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【814】不死身な理系の未来政治学 [ビジネス]

 ホームで電車を待っていたら近くで『ゴホン、ゴホ、ゴホン!』と咳き込む声が聞こえた。
 その昔、このシチュエーションだと咄嗟に『風邪もらうとヤバいな…』と不吉を感じて、まず列を抜けその場から距離を置いたものだ。そんなことをしたからといって本当に風邪の原因から離れられているはずもない訳で、結局は何となく風邪っぽく感じ始めて発熱と倦怠感に鼻水・鼻詰まりなど一式の定番ルーチンをやり過ごしたその後、中途半端に咳だけがしつこくしつこくいつまでも尾を引いて、暖かくなるまですっきりしない、そのうちいつ治ったのかもよく判らない…これが恒例の展開になっていた。

 振り返ればもうここ何年も風邪を一度もひいていない。ヤク離脱に伴う喉荒れや扁桃腺の腫れは今もそれなりにちょくちょく起こるが、いっときを通り過ぎればその場で明確に解消する。
 かつては自分の外見があまりに酷過ぎて、自分自身は開き直って済むが、一期一会にしても出遭う相手の方が辛かろうと不急の外出を控えたりもしたものだけれど、そんな苦節の数ヵ年をやり過ごし、普通に外出できる日々が当たり前になった今、もらい風邪の危機感と全く無縁になっていた。

 私は決してケッペキ気質のタイプではないのだけれど、いつしか日常空間で出遭う病原体につい身構える習慣がついていたように思う。どうにも爽やかに治っていかないので、ちょっとした小さい怪我もプチ憂鬱のタネになっていた【610】
 だがさすがは私、実に7年強を経過してなお不便も多々残るが、見定めた方向に間違いは無い。自覚ナシのヤク漬けで自由自在に動き回っていた過去のあの稼動状態は、この先の人生を走り切るに耐えるコンディションではなかったのだ。何か月も風邪薬買って、何枚も鬱々とバンドエイド交換してられるかよ。

 もっともここまで来ているのに、情報処理機能が安定した快調を取り戻せず、何事も本気で楽しめない・モノ作れない・音楽できないの自分が悲しい。これは心臓および脊椎タテ一本の回復が完了していないためだが、確かに人格意識領域の原動力は、このあたりにその中核があるようだ。知覚した情報を得て、ゼロからナニガシかの動機を起こす情報発現の原理プロセスが何かあるぞ。
 背中面のぴたり心臓位置にある古傷が、繰り返し腫れて張って痛んでかぶれ続けるので、これの終息との相関がいずれ確認できるだろう。社会を生きる人間としての情報処理機能のトラブルについては、どうやら見かけがマシに収まってくる断薬5年目以降の方がタチが悪くなる感じだな。いま頑張ってる方、覚悟と準備を。苦痛は軽くなるが対処が超難しいです。

 2025大阪・関西万博のテーマは『いのち輝く未来社会のデザイン』だが、現行文明社会が生物・人間に及ぼしてきた影響を一旦すっかりキャンセルし、生命の歴史が何十億年もかけて到達した現時点の標準仕様の特性をありのまま確認するという課題はぜひ織り込んでいただきたい。
 慢性の寝不足を押して数々のサプリメントを流し込みながらバリバリとカネ年収を稼ぎ上げる生態というのは、実は地球上生物・人間にとって自然な幸せでなく、だから大事な仲間を裏切ってまで必要以上につまらないモノを欲しがったりする誤作動が起きたりするのではないか…とか。
 自分も含めて『そのいのち、輝いてますか?』と改めて検証する視点が必要な時代だ。

 そうそう、『ストレスに寄り切られて壊れた精神は、記憶消去装置が発明されない限り治らない』としていた私の経験則【50】に対しては、最近もしかして全数ではないが有効な解決策を方法論化できる余地があるのではないかと感じ始めている。人格の火が消えたような彼等が再び元気に動き出せば、その管理職層・経営層も元気になり、職場や社会全体も元気になれる。あらゆる組織生命体のいのちの光量が少しずつくらいはアップするかも知れない。
 自分自身こんなことにでもならなければ、私はこれらの課題を実感もって思考検討できなかった。理屈の世界で考え付いたところで、ガチ使える回答が視野に入る手前に高い壁があるような気がする。

 この年末年始、久し振りに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をシリーズ三部作で一挙放映していた。我々世代のファンはもう筋をソラで言えるくらいリピート視聴しているから、好きなところを好きなだけつまみ食いしながらお気軽に楽しめたのではないだろうか。
 公開当初の1980年代後半において十分先の未来として描かれている2010年代社会の検証は、既にあちこちで語られているので検索してみてください。そっちはもう枚挙に暇が無いので任せるとして、劇中に登場するタイムマシンが次々と段付きの進化を見せてくれるのが楽しい。プルトニウム燃料の動力源が、バナナの皮や飲み残しのペプシで動くエコ・マシンになるあたり、環境問題イメージの先見性と風刺力はなかなかのものだ。
 チマタに溢れる名言集サイトには取り上げられていないようだが、個人的にはラスト近くのマーティ少年とブラウン博士の会話が大好きである。この版の吹き替え対訳、上手い。

  “Doc! I thought I’d never see you again.”
  『ドク!もう会えないかと思った』
  “You can’t keep no scientists down!” 
  『科学者はそう簡単にはくたばらんさ!』

 親友にお土産を手渡した後、ますます進化を遂げた大発明品に乗った博士一家が、閃光を散らしながら突込んでくるタイトル・シーンは何度見てもスカッとする。

 技術者だってそう簡単にはくたばらんぞ。今の時代の若者や子供たちが、あんな楽しい仲間たちとドタバタ喜劇の日常を通して、面白おかしくも世界中の度肝を抜く日本製品を送り出せるようにしないと、時代相応の進化ってことにならないじゃないの。
 私を含むこの昭和世代は、たまたま不遇の敗戦を起点として、長らく日本列島がDNAレベルで育んできた組織力の恩恵におんぶにだっこで世話になりっぱなし、自分らだけモノ作りのいい思いに浸って、未来のモノ作りを楽しい生命活動に維持整備する課題から逃げ過ぎていた。それが行き詰まってきて、今ごろ辛いだの困っただの愚痴る資格など無い。

 本来、とりあえず共同生活がどうにか無事に流れる『素の社会組織』みたいなものがあったとして、例えば良質の地下資源を掘り当てたりすると人類共通の有価物に恵まれ『裕福な社会組織』になるんだよな。逆に、自然災害で農作物の収穫が半減したりすると『貧乏な社会組織』になる。
 いま日本国はカラッポの観客席に向けて、たかがカネ経済における架空の裕福状態を台詞棒読みで演じることしかできていない。その実態は『素の社会組織』として平衡パーシャルで過不足が釣り合うどころか、たかがカネされどカネの借金を天文学的に積み上げた、桁外れの『貧乏な社会組織』であることは1億2千万人国民の全員が知っている。

 何をサボっていてこうなってしまったのか、具体的にどう素行を変えれば改善するのかを、例えばATCアイディア創出センターで大騒ぎしながら仮説を立て【704】、夢洲人工島ラボで実験検証を繰り返して改善方針を固め【697】、大阪都特別4区から実用に移していく。これが直近の現実解だ。
 今年7月は東京都知事選だが、『大阪と対極に機能する東京を目指せること』が要件になるんだろうな。大阪の成長を止めるな。
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