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【818】感謝と敬愛のバイオハザード防護服 [ビジネス]

 やはりパンデミックか。こりゃちょっと大変だな。
 記憶が冷めないうちに検証にかかっておこう。極めて真剣なハナシである。

 既に当該情報があちこち削除されているようだが、あほの古電球が『ヒトからヒトへの感染が確認されていない』などと実にいい加減なコトを抜かして、国としての対応姿勢を不真面目にはぐらかしていた。今ならまだ覚えている方も多いだろう。
 この失政、箝口令と証拠隠滅で無かったことにされようとしている感が漂っているので、日本国民は忘れずしっかりと記憶を改めておきたい。

 実は当時の段階で、いま結果的に俯瞰して『事実を見誤った』因果になってしまうような、そんな内容の見解が公表されたコトそれ自体については、いきなり非難するべきものとも限らない。
 いざフタが開いてみると、高い致死性と感染力を兼ね備えたウィルスだった真相が目の当たりとなった訳だが、少数の発症例が確認され始めた段階で、致死性×感染力の演算値とも言うべきパンデミック性リスクを見積もるのは概して簡単ではない。
 だからってパンデミックの恐れに縮み上がって毎度片っ端から安全策側に振っていたら、社会生活が寸断されるばかりだ。おまけに運悪く…というか、本当は運良くと言うべきなのだが、空振りした場合には、それで不都合を喰らった社会のあちこちから、半ば言いたい放題の集中砲火を浴びせられることになる。
 だから迂闊には動けない。それは確かにその通りなのだが。

 本事例については、当時『確定的物証に基づく人対人感染確認の結論が出ていなかった』だけで、むしろパンデミックの可能性は十分高いとするのが妥当な見解だったと見受ける。
 まるで『物証も無いのに動けるか』とでも抜かしたげな古電球の軽率な口調だったが、1億2千万人日本国組織に向け情報発信する立場として、明らかに不見識がゆえの油断が招いた、深刻な判断ミスではないか。
 心得ておくべきは、これは『政策を誤った、政権の失点』ではない。ママゴトのお父さん役を気取った無能な不適格者が、重大なオオヤケ発信をぞんざいに扱って失敗した『日本国政の形骸化』が問題の本質なのである。

 ともあれ、まず先に敵が敵だけに負からない基本事項から確認しておこう。
 これだけ高速大量輸送の交通網が発達した現代社会において、病原体感染症の流行が勃発したが最後、周囲一帯にいる人間がリスクから抜け出し安心するのは不可能である。思いつく限りの感染回避策を取ったとして、それ以外の見えない・気付けない感染ルートが必ず残るからだ。
 我が身への感染の危険が避けられない以上は、むしろ治療方策が優先的に集中する現地付近の方が、安全とは言わないまでも『間に合う』初期対処の期待値は高いくらいである。とりあえずは外出を控えて混乱の収束を待つのが正攻法だろう。
 ただ難しいのが意外なほど早期に訪れる飢餓であり、充実した物流によって在庫最小で維持されていた食料品はいともあっさり底をつく。食糧が尽きたら嫌が応にも外出せざるを得ないが、その頃には近隣周辺のあらゆる食糧は尽きており、いっぽう感染症の流行は進展していることになる。
 こうなったら『こうすれば安全でいられる』という絶対的な正解など無い。ありったけの情報を元に自ら精いっぱい正しい判断を下して、SOS発信しながらその場で救助を待つか、自力で移動を試みるか、それとも他に最適解らしきものを思いつくか。

 まあ完全な感染予防策と治療法の確立までは無理だとしても、当面『コトの大局の行方をこう持って行って、事態の最小化を図ります』ぐらいの緊急措置はナニガシか決まるだろうから、情報を待ちそのコンセプトに乗っかれば社会の組織力には効率良くあやかれる。とにかく焦って直情的な行動に走らないことである。
 このあたり、地理的にコンパクトで国民の一般教養も普及している日本社会が絶対的に有利なポイントであり、困ったことに、だから中国人が謝りながら逃げ込んできたりもするのだ。

 我々日本人がよく見ておくべきは、彼等は自国の医療機関や危機管理政策を信用できないがために、安全な日本社会を目指して来てしまっているという事実である。
 あなたは、仮に日本国内に感染症の流行が確認され、それが国際空港を通して海外まで拡がりつつある段階に到ったとして、いち早くどこか国外へ逃げ出す気が起こるだろうか。この日本国以外のどこか、より安全な他の国へ。
 そりゃ地域性はあるにしても医療機関は整っているし、小型機やヘリコプターの空輸とスクランブル出動が全国を網羅する。孤立して飢えても必ず誰かが見つけて、食糧を届けるなり救出に動くなりしてくれる。全国普通にこんな期待が常識になっている国など、他にそうそうは無い。

 武漢では人々の行動を統制するために軍が出動するまでになっているようだ。銃でも突きつけないと感染症の恐怖にかられた人間の行動を統率できなくなっているからであり、現状やむを得ない。
 だが、もし感染症の恐怖を上回るほどの安心の根拠が現地に持てていて、信頼度の高い真実の情報としてそれが周知されたなら、こんな惨状には陥らないはずである。
 武漢といえば製鉄で栄えた大都市だし、医療機関や救急救助体制のレベルは決して中国国内で低いほうではないと思われるが、実質どんな程度なのかはよく知らない。とにかく現地の人々の信用には足りていない。
 問題は、普段から国家権力が国民の心情に沿わない高圧的・一方的な情報統制ばかりかけていて、国民=社会組織の自我から信用されなくなっていることだと思う。銃を突き付けて、ああしろこうしろと指示したところで、国民の心中に拡がる不信は募る一方にしかなり得ない。
 隙を見て、違う行動に走る奴が散発する。大衆操作の精度も成功率もガタ落ちだ。

 ガチ本気の本気で、自分の国の大事な仲間たちが安心して暮らせるように、普段から信頼ある正直な実力者が手を抜かず尽力しながら発信するから、社会組織はいざ危機に直面してその現状に観念し覚悟を決め、みんな協力して負担を持ち合って、組織全体として最高の現実解で戦う勇気を奮い起こせるのだ。組織と個人の生存本能が一致する場には、一切の非常線管理も武力統率も不要である。
 今般のウィルス性肺炎への対応、どこの誰がどう動くのかよく見ておこう。感染症の流行は、大衆に隠すと事態の不測の悪化を招くため隠せないし、ならば隠さず大衆パニックも起こさせず、を両立させねばならない。
 『信頼と実力』で保証された組織に帰属する安心のもと、国民が集う。国政の基本だ。

 今日の日本社会は世界的にも類まれなる安心安全の生活空間だが、それはひざまずきたくなるほど真面目で優秀な医療機関や救急救助体制の現場力あっての信頼性なのだ。
 こんな凄い現場力に恵まれて、この自爆テロ非国民政権は何をやっている?
 日本社会の現場を繋ぐ自由な通信網に情報統制などかけられてはならない。
 我々日本国民の全員が心して死守すべき、安心安全の組織風土ですぞ。
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