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【827】『未知の知』で結ぶ相互理解 [ビジネス]

 やれやれ、『基本方針』ってナンなんだよ?
 あの縦軸に患者数、横軸に時間を取って、もともとの富士山が右にずれて低くつぶれるような、無意味な空想の落書きを出すのやめろ。あんなに漫画みたいに単純に上がって下がるものでもなければ、人間ごときが、いわんやあほの巣窟ごときが何か手を出して、右につぶれてくれるもんでもねえよ。

 繰り返し述べているが、未知のものだから『新型』コロナ・ウィルスと言われている。『重症化の防止』『感染拡大の防止』って、そんなもん無知無能が寝言たれたところで現実には何も変わりゃせんよ、当たり前だろが。
 『今後1~2週間が拡大・収束の瀬戸際』って、なんべん読んでも何の意味もなさない、ただただ無駄な日本語である。日本国民はみんな判って見てるんだから、烏合マスコミもこんなもんいちいち取り上げて雑談膨らますなっての。
 これ国会で話題にしなくていいよ。現場のゲの字も知らないようなシロート老人会で寄り合う『専門家会議』とやらも即刻解散でいいや。あの死ぬ程どうでもいい空想解説は何だ。どいつもこいつも、何にもしないできない無知の不見識同士が肩書の勢いで口走っては、際限なく余計な雑音を発生させてるだけじゃねえかよ。日本社会の現場最前線に暮らす国民一同にとって、ひたすら迷惑でしかない。

 今あれもこれも『わからない』のだ。わかるまでは『どうしようもない』が現実である。
 未知なんだから常識や前例にとらわれず、信頼を得た実質決断力のある者が物事を決めるしかない。みんな信頼で動いたのだから、万一の場合の補償は社会全域で自己責任・自己負担が基本となる。自分の身は自分で守ろう。
 大事なのは、日本社会が思い思いの立場で負荷を分担し、実力で戦う最前線パワーの稼働を最大化すること。絶対にパニックを起こさず、現状自分の立ち位置から日本国の組織力に加担することだ。

 十分に敵の正体と動向が見切れるまでは、じっと我慢。悔しくても厳しくても苦しくても待つ。
 ダメな時はダメ、問答無用。災厄が過ぎれば元通り飛び回れる。狙うならそこだ。
 待つしかない。待って弱って一度破綻しても、くたばらず蘇れば未来が見える。
 なあに、また良いコトあるさ。

 これまで感染症に解決策が確立したとされるウィルスにもいろいろ種類があって、割とよく知られているのがワクチン接種で発症例が激減したやつらである。日本脳炎やポリオ(小児麻痺)なんかがそれだ。
 あれやこれやと手を尽くして弱毒化あるいは無毒化アレンジ版のウィルスを作り出すことに成功すれば、それを意図的に投与することで、オリジナル病原ウィルスまで一緒くたに叩く免疫力が人体に備わることがある。免疫機構が敵を特定するにあたっての、好都合な冗長性を利用した感染症予防策だ。
 だからなのだが、無毒・弱毒化したはずのウィルスが再び病原体化したり、接種された個人がたまたま体力を落としてしまって病原性作用を過大に喰らったりといった行きがかりで、少数ながら真性レベルで発症してしまい運悪く命を落とす人たちもいる。そんな医療事故のリスクを下げる目的で、注射した日は激しい運動や入浴を避け、早めに寝るんですね。きちんと守りましょう。
 そして、これ故にあるいっときの検査結果だけで陽性・陰性および重症化する・しないの断定は、絶対に完結できないのである。この手のハナシは今に始まったコトではない。おもらい雛壇の不見識シロート連が、未熟な演出の動機でカラ騒ぎし過ぎである。

 二十世紀の終わり頃、阪大がハンタ・ウィルス【815】の無毒版を見つけたという報告があったが、これは遺伝子配列のほんの僅かな相違によることが検証できただとかで、ここまで詳細を解明できたとして、今度はそれを必要都度に作り出せるかどうかが現実的な課題となってくる。
 それにはもちろん設備も必要ならカネも時間もかかるし、よって世のニーズに合わせて準備体制や保有量の現実解が決まることになるのだ。ここまで到達して、一応の社会的対応措置の確立である。

 今般のケースで、まだ人類は『過去に出遭ったコロナ・ウィルスに似たのが見つかっていて、もしかしてコイツが悪いのかも?』ぐらいの認識にしか到達していないことを再確認しておこう。一定の割合で特徴的な劇症化を見せる肺炎が限定された地域で同時多発し、患者たちの発症部位から共通してこの原因っぽいのが見つかっている、そこまでだ。いろいろと既存類似例の医療対策が試されてはいるようだが、まだ決定的な治療法として社会に普及できるようなものは確定されていない。
 それどころか、ただの感染検査にしても、設備・薬剤として何をどこまで整えていいか一般解化できていない上に、そもそもおいそれと任意の人員・物品調達もできないで右往左往している段階なのだ。

 1億2千万人日本国組織は、『どうしようもない』と観念して助け合い、戦い続けるしかない。勝算に繋がる新しい発見が得られるのか、それとも何も解らないまま謎の発症者数の減衰が始まるのか。どっちも運を天に任せた確率問題であり、その具体的な事実展開も時期の予測もまるっきり見通し不可能である。
 事態なりゆきの判明都度、適性ある実力者が最善の判断を下す。これ以外ない。

 粗すぎる疾病対策の一般論にオモチャにも見えない概念図らしき落書きを添え、誰が何の権限と責任を持つのかもはっきりしないような半端な提言を言い訳がましくタレ流したくなる理由。それは、おのれらが普段から不正不始末で横車を押し通し、みんなの組織力をバカバカしく私利私欲に使い捨てていて、さらにそれが実はみんなにバレバレで見透かされているところまで自覚しているからである。
 偉ぶってみんなで決めるべき共用ルールを片っ端から勝手に決め、みんなの大事な税金で買収目的の飲み会なんぞやって優越感に浸り悦に入る。箱庭ママゴト帝国の支配階級を気取る自称上級国民は、この一大事に役立たずで黙っていると『これでは下民に示しがつかない』と気が気じゃないのだ。
 当面ほかっておくのが一番厄介が少ない。賢い日本国民は理解できていると思う。
 検察某職の違法定年延長もひとまずしっかりと見憶えておこう。今はそこまで、まず仲間たちの身が優先だ。日本国組織力MAXに火力集中で先を急ぎたい。
 上から目線の怠慢による初動遅れは周知の事実だし【818】もう結論は出ている。

 どうしても外出を避けたいおめでたのお隣さんの奥さんの代わりに買い物に行ってあげるとか、マイカーでも渋滞に捕まらずヒーターがんがんに効かして窓全開走行なら相互感染の心配は十分減らせるだろうから乗り合い部隊の足になってあげるとか、御近所さん同士で工夫して助け合えることは沢山あると思う。
 普段あんまり会話しない間柄の人なら、これを契機に一度話しかけてみれば良いだけのハナシだ。感謝と好意で受け止められる確率は普段よりずっと高いはずである。

 もう感染者の実数は公表値の二桁ぐらい上だろうが、困った時はお互いさま。
 邪心と隠し事の箱庭に籠城するのが一番危険だ。では皆さん、どうか油断禁物で!

