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【1093】格安忠誠ウォッチの謎解き失踪事件 [ビジネス]

 意外な出来事に遭遇した。…って、ただの偶然っちゃ偶然なのだけれど。

 私は普段、超安物の腕時計を愛用している。見かけも値段も良い時計に傷を入れてしまったり、経時劣化でややこしい故障の仕方をされてしまうと、処置に困るからだ。
 『携帯電話を持つようになって腕時計が必要なくなった』とも言われ、私も時刻の確認は携帯電話で済ませるようにしていた時期もあったのだが、腕時計を邪魔に思わない昭和人種、さらに始終スマホの画面を注視する習慣がさっぱり身に付かないアナログネイティブ人種としては、いちいち携帯電話を取り出す手間の方がよっぽど面倒になると思われ、結局のところ私は腕時計派に出戻った。

 では腕時計を使うとして、やっぱり間違えてそこらにぶつけるリスクからは逃れられないし、特に夏場は空調の効いた部屋ですぐ一旦外して横に置きたがる癖が私にはある。つまり何かの拍子に紛失してしまうリスクもある訳で、きちんとした社交の場にスーツ姿ででも出ていくのならともかく、普段の外出は『万一の失敗をしても泣かなくていい腕時計』にしておく方が安心!ということで落ち着いた。

 携帯電話が普及する以前の平成初期の頃、フィールド実験で何週間か僻地で過ごす出張があり、そもそも深く考えずに『傷もうが壊そうが、どうなっても構わない腕時計』という目的意識でカシオのデジタル腕時計を買ったことがある。ベルト部分はペナペナのゴム製で本体も小さく薄っぺらく、30年前の当時にして確か1,200円ぐらいだったと記憶している。
 だがこれが侮ったものではなく、12時間・24時間の2系統の時刻表示および5系統のアラーム設定に加えて24時間以内のカウントダウンタイマー機能まで備えており、要は実験進行のタイムスケジュール管理をする上で無くてはならないほどの利便性を発揮して、その後の私のフィールド必携アイテムの座を獲得することになる。
 特に北米では、遠目にも一見して金目にならないことが明らかで、実際なくしたところで別に大ゴトにならなそうで、そのくせ小型軽量で高機能、東部・中部・西部と三通りの時間帯を毎週最低イチ往復するタイムマシン的生活環境において、無敵のサバイバル・アイテムとして便利したものである。
 ムーブメント自体が薄っぺらで小さめなためか、こんなのに限って使いまくったのにぶつけもせず大した傷もないのが皮肉な現実である。ベルトは最低でも3回は切れたが純正の交換品が販売されていたのですぐ修理が効いたし、品切れしたとしても細かい整合性を気にしなければ安い汎用品が簡単に付く。実はこれ、今もちゃんと持っている。

 コイツをまた引張り出しても良いんだけど、12H-24Hデュアルタイム表示や5系統アラームは今となっては貴重な特殊機能の詰め合わせ時計だし、はてさて…とちょっと通りがかりに家電量販店を覗きに寄ったところ、目移りするほど安物時計の品揃えが充実していて驚いた。インバウンド客が喜んで買って行ってた名残だろうか。
 アウトドアっぽいスポーツルックのデジタル・アナログ併設タイプがなんだか面白くて、ついつい926円で衝動買いしてしまった。結構ガラがでかいクセに軽く、ベルトが固めなので手首周りをガバガバ遊んで、お陰で夏は汗でべたつかない。
 数字を読みに行って・読み取って・言語理解を経て機能達成するデジタル式に比べて、長針・短針の成す図形的なアナログ表示は直感的に速やかに認識され、カタチとして記憶に残りやすいとも言われる。ならば何故アナログとデジタルを同居させようと思ったのか。だいたい指針を機械仕掛けで動かすぶん、ただのデジタルより故障しやすく電池も喰うはずだが、どのくらいの持つものなのだろう…?

