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【816】30億年アナログ熟成型・超高速ゲノム解析プラント [ビジネス]

 中国からの観光客が増える春節が近い。前回に続けて病原体感染症の話題を。
 エマージング・ウィルスは宿主の生体機能を乗取る形で自身を複製し、宿主の中で増殖しては周囲に感染を拡大する。だが宿主の命を奪ってしまっては自身の間借り生体活動もストップすることになってしまい、そこで代替わりできずに種が途切れて自滅である。ここについては、我々人間が考える生存本能の理屈では解釈できない。
 で、実際途切れてしまうのだが、それでこの世から姿を消したように見えて、いい頃にはまた突然に現れる。つまり我々の知り得ないどこかに潜伏して、途切れず種を繋いでいる可能性が考えられる。

 さてここからがビミョーな前衛科学の領域。結論から行こう。
 ウィルス=情報メディアは宿主を殺し、あるいは宿主の身体から駆逐され追い出され、そこらへんにバラバラに粉砕されて存在しているのではないだろうか。
 いっぽう宿主たる生物には、生命活動の標準的なイチ機能として、バラけた遺伝子材料をあれこれ組み合わせて、その出来に関わらず正常な遺伝子相当に作用させようとトライする働きが備わっているのではないだろうか。

 例えばインフルエンザ・ウィルスの残骸が、夏の間も日本社会のいたる所に転がっている。乾燥しがちな冬が来ると、これが空気中に舞い上がるなどして人間の体内に侵入してくる。
 すると人間の体細胞はインフルエンザ・ウィルスの残骸を、まず無作為に、あるいはああでもない・こうでもないと試行錯誤しながら組み合わせ、片っ端からお試ししていくのではなかろうか。

 スパコンを使ったゲノム解析では、DNAの鎖が長すぎてA、T、C、Gの配列を端から読んでいくと時間が掛かり過ぎるため、薬品でDNAを細断して並列同時進行でそれらの配列を解読する。その個々の配列の中に同じ並びが見つかったら、その部分を重複部位と判断しながら配列の未完部分を読み足していく訳だ【558】
 気の遠くなるような件数の整合作業をスパコンがやってくれるので、スパコンの進化に合わせて解析速度がどんどん上がって、当初予想より遥かに早期にヒトゲノム解読が完遂されたのである。

 生物の場合そこまで都合よく効率的に作業できるともあんまり思えず、だが逆に人間で数十兆とも言われる体細胞が同時進行で遺伝子断片の無作為結合をやるのだとしたら、数十兆だと一桁パーセントでも千億~兆単位のパラレル試行件数となる。これだとウィルスとして稼働可能なレベルの完成度で、復元品が発現する確率が十分あるのではないかと思うのだ。一発当たれば一気にウィルス稼働が勃発する。
 人間は高速スパコンを手に入れてようやくゲノム解析を実現させたのだが、こういう作業に噛み付くにあたってはそうそう手段となる選択肢があるとも思えず、もともと生き物も進化発現のため同じような原理を生命活動の一端として備えていて、その膨大な数量作戦に近代技術がようやく追随できたに過ぎない…とする仮説である。

 この考え方のベースは、記憶情報の断片を無作為に結びつけてはロジカルなストーリーだと定義づけたがる自分の夢の本能的志向を、細胞スケールの生命活動にフラクタル転写したものだ。
 この手の前のめりサイエンス好きの友人が、『生物って案外、完成された出来合いの遺伝子情報に基づく複製だけの姿勢で生きてるのではない、もっと創出や流用で空所を補填しようとする働きがある、とする説があるそうで…』ときっかけをくれて、インフルエンザ・ウィルスの季節性にハタと思い及んだ。
 専門家の読者さま、いかがでしょう?…と切り出すには、ちょっと飛び過ぎの感もあるが、とにもかくにも現実としてインフルエンザ流行の季節性はあるのだから、可能性のひとつとして視野に入れておく価値はあるのではないでしょうかね。

 生物には『積極的な好奇心性の情報構築トライアル+無理やり意味づけしてチカラずくで実用GO』の標準プログラムが備わっていて、エマージング・ウィルスは生物のその生来特性を利用し、バラけて姿を消しては再組立てしてもらう形で現代まで種を繋いできたと。ウン、ちょっと面白いかも♪

 さて、真相はどうであれこれだけ大多数の人々が交錯する現代社会なので、感染症の流行を目前にして我々ができることは、可能な限り早期に患者たちを隔離すると共に、感染経路を遡って流行源に迫れる限り迫って、打てる限りの手を打つ。そこまでである。
 病原体と接触した瞬間の認知もできなければ、大衆社会とのどんな接点でどう感染拡大させてしまうのかも判らない。あらかじめ各自が神経を尖らせておいて、自分自身あるいは近隣で感染が確認された時、記憶を辿ってその原因くさい事実を特定し専門家に情報提供する以外なく、これが最速最善の行動規範ということになる。

 ポイントは社会組織の自我を、その方向に仕向けるということなのだ。
 オオヤケ社会の対応としてコレコレこんな留意点で目を光らせることになってるんだぞ、ならば自分も感染が怖いので、気休めの付け焼刃ながら一応はこのくらい気を付けておこうか…と。早ければ早いほど効果は高く、だらだらして感染を拡げてしまった後では、何のどんな対処も意味を失う。
 くだんの大阪のSARS罹患チェックは、的確な社会意識への周知シンボル措置として十分妥当なものだったと思う。これのGO判断に病原体の専門的知識は不要であり、むしろ感染症の特性を常識的に考慮した上で、人間が成す社会組織をよく理解した情報発信だなと感じたものだ。

 病原体感染症のネタもやり始めると終わらなくなりそうだ。このへんで、篠田節子著『夏の災厄』という感染症流行パニックの小説を紹介して、今回をまとめにかかるとするか。
 人間はキホン一旦は病原体に感染して、それに対処する順番でその後の展開が決まる。しっかり食って早めによく寝て、今のジブンMAXの新陳代謝を回す生活習慣が最強の健康法である。余計な添加剤投与のドーピング稼働はしないに越したことはない。
 こんな健康法の優位性も、いのちの輝度の測定値として定量化の概念ができれば、保険医療費の抑制に実効力が期待できそうなんだよな。

 私が油断したクチをきけるワケ無いのだが、皆さまお大事に。
 大阪の成長を止めるな。
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