 …と書いたところで、実にいきなり全国で学校休みだって?やれやれ、まったく。
 あほの巣窟は無能なんだから、せめて最前線の邪魔すんなっての。迷惑千万!
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【826】『絶対』の組織統計学 [ビジネス]

 社会的規模の危機管理においては、『なっちまったもんは、どうしようもない』という抗えない脅威に心を乱されつつも、最も効果的な情報源に質・量ともに最大のパワーを与え、手早く解りやすく発信させることがポイントとなる。誰が階層の上位だとか指示命令役だとか一切関係ない。
 とにかく大事なのは、『我々の社会組織がこの脅威と戦う。組織が勝ってくれないと自分個人が危ない』という組織観をまず普及させることだ。
 独りでは戦えない。自分が感染当事者であってもなくても、組織全体へのダメージ拡大を食い止めながら、知恵と力を結集した組織力が早く解決策を見つけてくれるよう、辛くとも組織稼働の最優先を目的にした生活に徹するしかない。

 未感染者が感染者を差別的に扱うのは、良いか悪いかは別として自然なことなのである。そこに人権侵害を論じるような他者の否定意識は存在しておらず、ただただ感染の拡大を防ぐため感染者を特定して接触を避けようとする行為が、社会における『平等』の概念に抵触するだけのことだ。そもそも未感染者が感染者を卑下しているのではないし、未感染者も感染すれば差別される側の立場となる。
 『やられたら死ぬかも知れない』という恐怖感にその行動の原因があって、いま確かに感染の可能性は現実なのだから、雲上の安全地帯で交わされる呑気な人権論議のおもらい漫談なんぞ誰も耳を傾けたりはしないのだ。
 現状においては、既に複数の感染者が五月雨式に日本社会の一般空間に放たれているのが確実だから、まさに『明日は我が身』でいわゆる差別的と映るような態度は控え、感染者・未感染者の双方で知恵を絞って流行の拡大を食い止めつつ、お互いの生活を成立させるのが賢明である。
 行き詰った困りごとやハタと手を打つ妙案など、高速大容量通信を駆使して共有し助け合いながら、社会の組織力が少しずつでも改善策の現実解を構築し公開周知してくれるのを待とう。

 もう手遅れで『ついやっちゃった』人は、気が落ち着き次第、それでもやはり感染には十分注意しながら『ごめんなさい、感染が怖くてつい…』と荒らしてしまった社会規範を修復しておくのが自分のためにも良いと思う。一期一会の行きずり相手だった場合には、ネット空間へのつぶやきで謝って一応でも清算することができるし、逆に嫌な思いをさせられてしまった場合には、ネット閲覧でそんな後悔に触れてやりきれない不快感を和らげ、自分の精神状態を安定させることができるだろう。
 いざ社会の組織力がせっかく『効く』現実解を提供してくれた時、自分たち大衆の仲間意識が荒んでしまっていて思うように一致団結で動かせない…などという哀れな事態は、この日本国組織には相応しくない。

 病原体感染症の脅威について専門的な知識を持たない我々一般大衆は、こうして各々の立場で、やれる限りお利巧さんに徹するところまでがせいぜいだろう。
 いっぽう専門的な知識を持ち、特に最前線の事情をよく理解している方々には、社会組織内のどの部位がどう振舞ってチームワークを発揮すべきなのか、交通整理の素案のままでも広域発信していただけると有難い。組織生命体として勝率を上げたいのなら、これが最善の作戦である。
 例えば今の発症検知ペースで、設備と人員体制の整った大きめの病院なら、電話連絡を受けての出張外診チームを特命メンバーで作り、近隣一帯に急な来院を控えるよう宣伝した方が感染拡大のリスクを下げられるような気もするのだが。

 未知の病原体感染症が流行拡大するのはどうしようもない、敵は目に見えないし感染した直後は検査にも引掛からず発症もせずで感知のしようがない。数十人いや目いっぱい頑張って数百人単位の流行範囲なら、かなりの強硬策まで使って個々人の行動管理が可能だろうが、例のクルーズ船だけで既に3,700人もいる大集団だから、もう何をどうやっても絶対に抜け漏れは出る。
 正規分布で捉えて確率問題で語る『組織』とはそういうものだ。『絶対』ということは実に滅多にないのであって、公的言論で軽々しく断ずるのは云々…みたいな理屈を持ち出すのは、今の場合ヒマ人の禅問答遊びでしかない。

 クルーズ船の中では接触感染・飛沫感染以上の感染モードで拡がっていたと推察するのが自然だし、だとすると、船室すべての送・排気を独立させるぐらいの勢いで相互隔離せねば感染は食い止められないはずだ。だがいくら豪華客船だからといって、そんなところにそこまで手の込んだ造り込みをしてあるはずもなかろう。
 いわんや騒ぎが起こって間もない初期の頃は、予期せぬ不遇の旅程延長をマイナス印象にしないため、船内でむしろ優雅かつ豪勢に過ごしていたくらいだから、全員が一度はウィルスを体内に迎え入れていて不思議は無いと思われる。
 つまり検査で陰性を確認して下船したものの、後に陽性に転じ発症に到る乗客は、絶対にいる。最初から判っていたことだ。
 豪華客船の豪華客船たる施しが途切れた船室に缶詰状態を強いられた御本人たちにしてみれば、下船できてようやっと生きた心地に戻ったことだろうが、そのまま社会の一般空間に溶け込んだとすると、日本社会組織にとっては感染拡大のイチ経路となってしまう事実を忘れてはならない。
 何の理屈をどう捏ねようが過去に立ち戻れない以上、日本社会全体で力を合わせて、冷静にこれ以上の被害を拡大させない現実を作り込んでいくのが、我々日本国民にとっての唯一解だと思う。

 乗員・乗客3,700人といえば大人数であり、あの船内の様子からして不備を判ってのその場しのぎの対応作業で精一杯だったのは確かだが、だからって数十人規模を検査漏れで下船させるような凡ミスは到底あり得ない。
 認めたくないが、日本社会のあらゆる最前線が死力を尽くして感染拡大を食い止めにかかっている反面、どこか違う場所から、日本国組織の生き残りをかけた戦いに邪魔が入っている形に見えてしまう。なぜこんな疑いが湧くような不可思議が起こるのだろう?

