな、日本語でやれ。税金資本だぞ。

 まず古電球が今もって内閣総理大臣のつもりでいるらしいことは察するとして、だとするとその総理大臣の責務において、日本国運営のその方面の然る筋にきちんと諮った上で、当該6人をハブる判断がなされている事実が確定する。ならば。
 どこの誰に諮って、何の理由でこの6人をハブったのか。問題はこれひとつだ。
 野党が国会の場でそれを追及していたのは見たし聞いたし、古電球が総合的・俯瞰的がどうしたとか、あるいは当該6人を特定した理由に全く対応しない無駄な一般論の朗読を、バカみたいに永久に繰り返すだけに終わっていたところも知っている。

 我々日本国民としては何をさておいてもまず、自爆テロ非国民犯罪者政権による支配力強行モデルケースとして、法律を勝手解釈する形で民主主義法治国家の本質的機能を壊してしまうような既成事実ができてしまわないかどうかが心配なのだ。まず黙てん意味不明の6人ハブりは、国会が絶対に見過ごさない確証まで見届けたい。

 『任命拒否された6人について、根拠不明な拒否を撤回して再検討する』
 まずはこれだけで結構である。おかしな日本語もどきには取り合えない。

 次にその再検討にあたって、まず6人を改めてハブるハブらないの判断だ。
 ハブらないのなら、本来は筋道通った説明もなく初期判断を翻すような措置は認められないのだが、今般に限っては不問として片付けるのも止む無しかも知れない。
 『ああ、自爆テロ非国民犯罪者政権が強権を主張しようとして、なし崩しに支配体制を仕込みにかかってしくじったな』と国民目線で認識され得ることになるが、自業自得というものであろう。真実がどうであれ、観念するしかない。

 あほが言い張って周りが辟易してオワリ、では法治国家が崩壊するのだ。
 『きちんと書き留めた日本語は、普通に読んで解釈し良心的に守るのが日本社会』
 この規律意識を日本国として間違いなく維持できるという安心が、妥協一切ナシで保証されるまでは、一歩たりとも別の話を持ち出して論点をそらしたりしない厳格な議事進行管理が必要である。野党たちには、日本国民の代表として、くれぐれも日本国運営議会の健全性厳守をよろしくお願い申し上げたい。
 おもらい雛壇が声を揃えて固執だ執着だと悪口を浴びせはするのだろうが、あなたがたが理解を得て味方につけるべき一人前の日本国民は議会制民主主義を正確に理解しているし、だから烏合マスコミの乞食商売が軒並モノにならなくなっている日本社会の現実がある。奴隷メディアがばら撒くインチキ世論に浮足立たず、日本国民の代表ポストを背負って議会に接してくれるぶんには、敬意と共にきっちり応援させていただこう。

 いっぽう海の向こうのトランプ君だが、本人の気持ち的にはともかく、そろそろ年貢の納め時か。確かに北米大統領選の投票形式には、少なくとも日本社会の常識に照らすと、かなり不確定性が拭いきれていないとも見えるのだけれど、まあ十分な票差がついて決着している感じである。
 万々がイチ実はトランプ君の得票数の方が多くて、その真実をトランプ君が確固たる証拠のもとに主張して今の構図になっているのだとしても、もうこうなった局面で『大統領選の結果を認めない』という姿勢で戦うのは得策ではない。

 『北米社会の自我がその理解でついてくる』展開の可能性が無いからである。社会組織の圧倒的な自我には誰も逆らえない。『コイツがこうだと認識したらこう』なのだ。
 逆に、北米社会がこの大統領選の信憑性にただならぬ疑いを本当に持ってしまっていたなら、今度は誰の得票数がいくつになろうが決定因子として作用せず、他の要因が結果を左右する勢いで割り込んできてしまうことになる。

