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【1090】誰でもできるターミネーター式寿命延長法 [ビジネス]

 当初からちらほら聞こえていたけれど、どんな人物を国葬にするのか法律で定めようという話があるんだよな。
 よせ。日本はあほ帝国か?お前はその先陣を切るあほ群衆の急先鋒か?

 意識を持つヒトが成す社会組織が、合意つまり意識の方向性を一本化できないんだろ?その現実に遭遇した瞬間、全ては『決行不可、ヤメ判定』だよ。理由は簡単。
 ヒトがそうしたいと思わない、お互い顔を見合わせても誰もそうしたいと思わない、この現実がイコール『その集団が行動を起こす因果を認めていない』からだ。その理由も無いのに、誰がわざわざに動くものか。

 これを当然の必然といま思えないヤツは、もう人の世で自分の意見なんか主張するんじゃないよ。何もかもどっかごそごそ探して『あそこにああ書いてあるから、ああしましょう。こっちにこう書いてあるから、こうしなければならない』で人生が最初から最後まで決まるんだろ、ならば他の誰にも絡まず法律文書だけを頼りに、最初から六法全書をバイブルにして首っ引きで自己完結して済ませれば良い。
 こんなのに会話を絡まれたら迷惑でたまらない。社会のその場を生きるヒトとして、お互いが幸せな時空を過ごせるよう自分の頭で考えて、考えたことを口でしゃべって、しゃべったことを耳で聞いて、聞いた言語を頭で理解してまた考えて、ヒトとして一緒に暮らしていけるよう交信し、お互いさまのお陰さまで思いやって合意調整する。
 それで現実が進展していくのがヒトの成す社会組織というものだろう。

 以前にも述べたが、社会はそもそも常識という不文律で個人都合間の調整をしながら運営され、個々人の見解の違いで収拾がつかない場合の判定根拠として、法律が存在する【108】
 法律とは言語情報の形式になっているものだから、検索し、参照し、引用し、目前の現実に適用し、検証して結論を固めるまでの運用プロセスを経て初めて機能する。つまり実地運用の仕組みの整備と工数確保がついてこない限り、作文して満足感に浸ってオシマイにしかならない。早い話、無駄だ。
 業績の上がらない職場に限って、やたら具体的な内容の業務標準書大全がずらりと並んでいて、誰ひとり閲覧に来ないまま、年一回の昔懐かしISO対応で定型業務化したアップデート年中行事を迎えるだけ…という実態が目立つ。
 だからそんなものは重要でない必要ない、消えてなくなれ!…とは言わないけれど、がっつり現場の収益性作動を確保するには、人材の素性と、その作動状態と、職場の人間関係を良質にメンテナンスする『風土』『文化』の整備がカナメなんだよ。そのためには緻密にヒトと腹割った会話して、ヒトの作動を手間かけて最適化する必要がある。

 以上が理解できずに、法律を作文して、何ひとつヒト当たりの反応が返ってこないことを前提に、文書をひたすらいじりまわして時間を過ごそうとする人間を『あほ』と言う。日本はあほの国か?

 どんな要件に適合するヤツを国葬にするだとかそんなハナシは、国際経済社会において日本国が何の有価事物も創出しないウチワままごとのルール論争でしかないから、ますます『働きもしないで、どうでもいいことで遊んでいるあほの国』のイメージが国際的に強調され円安が進行するのは間違いない。かまうだけ時間の無駄ってことだ。
 不思議なのは、普通に生きている人間の直感的な本能として『このままじゃ生きていけない、何とかしないと生き残れない』と本気で思う日本人の少ないことである。だから『日本は生産性の低い国』『日本の職場は効率が悪い』と評され低く見られるのだろう。ヒマに遊んで、生活が壊れても気にしない国民性なのだ。
 これが高齢化の実態なのだろうか。破滅と諦めに安住できる感覚が理解できない。