 まだしばらく事態の動向を経過観察したいので、今回はここまで。
 みんな怖いし、嫌だし、面倒くさいし、辛い。でも逃げられない。
 組織力のため、我慢も努力もできるヤツができるところから。それが現実解だ。
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【825】納期不明の『安全安心』保険料請求書 [ビジネス]

 今般の新型肺炎の流行拡大の件、いろいろと大変なことにはなっているが、まずこれは『誰かがちゃんとやっていれば社会的な問題にならず、すっかり無事に済んだはず』のものでは絶対にないことを確認しておこう。

 エマージング・ウィルスによる『突発性』の感染症流行なんだから、そもそもが構えの無いところにガツンと来るのだ。ズバリ初対面の未知の病原体ありーの、いつだったかどこだったかのヤバい遭遇の記録はあるものの日常的には完全なる他人事になっちゃってる病原体ありーので、いずれにせよ構えが手薄になるくらいだから相応の疎遠さにはなっている。ある日そいつが不意討ちをかけてくる。
 こんなものに無限の想像力で普段から予防策を布き始めたら、想像力が膨らめば膨らんだ分だけ、掛け捨ての保険を青天井で積み上げていく破滅型心配性の社会風潮に陥ってしまう。元々が『ここまでやれば一応大丈夫』の及第点ラインがはっきりしないものなのだ。
 『オマエ、結局は自分に当事者意識が無いから好きなコト抜かしてんじゃねえかよ』と批判されるのは承知の上で、危機的感染症パンデミックの損害は『いざ現実のものとなったら、どうしようもない』が原則だ、と言い切らざるを得ない。

 恒例のちょっと横道を挟んでおくと、これは自然災害を相手にした『防災』も同じことだ。
 『防災』というコトバは結構タチが悪く、『防災』の金科玉条の合言葉のもと、『かけがえのない人命や財産を守るため』と理由付けてしまえば正しく美しい日本語の文章はいくらでも組めるのだが、だからって実現性や採算性の概念が別次元に消えうせることは絶対にない。日の目を見ない大規模公共工事や、ビフォー・アフター何の効果代も無いやり散らかしアイテムは、この世の現実の所業の結果として何の意味も持たず、全てはただの損害に終わる。
 まあこの類は『まぐれで一度でも効いたら大喝采の救世主』『不運が重なってでも効かなかったら無駄な粗悪品』の製品寿命を送るので、宿命的に結果論としてしか語れないワケだが、だからこそ我々は徹底して費用対効果に冷徹でなければならない。
 社会組織がオオヤケ事として扱う機会が多い『防災』なる活動において、同時にその社会に流れる『経済』という概念の空間を維持するつもりならば、確実に採算性を成立させなければならないのだ。維持管理費およびランニングコストまで含めてかけるべきはかけ、いざそれが本当に必要となった被災の局面で、意図通りの現実を巻き起こして『防災』の効果を発揮する保証がされなければ、所詮ただのママゴトお遊びである。
 自然災害の来襲も、基本は『どうしようもない』のであり、だからこそ『防災』はその実効頻度と実質効果を計算し尽くしたシビアな採算性・実現性をもって、安定的に社会で維持できるモノであることが絶対要件となる。

 さてハナシを病原体感染症に戻そう。
 どうしようもなく起きてしまった感染症流行の勃発に対して、何よりまず『採るべき対処の現実解を、最短時間で動かす』という目的事象それそのものは明確である。起きたのはしょうがないから、いかに対応が速いか。
 わからない専門領域のコトはわからないままにケース・バイ・ケースになっちゃってやむなしとして、常識的な知識を組み合わせてやれる限りのコトは、ありったけのコトをやる。これが現実だろう。
 実はその局面に向き合いこの課題事象だけポンと与えられて、そこらへんのあの人とこの人、技術職と営業職、若者と高齢者、オトコとオンナで、具体的行動規範が違ってくるということは、まずあり得ないはずなのだ。まあ子供と言われる年齢のうちにはインフルエンザが巻き起こす社会現象を体験するだろうし、目に見えない『バイキン』がどこでどう自分らに侵入してくるかも一度は考えるだろうし。
 要は、感染拡大を防ぐためにやらなければならないコトは割と誰にでも簡単明瞭に判る、だがそれをかっちり守るには、自分を含めて誰かが果てしなくつらい思いを強いられたり、工面の目処が到底立ちようもないカネがかかったり、大切な上客を手酷い囚人扱いにするしかなく後々に死ぬほど面倒くさいことになる心理的重圧がのしかかってきたり…これがネックとなるのだと思う。
 他人事だから言えちゃうんだけど、人間の気分の問題、都合ばっかりじゃん。

 少なくとも感染症流行の初期段階において、その後の拡大を最小限に抑えられるかどうかのカナメは、『必要と思われる対応策を、人道を捨て問答無用で強制できるか否か』にかかっていると断じてあながち言い過ぎではない。そこには人権も社会的地位もない。法律も良識もない。
 何しろ、かかったら、やられるのだ。ガチで人命が危機に晒されるのである。

 こんな時人々に強制力を主張できるのは、主張してみんなが本気でその必要性を認め従うのは、医療現場の衛生管理や発症者の対症療法に関する知識を持った専門職の人たちであろう。
 いま現在進行中の本件を見ながら気になるのは、『かかったら、やられる』という防ぎようのないガチンコ脅威に対して、医療現場の判断力が、法律だナンだのたかが人為的な情報処理に優先されることもなく、いかにも不明瞭な能力不在・責任不在のなりゆき意思決定で物事が動いているように見えることだ。