 この大統領選の得票数で過半数を取れなかったトランプ君の宿命は、とにかく北米社会組織の自我に従い一旦はバイデン爺に大統領の席を譲るところまでもう確定しており、何か作戦を立てるならそこからにしかなり得ないのだ。
 今バイデン爺が77歳なんだから、『4年後のワタシは大して違わない78歳ですよ~♪』とうそぶきながら、北米社会の半数を従えるキー・パーソンとして怪気炎を上げるスタンスで行かないと逆にもったいない。
 多数決議決における辛勝vs惜敗は、確かに結果採択はひとつに決まったものの、誰にも逆らえない組織の自我が二分された拮抗状態は何も変わっていない。そんな精神分裂気味の組織の自我を懐かせ手なずけた者が、組織の方向性を決めることになるのだ。

 過去を振り返ると北米大統領の政権は暗殺で終わるケースが珍しくなく、あの大統領専用車の極厚の窓ガラスを見るたび、そっち系のヒヤリハット沙汰すら報道されたことが無い意外な事実に気付かされる。あんな男ゆえの単なる強運なのか、それともああ見えて手堅く本気の反対派がマジギレしない加減を見抜いた手を打っていたのか。いずれにせよ、人数も質のバラツキも膨大な北米社会の組織の自我を相手に、ここまでの御機嫌取りは上々の出来だったとして良かろう。
 別にトランプ君を贔屓目に見るつもりも理由も無いんだが、このぐらい北米であの規模のビジネスを転がせるヤツなら見通しているはずだとも思える。これから振り上げた拳をどう下ろすのだろう?

 日米いずれも、いま政権の首長ポストが、億単位の人数を擁する社会組織の自我に対して勝ち目のないウチワ主張をぶつけている点は共通している。
 だが日本のケースは、今回と言わずどお~も『馴れ合いの相手に不誠実な誤魔化しで粘着する』が定番になっており、対する北米のケースは、トランプ君のこれがスタンダードかどうかは知らんが『理由あって選んだ相手に実現したい主張をぶつける』メンタリティが強いと感じるのだ。
 グローバル情報化時代が到来して久しいが、その影響が日本社会に浸透するにつれ、生来日本人の仲間意識DNAが薄れてワールド・スタンダード寄りに移行しているのを感じる。高速大容量通信に引きずられて移り変わった日本式組織メンタリティを理解することも追いかけることもできず、旧態依然の悶着モードで国家運営議会が泥沼スタックするこの国が、またしてもの枯れた邪心で思いついたのが『デジタル庁』に『デジタル大臣』か。この惨めに老いた醜態ぶり、つくづく情けないよ。

 新型コロナ・ウィルス感染が再拡大の傾向を見せ始めた。これって季節性あるのかなあ。重症化率・致死率の増加がなければ良いのだけれど。
 まずは生き延びないと、直すにも直せませんぜ。皆さまお大事に、グッドラック!
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【900】対岸の大火事の鎮火占い [ビジネス]

 遂に900回を迎えた。こりゃ1000回いくんだろうな。とりあえず続けましょう。
 北米大統領選が前代未聞の混乱ぶりとなっている。ここまで来りゃよっぽどの大番狂わせでもない限りバイデン爺の勝ちでキマリなんだろうけど、その後が今以上の混乱に陥るのではないかなあ。

 トランプ君はいろいろヨレた部分ネジレた部分がありまくりだけれど、当選以降ここまで、北米市場に資本主義経済の作動原理を取り戻させようとする目的意識が一本はっきり見えていた。しかもヤツ自身、首尾よく北米国内限定でそれっぽい目的達成が得られたからといって、そんなもの一時的な途中経過にしかならず、それでアメリカ合衆国の運営が安泰になるなんて思っていないはずだ。むしろそこから新時代の北米経済と、それを取り巻く世界情勢をどう作り込むかの方が、ヤツにとってはライフワーク的な課題だったのではないだろうか。まだ過去形にしちゃカワイソウか。
 少なくとも北米社会の経済的側面…と言っても、これまた多面性があるのだが、『経済大国アメリカの先進資本主義』を価値観の中心に置く経済マインド空間においては、平等でも均一でもなかったが、それなりに活性化の実績を上げていた。これを新型コロナ・ウィルス感染拡大による経済の急停止が、問答無用でフイにしてしまったのである。
 トランプ君が大統領をやってきた意味・やっている意味が一気に御破算になった感が拭えない。ヤツにとっては、天から降り落ちてきた不運がモロに命中したようなもんだろう。