 おっと暗くなり過ぎないように、一気にサイエンス系トピックの方に振っていくか。
 『われ思う故に我あり』で現実世界x-y平面に、新たにぼんと『自我』のz軸が立ち、x-y平面上の事象に対するz軸という相対位置で『主観』という観測が始まる【1086】
 そして『主観』で観測される認知入力が、まず生物のDNA本能としての反射動作の出力反応を呼び起こし、そうやって生物たちは日々の瞬間瞬間を生きている。
 そこに大容量ストレージとしての脳を備える高度情報進化フェーズが発現した。

 五感で認知した入力信号をできる限り広く俯瞰できるよう、通信網を集積させた最高点に頭部を配置し脳を置き、脊椎メイントラフィックから末梢神経を張り巡らしたネットワークも形成され、生命は『記憶』という情報ファイル形式を手に入れたのである。
 そして『主観』で観測した外界を『記憶』と比較参照し…というか結構、既存の『記憶』から先に認知しそうな外界を決めつけていて、そこに『主観』の測定結果が合致する・しないのGO/NO GO判定をするという順番で情報処理をしていて、その情報処理が『意識』なのではないかと考える【937】【938】【968】

 ひとつに、誰もが生まれてすぐの頃の記憶が薄い。痛い思いをしたり怖い思いをしたりした記憶は残っていても『あの時の事実を解釈してこう思った』みたいな想い出のある人はまずいないと思う。
 これは記憶のストックがまだ充実していないので、インパクトのある『主観』の観測結果はそれ単独で記憶に深く刻まれるのだが、既存の記憶ファイルと比較して情報処理する『意識』プロセスがまだ成立しないので、印象的な『意識の記憶』が残らないからではないだろうか。乳幼児に『主観』はあっても『意識』は無いのだ、きっと。

 そして最近もうひとつ思い付いた。だいたい30代ぐらいまでは、自分の人生年表の後半が明確に閉じておらず、思考しようにも自分の死期やその姿がイメージできない。何というか、まさに『無』という感じで、そこに思考を持って行こうと思っても、どうしても実体というかカタチを成さない。
 絵や文章やその他いろいろ、情報としての『死』をあっちからこっちから触れてまわるのみで、肝心の心身状態としての『死』の実感だけは、何もかもが宇宙の果てのその先のように概念の対象が消えた真空に発散してしまう。

 もちろん今こうしている私も、徹底的に突き詰めると厳密には変わっていない。これは『死』を一度体験して、その記憶を持って現在進行中の『主観』と比較するプロセスが、原理段階で実現しようがないからではないだろうか。
 だが、加齢していっていずれ寿命の終焉を迎えた実例に繰り返し遭遇し、縁起でもないハナシで申し訳ないんだけど、お迎えが接近している人たちの実情の実例にも繰り返し遭遇し、何より自分が『加齢』を実体験しながら、そんな実例の数々を以前より近い立場から実況状態で比較検証する…とここまでは到達するんだよな。
 恐らくこういった『記憶』情報の充実によるものなんだろうけど、若い時に比べて随分と現実的に自分の人生年表の右側をイメージできるようになったとは思う。

 でもさあ、現時点の平均寿命80歳ちょっとなんて全然足りねえぞ?
 もちろんこの先80歳以上の私の過ごす時間は、もっともっと日本じゅう・世界じゅうで楽しく面白くなって、何十年も延びていかなくてはならないのだ。

 平均値は世の道理、x-y平面上の神の意思なのだから手の付けようが無い。
 …とすると、私が平均値以上の延長を実現するためには、他が平均値未達でできるだけたくさん死んでもらわないと勘定が合わなくなる。もう日本国が破滅していい、もう諦めちゃったという奴等、このあたりは好都合に釣り合う準備があるってことか。

 …そういうことか、やはり私は殺戮マシンとして呪われた運命を生きていくのだ。
 そしてあなたも『死にたくなければ来い』…ってことで、では一緒にグッドラック!
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