 気になるのが、例のクルーズ船の内情が動画でネット公開されたはいいが、その動画が後すぐに公共閲覧の場から削除されているというハナシである。
 そんな特殊環境の出来事を一般社会空間の日本国民にばら撒いて不安を煽っても建設的な展開は望めない、一度内情を知らしめたらお役御免…という理屈は確かに成り立つとは思う。だが、現場の意思決定の仕組みが確立していなかったがために現場がどんなことになっていたかの現実の記録は、やはり人目に触れるところに置いておいて良いのではないだろうか。

 ちょっと他の事柄の動向も経過観察した上で合わせて述べたいので、今回はここまで。人間どもの願望などとは無関係に、率直なこの目前の現実に対する見解として、まだ流行は拡がると思う。
 皆さま、くれぐれも御用心を。私も気を付けます。
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【824】役立つリスクと役立たない掛け声と [ビジネス]

 我ながら感心しないコトバの選択だが、予想した通りの展開になっている。
 幸運にも、とにかく組織生命体・日本社会の自我が賢く落ち着いて事態に向き合っているので、この機会に病原体感染症と社会組織について話を進めておこうと思う。まずは前回のフリから片付けよう。

 プリオンなる謎の蛋白質性生体素材が感染原因とされる海綿状脳症、もともとは羊や山羊の病気だったのだそうだ。この病気にやられると全身に痒みを感じるらしく、体じゅうをそこらにこすり付けて、羊なんかは大事な商品になるウールが擦り切れてボロボロになるのだそうで、畜産業者の間では『スクレイピー』と呼ばれ嫌われていた。
 ふむ、病変部位は脳、せいぜい脊髄までというから、だとすると『痒み』なるものはそのあたりで意識に乗っかってくることになるんだよな。『痒みは脳で感じる』ってことなのかな。

 長らく『痒み』と戦い続けてきた我が身を顧みるに、少なくともステロイド離脱過程における『痒み』は、体内でもう不要品とされた体組織を、いち早く搔き出して捨て去るためのニーズ信号であると感じる。
 その発信源は不要な体組織を含有した当該ローカル部位であり、それを受信検知して、それに応える形で、恐らくは脳が制御信号を発動し手が引掻き動作にかかる。何度も何度も狂おしいほど辛い思いをしながら、これってゼッタイ痒い現場の訴えと人格意識の対話だよな…と確かめ直したものだ。
 う~ん、脳が病変して、果たして全身に『幻の痒み』を感じるものなのかなあ。

 もちろん私は海綿状脳症ではないワケだが、それにしても脳だけで引掻き衝動を起こさせる『痒み』感覚が完成するのなら、途中の伝達経路に適切な操作を加えれば『痒みには苦しまず、ただ患部をほかっておく』という理想が実現するはずだ。
 まあこの知識があったゆえに、掴みどころのない苦悶の暗闇の期間、思考で意識を繋ぎ留めながら戦えたのは良かったと思う。いまタイヘンになってる方、この先の一歩を考えながら頑張ってください。
 いま離脱初期の果てしなく激烈な痒み感覚は、苦しい時間を過ごした事実の記憶としてしか残っておらず、どんなに集中して記憶を辿ってもあの引掻き衝動の気持ちを再現することができない。

 冒頭に戻って、こんな不可解な『スクレイピー』のなきがらなのだが、恐らくウールの品質さえ落ちなければ、羊さん飼料の蛋白&カルシウム源にするのに抵抗はあまりなかったのではないだろうか。これが誤って、普通の感覚なら避ける食用家畜の飼料に混入されてしまったのだろう。
 この一連の経緯をよく理解し、決して油断してはならないが、食用肉加工でのリスク除去方策が確立しており、実際人間への経口感染例も確認されていないのだから、発症した牛の映像をマスメディアで流しては『狂牛病』と呼び合ってむやみに恐れた当時の社会風潮は、決して賢明なものではなかった。
 ポイントは、安全の信頼度は高いに越したことはないけれど実用の限度があり、いっぽう感染症流行の危険を回避するに十分な理屈と実績が揃うなら、それで実用の目的に足るということだ。

 これと逆なのが、今般の新型肺炎の事例である。
 まだ感染も発症もメカニズムが見切れていないのに、この全国での感染者急増の現状をして『国内での流行を認めない』というのだから呆れる。認めるといろいろ面倒があるってことなんだろうが、無知無能の古電球が不見識で初動を誤ったまんま、あほの巣窟は学習することを知らない【818】
 例のクルーズ船を見るに、確証は無いものの、やはり香港からの少数の乗船客がウィルスを持ち込んだ可能性が高いと考えるのが順当な推察だろう。だとすると、その後の陽性確認数の推移からして、単なる飛沫感染や接触感染よりも相当強い感染力の現象モードで拡がっている可能性を疑わねばならない。

 何しろ相手は生存競争バトル真剣勝負の実力派だ。脅しもなだめすかしも一切通じない。
 感染も発症もそのメカニズムが解明されてこそ、その因果を辿って原理的・根源的な対策を講じることができる。そして都合よくその普及策の現実解まで見つかって、ようやく社会が胸を撫でおろすのだ。
 つまり『現時点では、どうしようもない』のである。まずこれを肝に銘じて観念するのが『病原体感染症に向き合う、イロハのイ』となる。
 こんな時どう戦うかに、組織マネジメント能力の在り処とその力量が露わに見えるものだ。

 現時点で『専門家』の看板を背負わせて医者や学者に対抗措置をしゃべらせたところで、一般論を超えるものは出て来ようがない。予防のための生活規範にせよ、感染の自己診断チェック基準にせよ、感染・発症メカニズムの解明も叶わないまま目新しさを取り繕った情報だけでっち上げても意味は無いのだ。いま1億2千万人日本国組織は、そのくらいちゃんと理解しているから冷静なのである。
 既に緊急体制でメカニズム究明を進める現場の存在を知って、おのれの寝言が何の実効力を持たないことも承知して、『感染経路が見えなくなってきた』だの『感染を疑う受診の目安の設定を指示した』だの、あほの巣窟は職責を繕ったつもりの幼稚なテイで、無駄なカラッポ発信ばかり繰り返している。
 いつも横車を押し切って威張り散らしている箱庭ママゴトのお父さんは、実力者相手にマジに怖いことになった途端、自分は追及を受けない安全地帯にそろりそろりと後ずさりし、当たり障りなくそれっぽい風を装った態度でもって、誰かが決着付けてくれるのを待つばかりだ。
 こんな奴等、これをもって国家組織の運営議論に絡むに値しないと見限っておいて良かろう。

