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【819】崖っぷちで見る宝物の煌めき [ビジネス]

 どうやら日本も感染域になったと判断するしかないんだろうな。
 ちょっと組織ハンドリングの観点から、今のうちに厳しめの内容に触れておこう。

 もちろん、もう感染域内だから過敏になってもしょうがない…でいっそ日常通り、という開き直りではなく、感染者もまだ続出中の今だからこそ、可能な限り警戒モードで生活する方が正解である。まだまだ今後の展開は読めない。
 具体的には、それで済むなら大衆空間に出るのは控えておくべきだし、やむ無しで出かけるならば、広告の裏に殴り書きでも構わないので時刻と訪問先のメモを残しておくことだ。ただの日常通りに生活する人も多いはずだが、他人は他人、自分は自分で、一応でも気を付けておくに越したことはない。

 飛行機チャーターして数百人連れ帰るのはこの現地事情だとあり得るとして、当の帰国者たちが『感染を拡大させたくないので、自分たちを隔離すること』で全員応じるあたり、さすがは安心安全の日本社会である。その通り、それが個人にも社会にも最善策だ。
 隔離や検査が強制的になったとしても、少なくとも現ケースで『人権侵害』というのは全くもっての的外れである。そうしなければ、今度は帰国者と直接接触する人々が『健康で文化的な生活を送る』人権を激しく侵害されることになるからだ。
 この痴呆論議が始まりかけたように見えたが、程なく収まった様子なので安堵した。

 世の中には無能で物知らずの迷惑バカが一定数いる。人権保護という一般論の看板を傘に着て、他人をディベートでやり込め困らせることを目的に振舞う『組織の足引張り野郎』なんぞは、社会の情報高度化が進むとどうしても増えてくるものだ。
 以前ならこの手の性悪ヒマ人はガン無視の放置プレイで済んでいたのだけれど、自由な情報空間における拡散ツールも充実している今日では、こういうのが自分都合の正論を好きなように盛って言いふらせるのだから面倒くさい。ある程度はわざわざの真面目に構って見せないと、今度は受信者大衆の中に潜む不見識組が煽動に同調し始めてしまう。
 今どき高度情報化の時代相応に、デモンストレーション対応で示しをつけて見せるのも、必要工数と割り切らねばならないのであろう。もっともこんなお粗末方向の組織のばらつき代は、普段からの組織風土管理で最小限に抑えておきたいものである。

 とにかく、こと感染症流行の対策措置となると『こればかりはハナシが別、全ては二の次』を断言せねばならない。個人ではなく組織まで一蓮托生の単位で、命の危険に身を晒すことになるからだ。
 何しろ、ままごとヒエラルキーの集団威圧も嫌がらせも効かなければ、カネ=数字書いた紙きれを何枚刷ってバラ撒こうがびくとも反応しない、ガチンコ生存競争の勝者たる強敵なのだ。人類文明の概念で組んだ、たかが情報パワーごとき全くの無力。損得や権利義務のものさし掲げて何を強がろうが、やられたら死ぬ。

 ここの御贔屓さん方は皆さま分別があるし、極端な事例を持ち出して不安を煽るのではゆめゆめないとまず断って、70年代にアフリカの田舎町でエボラ出血熱が流行した際には、致死率が実に90%近くにまで達して社会が大混乱に陥った。この時も軍隊が出動しており、町から強引に脱出しようとする者に対しては射殺も辞さないとする指令が出されたという。
 病原体感染症のパンデミックから、人間が成す組織生命体の命を守って生き残るというのは、そういう勝負なのである。感染域に暮らしていた個々人に責められるべき落ち度が何ら無いのは間違いないが、組織生命体スケールで『感染した組織』を他に増やす訳にはいかない。死んでもらうしかない。
 だから『感染してしまってもなお、個人が信頼を寄せて帰属していられる組織』であることが、何よりも果てしなく重要なのである。

 既に客を迎えただけの日本国内観光バスの運転手や添乗員の感染が確認されているし、現時点で今般の帰国者は全数丸々を感染源グループ相当にリスク視して扱う必要があると思う。
 彼等は言うなれば『被害者』であり、感染を恐れる他人から接触を避けられる立場にはなるが、今に限ってそれは非難されるべき差別的行為ではない。接触を避ける方も避けられる方も、仮にその場のなりゆきで不快な感情が湧いたとしても、今は仕方ないと理解し冷静に収めるしかない。
 大人なんだから、社会人なんだから、やれ『傷ついた』だの『強い人ばかりじゃない』だの気分の受け止め方で済む個人的心境をオモテ向きに訴えるお子ちゃまモードのスイッチは切り、少々のコトは腹くくって呑み込む図太さを持てるよう心の準備をしておくべきだ。

 そう、これだけ優れた医療機関と救急救命インフラに恵まれた日本社会は本当に安全なのだから、二度と人権問題と混同するような愚かで無駄な議論には取り合わないようにしたい。返すがえす、弱肉強食に始まり地球上生命の原理レベルでの生存競争まで経て、30億年を勝ち抜いてきた実力派が相手なのである。

 少し余談を挟んでおくと、自爆テロ非国民政権が実に不見識の不用意に議決したことにしてしまった移民政策【684】だが、これは入国者の人種で決まる感染症耐性の違いや、各国の社会情勢による病理学的履歴を、日本国内でヤミ鍋状態に混迷させるものだったりする。
 実際、戦後の北米などは急速な経済発展に伴い未管理の入国者が激増し、これが感染症の流行を次々と発生させたとする見方もあるのだ。HIVもその一例とされる。
 このあたりを念頭に置いて、未知の感染症が社会に及ぼす損害がどんなものか、1億2千万人日本社会で実例をしっかり観察しておくのが良いと思う。表現がアレだが、勉強するには格好の題材だろう。

 まず逃げるに逃げられない脅威が身近に迫っているのは現実なので、観念して対応に身構えるしかない。あとは遭遇する事実を率直に受け止め、正確な情報を受発信して迅速に行動するだけだ。
 犠牲者の増加も報告されているが、今あなたは死の恐怖に怯えているだろうか?
 日本は本当に良い国であり、だから真面目な運営意識で大切にすべきなのである。
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【818】感謝と敬愛のバイオハザード防護服 [ビジネス]

 やはりパンデミックか。こりゃちょっと大変だな。
 記憶が冷めないうちに検証にかかっておこう。極めて真剣なハナシである。

 既に当該情報があちこち削除されているようだが、あほの古電球が『ヒトからヒトへの感染が確認されていない』などと実にいい加減なコトを抜かして、国としての対応姿勢を不真面目にはぐらかしていた。今ならまだ覚えている方も多いだろう。
 この失政、箝口令と証拠隠滅で無かったことにされようとしている感が漂っているので、日本国民は忘れずしっかりと記憶を改めておきたい。

 実は当時の段階で、いま結果的に俯瞰して『事実を見誤った』因果になってしまうような、そんな内容の見解が公表されたコトそれ自体については、いきなり非難するべきものとも限らない。
 いざフタが開いてみると、高い致死性と感染力を兼ね備えたウィルスだった真相が目の当たりとなった訳だが、少数の発症例が確認され始めた段階で、致死性×感染力の演算値とも言うべきパンデミック性リスクを見積もるのは概して簡単ではない。
 だからってパンデミックの恐れに縮み上がって毎度片っ端から安全策側に振っていたら、社会生活が寸断されるばかりだ。おまけに運悪く…というか、本当は運良くと言うべきなのだが、空振りした場合には、それで不都合を喰らった社会のあちこちから、半ば言いたい放題の集中砲火を浴びせられることになる。
 だから迂闊には動けない。それは確かにその通りなのだが。

 本事例については、当時『確定的物証に基づく人対人感染確認の結論が出ていなかった』だけで、むしろパンデミックの可能性は十分高いとするのが妥当な見解だったと見受ける。
 まるで『物証も無いのに動けるか』とでも抜かしたげな古電球の軽率な口調だったが、1億2千万人日本国組織に向け情報発信する立場として、明らかに不見識がゆえの油断が招いた、深刻な判断ミスではないか。
 心得ておくべきは、これは『政策を誤った、政権の失点』ではない。ママゴトのお父さん役を気取った無能な不適格者が、重大なオオヤケ発信をぞんざいに扱って失敗した『日本国政の形骸化』が問題の本質なのである。