 経済の平衡点が崩れると、人種差別に絡んで北米社会に潜んでいた反感のわだかまりが次々暴発してしまい、トランプ君本人にも感知しようのない街角のあちこちで、必要以上に白人優先主義の強権主導者的なマイナスイメージが強調されてしまったのはちょっと残念かも。
 もっともそれこそが国民感情の原理にまで深く深く根を張った北米社会の基本特性なのであり、あながち理不尽なアンラッキーを喰らったとも言えない。後出しジャンケン式に無責任な批評だけ言い放つならば、万が一のこんな事態まで計算に入れて人種問題に気を遣っておかなかったからには、これは必然のなりゆきであったとも言えてしまう。このあたり本人も解ってるんじゃないだろうか。
 以上のひと通りを観念した上で、まさに死んでも生き残ろうとするビジネス人種の本領発揮とでもいうのか、トランプ君は『本人の立場から負けを認めず、独り手前で食い下がっている』ってのが現状なんじゃないですかね。まあワリを食わされてた連中にとっちゃ『ここで会ったが百年目』状態のはずだし、勝ち目キビシイけど。

 いっぽう真剣にタイヘンなのはバイデン爺で、これまた運の巡り合わせで前例の無い深刻な難題が立ちはだかっている。
 トランプ君が曲がりなりにも上げてきた成果、特に経済指標やその手段ともなっている貿易政策が、現状よりも押されて割り込んでくるような事態はキホン許されない。御存知の通り、トランプ君が無理ムチャ承知の力技で相手を寄り切って現状の作動点に押し込んでいることが多いから、このへん丸ごと戦局悪化の方向にしか行きようがない気がしている。77歳をつかまえて、このチカラとチカラの均衡で得た作動点を引き継いでさばけというのは、ちょっと非現実的な要求に思えるなあ。
 『反トランプ』で大統領に当選したは良いけれど、『トランプ効果を失っただけに終わらないナニか』を一刻も早くカタチにして現実感を持たせ、直近わかりやすい実績事実をいくつか作るところまでやらないと、今度はおのれがいくらも持たない。今やんやの喝采を送っている群衆は、実入りがなければあっという間に態度を翻すだろう。
 もっともトランプ君ももう74歳であることを再確認して、あの良くも悪くも攻撃的なバイタリティには改めて驚くばかりだ。そして古電球が『まだ』71歳でこんなにもみすぼらしい様相で、他人に用意してもらった台本を繰り返し朗読することしかできていない貧相っぷりに愕然とする。

 トランプ君もあと10歳若ければ、北米社会組織が一旦バイデン政権の現実を自分らの選択の結果として体験認識するのを待って、次回の大統領選を狙うという作戦が立ったろうに。この大統領選は、候補者ふたりがどちらも歳を取り過ぎていたのが最大の難点であった。
 まだまだ日本社会より、遥かに今日一日をどう生き抜くかで手一杯の人々が大勢いる北米社会、これまでになく銃が売れているというが、これは今後の北米社会の更なる混迷を見越して、自衛の意識が高まっているのだと見て的外れではないだろう。北米社会では公金財務が破綻すると、対象区域の警察が機能停止しますからね。

 で、いいんだけどさ、日本みたく識字率が基本100%を前提に、投票用紙に『賛成』『反対』を書き込んでくださいとか普通に言える平和で安全な国に暮らしつつ、ひからびたような政権に跪いてお恵みを乞う甘々おもらい雛壇は、生きるため世界中から人々が集まる北米の選挙事情を指差して知った顔でトランプ批判なんかしない方が、多少でも利巧に見えると気付こうぜ。

 バイデン爺が大統領の座に就いて、最初にナニが次期北米の公認国力アイテムとして効いてくるのか、私には全く予想がつかない。まずは『トランプ禍の解消』『トランプ圧からの解放』みたいな業績の上げ方も通用するんだろうが、それって国民の半数しかいない反トランプ派にしか認められないものだし、北米全体の、特に日常経済の肌感覚を底上げできなければ、一気にトランプ君アンコールの世論が盛り上がってくる可能性は十分にあると思う。そうなったら一体どんな揉め方をするのだろう?