 ともかく当面、我々日本国民は自身の健康に注意しながら冷静に待つしかない。冷静な判断力の維持・整備は、更なる危機の来襲にも好転の兆しにも、協力し合い日本社会の組織力で現実を動かす実効解となる。
 どうしようもない時には、どうしようもない時にこそ見える物事を見る。
 『熟慮して知見を蓄える時間』と捉えて、逆転の瞬間を待つのが吉だ。
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【823】見切れぬ一本の勝率メンテ [ビジネス]

 今夜になって急に報告例が増えちまったなあ。さらに病原体感染症の話題を。

 感染時の発症モードや病原体の感染力、駆除対策の決定打性・普及性などいろんなファクターが介在するので、病原体感染症の流行規模・期間を横並びで単純比較する視点はあんまり意味が無いのだが、ハンタ・ウィルスの仕業とされる『梅田熱』のケースでは【815】、昭和30年代の後半5年間くらいにわたって百名余りの感染者が出ている。犠牲者は2名とされる。
 比較的小規模ではあるが、裏返せば都会中心のかなり限定されたエリアにおける三桁人数の流行でも、数年間の発生が続いた事例があるということだ。無駄に悲観的な予測を拡げてもしょうがないのだが、ここの御贔屓さま方は『現実およびその先の可能性』に余計なバイアスをかけず、冷静に御理解いただけると当て込んで話題を掘り下げよう。

 今般の新型肺炎は流行が拡大中なのであり、例のクルーズ船はともかく日本本土については、感染例が『まだまだ確認され始めの段階』という印象が強い。感染症の流行は、ある程度拡がってタイヘンな事になって、そうすると症状の重さも正規分布でばらついて、ならば逆に一定以下の症状レベルで済んでしまう人たちが社会に増え始める。
 そんな人々が命を落としたり長期に苦しんだりすることもなく、日常生活のペースを崩さずに動き回って軽症の感染を流行させると、だんだん重症化する前に抗体を備える人が増えてきて、いずれ重篤症状の新規感染が減ってくる…とまあこんな素直な説明ができれば良いんだが、実はその裏付けが取れないままよくわからずに流行が収束してしまったりするのだ。エマージング・ウィルスの流行はどうにも始末が悪い。

 正直、東京五輪の開催時点できれいさっぱり安心安全の空気が戻ってきているとは思えない。というか、まず東京五輪に来ようと思う時点で『十分に大丈夫』の事実認識が確立していなければ、いくら医療や救急救命がしっかりしているからといって、観光客は日本に滞在する旅程が組めないだろう。
 既に現実的な経済を相手に世を渡っている人たちは、最悪の打撃を想定して事業の採算合わせをしているはずであり、そこから幸運に助けられていくつマシになってくれるかの儲け勘定を積むコンセプトで動いているはずだ。実際そうしないと財務破綻が待っている。
 その実感を思い描くと判るが、いま国家運営層とされる領域から聞こえてくる日本語の数々、いかにトロくてヌルくて無意味なことか。

 当面のところは無事と見受けるので今のうちのハナシだが、こんな時おかしなイメージの新語を流行らせてしまって混乱に輪をかけるようなことにならないよう、世論は賢く注意深くなるべきだと思う。
 割と最近の例を挙げるなら、あの『狂牛病』という呼び名は今もってどうかと思う。脳神経系疾患の怖さばかり不当に強調されている気がする。

 もともと『狂犬病』という病気は有名だったから、もしかすると畜産業者の間では意外と古くから『狂牛病』なる呼称もあったのかも知れないが、少なくとも二十世紀の終わりごろ食用牛肉でその発生が疑われた時、このコトバを持ち出すべきではなかった。今さら言ってもしょうがないんだけど。
 その原因が解明されていないのは事実だが、日常の食肉処理工程に必要な対策を施せば、現実問題としては安全が確保できていたのである。
 ただあまりにポピュラー過ぎる牛肉だけに、随分と『狂牛病』の脅威を恐れるあまりの行き過ぎた風評があったと記憶している。例えば社内ケータリングの窓口に安全保証の言質取りをしようとするとか。愚かな光景であったことよ。

 かの狂牛病は、牛の脳みそがスポンジのように変質してしまい、運動失調で足腰が立たなくなったり時に暴れたりする病気である。問題はその原因で、現時点では病原性蛋白質=プリオン(Proteinaceous Infectious Particle感染性蛋白質性粒子)であるとされている。その名の通り、モノはただの蛋白質なのだという。
 A、T、C、Gもナニもない、つまり情報メディアとしての機能も揃わない、生体の構成素材である蛋白質に何かいけない病原性が含まれているというのだ。これが煮ても焼いても病原性が消失しないというのだから困る。
 家畜の飼料には蛋白質やカルシウムの強化のため、病死した家畜のなきがらも処理した上で混ぜ入れるという方策が採られていた時代が、以前に海外であったらしい。最初は羊の病気として知られていた感染症なのだが、いつしか牛の病気として拡がった…らしい。

 『人間の都合で家畜にヘンテコなモノを食わせたからバチが当たったんだ』とする戒めも聞いたことがあるけれど、まず本当にそんな厄介な病原体があるのか、そしてその病気が牛肉を食った人間にまで感染するのかについては、少なくとも私は確証例とされるものを見たことが無い。
 もちろんドンピシャの証拠が見つからないからという理由で安心できるワケもなく、現在は牛の食肉加工時に脊髄を空気圧で打ち出すなど、伝染して病変する可能性がある部位を除去して流通させているはずである。
 最近の若い人はこの狂牛病騒ぎを知らないだろうから、まずまず現状のやり方は妥当な管理であり発生を完全に食い止められていると考えて良かろう。

 このプリオンが起こすとされる海綿状脳症、実は感覚と意識の在り処について考えさせられるところもあるのだが、それは次回に送ろうか。返すがえす大切なのは、不安にかられて現実生活の妥当ラインを見誤り、本当に注力すべき感染症への対応策が手薄になるような失敗をしないことだ。

 まだ人知の及ばない存在形態で地球上の生存競争を勝ち抜いているヤツは結構いるんだろうな。『いのち輝く未来社会のデザイン』においては、機械くんやプログラムまで含めて『いのち』の定義を考え直すべきなのかも知れない。
 2025大阪・関西万博は『いのち』が味方してくれるかな。大阪の成長を止めるな。
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【822】ポンコツ暗号化演説とエリート聴衆の平和国家 [ビジネス]