 ともあれ、まず先に敵が敵だけに負からない基本事項から確認しておこう。
 これだけ高速大量輸送の交通網が発達した現代社会において、病原体感染症の流行が勃発したが最後、周囲一帯にいる人間がリスクから抜け出し安心するのは不可能である。思いつく限りの感染回避策を取ったとして、それ以外の見えない・気付けない感染ルートが必ず残るからだ。
 我が身への感染の危険が避けられない以上は、むしろ治療方策が優先的に集中する現地付近の方が、安全とは言わないまでも『間に合う』初期対処の期待値は高いくらいである。とりあえずは外出を控えて混乱の収束を待つのが正攻法だろう。
 ただ難しいのが意外なほど早期に訪れる飢餓であり、充実した物流によって在庫最小で維持されていた食料品はいともあっさり底をつく。食糧が尽きたら嫌が応にも外出せざるを得ないが、その頃には近隣周辺のあらゆる食糧は尽きており、いっぽう感染症の流行は進展していることになる。
 こうなったら『こうすれば安全でいられる』という絶対的な正解など無い。ありったけの情報を元に自ら精いっぱい正しい判断を下して、SOS発信しながらその場で救助を待つか、自力で移動を試みるか、それとも他に最適解らしきものを思いつくか。

 まあ完全な感染予防策と治療法の確立までは無理だとしても、当面『コトの大局の行方をこう持って行って、事態の最小化を図ります』ぐらいの緊急措置はナニガシか決まるだろうから、情報を待ちそのコンセプトに乗っかれば社会の組織力には効率良くあやかれる。とにかく焦って直情的な行動に走らないことである。
 このあたり、地理的にコンパクトで国民の一般教養も普及している日本社会が絶対的に有利なポイントであり、困ったことに、だから中国人が謝りながら逃げ込んできたりもするのだ。

 我々日本人がよく見ておくべきは、彼等は自国の医療機関や危機管理政策を信用できないがために、安全な日本社会を目指して来てしまっているという事実である。
 あなたは、仮に日本国内に感染症の流行が確認され、それが国際空港を通して海外まで拡がりつつある段階に到ったとして、いち早くどこか国外へ逃げ出す気が起こるだろうか。この日本国以外のどこか、より安全な他の国へ。
 そりゃ地域性はあるにしても医療機関は整っているし、小型機やヘリコプターの空輸とスクランブル出動が全国を網羅する。孤立して飢えても必ず誰かが見つけて、食糧を届けるなり救出に動くなりしてくれる。全国普通にこんな期待が常識になっている国など、他にそうそうは無い。

 武漢では人々の行動を統制するために軍が出動するまでになっているようだ。銃でも突きつけないと感染症の恐怖にかられた人間の行動を統率できなくなっているからであり、現状やむを得ない。
 だが、もし感染症の恐怖を上回るほどの安心の根拠が現地に持てていて、信頼度の高い真実の情報としてそれが周知されたなら、こんな惨状には陥らないはずである。
 武漢といえば製鉄で栄えた大都市だし、医療機関や救急救助体制のレベルは決して中国国内で低いほうではないと思われるが、実質どんな程度なのかはよく知らない。とにかく現地の人々の信用には足りていない。
 問題は、普段から国家権力が国民の心情に沿わない高圧的・一方的な情報統制ばかりかけていて、国民=社会組織の自我から信用されなくなっていることだと思う。銃を突き付けて、ああしろこうしろと指示したところで、国民の心中に拡がる不信は募る一方にしかなり得ない。
 隙を見て、違う行動に走る奴が散発する。大衆操作の精度も成功率もガタ落ちだ。

 ガチ本気の本気で、自分の国の大事な仲間たちが安心して暮らせるように、普段から信頼ある正直な実力者が手を抜かず尽力しながら発信するから、社会組織はいざ危機に直面してその現状に観念し覚悟を決め、みんな協力して負担を持ち合って、組織全体として最高の現実解で戦う勇気を奮い起こせるのだ。組織と個人の生存本能が一致する場には、一切の非常線管理も武力統率も不要である。
 今般のウィルス性肺炎への対応、どこの誰がどう動くのかよく見ておこう。感染症の流行は、大衆に隠すと事態の不測の悪化を招くため隠せないし、ならば隠さず大衆パニックも起こさせず、を両立させねばならない。
 『信頼と実力』で保証された組織に帰属する安心のもと、国民が集う。国政の基本だ。

 今日の日本社会は世界的にも類まれなる安心安全の生活空間だが、それはひざまずきたくなるほど真面目で優秀な医療機関や救急救助体制の現場力あっての信頼性なのだ。
 こんな凄い現場力に恵まれて、この自爆テロ非国民政権は何をやっている?
 日本社会の現場を繋ぐ自由な通信網に情報統制などかけられてはならない。
 我々日本国民の全員が心して死守すべき、安心安全の組織風土ですぞ。
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【817】よこしま都合の牢獄対応、真実サバイバル情報戦の護身術 [ビジネス]

 国会が始まったが、かつてこれ程どうでもいい感の漂う国会もなかったろう。
 その昔、いろいろとムツカシイ日本社会の大事なことを、大勢の支持を集めた博識のエラい権力者さんたちが、そのパワーを駆使して一般個人じゃできない思考・判断を介して、起案と議決をしていくものだとみんな思い込んでいたワケなのだが。
 ま、ネズミ講の親玉はじめ、あぶく銭目当てのお仲間で羽振り良く誘い合って税金で飲み会やる集団だったってことで、その実態が1億2千万人日本国民の隅々まで周知するところとなった今では、国会なんぞ実質『日本国と関係ない、私事都合の水掛け論の場』に過ぎなくなったんだからしょうがない。
 マトモな感覚で日本に暮らす社会人なら、本当に大事な国家運営の議論をこの場このメンツでやって良いワケないことぐらいすぐ判る。ま、これでどこまで行きつくかってとこか。

 ひとつ穏やかでないのが5G課税の布石打ちの件である。5Gとはぶっちゃけ『今よりメチャ凄い高速大容量化のインターネット通信』のことであり、凄いインターネットにするには凄いカネが必要で、だからインターネット使用に対して新たに課税がいるでしょ、という吹き込みだ。

 結論から行くと、日本社会総出で『NO』を突き付けて潰すべき事案である。
 端的にインターネット全てを課税対象にして、行政の管理下に置く意図以外の何物でもない。特定のサイトが役人の一存で一方的に削除されたり、動画がいきなり暗転したり…みたいなことになるのは間違いない。
 社会組織の自我を形成する自由な情報空間を、無能の小細工に晒してはならない。無能に終わらず悪意や邪心まで抱えているとなると尚更のことだ。
 この一点だけで5G一般化は弊害の方が遥かに甚大であり、関連諸企業はおのれの首を絞めるだけなので、関わらない方が身のためである。社会の支持を失うぞ。

 まあいいや…ってあんまり良くもないんだが、遂に日本人にも感染の疑いが及んでいるしウィルス感染症の話題を優先する。自爆テロ非国民政権のくだらない老衰私欲の背徳犯罪なんぞとは根本から違って、30億年を種の保存で勝ち抜いた実力派の強敵が相手なのだ。

 いよいよ武漢が管理区域になった訳だが、ナウ現時点において想像力を働かせていただきたい。もしあなたが仕事でも観光でも武漢にいて足止めを喰らったら、どれ程の不便が起きることか。
 明日戻るつもりで置いて行った用事が、とりあえずは連絡ナシのブッチで期日を過ぎてしまう。帰宅後の事後修復が可能なアイテムについても、いちいちその手間をかける突発の面倒がどっちゃりだ。
 何より、少なくとも今の瞬間異常なしの我が身なのに、管理区域に閉じ込められたが最後、感染の恐怖に怯えながら非常線解除を待つ以外に無い。いや、それどころか本当に不調を感じていればこそ、自分と腹を割れていて信頼できる馴染みの医療機関に駆け込みたくなるのが人情というものだ。

