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【815】見えない災厄と理性バリアーのシーソーゲーム [ビジネス]

 他の話をするつもりだったのだが、ちょっと気になるのでウィルス性肺炎の話題を。肺が炎症を起こす疾病を総称して肺炎と呼ぶ訳だが、今般のこれはウィルスが原因なのでウィルス性肺炎ということになり、どうやら新型のコロナ・ウィルスなのではないかと言われている。
 ウィルスの病原性についてはかなり以前にここで解説しており【228】、つまりそれ単体で生命活動を完結できる『生命体』ではなく、パソコンに感染してその機能を狂わせるウィルス・プログラムあるいはそれを仕込んだディスクやメモリーチップのような『情報メディア』だ。そして感染した相手の生命体機能でもって悪さをしてまわる。

 端的に、この世を人間として生きていく以上、目視できない病原体から自分を隔離するのは不可能である。奴等がどこにいて、いつどんな方法で自分の身体に入り込んでくるのか確認のしようがない。大抵は潜伏期間なるものがあるため、感染直後から発症するまでの間、感染当事者は何の自覚もなく公共の場に盛んに出向いて、人々と交流しながら社会生活を過ごす。誰がウィルスを持っていて我が身への感染範囲内にいるのかも判らないし、ドアノブや電車の吊り革など接触履歴が感染経路になるような場合、それを完璧に防御する操作は成立し得ない。
 昨今でこそ季節性があやふやな感が強いが、インフルエンザの流行が冬の風物詩だった時代には『インフルエンザ・ウィルスは夏の間どこに潜んでいるのか』が大いなる謎とされていた。というか、今でもそれは解明されていない。
 従って、ウィルス性疾病にやられたくなければ、もう遭遇することは前提として、自分で身ひとつの病原体駆逐能力を最大限強化するのが現実解となる。

 地球上のある場所で突然に現れひとしきり感染者を続出させた後、いつしか収束に向かい最後の感染者を残して姿を消してしまう。もちろん共通した感染症状が急増し流行の可能性が確認された時点で、医療機関は治療法の確立に向け努力するのだが、これが成功しないまま自然治癒と犠牲者だけを結果に残して流行が収まる事例も少なくない。この突発して消滅する姿をもって『エマージング・ウィルス』と呼ぶ。
 その昔は知る人ぞ知る少々カルト的知識とされていた病名だが、アフリカ発の『エボラ出血熱』や、日本でも昭和の終わりに同じくアフリカ旅行者が持ち込んだ事例のある『ラッサ熱』などがこれにあたり、その高い致死率で恐れられている。まあ恐らく結構な頻度でウィルス感染症の流行は起きていて、大したことないやつは人間社会で認知されないだけのこと、という理解が正しいのだろう。
 昭和30年代後半には大阪キタの繁華街で謎の高熱病=『梅田熱』が流行した記録があり、大都会の中心地とはいえ当時まだまだ衛生管理が進んでいなかった事情もあって、ネズミがハンタ・ウィルスの一種を媒介して起きたものだといわれている。

 数年前、某所で感染症研究所の建設計画が持ち上がり、地元住民の激しい反対があったと報じられていた。そりゃ感染性の病原体がサンプルとして持ち込まれることにはなるのだろうし、さらにそこで研究・分析作業が常時行われるとなると、万が一事故が起こった場合はその研究所が感染症の流行源となる。ゆえに危険なので持ち込むなというロジックだったのだと思う。
 だが感染性病原体の場合、何しろその危険が現実のものとなってからの被害状況、及びその結果系全般を観察して事実関係を追い上げ、とりあえず事態を把握できるところまで把握し、やれる範囲で現地毎に対処を決めていくしかない。患者たちの容態は悠長に待っていてはくれない。

 確かに日本のどこかで感染症が確認されたら、もちろん真先に当該研究所に、わざわざそのサンプルが持ち込まれる流れにはなるんだろうが、持ち込み経路およびその周辺の衛生管理は徹底されることになる。どんなに徹底しても流行に関わる事態が完全解明されるまで安心はできないから、あらゆる可能性を視野に入れて頻繁にチェックがなされることにもなる。更にこのテの施設は全て建屋内を負圧に保つようにしてあり、要は施設から空気感染が拡がる確率は構造上なくしてある。

 研究所を何百キロの彼方に追いやって気分的には安心できたとして、ある日お隣さんがバイオハザードの防護服を着た救急隊員に運ばれていったりしたら、果たして間近の研究所を眺めて過ごす心境とどっちが安定しているものなんだろうか。
 私自身、感染症研究所の建設計画なんかとは無縁の場所に住んでいるので、結局は無責任な他人事になってしまうのだが、それにしても危険な感染症が流行する可能性をひとつの地域安全性という尺度で測るなら、ただ直感で覚えるその拒絶反応は、知識となる情報を得て熟考するだけで解消する可能性があることを認識しておきたい。

 ところで最近だとSARSなるウィルス性肺炎の一件が記憶に新しい。あれもコロナ・ウィルスが原因であったといわれている。あれの再来なのか、それとも別タイプのウィルスによるものなのか。
 ウィルスは繁殖…という表現は生物じゃないので正確ではないのだが、二次以降の子・孫複製の精度が低く、どんどん亜種や突然変異体を作り出してしまうため、ナウ目前の対象個体の由来も過去の医療実績の適用度も判定が難しい。インフルエンザなんか大別するだけでいきなり3種類ぐらいにはなってしまい、その年の冬にどのタイプが流行するのか予想して、シーズン前に予防接種の仕様が選ばれていたりする。

 冒頭の『インフルエンザ・ウィルスは夏の間どこに潜んでいるのか』という疑問だが、実は私なりにその答の可能性を感じる話を、ちょっと前に聞いた。オカルトというにはあんまりなのだが、ビミョーに前衛科学っぽいところもあって、このあたり最先端の研究がどうなっているのか知りたいところでもある。

 勿体つけるのは好きじゃないので先に明かすと、『どこにもいっていない』というのがその答である。そこらにいるはいるんだけど、バラけてウィルス・プログラムとして成立しない状態になっているという仮説である。ちょっとボリュームが嵩みそうなので詳細は次回送りにしてしまおうかな。
 ともあれミクロサイズの病原体による感染症は、まず個々人が反射的に対処行動を起こしたところで、社会組織が予測のつかない非常事態の混乱に陥るばかりだ。流行が拡大する過程の正確なリアルタイム現象把握がそもそも観測できず不可能なのに、社会組織の自我が浮足立ってイレギュラーな忘我モードに陥ってしまっては、なおさら何もかもが混沌として解らなくなり全ての対応が大幅に遅れてしまう。

 このあたりオオヤケ周知の是非に始まり『こうするべき』という正解は無いと思うのだが、かつてのSARS対応での大阪橋下政権は、確かいち早く入国者向けに健康状態の書面問診とサーモビュアの発熱チェックをやったんじゃなかったっけ。
 当時はその実質有効性を疑問視し、無策お手上げを避けるためだけのその場しのぎと揶揄する声もあったが、私はそうは思わない。『社会組織の危機感』がカギだ。
 まあいいや、続きは次回にしましょう。大阪の成長を止めるな。
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