 ちょっと心配だなあ。日本国内の一般空間での感染は恐らく尚も拡大中だろうから、ここは国民各自が社会を慮った良心的な自衛策こそ最も有効な現実解となる。とにかく日本列島を網羅する医療現場と救急救命体制の実力は世界一なんだから、その力を日本社会全域で最も効率的に稼働させる方法を各々の立場からトライしたい。
 この手の感染症に数週間の潜伏期間があるのは普通なんだし、やれ検疫だ検査キットだっつったって、採血した試験管にその場で試薬を一滴垂らせばさっと色が変わる…なんて都合の良い判定方法など無いのが普通だ。

 何だかんだでさすがニッポン、ここまでこれだけ落ち着いて来れたのだから、油断禁物にしても集団パニックを恐れる必要は当面無さそうだ。未知の致死性の脅威が感度の高い情報となって広域伝播し、人々の心の中=組織の自我の認識において、『大丈夫、自分は無事』から『次の瞬間、自分に来る!』と阿鼻叫喚モードに一気に反転した時、パニックが起こる。
 ここで気を付けておきたいのは、感染症流行という原因事象そのものが劇的に変動するのではなく、むしろ現実とは無関係に、人の心が一斉に転じるところにパニックの本質があるということだ。よって目前にどんな決定版の対抗措置を持ち出してもまるで効果ナシがあり得るし、信頼筋からの情報で安全を確信する動機付けだけ普及すれば、波を打ったように静まり返って収束というのもあり得る。

 血も涙も無い殺伐とした論理からのスタートだが、未知の感染症の流行がどこかで起こったとして、発症者を見た人たちが気付かず知らぬが仏で平常通りに暮らすなり、なんか怖いからと自分一人でその場を離れるなりすれば、流行の拡大スピードは確実に抑えられる。致死率100%の感染症だったとして、最悪その社会組織が丸ひとつ滅亡すれば事態の展開はそこまでだ。野生動物や太古の人類はこんな形で病原体たちに寄り切られ、生存競争に敗退していた。
 『病気』『伝染』の概念が公共情報化され、発症当事者になる前にそれが通信メディアを介して広まるため、文明を持つ人類は怯えて逃げようとして感染を拡大させる。野生動物に比べて病原体による大量死で自滅しやすい進化の道を歩んだとも言えるのである。もちろん追って『対策』『治療』の概念も同じく広まるため、文明はただのマイナス要素に終わる訳ではないのだが。
 ともあれ感染症パンデミックと向き合うには『情報』の扱いがポイントとなる。

 情報というのは、それ単独ではただ存在するだけで何てことなく、受信者の行動に影響して初めて意味を持つ。まさにウィルス=情報メディアの病原性原理と同じだ。
 情報は、それそのものだけ捏ねくりまわし磨き上げても結果に繋がらない。
 『正しい情報を、的確に理解できる優れた受信者に伝える』ことで、意図した組織的作動が得られるのである。
 いま1億2千万人の巨大生物・日本国社会には、『うろたえず現状把握に努めるのが賢明』とする常識が普及し、『きちんと情報の精度を見切って理解しよう』とする判断スキルも普及している。日常的に手厚い医療機関に囲まれて暮らす、整備の行き届いた組織風土だからこそ成せる技だ。
 現状の日本社会を見るに『優れた受信者』は十分に実現できている。だからこそ、『正確な情報』を迅速に展開する組織運営の姿勢が必要だと思う。
 何でもかんでも引掛かった事実について未加工のまま遅滞なく放出しろというのではない。論点は、この先の未来の日本本土での感染拡大を最小限に留めるために、我々国民がとるべき現実的な行動規範につながるような情報を出すべきだと言っている。受信者たる日本国民はパニックも起こさず自ら考えて、自分の実行動の選択に落とし込めるだけの能力は持っている。
 そのためのデスノート【472】開示とは何なのか、それが報道のコンセプトだ。

 個人的には…という枕詞を一応つけておくが、もう空気感染の心配をせねばならない段階にはとうに達しているし、だとするとマスク騒ぎなんかより気にするべき事実情報も違ってくると考えるのが妥当だろう。やはり事実として感染者が出た場所は避けるべきが基本であり、これを差別呼ばわりでおもらい議論を弄ぶヒマがあったら、感染拡大の可能性を最小限に抑える方が先である。
 現地の風評被害が痛いのは気の毒だが、最短・最小限の流行終息から再び持ち直す方が断然にダメージは少なくて済むはずだ。
 また『致死性は低い』『この騒動はいついつまでの見込み』と言いたがる姿勢には大いに疑問を感じる。まだ判らないからには『まだ判らない』と事実を伝えないと、この優れた受信者集団はますます公共情報を見放していくだけだぞ。

 未知の病原体感染症への対処は、『わからない』事実を社会組織の自我にいかに取り乱さず理解させるか、そして自組織の実力を信じて災厄の終焉まで待たせるか、がカナメだと思う。
 民間の量産製造業が市場不具合を出した場合など、真っ先に四の五の言わず原因事象を次々想定して、製造ラインで片っ端から打てる対策を打ってしまい、その後の発生状況を観察しつつ傍らで正攻法の現象解析が同時進行中…なんてのは当たり前の発想だ。『わからない』ままにでも、とにかく損害の発生を止めてしまい、後から必要な紐解きと処置の最適化を施せば良いのだ。
 逆にそれで不具合発生が止まらない場合は、それこそ一切の手段を選ばず次々と試行アイテムを捻出にかかる。その勢いでやらないと、量産ラインはみるみる不良品を増殖させ膨大な赤字を積み上げていくからだ。

 何度か垣間見た医療現場の現状が私ごときの想定以下であるはずもなく、つまり組織の実力はあって、そこに起こる現実を冷静に受け止める理解力も、上記の通り日本社会には備わっている。
 穴が開いたように見劣りするのは、組織運営層の立場にいる連中の空虚な一般論っぷりの言動と、公共メディアに溢れる役立たずのガラクタ情報ばかりだ。
 何故こんなことになるのかは、やはり実力の有無と、自身の信頼度の自覚にもとった情報の扱いに原因があるのだが、今その話はやめておこう。

 武漢在住とはいえ、遂に日本人にも犠牲が出てしまったようだ。
 ヒトのこと言えないが本調子でない皆さま方、慎重にも慎重を重ねてお大事に。
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【821】死闘で勝ち取った強迫観念のトロフィー群 [ビジネス]