 特に飛沫感染・空気感染と呼ばれる感染経路のケースで顕著になるが、一旦ウィルス活動のアクティブ化が1人ないし数人のレベルで顕在化するや、一挙にそこから感染が拡大することがある。これが広域地図で語るスケールに達することを『パンデミック』と呼ぶ。
 もっとも感染症の致死率と感染力は独立因子である。そりゃ致死率が全然たいしたことないから安心だとする判断はちょっと違うんだけれど、それにしてもパニックに陥って、しなくていい失敗をしたり社会的規模で事態を悪化させたりといったケースには走らないよう、冷静さを保つ思考材料には持っておきたい。

 ともあれ非常線を張ると、困ったことに人々はそれを理由に、それに触発され、そこから逃げ出したがる。これは責められるべき悪意ではなく、人間の自然な生存本能の方向性がそうなっているに過ぎないのだが、この特性が管理区域を設ける目的に対して逆効果に作用するのだ。
 空港や駅や港湾など交通拠点が封鎖されたとなると、今度はその網の目をくぐり抜けるべく辺境地の生活交通網が狙われるのはすぐ解るだろう。莫大な工数とコストをかけて、ザルで水をすくうような警備隊を右往左往させるなりゆきにしかコトは向かない。
 この事態を避けようとするあまり、社会組織の管理当局が発症検知に箝口令を布いたり、時としてマスコミを操作し意図的に架空の情報を流したりもする動機が起こるのだ。だが危機感が蔓延した状況でみんなが思い付くのは大体似たような事であり、むしろザルの網目の脱出口が更なる感染経路の集積点にさえなってしまう。万一の時の護身のため、備えておきたい洞察ロジックである。

 ちょっとここで不謹慎な(?)考察をしてみよう。
 ここまで感染症の流行域を囲む管理区域の設定について考えてきたが、これを裏返せば未感染域の死守籠城という形態が成立する。
 経済界で大金を動かすVIPたちを迎えるカジノIR、及び彼らが出入国する空港、この両方が孤立した人工島になっている大阪は、国際的に見て病原体感染症の対策が絶好にやりやすい立地条件だと言えるのだ。
 医学領域に断然の強みを持つ阪大もあるし、水都大阪の水上交通網を使えばその巨大で複雑な交通インフラから隔離して厳重な管理のもと、患者もサンプルも、そして感染が許されないVIPも移動することが可能である。これだけ好条件が揃う場所は、世界的にも他例が見当たらないくらいだ。
 高い遮蔽率で隔離された地域は、事物の出納管理を効かせやすい。武漢の事態を見守りながら、日本財政の起死回生策=カジノIRの立地適性についても考えを巡らせておきたい。
 一般論で語るお伽の国の倫理観やおセンチ系感情論のお涙頂戴はやりたい人種だけで集ってやってもらって結構だが、泣いても笑ってもカジノIRなくして国家財務の健全化転向はあり得ないし、カジノIRを実現させたらさせたで、それ相応の全方位セキュリティの管理体制を布いて、他国に無い優位性をわかりやすくアピールする必要も出てくる。それが現実だ。

 今一度、あなた御自身が管理区域に取り残されたケースについて、真剣に想像力を働かせていただきたい。いま現地で飛び交う報道を精一杯の解釈で眺めつつ、ナウおのれの命を守るための行動の選択にあたって何より欲しいのは、近親者を含めた地元組=ガチ本気の本気であなたの安全を願う人たちからの情報であるはずだ。ここまで理解して、再び5Gに触れておく。
 5Gの技術コストを口実に、課税を通してインターネットを役所の管理下にがめようとする思想の危険性がお判りだろうか。端的に『あほの巣窟』のボロい判断力…いや場当たり都合で、あなたの生命線が絶たれる可能性が発生する。
 新幹線が正面衝突して、ロクな調査もせず大勢の犠牲者もろとも埋め立てるような国と同じ情報通信統制を、この日本国は後追いで仕込みにかかっているのである。

 大体が、もう国家枠と完全に別次元のグローバル・フィールドで狙い撃ちの企業サイバー攻撃が常識になっている今日、ママゴト箱庭支配に執心するサル山人種に税金食わして、サイバー戦の対応をする能力や責任感が僅かでも期待できるとお思いか?
 いつも正確な情報を嗅ぎ当て灯台にしつつ、変動する世の大海原を渡っている企業人・経済人の皆さん、この布石は絶対に看過してはならない。

 いま大阪府市は、日本全国で唯一『あほの巣窟』と別系統の思考判断で動けている自治体区域であり、上記の通り人工島のハードウェア素材および2025大阪・関西万博という都市開発マイルストーンも揃っている。
 大変な目に遭っている方々には尽々気の毒だが、今般のウィルス感染症の猛威を注視しながら、この日本国の運営方針を決める仕組みと人選はどうあるべきか、真面目に熟考して自分の国民の権利を行使するにあたっての判断材料にすべきだと思う。

 もともと病原体感染症と社会組織の特性の関わりについてはシリーズ企画を考えていたくらいネタがあるのだが、はてさてどうしようか。
 とにもかくにも、大阪の成長を止めるな。

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【816】30億年アナログ熟成型・超高速ゲノム解析プラント [ビジネス]

 中国からの観光客が増える春節が近い。前回に続けて病原体感染症の話題を。
 エマージング・ウィルスは宿主の生体機能を乗取る形で自身を複製し、宿主の中で増殖しては周囲に感染を拡大する。だが宿主の命を奪ってしまっては自身の間借り生体活動もストップすることになってしまい、そこで代替わりできずに種が途切れて自滅である。ここについては、我々人間が考える生存本能の理屈では解釈できない。
 で、実際途切れてしまうのだが、それでこの世から姿を消したように見えて、いい頃にはまた突然に現れる。つまり我々の知り得ないどこかに潜伏して、途切れず種を繋いでいる可能性が考えられる。

 さてここからがビミョーな前衛科学の領域。結論から行こう。
 ウィルス=情報メディアは宿主を殺し、あるいは宿主の身体から駆逐され追い出され、そこらへんにバラバラに粉砕されて存在しているのではないだろうか。
 いっぽう宿主たる生物には、生命活動の標準的なイチ機能として、バラけた遺伝子材料をあれこれ組み合わせて、その出来に関わらず正常な遺伝子相当に作用させようとトライする働きが備わっているのではないだろうか。

 例えばインフルエンザ・ウィルスの残骸が、夏の間も日本社会のいたる所に転がっている。乾燥しがちな冬が来ると、これが空気中に舞い上がるなどして人間の体内に侵入してくる。
 すると人間の体細胞はインフルエンザ・ウィルスの残骸を、まず無作為に、あるいはああでもない・こうでもないと試行錯誤しながら組み合わせ、片っ端からお試ししていくのではなかろうか。

 スパコンを使ったゲノム解析では、DNAの鎖が長すぎてA、T、C、Gの配列を端から読んでいくと時間が掛かり過ぎるため、薬品でDNAを細断して並列同時進行でそれらの配列を解読する。その個々の配列の中に同じ並びが見つかったら、その部分を重複部位と判断しながら配列の未完部分を読み足していく訳だ【558】
 気の遠くなるような件数の整合作業をスパコンがやってくれるので、スパコンの進化に合わせて解析速度がどんどん上がって、当初予想より遥かに早期にヒトゲノム解読が完遂されたのである。

 生物の場合そこまで都合よく効率的に作業できるともあんまり思えず、だが逆に人間で数十兆とも言われる体細胞が同時進行で遺伝子断片の無作為結合をやるのだとしたら、数十兆だと一桁パーセントでも千億~兆単位のパラレル試行件数となる。これだとウィルスとして稼働可能なレベルの完成度で、復元品が発現する確率が十分あるのではないかと思うのだ。一発当たれば一気にウィルス稼働が勃発する。
 人間は高速スパコンを手に入れてようやくゲノム解析を実現させたのだが、こういう作業に噛み付くにあたってはそうそう手段となる選択肢があるとも思えず、もともと生き物も進化発現のため同じような原理を生命活動の一端として備えていて、その膨大な数量作戦に近代技術がようやく追随できたに過ぎない…とする仮説である。