 大勢の人間が成す社会組織も、それ自体がひとつの人格を持つ生物だと述べてきた。巨大生物・社会組織の自我も、『やってみて失敗から学ぶ』『現実を見て初めて認識する』という、我々人間個人と同じ認知特性を持っている。組織の決心ゴトは『重大な組織運用史の節目』ではあるが、『万物確定の永劫世界構築』ではない。
 大切なのは、そんな社会組織が変遷する時間の流れの中で健全に稼働し続け、そこに帰属する人々が、そこにいるだけで嬉しい楽しい良かったねと思えるために、いつも気を抜かず手を抜かず操縦する心が存在していることである。

 う~ん、かつて御世話になった北米各地の連中、みんな暮らし向きはどうなのかなあ。お土産にもらったペンシルベニアの熊さんのマグネットを眺めつつ、今回は主に北米の皆さんにグッドラック!
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【899】優勝トロフィー回し飲みの打ち上げ会場準備 [ビジネス]

 大阪都構想、再び否決。これはここまで現実の行方を見ないと判んなかったな。
 270万人組織の自我に、『一人ひとりが誰にも邪魔されず意思表示するための万全の手段』をもって問いかけた結果がこれだった。ならば大阪市民全員で絶大の信頼を置いて、これを社会運営検討の原点とする。それがルールだ。

 吉村大阪府知事と松井大阪市長が今やって否決ということは、誰がいつやっても否決だよ。『これ以上なくやり切った。3回目は無い』とのことだが、確かに何度やっても結果は同じだろう。
 お疲れまでした。うん、また面白いこと考えよう。そのうち良いコトあるさ。

 個人的には推進派が説明不足で賛成票を逃したとは見ておらず、むしろ対案らしい対案もなく、反論のための反論に終始した反対派の方が理解され共感を得られる態勢としては辛かったと見ている。だが。

 ホントに『人間というのは理屈じゃない』のだ。
 私は、ちゃんと考えて詰められるはずの思考検討をちゃんと追求せずに放り出す言い訳としてこの表現を使うのは認めないタイプなのだが、だからってその裏返しとして、何事も筋をきちんと通し尽くしさえすれば必ず同意が得られるのが世の真理とも思っていない。
 理屈立った説得により限界まで追い込まれる人格と、自分という存在を確かめて自ら行動を採択する人格は、相互影響まではするが、結局のところ同一ではないというのが私の持論だ。要は最後の最後『自分がこうだと言ったらこう』、これについては、またいつかスペースを取って詳しく扱うとしようか。
 今日は大阪都構想住民投票の結果について、先へ進める。結論から行こう。

 大阪市の行政区画を、二分して進めてみるというのはどうだろうか?
 今回の住民投票の結果を見ると、大阪市は決定通り存続したまま、大阪都構想のコンセプトも活かした、新時代の自治体運営の模索検討ができるのではないかと思うのだ。

 正方形を描いて十文字で区切っていただきたい。これを大阪市としよう。
 この右上1/4に『賛成多数』の区が集中している。右上角っこが東淀川区で、その真下の旭区だけがぽつんと1区、『反対多数』であった。また東淀川区の左隣にあたる淀川区、淀川を挟んでそれらの対岸となる都島区、北区、福島区、さらにその南側ヨコ一列にあたる鶴見区、城東区、中央区、西区、浪速区。ここまで全24区中の10区が『賛成多数』だった。ひと声、『キタを中心とした大阪市の北東部一帯』である。
 なお右上1/4賛成エリアの右辺側直下にあたる東成区ただ1区だけが、第一回目の住民投票では『賛成多数』だったが、今回は『反対多数』と結果が逆転している。
 つまり今般の僅差の決着は単なる全体一様のものではなく、大きくこの賛成エリアと反対エリアの地域二色性がバランスした結果だったのである。しっかり2回やったから見極められるのだが、この分布傾向は住民の定常的志向であり、飛び交った情報に左右された『たまたま』などではない。