 中国当局が肺炎感染に対する初動の遅れを認め、謝罪の声明を発表。確かに発症者の医療対処といい、生物学的原理に基づく発症および感染防止策の開発といい、現状自国の国力だけでは戦えないと見切ったのだろう。正しい判断である。

 人間の生体作動に対してどこがどう『新型』なのか明らかになり、感染を未然に防止あるいは罹患した際の治療方策の実効解が確立するまで、この社会不安は続く。それより先に新規感染者数が自然に減衰しゼロになってしまったら、今般に限っては幸運とも言えるが、いつか対策未確立のまま次の流行を迎えることになる訳だ。
 改めて、致死率・重症率と感染力を慎重に見極めながら、いま少なくとも日本国内では日常的な社会生活を根こそぎ犠牲にしてまでの対処行動は必要なさそうに見えるので、できる範囲の感染防御を心掛け自分の健康状態を注意深く観察するのが賢明である。
 ウィルス性疾病は我々の体内で感染部位を拡大して重篤化するから、早期発見で解熱その他の対症療法を施し、栄養付けて安静にして勝てるうちに自前の体力で駆逐してしまった方が、むしろ抜本的を期待できる自己防衛策になると言えよう。まさにそのコンセプトでわざと軽微な天然痘に感染しておくのが種痘だ。

 ペスト菌・コレラ菌や天然痘ウィルスなどは古くから人類を脅かしてきた経緯があり、民族まるごと絶滅した事例もあれば、大帝国の勢力が頓挫して世界史の流れが変わったとされる事例もある。史実が激しく交錯し今日に到る人種分布の世界地図も、感染症の流行が無ければ現在とすっかり違うものになっていたのは確実だろう。
 病原体感染症が流行したら、人間には見えない・聞こえない・触れないでどこからどう来るのか知る由もない。だから細菌やウィルスといった概念が無かった時代には、彗星に代表される特異な天文現象がその原因として因果づけられたりもしたと言われる。みんな天を仰いで祈祷の儀式に精出しているうちはまだいいが、悪名高き人類の黒歴史『魔女狩り』も、その一定数は伝染病流行の原因を個人の仕業に帰着させて『未知の恐怖』の不安から逃れようとしたものだったとする説がある。

 もっとも、情報に恵まれたこの現代社会においては、
  『まだ敵の分析も進んでいないし、科学力の出す結論を待とう』
  『完全撲滅とまでは行かなくとも、科学力以上の対処方策は無い』
 これらの認識が普及しているので、とりあえずは各自が我が身への感染の確率を下げようとして起こる混乱までで済んでいる訳だ。感染の危険から遠ざかろうとするのは良いも悪いもなく人間として自然な本能であり、故に社会組織のハンドリングもこれに準ずる方針で行わないと無意味に発散して失敗する。法律でどうたらこうたら理屈を捏ねたところで、誰にも響かないし誰も従わないのだ。
 圧倒的多数で『社会組織の自我』を成す大衆意識を相手に勝てる者など、この世にはいない。『組織の正義』こそ【787】、組織生命体の原理的本能が目指す現実の行方なのである。

 まず何よりマスクを装着したくなる心情はよく解る。
 だがここで今さら繰り返すまでもなく、微小すぎるウィルスを濾過する機能は殆ど期待できないし、飛沫感染の危険性を恐れるのは正しいとして、ならば他にも気の付け所はいろいろあるだろう。マスクだけして日常踏襲で暮らすくらいなら、どのくらい感染予防になっているのかよく考えていただきたい。
 そこが疎かになってしまっては逆効果でしかなく、いわんや悪徳ビジネスにつけこまれて被害にでも遭ったなら、感染症と関係ないところで一体ナニをやってるんだか目も当てられない。
 大衆社会の現場の最前線中の最前線=一般庶民は、どうせ個人の留意レベルでやれるところまでやるだけなんだから、効果を刈り取れるようちゃんと考えましょう。現実解はそこまでだと思う。

 当面のところ日本国内では集団パニックが起こる気配もなく、こんな時こそ日本人であることの幸運を確かめておきたいところだが、日本列島はたまたまお隣の大陸と日本海を隔てることになっただけで【404】、今般の肺炎流行源とされる武漢とはキホン同じ空気を吸っているようなものだ。今なお感染者の確認数は増加中というのが現実だし、今後の展開次第では日本国内でも不安が強まる可能性について油断はできない。
 非常事態につき緊急性のない問題提起は控えておくけれど、中国政府が対処の初動遅れを認めた事実をこれ見よがしに取り上げる反面、地理的にも時間的にも間近に位置する五輪開催国としての自覚も無いままに放置しようとした我が国の自己見識については、申し合わせのお約束で知らん顔を決め込む烏合マスコミが気色悪い。
 日本国内に流れる時間とはまるで無関係な横浜クルーズ船のことばかり勝手に劇場化して、一挙手一投足を逐一つまみ上げては、執拗におもらい雛壇のシロート漫談で遊ぶものばかり多過ぎるだろう。こんな無益でしょうもないもの誰も興味もないし、だいたい苦境の乗員乗客の方々に失礼だろうがよ。
 一般社会の現場空間を暮らす上での情報は、みんなスマホで連絡取り合い知恵を交換してオシマイだ。気心の知れた個人放送局の方が、よっぽど正確で役立つ報道メディアになっている【809】

 ところで『生物のウィルス感染』という現象、こんな人命沙汰になってようやく大騒ぎされるのだが、案外と普段はユルく受け流されているものなのかも知れない【815】
 例えば農作物を食害する幾種類かの虫には、その発生数に数年単位の山谷があることが知られていたりするのだが、他種の害虫の増減がシンクロする訳でもないし、それは当該種に特定で流行するウィルス性疾病が原因ではないかとする仮説があったりする。ああ、そうやって悠久の歴史を適切個体数で乗り切ってきたのかな…なんて。ならば人間の適切個体数っていくつなんでしょうね。

 病原体感染症と生き残りをかけて戦っているのは人類だけではない。そして科学力を持たず、おのれ身ひとつ生まれたまんまの生命力だけで勝負する彼等には、医療保険の不採算問題も、人口構成の高齢化問題も無い。
 2025大阪・関西万博で『いのち輝く未来社会のデザイン』を考えるなら、人間の勝手都合な情報的解釈から離れた、地球上の生体活動に関わる『種が現実を過ごすいのちの時間』について、直感的に湧き上がる感情を確かめる場があっていいのではないだろうか。
 それが地球上生命たちの『組織の正義』だ。久々に、大阪の成長を止めるな。
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【820】伝染性スキャンダルの流行速度 [ビジネス]

 何だよ、私の勘違いだったか。武漢帰りで2名ほど隔離と検査を拒否ったのがいたけど、最終的に応じたんだと思ってたら、結局のところやっぱり一旦帰宅しちゃってたんだって?
 …で、そいつらが後になってから検査を申し出てきたってのかよ?