 この考え方のベースは、記憶情報の断片を無作為に結びつけてはロジカルなストーリーだと定義づけたがる自分の夢の本能的志向を、細胞スケールの生命活動にフラクタル転写したものだ。
 この手の前のめりサイエンス好きの友人が、『生物って案外、完成された出来合いの遺伝子情報に基づく複製だけの姿勢で生きてるのではない、もっと創出や流用で空所を補填しようとする働きがある、とする説があるそうで…』ときっかけをくれて、インフルエンザ・ウィルスの季節性にハタと思い及んだ。
 専門家の読者さま、いかがでしょう?…と切り出すには、ちょっと飛び過ぎの感もあるが、とにもかくにも現実としてインフルエンザ流行の季節性はあるのだから、可能性のひとつとして視野に入れておく価値はあるのではないでしょうかね。

 生物には『積極的な好奇心性の情報構築トライアル+無理やり意味づけしてチカラずくで実用GO』の標準プログラムが備わっていて、エマージング・ウィルスは生物のその生来特性を利用し、バラけて姿を消しては再組立てしてもらう形で現代まで種を繋いできたと。ウン、ちょっと面白いかも♪

 さて、真相はどうであれこれだけ大多数の人々が交錯する現代社会なので、感染症の流行を目前にして我々ができることは、可能な限り早期に患者たちを隔離すると共に、感染経路を遡って流行源に迫れる限り迫って、打てる限りの手を打つ。そこまでである。
 病原体と接触した瞬間の認知もできなければ、大衆社会とのどんな接点でどう感染拡大させてしまうのかも判らない。あらかじめ各自が神経を尖らせておいて、自分自身あるいは近隣で感染が確認された時、記憶を辿ってその原因くさい事実を特定し専門家に情報提供する以外なく、これが最速最善の行動規範ということになる。

 ポイントは社会組織の自我を、その方向に仕向けるということなのだ。
 オオヤケ社会の対応としてコレコレこんな留意点で目を光らせることになってるんだぞ、ならば自分も感染が怖いので、気休めの付け焼刃ながら一応はこのくらい気を付けておこうか…と。早ければ早いほど効果は高く、だらだらして感染を拡げてしまった後では、何のどんな対処も意味を失う。
 くだんの大阪のSARS罹患チェックは、的確な社会意識への周知シンボル措置として十分妥当なものだったと思う。これのGO判断に病原体の専門的知識は不要であり、むしろ感染症の特性を常識的に考慮した上で、人間が成す社会組織をよく理解した情報発信だなと感じたものだ。

 病原体感染症のネタもやり始めると終わらなくなりそうだ。このへんで、篠田節子著『夏の災厄』という感染症流行パニックの小説を紹介して、今回をまとめにかかるとするか。
 人間はキホン一旦は病原体に感染して、それに対処する順番でその後の展開が決まる。しっかり食って早めによく寝て、今のジブンMAXの新陳代謝を回す生活習慣が最強の健康法である。余計な添加剤投与のドーピング稼働はしないに越したことはない。
 こんな健康法の優位性も、いのちの輝度の測定値として定量化の概念ができれば、保険医療費の抑制に実効力が期待できそうなんだよな。

 私が油断したクチをきけるワケ無いのだが、皆さまお大事に。
 大阪の成長を止めるな。
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【815】見えない災厄と理性バリアーのシーソーゲーム [ビジネス]

 他の話をするつもりだったのだが、ちょっと気になるのでウィルス性肺炎の話題を。肺が炎症を起こす疾病を総称して肺炎と呼ぶ訳だが、今般のこれはウィルスが原因なのでウィルス性肺炎ということになり、どうやら新型のコロナ・ウィルスなのではないかと言われている。
 ウィルスの病原性についてはかなり以前にここで解説しており【228】、つまりそれ単体で生命活動を完結できる『生命体』ではなく、パソコンに感染してその機能を狂わせるウィルス・プログラムあるいはそれを仕込んだディスクやメモリーチップのような『情報メディア』だ。そして感染した相手の生命体機能でもって悪さをしてまわる。

 端的に、この世を人間として生きていく以上、目視できない病原体から自分を隔離するのは不可能である。奴等がどこにいて、いつどんな方法で自分の身体に入り込んでくるのか確認のしようがない。大抵は潜伏期間なるものがあるため、感染直後から発症するまでの間、感染当事者は何の自覚もなく公共の場に盛んに出向いて、人々と交流しながら社会生活を過ごす。誰がウィルスを持っていて我が身への感染範囲内にいるのかも判らないし、ドアノブや電車の吊り革など接触履歴が感染経路になるような場合、それを完璧に防御する操作は成立し得ない。
 昨今でこそ季節性があやふやな感が強いが、インフルエンザの流行が冬の風物詩だった時代には『インフルエンザ・ウィルスは夏の間どこに潜んでいるのか』が大いなる謎とされていた。というか、今でもそれは解明されていない。
 従って、ウィルス性疾病にやられたくなければ、もう遭遇することは前提として、自分で身ひとつの病原体駆逐能力を最大限強化するのが現実解となる。

 地球上のある場所で突然に現れひとしきり感染者を続出させた後、いつしか収束に向かい最後の感染者を残して姿を消してしまう。もちろん共通した感染症状が急増し流行の可能性が確認された時点で、医療機関は治療法の確立に向け努力するのだが、これが成功しないまま自然治癒と犠牲者だけを結果に残して流行が収まる事例も少なくない。この突発して消滅する姿をもって『エマージング・ウィルス』と呼ぶ。
 その昔は知る人ぞ知る少々カルト的知識とされていた病名だが、アフリカ発の『エボラ出血熱』や、日本でも昭和の終わりに同じくアフリカ旅行者が持ち込んだ事例のある『ラッサ熱』などがこれにあたり、その高い致死率で恐れられている。まあ恐らく結構な頻度でウィルス感染症の流行は起きていて、大したことないやつは人間社会で認知されないだけのこと、という理解が正しいのだろう。
 昭和30年代後半には大阪キタの繁華街で謎の高熱病=『梅田熱』が流行した記録があり、大都会の中心地とはいえ当時まだまだ衛生管理が進んでいなかった事情もあって、ネズミがハンタ・ウィルスの一種を媒介して起きたものだといわれている。

 数年前、某所で感染症研究所の建設計画が持ち上がり、地元住民の激しい反対があったと報じられていた。そりゃ感染性の病原体がサンプルとして持ち込まれることにはなるのだろうし、さらにそこで研究・分析作業が常時行われるとなると、万が一事故が起こった場合はその研究所が感染症の流行源となる。ゆえに危険なので持ち込むなというロジックだったのだと思う。
 だが感染性病原体の場合、何しろその危険が現実のものとなってからの被害状況、及びその結果系全般を観察して事実関係を追い上げ、とりあえず事態を把握できるところまで把握し、やれる範囲で現地毎に対処を決めていくしかない。患者たちの容態は悠長に待っていてはくれない。

 確かに日本のどこかで感染症が確認されたら、もちろん真先に当該研究所に、わざわざそのサンプルが持ち込まれる流れにはなるんだろうが、持ち込み経路およびその周辺の衛生管理は徹底されることになる。どんなに徹底しても流行に関わる事態が完全解明されるまで安心はできないから、あらゆる可能性を視野に入れて頻繁にチェックがなされることにもなる。更にこのテの施設は全て建屋内を負圧に保つようにしてあり、要は施設から空気感染が拡がる確率は構造上なくしてある。

 研究所を何百キロの彼方に追いやって気分的には安心できたとして、ある日お隣さんがバイオハザードの防護服を着た救急隊員に運ばれていったりしたら、果たして間近の研究所を眺めて過ごす心境とどっちが安定しているものなんだろうか。
 私自身、感染症研究所の建設計画なんかとは無縁の場所に住んでいるので、結局は無責任な他人事になってしまうのだが、それにしても危険な感染症が流行する可能性をひとつの地域安全性という尺度で測るなら、ただ直感で覚えるその拒絶反応は、知識となる情報を得て熟考するだけで解消する可能性があることを認識しておきたい。