 これってさ、『先進模索行政区画』と『伝統保守行政区画』に大阪市二分割で運営カラーを特徴づければ、各々が支持する行政コンセプトで暮らせるのではないだろうか。

 もちろん反対多数の区でも、結構な接戦だったからには賛成票を投じた住民が半数近くいるワケだが、10代20代の若年層に賛成多数が目立つというし、若い人たちなら狭い大阪市内でたかが電車で1時間以内の他区へ引越すぶんには抵抗もないだろうし、主にフットワークの軽いそんな若年層には『もし不満だったら動いてよね』の遊撃バッファー役になってもらうと。
 もちろん政令指定都市・大阪市として、例えば対・国政で地方自治をどう進めていくかなどは『伝統保守行政区画』に優先権アリとすれば良い。

 冒頭のハナシに戻って、『民主主義のルールをかっちり守って、多数決の手順の完遂をもって議決』した結果に従う決心プロセスは理に適ったものだ。ここに議論の余地など無い。
 これをもって人間が『結論を出す』というところまでは間違いなく実現するのだが、実に半数もの異論を抱えた組織の自我がすんなりその方向で収まるかどうかは、また別の課題なのである。前回の大統領選以降の北米社会の不確定性および、それを受けた今回の大統領選のリアルタイム大混乱を見れば実感できると思う。

 『多数決』は一般的だが、例えば『今やってる議論、それちょっと的外れだぞ』というような、会議体の現状作動そのものに緊急停止ボタンを押す動議などに対しては、半数と言わず一人や数人といったごく少数でも採択して、会議体が重大な集団大ポカをやらないよう配慮してある場合も少なくない。逆に、過半数ではその後の展開がスムーズに行かないことを見越して、2/3なりそれ以上なりの集票ラインで採決する議会もあるということを知っておこう。このへん、『じゃあいくつなんだ』と言わずに判りやすく済ますのが多数決だという理解で、あながちハズしていないのかも知れない。
 ともあれこうして採決ボーダーラインを定めた上で、集団議決というのは、そこに宿る組織の自我の心の在り処をを的確に把握して『刈り取った結論の処置』に動かないと、結局は議決にかけた各々の考え方のどれにも沿わない発散で失敗に終わる【687】

 だから市の行政枠は住民投票で得た多数決議決に従い『大阪市なる一元枠の存続』で結構、だがほぼ同数で呉越同舟となった賛成派と反対派がきれいに地図上を二分して棲み分けているラッキー事実の大発見を活用して、拮抗した二案をその枠内でどこまで自由に走らせられるか試そうというのだ。
 24区中14区を占める『伝統保守行政区画』とはいえ、そこに大阪市運用経費の全額を投入する訳ではないし、逆にそこの住民生活に大した影響もないのなら、残りを『先進模索行政区画』でどんな運用トライしようが反対する理由など無いだろう。
 現行の行政システムはキホン守りながら、アレンジできるところ新築できるところは精一杯に改変し、双方の行政区画で各々実績を作っていく。各24区で適宜お手軽に区勢調査や区民投票をやったりもすれば、例えば高齢化の波に押されて『伝統保守行政区画』路線への転向志向が強まってくるとか、若年層が『先進模索行政区画』に移住する傾向が顕著になってくるとかも見えてくるだろう。子供たち若者たちが暮らす未来に向かって、今よりも精度の高い事実情報が汲み取れるはずである。