 ハナシにならん。当事者のバカどもはもとより、むしろ行政の方だ。
 ナニが『現時点で法的拘束力は持てない』だよ、そんなもの問題ではない。現実としてカネをがめてもないV字回復の舶来社長さんに、これからカネを移動させようとする帳簿のつけ方が悪いと一方的に言いがかりつけて、国家権力が勝手に『違法』の根拠成立を言い放った時点で、弁護士もつけさせずにブタ箱に閉じ込めてたんだろうがよ?
 まったく、直接の反発感情を本気モードにして怒鳴り返してくる相手には、ただの一介の国民に過ぎなくても何ひとつモノが言えねえクセに、いわゆる『権力』をふりかざして徒党組んだ嫌がらせが通用するところにだけは、どんな横暴でもやって威張り散らしてるんじゃねえかよ、この無能フヌケのどクズ自爆テロ政権。

 まずは無駄に騒いでも、感染症流行という現象に対しては無関係なので、とりあえず全部パス。まさにその理由で、この状況下で仰天の改憲論議の起案も完全なる無意味につき一切スルーだ。
 人間の決め事ごときがどうたらこうたらの軽々しい問題ではない、それが理解できないなら社会性生物たる人間として生きている意味など無い。社会人も人間もやめてさっさとウィルス性肺炎で死んじまえ、生存競争を戦い続ける人類の迷惑である。
 この世を生き抜きたいなら、やらなきゃならないことはやらなきゃならない。それが法律という姿で情報化されているかどうかは、その次のハナシだ。

 さて、他のナニをさておいても手を打たないと本気でヤバい、こんなコトになるからこそ、病原体の武力転用は昔も今もなくならないのである。
 100メートルを9秒台で駆け抜けるアスリートも、たった一人で軽々と5人相手に勝利する格闘家も、吐き気や腹痛にはいとも簡単に屈服する。周囲からどう鼓舞されようが、どう罵倒されようが、自分の身体の機能が壊れて、あまつさえその自覚が体じゅうから五感で訴えかけてきている限り、人間はどうしようもなく稼働力を失う。
 病原性細菌ならば環境を整えて栄養を与えるだけで培養が可能であり、生物兵器が『貧者の核兵器』とも呼ばれるのはこのためである。高い伝染性を持つ病原体を敵地本土に拡散させることができれば、敵国のあらゆる人的能力を壊滅させることができるのだ。
 今般の騒ぎを見れば、その実効力に間違いのないことが判ると思う。

 だからこそ、実質的には第三者的立場の絶対レフェリー不在で、手段を択ばず『勝つこと』が無条件の目的となる国家間紛争においては、最終兵器としてコイツが開発されがちになるのだ。一応だが、国際的には『あまりに非人道的だから』という理由で、ABC大量破壊兵器=Atomic(核)、Biological(生物)、Chemical(化学)、にもとった兵器は禁止されている…ことにはなっている。
 まあ核兵器は開発も運用もカネが掛かり過ぎるし、生物兵器は稼働・非稼働を人間が都合次第に制御できないしってことで、保有や使用の実例が確認されるのは化学兵器が多かったりするのだが。

 もう最近の若い人はあんまり御存知ないかも知れないが、圧倒的な敵の物量軍事力を前に、どうしても戦争に勝たなくてはならなかったという行きがかり上、他ならぬこの日本国が大東亜戦争で生物兵器開発に手を染めた歴史を持つ。
 その事実自体がショッキングでもあるため不当に誇張もされ、特に自虐史観でかつての日本国家像を貶めたい左巻きにはテイ良く利用された感もあるのだが、日本陸軍の『満州第731部隊』がその代表的事例として有名だ。
 当時は日本領土だった満州ハルビンに拠点を置き、捕虜を使った人体実験や病原性細菌の強毒化開発を秘かに行っていたとされる。表向きには最前線で医療処置や衛生管理を司る『戦地の天使』たる非武装部隊ということになっていたが、実態はその真逆ともいうべき機能のものであった。
 とにかく猟奇的に膨らませられがちな史実であり、『人の心を失わせる戦争、凶悪な旧日本軍』のイメージ宣伝として極端な作り話も枚挙に暇がないのだけれど、昭和4年生まれの私の母親は、戦時中『満州奥地にそういう研究施設があるらしい』とする水面下の世論が確かにあったと証言する。
 電話もまだまだ庶民生活に普及しておらず、国内でさえ遠方の情報伝達は、どうにかこうにか電報に頼ってこなしていた時代のことだ。

 当時とは言え、こんなのはさすがに国内向けにも厳重に秘匿管理された情報だったはずで、私にとって『人の噂に戸は立てられない』という諺の揺るぎない実例として深く意識に突き刺さっている。
 どんなに専門的で、遠く離れた自分と直接接触の無い事実であっても、つい人の関心に乗っかりがちな事実ならば確実に社会組織に伝播・拡散する。何事も、自分本位の勝手な想定イメージなんぞ演じて狙い通りにみんながそう思い込んでくれるとでも思ったら大間違い、そのくだらない下心からサル芝居から、全ては明け透けに知れ渡っている。人が成す社会組織とはそういうものなのである。
 毎度毎度『シンシでテーネー』が常套句で御覧の通りのこの実態、世襲のガキも自爆テロ非国民政権も、国家組織に関わる資質がまるっきり欠落していることをよく確認しておこう。

 我々国民としてはまず、日本国組織の自我が浮足立ってしまい、被害を最小限に抑えるための判断を見失うようなことのないように、各自できる限りの対応策でおのれの腹を括ることだと思う。
 早く収まって欲しい…って、本当に大した理由もなく収まっちゃったりするから、エマージング・ウィルス感染症はそれがまた怖いんだよな【815】

 大した理由なく収まったものは、大した理由なく必ず再発する。
 生存競争30億年来の強敵は、平和ボケから立ち直れない日本国の自律心をどこまで叩き直してくれるのだろうか。
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