 ところで最近だとSARSなるウィルス性肺炎の一件が記憶に新しい。あれもコロナ・ウィルスが原因であったといわれている。あれの再来なのか、それとも別タイプのウィルスによるものなのか。
 ウィルスは繁殖…という表現は生物じゃないので正確ではないのだが、二次以降の子・孫複製の精度が低く、どんどん亜種や突然変異体を作り出してしまうため、ナウ目前の対象個体の由来も過去の医療実績の適用度も判定が難しい。インフルエンザなんか大別するだけでいきなり3種類ぐらいにはなってしまい、その年の冬にどのタイプが流行するのか予想して、シーズン前に予防接種の仕様が選ばれていたりする。

 冒頭の『インフルエンザ・ウィルスは夏の間どこに潜んでいるのか』という疑問だが、実は私なりにその答の可能性を感じる話を、ちょっと前に聞いた。オカルトというにはあんまりなのだが、ビミョーに前衛科学っぽいところもあって、このあたり最先端の研究がどうなっているのか知りたいところでもある。

 勿体つけるのは好きじゃないので先に明かすと、『どこにもいっていない』というのがその答である。そこらにいるはいるんだけど、バラけてウィルス・プログラムとして成立しない状態になっているという仮説である。ちょっとボリュームが嵩みそうなので詳細は次回送りにしてしまおうかな。
 ともあれミクロサイズの病原体による感染症は、まず個々人が反射的に対処行動を起こしたところで、社会組織が予測のつかない非常事態の混乱に陥るばかりだ。流行が拡大する過程の正確なリアルタイム現象把握がそもそも観測できず不可能なのに、社会組織の自我が浮足立ってイレギュラーな忘我モードに陥ってしまっては、なおさら何もかもが混沌として解らなくなり全ての対応が大幅に遅れてしまう。

 このあたりオオヤケ周知の是非に始まり『こうするべき』という正解は無いと思うのだが、かつてのSARS対応での大阪橋下政権は、確かいち早く入国者向けに健康状態の書面問診とサーモビュアの発熱チェックをやったんじゃなかったっけ。
 当時はその実質有効性を疑問視し、無策お手上げを避けるためだけのその場しのぎと揶揄する声もあったが、私はそうは思わない。『社会組織の危機感』がカギだ。
 まあいいや、続きは次回にしましょう。大阪の成長を止めるな。
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【814】不死身な理系の未来政治学 [ビジネス]

 ホームで電車を待っていたら近くで『ゴホン、ゴホ、ゴホン!』と咳き込む声が聞こえた。
 その昔、このシチュエーションだと咄嗟に『風邪もらうとヤバいな…』と不吉を感じて、まず列を抜けその場から距離を置いたものだ。そんなことをしたからといって本当に風邪の原因から離れられているはずもない訳で、結局は何となく風邪っぽく感じ始めて発熱と倦怠感に鼻水・鼻詰まりなど一式の定番ルーチンをやり過ごしたその後、中途半端に咳だけがしつこくしつこくいつまでも尾を引いて、暖かくなるまですっきりしない、そのうちいつ治ったのかもよく判らない…これが恒例の展開になっていた。

 振り返ればもうここ何年も風邪を一度もひいていない。ヤク離脱に伴う喉荒れや扁桃腺の腫れは今もそれなりにちょくちょく起こるが、いっときを通り過ぎればその場で明確に解消する。
 かつては自分の外見があまりに酷過ぎて、自分自身は開き直って済むが、一期一会にしても出遭う相手の方が辛かろうと不急の外出を控えたりもしたものだけれど、そんな苦節の数ヵ年をやり過ごし、普通に外出できる日々が当たり前になった今、もらい風邪の危機感と全く無縁になっていた。

 私は決してケッペキ気質のタイプではないのだけれど、いつしか日常空間で出遭う病原体につい身構える習慣がついていたように思う。どうにも爽やかに治っていかないので、ちょっとした小さい怪我もプチ憂鬱のタネになっていた【610】
 だがさすがは私、実に7年強を経過してなお不便も多々残るが、見定めた方向に間違いは無い。自覚ナシのヤク漬けで自由自在に動き回っていた過去のあの稼動状態は、この先の人生を走り切るに耐えるコンディションではなかったのだ。何か月も風邪薬買って、何枚も鬱々とバンドエイド交換してられるかよ。

 もっともここまで来ているのに、情報処理機能が安定した快調を取り戻せず、何事も本気で楽しめない・モノ作れない・音楽できないの自分が悲しい。これは心臓および脊椎タテ一本の回復が完了していないためだが、確かに人格意識領域の原動力は、このあたりにその中核があるようだ。知覚した情報を得て、ゼロからナニガシかの動機を起こす情報発現の原理プロセスが何かあるぞ。
 背中面のぴたり心臓位置にある古傷が、繰り返し腫れて張って痛んでかぶれ続けるので、これの終息との相関がいずれ確認できるだろう。社会を生きる人間としての情報処理機能のトラブルについては、どうやら見かけがマシに収まってくる断薬5年目以降の方がタチが悪くなる感じだな。いま頑張ってる方、覚悟と準備を。苦痛は軽くなるが対処が超難しいです。

 2025大阪・関西万博のテーマは『いのち輝く未来社会のデザイン』だが、現行文明社会が生物・人間に及ぼしてきた影響を一旦すっかりキャンセルし、生命の歴史が何十億年もかけて到達した現時点の標準仕様の特性をありのまま確認するという課題はぜひ織り込んでいただきたい。
 慢性の寝不足を押して数々のサプリメントを流し込みながらバリバリとカネ年収を稼ぎ上げる生態というのは、実は地球上生物・人間にとって自然な幸せでなく、だから大事な仲間を裏切ってまで必要以上につまらないモノを欲しがったりする誤作動が起きたりするのではないか…とか。
 自分も含めて『そのいのち、輝いてますか?』と改めて検証する視点が必要な時代だ。

 そうそう、『ストレスに寄り切られて壊れた精神は、記憶消去装置が発明されない限り治らない』としていた私の経験則【50】に対しては、最近もしかして全数ではないが有効な解決策を方法論化できる余地があるのではないかと感じ始めている。人格の火が消えたような彼等が再び元気に動き出せば、その管理職層・経営層も元気になり、職場や社会全体も元気になれる。あらゆる組織生命体のいのちの光量が少しずつくらいはアップするかも知れない。
 自分自身こんなことにでもならなければ、私はこれらの課題を実感もって思考検討できなかった。理屈の世界で考え付いたところで、ガチ使える回答が視野に入る手前に高い壁があるような気がする。

 この年末年始、久し振りに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をシリーズ三部作で一挙放映していた。我々世代のファンはもう筋をソラで言えるくらいリピート視聴しているから、好きなところを好きなだけつまみ食いしながらお気軽に楽しめたのではないだろうか。
 公開当初の1980年代後半において十分先の未来として描かれている2010年代社会の検証は、既にあちこちで語られているので検索してみてください。そっちはもう枚挙に暇が無いので任せるとして、劇中に登場するタイムマシンが次々と段付きの進化を見せてくれるのが楽しい。プルトニウム燃料の動力源が、バナナの皮や飲み残しのペプシで動くエコ・マシンになるあたり、環境問題イメージの先見性と風刺力はなかなかのものだ。
 チマタに溢れる名言集サイトには取り上げられていないようだが、個人的にはラスト近くのマーティ少年とブラウン博士の会話が大好きである。この版の吹き替え対訳、上手い。

  “Doc! I thought I’d never see you again.”
  『ドク!もう会えないかと思った』
  “You can’t keep no scientists down!” 
  『科学者はそう簡単にはくたばらんさ!』