 『V字回復』というコトバを聞き覚えで使いたがる政治家をたまに見かける。
 自由競争市場の無限バトルフィールドで死んでも生き残ろうとするビジネス人種は、工数とコストをかけロジカルに得た結果を徹底的に底ざらえして金目になる収穫を搔き集め、それを『組織がそこにいるだけで嬉しく楽しくなるための正真正銘エンタメ企画』にまで仕立て上げられなくては務まらない。
 出足このぐらいはやんないと全然ダメ、いやまだまだ目を吊り上げて隅の隅までさらえないと、V字どころか水平に向くのも程遠いぞ。もちっと世間に揉まれてみな。

 さしずめ大阪維新と公明が『先進模索行政区画』、自民・共産が『伝統保守行政区画』の主担当になるんだろうが、各々手分けして各区民がワクワクするようなアイディア発掘をヨロシク!ってことでどうだい。
 今般『もう今後、二重行政にはしない』と全党揃って大阪市民に約束していることだし、270万人巨大組織も、ふたつの行政区画を常に敵対でなく分担で対比させる形として進めれば、大阪市民の目が『自分ちと向こう』という見方で行き届くかも知れない。

 双方には喜んで、完全公開で知恵を出しますぞ。大阪の皆さま、どうか御幸運を!
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【898】手の届く不信と手の届かない信用の遠近差 [ビジネス]

 私の言う通りっちゃ言う通りだったワケだが、あらまホントかよ?という感じだ。
 大阪市がコロッと大阪都構想の追加コスト218億円を撤回してしまった。

 今ここで、大阪都構想の賛成か反対かに関連付けてどうたらという議論をするつもりなんぞないのだけれど、そんな『財務にとって全く関係のない周辺事情』に揺さぶられることなく、社会のルール=カネ経済の真理として、かかる費用はかかるんだし、だからそのぶんをどこからどう調達するか、数字の辻褄を正確に見極めて合わせるのが財務屋の仕事だろ?
 不採算を知りながらグズグズ言い出せずに組織全体が動いてしまった場合、ノーチョイスで組織力を浪費した末に、みんな巻き添え一蓮托生での財務破綻にしか行きつかないワケで。

 だから財務屋というのは、カネ経済の真理にのみ忠実に従い、カネ経済の神さまにのみ導かれる者として、そこらの一部都合の利害なんかとは完全に縁の切れた世界に生きる、ある意味人間としての心を持たない人種なのだ。誰の手も届かない、本人らの自由も利かない意思決定を担っていて、こいつらに逆らうと皆で集団自殺の末路が待っている。これが『財務屋の信用』というものであろう。

 プレッシャーがどうの、公務員としてあるべき姿がどうの、一体何の話をしている?
 とにもかくにも、今晩には大阪都構想・住民投票の賛否が出るワケだが、それとは別扱いで、大阪市財政局の底ざらえ再編を検討する必要があると思う。

 問題を違うハナシにすり替えてはいけないのだが、詰まるところ今日の大阪府市政は『OK、GO』なのか『NG、NO GO』なのか判定を決める、それが大阪都構想の住民投票だと思って的外れではない。
 『OK、GO』なら、今の大阪府市政を実現している吉村大阪府知事・松井大阪市長が、その今の大阪府市政をまだ暫定仕様だとし、それを発展させた恒久仕様として推す大阪都構想に『賛成』して間違いはなかろう。
 『NG、NO GO』なら、単純にこの逆で大阪都構想に『反対』で良いと思う。その場合は、どんな政治勢力がどんな大阪府市政を作り込むつもりなのか、これから具体案を創出する覚悟が必要であろう。
 さすがに最近あんまり聞かなくなってきたが、『大阪都構想は説明不足』という漠然とした不満足感の抵抗世論があるのなら、まずその不明点が何かを特定して、そこに関する成功イメージとはどんな様相なのかを語らせ、その方向で現実がどこまで到達すれば満足するのかという論理的な詳細内容まで解説されなければ、大阪都構想推進派も対処しようにも対処できない【883】
 みんなが納得する社会を運用するために『住民一人が必ず一票の意思表示をする』と決めてあるのだから、大阪市に生きる社会人の皆さんは現状理解度にて、権利と責任をもって一票を投じましょう。