 …ってことで興味深く愛用していたのだが、先日コイツが急に行方不明になった。
 帰宅したらすぐ手首から外して置く位置は決めてあるのに、そこから忽然と姿を消したのである。外出先で置き去りにした覚えはないし、実際可能性のある場所には確かめたがやはり見つからない。
 生き別れた覚えもないが再会できる可能性も未知数だ。これは困った。

 そうこうするうち丸一日あまり視界に時計の入らない移動をする予定が迫ってきた。
 いつも徹底的に修理を尽くし、使い勝手の悪いものは改造し、ペン一本でも飽きて手放すことはなく使い切る私だが、とうとうジャンキー腕時計二代目の導入を決心し、今度はデジタル表示オンリーの980円を買い上げたのである。いや、たまたまの入庫状況だと思うが、針付きのやつは1,500円ぐらいしやがってですな…
 とにかく無事に不自由を感じずに予定の一日もこなすことができたのだが、何だよデジタル表示フツーに見やすいじゃん。この程度の図形認識だと、言語理解云々よりも浅い情報処理階層というか、主観の反射認識みたいな軽くて素朴なプロセスで済んじゃってるのかな。

 そしてその翌日。軽く洗車したついでに、車内に置きっぱにしていた紀伊國屋書店の紙袋を覗いたところ、なんとジャンキー腕時計初代の姿がそこにあった。うわ~、何故ここに!
 今夏初め、日本国内で車体に破損被害が出るほどの大粒の雹(ひょう)の報告が相次いだのを御記憶だろうか。私は、発泡酒缶24本の段ボールケースを開いて車に積んでいき、これをつなげて万一の時の車体保護カバーにすることを考えた。紙袋にはそのためのガムテープが一巻入っていたのだが、そう言えばそのガムテープを自宅内で使いたくなったので一度持ち込んだのだ。
 これを再び車に戻すまでの間に恐らく私が半袖シャツの袖口に引掛けるか何かして、軽い時計なので大した音も立てずに紙袋の中に落ち、私は気付かないまま車に戻してしまったという経緯だろう。こりゃ自分で記憶を辿っても可能性を考えても、絶対に判らんかったわい。

 あと一日半はやく見つかってくれてたら980円払って二代目購入に踏み切ることもなかったのに…とふたつの腕時計を並べた時、愕然となった。初代機の電池が切れて止まっているではないか…!

 正確にいつ止まったのかは不明だが外出中の時間帯だった可能性も馬鹿にならず、そうなったらそうなったで不運を感じながらスマホで時刻を見りゃ済むハナシではあるのだが、それにしてもこのタイミングには驚いたのである。
 そう、私は深刻な困窮に行き詰まるような巡り合わせで機械や道具が作動不良に陥って、それが原因で途方に暮れた経験が無い。腕時計の電池切れに御機嫌ナナメったりする私ではないが、たかがこの程度にしても、よくこんな手で自身の機能喪失期に私の視界から外れてくれていたものである。
 こんな偶然をオカルトめかして有難がり、よもや腕時計に人の名を付けて感情移入するような趣味は私には無いのだが、やはりモノを目的に沿って丁寧に使い、簡単にでも手入れして維持して、それでも不慮やむなしの局面では必要な決断に踏み切る…という心掛けを守っていれば、ただの偶然でもない幸運は実現するものだと思っている。

 現代の人類科学が一般的に『生命体』と判定する連中の『生命反応』『生命活動』の原理は、つまるところこのあたりにあるのかも知れない。
 過去の『経験』『記憶』に基づいて、『主観』で得た目前の現実を受け止め、素直に最善の対応を選ぶ本能の反射に忠実に従っていると、『偶然』に含まれる可能性が組み合わさって『発展的な幸運』が起こる。これが生存本能なのではないだろうか?
 裏返せば『発展的な幸運』は生き物の特権ではないのだろう。つまりz軸の『自我』が立ち『主観』なる外界の観測が起こり、次の展開を生むに足る履歴=『記憶』まで揃う構図が成立すれば、機械装置などいわゆる無機物にも『意識』の因果体系は宿り得るのではないか。
 一方で『地球上で最も成功した生命形態』とされる昆虫類が、あったとして非常に簡素な『記憶』しか持たなそうなのが非常に興味深い。『生命』と『意識』は別事象なのだろうか?

 ワケなく電池を交換して蘇生手術完了、初代復活によりジャンキー腕時計1号機・2号機体制になったのだが、どう使い分けていくのが面白いのかなあ。
 皆さまモノは大切に。きっと良いコトありますように、愛情と愛着にグッドラック!
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