 親友にお土産を手渡した後、ますます進化を遂げた大発明品に乗った博士一家が、閃光を散らしながら突込んでくるタイトル・シーンは何度見てもスカッとする。

 技術者だってそう簡単にはくたばらんぞ。今の時代の若者や子供たちが、あんな楽しい仲間たちとドタバタ喜劇の日常を通して、面白おかしくも世界中の度肝を抜く日本製品を送り出せるようにしないと、時代相応の進化ってことにならないじゃないの。
 私を含むこの昭和世代は、たまたま不遇の敗戦を起点として、長らく日本列島がDNAレベルで育んできた組織力の恩恵におんぶにだっこで世話になりっぱなし、自分らだけモノ作りのいい思いに浸って、未来のモノ作りを楽しい生命活動に維持整備する課題から逃げ過ぎていた。それが行き詰まってきて、今ごろ辛いだの困っただの愚痴る資格など無い。

 本来、とりあえず共同生活がどうにか無事に流れる『素の社会組織』みたいなものがあったとして、例えば良質の地下資源を掘り当てたりすると人類共通の有価物に恵まれ『裕福な社会組織』になるんだよな。逆に、自然災害で農作物の収穫が半減したりすると『貧乏な社会組織』になる。
 いま日本国はカラッポの観客席に向けて、たかがカネ経済における架空の裕福状態を台詞棒読みで演じることしかできていない。その実態は『素の社会組織』として平衡パーシャルで過不足が釣り合うどころか、たかがカネされどカネの借金を天文学的に積み上げた、桁外れの『貧乏な社会組織』であることは1億2千万人国民の全員が知っている。

 何をサボっていてこうなってしまったのか、具体的にどう素行を変えれば改善するのかを、例えばATCアイディア創出センターで大騒ぎしながら仮説を立て【704】、夢洲人工島ラボで実験検証を繰り返して改善方針を固め【697】、大阪都特別4区から実用に移していく。これが直近の現実解だ。
 今年7月は東京都知事選だが、『大阪と対極に機能する東京を目指せること』が要件になるんだろうな。大阪の成長を止めるな。
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【813】息もつかせぬ大爆笑サスペンスの次回予告 [ビジネス]

 バブル景気が終焉し、日本社会において絶対安泰で栄え続けると信じられていた大企業が、少なくとも当時としては、思わぬ業績の悪化に苦しみ始め、更には倒産するという事例が散発し始めた。
 こうなる以前の高度経済成長期からバブル期にかけて、当該業界を代表する規模の国際的ブランドとして社名を轟かせた日本企業は数多い。だが『ではそこの社長さんって誰よ?』と訊かれると、仕事として経済界の情報を常時ウォッチングしている人でもない限り、どっかの会社の社長さんの名前なんか苗字だけですら出て来ないのが一般的であった。
 そんなある日、空前の負債に直面したイチ大企業の経営を立て直すため、海外から再建請負人の社長を迎え入れるという初の革新的手法が実行されたのである。

 会社経営の構造一新というより本人固有のキャラクター資質によるところが大きいが、これにより日本社会における『会社像』が刷新され、何より事務屋の黒幕的な雰囲気だった社長ポストが、『企業力のイメージを自らメディア露出でぐいぐい牽引する絶対合理性リーダー』として置き換わることとなった。
 実際、高度経済成長期に『エコノミック・アニマル』『会社人生』『働きすぎ』などと評されて思い上がっていた日本社会の労働力は、生き残りのための合理性徹底の銃口を突き付けられてでさえ、日本式ヒエラルキーを捨てられない我が国地付きの箱庭文化に縛られて、もう日本人の組織メンタリティだけでは企業存続の現実解が得られなくなっていたのである。

 ここで、ある外資系企業がこの日本企業丸ごとを買収して自社の一部にするのではなく、過去いっときでも何だかんだで高い製品開発力・生産力を謳歌していたその実力に目を付け、ネームブランドのみならず日本企業の精神風土や組織の骨組みをそのままに再活性化する方策を思い付いた。今は元気を失くしているが、日本型経営が不採算に陥った原因事象を特定して効果的に廃止・改善すれば、元々は欧米の感覚から理解しがたいほど組織に尽くす従業員たちの集団なのである。

 この改善コンセプトは正しく、その具体的な方策も的を射たものであったため、のちに一般経済用語として定着する『V字回復』が実現する。ここでのポイントは『グローバル敏腕人材の落下傘導入による、日本式不採算体質から国際式採算体質への転換』である。
 実は、これは『転換』という『状態の好転局面』でしかなく、これだけでその後の継続的な好調を保証するものではない。よってこれに終わらず、その後もあの手この手で業界変化を切り盛りするその経営手腕と、欧米式の高額報酬が時折話題にもなったものだ。

 まあそんなヒトが、ある日いきなりタイホされちゃったんですな。あえて詳細は書かない。
 で、タイホされてどうなってるのかも判らなかったんだけど、このたび御帰宅されました。
 いやいや、誠にお疲れさまです。ゆっくり奥さまとワイン飲んでくつろいでくださいましな。

 あのヒト、切符持って改札通って新幹線乗って、フッツ~に歩いて出てったんじゃね?
 まあ印象の強い顔立ちだから事情を解らない群衆に騒がれる面倒は避けたいし、帽子にグラサン、あと冬だしマスクぐらいはしたかな。でもせいぜいその程度だろう。
 いざ空港に入っちゃえば、別に出入管も『あ、このヒト里帰りするんだ。一時帰宅かな』で素通しするのが自然でしょ。誰もおかしいと思わないよ。
 やれPA機材に紛れただの、空港職員を脅迫しただの、遂には米軍特殊部隊まで出て来ちゃってもう大笑いするしかないんだけど、散々御世話になっている米軍さんをそんなにヒマ扱いしたら失礼だろうが。陳腐感満点のPA機材ケースの写真やら、ある夜の六本木の街頭カメラ映像やら、こんなものが日本社会の公共電波で流されているのかと思うと、呆れて開いた口が塞がらない。何だこの恥ずかしさは?

 答はカンタン、このヒト別に悪いことした訳じゃないからだ。誰も悪いと思っていないので、普通に歩けばどこの誰もが普通に通す。
 その理由を解説する前に、判りやすい対比事例を挙げよう。

 世襲のガキに古電球、あとポマード教祖あたりに両手の指を組ませてそこをタオル巻きにし、警備員で囲んで桜田門でも東武線の小菅あたりでも歩かしてみなよ。『あー、やっぱり!』ってんで、まず誰もが近くにネズミ講の親玉を探すはずである。
 で、ヤラセで結構なので、どれかが不意にダッと駆け出したとする。どうなるだろうか?
 ほぼ確実に一瞬のうち、そこらの複数の男性が取り押さえてその場が収まることと思う。
 答はカンタン、こいつら悪いことした犯罪者なのを街ゆくみんなが知ってるからだ。

 今般の一連の出来事が、これからどうなるのかはわからない。
 誰かが誰かに向けて放つ情報発信のオン・ゴーイング実況は、たったひとつの内容がその場の時間の流れでしか伝わっていかない。いわんや帰国して、まずは羽根伸ばして、ここは時間遅れ無く『極東の半島…いや違った、列島の前時代的な見せしめ嫌がらせの拉致監禁から解放されました!』と元気な顔を見せておくのが何よりの目的だろうから、昨夜のライブ声明なんかは思いつくままの表紙あるいはせいぜい目次程度の位置付けで発言したものだと思う。明らかにこっちで勝手に全面暴露まで勘繰ったんじゃん、違うの?