 まあ『政治に興味が無い』『自分一人が棄権しても何も変わらない』みたいなコトを言う人も、もしこれが『いま勢いのあるナニナニ党が、社会の代表としてもうやると決めたんだから、やるってことで決まりました』と一方的に宣言されたとしたら、『おいおい待てよ、それってアブナい社会風潮なんじゃないの?』ってことになるのではないだろうか。
 だから『大阪都構想という、みんなが関わる重大な社会変革』をやるにあたって、その対象となる大阪市の有権者220万人余のみんなに、ちゃんと課題を明らかにして、ちゃんと直接諮って、ちゃんと賛成票・反対票を集計して、その事実結果で判定する。
 これが先行して立法された『大阪市地域特別区設置法』の定めるところであり、民主主義法治国家・日本国に生きる日本人がみんなで社会の事を決める筋道に則って、誰もが納得するための段階を丁寧に守りながら執り行われていることを確認しておこう。

 そもそも日本じゃどんなに激しく政治勢力が衝突しても、この手の投票で票数の合計あるいはどっちか一方が有権者数より多いとか、絶対ないじゃん。たま~に文明社会からこぼれ落ちたような片田舎で、少数の票がどっかいっちゃったとかいう前時代的な泣き言がある程度。それも本当に結果を見誤るとなったら、イチからやり直しも辞さないのが日本社会の規律意識だ。
 何というか、財務屋の信用と似たような不文律感覚の空気とでもいうのか、『さすがに投票事務はインチキ操作の手出しをやるとヤバいよな』という理屈抜きの自律志向が働いているように思う。
 これって実はなかなかに有難い幸運であり、縁もゆかりも無いよそ者同士が巡り合わせて主張を競う社会なんかだと、こうはすんなり行っていない。世界中を見渡せば、役所が率先して住民の多数決投票にインチキ工作をやる事例も珍しくなく、もうどこまで信頼して良い誰々が集計するのかもよく判らなかったりする。
 こうなると出てきたはずの意思決定も、ひとつの人格としての『自分が暮らす社会組織の自我』を成さないから、住民が直情的に納得し切れない結論にしかなり得ない。何ひとつマトモに決まらず、社会の仕組みが構築できず、いつまで経っても本能が体力勝負でぶつかり合う原始人のような社会構造の本質から抜け出せないのである。
 まず身を寄せ合って千変万化する豊かな自然を相手に組織力で暮らしていく、日本列島に育まれた『組織の民』の君が代DNAは、望んで手に入るラッキーではないと自覚しておきたい【404】

 だからこそ自爆テロ非国民犯罪者政権みたいな出来損ないどもが、きちんと日本社会に諮る投票のプロセスを履行せずに誤魔化して『議決の儀式』だとか閣議決定だとかやりたがるワケだけれど、それはそれで日本国民にとっては『こんなもの、我々認めた覚えは無いぞ』と記憶されるから、日本社会組織の自我が究極の最終判断を誤ることはない。条件が整えば、1億2千万人社会組織の圧倒的パワーが私欲の小細工を押し流してコトは収まる。
 その条件に一歩近づく…というか、圧倒的パワーが無関心を決め込んでこれ以上離れてしまわないよう、今ちょうど注目が集まっている具体的案件に焦点を合わせ、我々日本国民の代表者として、野党たちにはしっかりと態度の表明を代行してもらいたいのだ。

 古電球は、学術会議の任命業務において内閣総理大臣という行政ポストを悪用し、日本国組織の心に背いてウチワ都合の勝手を仕込もうとした。
 叩いて叩いて叩きのめして、血反吐と一緒にでも悪事の経緯の全貌を吐かせて欲しい。手加減の必要は全く無いし、手加減してはならない。

 そろそろ分量も埋まったし、今日は大阪の行方を追いかけるとしましょうか。
 みんなで決める大阪市政と、古電球が決めたと言い張る国政、どっちの運営コンセプトが暮らしやすいと日本社会が考えるか、大阪市からその社会動向が見えてくる。
 大阪の皆さん、グッドラック!
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