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【1097】霊長類インテリジェンス世界地図の塗色数 [ビジネス]

 やれやれ、結局やっちまったんだよな、頑として税金払いにこだわったまんま。
 1億2千万人日本人はあんなみすぼらしい昭和ダメオヤジの浪花節大喜利ショーにカネ払わされんのか?汚職や隠蔽工作の横行で日本国をプラネット・ベガーズに貶めた思い出話がアレってことかよ、反吐が出るとはこのことだ【794】

 直前に英エリザベス女王の国葬があったので、図らずもその差は歴然、見栄えも中身も自分ちの程度の低さを甘んじて認めざるを得ない。
 これさあ、揉め事も起こさずマスゲームの公開映像を流せるだけでも、お隣の半島の方が国家運営としてはよっぽど安定してるという見方はできるよな。

 まず烏合マスコミが虚偽報道で世論操作していたので、きちんと確認しておこう。
 『賛否を二分した国葬』などと辞書の語意記載としては一応事実に逆らわないと言い訳の立つ発言が繰り返されていたが社会通念的には大ウソ八百、正しくは『国民過半数の反対世論を無視したまま強行された、一方的に内閣が国葬を主張するだけの葬儀』である。明らかに事実を隠して、事実と喰い違う内容の架空情報を、あたかも事実であるかのように装って各局ばら撒いていた。
 もっとも、まず私自身こんなことでもない限りテレビなんか見なくなってるし、どこまで実効的な世論操作になっているのかはよく判らない。だが一応にでもマスメディア機能を持つ社会機関が、事実報道を放棄して意図的なフェイク情報を拡散していることは問題だと思う。いずれ1億2千万人大衆の行動選択の結果として、テレビ報道なる通信事業形態の存続が決まることだろう。
 こんなことやってる一方で、どこぞの宗教団体のここから先はマインドコントロールによる操作だとして法規制がどうたら…みたいな議論ってできるつもりでいるのかねえ?

 もともと日本社会の常識として『理由はともかくお弔いを出している場ではそっとしておいてあげようよ』とする習慣が根付いており、これ自体はとても良いことだと思っている【1077】
 だがその習慣を悪用しカサに着て当日の反対派デモを制圧しようとするのは、古き良き日本国への冒涜であり、こんなことをするから『昔はよかった』式に日本文化の思いやりメンタリティが過去の遺物と化してしまい、結局はヒトというものを理解できない脳足りんが『ルール化・明文化が必要だ!』とか寝言をたれ始めるのだ。
 常識として日本人の誰もが良心・良識でうなずきあって収めていた日常にも『誰がいつ決めたんだ、根拠は何なんだ』みたいな大人気ないケチをつける痴呆指摘屋が現れて、言われた方は言われた方でまともな反論もできずにヒマな作文に取りかかる。
 こんなもの二度と読み返さないのが普通だが、普通でないバカが再来して喉元もすぎた何年後かに読み返すと、今度は一体あの頃ナニがあってこんな文章書いたんだと、さらなる時間の無駄の回想と、愚かで未熟な思考ロジックの紐解き謎解きに迷い込んでカンカンガクガク、もう時間の無駄の底なし沼だ。日本社会って効率悪いのである。

 冠婚葬祭ってのはなあ、キホン仲間ウチで感情を共有する儀式なんだから、人さまのフトコロに手を付けるような品の無い心根が絡んだ瞬間、どこの誰からも蔑まれ忌み嫌われるのが当然なのだ。人の世の当然で忌み嫌われて、これを今後の誰もが忌み嫌われないようにするために法律で作文か?
 どあほ、二度と繰り返すな。今般の件についても、日本国民は決して認めない。
 これが日本文化の常識の最終判定だ、『検証』とやらはこの延長線上にしかない。

 残念だが『所詮黄色いサルには、民主主義のロジカル社会システムも国葬の歴史的文化セレモニーも無理』という象徴的な事実となってしまった。しょうがないよ、いま日本はそんな民族のそんな国なのである。
 これ、自分が欧米人だったとして、そして直前の大英王室の事例と明らかな対比で眺めて、この極東一帯のくくりで、お隣の半島と日本に何か本質的な違いを感じて区別できるものかどうか、よく考えていただきたい。