 もっとも2025万博やカジノ導入など事業項目レベルの経済回復要素は点在するにせよ、国家運営方針としては『無限に将来負債を積み上げながら、上級国民気取りの無能老人が遊んで暮らすための横車財政』になっちゃっているのが現実だから、だとすると日本を離れた今いちいち関わるおせっかいなんぞ焼く理由が無い。
 ビジネス人種ってとばっちり喰らっても根に持つ動機の精神基盤がそもそも無いから、一体ナニに怯えての自衛策だか、いま手当たり次第のメクラ滅法で狂ったように言いがかりのつぶてを乱射する老人帝国の断末魔は、このまま向こうから一方的に縁を切られて所謂『振り上げた拳の落としどころが無くなる』パターンのまま、独り芝居の滑稽なオチを付けねばならない結末も十分あり得る。

 残念だが超巨大生物・グローバル経済界の虎の尾はもう踏んじゃってて、グローバル市場でその名が響くほどの敏腕ビジネスマンが日本経済に手を貸すことは金輪際ないだろう。ならば、こんなもの放っておけばどうせ再建できずに滅亡するんだろうし、人生何事も経験と思い直して水に流せるんならそうしようかってことで、あとはどこの乞食が何の壮大なおバカ大風呂敷でこの話の顛末を解説するのか、そのあたりを眺めつつ『マス・コメディ映画』の構想でも練る方が確かに建設的かも知れない。
 それでもなお日本に愛着を持ってまだ気にしてくれて、貴重な体験談の公表をもって改善の手助けをくれるなら、我々日本国民は感謝感激雨あられである。
 もちろん日本社会のマトモ領域からの協力も数々あってのことだったようで、『日本国と日本人を愛している。17年暮らして良かった』と明言してくれたことには、日本人の礼儀として心よりのお詫びとお礼で応えておきたい。

 一方で『なぜ会見会場に入れてもらえないのだと思いますか?』なんて、日本の烏合マスコミが諸外国に笑われながらカメラを向けられ取材されてた姿がおっかしい。
 まあそりゃそうだよな、お粗末サル山列島の箱庭帝国からおもらい刺客団が差し向けられたとして、弱肉強食グローバル・バトルフィールドの経済&人権情報戦で何ができると勘違いして来たのか、ちょっとだけ聞いてみたいよ。
 ま、せいぜいニッポン勢の全滅にしなかった取り計らいには感謝するんじゃないの?

 ウン、まあ良かった♪ 次はどこで何を始めてくれるのか、さっそく楽しみである。
 かのホリエモン氏なんかも、箱庭ルールで得意気にサル山ごっこしていた老人帝国をダシ抜いたらタイホされちゃった被害者の一人だが、当時の彼が社会で他人を険悪に傷つけるような違法行為を犯した人間だなんて、誰ひとり思ってないでしょうが。
 そう、少々の紆余曲折はあっても、結局がとこ『さまざまな情報が出回りそれらの信頼性が判定され、最終的にみんなが真理をどう理解しているか』で社会組織の自我の振舞いが決まる。

 マスコミの存在意義かつ生存手段としての『情報信頼性』を、誰がどう考えているか盛んに垣間見えて、久々に見どころの多いニュースネタだと思う。特に大学で情報関連の研究テーマを持っている学生さん、今いつものスマホ通信はちょっと止めて、全メディア競って歴史的凶悪犯の大脱走劇を追う勇ましい限りの大本営発表をよく見ておきな【736】

 大事な人生の時間をかける判断、これを『知らなかった』で間違えたら一生後悔するぞ。
 パール判事もこの事態を予想して『広告に注意しなさい』とは戒めなかったろうな【307】
 笑い堪えるのタイヘンなんだけどさ。おおーい左巻き、戦争ができる国の兆候だぞ~♪
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【812】与太話キャスターたちの新旧プロファイリング比べ [ビジネス]

 そう言えば自宅から歩いて5分の神社に恒例の二年参りに出かけると、初詣参拝客の列は例年に勝るとも劣らない長さだったが実にそれだけのそれっきり、すっかり数が減って点々と残る屋台にはどこひとつとして、客がただの一人もいなかった。キリコの絵じゃあるまいし、シュールな光景である。
 ぼちぼちチマタの休暇モードもおしまいか。印象の薄い年末年始だったことよ。

 もっともここ数年お祝い娯楽ムードの正月なんぞ過ごせた試しは無く、まあ今年は当面のところ絶不調の水面下から顔が出てどうにかなり始めた感じだが、一昨年・昨年はすっかり臥せって寝正月ならぬ伸び正月を繰り返していたことに気が付いた。あーそれを思えば、随分と改善してるのか、確かに。

 自覚する限りステロイド離脱症状に季節性はあまり感じられない。だがこの事実を振り返って、年末近くは要注意かも…と結果的に導き出した経験則を書き留めておくことにする。
 ふと知り合いのステロイドユーザーが、『冬になると必ず悪化するんだ』と憂鬱そうに話している姿を思い出した。例えば寒くなると新陳代謝ペースが減速し、一時的に廃棄すべきモノが体内に残りがちになる可能性は十分考えられ、だとすると今まで私が鈍くて気付けなかっただけなのかも知れない。
 こうなる前は、人間もっともっと自分で自分のことが把握できていると信じていたものよ。

 さて、コミュニケーション空間での情報信頼性とおのれを名乗るアカウントについて、最近気付いたことがあるのでこの機会に解説しておこう。
 実は誰あろうこの私も、日常の電子通信文面において、自分の本名をそのまま表記で第一人称に使わないタイプである。いや、だからってまるっきり無関係の架空然としたキャラクター名や、完全に人間性を消して記号然とした文字列IDなんかは使いませんぞ。
 ま、誰が見ても『あ、ヤツだ』と一目瞭然できるレベルのニックネーム表記とする一方、通信文書の最後には、まさに本名フルネームに住所に自宅電話番号まで揃えた署名欄が、自動でぶら下がる設定にしてある。

 そして本文領域は、そうでなければならない特段の別目的でもない限り、思いっきり仕事内容であっても、完全に話し言葉に徹したトーク書き下ろし文章である。ここみたいなもんかな。

 平成の時代が始まってまだ間もない頃のこと。
  『おおい、ちょっと来てくれないか?』
 いま思えば当時は世代交代を早々に見据えたオン・ザ・ジョブ式の社内教育がしっかり根付いていたのか、オフィスに人も減った残業タイムに、管理職席からまだ三十路になるやならずの私に時折声がかかったものだ。
  『これ、どう思う?意見を聞かせてくれ』

 まだ電子メールどころかパソコンという物体がようやくオフィスにちらほら見え始めた時代、社内の文書通信は紙面送付で行われていた。A4版封筒に社内郵便表示のステッカーを貼り付け、『発信部署および発信者』『受信部署および受信者』を記載して、自分の課の社内郵便ポストに放り込んでおけば、女の子が定刻に回収して各部署を巡回し、お届け先まで持って行ってくれるのである。そういえばドラマ『特命係長 只野仁』で永井大さん演じる森脇クンが時々この役やってましたね。あな懐かしや。

 まあいいや、そんな社内郵便の封筒から取り出された手書きの便箋、そこには他部門の役員からの相談ごとが直筆で書かれていた。当時の私の知能は温泉に浸かることを覚えたニホンザル程度のものであり、具体的な内容はさっぱり忘却の彼方なのだが、ひとつ『この自分が読んでも今すぐ解る、完全な対話語調の文章』だったことが鮮烈に記憶に残っている。
 必死で何か少しでも足しにしてもらえそうな回答を取り繕って、あたふたと形だけ答えた。
  『そうか、ありがとう。役員間の通信ってこんな感じなんだ。お・手・紙、ですよ♪』

 …そうか、だいたい大手製造業だと本社部門・開発部門・製造部門・販売部門あたりがあるワケだが、例えば本社の購買から、ドラマなんかでありがちなお仕事メモで
 『開発センター御中 実験統括部長殿。
  原材料費が高騰:昨年比150%、東南アジア拠点の工場稼働率低下:18%、…』
みたいな指標値タグが列挙された式の情報なんぞもらっても、何の役にも立たないのだ。
 だからどうすべきなのか、誰の組織運営の思考判断=情報処理にも連携しないのである。

 『にすちゃん元気?ちょいと助けて欲しい。中国の経済急成長で材料原価が5割増しになりやがって、現地製品が原価割れしたまま取り返しのメドがつかない。インドシナの工場がイマイチ転がってなくてもったいないと聞いてるが、技術屋に入ってもらって製品仕様をアレンジして、そっちに移せないかって思い付いちゃった。向こうの状況聞きたいんだけど、お宅あそこの拠点長と同期だったんじゃね?』
 元の事実文書がここまで崩れていたかどうかは定かでないが、組織運営を前進させる現実解として有効なのは断然こっちだろう。

 この一件をわざわざにまで意識してのことではなかったのだが、その時代を迎え早々に私の電子メールはニックネーム自称+直球口語体がスタンダード形式となった。
 相手の呼称にしても、そのヒト本人のじかの暮らしの管理にまつわる、いわゆる個人情報の領域にさらさら興味なんか無い反面、恐らくは『いっつも一緒にやってくれてる御馴染みのアナタさま、ねえお願い、また御世話にならせてくださいな』の意味合いを籠めてのことだろうが、すぐ勝手にニックネームにしてしまっていると思う。
 これ、『解ってるヤツ』同士は3行のメールでも一通見れば響き合って相手が解るぐらいに日本語の質として、『情報信頼性の保証付きID』となってツーカー機能する流儀だったりする。

 今の賢い若者を見ていると、たまの事件で浅はかな大人どもが知った顔して騒ぎたがる『SNSの危険性』なんぞ当代流・通信文化の本質でも何でもないのだが、そういえば私みたいな昭和のオッサンも彼等と似たようなもんで、ちゃんと解ってるヤツは響いて解ってるんだよなと気が付いたのだ。あ、でもカタチだけ他人様を真似しようとして中身まで真似できるものでもないので、生兵法は禁物ですぞ【581】

 あなたの職場で流通する通信文は、どんな書式でしょうか。仕事始めで確認してみては?
 それではハイ、今年も正月オワリっと!
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【811】デジタルネイティブ教育勅語、普及元年 [ビジネス]

 明けましておめでとうございます。本年もお引き立てのほどお願い申し上げます。
 皆さまの御愛顧をいただいて、今年も無事にここの開幕が叶っております。

 日本社会は、『組織のすがた』を芯から定義し直す局面に来ているのだと思っている。

 この日本に生まれ落ちて普通に暮らす限り、とりあえずは『日本国に属する日本人』であったり、『どこそこ学校に属するどこそこ校生』であったり、『ナンタラ会社に属するナンタラ社員』であったり、とにかく組織を成す一員としての立場が付いてくるが、これらがすべからく、その組織に身を置いた方が便利で安全でラクチンな、文明社会の機能体としての組織ってことになってるので、我々は恵まれているのだ。
 この寒さの中、服を着てあったかいもん食って『冷えるね~』の一言で済むのは、日本社会があって日本経済があって、自分も何らかの組織への帰属を通してここに認められ参画できているからだ。これらの有難い社会組織は、人が目的に沿って運営し『この組織を生かそう』という意志と努力があってこそ生かされているという事実を忘れてはならない。
 久し振りに教育勅語を復習してみよう【516】

 『日本人は我が皇室のもと、国家一丸となって代々いきとどいた心で立派に暮らしてきた。教育の源もまたここにある。
 日本国民は、親孝行し、兄弟・夫婦・友達らと信じ合い、仲良くし助け合い、控え慎んで人に親切にし、よく学んでよく働き、新たな知恵を切り拓いて能力を磨き、国憲を重んじ国法にきちんと従って、世のため人のために尽くしなさい。
 事あれば勇敢に公に奉仕して、永遠に続く皇運の一助となりなさい。そうやって日本を支えてきた祖先を讃え、みな忠義の厚い臣民であれ…』

 ここに語られているのは、万全の協力体制で栄える日本国組織の理想像と、それを実現する方策としての、国民ひとりひとりが守るべき具体的な行動指針である。誰もが間近の血縁から拡がる、日本社会の組織活動に進んで貢献することが求められている。
 薄らぼんやり各自そこにいるだけではなく、上記が意図的に遵守されることで他国を上回る高い組織力が構築される。だから、日本国が代々にわたって繁栄するのだ。

 大東亜戦争の敗戦は日本国組織にとって非常に辛い経験だったはずで、特に親近者など大事な人を失った国民が、そこに到るまでの日本国運営コンセプトを徹底して否定しにかかったのは理解できる。そこで日本国の強固な組織力のカナメとなった『天皇=神格リーダーによる統治モデル』が判りやすく悪者扱いの標的にされた訳だ。辛い目を直接見た戦争経験者の一定数は、今なお他の一切からの独立事象として、当時の明確な天皇制による日本国家像を激しく忌み嫌う。
 これが戦後の儲かるなら何でもアリ式自由市場の高度経済成長風土と折り合いが良かったため政治利用され、皇室の国民統治リーダーシップをこれ見よがしに貶めるバチあたりな左巻き流派が日本社会にのさばることにもなった。

 だが、かつての日本国統治モデルを悲しい記憶の脊椎反射で卑下する世代も数少なくなった今の時代だからこそ、冷静な再考を促したい。今の時代の天皇皇后両陛下および皇室全般が、日本国組織に及ぼしている統率力とは、そんなに危険で好戦的なものだろうか?
 いつも倹約で実直、飾らず偽らずありのままに、日本国のあるべき姿が自然なこととして示され、日本列島が宿命的に遭遇する自然災害においては、すかさずその被災地で不遇の仲間たちの心の拠り所となる。これほどまでに醜い不正ばかりが横行する情けない国政の実情を押してなお、1億2千万人組織が精神衛生の自律を維持し、今日も平和な日常生活が流れる日本社会が実現しているのだ。

 バカでずるく卑怯な大人どもに刷り込まれるまま、過去踏襲の受験用知識として受け容れてきた、『国家運営の実効力を持たない文化財的な平和日本国の象徴』みたいな皇室イメージは捨て、若い世代が自分できちんと考えて、その組織観に基づく定義を再構築すべき時代だと思う。
 『社会の大広間』が消え去った今日、次世代生産力を担う社会層が思い思いに作り出す多次元グループ・コミュニケーション空間で、『幸福に栄える日本国のため守られるべき規律概念』が正確に普及している必要があると思うのだ。
 若い人たち各自が興味を持って読解し、価値を感じて自らを合わせ込む情報として、今なお…というか今こそ、教育勅語は『響く声明』であって欲しい。

 若者たちの複数ID・多次元アカウント文化をして『匿名性を隠れ蓑にした無責任なメンタリティ』みたいな批判をしたがる大人が多いんだろうが、それは社会の大広間ひとつを本名IDで過ごす牢獄人生でしかやってこれなかった世代の貧相な世界観でしかない。
 もちろん匿名性に身を隠そうとする邪心は若年層にもそれなりにあるはずだが、デジタルネイティブの彼等が大人ほど匿名性を格好の武器にして良からぬ発想を拡げる動機が、少なくとも私には感じられないのだ。そんなヤツはむしろ彼等なりの交信時空で手厳しい評価を下され、親密なお付き合い通信に戸を立てられる運命にある。彼等が情報信頼性を見抜く眼力は、ゆめゆめ侮れない。
 バレバレのどあほママゴト言論が何かの足しになるテイで烏合マスコミの日々が流れる痴呆老人の惰性時空間など、次世代を担う彼等にとって、関わるかどうか気にする時間を割くにも値しない『無関係なアッチの世界の出来事』でしかないのである。

 本当に帰属して良い事がある組織、身を置いて嬉しい楽しい組織であることを、あらゆる組織体単位が自ら進んで名実ともに保証せねばならない時代なのだ。今年はみんなで日本じゅうの組織を厳しく査定し、掛け値なしでマトモな方向に動かそうぜ、ってことさ。

 …と威勢よくキメたはいいとして、実は年末まる一週間ほど心臓と脊椎にステロイド一大離脱フェーズの波が来てしまい、体内の情報ロジスティクスが完落ちしてしまった。そろそろ私の心臓の四半分、目を覚ましてくれないもんかねえ【640】
 まあいいや、時間はかかっているが筋道としては狙い通りの改善過程だ。多数の要素で組み上がった組織は、正しく方向を決めて自然に仕向ければ、確実にその方向を目指す。

 面白い現実のガチンコ変化は、大阪で今年始まる。大阪の成長を止めるな。
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