 『人権宣言云々のタテマエ論はともかく、やっぱり社会性知能レベルの人種別の優劣ってあるよね。やっぱり極東のあのへんってロクなもんじゃないよ』と、20世紀のうちに世界人類が『よくない、やめとこう』と決心した欧米目線の典型的な人種差別マインドを、あわれ我々アジア有色人種の側から実にみっともなく象徴的事実で焼き直してしまっているのである。
 強制的支配や搾取は人間の理知性として『いけない』という理屈は立つよな、ならば少なくとも表向きは整然とそのセンを守っておかないとマズい。白色人種はこう理解して、申し合せたら実態はともかくそれっぽく収まることができる。
 いっぽう進化の遅れた黄色いサルは、せせこましいサル山で威張りたい自称ボス猿が勝手にエサをくすねて独り占めしたいまでが全てで、やり散らかしたらそれっきり。小世界で永遠にいつまでもぎゃあぎゃあモメながら争って奪い合う劣性動物ということなのだよ、国際視点の真実像としては。

 切実なる被害者の安否が判明していないし滅多なことは言えないが、それにしても一方のサル山が隣のサル山を指差して『コイツらが仲間をさらった、人権蹂躙だー!』と叫んだとして、白色人種が本気で問題意識を持って取り合ってくれるかどうか、日本人は冷静に振り返ってみる時期だと思う。
 国際的な言論ステージにおいて訴求力のある主張を発信するためにはサル山をやめないと、せめてサルから進化しようとする生命力だけでも見せないと、どこの国にもマトモに相手にしてはもらえない。国家組織vs国家組織の自我が織りなす国際社交の場において、世界標準の緊張感がどうしても持てない内弁慶のサル山は、このままだと某実業家の言葉通り、いずれ消滅することになるのだろう。

 さて今般、世襲のガキの葬式の前後だけでも、瞬間的に円安を緩和して見栄えを取り繕いたい…というか、非難の対象となる事実を場当たりで誤魔化そうとしたフシがある。
 前回述べた通り、かなり不自然な為替レート変動が見られたのだけれど、つまりは『市場介入』のタイトルのもと実質的には呆れた大枚がはたかれており、いずれその額が世襲のガキの葬儀代に上乗せされて…というカタチででも国民の目にきちんと触れれば、まだ事態はマシな方と言わねばならないだとか、そういうコトになっているはずだ。
 なるほど経済要因だけの都合で動かすには『まさかや~』もいいトコだったからな。
 今時点で既に為替レートは1ドル144円台にまで揺り戻しており、国際経済に多少でも勘どころが働く人間なら、この儚さは最初から予想できていた。
 通貨流通原理も、自由競争市場も、変動為替相場も、知能の要求値が高すぎる文明アイテムであり、箱庭サル山の黄色いサルには難し過ぎたんだよ。
 そんなサル山の内々で、オカルト脅迫で巻き上げたアガリが政権与党二党の運営資金源だっていうんだから、もう騙す方も騙す方なら騙される方も騙される方、そりゃ丸ごと全部のサル山まとめて『円安』の見立てが確定的にキマるのも無理はない。

 1980年代の中盤だっけか”JAPAN as No.1”という経済書が話題になった。
 『No.1としてのニッポン』なんて言われるぐらいだから、普遍的なNo.1のイメージが存在してない背景がまず拡がっていた、その物証ということになるのだけれど。

 今や見る影もなく経済的に利用価値のなくなった不毛のサル山で、国際的世間体を気にしてでもくっだらないウチワ追悼集会に、人並に足を運んでくれる他国がまだ残っているうちが華だろう。
 自然豊かなこの極東の島国は、人類文明の世界標準に追い付けるのだろうか。
 『劣っている』ということではないのだが『文明に向いているかいないか』という特性に評価基準を置いて考えた時、世界の歴史に見る人種差別の根源的な原因は、こんな風に根深いんだろうなと認めざるを得ない。

 子供たち若者たち、確実に理解し、考えて手を打ちながら進め。ではグッドラック!
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